『カルチャー・レヴュー』53号



■連載「文学のはざま2」第2回■


笙野頼子の大傑作『金比羅』の凄さは伝わるか
――オカルトの国でサバイブするために


村田 豪



 笙野頼子については、前々から気にはなっていたが、ようやく最近何作かを読むことができた。笙野ってだれ、という人もいるかもしれないから、まずは簡単な略歴を紹介しよう。

 1981年の群像新人文学賞を25歳で受賞。しかし若くしてデビューしたものの、それから約10年間本が出なかった。同じ回の群像新人賞の最終選考で落選だったほうの高橋源一郎が、その後80年代の軽やかな時代の雰囲気を象徴するような作家として受け入れられていったのとは、対照的だった。それは初期作品の、観念的で暗く時に晦渋な笙野の作風が、理解されなかったためだといわれている。

 しかし90年代の笙野は、一気にその存在感をあらわにした。91年『なにもしてない』で野間文芸新人賞、94年には「二百回忌」で三島賞、同年『タイムスリップ・コンビナート』で芥川賞と、主要な新人賞を立て続けに受賞。純文学系の作家の中でも新しいタイプの書き手として大きな脚光を浴びるようになった。ある時は、ガルシア=マルケスやレイナルド・アレナスに通じる「日本のマジック・リアリズム文学」と称讃され、またある時は、サイバーパンク、サイボーグ・フェミニズムなどとの同時代的関連性が指摘された。また松浦理英子、多和田葉子、川上弘美などならんで、個性的な女性作家の目覚ましい活躍を印象づける一人としても注目されたのだった。

 確かに、作品は独特で素晴らしい。二百年分の時間が混じり合い、死者と生者の境界が消滅する法事、常軌を逸した親族との交歓を描いた中編「二百回忌」は、とんでもなく異様だし、マグロ(!)との恋愛を背景に灰色の海が見える工業地帯の駅へ旅する『タイムスリップ・コンビナート』は、まさに「幻想的」といえるだろう。

 また、悪夢の中でワープロゲームのゾンビと戦う『レストレス・ドリーム』の爆発的な言語的逸脱は、類例がないし、殺したはずの「おかあさん」が「あ」から「ん」まで分裂増殖する『母の発達』は、母性にまつわる言葉をぶちこわす楽しさにあふれている。愛のデマゴーグ「カニバット」と取り巻きのルサンチマン女たちがFAXのお化けになって襲いかかる『説教師カニバットと百人の危ない美女』も、笙野のフェミニズムについての独特なスタンスを知るにはお薦めの一作だ。

 ただ、世間的な評価を頼りに、作品に近づいたせいか、今一つ私は作品にのめり込めないでいた。決して面白くないわけではないし、作者の意気込み、真摯な取り組みが伝わる作品が多いのだが、ツボにはまるような熱狂はやってこなかった。評価されてから時間のたった作品が多く、後追いで読む感覚が、作品との距離感を作ってしまうのかもしれない。

 しかし昨年でた『金比羅』は、違う。この作品は、「ぶっちぎり」の大傑作である。評論家、他の小説家もほめているし、今年4月には伊藤整文学賞を受賞している。けれど別にそんなことにはかかわらず、強烈な印象を受けた。飛び抜けて壮大なテーマを内包した作品として、今後もおおいに問題にされるだろう。

 今回はこの『金比羅』を絶対的にほめる。ほめてほめて、ほめちぎる! けれど、これがどのような作品であるか、読んでいない人に説明するのは、いささか難しいような気もする。というのは、そんなに簡単に理解できるようなことが書かれているわけではないからだ。かりに理解できるように説明をしても、この小説の本当の凄さ、破格の度合いは、かえって伝わらなくなるのではないか。難しいテーマを扱いながら、小説としての美点や機能、逸脱があらゆるかたちで駆使されていて、だからそれを簡単な説明に置き換えるのは、端的にこの小説の複雑さに反してしまう。

 しかし、まあ、そういうもったいぶったことを言わずに、私なりに愚直に説明してみたいとは思う。だからこれは、『金比羅』という作品の偉大さに反するような解説である。

 まず、『金比羅』は奇妙な小説である。作者とおぼしき「私」が47歳にして、自分がもともと「金比羅」であること、「金比羅」であったことに気づき回生し、自分の一生を「金比羅」である立場から振り返りたどり直す一代記なのだ。要約するならこれが物語の体裁のすべてであり、付け加えることは何もない。えっ、と思われるかもしれないが、本当だ。

