『カルチャー・レヴュー』47号



■連載「映画館の日々」第6回■


足と背中、わだかまる歩み――増村保造論のための走り書き

鈴木 薫


(1)2月5日から新文芸坐で一週間、毎日二本ずつ上映された増村保造監督作品のうち、次の六本を見ることができた。『「女の小箱」より―夫が見た』(1964)、『卍〈まんじ〉』(1964)、『清作の妻』(1965)、『赤い天使』(1966)、『刺青〈いれずみ〉』(1966)、『痴人の愛』(1967)。最初の五本が若尾文子主演であり、『痴人の愛』は小沢昭一と安田道代の組合せだ。(ここでは若尾の主演作だけを扱うことにする。)すっかり増村ファンになってしまったが、これだけで増村/若尾作品を語ろうというのはいくら何でもおこがましい。私は若尾文子主演の増村作品を、ほんのわずかかいま見ただけなのだから。

(2)だが、かいま見ることは映画の本質的な要素の一つでもあろう。上映中の後扉を細めにあけて滑り込み、黒い垂れ幕をそっとかかげて、他人たちは魂を奪われたように見入っているが、まだ自分がそこから締め出されている音響と巨大な顏と光の明滅に見入る体験――新文芸坐は入替制でそういうことができなくなってしまったが――ばかりを言うのではない。たとえば今回のようなシネマスコープ作品の場合、前列の端の方の座席だと、スクリーンの反対側の端で起こっていることは、うかがい知ることしかできなくなる。あるいは、『夫が見た』の冒頭で、私たちはいきなり湯上がりの温気に包まれた若尾文子の肉体をかいま見(させられ)ることになる。

(3)言うまでもなく、前面からキャメラがそれを捉えることはありえず、かろうじで斜め後ろから胸のふくらみが窺われる程度で、しかもそれさえ若尾自身ではなく吹き替えの身体なのだという(註1)。吹き替えならば、性器や乳房ばかりでなく顏もキャメラを向けてはなるまい。代りにキャメラは、背、腰、足を背後からフレーミングし、木綿のパンティ(ズロースと呼ぶべきか)に片方ずつ足が通され、引き上げられる一部始終を不透明なガラス越しの影として見せる。特集の四日目にはじめて訪れた私が、新文芸坐の巨大なスクリーンにまず見出したのはそうした映像であった。

(4)湯気のまとわりついた若尾文子の肉体の気配のあとに、着物にきっちり身を包んだ彼女自身が現われる。今夜も遅くなるという夫からの電話、空のベッドのショットに続いて、観客は若尾自身の台詞から、窃視症者の共犯にさせられてたった今かいま見たのが、性的不満を抱えた人妻の肉体であると知る。彼女はナイトクラブのオーナー田宮二郎と知り合うが、彼は若尾の夫の勤める会社の株を買い占め、乗っ取ろうとしている男である(ライブドアのニュースの最中にこれを見た。なんてアクチュアル! ただし、田宮の資金調達法は、愛人の岸田今日子に資産家とセックスさせることだ)。夫の敵である男と恋に落ち、ベッドをともにした若尾は、はじめて性的な喜びを味わったと口にする。なんという紋切型! だが、設定の通俗性やありきたりのプロットこそが口実として映画には必要であることを誇示するかのようにフィルムは進む。

(5)若尾との結婚のため、田宮は長年の夢を捨てることを決意する。乗っ取りをあきらめ、彼の野心のために文字通り身を捧げてきた岸田今日子とも、クラブを売った大金を渡して別れようとする。岸田は金よりも田宮を刃物で刺す方を選ぶが、彼は死なず――あるいは暫くの猶予を与えられて、物語(と田宮の生命)は奇怪に引き延ばされる。ヤクザに頼んで若尾に危害を加えさせると言い放って電話しかけた岸田の首を田宮は絞め、彼女はむしろ恍惚として彼の手にかかって死ぬ。この立ち回りによる出血のため、若尾が友人の女医と駆けつけて応急処置をするものの、田宮は瀕死の状態だ。「抱いてくれ」と言う半裸の田宮を、彼から贈られた真珠の指輪をはめた指を血まみれにして若尾は抱く。膝を曲げた足が手前にあり、顏が一番奥にあり、そのあいだで裸の上半身が若尾に愛撫されているのが脚の間から見える。

 このシーンについて、斉藤綾子はこう述べている。

 実はこの構図こそ〈尋常〉でない。横たわる田宮の開かれた足の構図は、何と女性の出産シーンに一番近い。股間の奥に横たわる田宮の下腹部は血だらけで、まるで彼は去勢されたかのように見える構図なのだ。(註2)

(6)この文章に行き当たったとき、これだけはっきり言われてしまえばもう私が付け加えることは何もない、と思ったが、しかし、他の作品も見て気づいたことがある。田宮の姿勢は、横長のスクリーンという条件の制約を受けてのものでもあるのだ。世界が長方形をしていないにもかかわらず、映画は当然のように横長のスクリーンを持っている。横長の(おまけにシネマスコープの)スクリーンは何を見せられるか?
 自由に、なんでも、どんなふうにでも見せられるわけではもちろんない。性器を見せられない不自由さなどこの絶対的な不自由さの前ではほとんど問題にもならないような不自由さに抗して、たとえば中川信夫は、柱時計をスクリーンいっぱいに横にして時を告げさせた(『地獄』)。人間もまた横たわっているときが最もスクリーンにおさまりやすい。横長のスクリーンは縦の運動を捉えられないので、『赤い天使』の投身自殺は、飛び降りる過程を省略し、地上に横たわる死体のカットだけで処理されている。

