■某月某日 池袋でYKさんと待ち合せ。目的の某所へ行きつけず、駅東口にある「タカセ」の上階へ昇ってお茶。一階でパンを買ったことはあるが、中で飲み食いするのははじめて。東口をその位置から見下ろすのはむろんはじめてだ。過日、親戚の法事で池之端の東天紅最上階から蓮池を見おろしたときも、よく知っている場所ながら、そうやって眺めるのははじめてだった。小雨の中、茂った蓮の葉が波打つ。子供の頃は、西武デパートが屏風のようにそびえ立つところが世界の果てだった。最初はトロリー・バス、それが廃止されてからはバスで行った。たぶん、母がひとりで行ける盛り場が上野と池袋に限られていたのだろう。一度、帰りのバスの停留所の場所が変わっていたことがあって、寿司屋の小僧らしきアンチャンに母が「かみなり門へ行くバスはどこですか」と訊くと怪訝そうな顔をされ、「浅草の雷門行きの」と母がもう一度言うと、「ああ、あさくさらいもん?」と教えてくれて、有り難かったからその場では笑いをこらえていたのだが、そんなことのあったのはあのあたりだったかと見下ろしても、浅草方面へ行くバスは今はそこからは出ていない。パルコは前はマルブツと言ったのよ、とYKさんが微笑を浮かべ、それは私も覚えているが、丸物で売っているものは西武とはまた違っていて好きだったとYKさんがいう、そこまでは年齢的に覚えていない。少し大きくなると、母の買い物のあいだは本売場で待っていたものだが。といっても、そのとき思い出しているのは上野松坂屋の本売場であり、西武ではないのだ。 映画化されたものは見ていないが、『ダヴィンチ・コード』の原作をTKさんは翻訳で読み、「そこまでホモが嫌いか?」と思ったそうだ。どういうことなのかと尋ねる。ヨハネによる福音書を読めば、イエスが愛していたのはヨハネであることは明白なのに、それを無視して異性愛関係にしてしまうところがホモフオビックだという。確かに、こうした改竄は歴史ものを映画だのテレビだのがやるときの通例だ。熱狂的な女性信者があれだけいたのに(と彼女は見てきたようにいう)、それでも誰とも関係を持たなかったのはゲイだからよ、とYKさん。最後の晩餐でヨハネはイエスの胸にもたれていた。プロテスタントの信者であるYKさんでなく私がそれを知っているのは、塚本邦雄がさんざん書いているからだ。塚本にはイエスの伝記小説もあることを思い出し、YKさんに披露する。彼女が言うには、しかし、それを上回る設定の映画が以前作られ、イタリア全土で上映禁止になったという。これは初耳だった。イエスがヨハネに心を移してユダを捨てたので彼は師を裏切ったと、はっきり描いているという。ローマ教皇庁が今回の映画をそうしないのは、本当のタブーは同性愛だからよ。イエスがゲイだったら、修道士に同性愛を禁止する根拠はなくなっちゃうもの。なるほど。イエスが女と寝て子供を作ってうんぬんなら、全くの絵空事だから、逆に危険はないわけですね。さらに、イエスには他にきょうだいが何人もいたのに、イエスの母をヨハネが引き取って面倒を見ているのは、そういう関係だと周囲も認めていたからだというのがYK説だ。そうか、ヨハネは『東京物語』の原節子なのか(引き取ってはいないけど)。 ■某月某日 読売からもらった招待券があるので、SMさんを誘って、東京都美術館で開催中のプラド美術館展へ。ひとりだったら人垣の中へもぐり込んで見る気にならずに出てきてしまったろう混雑。絵の中の大群衆に見入って、ふと見渡せばそれにまさる数の入館者がその室内だけでもいそうな感じ。話しながらけっこうじっくり見られた。SMさんは東京の混雑する展覧会自体はじめてという。上野駅舎のコカ・レストラン(前に一度だけ来たことがあったが、良い)で昼食後、電車で日暮里へ移動。谷中の朝倉彫塑館でゆっくりするつもりだったが、行ってみると金曜日は休館! 月金と週に二度も休みとは気づかなかった。再訪しようとしてなかなか果たさぬ場所である。三の丸尚蔵館の若冲展も金曜日は休みだ(これは、うっかり行ってしまったことがあって覚えた)。しかたがないので団子坂下へ歩く。私の方向音痴はとどまるところを知らず目的の喫茶店へ行きつけなかったが、新しくよい場所を見つけた。駅舎をうまく利用したコカ・レストランもそうだが、適当な(作り込まない)レトロさが好ましい。冷房利き過ぎなのではおるものが必要だが(SMさんは用意がいいこと)。 ゲイ男性が女言葉を使うのはミソジニ−だという意見をどう思うかとSMさんに訊かれる。その場の雰囲気を和らげ(特に、キツイことを言うときなどに)、攻撃されるのを避けるため、かえってそういう言葉をゲイの男が使う場合について、そう言った女性がいたという。それをミソジニーと呼ぶのはちょっと違うような気がするけど、と私。オスザルが上位のオスに対し、メスのポジションをとってマウントさせるみたいな? これは以前某所で話したことだけれど、と前置きして『ジェンダー・トラブル』でバトラーがあげている例を出す。ゲイ男性が自分のことを「彼女は」と表現した貼り紙についての話で(バトラーの本が手許にないので、あやふやな記憶で言う)、「女性」が女性とは別のところで反復されるこうした使い方を、女性性の本質化を避けるずらしとしてバトラーは肯定していたように思う。