 しかし長編小説なのに、しかも傑作だと断言してやまない作品なのに、中身がそれだけだなんて、あまりに芸のないふざけた解説だと思われるかもしれない。よって、もう少し踏み込んで言うとすると、「金比羅である」というときの「金比羅」とは何か、そして「金比羅」がそういうものだとするなら、「金比羅である」とは、いかなる事態をしめすことになるのか。それを笙野頼子という人間のバイオグラフィにおいて実験し、その可能性を証明した小説と言えるだろうか。

 ところで、そもそも世間でいうところの金比羅っていったいなんなのだろう。

 ほら、「こんぴらさん」という愛称で親しまれている神様で、四国讃岐の像頭山に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)のこと、千三百六十八段もの長い石段も有名で、「金比羅船々、追い風に帆かけて、シュラシュシュシュ」って、軽快な歌を聞いたことがあるでしょう?

 たとえば、こんなふうにいわれても、私は最初、まったく何のことなのか分からなかった。何かそういうものがこの世にあるのだろうな、というぐらいの意識しかなかった。だいたい神社・神道・八百万の神にまつわること全般についてめっぽう疎く、もともと興味もないのだ。ことによったら何か「怪しげな」たたずまいに居心地の悪さ、嫌悪感さえあるので、神社など近づくことさえろくにない。まあ、それにしても、いくら嫌いといっても世間的常識として金比羅ぐらいは知っているものではなかろうか、と読者のみなさんには、この世間知らずをわらわれるかもしれないが。

 しかし金比羅のことを全然知らなくっても、作品を読み理解する上では、まったく問題はない。というのは、こんなこと全部「作者=語り手の『私』=金比羅」が、作品の中でため口地口悪口まじえて、面白おかしくじっくりしつこく説明してくれるからだ。というわけで、この小説の本質たる「金比羅」がいかなるものかを知るべく、「私」がいわんとするところを、他の資料などで補足しながらもう少し説明を加えてみよう。

 金比羅は、もともとはインド、ヒンドゥー教の鰐の神「クンビーラ」から由来している。日本では、蛇体の神と一体化し、それが仏法の守護神となって入ってきた。また古くから龍神信仰と結びついて航海の神様としても信仰されてきたといわれる。

 そして現在の「本家」讃岐の像頭山には、そこを行場の霊山として信仰していた修験者・山伏が、神仏習合のもとに中世のころ金比羅を持ち込んだのだろうと見られている。資料的に確認されるのは、江戸の少し前、高野山の真言僧によって像頭山の松尾寺に金比羅堂が造られたところからだ。そして、すぐのちの江戸期にはもう、「金比羅大権現」という「神仏習合ネーム」で松尾寺を凌駕して、像頭山の信仰の中心にのし上がることになる。

 これを今度は、讃岐を所領とする諸大名が、自分たちの江戸の藩邸に屋敷神として勧請(神仏の分霊を他の場所に移し祀ること)した。一般にも参詣を許し、これがまた江戸民衆に大ブレイク! 毎月十日の縁日には、参詣・願かけの人々で大にぎわいする流行神となり、江戸に「金比羅百社参あり」といわれたほど猖獗をきわめた。

 これはまた江戸に限らない。もともと各地で航海・祈雨・稲妻・農耕の神様として多様に信仰されていたこともあり、金比羅の霊験・御利益の噂は、その他の諸国にもあまねく広がり、全国的な金比羅参りの隆盛を築くことになる。大阪には道頓堀をはじめとして各所に金比羅参詣船の出帆場所があり、人々は船で瀬戸内を伝って像頭山に押し寄せた。特に江戸中期から末期には、お伊勢参りと競い並んで大流行したのだった。

 ただし明治になって、近代国家による「神仏分離」がおこなわれれると、祭神をオオモノヌシとする琴平神社、金刀比羅宮となり、仏教色は一掃されることになる。他の地域の金毘羅宮も同様である。それでも、もともと仏法の守護神だった点からいっても、信仰の本質が変わるわけではなく、今も「こんぴらさん」という愛称のもとに、信仰は受け継がれているのだ。