(7)だから、風呂上りの女が身じまいを整えるまでの立ち姿もまた、スクリーンが捉えることのできないものであったのだ。逆に、横たわった場合、それはスクリーンに無理なく馴染むだろう。『夫が見た』では、情事のあとの女[江波杏子だったと思う]が身体の正面をこちらに向けてそろえた脚を折り曲げて、膝の上に顏を乗せたポーズを取っているのが見られたが、これもまた、乳房と性器を巧みに隠しつつ、横長のスクリーンに全身を入れる方途であった。スクリーンの奥に頭を向け、こちらに足を向けて横たわる人体を足の方から撮れば、必然的に顏と性器が接近する。性器を直視させることができないとしたら残るのは顏と足だ。

(8)『卍〈まんじ〉』には、同様に足の方から撮ったショット、しかしこちらは膝を伸ばしてのそれが、何度か出てきたように思う。ベッドの上に上体を起こし、顏はこちらを向き、画面手前に足の裏が見えている。園子役の岸田と光子役の若尾に加えて、園子の夫が一つベッドの上で並んでいる場面では、大きさの異なる六つのあしうらがきれいに並ぶ。『刺青(いれずみ)』が一部を依拠している谷崎潤一郎の短篇(註3)で刺青をされる娘についても、美しい足の裏という記述が出てくるし、新藤兼人による『刺青(いれずみ)』の脚本は、谷崎のいま一つの小説『お艶殺し』の、大店の娘が手代と駆け落ちするが騙されて芸者に売られ、男を手玉に取る女になるという話の大筋はそのままに、ヒロインのお艶の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫るという形で強引に『刺青』を割り込ませているのだが、雪の舞う中の道行きでお艶は芸者を気取って素足のままだ。

(9)谷崎の足フェティシズムに目配せしてのことかと思われる並んだ足の裏は、『赤い天使』では、野戦病院で次から次へと切り取られる兵士たちの脚に変わって、ゴルフのクラブのように何本もまとめて足の裏を見せゴミ箱に押し込まれている。従軍看護婦・若尾が愛することになる軍医・芦田伸介は、兵士の命を救うため盛大にmemberを切り取るが、彼自身はモルヒネの常用のために不能である。『赤い天使』のメイン・プロットは不能の男を恢復させての若尾の恋の成就だが、その手段はエロティックなものではない。禁断症状で暴れる彼にのしかかって渾身の力で押えつける行為は、前半で手足を切り取られる兵士たちに若尾が行なうのをさんざん見せつけられたのと同じものだ(外科手術がエロティックと感じられるのであれば別だが)。映画がはじまってすぐ、若尾は深夜の見回り中、傷病兵に襲われている。スカートがまくり上げられ、脚が押えつけられたところで別の兵士が廊下に面した窓を閉めて私たちの視線を遮るが、この場面はまた、こののち若尾が送られる前線の病院で、押えつけられては切断される兵士たちの手足を予告してもいたのだった。

(10)川津祐介演じる若い兵士は、両腕を切り取られ、本来内地へ送還されるはずが、そうした姿が人目に触れること自体が厭戦気分をあおるという理由で家族とも会わせぬまま病院で飼い殺しになる運命らしい。彼は若尾に性的奉仕を望んで叶えられる。ベッドにあおむけになったままの姿なので観客は勘違いしそうになるが、江戸川乱歩の『芋虫』とは違い、彼にはちゃんと足がある。愛撫するための足(ベッドの脇に立った若尾に彼はそれを使った)ではなく、歩くための足。若尾は婦長に一日彼との外出を願い出る。彼に服を着せ、無い腕を隠して、町へ出てホテルに入る。一切はありえない夢の中でのように起こる。彼の境遇については関わらぬようにと若尾に言った婦長も外出には快く賛成する。これ一度きりだからと若尾は彼に念を押す。翌日、川津は飛び降り自殺を遂げる。

(11)「手がなくても何でもできる」とホテルの場面で川津は言う。むろん、芦田伸介と違って機能する男性器を持ち、かつ、『夫は見た』の田宮と同様、腕のない彼は相手に抱かれる立場でもある。『赤い天使』で若尾が性関係を持つ男は少なくとも三人いる。彼女を犯した傷病兵 (彼女が婦長に訴えたため、そのあと前線に送られた)、川津、そして芦田だが、レイプ事件と芦田との本筋とのあいだに挟まれたこのエピソードは、川津が若くて美しいこともあり、優しさとエロティシズムを感じさせる。芦田が恢復した夜、彼の軍服をつけ、あまっさえ長靴[ちょうか]を芦田の手で履かせてもらう若尾の傍で下着姿でいるオヤジ・芦田伸介には、どうにも魅力が感じられない。若尾の死んだ父親に芦田が似ているという繰り返される言及さえ、彼に外見的な魅力のないことのエクスキューズに聞こえる。

