『カルチャー・レヴュー』65号



■連載「文学のはざま2」番外編■


韓国旅行のなかであれこれ考えてみた文学随想

村田 豪



 夏休みを利用して、先日、韓国その首都ソウルに旅行した。

 せっかくの機会なので、わたしは、旅行にでるまえから事前に何か「韓国文学」を読んで、韓国文化への理解のたしに、またそれが旅の情緒のいろどりになるか、などと考えていた。そしてこの「文学のはざま」の題材として、今回は「韓国文学」を対象にするのがちょうどいいだろう、ともくろんでいたのだった……。

 が、しかしいくつかの理由によりそんな準備が十分にはたせなかった。それで、いつもの「文学批評」みたいなには仕上げられそうになく、ちゃんとしたものを書くのはあきらめなくてはならない。ということで、今回は「番外編」として、韓国旅行の印象をまじえながら、恐縮ではあるが、ゆるくぬるい「文学エッセイ」みたいなものでお茶をにごしたいと思う。

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 七月に朝鮮半島に大雨をふらせ、とくに今年、北朝鮮ではおおきな洪水の被害をもたらした半島の梅雨がようやくあけると、一転、八月の韓国はかんかん照りになっていた。日本よりも緯度が高く湿度も低めなので、韓国の夏は相対的にすごしやすいときいていたが、実際にソウルに入ってみると、この時期、日本での厳しい暑さとほとんど変わらないことに気づく。実はこのソウルでの強い日差しにやられて、帰国後、熱中症もどきの熱病をわずらった。いいわけになるが、それで一週間も寝こんで、原稿を書くのに必要な本がまったく読めなかったのだ。

 それはさておき、宿泊のために到着したホテルは、三流の安ホテルだった。ミョンドン(明洞)やインサドン(仁寺洞)といった繁華街から、徒歩10分から15分ほどの少し離れた場所に位置しているのはわかっていたが、実際行ってみると、なんとまわりは電気工具・工事用具・機械部品・資材などをあつかう商店が百数十軒とのきをつらねる界隈だった。なんとなく道路も油にまみれたような感じで、お世辞にも居心地よい場所ではなかった。

 つづいてホテルにチェックインしてみると、今度はドアの鍵がなかなか開かなかったり、トイレの水が流れにくかったり、シャワーのホースが寸足らずで壁のフックに届かなかったり、何かと細かな不便にであうのだった。しかしそういうことは、旅行では、まあ珍しいことでもないだろう。それよりもわたしには、ひとつ気に入ったことがあった。それは、国家的プロジェクトとして復元されたチョンゲチョン(清渓川)が、ホテルの真ん前にあったことだ(残念ながら部屋は反対側で、窓から川を眺める幸運までは恵まれなかったが)。

 チョンゲチョン(清渓川)は、ソウルのチョンノ(鐘路)などの中心地つらぬくように東西数キロにわたって流れる川だ。都市河川として古くからさまざまに活用されていたが、1960年代に都市交通整備のために、完全に蓋をして上に道路がつくられ、ずっと暗渠になっていた。それを2000年代になってソウル景観改善のシンボルにしようと、高架道路もろとも取りのぞく大々的な復元工事がおこなわれ、昨年2005年にようやく新しい姿でお披露目されたのだ。川の脇には現代的な遊歩道がもうけられ、すでに新しいソウルの名所と化している。

 ところで、元のチョンゲチョンは、どんなものだったのだろうか。たとえばパク・テウォン(朴泰遠:1909〜86)の小説『川辺の風景』(1938年)では、日帝植民地支配下の1930年代のソウル(当時は京城)の庶民には欠くことのできない生活空間として、チョンゲチョンとその「川辺の風景」は生き生きと描かれている。そこでは、女たち(オモニ、オンマ)が集まって、やかましいぐらいのおしゃべりをまじえながら洗濯をするのが日常だった。ある時期から川床を仕切る業者が入りこみ、洗濯場をもうけて使用料をとるようになっていたという。

 小説では、また、定職もなくぶらぶらしている若い衆が、川原で賭け双六に熱中していたり、町の人士が川近くのカフェーで府会議員選挙のための接待をしたり、小僧が店の主人のお使いをはたすべく橋を駆け渡り、キーセン(妓生)が人力車にゆられ通り過ぎていく、そんなさまが描かれている。去年翻訳出版された『川辺の風景』(作品社)には、小説よりはるか以前1890年代ののどかな洗濯風景の写真や、まさに1930年代の女たちが競い合って洗濯するような写真も掲載されていて、日帝強占下での朝鮮民衆の生活の一端がうかがわれる。

 さて復元されたその川を、ホテルをでて実際に見にいくのだが、しかし、というか当然というか、昔の洗濯風景まで再現されているわけではない。現代の都市環境学的な配慮があちこちにほどこされ、「市民の憩いの場」というにふさわしい遊歩道では、親子連れや中高生たち、カップルらが、猛烈な暑さをしのぐのにうってつけといわんばかりに川べりに座り込み、川面をながめ、また時には大胆に水遊びをしている。部外者である観光客のわたしからは、みんな一様に楽しげで、自分の家の庭みたいにくつろいでいるように見えた。

