『カルチャー・レヴュー』59号



■連載「映画館の日々」番外編■


長い髪の少女あるいは同一化の欲望
――やまじえびねのレズビアン・コミックについて

鈴木 薫



 やまじえびねのレズビアン・ストーリーといえば、代表的なものとして『LOVE MY LIFE』(2001年)と『インディゴ・ブルー』(2002年)が挙げられよう(*)。ウェブで見るかぎり、洗練された無駄のない線がつむぎ出すよく練られたプロットと丁寧な心理描写で、等身大のレズビアンを描いていると好評のようだ。現実はこんなふうにうまくはいかないという声もあって、それもまた理解できる。『LOVE MY LIFE』は、十九歳のいちこが父に恋人を紹介するところからはじまる。相手が女子学生だったので父はびっくりするが、それをきっかけに、父には男の恋人がおり、いちこの亡くなった母もレズビアンだったとわかる。エリーこと英理子は、男性優越主義者の父を見返すために弁護士になろうとしているが、司法試験を控えて勉強に集中すべき時期が来て、いちこはエリーと会えなくなる。そしてやってくる思いがけない形でのハッピーエンド。二人の外見を紹介しておくと、いちこはちょっと癖のある髪を頭にぴったりした帽子のように短くしていて、年上のエリーは真中分けのストレートの髪をあごの高さで切りそろえている。

『インディゴ・ブルー』は、よりリアリズム的と見られうるのだろう。若い小説家の路都(ルツ)は、学生時代の先輩であり今は出版社に勤めていて自分の担当になった龍二とつきあっているが、本当に恋したことのあるのは女性だけだ。環との出会いによって、彼女は龍二に別れを切り出せないまま二股かけることになる。環にそれがばれて交際を絶たれそうになるという危機を乗り越え、龍二ともきれいに別れて、これもハッピーエンド。環はsa vieを毅然と生きており、別れようとするときもルツに未練を見せない(いささかカッコよすぎ)。環の髪型はいかにもタチのベリーショートで(輪郭の中が黒く塗りつぶされている。いちこの髪が白いままでヒヨコみたいなのとは対照的だ)、ルツの方は襟足までのスタイリッシュなショート。龍二もできた恋人で、家庭や子供を望むのではない、ただそばにいてほしいだけだとルツにプロポーズする。しかも、ルツの友人の画家であるもっさりした伝さんが、「伝さんよりルックスが劣るから」会わせたくないと言われたあとでルツと一緒にいるところを見かけて鼻白むイケメンだ。脇役たちは『LOVE MY LIFE』でも的確に配されていて、いちこの母のかつてのガールフレンドの現在の相手は、額に深い傷のように皺と年齢を刻んだ女性だった。

『インディゴ・ブルー』は、『LOVE MY LIFE』のあと、大人の女性を主人公にもっと男性の絡む話をと編集者に言われて描いたとあとがきにある。作品にとってそのことはけっして悪く働いていない。同性愛ものはハッピーエンドで終らないと言われた時期があって、実際、ハリウッド映画に出てくる同性愛者たちは不幸な運命しか持てないという時代が続いたのだし、少女マンガでは先駆的なレズビアンものである山岸凉子の『白い部屋のふたり』も典型的な悲劇だった。東京レズビアン&ゲイ映画祭でハッピーエンドのレズビアン映画が上映されると、二人が死なないところがいいと、ことさら言う声が聞かれたものだ(だが、異性の恋人たちが死んで終る物語ならいくらでも数えあげることができ、私たちは長年それによるカタルシスにひたってきたというのに、同性の場合だけそれを忌むのはかえっておかしな話だろう)。『インディゴ・ブルー』にあるのは、ありきたりでない展開、すぐれた絵の技術、納得のいく心理描写、そして多少の理想化だ。しかし、それだけならば、あえてここで取り上げることはなかったろう。今のように見るからに手だれの作家になる以前にも、彼女には多くの作品があり、すでにそこには女同士の愛憎がきらめいていた。そうした萌芽は、松浦理英子の短篇『乾く夏』にインスパイアされ、発表を予定しないで描かれたという「夜を超える」(2003年に同名の短篇集に収録、執筆は1991年)に結晶している。