(12)夜の終りに見えない敵がやってくる。衣服まで剥ぎ取られる虐殺のなかで、穴のようなところに身を潜めた若尾だけが生き残る。彼女が気がついたとき、敵はすでに去っている(全篇を通じて、私たちは敵の姿を見ることはない)。彼女だけが、看護婦の制服(白衣ではない)を身につけたまま、生きている者は他にいない戦場を歩き回る。思えば若尾のコスプレはジェンダーを撹乱させるものというより、彼女だけが制服姿で――誰もが芦田のように下着姿に剥かれる中で――生き延びられることの予告だったのかもしれない。彼女は芦田を捜すが、彼が生き残っているわけがないことをすでに私たちは知っている。なぜなら若尾は死の天使であり、彼女を強姦した兵士、自殺した川津と、かかわった男を死なせてきたのであり、彼女が見出すのは芦田の屍以外ではありえないからだ。

(13)『清作の妻』では、冒頭、シネマスコープにふさわしい横たわる人々がつぎつぎと私たちの視界を占めることになる。横たわる動作をけっして見せることなしに、いつの間にか彼らは横たわっている。最初は若尾の病気の父だ。若尾を妾にしている殿山泰治は、父親に向かい、今度温泉に行かせてやると言う。妾宅に戻って殿山は風呂をつかうが、若尾が気づいたとき、すでに彼は裸のまま湯殿の床に横たわっている。次に映し出されるのは殿山の葬式かと思われる祭壇だが、父親の写真が黒枠に入っているのを認め、私たちは若尾の父もまた死んだことを、もはや温泉には行かれないことを知る。殿山の遺した大金を懐に若尾とその母は故郷の村へ帰るが、そこで私たちが見出す彼女は、前景に母親がいるその後方の屋内で、昼間からしどけなく横になっている。次にキャメラは彼女を後ろから写し、腰の曲線が印象的な寝姿はスクリーンの大方を覆い尽くすシルエットとなる。(註4)

(14)谷崎は原作の『刺青』で、刺青をされた娘の背中で巨大な女郎蜘蛛の足が蟠[わだかま]っていると書いている。その足はまた娘を抱きしめ、呪縛していもいて、『刺青』ではこの刺青ゆえに娘は男を支配するようになるはずなのだが、映画『刺青〈いれずみ〉』で実際に若尾の背中(および吹き替えの背中?)に描かれた女郎蜘蛛は迫力がないことおびただしく、ひょろひょろした足は蟠っているという感じでは全然ない。刺青がなくても、若尾は最初から主導権を握って丁稚をそそのかして出奔する、恐れず突き進む女で、それは原作のお艶の性格でもあるのだが、その結果、『お艶殺し』に『刺青』の設定をわざわざ加えたことは無意味に見え、刺青師の山本学が、自分の仕事が怪物的な女を産んでしまったと、彼女の行為をかいま見て悔いるさまがそらぞらしく見えてしまうことは否めない。女郎蜘蛛の足が娘の身体を締めつけるとか、刺青が朝日に燦爛と輝いたとか、言葉はそう書くだけですむがそれを視覚化するのは至難の業で、しかもここでは若尾(と吹き替え)の背中は性器や乳房や顏と異なり、それが観客の前にさらされなくてはそもそも作品が成り立ちえぬ部分である。

(15)ほとんど顏と足だけの構図については(7)で触れたが、女郎蜘蛛はこのヴァリエーションだと言えるかもしれない。それは性器の代替物として、平然と観客の視線にさらされる。恋人だった手代を殺した若尾は刺青師・山本学によって背中から刺され、山本もその場で自害するが(これらは脚本のオリジナル)、そのあとキャメラはいったん引いて、二人の男と一人の女の死が建具のフレームの中におさまった一幅の絵のように私たちに示される。若尾の背中が大写しになると、女郎蜘蛛の顏からはなおも血があふれている。

(16)『清作の妻』において、スクリーンの前面に異常な大きさで拡大された若尾の背中には何もわだかまっていないのだろうか。それは、夫となった田村高廣を戦場に戻れなくするため彼の両眼に釘を突き立てた罪で入獄した若尾の姿を、盲目になった田村が想像するときのショットに見ることができると思う。なぜならこのとき、スクリーンは、一瞥しただけでは何が映し出されているかわからない、ただ一面にわだかまるもので満たされるからだ。ずるずると一部が動き、引かれ、ほぐれゆくと、ようやくそれが囚人の足に巻かれる鉄の鎖であることがわかる。その端は当然若尾の足首を縛めている。夥しい鎖の堆積は、だが、若尾一人をつなぎとめておくためにしてはあまりにも過剰であり、だからそれは現実の情景ではなく、田村の想像裡のできごとだと思えるのだ。監獄の中庭のようなところを足に鎖をつけられたまま、若尾と女囚たちは煉獄で蠢く死者のよう歩きつづける。