 あとで、市内観光ツアーで引率してくれたガイドのイさん(下の名前を忘れた)に、かつての「洗濯場」のことを尋ねると、知識としては当然知っているようだった。しかし必ずしもそういう感慨が必要とされているのではなさそうだった。むしろ愛すべきソウルの景観を取り戻す国民的事業として、いかに工事が大規模で(川の水はわざわざ地下水道をつくって漢江から引き入れている)、いかに金がかかったのか(日本円で確か何百億だったとか)、という話題のほうが熱をおびるのだった。

 現在のチョンゲチョンを見て「復元したというには、すこし小綺麗すぎるのでは?」というような感想など、かつて植民地支配した国の末裔である日本国民のわたしが、口にする必要もないことであって、そんな手前勝手な「歴史意識」をいだくのは、それこそ一種の「日帝臣民のメンタリティ」に他ならないのかもしれず、だから観光客らしくおとなしく、整備された川辺で記念写真をとってもらったりしたのだった。

 でも気づくとやはり、わたしの関心はそういうことをめぐってしまう。日韓併合の直前にソウルに生まれた『川辺の風景』の作者パク・テウォンは、1930年代に日本留学し、プロレタリア文学・新感覚派などが隆盛をきわめた東京文壇の影響を強く受けて、文体や表現技巧における実験的な作品を試み、当時の朝鮮文学の水準を高めたといわれるモダニズム文学団体「九人会」にも名を連ねた。庶民生活を的確なリアリズムでとらえた『川辺の風景』は、その後の作品で、わたしはその一作しか読んでいないのだが、作家の創作傾向の変化をイメージすると、なんとなく横光利一を連想したのだった。

 しかし、日本敗戦による1945年の解放後、パク・テウォンは左翼系の「朝鮮文学同盟」に参加、さらに朝鮮戦争中に北へ渡り、そこで日清戦争のきっかけとなった「甲午農民戦争」(日本では「東学党の乱」といわれてきた)を題材にした歴史小説『甲午農民戦争』(1977〜86)を書いている。つまり彼は「共和国の作家」としても活躍したわけだから、日中戦争・太平洋戦争を通じて戦争協力者になり、戦後まもなく死んでしまった横光などとは、較べるべくもないかもしれない。

 ところでわたしが本稿で、いつものような文学批評的な作業をなしえなかった理由には、体調をくずしたため準備の時間が足りなかったというだけでない別のものがあることを、言っておきたい。実は、安易に「韓国文学」について何か書こうか、など考えたこと自体が、あまりに浅はかだったからだ。どうしてかというと、「韓国文学」などというものが自明にあるわけでないことは、たった一人の作家、たとえばパク・テウォンを見るだけでも気づかざるをえないだろう。

 つまり、日本による植民地支配のため、民族的主体を奪われたかたちで近代化・西洋化を経験しなければならず、解放後は、東西対立の最前線として過酷にも国民国家の分断を引き受けなければならなかった民族が、総体としての自分たちの「韓国(朝鮮)文学」を見通すのは、容易ではなかったし、今なおそうであろう。

 「韓国における近現代文学の脈絡と成果を世界文学的な視野で鳥瞰する代表的論考・評論」を収めた『韓国の近現代文学』李光鍋編(法政大学出版局)を読んでも、それがよくわかる。そこで複数の論者が問題にするのは、「韓国(朝鮮)の文学史は可能か?」という問いであり、より実質的には、西洋や日本の近代文学モデルを通じてなされる「文学史」がはたして、民族にとってもふさわしい普遍的なものなのか、それが相変わらず韓国(朝鮮)文学を「周辺的」なものとして押しとどめることにしかならないとしたら、そんなこれまでの「文学」通念を突破する実践こそが要請されるのではないか、という非常に根源的な問いかけなのだ。

 こんな真摯な問いかけがあるのに、日本の近代文学を無意識に前提してしまう頭で近づいていって、韓国(朝鮮)の文学作品に接してそれを単に「韓国文学」とみなすのは、あまりにお粗末だろう。むしろ、「日本文学」といわれているものの偏りと狭隘さに気づくべきなのかもしれない。と、旅行中そんなことをもやもやと考えていた。

 たとえば、日帝時代において日本語で作品を残している朝鮮人作家もいる。とくに1940年代の朝鮮語排斥政策あるいは創氏改名などの弾圧によって、「内鮮一体」を唱えさせられ、戦争協力に駆り立てられた一群の「親日文学」は、韓国・北朝鮮においてともに激しい批判対象であるはずだが、朝鮮近代文学の第一人者であり、民族独立運動にもかかわったイ・グァンス(李光洙:1892〜1950)もそのうちの一人である。彼は「香山光郎」という名で創氏改名を率先しておこない、朝鮮人学徒動員のための演説もおこなったという。

 確かにちらっと見ただけでも「親日派」としてのイ・グァンスの文章は、読むに堪えない。しかし『アジア理解度講座1996年度第3期「韓国文学を味わう」報告書』で朝鮮文学研究者の三枝壽勝は、イ・グァンスの代表作『無情』(1917年)などを論じて、パンソリ「チュニャンジョン(春香伝)」の悲運物語の伝統と民族の将来を展望させる啓蒙性をそこに読みとり、のちの日帝協力といえる日本語の小説も、作家の精神の遍歴を通じて見れば、もっとさまざまに解釈できる可能性があるのでは、と説いている。それはそれでわたしも理解できるように思う。