 後年の作が都会の〈マンション〉住まいの女たちにふさわしく、無機的でシンプルな線で構成されているのに対し、「夜を超える」の絵柄は少女マンガのそれで(当時の彼女はいろいろな絵柄を試している。一作一作絵が違う、岡田史子のように)、描線は植物的に丸みをおび、髪は一本一本書き入れられている(エリーやルツの髪はもっとあっさりと線が入れられている)、西洋風のインテリアや街並みはリアルな日本からほど遠い。そして野外の場面では、草や木の葉の描き方が(そして人物も)大島弓子を思わせる。幕開きの場面で、白布を掛けた大きな肱掛椅子を一つずつ占領しているのは、リストカット癖のあるエキセントリックな美少女・香織と、友だちの沙英だ。彼女は、香織の前の恋人・井波とつきあうよう、香織にしむけられている。松浦の読者にとってはおなじみのシチュエーションだ。香織にとって、男はセックスの相手以上のものではない。そして沙英の方は、月経はあるものの手術によらなければ性交不能の身体らしい。二人の少女にとって重要なのは、結局のところ互いの関係なのだが、しかし彼女たちはストレートに(?)同性愛の関係には入ってゆかない。直接触れ合うことなく、男を介在させている。性を逆転すれば、これはホモソーシャリティという名で広く知られた現象だ。女の交換は普遍的だが、しかし、女による男の共有は文化の中に存在しない。

 ありうべき誤解は、これを、『LOVE MY LIFE』や『インディゴ・ブルー』へ至る以前の未熟な段階と見なすことだ。女同士が堂々と愛しあうことができず、異性愛のかげに隠れている。そう考えること自体、ある意味で倒錯的と言えよう。なぜなら、規範の枠組によるなら、女同士で愛しあうのは未分化で幼児的な段階にとどまることであり、男女で性行為を行いうることこそが成熟のしるしであるからだ。しかし「夜を超える」の少女たちは、女同士の性行為に至り得ないゆえに未成熟というわけではなく、すでに異性愛に地平線まで踏み固められた世界において、ペニスの介入なしでは性行為がありえないという規範〈後〉を生きている。それゆえ、直接触れ合わずに迂回する。むろん、男など介さず直接触れ合ったほうが気持ちいいに決まっているが、しかし、自らをレズビアンと呼ぶことに疑いを持たない女たちが登場する後年の作品が失ってしまったものが「夜を超える」にはあるのだ。

 ヘテロセクシュアルの女とは男を欲望する女ではない。また、男と寝て快楽を得ている女でもない。女同士の快楽を信じられない女だ。荷宮和子が《「女=たとえ好きな男が相手でも、セックスで満足できるとは限らない身の上に、自身には何の責任もないまま生まれてしまった生き物」に比べれば、「男=射精さえ出来れば満足出来る、すなわち、何「の努力もしなくともいい思いをすることが出来る体に生まれた生き物」は、生まれてこれただけで僥倖に恵まれていると言える訳であり、ゆえに、女である私は、「男に生まれてきた」という理由だけで、十分すぎるくらいに男が憎いのである》(「大航海」No.28 新書館、2006)と書くとき、すべての男女が実際にそうであるかは問題ではない。彼女はただ、ヘテロセクシュアルの女の絶望を語っているのだ。

 にもかかわらず、ヘテロセクシュアルの女は、女同士の関係をどこまでも性的ならざる結びつきとしか見ることができない。それを、男との性交に較べたら取るに足らないものと考えることしかできない。彼女たちが想像することのできるのは、男に絶望した女たちの傷の舐めあい、政治的レズビアン、シスターフッド、女縁。せいぜいがそんなところだ。あるいは、男の表象を中心にして、手の届かない男に共通の関心を持つて女たちが群れつどう、脱性化された世界の気の抜けたソーダ水のような味わいをレズビアニズムと取り違える。宝塚。ヨン様。やおい? そもそも男の表象なくしてはセクシュアリティは作動しないのだから、そういった女同士の二次的な関係すら、男という求心力を失えば不可能になると彼女たちは考える。

 ヘテロセクシュアルの女とは男を欲望する女ではない。女の性的表象に性的昂奮を覚え、それをおのが身に引き受けようとする女だ。享楽を得る女へのナルシスティックな同一化。女の表象が享楽のしるしである私たちの文化において、それは男性主体には公式には許されていないものであり、また、男が女を欲望するように女が男を欲望するのではないヘテロセクシュアルの女の欲望が、レズビアンの欲望と区別がつかなくなるかもしれない一点でもある。香織は沙英を、現在のボーイフレンド湯本とのドライヴに誘う。三人でドライヴしたいと彼が言ったというのは沙英自身も思うようにたぶん嘘で、湯本にとって沙英は香織との男-女関係にとって余計なものだ。湯本にうながされ、香織は30分だけと彼と一緒に姿を消す。そして後刻、それでも平気なのかと沙英をなじり、「湯本なんか死ねばいい」と口にする。「人を物みたいに扱って」。しかし別れるのかと沙英が問うと、「別れたら二度とつかまらないわ あんな好色」と答える。香織が湯本と旅行に出ると、香織の前のボーイフレンド井波の部屋で、沙英は井波に香織のように愛される。「過去の男たちとは比べものにならない」闇の中で沙英は呟く。「彼はこうして香織と幾晩もすごしてきたのだ」。彼女の快楽、彼女として感じること。次のコマで闇の中に横たわるのは沙英ではない。顔の上半分に髪がかぶさり、唇を開いた香織の傍には、「香織になったような気がする」と文字が白抜きされている。

