ここ二十年来「現代思想」をリードしてきた「ポスト・モダン」は、「西洋近代」に脈打つ「主/客」の二項図式、近代的な「主体」を根本から否定せんとしたマルクスさえも取り込む強力な二項図式に、徹底的に抗ってきた。 ところが昨今、「ポスト・モダン」の旗手たちが具体的な政治状況に対して連名で発表する「マニフェスト」や、例えば柄谷行人が提唱するNAM運動には、いわゆる「正統派マルクス主義」者のそれと見紛うような表現が散見される。仲正はそれをはっきりと「左旋回」と呼び、その原因を追及していく。 一つには、ソ連‐東欧社会主義諸国の崩壊に代表される、時代の変化があるだろう。80年代前半に浅田彰は「軽さ」を売りに出来たが、90年代後半の東浩紀は郵便的「不安」を口にする。 だが一方、「ポスト・モダン」もまた、二項図式の胚胎から逃れ切れないのかもしれない。我々の使用している「言語」が、主語や目的語を構造的に利用している以上、「主体」と「客体」抜きに何かを語ることは不可能だと、仲正は言う。 ならば、「政治」に焦りすぎて、「差異」の中に忍び込んでくる「反復」という問題を忘却している(元)ポス・モダニストたちと共に、「現代思想」は袋小路に陥るほかないのだろうか。 彼らにデリダ、ローティ、コーネルを対置し、純粋に理論的なレベルでは脱構築的な発想をして、それを応用する時には、プラグマティックにやることで、仲正は閉塞状況の突破を目論む。 思想の剣ヶ峰に立つような、スリリングな論考に充ちた一冊である。 (「書標」04.12掲載) |
「歴史哲学」から「東亜共同体」に至る三木清の“ロゴスとパトスの弁証法”。その「同一化」原理が「国家同一化」に陥った過程を当時の政治的、社会的文脈を押さえながら明らかにすること、それが、本書の主要テーマである。 町口は、三木が近衛文麿の国策研究機関である「昭和研究会」に参加し、その言説が結果的に「大東亜共栄圏」という侵略戦争遂行の大義を擁護してしまった事実のみを断罪するのではない。テクストに密着し、その内側から矛盾が自ずと吹き出してくるように追跡する内在的な読み方、アルチュセールのいう「徴候的」読解を、三木の初期から晩年にいたるまでの思想に、丹念に施していく。 町口と共に三木の生涯を辿るとき、そこには典型的な悲劇の構造が読み取れる。ロゴスへのパトスの対置、観想に対する行為・実践の優位、不安・虚無の直視、マルクス主義や西田哲学との真摯な対峙、三木の言説を魅力的なものとしているそうした思想、姿勢のことごとくが、これ又三木が重視した「環境」によって、本来の意志から逸れ、企図に反した終幕へと収斂していくからだ。 岩波文庫「読書子に寄す」をものし、ヒューマニズムの旗手であった三木清が、一体どこで「誤った」のか。西田門下生として「空前の天才」と呼ばれ、論壇、ジャーナリズムで華麗な活躍したことが、三木に「エリート意識」を埋め込んだ可能性は否定できない。それもまた、悲劇の重要な属性なのである。大日本帝国の悲劇もまた、自らを東洋の「指導者」と誤認したことに起因する。 (「書標」04.11掲載) |
生物体は常に周囲の環境からエネルギーを取り入れ、それをもとに環境に適応すべく働きながら、常に過剰な力を生み出してしまう。それが、情動である。 何千種ものバクテリアと共生し、血液中をマクロファージが自由に泳ぎまわる人間という生物体も、個物というよりは「サンゴ礁」に比せられる。そうした人間の情動もまた、その力を「外部」から直接獲得する、否「外部」のエネルギーが直接流入したものなのだ。テ・ピト・オ・テ・ヘヌア(世界のへそ)でモアイ像を仰ぎ見ながら、ペルーのコルカ渓谷でコンドルの飛翔を目で追いながら、リンギスはそのエネルギーを体感し、美しく描写する。その時、哲学の伝統的な「主―客」の図式は、完全に崩れ去る。 そこには勿論、人間の特権性などない。むしろ私たちの感情を理解可能にしているのは動物の情動であり、私たちは人間のなかの動物性に魅了されるのである。世界はまず情動に満ちたものとして立ち現れ、言葉が機能し得る前に他者を認識するのも情動によってなのだ。 情動は過剰なエネルギーの発散であり、人間においては、笑い、涙、そしてエロティシズムに端的に現れる。性的興奮のなかで拘束されていた野生の衝動や渇望が解放され、私たちの意識的な意図や目的を圧倒する。仕事と理性の世界が溶解するなかで、逸脱した破滅的な熱情が聖なるものを見いだす。英雄は、自分個人のアイデンティティを笑い飛ばし、死をものともしない。 本書は、溢れんばかりの情動に満ちた人間讃歌=自然讃歌である。 (「書標」04.10掲載) |