 ただ、イ・グァンスの作品をわたしはちゃんと読んでいないので、ここでこの作家についての評価を論じることはできないし、そのことはおいておこう。それよりも、わたしが言いたいのは、このような作家達を「日帝文学」のなかにおくならば、それを包含する(あるいはそれから連続する)「日本文学」だって、どれほどの明瞭な輪郭と境界をもっているといえるのか、ということだ。とくに他民族に皇民化と日帝協力を強要させる、日本人民のいびつな精神の証拠として、それらは「日本文学」に属すだろう。しかし一般にはそういうことは、ほとんど問題にされていないように思える。

 すこしまた違う面を考えても、われわれ日本人が韓国朝鮮文学に接近するのは、簡単ではない。とくに韓国朝鮮において近代文学のための言語上の実践が、黎明期からハングル(北では「朝鮮文字」とよぶ)にもとづいてなされていた、という問題がわたしには非常に興味深く、そして同時にこの問題がよびこむ射程の、あまりの広がりと複雑さにおじけづいてしまうのである。とてもわたしには理解しきれないだろう、と。しかし、韓国朝鮮語のあらゆる領域においてハングル使用が全面化していく近代から現代までの展開を、実は、文学こそが牽引していたと見なせる事実に、またわたしは不思議な興奮をおぼえる。

 再び、先述した三枝壽勝の『韓国文学を味わう』によると、朝鮮での近代小説の嚆矢ともいえるイ・インジク(李人稙)『血の涙』(1906年)は、新聞連載時には、日本語文章のようなスタイル「漢字ハングルまじり」で書かれていた(すでに新聞紙面のほうでは漢字のあいだにハングルで助詞を補う文体が確立していた)。ところが翌年にこの小説が単行本化されたときには、漢字のないすべてハングルのスタイルに書きあらためられていたという。

 本にしたときに総ハングルになったこと自体は、三枝の解説によれば、もともと近代以前の民話や説話のたぐいの物語が、ハングルで書かれていたため、その伝統的な感性にもとづいて、小説を本来的な形に戻したのだろう、と推測している。そして「漢字ハングルまじり」という文体が新聞紙面などで一般化していながら、その後もほとんどすべての小説や詩は、ハングルで書かれることになったのだ。

 それに較べて、新聞や公共の刊行物が総ハングルになったのは、韓国ではずっと後の1970年代以降のようである。一方、北朝鮮ではどうやら早くから「漢字廃止」が徹底された。韓国でも解放後すぐにハングルに徹することは、国家政策として決められていたのだが、すぐにはそうならなかったようだ。ひょっとすると、韓国において漢字使用が新聞などを中心に温存されたのは、親日資本家層が解放後も新聞社などをを牛耳っていたことと関係があるかもしれない。しかしよくわからない。

 そういったところの問題は、大村益夫『朝鮮近代文学と日本』所収の「ハングル専用問題おぼえがき−韓国の漢字政策」が少々詳しい。面白いとおもったのは、1968年にパク・チョンヒ(朴正熙)大統領政権が、1970年までに公文書・一般刊行物・教育において漢字の使用を完全廃止する計画を打ちだしたとき、その是非をめぐっては、言論界・教育界・文芸界・学会を巻き込んで反対が結構となえられたたらしい。しかしその半分くらいは、独裁政権による一方的な強制にたいしての反発であったようで、現在ではこのハングル路線が韓国でもごく当たり前のように定着している。

 さて唐突かもしれないが、わたしは日本語文における「漢字表記廃止論者」である。以前にこのことにかんする簡単な考察を「文学のはざま」第4回「漢字なんてなくてもいいんではないでしょうかという話」で書いたので、詳しくはそちらを参照してほしい。しかしながら、本稿を見てもらってもわかるように依然として「漢字依存」の文章を書いているのだから、その主張はまったく観念的なレベルにとどまっていると言われても仕方がない。だからいっそうわたしには、ハングルによる「文」の実現は、まずなりより驚異的にみえるのだ。

 そして旅行中ささやかながら、そんなわたしの心を強くうつことがあった。何かというと、ソウル市内観光中にバスなどの乗り物に乗っていて、街の風景を眺めているとき、特にすることもないので、看板や標識、ネオンサインのハングル文字を、逐一声に出して読んでいたのだ。ハングルの読み方はひと通りできるが、文字をパッと見ても単語の意味や何が書いているのかわかかるまでには到っていない程度の初学者なので、これは音にするだけの遊びだった。

 ところがこの遊びをつづけていると、目で見てわからなかった言葉が、口にしてみて、その音が自分の耳に届いた後に、予想に反して、ふと何を意味するのかわかることがあったのだ。

 「…クァン、…ファ、…ムン? ああ! クァンファムン(光化門)!」(朝鮮時代の王宮「キョンボックン(景福宮)」の正門)
 「なに? …パク、ムル、グァン? パクムルグァン(博物館)か!」(本当の発音は連音化して「パンムルグァン」)
 「今度は、…コ、…ス、…メ、…ティク、コスメティック!?」(外来語もハングルで書かれている)