 胴体だけの金色のマネキン人形――なまめかしくかつストイックな――そのようなとして香織が沙英を見ていることが、それ以前に沙英と井波のあいだで語られていた。彼女の身体的な欠陥――それともそれは、『親指ペニスの修行時代』のヒロインにおける足指の欠陥に似て、彼女のセクシュアリティを(非本質的な)異性間性交におさまりきらないものにする「過剰」なのだろうか?――が男性器の侵入をはばむ。朝帰りした沙英は、湯本との旅行を中止して戻った沙英を自宅の前に見出す。今まで井波のところにいたことを告げ、沙英は彼女を置いて中へ入ろうとする。井波との性交の成就(の誤解)、彼女がもはや金色のマネキンでないかもしれないことは、香織に自殺を図らせるほどの衝撃を与える。二人の関係をシスターフッド的なぬるい一般化から遠ざけるのは、この強度にほかならない。

『インディゴ・ブルー』では、女同士がはっきり身体を重ね合わせると同時に、男より女を選ぶのはなぜかが真剣に問われることになる。なぜ龍二では満足できないのか。男と「して」も気持ちいいけれど、女でなくては愛せないとルツは考える(セックスがタブーでなくなって以来、最後に担保されるのは愛だ。龍二は愛せなかったが、環によって自分が人を愛しうるとわかったとルツは言う)。十六歳からレズビアンとして生きてきた環は、捨てるものも大きいのによく選んだというルツに、何も捨ててはいないと反駁する。男とつきあえないから、男に愛されないから、男とのセックスがよくないからレズビアンに走るといった浅薄な見方は、ここでは完全に否定される(むろんそれは否定されるべきだ)。龍二とのセックスもよかったことが、科白として彼に告げられる。三人の関係をリフレクトするルツの小説は完成し、彼女の担当を龍二は離れる。やまじえびねの描線のようにすみずみまで神経が行き届いた、誰も傷つけることのないやさしい世界。そして世界は(『LOVE MY LIFE』同様)美しい一冊の書物となって終る。

「夜を超える」やその他の先行作品にはあって、近年の作品からは消えたもの、その中で誰の目にも明らかなものを一つ挙げよう。それは相手役の女の長い髪だ。香織の元カレに「され」ながら、闇のなかで沙英が思い浮かべる香織の顔を覆っていた長い髪(もっと前のページで、それは生き物のように宙に躍っていた)。「封印」(『夜を超える所収』、初出は1992年)では、画家カティアの「ただの女友達ではない」ジーナが、長い髪を真中で分けていた。うつつには拒みながら夢遊状態で魂は男に会いに行っていたジーナを、絵の中に封印しようとして、実在したレズビアン画家ロメーン・ブルックスと同じポーズ、同じ構図でカティアは描いている。絵柄は違うが、また長い髪ではないがエリーも真ん中分けだ(ちなみに、香織は前髪を切りそろえている)。いちこに対しては年長の経験者としてふるまうエリーのフェム性は、元ボーイフレンドと偶然遭遇した直後、彼とのセックスで感じるエリーを思っていちこが欲情するというエピソードであらわになる。対して『インディゴ・ブルー』では、環が昔寝たことのある男の話をし、ペニスを入れられること自体が気に入らないと言い、相手の男にお尻に指を入れさせてと頼んだらとんでもないと怒り出したと言ってルツを笑わせるが、ルツを(そして私たちを)欲情させはしない。彼女は、ペニスでしか感じない男並みに同一化の欲望をそそらない女なのだ。

 真ん中で分けた長い髪は、「美雪」(『スウィート・ラヴィン・ベイビー』所収、初出は1993年)の主人公が惹かれる、いつも黒い服の「尼僧のような」美術学科の学生、美雪の特徴でもある。映画学科の美しい男子学生と彼女が話しているのを見て、「これが現実?」とヒロインは自問する。しかし、最後には、美雪に話しかけると、今度自分と同じ文芸学科に移ることを告げられ、いつも私を見ていたでしょうと言われ(谷崎の『卍』の二人の出会いのようだ)、男と一緒にいる美雪を見てどういう感情を持ったかを言わされ、ついに彼女への欲望までを告白させられる。そして、「あなたがしてほしいことはなんでもしてあげる」という信じられない応えが返ってくるのだ。これはとうてい現実ではない――幻覚的な願望成就だ(だが、それが彼女の妄想であるとはどこにも語られていない)。政治的に正しいハッピーエンドとは性質を異にするこの穏やかな結末は、皮肉にも、作家に作品を(マンガや小説を)可能にするのと同じ種類の欲望に支えられている。

