『カルチャー・レヴュー』33号



■新年のご挨拶■


本誌の月刊化に際して
山本繁樹



 新年明けましておめでとうございます。  旧年中は、本誌をご愛読賜りお礼申し上げます。本年も引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

 と型どおりのご挨拶ですが、今年はいろいろと活動領域を広げたいと考えておりますので、ご期待ください。

 すでに本誌32号(03/12/01発行)でもお知らせいたしましたように、評論紙「La Vue」の装いを改め、本年より評論・研究誌「コーラ(場)」を<新創刊>します(雑誌「コーラ」への投稿規定や発行形態は次号でお知らせします)。

 それに伴い本誌「カルチャー・レヴュー」の編集委員を改組し編集同人として新たに増員し、隔月刊から月刊に変更しました。本誌はこれまで1号あたり平均して3本のエッセイや論考を掲載してきましたが、月刊化に際して掲載本数を減らしますが、そのぶん発行回数を増やすことでテンションを高め、また催事等の情報の速報性にも寄与したいと考えています。
 つきましては読者各位からの投稿および催事等の情報を、随時お待ちしておりますので編集部までお問い合わせください。(E-mail:YIJ00302@nifty.com

 また今年の3月〜4月頃に当房の企画でブックフェア「<私=意識>とは何か〜哲学を柱に認知科学から脳科学まで」を、大阪の某大書店にて開催します。開催日時が決定次第、詳細を本誌およびWebにてお知らせします。
 ほかにもブックフェアと連動した講演会や、「La Vue」掲載論評をテーマ別に再編集した「La Vue 叢書」PDF版の刊行も予定しておりますので、乞うご期待ください。






■現代詩■


発光する言葉―「十二月・岸和田・太融寺」1

今野和代


 日中複数言語雑誌「藍―BLUE」の編集者秦嵐さんと劉燕子さんの呼びかけ で三月の北京を旅した。その、日中文学交流「越境する言語」でご一緒した吉増剛造さんと再会出来たのは、八月二十日の京都ライヴハウス「磔磔」。震える虹の精霊みたいなマリリアさん、瞑想と狂熱が激しく鬩ぎあっているフランスのギタリストジャンーフランソワ・ポープロスさん、吉増剛造さん三人のユニットによるポエトリー・リーディング。何百年もの時間と物語を吸い込んだ「磔磔」の空間が、ゆらゆら立ち上がり、息飲むような、音と言葉と熱のオーロラ空間に変貌していった。キラキラ下京の夜。

 そして、十二月。一九九九年十月に出発した倉橋健一責任編集の総合文学雑誌「イリプス」の四周年記念として、今一番エキセントリックで、凄まじい言葉の歩行をし続けている藤井貞和と吉増剛造を大阪にお呼びして、朗読と講演がミックスされた文学ゼミナールの場をつくろうという話になった。藤井さんは、一九九五年阪神大震災・地下鉄サリン事件が起きた翌年に、俳句の坪内稔典や評論家の松原新一さんや作家の高城修三さんたちをお誘いして、ご一緒に「世相を思想化する」というシンポジウムにご参加いただいて以来、なんと八年ぶりの再会だった。ふっと、今回の仕掛けの背後で、大阪生まれの折口信夫がにこにこ笑っている気配がした。そう言えば、藤井さんには「釋迢空」というご著書があったし、吉増さんには「生涯は夢の中径―折口信夫と歩行」というお仕事があった。おふたりが二日泊まっていただくのは、折口信夫が少年の頃てくてく横切っていったであろう難波の繁華街、宋右衛門町にある「ホテルメトロ」というのもなんだか愉快だった。

 十二月十三日(土)第一日目は、昭和七年建築家渡辺節による近代建築の傑作、岸和田自泉会館で開始された。この日の集まりを支えてくださった岸和田文化協会の専務理事・画家の天野しげさんや詩人の中塚鞠子さん、松尾省三さんや牧草洋一さんや後藤早苗さんや那村洵吾さんや新井文子さんや橋本和子さんたちと朝からクルクル動いた。吉増さんがいつも連れていらっしゃる、はがね色の銅版が巻紙のようにするする舞台に開かれ、コーン、カーンと文字の彫刻が響いていくために、美しい黒の舞台が作られた。正面右斜め上にスクリーンが張られ、二台の映写機が設置され、音響も照明もそれぞれの位置でスタンバイした。瞬く間に会場は人で埋め尽くされ、定員の百人をとうに越え、椅子が足らなくなり、応急の椅子を置いても置いても人が座った。会場には、東京から、詩人新井豊美さん、作家の吉野令子さん、金沢の詩人三井喬子さん、砂川公子さん、倉敷の詩人川井豊子さん、河村孝子さん、広島からの詩人松岡昭弘さん、大野一雄研究所の舞踏家石戸谷直紀さんも、朝日新聞の音谷健郎さんのお顔もあった。