 音が結ばれて意味が立ち上がる過程に、これほどのタイムラグが生じることは、自国の言語ではなかなかおこらない(そもそも音声と意味が同時に生成するというのが、「言語」の定義だろう)から、この経験は新鮮だった。もちろん表意性の強い文字を使い慣らし、「文字形態→意味→音声」というプロセスさえ許している(たとえば「川」を見れば「カワ」と発音する前にもう何らかの了解が生じる)わたしたちにとって、「音声優先」の「文字言語」世界は、どうしても異質である。アルファベットに較べてもその形態的要素がはるかに抽象的で、「音こそ意味」というような文字なのだから。でも上記のようなことがあってみると、「同じことは日本語でも可能なのではないか」そんな気がしてくるのだった。

 これは何も、韓国朝鮮語に、自分の信じる「日本語漢字廃止問題」の主張に荷担してもらおうといのではない。そうではなく、日本語ではおそらくなされなかったし、今後もなされる予定のない革命、このハングルという文字を通して遂行された韓国朝鮮での言語革命と文学運動が、どんなものとして実現されたのか、日本語にどっぷり浸かっているわたしにも、垣間見ることができるのかもしれない、と直感したのである。

 それに関連して、ひとつ「さもありなん」と思ったのは、前掲した『韓国の近現代文学』所収の「ハングル世代とハングル文化」でキム・ビョンイク(金炳翼)が書いていることだ。それによると、ハングルによるまともな教育を年少のはじめから受けることができた解放後の「ハングル世代」とその前の世代とでは、思考原理のようなものが決定的に違うというのだ。それはハングルが、日帝文化でもない、古い支配階層のヤンバン(両班)文化でもない、韓国朝鮮固有の土俗世界に根ざす文字だからであり、そんなハングルによってあらゆる人間的・知的活動を満たせることができるようになったことが、韓国(朝鮮)の「文化史において初めて土俗的な韓国語と思弁的な韓国語の弁証法的な統合」をもたらすことになった。

 そして、1960年の四・一九革命で独裁的なイ・スンマン(李承晩)大統領を失脚させ、短命ながら憲政秩序を打ち立てるのに成功したのは、他ならぬその「ハングル第一世代」の台頭においてであったこと、そして、クーデターで揺り戻されても、その後も文化的・政治的領域でたゆまず進められた言語的変革の蓄積が、のちの80年代の民主主義的運動につながったのだと、キム・ビョンイクは強調している。

 そんなこんなで「ハングルとは何か」をもっと知るための資料をわたしは欲していた。日本語による文献も旅行前に探してみたが、本自体ほとんどなく、めぼしいものは見つからなかった。それで旅行中のある夕方、ソウルでもっとも大きな書店「キョボムンゴ(教保文庫)」に立ち寄ったのだ。日本でいえばちょうど紀伊國屋書店という感じで、老若男女たくさんのお客でごった返していて、非常に盛況だった。

 それにしても書店だけあって、あたりを見回して目に飛び込んでくるのは、街なか以上にハングルだらけだった。こんな大書店でひとつひとつの文字をたどりながら、専門書の中でも狭いジャンルにあるのだろう目当ての本を見つけだすのは、わたしの能力では至難のわざに思えた。仕方なくきわめてつたない韓国語で店員に尋ねると、ややぶっきらぼうながらきちんと「国語学」の棚に案内してくれた(おそらく「ちゃんとしゃべれない日本人のアンタに読めるのかよ?」と思われたような気がする)。その棚の中から手頃な薄さの本で『ハングルの歴史と未来』と題された一冊を見つけることが出来たので、それを購入した。全部読めるとは、まったく過信していないが、わたしの「漢字廃止論」の信念と熱意が本物なら、きっと有益な本となってくれるだろう。

 それとはまた別に文芸書も一冊購入した。キム・ジンミョン(金辰明)の『ファンテジャビ・ナプチサゴン(皇太子妃拉致事件)』(2001年)である。旅行前に調べていたのだが、これは「日本による朝鮮侵略のひとつのきっかけとなった、1985年の日本公使らによる王妃ミンビ(閔妃)暗殺事件の真相を明らかにする目的で、韓国人留学生が現日本国皇室皇太子妃の雅子氏を拉致し、日本政府に事件当時の公文書開示を要求するが、日本の警察によって射殺され犯行は失敗、しかし無事に救出された雅子氏が、犯人留学生の動機に動かされて「正しい歴史観」に目覚め、自ら公文書を確認しユネスコに訴え、日本国の暴虐と隠蔽の歴史を世界に暴くことになる……」というまことに面白そうなストーリーの小説なのだ。

 ただしこんな話を思いつくということは、作者には、天皇一家になにか日本人民の蒙をひらかせることができる力があるのでは、というような期待があるのかもしれない。しかし実際には、皇室が日本人民に何らかの影響をもたらすのは、反動の方向以外ありえないから、これはとんだ思い違いだろう。だからもちろんこんな結末はファンタジーである。

 ただし、島田雅彦『美しい魂』が示したプリンセス悲恋小説的なおためごかしの想像力にたいしてなら、これは十分な皮肉になるだろう。つまり“雅子氏の「お心の病」が伝えられているが、それは単に「ご公務」のストレスが原因であるのではなく、ましてや「禁じられた恋」のための苦しみなどではあろうはずもない。実は多くの日本人と同様「歴史意識の欠如」こそが、「お心」をむしばむことになる本当の原因なのではないのか。忘却を症状とするこの「ご病気」はなかなかやっかいだから、小説に描かれた出来事のような少々の荒療治を必要とするだろう。けれど「歴史意識」に目覚めるとき、雅子氏の「ご憂鬱」はずいぶんと晴れて「お元気」になられるのではなかろうか”というような具合にだ。作家の想像力は、これぐらいであらねばならないかもしれない。