 フロイトは規範的な性愛しか認めなかったと主張する、フロイトを読んでいないフェミニストたちがいる。だが、実際には、規範的な性愛と逸脱した性愛と言われるものとのあいだに本質的な違いはない(どちらも性器的体制に統御されている)とフロイトは考えたのだ。しかし、違いは本当にないのだろうか。たとえば私はロラン・バルトについてスーザン・ソンタグが書いている、「倒錯は解放する(Perversion liberates)」(**)という言葉を思い出す。もっともソンタグは、バルトはそういう「古風な」考えを持っていたという、肯定的とはいえない文脈でそう述べているのだが(”Under the Sign of Saturn”)。しかしそれはけっして古風な考えなどではない。問題は、それをどう表現するかということだ。違いがないとひとたび断言したあとにすべきは、ともに規範に入ることではない。さらに逸脱しつづけることだ。

「夜を超えて」は、女装した老いたローラースケーターが深夜の路上を素晴しいスピードで駆け抜けるのを、二人の少女が目撃するところで終る(今回、『乾いた夏』を読み返せなかったが、この老人は原作にあったと思う)。「生と性を超えた」超人と彼は呼ばれる。しかしこれは言葉だけのスローガンにとどまり、それ自身にさほど魅力も感じられない上、やまじえびねの以後の作品に引き継がれてもいない。美しい書物は破り捨てよ。やまじえびねには規範を超えてほしい。

*以下で言及するやまじえびねの作品はいずれも祥伝社から出ている。
**原文は“It liberates”だが、邦訳版『土星の徴しの下に』(晶文社 1982)はこの”It”を「文学」と訳していた。単純な先行詞の取り違えだと思うが……。あるいは翻訳者には、「倒錯が自由にする」などという発想は思いもよらなかったのかもしれない。

■プロフィール■
(すずき・かおる)成瀬あと一回で終りにと思いつつ先延ばしに……。本当は『セックス・チェンジズ』の書評を書かなくてはならないのですが(某所で、近いうちここに書評を載せるとふれてしまったもので)。それを覚えていて来て下さる奇特な方(おられたとして)に満足していただける内容だったかどうか……。今回、記憶だけで書いてあとからマンガを参照すると間違いだらけなので、訂正せざるを得ませんでした(成瀬は見直せないので、その点楽かも……)。次回できっと……いえ、たぶん、完結させます。
ブログ「ロワジール館別館」

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■連載「文学のはざま2」第4回■


『日本文学盛衰史』『ミヤザワケンジ・グレイテストヒッツ』ほか
高橋源一郎の最近の小説はいかが?(2)

――あの素晴らしい「国民文学」をもう一度


村田 豪



 前回は、『ゴーストバスターズ』を転機とした高橋源一郎が、その後『日本文学盛衰史』において浮かびあがらせようと試みた「文学の可能性」を粗描した。これは、明治の文学者の格闘を通してえがかれているのだが、その文豪たちを現代風俗のなかで立ち回らせるという虚構の設定を持ち込むことで、高橋は、同時に彼自身を含めた現代小説家のかかえる課題ともこれを重ね合わせようとしている。このこともすでに簡単ながらたどることができた。

 そして、この「小説の可能性」が、究極において「表象不可能性」(二葉亭四迷の逐語的翻訳)と結びつけられるとき、問題は「文学と政治」という大きなテーマにかかわりはじめることになる。それは題材においてでもあり、また書くこと、表象することがはらむ「政治性」においてでもある。今回はこのことにまつわる問題の意義をあきらかにし、さらに高橋の他の近作ではどのように展開されているのか、解明してみたい。

 全体で40章を越える大部の『日本文学盛衰史』においては、多数の作家の多様な文学的生活がえがかれている。時系列も必ずしも一本調子でなく、一見雑然とした出来事の羅列のようにもみえる。しかし、その中でも作者が構成上の中心として一番の力点をおいているのは、「大逆事件」を背景にした夏目漱石と石川啄木の交渉であるといえる。そして前回予告したように、ここにこそ高橋が同作に盛り込んだ最大のテーマをよみとることができるだろう。

 確認しておかなくてはならないのは、漱石は「大逆事件」(1910年)について自分の考えらしきものをあきらかにしていないことだ。また、その後の作品にも事件の直接的な影響はあらわれていない、と通常みなされている。ただ、幸徳秋水以下の社会主義者を一網打尽にし、運動と言論への未曾有の大弾圧となった「大逆事件」にたいして、かろうじて一定の応接を示しえた文学者は、啄木、森鴎外、永井荷風、田山花袋などの少数のにかぎられていた。であるからには、漱石が事件について沈黙していたこと自体は、けっして特別に奇異なことともいえないのである。