 初日、岸和田でのテーマは「明日は何を語ろうか」。中塚鞠子さんの司会で、藤井貞和さんが飄々と舞台に現れ「物語の結婚」のレクチュアーが始まった。一九五〇年前後から約五十年間、世界中を駆けめぐった思想の潮流―構造主義の思想家レヴィストロースの一九八〇年の仕事「はるかなる視線」という本の中に「源氏物語」を使って「物語の結婚」論を展開していること。その十年前の一九七〇年に、系図を使って藤井さんは「源氏物語」の錯綜する内部を読み取っていかれたこと。「源氏物語」に登場する三人の藤壺をレヴィストロースは、はっきり区別して理解していること。「藤壺」は女御ではなくて「妃の宮」であること…‥次々とやさしく丁寧な語り口調で、話される藤井さんの講演にぐんぐん引き込まれていく。「源氏物語」は三代にも四代にも渡って、交差従兄弟同士が結婚していく物語であること。平行従兄弟の結婚は避けられていること。

 「源氏物語」は構造的にしっかりと骨格が整えられていて、一つの大きな基本的なルールからはずれていかないように形成されていること。「桐壺」の更衣を、呪い殺したのは、決して弘徽殿の女御ではないこと。「そのうらみやらんかたなし……」と歎き嫉妬した同等の更衣であるだろうということ。若紫が光源氏にみいだされた年を、一般的な十歳説ではなく、十二歳として主張されたこと。若紫は、源氏が「十歳くらいとして見誤るような、幼い女性」であったということ。ほんのまだ少女としてしか育っていない、そういう女性の魅力として「源氏物語」が描かれてあること、しかし、実際は結婚適齢期にさしかかった十二歳の女性であるという物語の結婚のルールをきっちり守った物語であること。源氏物語の中で不倫や密通関係を犯した女性は全て出家しているということ。添い遂げた女性は誰ひとり出家していないというふうに、やはり大きなルールがきっちり貫かれてある物語であるという話。千年も前の膨大な長編の物語を構造的に読んでいく、その読解の見事さと明解さ。第一線で格闘する研究者のナビゲーター藤井貞和さんによる、スリリングで贅沢な四十分の時間はまるで十分くらいに感じて終わった。

 第二部は、詩人倉橋健一さん、吉増剛造さん、藤井貞和さん三人による鼎談。のっけから、「今日の会は、どこかで交点をつくったり、帳尻を合わすのではなく、平行を平行のまま、それぞれが持ち帰って、じっくり考えていくそういうシンポジウムです。」という倉橋さんの発言から始まった。倉橋さんが最初に藤井さんと出会われたのは、ちょうど学園紛争の時代で、最初の源氏物語論は「バリケードの中の源氏物語」という衝撃的な論文であったこと。最初の源氏物語の著書が「源氏物語の始原と現在」であること。吉増さんも藤井さんも関西に縁があること。ふたりの折口信夫論の紹介。藤井さんは十歳くらいまで奈良、吉増さんは終戦は和歌山、和歌山で空襲にあっていることなどが話されていった。それから、藤井さん、吉増さん、おふたりの関西体験の話に移っていった。藤井貞和さんの記憶。物心ついた頃、昭和二十一年、父親が戦争抑留から帰って来られた時のシーン。その頃二階に住んでおられたその二階に、やせこけた男が上がってきて、熟した柿をポケットからいくつもいくつも出して机に置き、また何も話さないで黙って降りていったというお話。それから「天子さまにお詫びにいく」といってまた姿を消して数年間母子生活を送り続けたという奈良時代、米軍の歓楽街でもあった奈良の存在と重ねながらのエピソード。小泉とか川口とかと私は同世代。今、その片方だけの話しか語られていない。沈黙のまま、私達の敗戦幼児体験が語られてこなかった故にこんな時代になったのかもしれない。昭和二十年代とはどういう時代であったのかということをもっともっと語っていったほうがいいのではないだろうか。藤井さんの言葉はまだ、わたしの耳の底に沈んだままでいる。