(17)この、どこかへ行くのではない、鎖の重さを引きずったわだかまる歩み。『清作の妻』のラストでは、画面の左手上にしゃがみ込んだ盲目の田宮を残して、若尾が土に鍬を入れつつ、後ずさりして右下へ進む。地面には鍬のあとが刺青のように刻まれつつ、田村と若尾のあいだの隔たりは次第に開いてゆく。『夫は見た』や『刺青〈いれずみ〉』でもそうであったように、このフィルムもまた、終ろうとして終らないでいるとき、スクリーンの片隅に〈完〉の文字が貼り付くようにあらわれて当の作品を宙吊りにする。『夫は見た』で、田宮二郎は死んだのだろうか。いや、彼は、若尾の腕に瀕死の状態で抱かれており、〈完〉の字が現われたときもまだ生きていた。悲嘆にくれる若尾の腕の中で、死にゆくものでありつづけていた。『赤い天使』では、裸に剥かれた死者たちとは無関係に、一種の死の彼方へ、制服に身を固めた若尾文子は無傷のまま歩み入っていた。『刺青〈いれずみ〉』では、三人の死ののちも、背中の女郎蜘蛛が血をあふれさせていた。そして『清作の妻』もまた、あたかも進行中のアクションが中途で立ち切られたかのように終了する。

(註1)四方田犬彦・斉藤綾子編著『映画女優 若尾文子』p.199(みすず書房、2003) (註2)同 p.217 (註3)松田修によれば「いれずみ」とは刑罰として入れられるものであり、谷崎の小説の題名の読みとしては「しせい」以外にはありえないのだが。(『刺青・性・死―逆光の日本史』平凡社、1972) (註4)横たわる巨大な女体としての若尾の後ろ姿。それはまた、田村高廣が鐘を打ち鳴らすのに先立って、スクリーン一杯に映し出される故郷の山――そこに鐘の音は響き渡ることになる――ともどこか似かよっているようだ(彼が鐘を打ち鳴らすことができなくなったとき、もう一度同じショットが挿入される)。

■プロフィール■
(すずき・かおる)。二月はしっぽを切られた月で原稿を書く日が残っていない。しかたがないので夜眠らずに書きました。あとは確定申告です。http://kaoruSZ.exblog.jp/

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■連載「文学のはざま」第7回■


文学が今どんなものであるのかを手っとり早く知るためには、
思いきって斉藤環『文学の徴候』を手にしてみるべきか、
はたまた渡部直己・スガ秀実『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』
のほうをやっぱり選ぶべきか、についてのできるだけ公正な判断材料

村田 豪



 今回は、前置きもそこそこに、タイトルに示されるようなことをどんどん書いていくスタイルでいきたいと思います。

 斉藤環は、精神科医の立場から、「ひきこもり」を中心に青年病理の問題について積極的な啓発を展開してきました。近年のその活躍ぶりは、みなさんご存じのとおりです。またその一方で、ラカン派精神分析を駆使して、メディア論やサブカル論を手際よくものにするなど、専門にとどまらぬ多才さでも知られているところでしょう。去年11月に出た『文学の徴候』(文芸春秋)では、それら社会病理的文化論のさらなる発展として、余技ではありながらも、本格的な(純粋)文芸批評にまでとうとう手を染めてしまいました。しかしこれがなかなか侮れるものではないのです。

 一方、同じ頃出た『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版)は、文字通りの小説家志望者向けの入門書です。種々多彩な小説家の作品からじかに引用し、おのおの「書き出し」「語り手の設定」「対象描写」「会話」など小説を構成する具体的な側面に切り分け、その技術的巧拙を身も蓋もないほど開けっぴろげに解説しています。そんなふうに読者の「役に立つ」ことをひたすら目指しているところなどが、この本の「売り」でもあるようです。しかし、それに加えて、文学の現状を総ざらいする二人の対談が、全体に批評的見取り図を与えているので、やはり同書は、(純粋)文芸批評家、渡部直己とスガ秀実による「現在文学ミニ批評集」のような観を呈しています。これも読んで損はないと言えそうです。

 さて、この両文芸批評集を比較するうえでまず確認しておきたいのは、取り上げられている作家がほぼ同じという点についてです。前者では、一作家につき一章があてがわれる形式で(約16ページが割かれて)論じられるのにたいし、後者では、作品引用と評者によるコメントが見開き2ページで済まされているので、斎藤本では二十数名、渡部・スガ本では五十名と、扱われる作家の人数にかなりの差が現れています。けれど前者二十数名のうち、柳美里、舞城王太郎、中原昌也、町田康、村上春樹、阿部和重、保坂和志、島田雅彦、小川洋子、古井由吉、大西巨人、大江健三郎、石原慎太郎、金原ひとみ、村上龍、島尾敏雄の実に十六名もが、後者でも個別取り上げられています。取り上げられなかった残りの作家も、対談部で言及されているものがほとんどなのです。それに『新・それでも作家に』では、太宰治のような旧来の近代作家も相当数ラインナップされており、それらは、現代作家にだけ限定している『文学の徴候』では原則取り上げないものであるわけですから、そういう点も鑑みれば、この二つの批評集間の一致の度合いは、およそ八割から九割と見なしうるでしょう。