 さて、多少細かく金比羅について書いてみた。だがしかし、以上のようなことについては、実は曖昧なことも多いらしく、金比羅の実体はよく分かっていないのが正直なところらしい。上の説明でもよく考えれば、金比羅信仰が本来的にはどこから生まれたのか、明確にはなっていないし、どちらかというと、いろんなところから湧いてでたような印象さえある。本家も分家も偽物も区別がつかない。それに金毘羅って「具体物」としては何なんなのだろう。もともとは鰐、それが蛇や龍となったり蟹になったり、翼が生えて天狗になったり、海の神だったり、山の神だったり、風の神だったり、農業神だったり、多様というよりは「むちゃくちゃの何でもあり」とさえいえるようだ。

 これをとらえて、笙野頼子は「本当の金比羅」を、次のようなものとして描き出すのだ。「ウィルスのように」あちこちに増殖し、「神仏習合」の能力を生かし「地元の神をのっとってはびこるものだ」と。そして「地上のほろんだ神にとりついてそれを再生」させるのだ、と。―― しかしそれは何のためだろうか。

 これはほとんど作品の結論でもあるが、皇祖神をいただく国家宗教・伊勢に対抗するためだ。皇室の神に滅ぼされ、名もなくした土着の神をよみがえらせるためだ。「上からの土俗」として全てを決めつける権力者の神ではなく、自分だけのための「極私的な」神を拝むためだ。だから「金毘羅」は「野生の神」、「反逆の神」、「カンウンター神」、「捲土重来の神」であり、たとえそこに「金毘羅」の名前がみあたらなくとも、そのシステム自身が「金毘羅的」だといえることになる。

 そして、話は『金毘羅』の物語に戻る。あることから拝みすがる神を失って、人生上の危機に立たされていた47歳の「人間の私」は、2003年8月21日、「御山様」が幻覚のうちに現れ、ようやく自分が一介の野生の「金毘羅」であったことを思い出す。1956年3月16日、四日市で産声を上げてすぐに死んだ赤ん坊の死体に乗り移って、人間の「女」として伊勢で生い立つことになった自身の人生の始まりと、その後の苦難の意味を、その際一気に理解したのだった。そして「金毘羅」の目によって、人間としての半生が語られる。以上が、小説の本質と中心になる内容だ。

 それで、どうして『金毘羅』が大傑作なのか、わかっていただけるだろうか。まず、「神が人に乗り移った」というような物語を人はすぐに「荒唐無稽」「空想的」というような形容を与えて、誰もが安心して受容できるように配慮しがちだが、またそれはそれで間違いではないが、本作に関しては誤解を与えかねないだろう。なぜなら小説として、これにはまったく破綻がないからだ。私は確信をもって主人公「私」が「金毘羅」であることを認める。「主人公の思い込みと現実がどちらとも取れるようになっている」というような、安っぽい作りではない。近代小説の枠組みで、自らが「金毘羅」であることを証明した、そういう驚異的な作品なのだ。

 また『金毘羅』は、スリリングにも出来ている。設定によって与えられた謎、「なぜ『金毘羅』の私が神仏習合を拒む『潔癖な』伊勢に送り込まれたのか、他の地域に比べまったく金毘羅社がないような、いわば敵地の伊勢に、どのような経緯で人間の子として育つように仕向けられたのか、そしてそれがいかなる宿命なのか」を見事に解明してみせるからだ。答えは初めから、ある程度ほのめかされてもいるのだが、その謎は「私」の饒舌を鼓舞し、作品世界の内奥へと読者を引っ張るエネルギーを与えている。そして結末で示されるフィナーレは、感動的ですらある。

 さらに『金毘羅』は、私小説として刺激に満ちている。もちろん「金毘羅」が主人公であるのだから、リアリズムっぽい私小説とはテイストが違うのだが、構造は私小説そのものである。いや、単純にそうでもないか。人としての「私」が語る幼少期からの出来事の描かれ方は、私小説的である。しかしそこに人間の視点を超える「金毘羅」の視点が覆いかぶさるため、自己の半生の意味は「神さま」の境地に飛躍させられる。これはやはり非私小説的に見える。けれでも「小説」は人間に向けて、「私」を含めた人間のために書かれるものであるがゆえに、私小説であることが保たれている。……といっても、少し分かりにくいだろうか。

 わかりやすい比較は、三島由紀夫の『仮面の告白』であろう。世界の崩壊を信じた戦前戦中の甘美な観念を、「男性同性愛者」であるという自己規定(=仮面をはがした仮面)によって、戦後の白々とした現実においてこそよみがえらせる語りの構造を、三島は開発した。これは笙野においては、「金毘羅」から「人間だった自分」を語る構造にあたる。出生の場面を自分が見たかのように描かれるところや、周りから期待されるジェンダーに違和感を抱き、現実世界と齟齬をきたすエピソードなどにも強い類縁が見られるだろう。