 「えー、えー、えー、あの……。羽田から関空に着きましてね。気持ちのいい旅。阪和線。南海電車。岸和田、岸和田、天王寺。天王寺はぼくのキーステーションでね。岸和田ァー、キシワダー、岸和田の駅に来たら、なんかナンカ言葉が聞こえてきてね。なんかなんかやわらかい声が聞こえてきましたよ。……」、吉増剛造さんの、やや早口な、やや高く、明るい、そしてややくぐもったその声の速度とトーンにまるで、麻薬でも打たれたかのように、会場の空気が変わっていくのを感じた。それから、源氏物語の略奪婚の話や、信徳丸の話、折口信夫と大阪の話、路地の話……。贅沢な三十分が瞬く間に流れた。

 三部は中国の詩人、翻訳家、雑誌「藍BLUE」の編集者秦嵐さん、劉燕子さんの朗読と今野和代の朗読。秦嵐さんと劉燕子さんの挨拶は、何回聞いても、ハッカみたいにじーんと胸が涼やかになる。中日二ヶ国語の文学を通じて、草の根のように、互いの信頼と友好と理解を推し進めていくという願いと目標。文藝雑誌「藍BLUE」を発行され、多くの文学者に会い、関係を繋げ、心魂を傾けて詩を書き、翻訳をし、編集をし、仕事をし続けておられるおふたりの何というパワー。ぐうたら呑んべのわたしは、いつも襟をただされる。秦嵐さんは、査海生の「春、十人の海子」という詩。劉燕子は、「骨は我が筆、血は我が墨」と記した黄翔の詩。中国語の伸びやかな音色のような豊穣な朗読に魅了される。今野は「系譜」という女たちの詩を即興の言葉を畳み込みながら朗読。

 最後の吉増剛造さんによるポエトリー・リーディングは予想どおりの圧巻。独白のように、語り部のようにゆっくり言葉が差し出され、ゆっくりゆっくりせりあがってきて、旋回しはじめる、声、響き、言葉。銅板を打ちつける音がスピリッツのように立ちあがってくる。蝶の羽からこぼれおちる微かな光の麟粉みたいにイメージが明滅しはじめ、吉増さんはもう吉増さんではなく、いのちの触媒の渦巻きみたいだ。言葉の光の使徒みたいに、透きとおったネオン色の世界を全身に引き連れて、迫ってくる。スクリーンに映し出される映像。かぶさるように襲うように、滲むように、二つの映写機で、スライドの光を重ねていくのが、わたしと後藤早苗さんのその日の役目。始まる前「こんちゃん、どんどん動いてもいいからねっ」何の注文も打ち合わせもないまま、イタズラっ子みたいに、吉増さんは笑ってたな。古座や加計呂麻南の島で撮られたであろう、青い空や窓や建物や草や樹やクレーンの美しいネガ。そのスライドを、スクリーンや、自泉会館の毅然とした高い天井や壁やカーテンに、光らせながら、届かせながら、吉増さんの声と一緒に歩行し始めている、わたしのなんというおののき。何処にもない、誰も見つけられない、不思議な発光する世界。入り口に立っている。そんな気がしてきた。

★(二日目の太融寺レポート「ことばの井戸、火傷することば、過激な十二月」は次号にて掲載予定。)

■プロフィール■
(こんの・かずよ)大阪生まれ。詩人。集合体「ペラゴス」会員。文芸総合誌「イリプス」編集スタッフ。雑誌「共同探求通信」編集スタッフ。神戸三宮「カルメン」ロルカ詩祭、大阪ジャンジャン横丁「マサハウス」、ドイツハンブルク「アルトナ祭」、北京「藍・BLUE」「北京東京アート・プロジェクト」主催「日中文学交流」等で詩朗読。著書・詩集『パセリ市場』(思潮社)

●●●●INFORMATION●-------------------------------------------

 「鎮 魂」――第5回BOMY書展

 2004・1・16(金)〜1・21(水)
 10時〜19時(最終日は〜17時)
 場所:「ギャラリー・ドゥ」神戸・三宮サンパル5F(TEL.078-231-1166)
 上野賀山 玉井洋子 磯田正三 北園春洋 今野和代 橋本吉博 間島久代 松尾晴風 山下桂萌

阪神淡路大震災から丸9年。直後の瓦礫のなかから鎮魂の書を世に問うた玉井洋子とその仲間が、月命日をはさんで作品展を開きます。不気味な地震の予兆が日本列島を再び覆い始めた今、6300人を超す犠牲者の霊を慰め、いつ訪れるとも知れぬ災禍の軽からんことを祈りながら一人一点の鎮魂の書を添えます。





■署 名■


芦屋市立美術博物館支援のお願い



(1)趣旨説明
現在、芦屋市では、2006年3月までに芦屋市立美術博物館の民間委託を模索、委託先が見つからない場合は売却、あるいは休館を計画しています。今回の行政改革案は、同館だけでなく病院の閉鎖なども俎上にのせられ、教育、福祉、文化にわたる広範なものです。市議会では12月2日から、この件について審議します。

