何も政治の世界に限ったことではない。人がいて、権益が存在すれば、そこに派閥が生じる。派閥があれば、派閥抗争が起こる。最高学府においても、例外ではない。例外どころか、思想が、学問の成果が直接激突する場であり、時代状況そのものと密接な関わりを持つ最高学府にあって、抗争が激しさをいや増すことも、不思議ではない。 本書は、昭和初期から約十年に渉る東京大学経済学部の、人事を巡る派閥抗争を描いている。河合栄治郎、土方成美、大内兵衛といった主役たちが、学者でありながら(というのはむしろ偏見か)極めて人間臭く、因果応報ともいうべき展開と相俟って、著者自らがいうように「大学版忠臣蔵」が成立している。 冒頭で助教授辞職を強要され、講壇ジャーナリストへ転身する大森義太郎ら脇役もよい。背景に見え隠れするジャーナリズムや出版界の当時の動向も興味深い。 圧巻は、エピローグにある。三十年後、かつて時代の波に押し流されていった前期の主役たちの因果が、その場となった同じ安田講堂に再び巡ってくる。「大河小説」の完成である。 もっとも、読む者を飽きさせないドラマの成立が、最高学府にとって、そしてそのあり方に大きな影響を受ける社会にとって喜ぶべきか否かは、全く別問題である。 巻頭を飾る登場人物の写真つきの紹介が、素材となった人物や事実関係になじみのない読者の理解を大いに助けてくれ、編集の妙を感じたことを言い添えておく。 「書標」01.12号掲載) |
巻頭、カントやマルクスの超越論的且つ、移動を伴なった横断的な批判を「トランスクリティーク」と呼ぶ、と柄谷は宣言する。マルクスと「超越論的」、カントと「横断的」は、それぞれ一見ミスマッチに見えるが、決してそうではないことを、本書は丹念に論証していく。そして、その論証に成功した時、敢えて言えばカントとマルクスだけを(われわれにとってカント、マルクスという「固有名」は、それぞれのテクスト―本書の柄谷にとっては「純粋理性批判」と「資本論」―が「パブリック」に開かれている、その可能性を指している)取り上げた本書が、優れた「トランスクリティーク」として成立するのである。 即ち、「合理論」と「経験論」の「間」に立ったカント、「国家主義」と「アナーキズム」の「間」に立ったマルクスが、両項に果敢な戦いを挑む中で、表現としては消極的ながら働きとしては積極的な「超越論的統覚X」(同じ役割を、「資本論」においては例えば「貨幣」が担う)に到達することを喝破した時に、柄谷じしんも又、実に生産的な仕方で、カントとマルクスの「間」に立っているのだ。 位相が少し違うのは、柄谷が、カント、マルクスの両項を、敵とせず、むしろ「可能性の中心」でのみ語っていることだ。それは、柄谷とカント、マルクスの「トランスクリティーク」が見事に共振しているからとも言える。 ただひとつ危惧するのは、柄谷らの実践(「NAM」=本書ではごく控えめに語られる)において、現代の世界との間に、同質の共振関係を持てるか、ということである。 「書標」01.11号掲載) |
「アウシュヴィッツ以後は一篇の詩を書くことができない」とアドルノは言った。「アウシュヴィッツ」の悲惨さを表現するための修辞としては、その言表は秀逸である。ただし、「アウシュヴィッツ」以後、いかなる倫理、思想も無意味であるというニヒリズム(=ルサンチマン)に荷担する限りにおいては、あえて、アドルノの表現は拒否したい。そうした心情を、本書の著者とは、共有できる。「序言」において、著者が「新しい倫理の土地に取り組む未来の地図製作者にとって目印となるかもしれない杭をあちこちに打ち込むことさえできたら」と(余りにも控えめに)述べている中にも、「新しい倫理の土地」への確信を感じるからだ。 「アウシュヴィッツ」の(生きのびた)「証人」と「回教徒」(「アウシュヴィッツ」においてあらゆる希望を捨て『生ける屍』と化した人たちを指したスラングであり、現実のイスラム教徒を指示してはいない)とのアンヴィヴァレントな関係、即ち「生き残ったもの/抹殺されたもの」として区別されながら、なお「証人」が証言できるのは、「回教徒」についてのみであること、いわば、「回教徒」こそが(もはや決してもの言えぬ)「証人」であるというパラドクスが、「人間」や「言語」の仮構、即ち「非―人間」、「非―言語」とのせめぎあいの中でしか成立し得ないという、言ってしまえば「概念」的真実の、極めて見えやすい現象例であることを冷静にとらまえて、「倫理」の可能性が、改めて問い直される。 またしても「信じ難い」歴史的事件に「遭遇」した「現代人」にとって、「考える」ための材料である一書。 「書標」01.10号掲載) |