それに対して私が取り上げたのはピーコの例である。爆笑問題の番組にゲストとして招かれたピーコは、「ピーコさんてほんとに女なんだね」と爆笑問題の二人に言わしめていたのだ。しかもその中味は、性に対して受動的な女、セックスより、好きだという気持ちの方が大切といったものであった……。男性が女性性を流用することは、しばしば規範の強化として抑圧的に働くのではないか?(ニューハーフが女性たちに女の道を説くという見るも無惨な番組もあった。)だからそうした効果はアンビヴァレントだ。別にピーコ自身が「女」としてのポジションをとるのはちっともかまわない(本人の自由であるから)のだが、彼がTVでファッション・チェックをすることを許しているのは、彼が「男」である特権を手放していないからこそだ、というようなことを話す。ピーコの場合を離れても、男が女性性を流用することはしばしば彼を完全なものにする★。女の場合はそうではない。歌舞伎の女形は本物の女性性を表現できるとされるが(ということは、女性性が本質的にフィクションだということだろうか?)、宝塚の男役についてはそうは言われない。彼女たちは本当の男を表現するにはつねに何かが足りないと見なされるのだ。 SMさん、東京の空気の汚れに反応してすぐ苦しくなってしまうが(こっちはびっくりだ)、谷中の墓地以外に附近には緑多いところもないので、坂を戻って池之端へ抜けることにする。法事の際、谷中のお寺から車でたどった道を徒歩で。観光客をねらって小ぎれいな店鋪に改築した家が目立つ。ソフテルというのだったか、ピラミッドを積み重ねたような本郷側に立つホテルをSMさんおかしがるが、私はむしろあれはもう見なれた。白鳥のボートはまだ見なれない。過日小雨ふる蓮池(花はまだ)が広がるのを見下ろした風景の中を小人になったように歩いてのち帰宅。 ★ たとえば、レオ・ベルサーニの『フロイトとボードレール』(十年前に買った本だが、ベルサーニのFreudian Bodyを読んだためにわかりやすくなった)を読んでいて次のような感想を持った。ボードレールの人も知るミソジニ−――「女は腹が減ると食べたがる、喉が渇くと飲みたがる、さかりがつくとされたがる(……)女は自然である。ゆえに忌まわしい」について、ベルサーニはそれを女についての言説とは見なさずに、「詩人」としてのボードレールがわが身に引き受けねばならぬ、またそれを恐れてもいる、それゆえ「女」に投影せねばならぬ特質として扱う。これは正しいと思うし、詩人の散文を字義通り受け取って存在論的な女についての箴言と見なし、ありがたがってきた(「ボードレールと性を同じうし」という矜持のもとに女を他者化して)、あまたのヘテロ男性ボードレリアンのたわごとを一掃するに十分だが、同時に私たちは(それでは女はどこに?)と問うことにもなるのだ。 ■ プロフィール■ (すずき・かおる)絶不調です。もともと書きたいことが内部にあるわけではありませんが、空っぽ状態に。身体的には元気なのですが、あまりにもニュートラルだと(それを乱すものはいずれやってくるわけですが、今回間に合わず)、書けない。むしろうちで梅でも漬けたい気分(やったことありませんが)。というわけで、成瀬シリーズの締めくくりも(また)先延ばしになりました。 ★ブログ「ロワジール館別館」 ★「きままな読書会」http://kimamatsum.exblog.jp/ ★「Tous Les Livres」http://d.hatena.ne.jp/kaoruSZ/[新設] |
1997年公開映画『冷たい血 AN OBSESSION』において、青山真治は三度、ガスマスクと防護服で完全防備した警備隊をジープに乗せて登場させる。 一度目は、作品のしょっぱなだ。主演で刑事役の石橋凌が、冬の張り込みの寒さをいやすために屋台で熱いコーヒーを買いつけるというシーン。刑事ドラマではよく見うけられる日常が描かれようとしている、その時、ジープで警ら中のガスマスク隊が近くに乗りつけるや停車し、車上からマスク姿のうちの一人が石橋に向かって一瞥を投げ、さらに軽くうなずいてみせる。 これは一瞬、なんらかの作戦の合図なのかと、見ているものに疑わせるが、しかし石橋刑事はそちらに顔を向けていながら、ガスマスクの合図に呼応しない。窒息しそうな異様な雰囲気を漂わす警備隊を、まるで認識しないかのように、その表情にはほとんど変化がない。それでも石橋がそれを目にしていないともいえないのだ。間もなくジープは走りだし、夜の街へ消えてゆく。 こうしてガスマスク防護服隊は、その後描かれることになる刑事の物語に現実的な形でかかわることはない。何か大きな事件が起こっていることが説明されることもない。ただ、街を厳戒態勢におくかのような、そのまがまがしさが、冒頭、観客に強く印象づけられる。 二度目は作品の後半。明け方、人気のない市街を走る主人公の遠景にあらわれるガスマスク隊は、そこに居合わせただけのだれか二人を、今度は唐突に射殺して行ってしまう。遠くの出来事に気づかぬごとく、石橋演じる男はそのまま振り向きもしない。 