1991年の開館以来、芦屋市立美術博物館では、具体美術協会をふくめ、広く地元の美術運動の顕彰をしてきました。今回の計画では、具体関係収蔵品や資料アーカイブもふくめて、同館の貴重な収蔵品をどうするのか、等の点に明確なビジョンがまったく示されていないなど、同館の将来と市議会の対応に非常な危惧が感じられます。

そこで、「外からの声」により同館を支援する一つの方法として、私たち「ポンジャ・現懇」のメンバーは、「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に反対します」という趣旨でインターネットによる署名運動を立ち上げました。ちなみに「ポンジャ・現懇」(英語略称PoNJA-GenKon)は正式名称が「Post-1945 Japanese ArtDiscussion Group/現代美術懇談会」で、本年4月、海外で日本の現代美術を研究する美術史家・キュレーター・大学院生などで構成するメーリングリスト・グループとして発足しました。

日本国内の方でも、この署名運動の趣旨にご賛同いただける方には、ぜひとも参加していただきたく、ご連絡する次第です。署名運動サイトは英語ですが、簡単に記入できます。以下(2)の「署名の方法」をご参照ください。

なお、反対声明の全文和訳を以下(3)に貼付しています。また、声明和訳文を市議会に直接送付する支援方法もあるでしょう。こちらは、以下(4)をご参照ください。

以上、ポンジャ・現懇による芦屋市美術博物館支援の署名運動にご協力いただけますよう、お願いいたします。

    富井玲子(ポンジャ・現懇主宰、インデペンデント・スカラー)
    由本みどり(ニュージャージーシティー大学助教授・ギャラリーディレクター)
    ミン・ティアンポ(オタワ、カールトン大学講師)
    池上裕子(イェール大学博士課程大学院生)

(2)署名の方法 11月25日までに集まった署名を、第1回分として提出しますが、年内中ご署名いただけます。

 A) 署名運動のサイトは、http://www.petitiononline.com/ashiya/petition.html
 B) 頁の最後の方にある”Click Here to Sign Petition”のボタンをクリックする
 C) 必要な事項を「半角ローマ字」でご記入ください。
   記入項目は次の順です。
    ご氏名
    メールアドレス**
    住所(例:Ashiya, Japan; Tokyo, Japan)
    ポジション(例:curator, professor, critic, など―オプション)
    所属機関名(オプションです)
    コメント(オプションです)
 D) 頁の最後にある
    ”Preview Your Signature”のボタンをクリックする。
 E) 内容を確認して、頁の最後にある”Approve Signature”のボタンをクリックすると、署名完了です。
(なお、記入事項を変更する必要のあるときには、ブラウザーのバック機能で前のページにお戻りください。)
 F) 署名完了後、petitions@petitiononline.comから確認のメールが送られます。

Email Address Privacy Optionについて: この署名フォームでは、メールアドレスのプライバシー度を選択できます。今後も引き続き何かあれば本件についての連絡をしたい、と思いますので、”Availableto Petition Author”(真ん中の選択肢)を選んでいただけるとさいわいです。

(3)声明全文和訳

=====和訳はじまり=====

「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に反対します」

芦屋市長
芦屋市議会
文部科学省 御中
反対声明

 私たちは芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に関する芦屋市の計画に反対するべく、以下に署名します。

 1991年の開館以来、芦屋市立美術博物館は関西圏における近・現代美術の顕彰と芦屋市の歴史保存に重要な役割を果たしてきました。しかしながら、同館の活動は地域性を遙かに越えて、国際的な意義を有しています。同館は戦後日本の前衛美術を代表する「具体美術協会」(以後「具体」)の資料を保存し、学術調査と研究のための国際アーカイヴとして機能してきました。そして、このことを通じて、同館は、日本の近・現代美術の海外紹介に決定的な役割を果たしてきたのです。

 私たちは断固として芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に関する芦屋市の計画に反対します。芦屋市で最も活発に文化活動を行っている施設を休館するようなことになれば、国際的な「文化都市・芦屋」のイメージは大きく損なわれることでしょう。「具体」に関する情報と研究成果を国内外に発信する同館の機能を制限また停止するならば、芦屋市は「具体」という日本の近代文化遺産、すなわち日本文化の躍動性、創造性、近代性、国際性を象徴する「具体」という貴重な文化外交の看板を失うことになるでしょう。