 ところで、これには何か理由があるのでしょうか。私たち一般の読者には、各作家への言及と評価が両者において比較しやすいのですから、利点とむしろ呼ぶべきかもしれません。ただし論じられるべき作家の主要な部分が、示し合わせたわけでもないのにこれだけ一致するのには、やはり何かあるのかと疑問を持つのが普通でしょう。いえ、本当なら答えはすぐに、以下のどちらかに落ち着くはずなのです。つまり@「評者の好みが一致しているため」か、A「それらが論ずるに値する作家として妥当だから」か、になるに違いありません。ところが、二つの著作をつきわせる時、すんなりそのような答えが出ないことが、私の気にかかるところなのです。

 @の「好み」については、両者がそれぞれ別の形で否定しています。渡部・スガは前書きで「(小説の)技術教育に徹する」ためには、“「趣味」を問題にしない”ことをはっきり断っています。実際、上記一致作家の多くが、その小説作法の無頓着さ、稚拙さについて嘲弄され、あるいはテクニックは及第点の場合でも、“この感性にはついてゆけない”というような揶揄にさらされているのです。よって「好み」でないものも並んでいることが分かります。

 かたや斎藤も、最後の章で「自分の趣味に自信がない」とし、“好悪を第一の原理にしていない”ことを明かしています。しかし斎藤の場合は、作品を病因論の枠組みでとらえることを第一にしながらも、「作品もしくは作者への好意を、それを取り上げる身振りにおいてまず示す」とやや込み入ったことも言っています。まあどちらにせよ、彼らの「好み」の一致が、対象作家の一致になっているとは言えないことが分かるでしょう。

 ではこの一致はAの「論ずるに値することの妥当性」をあらわすのでしょうか。結論はおそらくそうなるしかないのですが、それでもこの「論ずべき妥当性」の根拠は、互いに全く別のようでもあるのです。しかし本当にそうなのか? どうやら、これらが互いにどんな関係にあるのかが、本稿の主要な論点になるようです。

 『新・それでも』のほうは、割合すっきり説明できます。そこでは著者たちの主張である“ポストモダン以降の「ディシプリン(規律/訓練)」の衰退がもたらす文学の変質”が考察の中心におかれ、「妥当性」もこの点から測られています。つまり誰もがろくに技術的訓練を受けずに、いわば「読まずに書く」ため、技法的に稚拙な作品が大手を振って横行する、しかしそれらが世に受け入れられているのだとしたら、従来の「ヘタ/ヘタウマ/ウマイ」の境界が全く見失われざるをえない現状があるのであり、選ばれるのは、サンプルとしてそんな現状を反映している作品か、あるいは、そんな趨勢に抵抗するような新たな可能性を示している作品だと見なせます。だからここでの「妥当性」は、単に「ウマイ」か「ヘタ」かではなく、やはり「ヘタ/ウマイ」を新しく線引きしうるような小説の「技術性」ということになるでしょう。

 では『文学の徴候』において基準とされる「妥当性」は何でしょう。これは斎藤自身が論述の各要所で何度も言及する「病因論的ドライブ」が、作品固有のものとして立ち現れるかどうか、ということに尽きるでしょう。ただし、これが批評基準となっているのは明瞭なのですが、しかしそれにしても、この「病因論的ドライブ」の意味するところがなんといっても分かりにくいに違いありません。というか、何度読み直しても私にもいまだに何だか分かりにくいままなのです。ということで、ここはしばらく斉藤の論点に焦点を絞って考察をしてみましょう。

 はじめに斎藤は、自身の議論の枠組みの説明に「病跡学」をあげています。芸術家や作家の分析に、精神病理学を適用する方法として知られているものです。しかしこれは、“作家Aが、傑作Bを作ったのは、病気Cにかかっていたからだ”というような単純なもので、斎藤から「ハゲタカ的学問」としりぞけられています。創造や表現を、単に個人の病気に還元するのは、現在では受け入れられない考え方でしょう。そこで斎藤は、宮本忠雄という精神病理学者の提唱した「エピ・パトグラフィー」という分析手法を取り出します。これは作家の創造行為の病跡論的契機を、個人の病から「関係性」へとシフトさせた点で画期的だった、と評価しています。具体例として、高村光太郎が妻・智恵子の「狂気」に触発され、そのことで詩作という創造へと向ったのだ、というモデルが挙げられています。

 さて、ここまでならなんとなく分かるような気がするのです。しかし、斎藤は作家の病理的創造の場を、作家個人の人間関係に限定せず、これを「作家と作品そのもの、あるいは作家と共同体、作家と社会といった複数の関係性の領域」に拡張し、そこに「創造性の端緒」を見いだすのだとするのです。その仮説的な場を「病因論的ドライブ」と呼んだのでした。病理を帯びた作品にとっては、さまざまな関係性が「創造の孵卵器としての環境」であることを明らかにする、そんな方法を通じて作家の創造性を浮き彫りにしようというのです。