 しかし笙野「金毘羅」からすれば、「仮面」などともったいぶっているところが、三島の弱いところだというかもしれない。つまり「仮面」という虚構性のメタファーは、ケチくさいパラドックス(真偽の不確定性)を保証するだけだと。それが従来の私小説への脱構築になっているとしてもである。たいして『金毘羅』において、「金毘羅」が単なるフィクション上の装置にとどまることはない。たとえば以下のようなくだりがある。

 十二歳まで、私は自分を本当に男だと思っていました。無論、体は女ですけど。
 地上に遣わされたカウンター神の子、金毘羅の使命、それは、結構間抜けでした。つまり「私は女だ。女の体を持ってしまったんだ」と思い知ることに全力を尽くす。こういう不毛な作業にほぼ半生を費やしたのですから。ええ、普通人間はそんなこと最初から判っています。でも金毘羅は判らない。一から始めて根源的問題を解析する。凝り性なんですかね、でも相当長い事思いこんでいました。「私は本当は男なんだいつか男になる」って。
 そういう神的全能感を乗り越えるというたったそれだけの事、自分がマイノリティとされてしまう側なのを思い知る事、これが青春から中年までの全てでした。そしてその後は「女である自分に注がれる外界からの侮蔑が消えない、どうしても消えない」という事を思い知る修行の連続であった。
 しかしそんなことが本当に金毘羅の仕事、使命なのか。あ、案外そうなんですよ。(『金毘羅』p67)

 「私」が自分を「本当は男」と信じ込んだ背景には、母親や家族たちあるいは世間から受けた抑圧がある。医者などの「理系」の仕事で出世しなければ人間(=男)ではない、というような教育上の歪んだ観念を刷り込まれたり、女らしい格好をしたがるのはもう男を「たらしこもう」と思っているからだ、とセクシャリティについての差別的な蔑みをぶつけられたりした事実がある。それらはさらに細かいエピソードを交え執拗に描かれている。だから「私」が「ジェンダートラブル」を抱える原因を、人間心理に根ざして理解できるように物語は構成されている。

 だがそれだけではない。「私」が「金毘羅」であると気づいたときから「性同一性障害」的な人間としての苦悩は、それよりも上位のいわば「神同一性障害」的な問題によって解釈され、解放されているのだ(つまり、金毘羅だったからこんなに「女」に違和感があったのか!あるいは笙野「金毘羅」のセリフ「オレだって男だばーか」。もちろん「金毘羅」に性別はないが。ちなみに「性同一性障害」も「神同一性障害」も作中の言葉ではなく、評者の私が便宜上持ち込んだものだ。念のため)。

 これで「人間の私」にとっての「ジェンダートラブル」は解消しているはずだ。人間世間とことごとくずれ、苦しい思いをしてきたのは、「女」だとか「男」だとかではなく「金毘羅」だったからだ、と。しかし話はそう単線的には進まない。新たに向き合うことになる「神同一性障害」的な問題も、その機序には、「性同一性障害」と同様の権力問題がかかわってくるからだ。「金毘羅の使命、それは、結構間抜けでした。つまり『私は女だ。女の体を持ってしまったんだ』と思い知ることに全力を尽くす。(略)そんなことが本当に金毘羅の仕事、使命なのか。あ、案外そうなんですよ」という上記の言葉に、そういう認識があらわれているだろう。つまり「金毘羅」であるということこそが、この国家宗教の日本においては、アイデンティティの困難をこうむる理由であり、かつその困難を抵抗のポリティックスに導きうる根拠にもなるものなのだ。

 ただし、このことの具体的な説明は容易ではなく、私にはこれ以上は手にあまる。それはもう『金毘羅』という作品そのものなのであって、あとはじかに読んでもらうしかないだろう。ここまでよく説明できたほうではないか。

 まあ、それでもかりに簡単な図式化をするなら、国家は、天皇家の神しか許さず、土着の神や個別の信仰を弾圧し、服従させる。愚かな民衆にも手前勝手な自己都合のオカルトを平然と押しつけ、信じ込ませる。だからその決めごとから逃れ、勝手に各地で「習合」して、滅んだ神を蘇らせる「金毘羅」など言語道断なのだ(作中でも笙野「金比羅」は、国譲り神話の「オオクニヌシ」とその古名「オオナンジ」というという通説をひっぺがし、各地の母系共同体の女神であった「オオナンジ」を殺し征服したあとに、「オオクニヌシ」として束ねまとめたのだ、と記紀神話を書き換えて、「オオナンジ」的な神を復活させている)。