 けれど、朝日新聞文芸欄主宰という立場にあり、日露戦争後の文壇においてすでに大家の一人であり、それに事件と裁判の渦中にいるのが、自分からそう遠からぬ人々であるにもかかわらず、漱石が何も言わずに済ませたのはなぜなのか。こういう疑問がおのずとわきあがることも否定できないかもしれない。

 この疑問にたいして、高橋は作品のなかで作りあげたフィクションに託して明瞭な解答をあたえようとしている。それが、「大逆事件」をめぐって啄木と漱石の間に生じたやり取りということになる。これには証拠があるわけではない。けれど、当時の状況や出来事の前後関係、各自の立場、作品の内容、日記やエッセイの言葉などをつなぎ合わせるなら、確かに似たようなことはあったのかもしれない、と想像することはできるようになっている。

 ここをかいつまんで説明すると、まず、「でっちあげ」に近い形で幸徳たちに「大逆罪」(=死刑罪)が下されつつあり、社会主義者への弾圧が大規模に進行していくさなか、啄木は「時代閉塞の現状」を書いた。これは、体制に服従するしかない「自然主義」を批判し、「強権(=絶対主義的天皇制国家)」を「敵」としてあからさまに名指そうとする点で、当時としては類例のない思想的突出を示した評論として名高い。ここまでは事実。

 それにたいし、では朝日の文芸欄掲載のために誰が啄木に原稿依頼したのか、それは実は漱石だったのではないか、と高橋は推察するのだ。また、啄木の仕事や生活の状況を漱石が気にかけるという場面を、作者はたびたび作中に挿しはさんでいる。このことが、上記の疑問にたいするひとつの解答になっているのはみやすいだろう。つまり、漱石は自分の書きもののなかでは公にしなかったが、啄木の思想的追求を励まし支え、それに共感することで「大逆事件」に向きあっていた、というのだ。

 ところが、もうひとつの事実がある。というのは、啄木の「時代閉塞の現状」は結局、当時朝日新聞に掲載されることはなかったのだ。そして、こちらについての解釈のほうがより重要な論点をはらむだろう。高橋は、なんと、啄木の原稿を掲載するのを見送る決定をしたのもまた漱石だった、とするのだ(「時期が悪すぎた。森先生の作品でさえ発禁になったのだ。君の評論が載れば、朝日は大きな打撃をうけただろう」『日本文学盛衰史』講談社文庫p522)。

 高橋の考察はさらに広がる。「強権」にのまれようとしている「現状」への批判を公表させず、啄木への「裏切り」をおこなった漱石は、ある種の罪と悔恨を抱くことになる。それが後の小説『こころ』に謎めいた記述として反映しているというのだ。そのもっともたるものが同作中の「K」という人物である。これまでの漱石研究においてもさまざまに「K」のモデルが推定されたが、これにまじって高橋は、「K」には石川啄木が仮託されている、と結論づけるのだ。つまり、「先生=漱石」は、「K=啄木」への罪深い裏切りを告白していることになる。

 さて、この論証をまじえた高橋のフィクション(としての物語)に妥当性があるかどうかは、さしあたり問題ではない。興味がある方はじっくり作品を読んで検討していただきたい。それとこのあたりについては、すでに批評家スガ秀実からの痛烈な批判がある。「大逆事件にもただ沈黙していただけではない」というように、漱石に「進歩的な」イメージをあたえようとするのは、「国民作家」として漱石を温存しようという、きわめて党派的かつナショナリスティックな目論見にほかならない、というのだ(『「帝国」の文学』および「批評空間Web CRITIQUE」での一連の論争を参照のこと)。おおむね私はスガに同意するが、ここで同じ批判を繰り返す必要はないだろう。

★Blog版の続きは、ここからです。

 私が本稿で問題にしたいのは、漱石をこういう位地に配置することで、作中主要人物である作家たちがそれぞれになう、書くことの態度とその難問についての「表象」の類型が完成することだ。さらにそれによって高橋がおのずと「文学と政治」の関わりについて、自身の考えを明示することになっている点である。ここでは説明の便宜のため、「現実(あるいは真実)」を「R」とし、「作品(あるいは表現)」を「F」として、以下に「表象」の関係の四つのパターンを図式化する。一般に表象は「R→F」(現実を作品にえがく/真実を表現する)とあらわすことができるとする。

 (1)二葉亭四迷「R=F」《表象の停止》
 (2)田山花袋 「R→R’」《表象の超克》
 (3)石川啄木 「R’→F’」《表象の(再)運動》
 (4)夏目漱石 「F’→F”」《表象の循環》