「第T部メディエーションの理論」を読み進むことには、ある種宿命的な困難さが伴っていると言えるかもしれない。 ルーマンを援用しつつ「透明な意味交換というコミュニケーション像の範型」を拒否し、「いかなるコミュニケーションにおいても、つねにすでに媒体が介在し作用している」という理論的事実をしっかりと押さえ、「イメージそのものの意味を変質・異化させ、観察者を媒介性への問いに絶えず連れ戻す物質=外部」としてメディアを捉える、いわば「『汚染』の事実を理論的に真摯に受け止め、かつ実証的に『汚染』の実相を描き出していく」北田の「メディア論」は、それを読む者に常に「書物」という媒体(=テクストの外部)を、更には読書行為における自らの身体をも意識させ、テクストへの没頭を自ら疎外する一種の「自己言及のパラドックス」を招来するからだ。 だからまず、「リアリティ・テレビ」、「ポピュラー音楽の歌詞」、とりわけ弁士―映像技師―楽士―観客が共在する「遊動空間」から「視覚の優位化」と左右両陣営からの「統制への意志」が相俟って変様していく映画(館)というメディアの実相を具体的に描き出す後半部の諸論文に、あるいは「広告=都市」を巧みに読み解いた「広告都市・東京」(廣済堂出版2002)にあらかじめ訓練(マッサージ)されてから、卓越した「メディア論」が展開される前半部に再度挑んでいくのが得策であり、かつ重要である。 それは、「メディア」にグーテンベルグ以来の革命が訪れているいま、何にもまして不可欠な作業なのだから。 (「書標」04.09掲載) |
居並ぶ現代思想の旗手たちをメッタ斬りにする。一切の権威に阿らない、その心意気やよしである。ただ、残念なことにその切っ先は相手に届いてはいない。
斬らんとする相手が多すぎるのが理由のひとつだろう。どの敵に対しても十分に踏み込めていない。最も効果的な批判とは、相手の論理に一旦乗っかった上でその矛盾や破綻を提示すること、即ち敵の懐に飛び込む剣術である。本書における批判は、おおむねそうではない。 「二階」に住む「インテリさん」たちが「大衆」の住む「一階」に降りてきて分りやすく語りかけようとする。その姿勢自体は評価できるが、大抵の場合結局「二階」の論理に逃げ込むので失敗する。そして降りてきた「インテリさん」たちの俗物性は、「一階の住人」の比ではない。この二つが本書で展開される批判の枠組みであり、確かに的を射ている部分はあるが、自ら中二階に位置するという著者のこうした批判の手法は、決して「かいしんのいちげき」を与え得ない。 「いうまでもないが、勤めている会社の今期の営業成績の方がよっぽど重要である。」そんなことは、当たり前である。だからといってそのことが、即「思想」を否定する理由になるとは、思わない。 著者本人の告白のとおり、かつて「思想」を追っていた人でなければこんな本は書けない。だから本書は「転向」宣言でしかありえない。しかし、ホッファーやヴェイユ、吉本を称揚する時、その「転向」もまた疑わしい。本書に散見される傍白/ノリツッコミが照れにしか思えず、どうしても笑えない所以である。 (「書標」04.08掲載) |
各人がなぜ多様な世界信念をもつのか、その理由を検証することから始めようとした近代哲学が、観念のなかで信念が構成される一般理論を考える、これが観念論の方法の根本だったと言う竹田。 根本から考える地点を目指すのが原理を求める指向たる哲学の特質だが、近代哲学はそれを「意識主観に戻る」という仕方で行おうとしたと語る西。 近代哲学の再評価を目指す二人の姿勢に共感するぼくは、息の合った会話を心地よく読み進む。ただ、余りに肝胆相照らす二人であるがゆえに、「対」談とは呼びにくい。あえて言えば、二人の言葉のやり取りに「否定性」の契機が入り込んでこない恨みがある。それこそ、弁証法のダイナミズムの動力源である筈だ。「自由」こそ近代の本質であり、近代の持つ様々な問題=属性を論うことでその本質を否定するのは誤りだとする二人の考えには賛同するが、原理としての「自由」に終始しては、二人がうまく反駁している近代批判のそれとちょうど裏返しの弱点を持ってしまう危惧が残る。巻末で竹田が宣言する「自由の相互承認の社会学的転移」の展開が、それを杞憂に終わらせることを大いに期待したい。 本書を読んでいて、ヘーゲルとフッサールが並び座って遠くを眺めやる光景が、目に浮かんできた。思えばちょうど百年前と二百年前に、時代に分裂と危機を見出し、「よみがえれ、哲学」と叫んだのが、この二人だった。 (「書標」04.07掲載) |