 同じロジックで、国家は人間を固定したシステムにはめ込む。「男」は「男」、「女」は「女」。主人公の「私」のような「自分が男だと思っている女」は、ジェンダー上の「習合」であり、異端であり、排撃されることになるわけである。しかしこんな経験(=「思い知る修行の連続」)を通じて、「金毘羅」はいつしかルサンチマンを変形して「不屈の意志」を宿し、「人間の痛みを理解する」ようになるのだ。

 そういう点で、『金比羅』は、ハイブリッドな「私小説」というだけでなく、神様が人間に宿ったゆえの「教養小説」と見なすこともできる。笙野自身は、エッセイで自作を評して「金比羅文学」という「金比羅」をジャンル化したような名前を与えているが、これもおおよそは、以上のようなことを含意しているだろう。小説自体が、複数の形式やジャンル、素材、観念をつかってデコボコと「習合」し、「同一性障害」=「金比羅」と化しているのだ。

 さて、いくら私の解説がつたなくても、ここまでくれば『金毘羅』が傑作であることは、なんとなく伝わったのではないかと思う。だが最初にも断ったとおり、作品がこんなものなのかと思ったら大間違いのもとなので、くれぐれも自分で読んでみるまでは、分かった気にならないでいただきたい。まだまだ他にも、取り上げていない読みどころや問題性、あるいは私には解読しきれない要素が、多分に残されているはずだ。

 ちゃんと言及できなかったことを一点だけあげるとすると、日本における「神仏習合」の歴史的問題性からイマジネーションを炸裂させて、宗教・信仰史を千数百年にもさかのぼり、おのずと戦後日本の問題を考察させるところだ。これには正直驚かされた。笙野自身がネタ本としてあげている『神仏習合』(岩波新書)も読んでみたが、いろいろと啓発されてしまう。

 たとえば、奈良時代から平安初期に王朝社会を揺るがせた「御霊信仰」というものがある。王権に反逆した死者の怨霊が都をさまよい、疫病や災厄をもたらすと恐れられ、これを鎮めるために「御霊」として祀ろうとしたのだ。この信仰自体がいわば権力側を動揺させ、極端な場合、菅原道真の怨霊のように、左遷され憤悶死した怨みを晴らすべく、政敵の王朝権力者や天皇にとりついて呪い殺すという事態(信憑性)にまで発展した。仕方なく朝廷権力側も怨霊をなだめるために「御霊会」(ごりょうえ・最終的には祇園祭にいきつく)を催すようになるのだ。ところが、この怨霊を迎え入れるとき、天皇は呪われないよう、取り殺されないよう、その間はその場から離れて「方違え」するというシステムができるそうだ。笙野はこれを怨霊の「ウラ」をかく「マジカルなトリック」と作中で揶揄している。

 これを読んだとき「ああ、今も靖国でやっているな」と直感的に思った。つまりA級戦犯合祀問題だ。知らない人もいるかもしれないが、天皇は戦後も靖国参拝をおこなっていたのに、1978年のA級戦犯合祀によって、それ以降は参拝しなくなっているのだ(裕仁も明仁も)。これは戦争責任問題を考慮して内外の批判をかわすため、などと普通は常識的に解釈されている。まあ、単なる責任逃れだが。

 けれど、オカルトの内実に触れていると、これは「御霊会」みたいなもので、どうもA級戦犯の怨霊に呪い殺されないように「方違え」しているつもりなのではないか、と思ってしまうのだ。ホントにかなりありえるところが怖い。彼らはA級戦犯の合祀にもともと反対だったし、かりにいま問題にされているようにあらためて分祀されたら、天皇が参拝を開始するのは目に見えている。つまり戦争責任問題などまったく配慮などしていないのだ。どうせなら「裕仁に裏切られて怨霊となっているのだろうA級戦犯のためにも合祀を続ければ」といいたくなるのがまた怖い。これこそどっちに行っても恐ろしいカルト国家の実際だ。