 ところがこの拡張と命名には、ある曖昧さの問題が織り込まれています。というのは、作家・作品をめぐるあらゆる関係に「病因論的」な磁場となる可能性を見いだすのはいいとしても、各作家の分析に入ると、具体的に何と何の関係においてそういえるのかが、あまり明示的でないのです。それよりは「境界例」「解離」「人格障害」「統合失調症」「ヒステリー」などの表象(=症状)が、作品にどう現れているかを説明することばかりが中心になっているように思われるのです。もちろんこの表象は、作家の態度、作品の社会的影響、他ジャンルとの関わり、小説の形式、物語内の具体物、文体、言葉の選択など、他の誰もが見いだしえないところにまでさまざまに解析されて、単純なものではありません。面白いものだとも思います。しかし、はじめに目論見として設定された「病因論的ドライブ」は逆立ちしてしまい、「病理的な関係が創造にどう影響を与えたのか」ではなく、むしろ「創造とは病理的な表象を生むことである」と主張しているように見えてくるのです。

 なぜそうなるのか。理由は、もう一つの重大な曖昧さに関わるでしょう。それは「病因論的」分析の遡行が、実は「作者と読者」「作品と読者」の関係にも及んでしまっているからです。つまり、発見されるべき作家の創造の契機たる「病因論的ドライブ」が、いつか解釈者の転移の対象とも見なされ、ある場合には、斎藤自身の作品への転移そのものにさえすり替えられてしまうのです。いったい作家にとっての「創造性の端緒」はどこに行ったのか? 斎藤批評を読むうえで、このことが一番の困難の原因ではないか、と私には思えるのです。

 例えば『文学の徴候』冒頭に分析されている柳美里を見てみましょう。柳作品は、「境界性人格障害(境界例)」的作品と診断され、作品の物語もさることながら、例のモデル問題にまつわる裁判にも、その「境界例」における敵味方の二元論、それによって高じる誘惑的・挑発的特徴がよく認められる、と説明されます。ここまでは良いのですが、すぐに斎藤はこんなことを書いてしまうのです。

 「まずなによりも彼らの作品は飛び抜けて面白い。つまり彼らの意図を越えてそれらは誘惑的であり、挑発的だ(私が彼らに転移し、結果としてこのような文章を書きたくなるほどに)。」(『文学の徴候』p19)

 これは「発見」された柳作品の「病因論的ドライブ」が「境界例」的であることの証明としてまず読めるのですが、同時にこの「境界例」的というのは、分析者が作者に読み込み、与えたがっている(=「転移」する)表象にすぎない、ということの主張かもしれないと思えてくるのです。というのも、作品に強く惹かれることそれだけで「境界例」的であるなら、おおよそのどんな人気作品も、すべて「境界例」的となりかねないからです。これでは分析の意味自体が失われてしまいます。

 私はこれらのことによって、斎藤の批評が無効だと言いたいのでは、全くありません。作家の創造のファクターを示そうとしているのか、読む側の「転移」による解釈の病理的創出を描いているのか、どちらか分からなくなってつまずくことが多いことを、ただ言いたいのです。斎藤はおそらく「どちらでも同じことだ」と言うでしょうし、ラカン派精神分析においてはなおさら大いに「同じ」ものなのでしょう。しかし、書き手が書いた「もの」と読み手が読む「もの」が同じであったとしても、書き手が書く「こと」と読み手が読む「こと」は、やはり同じではないと私は思うのです。

 この感じは、実は、別の場所での斎藤環自身の態度を思いだしてもいるのです。例えば、『ひきこもり文化論』(紀伊國屋書店)所収「『ひきこもり』を語る倫理」などにおいて、斎藤は、臨床医としてはどうしても「ひきこもり」を治療の対象として見ることになるが、それでも実際には慎重な手続きをして患者を診ることにしているのであり、であるからこそメディア向けの啓蒙活動では積極的に「ひきこもり肯定論」を展開することになると、それぞれの場面での態度の違いとその意義を繰り返し強調していました。あるいは『解離のポップスキル』(勁草書房)を見ても、多重人格をふくめた「解離」像の図式化の、《一般的妥当性》と《一般化の危険性》を踏まえることが重要だと、丁寧に考察していたはずです。こういった微妙に違うものを適宜峻別する斎藤の「倫理」にたいしては、私は非常に立派なものを感じていました。ところが、今回の文芸批評においては、なぜかこういった要請されるべき区別の意識が、希薄な感じがするのですが。

 まあ、そのことはまた後で少し触れるとして、そろそろ「なぜ取り上げる作家が一致しているのか」に話を戻しましょう。以上見てきたように「妥当性」の根拠は、『文学の徴候』と『新・それでも』それぞれにおいて中身としては全く別のものです。ではその一致は、偶然か、文壇状況的な要因ぐらいでつまらなく説明されて終わりなのでしょうか。いえ、そうではありません。上記で検討した斎藤の「病因論的ドライブ」の問題的側面を考えると、それぞれの「妥当性」の基準の中身は違っていても、扱いはほとんどそっくりだと気づかされることになります。