「名著でたどる日本思想入門」として同時刊行された二冊。同時刊行がミソだ。 対極として見られがちな「ナショナリズム」と「アナーキズム」は、前者が黒船来航と共に生じロシア帝国の脅威の前で成長し、後者が帝国陸海軍やボルシェヴィキなど全ての権力への反逆・暴動のさなかでのみ自らのユートピアを実現しうるという点で、同型である。だからこそ、明治末以降ナショナリズムはむしろ不在となり、大杉栄を中心とするアナーキズムが隆盛を極める、そして海外領土を失った敗戦後にナショナリズムが復興するという時代的な相補性まで持つのだ。それは両者がそれぞれ「国民国家」と「個の自由」という、「近代」の、容易には両立し得ない、さらにいえば端的に矛盾する二つの理念の原理主義だからである。両極のベクトルの逆方向は、即ち「近代」そのものが孕むねじれなのである。 浅羽のテンポよい語り口に乗って二著を駆け抜ける時、ジェットコースターのような陶酔感を覚えるのは、「近代」の両面がメビウスの帯を形作っているからかもしれない。そのメビウスの帯の連結点(順序を逆にして二著を読むとき、それは長距離走の始点=終点となる)こそ、かの小林よしのりなのだ。 一瞬「おや?」と思う人物が布置された二つの座標図は、本文を介して十分な説得力を持ち、秀逸。同時に。両書は決して単なる概説書ではなく、マンガやアニメにも及ぶ浅羽の視線は、きわめて今日的な問題意識に充ちている。 (「書標」04.06掲載) |
哲学者廣松渉は、ふたつの貌を持つ。ひとつは、分裂と内部闘争を繰り返した戦後革命運動史を駆け抜けた実践家としての貌であり、もうひとつは、「近代とはなにか、近代を超克するとはどのようなことがらであるのか」を哲学的に問いつめる、厳密な体系的認識論研究者としての貌である。それぞれが余りにも巨大な足跡を残したがために、双方を切り離して論じられることも多い。だが、本書の著者熊野純彦は、そうした「二元論」をあくまでしりぞける。 多くの活動家、思想家が綺羅星のように登場する、青年廣松の生の痕跡をあとづけた第一部においても、時代の陰影が刻まれ、同時に時代に受容されていった廣松の著作群へと主題は収斂していく。 一方、廣松の哲学的思索へと深く切り込んでいく第2部において熊野が執拗に照準を合わせようとするのは、廣松の体系にひそむ「差異」、「他者」、「否定」などの概念である。廣松哲学に欠如していると見做されることも多いそれらは、実は廣松の哲学体系を駆動する原動力であることを、熊野はていねいに読み解いていく。それはやがて体系そのものを軋ませ、〈外部〉へと開いていく力ですらある。そこにはまさに、廣松渉の〈実践〉が、〈倫理〉が待ち受けているのである。 研究室や酒席で親しくその謦咳に接し、かつ粘りづよくその思索と対決する哲学の徒、熊野純彦。没後10年、本書において廣松渉は、その〈甦り〉に遂に「人を得た」というべきだろう。 (「書標」04.05掲載) |
「9・11」の直後、ハンチントンの『文明の衝突』が再び脚光を浴び始めた。タイトルから明らかなように、本書はそうした事態への徹底的な批判の書である。 「文明」を、人間がそれを超えて結びつくことが不可能な「最終的限界」と捉え、「文明の衝突」を不可避なものと見なすハンチントンの議論は、まさにテロリストに好都合なものであり、彼らの行為を正当化してしまうのだ。 クレポンは、ハンチントンの議論の前提となる、多元性・独自性・一貫性が強調された「文明」観そのものに切り込んでいく。そして、「文明」は交換のネットワークとして形成され、「翻訳」こそ「文化」にとって決定的な要因であると説く。それはあらかじめ実体化された諸「文化」間の翻訳可能性を云々する議論ではなく、そもそも文化的アイデンティティとは、その文化にとって翻訳が占める(あるいは占めていた)範囲によって決定されているという、徹底した反本質主義的文化観なのである。「民主主義(自由と平等)の理念、またとりわけそれを望むことは、西洋にだけ許された特権ではない。」 本書は、原著と日本語版のために書き下ろされた付論「文化と翻訳」の間に、それぞれクレポンの主張にいささかの留保を伴った、2名の日本人による応答が挿入されて成立している。良質な交響曲の小品を思わせるその構成は、クレポンの文化論における翻訳の重要性と重ね合わせた時、さらに味わい深く響いてくる。 (「書標」04.04掲載) |