そして、紆余曲折をへた結末において、奪われた自分の銃を取り戻した主人公石橋の前に、ジープに乗った部隊はみたび現れるのだが、その走り寄るジープに向けて、やや「メタ・フィクティブ」な挙動という色合いで、弾の入っていない銃の引き金をしきりにカチカチ引く石橋にたいし、今度はガスマスクたちのほうが、そんな石橋の存在などないというように、見向きもしないで走り抜けてゆく。 ガスマスクと防護服――公開時期を考えても、ほとんどだれもが一度目の衝撃的な登場からすぐに、「オウムサリン事件」において上九一色村の教団施設へ強制捜査に踏み込んだときの、防毒装備した警察隊の姿を連想したであろう。 いや、連想もなにも、最初の場面から数分後に、主人公の刑事が張り込んでいるのは、ある宗教団体の幹部であることがあきらかになる。報道関係者が取り囲む中、スーツ姿に怪しい形の十字架を首から下げた、柔和すぎる表情の丸坊主の小男、つまりその幹部が現れる。すると、どこからともなく近寄ってきた別の男が、衆人環境のなか、いきなりこの宗教団体幹部を殺してしまうのだ。だからこれは、オウム真理教の幹部が殺された現実の事件から材をとっているのは、まぎれもないことである。 しかしこの映画には、あからさまに現実の素材が引用されているのに、わざわざそういうことを指摘する気をおこさせないところがある。確かに「問題の渦中にある宗教団体幹部がテレビカメラの前で殺される」という話は、現実にそっくりそのままで「似ている」としかいいようがない。しかし映画がこのシーンで強くとらえているのは、幹部といわれる小男の、悲しげにも虚ろにも見える過剰なほどの顔の柔和さであり、まず何よりその表情の異様さに「あっ」となるはずだ。 このとき観客は「似ている」とは思いつつ、もうそれが何かに「似せよう」などしているわけでもなく、参照される現実の人物を脳裏でさがしても、それが結局「同じ」ではありえないことに気づいている。また、この殺害がピストルでおこなわれることや、柳ユーレイ演じる犯人がかもしだす人物像など、そのほかにも映画が描き、きわだたせることは、ことごとく現実の事件と違っている。つまりそれは完全に「別のもの」なのだ。 ガスマスク防護服装備の警備隊もそうだろう。それは形象として「似ている」せいで明確にひとつの参照先を指示しはするが、まったく別様に描きだされるために――つまりその「似たもの」たちが、ジープに乗って、銃器を帯び、街中を活動し、人の日常と接続されているという、現実にはない姿こそが正面きって描かれるために、「現実にあった『あの出来事』を表現している」などと言うことが、逆にできなくなっている。そして物語の主線としてではなく、異化された「現実」を作品世界の背景としてすえるためにだけ、これら「似たもの」が導入されているなら、なおいっそうこの『冷たい血』という作品に、必要以上に「オウム事件への意味づけ」や「作り手の思想」など読み込むことは、つつしむべきだろう。 そもそもこれは、いかにも「青山真治らしい」ものの例として、のちの議論の展開のためにまず映画作品から一つの側面を粗描してみたわけで、描かれた素材の意味づけを問うつもりではなかった。だからどういう点で「青山らしい」のか、これから説明していくのだが、しかしその前に、前言をひるがえすようだけれど、やはり青山の「オウム事件への意味づけ」を問題にしていみたいような気もする。 というのは、ひと月ほど前のさる5月31日に、東京地下鉄で「化学テロ対策」と称しておこなわれた機動隊による化学防護隊の訓練姿は、青山が何年も前に映画で描いた「ありえない現実」のなかの「ガスマスク部隊」と、あまりにも「似てい」たからだ。そして、前回問題にした「麻原彰晃氏の控訴審打ち切り」への弁護団による異議申し立てが、5月30日に東京高裁によってなんと棄却されてしまったのだが、「ガスマスク訓練」はその次の日にあたっており、これは、権力によるあからさまな自己正当化のデモンストレーションとして見なすほかないものだった。 さらに付け加えると、「国民保護法」のもと市民を「有事訓練」に組み込むプログラムは、各地方自治体によってすでにいくつか実行され、またこれからいくつも予定されている。街の風景のなかでの「ガスマスク部隊」の日常化は、すでにこの2006年の日本においては、まったく現実のものになりつつあるのだ。「ガスマスク部隊」をなんの違和も感じないように見ていた映画冒頭の石橋凌は、いまのわたしたちの姿にも思えてくる。 ということは、ここにひとは青山の予見性を認めるべきだろうか。これは2000年カンヌ映画祭で賞を受賞した『EUREKA ユリイカ』において、映画の中の事件と同様のバスジャック事件が現実に起こったとき、その予言性が多少取りざたされたのを思い出させる。いや、しかし「事件の予言をした」というとらえ方は、この「似たのも」たちを、「結果のメタファー」(村上春樹)として空想的な秩序づけに従わせることにほかならない。先取りもやり直しもきかないはずの現実を刻む「日付」や「歴史」を、これはなかったことのようにするやり口にほかならない。 むしろ「わたしたちは、十分以前からこのような事態にいたることをすでに知っていた」と、こう言うべきだろう。