 『新・それでも』では、「小説を書く技術」を俎上にのぼせ、それが創作に「役立つ」という触れ込みで本は成り立っていますが、しかしその種の技法の解説書が、実際に小説の創作に本当に役立つなど、ちょっと想像ができません。もちろん最初に述べたように、著者たちは、技術的問題点をできるかぎり明確に分析・開示しています。でもこれは具体作品がまずあってこそ、結果的に読み手が指摘できる「技術」にすぎず、「ヘタ/ウマイ」どちらで指摘されようが、作家たちは「内容を抜きに技法のことを意識して書くはずがない(実際書かなかった)」と主張するでしょう。つまりこれらは、一応作家にとっての創造性のファクターだとしても、斎藤のタームを援用するならば「技法論的ドライブ」とでも名づけたくなるような、解釈側の仮説的な想像物にとどまると指摘できるのです。だからでしょうか、渡部もスガも、本気でこの本によってディシプリンを与えうるとは、さすがに思っていないようではありますが。

 ここにきて斎藤本と渡部・スガ本の共通した特徴がようやくはっきりしてきました。それは作品を前にしたときの、批評の位置どりをめぐっての傾向なのです。小説創造の秘密を批評の位置からまざまざと見尽くそうという「踏み込み」であり、その時作家の「ドライブ(欲動)」に直に触れているように批評を表象すること、と約言できるでしょう。しかし、そんなふうに見えたり思わせてくれるような作家はめったにいません。その希少な例が、両作で共通に取り上げられた偉大な(?)作家たちなのでしょう。

 面白いのは、この似ているといえる両者の本が出たのち、文芸誌においてそれぞれの著者が互いに批判と反発を交わしあっているところです。

 『文学界』(2005年2月号)で渡部直己は、「徴候としての『批評』−斉藤環『文学の徴候』をめぐって」という長めの書評で、斎藤にいくつかの疑義を呈しています。これほど履歴や作風の異なる(渡部からすると到底ほめてやる必要もないものも含む)作家を、分け隔てなく親しげに肯定するのは、「心」を病む患者を前にした医者の「平等主義」として大目にみるとしても、症状を見出すのに熱心なあまり、小説そのものの構造や「テクスト性」を無視しすぎではないか。たとえば「語る私/語られる私」がズレをはらむことは、小説を書く上で原理的に避けられない要請であり、そのことを抜きに「解離」などの「病理」を当てはめるのは、いわば「転移」のポイントを逃しているということになるのではないか? にもかかわらず、作品の病理的解明にかくも固執し続けるなら、著者の目論む「創造的」な批評というよりは、「症状消費」と呼んだほうがふさわしかろう。細部においては若干の肯定と同意を含めながらも、全体的に辛辣な渡部の批判は、おおむねこのようにまとめられるでしょう。

 それに対する斎藤の反応、『新潮』(2005年3月号)に掲載されたやや奇妙なタイトルの「ネタニマジレス、あるいは批評的弁明」はふるっています。そこで名指しはしないものの、しかし明らかに渡部の上記批判文を槍玉にあげています。論旨を引き延ばすように長く曲折した渡部の文章を、「当人にとって本当に重要なことはことごとく些末な事項として除雪機のように路肩に積み上げ」ていく方法だとして、そこに精神分析的「否認」の身振りを読み、ついには「否認型除雪機」というありがたい診断まで授けるのです。これがすぐに渡部のことと私も気づいたぐらいだから、当たっているのかもしれません。

 また、斎藤はそのほか既存の批評家から届いた自著への反応・反発があまりに予想通りで、「精神分析=還元主義」という紋切り型の図式に寄りかかった言及ばかりが目立つことに、少々あきれているか、怒っているかして、その後、批評のあり方と意義についてレクチャーを繰り広げています。その内容を説明するのはもう省きますが、ここにきて先ほど保留にした斎藤の、他の著作との態度の違いの感じが何にもとづくのか、よく分かるような気がするのでした。

 渡部は、斎藤批評における医者としての「善意ある平等主義」を揶揄していましたが、これははっきり見当違いといえるでしょう。そうではなく、臨床医としての実際の治療の場ではまさにさまざまに自制が働いているのに、こと文学にたいしては医者としての「お節介」を遺憾なく発揮していると見なすべきではないでしょうか。つまり書き手が症状を訴えていなかろうが、治療に同意しなかろうが、強引にでも診断を下してすっきりしたいのです。特に行儀の悪い批評家には、その口を塞いでやるぐらいに分析の処方を詰め込むという、いくぶん手荒い所業に出てもよい、なにせ彼らの無意識は領域が大きくて、それぐらいでは癒えず、しゃべるのをやめることはないだろうから、という感じなのです。文章中、「批評」は《転移の強要》と化して、ところどころヒステリーっぽく見えますが、それも本人は当然分かってやっているのです。まあ、文学の場なのだから、それぐらい許されてもいいでしょう。

 さて、そろそろ紙幅も尽きてきました。結局、斎藤本、渡部・スガ本ともにその作家論の中身には触れないまま終わるのは、ややズルイような気がしますが、そこまで力が及びませんでした。その代わりといってはなんですが、最後に両批評集にそれぞれ寸評をつけておきたいと思います。