池田晶子を読む快、というものが間違いなくある。 それは、「生とは、それ自体が動いてやまない精神の運動」で「精神には、自分に出会うという以上の喜びは存在しない」と知り、まさに「人生それ自体がひとつの思索と化」した池田の、「考える筋肉」のような言葉に接する快である。 そしてそれは又、そうした覚悟を持たぬ「学者」「思想家」に向けた歯に衣着せぬ痛烈な批判を共有する快である。 池田が愛してやまぬ小林秀雄の文章と文字通り渾然一体となった本書を読む時、そうした快が、池田自身の快との共振であることを知る。小林の引用はゴチック表記されているが、そうでなければ区別がつかないほど、二人の文章は融合している。本居宣長の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」を克服しているという池田の自負は、ほんとうである。 「書いているうちに、彼と我とが判然としなくなってくる」のだから、それも当然であろう。そして「好きでなければわかろうはずもないのは、恋愛心理に同じ」との告白に行き当たるとき、「考えるとは、存在と交わる、存在と交情する、存在との恋愛関係に入るようなもの」と言う池田が、本書において小林秀雄と「交情」していることは明らかとなる。 本書を読むという行為は、そうした「交情」に読者として参入していくということだ。そのことによって得られる快は、もとの「交情」の快の大きさに比例しているという次第である。 (「書標」04.03掲載) |
うち続く宗教戦争を経てヨーロッパに深刻な形で現われた信念対立を克服するという課題のもと、認識問題を根本問題として出発した近代哲学は、その頂点たるカント、ヘーゲルに至って人間の「自由」の自覚がもはや不可逆的なものであることを知悉し、徹底的に「自由」という原理の上に人間の倫理の本質原理を打ちたてようとした。「ポストモダン」をはじめとする現代思想の基調は総じて「反=近代」であり、悲惨と矛盾に満ちた現代社会を結果した咎で近代哲学は常に批判の矢にさらされているが、「存在の謎」、「言語の謎」という「形而上学的」な問題にむしろ捉われ、ソフィスト的、スコラ的な議論に陥ってしまっている現代思想よりも、近代社会全体についての核心的な本質については、近代哲学がはるかにそれを深く捉えている。近代哲学の高い峰々を丹念に辿り直した上で、竹田青嗣はこう言い切る。 そうした竹田の姿勢に、ぼくは大いに共感する。自ら検証することなく批判を鵜呑みにする態度は、およそ哲学を志す徒に最もふさわしくないものだからだ。 全く同じ理由から、本書に対して全面的な賛意を留保する部分も残る。「死」「不安」などの契機を、ネガティヴなものとして軽視しすぎていないか、「自由」が、未だ「表象」に留まり、「概念」となっていないのではないか。 そうした留保も、竹田なら、議論の深化の契機として受容してくれると思う。そして、何よりもダイナミックな議論をいざなう本書の「到来」を心から嘉したい気持ちを、改めて言明したい。 (「書標」04.02掲載) |
昭和45年11月25日。 三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたその日、児玉隆也は赤坂の高級料亭で、田中角栄と対峙していた。「女性自身」に予定されていた田中の女性問題の記事の掲載中止を求められ、それを児玉らは受け入れたのだ。 人生の恩師と慕う三島の自決の日に、三島のもっとも嫌った金権主義の権化へ平伏した無念。児玉はそれを力に変え、4年後「淋しき越山会の女王」へと結実させる。そして「文藝春秋」に同時掲載された立花隆「田中角栄研究」とともに「文藝春秋読者賞」を受賞、田中内閣を退陣へと追い込む。活字が力を持つ時代が、確かにあったのだ。 だが、その時既に、ガン細胞は児玉の身体を蝕んでいた。翌年、自らの闘病記を『ガン病棟の99日』として遺し、児玉隆也は、足早に駆け去ってしまう。 終戦直前に失った父の棺が買えず、タンスの引き出しで代用した少年時代。「貧しいことは恥ずかしいことじゃないんよ」という母の言葉をバネに苦学し、出版の世界に足を踏み入れた児玉の視線は、編集者時代、フリーライター時代を通じて、一貫して弱者の側に、市井の人々に注がれ続けていた。 児玉のとことん足を使った取材ぶりは、「地を這う取材」と賞賛された。人間的な弱点も含めて児玉隆也の実像を活き活きと描き切った本書の著者坂上遼の取材姿勢も、児玉のそうした姿勢とダブる。 かくして、人間のいとなみは書きとめられ、語り継がれる。 (「書標」04.01掲載) |