それは「似たもの」としてはっきり存在していたのだから。青山の映画に予見性をになわせるのは、やはり筋違いで、「現実」は「似ていること」を置き去りにして、もう別様の動きへ走り去っているのだと、わきまえなくてはならない。それを隠蔽するように「ガスマスク部隊」を「象徴」的なものとして活用しようとしているのは、今も昔も権力のほうなのである。 もし青山が映画のなかでこういう「現実」に拮抗しようとしているとしても、この『冷たい血』の時点においてどこまでそれが成功していたのかは、なかなか判断がむずかしい。青山がわれわれ観客にぶつけてきた「ガスマスク」は、一種の「象徴」のようにも、そうでないようにも見えるからだ。 さて、このことの是非はおいておいて、とりあえず話を進めよう。まず先ほどの「青山真治らしさ」というものが、どういうものなのか、説明しなければならない。ただし、その仕事ぶりが映画監督というにとどまらず、映画音楽・映画批評・小説までものする多才さゆえ、「芸術家/作家」としての「青山らしさ」は、さまざまにとらえることができるはずだ。しかし、正直、わたしは、これらすべてのジャンルを理解し問題にするような自信も能力もない。 また映画と小説が、ほとんど互いに置きかえのきかない、それぞれ固有の物質的な領域と方法をもつゆえ、同じ「青山真治」の名を冠した作品といえども、たとえ同じ『EUREKA ユリイカ』というタイトルを持っている映画と小説であるといえども、そこに首尾一貫した「青山真治らしさ」を読み込むのは、物語の同一性をうのみにして、さまざまな面での違いに無頓着でいるような素朴な作品理解をすることになるだろうか。それでは確かに「青山らしさ」など論ずる資格はないだろう。 「映画と小説はちがう」――もちろん。しかしこのことを前提にしつつ、そうでいながら「映画も小説も実は同じだ」といわんばかりの姿勢が青山にこそあるようで、そこに私は惹かれはじめている。そしてその姿勢が、映画のほうに小説をまるまる飲み込ませるような身振りでいて、逆に小説が映画をあざむくようにして違いをきわだたせてゆくような、そんな成りゆきをあたえているのではないか。現時点ではとにかくそう見える。今回はこのことを書いていきたい。 ところで具体的に「青山真治らしさ」とは何か?なのだが、それは青山自身の発言などに頻繁にあらわれているので、そういう例をあげよう。 たとえば、黒沢清や阿部和重らとのあくことのない議論を照明にして、近年のアメリカ映画の変容と歴史に新たな相貌を与えようとした映画論集『ロスト・イン・アメリカ』(2000年)で、同じ映画監督の塩田明彦が、ジェームス・キャメロン『タイタニック』を「物語を叙事的に描けていない」あるいは「メロドラマとして失敗している」として、全否定に近い評価を下そうとするとき、黙っていられないというように、青山は「それに対してあえて言いますが、『タイタニック』に関しては、同じことを積極的な否定形でも言えるんじゃないかと僕は思うわけですよ」と強く応じ、人が否定的評価に向かう同じ要素において、『タイタニック』の「メロドラマ」や「スペクタクル」は十分成立していると見なし、大いに肯定する。 もうずいぶん前になるので、やや記憶があいまいなのだが、公開当時に見た私の『タイタニック』の印象は、どちらかというと塩田の分析と評価にはるかに近かったと思う。それはそれでよく理解できる妥当性のある意見ではないだろうか。しかし、だからいっそう、この青山の『タイタニック』の肯定の強い調子には、独特の何かを感じさせられる。 またこういうこともあった。「2000年の中上健次――秋幸三部作を読み直す」というシンポジウムで、高澤秀次、スガ秀実、星野智幸、鎌田哲哉といった文芸批評家・作家らによるごく真っ当な小説解読の基調報告にたいして、青山は自分の基調報告の方針を直前に変えて、70年代に中上健次が書いたアメリカ映画評を興味深く紹介し、その中上の映画分析が、そのまま『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』で描かれた「秋幸−路地」世界の構造に当てはまるのではないかと、ぶつけてゆく。 中上文学の理解において、従来あまり映画の問題は重視されていなかったし、その作家の映画評が小説作品と緊密な関係をもつなど、だれも想像したことがなかった。この青山の意見が、万人に認められる完全に妥当な見解かどかはわからない。しかし、いくら精密な読解であっても、それだけに終始しそうになるある種の停滞に、きわめて敏感に反応し、無理でも強引でも、何かを付け足そうとするのだ。そう、青山はいつも何かを付け加えないと気がすまない。これは、映画でも小説でも変わらない青山の姿勢といえるだろう。 この「青山真治らしさ」を簡単に定義することばは、青山自身が書いているので、今後はこれを使おう。つまり「重要なのは意味を読みとることではなく、意味を付与することだ」(「夏芙蓉の花、実際にはハイビスカスかもしれない」)と。 さらに自分が「差異をいちいち言い立てる」のではなく、「差異を差異として認めたうえで『似ている』ことに興味をいだくタイプ」(「討議『すでに老いた彼女』をめぐって」)なのだと自己規定する青山の発言もつなげておこう。