(1)「R=F」《表象の停止》
 四迷は直感的に「真実R」を把握しながらも、「表現F」へとたどりつかない。なぜならその「R」にふさわし日本語はまだなかったからだ。それゆえ「R」をそのまま「F」とするしかない。これが「R=F」の意味である(たとえばロシア語そのままのようなツルゲーネフの翻訳、あるいは西洋からもちこまれた近代の理念そのまま)。そこにはすでに触れたように「表象不可能性」という問題がかいまみられるが、しかしこれはまた別にいいかえれば、「表象の停止」あるいは「表象の否定」にほかならない。四迷からみて、日本の現実において「R→F」と進みうるとするのは、端的に虚偽なのだ。なぜなら、日本に「表現する言葉がない」ことだけが問題だったのではなく、実は「えがくべき現実そのもの」がなかったからだ。事実、四迷は小説が書けなくなる。ただし、この「表象の停止(ないし否定)」は、他の作家に大きな影響を与えることになった。後の文学者から見れば四迷の「R=F」は、「表象の停止」としてよりは「R」そのものに、つまり「えがくべき現実」があることを示すように見えるからだ。

(2)「R→R’」《表象の超克》
 島崎藤村『破戒』によって、日本自然主義文学はようやく真実を表現しえた(「R→F」)と誰もが思ったとき、それでも花袋はまだそれが「真実=ありのままの現実」を暴露できていないと感じた。もちろん藤村は、「新平民」の登場人物「丑松(うしまつ)」を通して階級と差別を色濃く残す(強める?)日本の社会のありようをはじめてえがくことができた。しかし「作品F」にあらわされたとたん「真実R」そのものは、「F」の背後に隠れてしまうのではないか。実際、『破戒』において丑松が「懺悔=告白」によって「救済」されるのは、きれいごとのようにみえるし、何かが変だ。だから花袋は、「真実」をよりいっそうえぐりだすには、表象を縛っている「表象性」そのものを乗り越えなければならないのではないか? と考えた。それには、「真実」自らが「露骨」そのものになることによって、表象を追い抜く以外ない。「R(→F)→R’」。これが文学史上名高い花袋の論文「露骨なる描写」の主張である。

 たとえば小説「蒲団」において、女学生との関係を「単なる表象」にとどまらせないのは、「性欲と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた」という一節であろう(まあ、いまとなっては、「何なんだこのセンチなおっさんは?」と多くの人はただ反感しかおぼえないだろうが、当時これほど破廉恥で情けなくもばかばかしいことを文に書いて公にさらしてはならなかったし、やはりこれはスキャンダルだったのだ)。しかしこの「表象の超克」は、それ自体すぐにも表象へ転化する「(R→R’)→F」おそれを抱えている。それゆえ高橋は、フィクションの花袋に、「単なる表象」に堕落しないように、躍起になって「露骨」を求めつづける喜劇(小説を捨ててアダルトビデオに走るスラップスティック)を演じさせる。

(3)「R’→F’」《表象の(再)運動》
 啄木は、「時代閉塞の現状」で、「我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがない」と文学者がおちいっている無力をとらえ、この自滅的な「閉塞」から脱するには、「『敵』の存在を意識しなければならぬ」と主張した。これは、国家権力によるフレームアップの色合いが濃い「大逆事件」にたいして、当時おこなわれた、ほとんど唯一の直接的な批判であった。なぜ啄木にだけこれが可能だったのか? もちろん啄木はその前年あたりから社会主義に関心を強めていて、幸徳らに同情はあった。ただし、それ以上にこの評論が「政治」としての問題より先に、「自然主義(文学)」批判において徹底化されていたからではないかと本稿では推察する。「自然主義」が陥っている「表象の機能不全」を暴くことが、おのずと「政治」への批判に啄木を押し出していることがよくわかるのだ。

 同作中で啄木は、浪漫派(広義の自然主義)のえがく「理想」はもはや感傷的な「空想」にすぎず、他方、純粋自然主義がえがく「現実」は、「自己否定的」「観照的」な姿をした単なる服従にすぎないことを指摘する。つまりその表象「R→F」において、前者は「虚偽」となり、後者は「敵の存在」に目をふさぐ「逃避」となる。