 『文学の徴候』:過剰転移をも恐れない野心的解読によって、取り上げた作家たちには、読むべき価値があるのだということを十分に伝えています。私も著者の解釈に誘われて、今まで読んでいなかった舞城王太郎、滝本竜彦、保坂和志などの作品を手にとることができました。引き続き、佐藤友哉、笙野頼子などにもチャレンジしてみたいと思います。ただし、著者が解釈に盛り込んだ肯定的分析の「リアリティ」が、当該作家の実作品には見いだせず、落胆することもあるようです。

 『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』:本書の効果は明瞭です。著者たちの意図ほどに、読者を創作に向かわせたり、また断念させたりすることもあまりありませんが、かなりの程度の確率で「批評とは面白いものだ」と気づかせてくれるでしょう。小説をこんなに勝手に切り刻んだり、作者に言いたい放題言いのけられるのですから。もっとも、ある種の作家は読まなくていいという独断を養いやすいので、そこは注意が必要かもしれません。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。「腹ぺこ塾」塾生。

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■新刊紹介■


『メディア・ビオトープ――メディアの生態系をデザインする』
(水越 伸著・紀伊國屋書店・定価1575円)

黒猫房主



「メディア・ビオトープ」とは聞き慣れない言葉だ。それもそのはずで、この言葉は著者による造語なのだ。もともとビオトープとは生態学の用語で、「生物の棲息に適した小さな場所」を意味する。そのビオトープにメディアを複合させてあらたな戦略概念を造り出したのだ。その企図するところは下記の通りである。

「小さな点のような空間にいろいろな生物が棲めるように工夫をし、点と点をたがいに結びつけ、網の目状に育み、ゆっくりと時間をかけて地域の生物生態系を再生する。ビオトープとはそいう日常生活に根ざした生態学的な戦略のことをいう。日本では里山保全運動がこれと深く結びついている。
 僕はそのようなビオトープという営み、もののとらえ方を、メディアに応用できないかと考えた。今のメディア社会が抱える問題を打倒し、僕たちが自律的・主体的にメディアと関わることができるような状況をもたらす道筋を、メディア・ビオトープという隠喩で照らし出すことができないかと考えたのである。」(p4〜p5)

 昨今、情報デザインやメディア・リテラシー(「媒体素養」という訳語もある)の重要性が言挙されることが多くなった。それは、一方的に享受するだけのメディア消費者からの自律と循環を促している。しかしそれは可能なのだろうか。そして自律的・主体的な「個人」は存在するのだろうか。

 それはまた次のような問いにも変奏される。インターネットが普及してさまざま可能性がでてきたが、果たしてそれを用いて社会変革を起こすような「個人」が今の日本人には存在するのだろうか、という老哲学者・鶴見俊輔のペシミスティックな問いである(季刊「本とコンピュータ」1998年春号掲載)。それは鶴見の挑発でもあったが、その挑発に真顔で応じたのが著者の水越である。

 その回答として書かれた本書の特長は、難解な専門用語を使わず自筆のイラストで視覚的に解説されていることや、事例が具体的で比喩が巧みなことだ。かてて加えてメディア状況の分析や批評だけに終わらず、あらたな持続可能なメディア環境の組み替え(デザイン)をしていくための仕掛けが組み込まれていることにあるだろう。

 それは例えば、「創造知」へと発芽する球根育成の比喩で語られる。あるいは「点」として孤立したままのメディアではうまくゆかないが、それらを結びつけて「面」に育てることで、国家や資本にやすやすと引き裂かれたりつぶされることなく、徐々に社会の変革がなされてゆく道筋として示される。

 しかしその根底には、深いニヒリズムがあると著者はいう。それは、「現代のメディア環境が抱える問題の深さと拡がりを、たじろがずにじっと見つめ、どこにも逃げずに心の底から理解しようとする態度のことだ。そしてそれらの問題とともに生きていこうとする覚悟のこと」なのだ。

 この覚悟は、積極的ニヒリズムと呼ばれてよいと思う。だから著者は続けて次のように言い得るのだろう。「メディア・ビオトープは、ニヒリズムに裏打ちされ、だからこそ希望と可能性を志向する、実践的な隠喩の体系なのである」と。

 可能性を現実化するのは、希望という志に違いない。平易な文体と二項対立的ではない発想のしなやかさも手伝って、読後感の気持ちのよい本(スケッチブック)である。


水越 伸(みずこし・しん)
1963年生まれ。東京大学大学院情報学部助教授。メディア実践研究プロジェクト「メルプロジェクト」リーダー。著書に『メディアの生成――アメリカ・ラジオの動態史』(同文館)、『デジタル・メディア社会』(岩波書店)など。
水越伸さんの対談Web記事

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■黒猫房主の周辺(編集後記)■
★昨日、確定申告をすませた。なぜか晴れ晴れとする気分なのだ。別に税金を納めるのが善良な「国民」として嬉しいとかではなく、年度末の気懸かりで面倒な申告作業から解放された、安堵感のようなものか。
★水越伸さんの新刊を読みながら、本誌の創刊のころを想い出していた。(
本誌創刊の辞
★本誌は独立系の小さな評論メディアだが、それに自足することなく「点」から「面」への協働を活性化したい。((黒猫房主)