そうすると「青山真治らしさ」はよりいっそう明瞭になる。 もう『冷たい血』での「ガスマスク部隊」の登場のさせ方が「青山らしさ」の一例となることは、わかってもらえるだろうか。ジャンルとしての刑事物の枠をもち、主題としては夫婦の愛のあり方を描くこの映画にたいして、なめらかに接合できそうにない現実の「オウム事件」の素材を、あえて活用してみせること。その際「オウム事件」を描くのに「現代社会の闇」といような解釈をほどこすことなく、ただ「似ている」ものとして描くこと。そして「似ている」のは、現実の事件にでもあり、あるいはまた別の何かにかもしれない(事後的には2006年の「テロ対策訓練」にでもありうる)。 しかし、それが膨大な映画の記憶の中の、過去の作品の何かに「似ている」のだとしたら、わたしにはお手上げである。大いにありえるこの可能性の前で、映画オンチのわたしはなすすべもない。だから本稿における映画解読は、まったくなっていないかもしれないので、この点については、あらかじめお断りしておく。 さてこうしてみると「似ている」ものの発見や結合という手法は、映画という領域においては、やや当たり前のようにも思えてくるし、そしておそらくそうだろう。映画人たる青山にたいして、ことさらそのような側面を強調する必要はないだろうか。ただし、この「似ている」ということばの定義と用法には、映画ではない参照項がはっきりあり、これは青山自身が何度も言及しているものだ。それはスガ秀実が『革命的な、あまりに革命的な』(2003年、当該章2001年初出)で論じた宮川淳の「イマージュ論批判」である。 もうごく簡単にしかいわないが、要するに「似ている」ということは、「象徴」のように一方的な意味づけの表象関係におかれるのではなく、部分的な類似を介して、それぞれが「別様に」あることにほかならない。この表象関係の構造は、たとえばウィトゲンシュタインが指摘した、言語における「家族的類似性」のようなものを考えればいいだろう(まあ、柄谷行人のうけうり以上ではないが)。 「似ている」ものを見つけて、順次加算していく。――『ユリイカ』(2001年)、『月の砂漠』(2002年)、『Helpless』(2003年)、『ホテル・クロニクルズ』(2005年)、『死の谷'95』(2005年)、『サッド・ヴァケイション』(2005年雑誌掲載)と、映画製作との平行作業を考えれば、あまりにも旺盛な勢いで、ここしばらくの間に生み出されている青山の小説を読み解くうえで、このテーゼが、大前提の補助線となる。 まずは、やはり最初の『ユリイカ』から振り返ろう。これは映画『EUREKA』のノベライズとして、青山がはじめて小説に取り組んだ作品である。映画の評判とともに、小説自体が三島賞を受賞もし、これはそれなりに広く読まれたかもしれない。 この作品でよくも悪くも一番に指摘されてきたのは、中上健次の小説文体のパスティッシュである。確かに『ユリイカ』は、変化をつけずに延々と繰り返される文末表現「した」「だった」という、中上特有の文体の感じを積極的にまねており、すべてがすんでしまった後から物語を語っているかのような、あの『枯木灘』の印象によく似ている。 映画では役所広司が演じていた主人公「沢井真」は、バスジャック事件のショックから出奔し、2年をへて戻ってくると、幼なじみがいる建設会社に勤めはじめ、そこで世間のわずらわしさから逃れるように労働に打ち込む。その「真」の姿をまず小説から引いてみよう。この部分は、中上の「秋幸」からやってきたものだと、とくに感じさせるものがある。 何も気に病むことなどない、と思いながら、土を掘り返し、石を砕き、水を流す。鉄骨を打ち、コンクリをかき混ぜ、流し込む。裂け目だろうと固い地面だろうと、現実に自分の立っている場所は常に疑いない。いまここという以外、何も確かでないがゆえに、気に病む必要もまたないのだった。茂雄と均がいた。茂雄はユンボを自在に操り、均はのらくらとさぼってばかりいた。昼飯を一緒に食べた。そしてまた汗を流して働いた。働いている限り、よけいなことを考えずにすんだ。土の匂いが好きだった。日の光を浴びるのが好きだった。風に流されるのが好きだった。煙のような自分が、その時だけ肉体を得たような気がした。(『ユリイカ』角川文庫p95) 映画にはこのような表現ができない。実際『EUREKA』で青山は、作業現場の役所広司にこのような表象をあたえようと腐心することなど、はなからなかった。 しかし別の場面だが、映画では、役所が無駄口をきくことなく、一人で土のついたスコップやら作業道具を水で流して丹念に洗う姿を描いている。このシーンによって映画は、「真」の内的な時間を的確にとらえており、それが上記の中上的描写に対応しているといえるだろう。そして「真」が手を動かすたびに、泥のついた金属部分がこすれ合ってガリガリ音のする、そのスコップの質感を、セピアに色づいたモノクロの画面がよく伝えていた。ただしこの部分を、今度また小説で確かめると、「道具を洗っていると」という素っ気ないぐらいのごく短い一節ですまされているのだ。 