 さきの(1)(2)の図式との関わりでいえば、こういえるだろう。前者浪漫派は、四迷の措定した「R=F」をもとに「R→F」と表現しているつもりが、実はただ表象の上っ面をなぞっているにすぎない。そして「(R≠)F→F’」(表象の回送)というこの過程には、自分たちが取り巻かれている具体的「現実」をとらえる契機がまったくないことがわかる。一方花袋の試み「表象の超克」(R→R’)をまねた自然主義者の「現実暴露、無解決、平面描写」は、ひたすら自己のまわりのより卑小な事柄(「r」)に傾斜するばかりで、「表象」は「超克」されるのではなく、「縮減」して行き詰まる(「R→r」)。これらにたいして啄木は、表象が空転し(「F→F’」)、えがかれる内実が萎縮してゆく(「R→r」)のはなぜかを問い、それがほかならぬ「敵」を「敵」としないところに原因がある、と探りあてるのだった。以下引用。

 かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨てて、盲目的反攻と元禄の回顧とを罷めて全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならない。(略)
 すなわち我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけではない。いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」!これじつに我々が未来に向かって求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。(「時代閉塞の現状」)

 この「宣戦」によって、啄木は「真実R」の位地に新しい「理想」=「必要」を置きなおすことを求める。それは「明日の考察」へと、あらたな表象行為「R’→F’」へと啄木を動かすものとなる。実際、この後も啄木は、さらなる思想的発展を継続していく。ただし、実を言うと「時代閉塞の現状」を書いていた時点で啄木は、「陰謀事件」としてその概要を仄聞するだけで、幸徳たちがそれぞれ事件にどのような関わり方をしたのか知らなかった。これは啄木だけではなく、官権によって裁判は極秘にされていたので、一般にも知らされてはいなかった(そして後にもほとんど知られずにいたのだ)。それでもこの時までに啄木は自力で問題を引き寄せてはいたといえるだろう。

 その数ヶ月後、「大逆事件」弁護人となった友人の歌人・平出修から直接話を聞く機会を得て、啄木はようやく「大逆事件」の本質をはっきりと知る。その日は幸徳の「陳弁書」を借りだして筆写し、またクロポトキンなど社会主義関連文献を読みふける日が続く。そして幸徳を含む24名もの死刑判決がでたときには、衝撃を受け「畜生!駄目だ!」と吐き捨てるように日記につづり、またわずか六日後の彼らの処刑の日には、事件の記録を整理した「日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象」を一心に書き続ける。その後も幸徳らの手紙や「訴訟記録」をむさぼり読み、一度病に倒れるが、回復後には幸徳の陳弁書の写しを「A Letter From Prison」と名づけるとともに注釈を加え、「“V'narod”Series」としてまとめあげる。その時啄木は、自己の思想的立場を社会主義にとどまらず、すでに無政府主義にまで押し進めていたのだった。

 確かに表象は「R’→F’」と力強く動き出していた。しかしながら「暴政抑圧」によってそれらを公表することができない状態にあって、啄木は「行為をもって言語に代えようとする人々の出て来るのは、実に止むを得ない」と、「テロリズム」への同意にも思いをはせることになる。その時の詩的成果が、有名な「ココアのひと匙」として残されている。

  われは知る、テロリストの
  かなしき心を――
  言葉とおこなひとを分かちがたき
  ただひとつの心を、
  奪はれたる言葉のかはりに
  おこなひをもて語らむとする心を、
  われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――
  しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

  はてしなき議論の後の
  冷めたるココアのひと匙を啜りて、
  そのうすにがき舌触りに、
  われは知る、テロリストの
  かなしき、かなしき心を。

 しかしこのように「言葉」(=表象)がもちうる力の限界を思考しつつも、啄木自身が「おこなひ」におもむくことはありえなかった。なぜなら、そのめざましい「表象の運動」だけが、貧困と病に苦しめられながらかろうじて実行されただけであり、この後一年もしないうちに27歳の若さでこの世を去ることになるからだ。

(4)「F’→F”」《表象の循環》
 啄木の急激な思想的転回にたいして、漱石(高橋の創作した漱石)は、一定の理解と共感を示す。しかし、それもつかの間、啄木の「表象の運動」は、漱石の独自の文学的態度の前で空転を余儀なくされる。なぜなら、この漱石は堂々と「表象の循環F’→F”」こそが文学だと規定し実践するものだからだ。たとえば「時代閉塞」の不掲載について、啄木と漱石が会話をかわす場面(もちろん架空の場面)があるのだが、ここで啄木は、“「実行」したわけでもなく、ただ無政府主義思想を言説にしただけの幸徳が死刑にされ、それが誤りであると知っているはずなのに、どうして「先生(漱石)」はそれに口を閉ざしてなにもおっしゃらないのか”と訴える。それにたいし漱石は「きみは正しい。だが大切なのはそのことではないのだ」と答える。この漱石にとって「真実の表象」(「R→F」)は「正し」くても、文学にとって大切ではないとするのだ。