二分冊にすることによって、本書の性格を明らかにすることになったと「訳者あとがき」にある。前半部(訳書「1」)において、「文化」と「帝国主義」の類縁性を、主に植民地時代の文学作品の中に丁寧に読み解いていったサイードは、本訳書(「2」)において、二十世紀末期(「湾岸戦争」やユーゴスラビア情勢など)の情況にまで一気に駆け下りる。 しかしながら、そこに断層が生じている訳では、決して無い。むしろ数々の植民地の独立、そして独立後の情勢、そして所謂「植民地」「帝国主義」とは一見無関係を装うアメリカ合衆国の覇権主義、そのイスラム世界との確執、即ち20世紀後半の出来事すべてを論ずる際の武器として、前半部では文学作品の研究に使われた「対位法」が、極めて有力であることが、よくわかる。 自由・解放・独立という概念自体が、「帝国主義」による「植民地化」によって生じたものであり、独立運動、建国といった作業が、実は宗主国において教育された人物に担われたこと、或いはそのために、独立後の旧植民地に旧宗主国の階級構造が転移してしまったこと、一方で、植民地独立運動が旧宗主国の対抗文化にも飛び火していったこと、即ち世界とは、歴史とは、決して一方向的な因果関係、論理的支配関係に還元することは不可能なこと、そのことを明らかにするのに、サイードの「対位法」は、とてもうまく「はまる」気がするのだ。 そして、「帝国主義」の残滓(というには未だ余りに多いもの)に搦め取られないモデルとして、移民や亡命者が上げられているのが、示唆的である。 「書標」01.09号掲載) |
「なぜオウム真理教の信者たちは、地下鉄でサリンを撒かなければならなかったのか?」副題をより具体的に表現すると、こうなる。「地下鉄サリン事件」が起こって6年余、実は、この問いに対する明確な答えは、存在しない。 まさに事件に「連座」し、大学を追われた宗教学者島田裕巳の、3年を要したこの問いとの格闘の結晶が本書である。島田は、出版活動にも熱心だったオウムの出版物(原資料?)、早い時期のものも含めてのオウム批判書、事件後の様々な証言などを丹念に検証していく。500ページを超える大著になったのは、その結果であると同時に、オウム真理教の存在そのものが突きつける現代社会の問題、病理の深さ、複雑さにもよる。 ある修行者の事故死、それを隠蔽するための殺人。それを正当化するための教義や教団の変節、島田の丹念な検証の結果は、ヒステリックなマスコミや検察の糾弾より、リアリティを感じる。 でも、そのことの真偽以上に大切なことは、オウムを生み出してしまった現代社会を、その社会を生きる自らの問題として受け止めること。「オウム事件」が過去のものではないのは、いまだオウム真理教の「残党」があるからではなく、オウムの犯罪を触発してしまった社会構造の本質が、何ら変わっていないからだ。 本書でも言及されている村上春樹の『アンダーグラウンド』『約束された場所で』という仕事を読むにつけ、狂った集団の所業として風化させてもならず、司直に量刑の大小を委ねるだけではいけない理由がそこにある。 「書標」01.08号掲載) |
ヘッセの翻訳者にして、大政翼賛会文化部長、そして戦後はペンクラブ会長も務めた「文化人」高橋健二は、本書がテーマとし、また表題とする「文学部」の「病い」を、象徴的に体現する人物である。 但し、本書の意図は、高橋健二をはじめとする独文学者が、時代に盲従した、あるいは翻弄された悲劇を再認することではないし、ましてや高橋らの仕事を断罪することでもない。悪名高い大政翼賛会も、軍部への協力であると同時に、(特に参加者の主観の中では)抵抗でもあったのである。 著者が問題にするのは、「文学部」、「文学」、「軍部」、「旧制高校」、そして時代状況そのものの両義性が、すべて「男」の所産であることである。「志士の精神」と「教養主義と呼ばれる文学や哲学への志向」、「この一見対立するように思われる二つの傾向の共通点」は、「女性もしくは女性的なものの排除」なのだ。 そうした視座のもと、「ビルマの竪琴」が、ヘッセの「車輪の下」が、そして時代を下って中野孝次の自伝的小説が、鋭い批評の眼にさらされていく。 だとすれば、「文学部をめぐる病」とは、即ち「男であることの病」ではないのか。著者は、おそらく否定しはすまい。だが即座に、それを弾劾するつもりはまったくないと言い添えるだろう。 本書は(そうしたラベリングを恐らく著者は望まないだろうが)、非常にしたたかでアイロニカルな、そして何より建設的な「フェミニズム批評」のあり方を示していると思う。 「書標」01.07号掲載) |