以上のことは、小説『ユリイカ』が、映画『EUREKA』と「同じ」ものなのではなく、「似ている」というにふさわしい関係にあるのがわかるだろう。そして小説にできて、映画では実現できなかった要素、人物たちの背景や心情などを肉付けし、盛り込まれなかったエピソードを補足などした部分、それらが多くなれば多くなるほど、小説は、映画とは別の存在意義をもつかもしれない。 たとえば、バスジャック事件から生き残った子どもである「直樹」(宮崎将)「梢」(宮崎あおい)と共に生活するうちに、「真」は、連続通り魔殺人事件の犯人が、兄の「直樹」だったことをつきとめてしまう。少なくとも映画ではそうとしか理解できない。ところが小説では、二人で警察におもむき自首した場面で、「直樹」が起こしたのは、最後の一件だけであり、連続殺人の犯人は別に捕まったことが示唆されている。映画の物語の緊密な構成を、これは小説の側から破っていると考えていいだろう。 しかしだからといって、『ユリイカ』が『EUREKA』から自立して見えてくるわけではない。この小説は映画に「似てい」ながらも、その模倣性を完全に脱しきれているとまではいえない。部分的に上記のような「ズレ」をはらみながらも、全体的には、映画の物語の忠実な再現がめざされている、とどうしても見えてしまう。これは大方の評価だった。 中上の作品に対しても同じだろう。文体や人物造形、語りや焦点化の構造などが「似ている」といえる。しかし中上の小説のような凄みは感じさせない。なぜなのか。実は、青山が小説において採用した(もちろん映画でもすでに採用していた)「似ている」ものを結びつけ付け加えるという原理は、よく考えれば中上こそが小説において徹底的に深化させたものだったからではないのか。 『岬』『枯木灘』『地の果て』において、親族間には同じような事件が反復され、姉の子は昔の姉と同じように男と駆け落ちし、主人公「秋幸」も自殺した兄の立場を繰り返させられる気がする。そして血のつながりを知られたくないのに、「蠅の王」と噂されるその実父「浜村龍造」に「秋幸」の体つきは「似てい」た。逆に「秋幸」は「龍造」に積極的に「似よう」とし、腹違いの妹と交わり、腹違いの弟を殺してしまう。それがまた、否定しようとしたはずの前世代が引き起こし、もたらしたことの反復になってしまう。 いや、ただ出来事や人物の行動が繰り返されるだけではない。小説は、昔の出来事を「似た」ようなフレーズで何度も語り直し、「秋幸」に関わるものたちの記憶をあきることなく反芻する。風景は微妙に姿を変えながら何度も描かれ、解けない問いが頻繁に「秋幸」に舞い戻ってくる。ことばそのものが、「似ている」ことを互いに呼びかけ合っているようなのだ。こうしてみると「似ている」ことは中上の小説では、ほとんど「内在的原理」である。 一方で青山の小説では、映画や中上作品という外に向かって「似ている」関係を打ち立てるが、これが小説内の原理として機能する様子はない。中上の文体を取り入れながら、なにかそれと拮抗する力強さを認められなかった理由のひとつが、ここにあるだろう。 だから、スガ秀実は2001年の時点で「これ(=小説『ユリイカ』)は、映画『EUREKA』とは――実は――まったく似ていないし、中上健次ともすれ違っている小説なのだ。もちろん、その様な小説を書いたことは映画作家・青山真治にとっての栄光である」(「一九九二年八月一二日/一三日」)と書くことができたのだ。青山の最初の小説は、「似ている」ことを肯定してもらえないような模倣、そんなふうにしか見なされなかったのだ。 しかしその後、青山がノベライズという機会だけでなく、小説を書き続け発表してきた現在、彼を映画作家だけに押しとどめて称揚してすませることが、ほとんどできなくなっていることはあきらかだ。 『月の砂漠』『Helpless』はまだ映画が先行している。しかしとうとう『ホテル・クロニクルズ』以降は、映画の内容をもとにして書かれた小説ではなくなっている。映画において、なんらかの原作にもとづかない場合「オリジナル脚本」という言い方があるが、それをもじれば「オリジナル小説」という概念が導入できるかもしれない。そんな事態である。 その様子の一端を示すため、青山の映画と小説、小説と小説の関係の、もっと錯綜した点をできるかぎり取りあげてみよう。 それには、やはりなんといっても『Helpless』に触れなければならない。1996年公開の青山の実質的デビュー作である映画『Helpless』で、主演浅野忠信が演じているのは「健次」である。この名前はもちろん中上からだが、他の主要な人物も中上作品から由来する。光石研演じる隻腕のヤクザ「安男」は『岬』の「安雄」から、斉藤陽一郎演じる元いじめられっ子「秋彦」は「秋幸」が変化したものだろう。青山の作品世界は、小説だけでなく映画の幕開けからすでに、中上世界の浸食をうけていたことがわかる。 ところで短編小説「Helpless」(2002年『Helpless』所収)は、映画『Helpless』にやはり「似ている」のだが、映画から6年後の、小説に目覚めた立場がそれを求めるのだというように、青山は、映画と小説の違いをきわだたせる叙述処理を盛り込んでいる。 