 私たちは芦屋市が芦屋市立美術博物館とその活動を維持するべく、民間委託・売却・休館以外の、より建設的な方策を検討されることを強く望みます。芦屋市立美術博物館は単に「具体」とその歴史を擁護するのみならず、同館の活動により芦屋市は世界地図の一角に確固とした位置を占めるにいたっています。これらの事実にかんがみ、今回の行政改革にあたり、芦屋市が行政の優先事項を再検討されることを要望いたします。

私たちは芦屋市がこの反対声明を真剣に考慮され、芦屋市立美術博物館に関する計画を見直すことを強く望みます。

敬具

=====和訳おわり=====

(4)声明和訳文を市議会に直接送付する方法

 A) (3)の和訳文をお使いください。また、個人的なコメントもご自由に加えてください。
 B) 受け取り人は連名で
「芦屋市長 山中健さま」
「芦屋市議会議長 都筑省三さま」
を明記してください。
 C) 「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に反対します」という一文を標記タイトルとして、あるいはサブジェクト(メールの場合)として明記してください。
 D) 送付先は
メール:info@city.ashiya.hyogo.jp ファックス:0797-38-2170
郵送:〒659-8501 芦屋市精道町7-6 芦屋市議会
 E) ご面倒ですが、美術館学芸課あてにも同じ手紙(メール)をご転送ください。メール: asbihaku@ares.eonet.ne.jp ファックス:0797-38-5434





■ちょっと長めの編集後記■
★年末の朝日新聞(03.12.25)に掲載された、テッサ・モーリス=スズキの「自らの民主化こそ必要」という論考に同意しながら、その数日後TVドラマで映画「12人の怒れる男」(W・フリードキン、1997、アメリカ)を観た。ジャック・レモン扮する陪審員こそ、アメリカ合衆国が理想とする民主主義あるいは正義がこの映画にはあるのだろう(この法廷陪審員映画が男たちだけで構成されている限界は指摘できるとしても)。そしてこの映画の正義に基づけば、アメリカはイラク攻撃を正当化できない。
★この二日前から呻吟しながらヘーゲルの『精神現象学』を数頁ずつ読んでいるのだが、「まえがき」で真理と弁証法のダイナミズムを説明している箇所が面白い。執筆当時37歳のヘーゲル青年(?)は、真理を「実体」としてではなく「主体」としてとらえ表現することが肝要だと宣うのだが、同時に注意すべきことは「実体」は知の一般的で直接的なありかたと、知に対する存在の直接のありかたを同時に含んでいること、なんだそうだ(そのような「現れかた」をするということなんでしょうが、本論ではその「一般性-個別性」や「直接性-媒介性」について展開)。そして「生きた実体こそが、真に主体的な、いいかえれば、真に現実的な存在」であるが、そう言えるのは「実体が自分自身を確立すべく運動するからであり、自分の外に出ていきつつ自分のもとにとどまるからである」。そしてヘーゲル小父さんは、対立と否定の契機によって生じる弁証法の運動を経て(運動の円環を閉じて)「統一」が再建され、それこそが「真理」なんだと誇らしげに宣言するのだ。この主体を「アクター=行為態」と読み替えるとどうなんだろうか?
★『猫の国ったら猫だらけ』(吉行理恵・編、滑川公一・画、青土社)という猫をテーマにした詩のアンソロジーがある。その中から一遍、「猫のひげの先が/頸筋を撫でる時/古い太陽が/匂いを立てる」、「早春」と題された串田孫一の詩である。頸筋を撫でられた時のこそばゆく温々とした感じが、春の予感に誘われて古い太陽が再生する感じとマッチしている。また「匂い立つ」という雰囲気がエロティックで、猫(たぶん黒猫)の姿態をイメージしながら「性の目覚=早春」を連想させる。本誌「新春号」に因んで。
★猫がらみで、『なぜ、猫とつきあうのか』(吉本隆明、装画・ハルノ宵子=吉本ばななの姉、ミッドナイト・プレス)というインタビュー集がある。ご存知、詩人にして評論家で愛猫家の吉本父さんが猫さん(吉本父さんはそう呼ぶんですな)についてのアレコレを語る。(お向かいの飼い猫なのだが飼い主が放擲してしまったので、お向かいに了解を得て)町内のボス猫の臨終を吉本家が看取る話など、吉本父さんの日常ぶりが伝わってくる。小熊映二は『<民主>と<愛国>』(新曜社)の中で吉本の罪責感と大衆像を冷ややかに分析していたが、この罪責感が「転向論」を生み出したとも言える。小熊の冷ややかさよりも、細見和之のアンビヴァレントな感情(「管谷規矩雄と吉本隆明」、『現代詩手帖』2003.10)に黒猫は同調する。(黒猫房主)





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