「フェミニズム」とは、学問分野のひとつではない。もちろん、既存の学問分野のどれかの中の学説ではない。性差に基づく不当な社会的差別への弾劾にとどまるものとも思っていない。 何故か片方の性に独占された感のある思想的言説の堆積を、その「何故か」の解明も最重要課題としながら、一気にリセットするだけの潜勢力を持った、もう一つの性からの異議申立て、「世界」のあり方のオルターナティヴを、ラディカルに構築しうる言説だと受け止めている。 だから、ぼくにとっては、「フェミニズム的転回」とは、同語反復であり、「何を今更」という感は拭えない。勿論、これは、揶揄でも非難でもなくて、ましてや「転回」の可能性を否定するものではなく、ただ、今改めて「転回」宣言が必要なのだとしたら、それは何故かというもう一つの疑問、率直に言えば「フェミニズム」が、その潜勢力を未だに生かしきれていないのは何故か、という疑問が成立してしまうような気がする。 本書は、哲学、倫理学、美学、民俗学、歴史学の五つの論文からなる。最初にいった「フェミニズム」の本質からいって、学際的、クロスオーバーな構成は自然であるとも言えるが、ややもすると、実は散漫な寄せ集めに終わる危険も孕むのだが、本書においては、各章の間の、次の章の著者へのエール的な二ページのコラムが成功しており、襷の受け渡しがうまく行った駅伝を連想させる。 ただ、余りに見事な「襷の受け渡し」は、建設的な批判をも、本意でないかもしれないが結果的に拒絶する空間を構成してしまう危険がある。先の疑問とも通底しているところかもしれない。 「書標」01.06号掲載) |
写真家であり、批評家である港千尋は、書き手として二つの焦点を持っていると言っていい。そうした書き手から産み出される著作は、やはり美しい楕円として結晶する。アボリジニの神話世界から、写真や映像といった極めて近代的な環境への洞察、まさに「目の前に広がる風景のなかに、隠されている何かをみつけてゆく」「旅人」の著作に相応しい。それは、写真家が、「ニュートンとゲーテの世界観を橋渡しする」身体であるからかもしれない。 しかしながら、二つの焦点を持つ楕円が実は円筒を斜めに切ったものであるように、港千尋のモティーフも、本書第二章で取り上げられる「透かし」のように、底面の中心として、浮かび上がる。即ち、本書の豊穣な言説が、「見るという活動の能動性」、それを支える「記憶」のメカニズムの解明へと収斂されていくのだ。書名にも取られた「第三の眼」と題する第八章に至り、「盲人の視覚」といういわば言語矛盾的な事態を可能にした科学技術に言及される時、同時に、「視覚過程が脳内の情報処理である」ことを明らかにするとともに、すべてが、世界に帰属する身体を基盤として成立していることが明らかにされるのである。 「環境を認識することと、それを調整することが、身体を通じて培われなければならない。」、それが、「知識」と呼ばれるべきものだという見えざる底面の中心、それを読むものに感じさせ得た本書は、コンパクトでかつ中身の重厚さを期待させる体裁について、充分期待に答え得た、というべきであろう。( 「書標」01.05号掲載) |
人が材を得、材が人を得たな、と思う。 人が材を得た、というのは、所謂「京都学派」の哲学者達の思索が、時代的な制約、それ以上に後世の論者たちの思いなし(例えば戦争協力)を越えて、今日のカルチュラルスタディーズやポストコロニアルと同水位の(或いはそれ以上の、というのは、彼等は明治時代に「西洋」という異文化を受容したことを、今以上に明確に意識していたから)問題意識を持っていたことを、ひしひしと感じていたからである。 材が人を得たというのは、自身科学者を志し、挫折してからも科学哲学を出発点とし、それゆえ相対性理論や量子論に深い造詣を持っていて、数学の同時代的成果にも敏感だった田邊哲学を今語れる人は、「雪片曲線論」でのフラクタル理論紹介など、自然科学の最先端をも理解している中沢新一を措いて無いと思われるからである。 田邊の常套句を借りれば、「生者の思想は、彼が死んで後、別の生者のたましいにおいて復活をとげるときに、はじめて真実の生命を得る」ことを具現し、田邊哲学を「21世紀の哲学」とまで言い切ることに、中沢は成功していると思うのだ。 巨人西田幾多郎に、大いなる尊敬の念を表しながら、田邊のある種の仮想敵という役回りを振っている構成も、快適なテンポと豊潤なエピソードと相俟って、本書を読むものに、よくできたアクション映画を見た時と同様の心地よさを与えてくれている。 「書標」01.04号掲載) |