映画は、冒頭「September 10, 1989」の日付が挿入され、その後、たとえば「9am」のような時刻を示す黒い画面がその都度割り込み、一日の物語を一時間ごとに区切っていく形式で構成されている。これこそが『Helpless』という映画の、狂気と無情を静謐にまとめ上げる鍵だっただろう。偶然の日付を特異な一日として生きることになる「安男」と「健次」だけが、この任意性と形式性に意味をあたえる映画的実在である。 それにたいし小説ではこのような形式は採用されず、「九月十日」の日付は、本文中の単なる一語として組み込まれてしまう。確かに小説でも、一時間ごとの断章化は不可能ではないだろうが、それよりも青山が要求したのは、第三の人物である「秋彦」の視点の強化なのである。そのため、映画では横溢した「安男」と「健次」の狂気と無情が、小説では「秋彦」の暴力への恐怖と抵抗を通すことで、より対象化され、より批判的にとらえられているのだ。 ところで「秋彦」とは、『EUREKA=ユリイカ』で生き残った兄妹「直樹」「梢」のいとこで、「真」を含め四人でともに暮らし、バス旅行に出かけるあの大学生「秋彦」でもある。映画『Helpless』が強く暗示する昭和天皇死去の年、「安男」が死に「健次」が行方しれずになったあの時から、四年(あるいは五年)がたつにもかかわらず、根本的には成熟できないままで、人を傷つける不用意なことばを口にし、「真」を怒らせバスからたたき降ろされる、あの「秋彦」でもあるのだ。 この完全に別の作品の間をまたぎ存在する「秋彦」が、『EUREKA=ユリイカ』の物語のあと、もう一度「健次」と「安男」のことを思い出すような視点をもつため、小説のほうの「Helpless」は、『EUREKA=ユリイカ』を媒介にしてこそ、映画『Helpless』によく「似ている」という構造が生まれるのだ。 実際、別の短編「軒下のならず者みたいに」(2003年『Helpless』所収)では、「秋彦」はさらなる人生経験をへて、1998年に「Helpless」を書いたとされる小説家になっている。「秋彦」はいわば作者青山の分身として、作品同士を媒介する役目を担い、新たに見いだされた「似ている」ものを結びつけ、付け加えていく存在となってゆく。そしてこの、新たな「似ている」ものの「付け加え」は、ここにきて、はじめに青山がその原理にあたえていた機能を、ずっと先へと前進させるにいたったのではないか。 ここで『ホテル・クロニクルズ』(2005年)を見てみよう。これは、青山自身とおぼしき「話者=私」が、旅の地での出来事を背景に、批評と物語を交錯させてつむぐ連作小説集である。冒頭の一編「ブラックサテン」で、マイルス・デイヴィス1972年のアルバム『オン・ザ・コーナー』を聴きながら、「私」は、マイルスを同時期のゴダールあるいは中上と結びつけ、それぞれがまったく別々に、その「誤認」された「主体」からの「脱中心化」、「乖離」をとげるさまをとらえ、「似ている」とみなす。そしてつぶやくのだ、「ワン・プラス・ワン、ではなくて、ワン・アンド・ワン」と。 前者はゴダール、後者はマイルスの作品名でもある。前者への偏愛として、映画『Helpless』で題字の頭とお尻のアルファベットをいくつか消して、「1p1」(ワン・プラス・ワン)と浮かびあがらせもした青山だったが、それはともかく、これは二人の間の優劣ではなく、自身の方法論の初期的あり方を更新する宣言である。マイルスの同アルバムのまた別の曲名である「ひとつのことを考えて別のことする」も、その「似ている」ことのより跳躍したあり方を示す合言葉となる。 「ワン・アンド・ワン」。これは中上シンポジウムでも問題化された『地の果て』の「浜村龍造」のセリフ、個人を越えた「人間の歴史」の本質を表現せんとすることば「一たす一は一じゃし」「一から何を引いても一じゃ」に、どんな応接どんな抵抗があるのかという課題への青山なりの答えであろう。また別の「秋彦もの」である中編小説「わがとうそう」(2003年『Helpless』所収)でも、青山は分身の「秋彦」に「結婚などどうでもいい。1+1=1であるわけがない。一人につき一個の幻想、一人につき一個の欲望、それだけでいい。1+1=2以外に正解はない」と語らせている。 つまり映画においてだけ、映画にたいしてだけ、「似ている」ものを加算して、その映画という全体性「1」を十全にするのではなく、映画と小説の間、あるいは自分の小説とだれか別の小説の間に、「似ている」ものをぶつけて、その「ズレ」を生みだしていくこと。はじめからそうだったのだが、このスタイルをより自覚的に拡張すること。より具体的に実践すること。 そうすると、「『似ている』ことを『内在的原理』として使いつくした中上の頂点の作品からするなら、青山の『似ている』は強度が足りない模倣にとどまる」という先に示した否定的評価は、やはりもう一度検討されなくてはならない。つまり青山は「内在的」な「ワン・プラス・ワン」を批判的にとらえたからこそ、あるいはそのやり方ですでに最高の成果がなされた後に小説を書く立場だからこそ、意識的に中上的強度への傾斜を回避していたことになる。 