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 以上のように、今回の旅行は、個々にはいろいろと興味深いこと、有益なことに出会えた。しかし全体としては、韓国朝鮮の文学や歴史、あるいは実際に生きている人々や現にある社会について、理解が深まったというよりは、むしろ理解するのは途方もない、という印象のほうが強くなった。それは先に文学にかんして述べたとおりだ。

 まったく精算されていないいわゆる「歴史問題」はもちろん、それよりも確かなものに見える文学、民族、言語というものについても、やはり問い直されるべきことは数多いだろう。なのにそんな既存の観念を再考にむかわせるための、小さなひらめきや、認識の部分的な更新は、あるといえどもまだ散発的であったり偶発的であったりだ。くわえて決定的にわたしは勉強不足であり、何ひとつとしてトータルにはまったく消化されていないままである。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。サラリーマン。「腹ぺこ塾」塾生。

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■連載「映画館の日々」番外編■


フェミニズム、科学、身体性
――f事件を散歩する(1)

鈴木 薫



  おや、タイトルつけましたね。

  三題ばなし。

  で、コンセプトは?

  適当に……。

  だいたい、お散歩ってなんですのん?

  それは出発してみないとわかりません。
   でも、お題があるとなんとなく、それに沿ってイケそうな気しなくない?

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  勝手ながら今月はまたしても〈番外編〉ということで、Iさんを迎えての対談形式にさせていただきました。先月も〈番外〉でしたし、看板を出している以上、本当は映画についても書きたかったのですが、拙ブログ【ロワジール館別館】をお読みいただいている方は先[せん]からご承知のように、先ごろウェブ上でちょっとした事件がありまして……。

  いきさつをご存じない方は、お手数ですが、「ロワジール館別館」の8月1日と4日のエントリーおよびそこに付いているコメントをごらん下さい。あと、8月28日には「f事件検証――予備的考察」と題して二人でちょっとしゃべっていますので、それも参照していただけると幸いです。

  ひとことで言えば、farceur(以下f)なる人物がうちのサイトに攻撃的な書き込みをしてきたんです。それをネタにIちゃんと少々話してみたいと思います。

  なんか、いきなり、「フェミニスト」呼ばわりされちゃったんですよね、Sさん。(苦笑)。

  個人的にはこの言葉はニュートラルに感じられるんで、そう呼ばれることは全然かまわないんです。数ある属性のうち、特に重要というわけではない一つというくらい。ただ、「私はフェミニストではない」というセリフだけは口にすべきではないと思っています。
 ところが、そいつの、じゃなかったその方の、想定、じゃなかった妄想する、「フェミニスト」の内実がすごいんですよね。

  ひとつコピペしてお目にかけませう。

《さて、率直に申し上げて、「女性のうつ」問題で元記事作者を擁護していた人はいずれも「批判にきちんと答えていた」などと言うばかりで、私その他の批判には無視を決め込んでいますが、どういうご了見でしょうか? フェミニズムというのは無謬の真理なのでしょうか?あなた方の陣営を防衛するためにはそれでいいのかも知れない。しかしそれでは賛同者を増やすことなど絶対にできませんよ。現に私はフェミニズムに対してこの一件で好意的な見方を覆され、非常に印象が悪くなりました。》

  前半については、「元記事作者」chidarinnさんにすでに論破されていることさえ理解できないf氏が、私に無視されたと思い込んで感情的になっているということで話は終っています(「予備的考察」参照)。つけ加えるなら、chidarinnさんに対して行われた不当な攻撃については、x0000000000さんの次のようなコメントが妥当と思われます。

《よく読めば分かるでしょうが、chidarinnさんは「すべてのうつの問題はジェンダー問題である」なんてことは主張なさっていません。むしろ、生物学的だとみなされ、それに簡単に還元されてしまう医療主義に警告を発しながら、社会的・政治的文脈を浮き彫りにされている作業だと僕には感じます。そしてそれは決して「医療なんて意味がない」というのも違うはずなのです。》【嗚呼女子大生活】「女性の静かな抵抗―うつを政治的に読み替える―」コメント欄より。chidarinnさんが「批判にきちんと答えて」いる「コメントへの返答」も参照のこと。)

 元うつ病者だというf氏は同じコメント欄に書き込んでいるんですが、にもかかわらず、「すべてのうつの問題はジェンダー問題である」という、chidarinnさんが言ってもいない(つまり彼が自分で言い出した)命題に固執、彼女を、そしてうちにまで来て私を、非難しています。うつの話については後ほど考察する予定ですので、今はコメント後半に見られる特徴だけを指摘しておきましょう。「フェミニスト」に助言しているみたいなんですが、「この一件で」消える程度の「好意」しかフェミニズムに持っていない人にしては、ずいぶんとまた恩着せがましい書きぶりです。

 後半については、「あなたに戦略上のアドバイスをもらうほどフェミニズムは落ちぶれちゃいません!」と言ってやればおしまいですよ。

  (微笑)Iちゃんは、今、macska さんのサイト【macska dot org】の、「コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑」という記事から引用したんですね。