「文学者」を「つくる」ものは、二つある。一つは、あらゆる言説が逃れられない時代のイデオロギー(作家自身も無意識のうちに共有してしまっているそれによる評価)であり、もう一つは、メデイア、即ち出版業界の有様そのものである。 二つの焦点を持つきれいな楕円のように本書は構成されているが、前者は主に前半部において、夏目漱石、志賀直哉や、近松秋江、江馬修、正宗白鳥等の作家への評価の浮沈を具体例として、詳説される。漱石の今日的な評価でさえ、昭和10年に始まった「漱石全集」の刊行後に漸く定着したという事実には、新鮮な驚きを覚えた。 作家もまた生活者である以上、「働き口」である出版メディアの興亡に影響されざるを得ない。その出版メディアの興亡は、日本経済の興亡に左右される。元々が清貧に甘んじることを潔しとした(というよりそれしかなかった)作家が、大正後期の出版好況にあっては「文学成金」なる言葉も生まれるほど環境の好条件を得る(「出版は不況に強い」という「定説」が生まれたのもこの頃だ)が、すぐに時差を経て世界的な不況の煽りで出版界が窮状に陥った時には、元の木阿弥で渋る出版社へ原稿の売り込みに日参せざるをえない状況に陥る。本書の後半部分でそうした状況を詳らかに教えられると、例えば石川啄木の「時機の不運」を嘆く言説が非常にリアルに感じられる。 また、読書の大衆化を促したとされる「円本ブーム」も、その実、単行本や雑誌の発行を圧迫し、出版社経営の困難を結果した。そのことも、昨今相変わらず何年か毎に「文庫戦争」を繰り返す出版業界には、参考を促したい。 「書標」01.03号掲載) |
二つの書き下ろしに挟まれた雑誌既出の諸論考の堆積が、著者のヴェイユへの思いを滲み出している。そのことが正当であるのは、著者がまさに寄り添うように、情熱を持って読者に語り伝えるヴェイユ思想の正当性と魅力に懸かってくる。 全ての思想が「時代の申し子」である以上、ヴェイユがその短い生涯を過ごした同時代の巨獣、アドルフ・ヒトラーとの、さらにはヒトラーの存在・台頭を許したヨーロッパ世界との対決がその主要なモチーフであったことは、思想として成立することの第一の条件であろう。但し、ヴェイユが、ヒトラーを単なる世界史上の「鬼子」として排撃しただけではなく、その世界制覇の野望が、ローマ帝国の末裔であり、自国フランスの歴史(カタリ派撲滅やナポレオン)にも同種のものを冷静に見て取ったこと、つまりはヨーロッパ史に「普遍的」(カトリック=狭義の意味とは違う)なものと看取し、「咎められるべきは、ローマがキリスト教を国教化してキリスト教の霊感の純粋さをそこなったこと」と言い切るのに触れたとき、その思想としての正当性が確立されたと感じ取れる。 プラトンを敬愛し、ギリシアやインドの文化を、イスラエル以上にヨーロッパ・キリスト教文化に親しいものと接していく姿勢、そこにヴェイユの真骨頂がある。「思想」としての正当性の源泉もそこにある、と思われる。一方で「時代の子」であることを越え、時代を縦断しなければ、「思想」であり得ないからだ。 「書標」01.02号掲載) |
たとえば、ヘーゲルが追い求めた「絶対的自由」が、正にそれを理念としたフランス革命において「恐怖政治」に、すなわち人間の首を「キャベツのように切り落とす」ようにあっさりと切り落とす所業を結実したように。また、「帝国」が、本質的に他の諸国の存在とその諸国による承認を必要とする一方、それらの諸国の殲滅を必要とするように。女と男の性差が、実は男の側の「労働」の論理の中で不可欠なものとして要請されているだけのものであるように。 そうした矛盾や欺瞞は、西洋世界の本道が、「精神」と「身体」あるいは「自然」を切り離した結果であるかもしれない。その本道の権化たるヘーゲルに対して、一方ではスピノザ的反撃がありうる。スピノザにおいては、「精神」も「身体」=「物体」も「実体」=「神」の様態であり、「精神」の優位は、無い。 一方で、ヘーゲルの「物語」を歴史的に完結したものと認め、ポスト・ヘーゲル的な世界のありようを、例えば、ヨーロッパの人間主義が破綻した場面から折り返して走るアメリカに見て取る道もある。フランシス・フクヤマによれば近世日本にだったりもする。 それは、「死ぬまでは生きている」という呆然とするほどに単純な要請に基づくものとも言え、「家事」を決して補完的な作業と見ない姿勢とも言える。 そこまで来れば、「諦観」という言葉もむしろ積極的な意味合いで使えるかもしれない。現代フランス思想の第一人者であり、本書においても広く芸術にも言及する著者としては、不本意かもしれないが。 「書標」01.01号掲載) |