実際、渡部直己との対談(「面談文芸時評」『新潮』2005年12月号)で、「秋幸」三部作でなくその後の「『異族』のように極めて平板なもの、浅田彰さんの表現を借りれば『劇画的なもの』、これをどう小説として開いていくか、それこそが自分が小説を書くにあたっての、唯一の問題系でした」と青山は語っている。さらに小説に取り組む上での現在の方針を次のように語る。 青山 なんとも言いにくいことですが、秋幸三部作を含め、中上作品はとうとう母権批判をできなかったのではないか、というのが僕の前提的な懐疑です。『地の果て 至上の時』にちらっと出てくるけれど、そのあとは出てこなくて、横滑りになる。しかし僕は、母権批判こそこの国の小説でなされるべきことじゃないかと、考えています。 このことは、一番最近の小説『サッド・ヴァケイション』(2005年)でも部分的に取り組みが始まっている。しかしながら、原稿用紙400枚にものぼる力作でもあり、ここでその出来の良し悪しを論じるには、もはや時間切れになった。ただひとつだけ補足すると、同作では『Helpless』のあと行方しれずになった「健次」の物語が展開されるのだが、なんとこれが、バスの旅から何年もたって大人になった「梢」の物語と直接に交わりながら、劇的に膨張を始めている。と同時に、「健次」の母「千代子」という「龍造」でもあり「フサ」(「秋幸」の母)でもあるような怪物的人物が造形され、「青山サーガ」の新たな展開が始まっている……。 今回は、青山の映画と小説についてはともかく、中上健次の作品世界に触れていない人には、かなり読みづらいものになったかもしれない。青山が文学において、もっともその「似ている」関係を持ち込んだ対象が中上であるからには、言及せざるをえないのだが、青山作品を受容する上で必ずそれが必要だというわけでないのも、最後に断っておきたい。青山に肩入れする割には、本稿は、そのあり方にふさわしくなく直線的な論法であっため、結局は言い落とされてしまう小説作品がでてしまった。これにもそれぞれ、ひと言ずついっておきたい。 『月の砂漠』(2002年)。映画では、三上博演じるITベンチャーの寵児にして野心家「永井恭二」が、とよた真帆演じる妻「アキラ」と娘「カアイ」に家出されてショックを受けている。なのに素直にそれを認めず、観念的なことをうだうだ言いつづけて、契約を結ぶ男娼「キーチ」にバカにされながら、しかし実はどこかで家族の絆を前提にしていることが、逆に「キーチ」を振り回す。何がしたいのかさっぱりわからない(妻にもこう言われてしまう)三上=「永井」になんか腹が立つのだが、小説を読んでもあまり印象が変わらない。しかし「青山サーガ」には若干縁がない、乾いた質感のユーモアがある。 『死の谷'95』(2005年)。これは傑作だろう。すごい。途中で震えた。上記の対談で言及されているのだが、アメリカ文学を大学で専攻していた青山としては、中上と「似ている」ほうの小説系列は、フォークナーが念頭にあり、こちらの二作は、フィッツジェラルドを念頭に置いているという。そこで渡部はまたぞろ「村上春樹とは本質的に無縁なフィッツジェラルド(ですね?)」と悪口をいうのだが、しかし、決してそう口にしなかったが、青山はこれが村上春樹に「似ている」といわれても、単に否定はしないだろう。「似ている」のは、まず問題化の姿勢のあらわれであるのだから。まあ、作中の具体的な「ワン・アンド・ワン」の対象は、夏目漱石だが。 さて、本稿を終えるにあたって、最後にいわなければならない。なんとなく気づかれる向きもあるかもしれないが、実は、近年の青山の映画をわたしは見ることができていない。これはまったく決定的な節穴を、この文章に作っている可能性が大である。とくに今年の公開された『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を見逃したのは、非常に良くなかった。見に行こうとしたとき、すでに関西での上映は終わっていた。DVDの発売も今月末で、気になることを確かめられなかった。 問題なのは、「健次」に「似ている」関係にある「現存在」浅野忠信と、「梢」に「似ている」関係にある「現存在」宮崎あおいが共演しているということ、しかも「青山サーガ」とは違う役柄、物語においてである。これはどう考えても、映画から出発したはずなのに小説において膨張を続ける「健次」−「梢」の世界にたいして、映画側から、また別様の「似ている」ものを追加しようしたのではないだろうか。つまり、これは映画作家としての青山真治が、自身の小説への批判ないしは批評をもたらしたということになろう。 さらに本稿にとって致命的なのは、宣伝用の写真などでうかがい知るところ、浅野忠信と共演の中原昌也が「ガスマスク」をつけていることである。この「似ている」ものは、いったい全体なんのためなのか? ほとんど理解を超えている。5月6月になっても各地の映画館を回っていたので、少々遠くても行けばよかったかのだが、後悔してももう遅い。とはいえ、さすがに関西から群馬、山口などにまで駆けつける気はおこらなかったが。 ■プロフィール■ (むらた・つよし)1970年生まれ。サラリーマン。「腹ぺこ塾」塾生。 |