 ということで、『金比羅』は、こういうイマジネーションをかき立てるところも最高ではないだろうか。いや、もちろん作者自身が巻末で「この小説は異端、或いは反主流の学説を多く根拠にした空想の含まれる作品です。その他も研究書、論文の通りにはなっていませんのでご注意ください」と念を押しているところではある。だからちょっとこれは、鵜呑みにしすぎるのも気をつけなければならない。しかし、それでも「金比羅」的には、オッケーだろう。「金比羅」を信じることなしに、この作品の意味深さの大半を理解することはできないだろうから。

 そして最後に約束しよう。『金比羅』は、あなたにもきっと役立つはずだ。いまだに国家宗教のこの日本ではとくに。自らこそがカルトであるのに、そうでないかのような顔して、他の小さなオカルトには異常なまでの敵愾心と憎悪をぶつけ殲滅しにかかる、この日本の宗教風土で生き抜くためには、とくに。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。「腹ぺこ塾」塾生。

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■連載「映画館の日々」第9回■


成瀬巳喜男の日々の泡


鈴木 薫



    刻々を睫毛蘂なす少女の生、夏ゆくと脈こめかみにうつ(浜田到)
            
 今年で生誕百年を迎えた成瀬巳喜男の作品を七月の十四日間に28本上映した新文芸坐で27本見て、目下成瀬百回目の誕生日である8月20日にはじまったフィルムセンターでの回顧上映(〜10月30日)に通いつづけています(なかなか時間が取れないので――本当はそうしたいのですが――通いつめるまでいきません)。代表作と呼ばれるものはすでに新文芸坐で見てしまったようですが、はじめて見る初期作品やマイナー作品にも、それらにまさるとも劣らない尽きせぬ魅力があります。期間中に主要作品をも見直した上であらためて成瀬論を試みたいのですが、今回は比較的記憶に新しい小品をとっかかりに、いくらかの印象を記しておくことにします。

『朝[あした]の並木道』('36)について、フィルムセンターのチラシは次のように「物語」を語っています。

「成瀬のオリジナル脚本は、田舎から上京した女のはかない恋物語。状況した千代(千葉)は懸命に求職活動をするも、なかなか望む仕事にありつけない。結局友人のすすめでバーのホステスをすることになり、そこで出会った常連客の小川に淡い恋心を抱く。」

 千葉とは、成瀬監督の最初の妻になる千葉早智子のことです。あらゆる映画パンフレットがそうであるように、こうしたあらすじは実際に私たちの経験するものから大きくかけはなれています。この説明は、映画の中の「現実」の部分と「夢」の部分をはっきり分けて、ただ「現実」しか語るまいとしています(いわゆる「夢オチ」への配慮が含まれているにしても)。このフィルムの魅惑はあげて「夢」の部分にあるのですが、この文章はそこにだけは触れまいとしているようです。

 実際にこの映画を見るなら、〈実際の夢〉がたいていそうであるように、どこから夢になったかはヒロインにも観客にも気づかれません。カフェの女給(「バーのホステス」ではありません)である彼女が、「小川」と駆け落ち(というよりはおだやかな出発のようで、旅行から戻ったら家を買う予定のようです)するほどの仲に何時なったのかと観客がかすかな不審を抱いたとしても、(これは映画だから夢のようなことだって起こりうる〉とたやすく納得してしまうでしょう。

 いつの間にか列車に乗っていた二人ですが、男の方はどうやら誰かに追われているらしい(夢といえどもけっしてヒロインの一人称で描かれているのではありませんから、このことはまず観客にとって明らかになりますし、翌朝彼の見る新聞記事という形で、千葉よりも先に私たちに真相が知らされます)。警察の追跡を逃れて、自動車(当時はクルマとは言わないのです)に乗り、海辺を行き、山に逃げ込むあたりのすばらしさ。低い位置から撮られた、波が斜めに寄せる渚のショットや、山狩りをして二人を追いつめる警察――。何年でも待つからと必死に自首を勧めるところで、うなされている千葉の顏へ画面は切り替わります。

 夢だったとわかってみれば、彼らが旅館で迎えた初夜が二人きりになったところから翌朝へとつなぐことで省略されていたのも、実は省略ではなくもともと彼女の空想がそうなっていたものと思われます。彼女が見たことのある映画でも、そうした部分は欠落していたに違いないのです(フロイトが、性的主題をオミットするそうした機能を「検閲」と呼んだことの適確さがわかるような)。これは省略ではなく、〈映画のように〉見られた世界にほかならないのです。