《フェミニズムにコミットすらしていない――従って、フェミニズムが失敗して潰れようがなんとも思わない――男性が生半可以下の知識を元に「助言」を寄せてきても、懐疑の目で見られるのは当たり前だ。(中略)マトモに取り合う価値のない発言をマトモな発言であるかのように扱うことは、相手を増長させるし、それ自体フェミニズムにとって後退。だからこそ、わたしはわざと Masao 氏の「助言」を「あなたに助言されるいわれはない」と撥ね除けたのだ。そうすることで、フェミニズムにコミットすらしていない男性が好き勝手にフェミニズムの戦略をあれこれ指図しても良いのだという傲慢さに楔を打ち込むのがわたしの狙い。》

 f氏のコメントを見たとき、この傲慢さは何? と思いましたが、macska さんの上の文章で、ああ、こういうことなのか、f氏のもの言いはフェミニズム・バッシャーとしての一般的な特徴を示しているのかと納得しました。

 もう一つ例行きます――。

《「鬱病」を「抵抗」と「読み替える」解釈は、社会の側に立たなければ成り立ち得ません。社会が進もうとする方向に対して反対方向の力が働いた、従ってこれを「抵抗」と呼ぶ。これは飽くまで「社会」を主体としてみている見方なのです。そこには、病者個別の人格や事情は全て、「フェミニズム」というドグマの大前提の元に捨象されているのです。フェミニズムというのは誰もに受け容れられるべき a priori な前提などでは決してあり得ません。その意味で例えば「女性の鬱は抵抗」という言い方は、非フェミニストの鬱病者や、女性でない鬱病者などの思想の自由を侵害しているとさえ言えます。》

  こうなるともう、最初から最後までナンセンス以外の何ものでもありません。文章の形式だけあって中身はない。

  「社会が進もうとする方向に対して反対方向の力が働いた、従ってこれを「抵抗」と呼ぶ」なんなんでしょうね、これ。

  「社会が進もうとする方向」――こう書きながら、彼の頭には具体的に何があったのか。この空疎な作文に耐えられるというのはある意味スゴイ。

  抵抗って、権力のあるところにはどこでも起こってくるわけですよね。

  フー公さんですね(微笑)。参考文献持ってきてくれたんですよね、Iちゃん。

  はい。読みますね。「フーコーは彼の全著作を通じて、権力はつねに不服従の可能性を持つなにか、あるいはだれかに対する[対するに傍点]権力であるとして、抵抗の可能性を強調しつづけた」[キャサリン・ベルジー『ポスト構造主義』岩波書店]

  「病者個別の人格や事情は全て、「フェミニズム」というドグマの大前提の元に捨象されているのです」と言いたいがために、論理もどきを組み立てたんですね、このヒトは。そのためには、「抵抗」がフーコーの言うような、個別的、局地的なものであってはならなかったわけです。

  「これは飽くまで「社会」を主体としてみている見方なのです」って、アレですか、社会主義革命が歴史的必然、みたいな時代の亡霊ですかね。

  すごいアナクロニズムを感じます。フェミニズムを何がなんでもイデオロギーを強制するものだと決めつけたいんですね。だいたい、イズムって「主義」じゃないのに。レズビアニズムは「レズビアン主義」じゃないぞ!

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  Sさん、8月1日の記事で、女性性の規範に抵抗したから病気になったと中傷された人々の例として、お友だちと叔母さまを挙げられてますね。私、ゆうべ、私たちの、『オニババ化する女たち』批判(「カルチャー・レヴュー」43号44号)を読みかえしていて、Sさんが最後に次のような発言をしていたのを見つけました。

《自らの女性性を無視したために病気になったとは、精神疾患にせよ、子宮や卵巣や乳房といった女性特有とされる部分の病いにせよ、これまで多くの女たちに、それもしばしば医療従事者によって、不当にも向けられてきた言説です。『オニババ』を賞賛したい人はすればよいが、そのときは自分がこうした中傷に手を貸しているという自覚を忘れないでいただきたい。》

  このときもSさんの頭には、亡くなった叔母さまやお友だちのことがあったんですね。

  そうですね。それから、『女らしさの病い―臨床精神医学と女性論』(斎藤 学、波田 あい子 誠信書房).という、すでに古典的になっているかと思われる本のことも思い出していました。これまでにもいくらでもあったことなんですよね、昨日生まれたボクちゃんは知らないとしても。
そうそう、出たばかりの『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』(双風舎)で、斉藤環が、こうした女性の身体性を称揚するやり口が新しいものではないことを示しつつ、オニババの人とそれを持ち上げる内田樹を批判してますね。二年前、私たちはここのスペース二回分使って『オニババ化する女たち』を批判しましたが、『バックラッシュ!』をぱらぱら見ていたら、ある論文の註釈の中に引用されていたこんな文章が目にとまりました。

《女性として生まれてきたことに由来する「女性としての性を生きたい」という“からだの意志”を無視していると、あちこちに弊害が出るのに、その力を使わずにいると、多くのエネルギーが行き場を失ってしまう。》

  何? これって、オニババ本そのものじゃ……ない? 

  誰の言葉か当ててください。絶対当たらないから。

  え―。誰でしょう!

  八木秀次。

  へっ! ヤギ、絶対オニババ本読んでるよ。いつの間にオニババと通じてたのか。

  違う、違う。オニババ本を書いてる人は経産婦で、オニババじゃないって。
 それにしても、今や公然とジェンダーフリーならぬ男女平等に反対を言うわけにもいかないバックラッシャーにとって、女の身体性はずいぶん利用価値のあるもののようですねえ。ついでにいうと、上記引用文の「女性性」は母性と読みかえて下さい。
 引用しているのは瀬口典子さんという生物人類学研究者で、論文のタイトルは「『科学的』保守派言説を斬る!」。つまり、八木氏の言葉は、「科学的」(=トンデモ)保守派言説の一例として引かれています。

I   瀬口さんはアメリカ在住なんですね。オニババ本なんてわざわざ取り寄せて読まないでしょうから、この発言と[『オニババ化する女たち』の著者]三砂ちづるの類似なんて、たぶんご存じないでしょうね。

  斉藤環は、私たちがおととしの対談で「猫撫で声のイデオローグ」と呼んだものを、「なるほど三砂の「語り口」は控えめで、性急に他人を否定したり意見を押しつけたちするものではないように見える。しかしこれこそが、説得よりは誘惑で、論理よりは症状で語ろうとする「女性的語り口」のひとつの典型ではなかったか」と言っています。急いでつけ加えておきますが、ここでいう女性性とは、それを無邪気に信じる者たちが言うのとは違います――斉藤環は「精神分析は女性性を最初から事後的に構成されたもの、すなわちジェンダーと見なす。その意味で精神分析は、最初の段階でいかなる本質主義とも手を切っている」とも述べています。これは精神分析に対する見方として完全に正しい――専門家である斉藤氏の書いたものを私がそう言うっていうのも変な話ですが、誤解する「フェミニスト」が佃煮にするほどいそうですからね。

  「事後的に構成されたもの」――いいですねえ。うっとり。

  Iちゃん、事後性フェチですかあ?

  まず生物学的なセックスがあって、その上に社会的・文化的性別であるジェンダーが作られるなんていうもっともらしい話や、単純な因果関係を司る線的時間と手を切れる、実にありがたい概念です。

  Iちゃん、そんな有難がってると、「あなたみたいな人を精神分析信者と言うのです!」と言われるよ。

  なんとでも言って!
 そうか、今Sさんが言ったのは、「ああそうですか。あなたみたいな人をフェミニズム信者というのです」というf氏の捨てゼリフのパロですね。

  うん。私が、「もし訊かれれば、この社会で女に分類されて生活している以上「不可避的に」フェミニストであると答える」用意はある云々と書いたことに対してなんだけどね。それにしても変な反応。だって、これ、すごく控えめなステイトメントでしょ。

  うん。逆に言えば、f氏が「この社会で女に分類されて生活して」いない以上、「フェミニズムというのは誰もに受け容れられるべきa prioriな前提などでは決してあり得ません」という彼の主張にSさんが異議をとなえるわけないじゃない。

  そうなのよ。それをまるで、誰もが不可避的にフェミニズムを受け容れるべきだと私が言っているかのように――言ってもいないことに対して「反論」してくるんだから。
 フェミニズムというのはツールだと思っています。私がブログで書いたことに居丈高にからんでくる男がいたとしたら、それはジェンダーの力学のせいかもしれません。f氏の書き込みを見たXさん[8月1日のエントリーである手紙の名宛人]が、もしもSが自分は男だと書いていたら、向うはあそこまで「ヒステリック」にはならなかったろう、当事者でないのによく勉強しているくらいのことを書いてきただろうとメールをくれたました。実際、f氏も、男性が主催のブログではおとなしくしてますよ。「いや、あなたが「元患者」だったのは十分わかりましたが、「うつ」の原因もさまざまなら「治し方」もさまざまなわけで、あなたの経験を一般化して話をすることはできないと思います」とピシャリとやられてもキレたりせずに。ところが、女に反論されると「ヒステリック」になる。このことは、そもそも女だから差別されているのだと気がつかなかったらわかりません。
 深刻かつ笑うべき実例を一つ。父が入院しているとき、主治医に、病院を移れとものすごい勢いで迫られました。私は、それが好ましくない理由、彼がこれまで父の予後について言ってきたことと転院を勧めることとの一貫性のなさ等々、その場で残らず反論しました。そのあと、人に勧められて病院のソーシャル・ワーカーに相談に行ったんですが、そうしたら、私の簡単な説明を聞いただけで、そのソーシャル・ワーカーは、医者と一人で話をしてはだめです、必ず看護婦を同席させなさいと言いました。相手が女性一人だと医者はそういう態度に出ますと。

  この話、私は前にも聞いてますけど、すごいですよねえ。自分の病院の医者のことをそう言うんだから。

  このソーシャル・ワーカーは男性ですが、経験から思い知っているわけですね。数日前にも、女の人がおろおろして相談に来たところだ、旦那さんと一緒に医者に会えと指示したら、向うの態度が変わったと言ってました。父の主治医とはまた別の医者ですけどね。女だから強く出れば言うことを聞くとなめてかかっているわけですね。
 私は、腹を立ててはいたけれど、そんなことは夢にも思っていなかったので、可笑しくなりました。私、差別されていたんだ、気づけなかったんだ、と。ちっともおろおろしない可愛げのない女に反駁されて、医者はさぞ腹が立ったことでしょう。そのあと、弟も一緒に看護婦同席で話をするより前に、父の病室で医者と出くわしてまた言い合いになりました。ベッドの上に起き上がったまま医者と私を交互に見上げていた父は、「先生、大丈夫ですか?」と医者の手をとりましたよ。