「夢でよかった」というのが、夢からさめたヒロインと観客の意識にまず浮かぶ感想でしょう。しかし同時に、そこまで行ってもかまわないと思えるほどの願望の強さを、私たち(と彼女)は痛切に意識せざるを得ません。残念、などという言葉では足りないほどの喪失感を噛みしめつつ、しかし、その痛みは、そのようなことにならなくて本当によかったと思うことで軽減されもします。現実には、その朝やってきて彼女を呼び出した男は遠方への転勤を告げ、連絡先のメモを渡してあっさり立ち去ってしまいます。転勤するので結婚してくれなどという申し込みは、(夢や映画ではない)現実においてはけっして起こらないのです。しかし彼女は紙片を水に流し、明日へ向かって強く生きる決心をします。最後の場面では、女給以外の職をなおも探そうとする彼女の姿が見られます。千葉早智子の明るさゆえに観客に後味の悪さを感じさせないこの作品は、〈夢〉の苦さと甘さの絶妙な匙加減に支えられています。

『朝の並木道』には 貧困、女が職に就いて自活することの難しさ、性的抑圧といった主題が、表立って取り上げられることなく、しかし確実に存在しています。こうしたもろもろの要素は戦後の成瀬の、女たちが置かれた絛件をきわだたせて見せる作品群で、顕在化することになるでしょう。それにしても、『おかあさん』('52)『夫婦』('53)『妻』('53)『妻の心』('56)『女が階段を上る時』('60)『娘・妻・母』('60)『妻として女として』('61)『女の座』('62)『女の歴史』('63)『女の中にいる他人』('66)――プログラム・ピクチャーとはいえ、思えばなんとベタな題名を戦後の成瀬の作品群は持っていることでしょう。

 二本の時代劇を撮ってはいますが、基本的に成瀬は同時代にキャメラを向けた監督といえましょう。それは時代のドキュメンタリーでもあり、観客が見るのは、はかなく消えてゆく現在の表層(の永遠化)です。『まごころ』の、瓦屋根の家が並び和服姿の入江たか子があゆむ、かつての夏、どの家もがそうしていたように建具を開け放った美しい町並の通りは、以前なら日本中どこにおいても見られたであろう、ありふれた風景です。戦後の成瀬映画の精巧なセットと違い、これは日本のどこかに本当にあった町なのだと思って私たちは見ます。入江たか子が娘をおぶってその下を歩く大木の列は、今なお残っているのではないでしょうか? 手足がすんなり伸びた水着姿の女の子たちの洗練された映像は、終映後、私の横を歩きながら銀座の方へ折れて行った二人連れの女性たちに「フランス映画みたい」と言わしめたものですが、このフィルムはまた1939年に作られたものであり、出征する父親を送る風景で終ります。赤紙一枚で兵隊に取られた話はよく聞きますが、その際の正しい挨拶は「おめでとうございます」であったのがこれを見るとわかります。さっきまで私たちをほほえませていた女の子が「敵をたくさんやっつけてきてね」と無邪気に口にして私たちをとまどわせもします。フィルムに閉じ込められた彼らはまた、現在に閉じ込められた私たちの喩でもあり、私たちもまた現在にしか通用しない台詞を口うつしにしている者に他ならないのですが。

 新文芸坐で上映(フィルムセンターの初日でも)された、成瀬組のスタッフと俳優にインタヴューした記録映画『成瀬巳喜男 記憶の現場』で、小林桂樹がおおよそ次のようなことを言っていました。成瀬監督を思い出さない日はない。なぜなら、朝、起きて窓の外を見ると、出勤してゆくサラリーマンが毎日毎日携帯で話していて、もし成瀬監督が今映画を作るとししたらきっとこれを撮ると思うからだ。小林がいま携帯のTVコマーシャルに出ていることを別にしても、この言葉は私たちを微笑させ、頷かせましょう。成瀬のキャメラが向けられる対象とは、まさしくそうしたものであるからです。世界に成瀬映画しか存在しなかったとしたら、高層ビルに突っ込む飛行機の映像が「映画のよう」と言われることはけっしてなかったでしょう。むしろ、一本の木のすべての葉が、裏を見せながらゆっくりとひるがえる運動を目にするとき、「まるで映画のよう」と人は思うことでしょう。