  (笑)お父さん、いいかたですね……。で、弟さん連れていったら本当に医者の態度が変わって、転院しなくてよくなったんですよね。弟さん、見ばがいいから。物静かなかただけど飾り物には……(って失礼!)。

  緩和ケア施設(いわゆるホスピスのたぐい)の個室にあきが出るまでのあいだ、八人部屋でおむつをさせる老人病院に入れてみすみす弱らせるようなことをしないですみました。だけど、医者が弟に「お久しぶりです」って丁寧に挨拶をするのには驚いちゃった。貧相な医者は、美少年のナレノハテに気おくれするのかしらん。たしかに中身は、もし弟が私のように言われてたとしたら、威圧的な雄弁にろくに言葉も返せなかったかもしれないヘタレなんですけど。

  いえ、いえ、失礼しました(汗)。

  だけど、彼が相手なら医者は強く出ないわけですよね。そうすると男は弱くても生きられるのか。ふーむ。

  この場合は、Sさんが強すぎて日常的な差別にすぐには気づかなかったんですね。

  でも、差別は構造的なものですから。本人がこわがらなくても脅迫罪は成立します。かくして日常的かつ不可避的にフェミニストという訳です。(次号に続く)

■プロフィール■
(すずき・かおる)オリンピック国内候補地に東京が決定し、その記者会見の席上で石原都知事が三選出馬を表明したというニュースが入ってきた。
石原は東京から手を引け。
石原も町を破壊するオリンピックもいらないぞ。
ブログ「ロワジール館別館」
「きままな読書会」
「Tous Les Livres」

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■黒猫房主の周辺■「知的な態度/科学的な態度」
★誰も読んでいないのかもしれない、この編集後記は寄稿者の入稿を校正し終わってから書いているので、毎度焦りながら書いている(苦笑)。そんなわけで……、村田氏と鈴木氏の原稿を読み終わって「知的な態度」あるいは「科学的な態度」の有り様を思った。

★もともと不勉強で知的生産(?)にも怠惰な黒猫房主であるけれども、それでもソコソコ本などを読んでいると、つくづく自らの「無知」に気づくことが多い。だからと言って「学者」のように勉強する「能力/才能」も「環境」も乏しい我が身であるならば、大言壮語しない(時々しているかもしれないと自省しながら)で、謙虚にその方面の先達の啓蒙書や研究書に啓発されて「単なる無知/知っているつもりの無知」に気づくよう心がけているつもりだが、この「つもり」がつもり積もれば多少は「知的な態度」を習得できるのではないかしら、と思っているのだった。

★しかし誤解をしないでほしいのだが、「知的態度」とは「知識の量=知っている積もり」によるのではなく、また謙虚な学者がよく言うように「知れば知るほど知らないことが多い」という意味でもなくて(特段その方面の専門家でなければ深く知らなくてよいことは、フツーの生活者にとっては当然のことだ)、他者に対する想像力あるいは畏敬の態度だと思っている。ときに「専門家」と言われる人が他者に対する想像力や畏敬を欠いていることは、よくよくあることではあるだろう。

★村田豪氏は、《実は、安易に「韓国文学」について何か書こうか、など考えたこと自体が、あまりに浅はかだったからだ。どうしてかというと、「韓国文学」などというものが自明にあるわけでないことは、たった一人の作家、たとえばパク・テウォンを見るだけでも気づかざるをえないだろう。/つまり、日本による植民地支配のため、民族的主体を奪われたかたちで近代化・西洋化を経験しなければならず、解放後は、東西対立の最前線として過酷にも国民国家の分断を引き受けなければならなかった民族が、総体としての自分たちの「韓国(朝鮮)文学」を見通すのは、容易ではなかったし、今なおそうであろう》とエッセイで書いているが、これこそが「知的態度」だと思う。

★さてもうひとつの「科学的な態度」とは、反証可能命題を立てて実証的に検証することであるのだが(しかしその命題の立て方もパラダイムに影響されていることにも自覚的でなければならない)、「トンデモ科学的言説」というのは科学的根拠がないことをそれらしく言い立てるだけのことではなく、例えば部分的に反証された事例を自分の論証にご都合主義的に普遍化して科学的だと論証する「疑似科学的態度」のことでもある。それは鈴木薫氏の論考でも批判されている、ジェンダーフリー・バッシングを展開する「学者」と言われる人々のことでもある。(参照:『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』双風舎刊)

★この「疑似科学的態度」は(前号の「編集後記」でも触れたことだが)、「PならばQ」が正しければ「QでないならばPでない」が正しい(対偶の関係)とするのが論理的なのだが、その逆や裏を(「QならばP」「PでないならばQでない」)を正しいとしてしまう論法のことである。言い換えると、ある命題が反証されたからと言って、その逆が証明されたと考えるのは論理的にも実証的にも間違っており、およそ「科学的態度」とは言えない。(黒猫房主)



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