 ロラン・バルトが定義した写真のノエマ――「かつてそれはあった」――から映画ははるかに遠い(そのため、映画より写真を好むとバルトは言っています)。二度と繰り返されることのない梢のそよぎ、流れゆく雲の建築、キャメラの視線を向けられてしまったために、以後つねによみがえる現在となったものたち――その現在は過ぎ去ります。映画は過去(かつてあった――いまはない)ではなく、その場で過ぎゆく、はかない、およそ重々しい伝統や権威に裏づけられてはいないものです。キャメラを向けられたためにそれが永遠になるのではなく、浮薄なるもののまま、それは定着されます――むしろ過ぎ去りゆくことを痛切に感じさせるものとして、それは存在しはじめます。夢と現実に差がないように、かつてあったものと、いま眼前で生成するものの区別はフィルムにはありません。携帯電話のイデアが存在しないように、女のイデアも存在しない――女、妻、娘、母、夫婦……そうした記号がいかにちりばめられようと、〈女〉の〈真実〉や永遠不変な男女関係を成瀬は描いているわけではありません。イデアに裏打ちされないもの、永遠ではなく、過ぎゆくもの、消え去るもの。一時的な、うつろいやすい、偶発的なもの(ボードレールがモデルニテを形容したときの語彙を借りれば)の世界を、かくして人は「映画のように」眺めはじめることでしょう……。

■プロフィール■
(すずき・かおる)パトリック・カリフィア他著『セックス・チェンジズ――トランスジェンダーの政治学 』(作品社)という本が出ました。実は、著者名の「他」のところに入っている人の短い論文を訳したグループに、私も名を連ねています。パトリック・カリフィアはもとはパット・カリフィアといい、肩書はSMレズビアン作家となっていますが、私は(メイル)ゲイ・ポルノの作家としてずっと名前(と作品)を知っていました。今では男になり、名前もパトリックと変えています。本連載の今年の私の担当分はあと二回になりましたが、一回は成瀬論、あとの一回は番外編として、この本と『やおい小説論――女性のためのエロス表現』(永久保陽子、専修大学出版局)あたりをあわせて論じてみたいと思っています。黒猫さん、如何でしょう? http://kaoruSZ.exblog.jp/

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■黒猫房主の周辺「金比羅船々」■
★いつも、ギリギリの入稿原稿を読んでから校正や編集後記を書くのは時間との勝負なので、けっこう辛いものがりますよ(苦笑)。

★そんなわけで発行日前日に届いた村田さんの原稿を読みながら、<「金比羅船々、追い風に帆かけて、シュラシュシュシュ」って、軽快な歌を聞いたことがあるでしょう?>というフレーズが気になった。彼が引用している金比羅さんの歌は、彼の記憶によるものなのか、小説『金比羅』で紹介されているものなのか? 私の知っている金比羅さんの歌とは違っているので、念のため調べてみたという次第。私は「お池に帆かけて」と誤って覚えていたので、いろいろ調べると「追手に帆かけて」という記述が見つかったが、それだと意味が通じない。「追い風」は意味的には納得だが語呂が悪い。しかし「追風」と書いて「おいて」と読むこと(「順風」の意味)から、「おいてに帆かけて」が正解らしいことを村田さんに伝えておいた。な〜んか、勉強しちゃったです。

★ところで村田氏は「知らない人もいるかもしれないが、天皇は戦後も靖国参拝をおこなっていたのに、1978年のA級戦犯合祀によって、それ以降は参拝しなくなっているのだ(裕仁も明仁も)。これは戦争責任問題を考慮して内外の批判をかわすため、などと普通は常識的に解釈されている。まあ、単なる責任逃れだが。/けれど、オカルトの内実に触れていると、これは「御霊会」みたいなもので、どうもA級戦犯の怨霊に呪い殺されないように「方違え」しているつもりなのではないか、と思ってしまうのだ」という視点はなかなかに面白いが、私はA級戦犯に対する天皇の負い目ではないかと思っている。彼らは天皇に替わって「戦争責任」を引き受けたのであり、とりわけ裕仁の信任の厚かった東条英樹に全責任を負わせたことは日米の合意による「国体護持」であった。そして現憲法の9条とセットで1条の「象徴天皇制」が「護持」されたという歴史を、護憲派は見落としてはならないと思う。

★「戦争責任」をテーマにした本誌の増刊号を企画していますので、広く投稿を募ります。お問い合わせは、電子メール("YIJ00302"を"@nifty.com"の前に付けて下さい)でお願いします。因みに、53号の編集後記で
黒猫房主の周辺「責任論の位相」を書いたところ、野原燐さんのサイトで議論が展開されていますのでご高覧ください。(黒猫房主)



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