 他の箇所でも高橋は、漱石に同じような述懐をさせたり、同型の解説をあたえたりする。たとえば、四迷の作品が後世に読みつがれることはない、と否定的な「予言」を語る場面では、その理由を漱石は、「あの人は正しくてかつ間違っているからさ」、あるいは「ほんとうのことしかいわないからさ」と述べている。四迷が表象を「否定」するにいたるほどに「真実R」を求めたことを、「正しい」とよびながら婉曲的な批判をにじませていることになる。そしてこれは、啄木や四迷にとどまらず、近代文学全般についての漱石(=高橋)の考えでもあるのだ。以下引用。

 漱石は日本近代文学の誕生に立ち会っている。そのことを我々は忘れてはならない。二葉亭四迷も北村透谷も『破戒』も『蒲団』もすべて、彼と同時代の出来事だった。彼はそのすべてと併走しながら、彼の文学を産みだした。近代文学は真実を描かねばならない。けれども、それは真実を直接描くということではない。その小さな隙間の中に、漱石の作品は存在しているのである。(略)/漱石は作品の中に多くの謎を書き残した。漱石の謎は、その生涯にではなく、作品の中に探らねばならない。では、どうやってその謎を探ればいいのか。/もし私が漱石ならば、と考える。そして、あまりにも重たいモチーフ、直接には言葉で書き表すことができない事実や体験を小説に書こうとするなら、おそらく、わたしもまた、謎めいた書き方を選択するだろう。(『日本文学盛衰史』講談社文庫p478〜479)

 すでに繰り返し説明したように、表象「R→F」は、その標準的な過程をつねに実現できないでいる。停止したり、逸脱したり、押し戻されたりするからだ。だから「真実をありのままにえがく」というのは、ある種の「イデオロギー」でありうるし、表象が実際は循環「F’→F”」しているだけだ、という観点はある局面では重要な認識である。本稿でも、確かに四迷や花袋の後続者たちがはまりこむ陥穽を「F→F’」のような表象として類型化し、(1)や(2)に対置した。しかしこれは、「真実」をえがこうとしてのみ陥る難問であるだろう。

 それにたいし漱石(=高橋)は、はなから「(文学は)真実を直接描くということではない」と宣言する。そしてあたかも表象の動きを好きに操作しうるかのように語る(「直接には言葉で書き表すことができない事実や体験を小説に書こうとするなら」「謎めいた書き方を選択するだろう」)。漱石はここにおいて、一人の作家というよりは、この「表象の循環」をになう審級であるかのようにあらわれる。だから、各作家を用いたこの大掛かりな表象パターンの組み合わせは、最終的には、どんな文学的・思想的実践も、ただ漱石(と作者)のこのような「達観」に回収されるような構造をしているのだ。

 けれど単純にいって、「表象の循環」を「選択する」というのはありえない。人が表象「R→F」にかかわる場合に、思いもしないズレや運動をさえぎる障害としてだけそれはあらわれる、としかいえないのではないか。しかし高橋は、漱石にこれが操作可能であるように振る舞わせる。象徴的なのは、やはり、啄木の作品を公表させないという漱石の一方的な「選択」だろう。「真実=えがかれるべき現実」をとらえた突出した表象「時代閉塞の現状」を差し戻し、代わりに「謎めいた書き方」をした『こころ』を世に送り出すのだから。しかしこのような「謎」はいくら解読を試みようと辿りなおしても、「真実」にいたることのない虚構の連鎖「F’→F”→F”’→ ……」をもたらすだけである。だから『こころ』が啄木への贖罪として書かれたなどということは、事実がどうかという以前に、それ自身の構造によって意味や証明にたどりつきようもない。

 そしてここでもう一つ、どうしても指摘しなければならないことがある。これは本稿をかなり書き進めるまで気づかなかったことなので、少々前言の言いなおしになるのをお断りしたい。何かというと、漱石が啄木に「時代閉塞の現状」を発表させなかったという仮説の重要な状況証拠として、高橋が引用している啄木の日記があるのだが、実はこれ自体が高橋自作自演のマッチポンプだったことだ。以下引用。

 「思想上に於いては重大なる年なりき。予はこの年に於いて予の性格、趣味、傾向を統一すべき鎖鑰を発見したり。社会主義問題これなり。予は特にこの問題について思考し、読書し、談話すること多かりき。ただ為政者の抑圧非理を極め、予の保護者、ついに予をしてこれを発表する能わざらしめたり」(略)
 まとめてみよう。啄木は、漱石の依頼を受けて「時代閉塞の現状」を執筆した。だが、それは日の目を見ることはなかった。なぜなら「為政者の抑圧非理を極め、予の保護者、ついに予をしてこれを発表する能わざらしめた」からである。では「予の保護者」とは誰なのか。これもまた漱石以外に考えられないのではないか。(『日本文学盛衰史』p475〜p476)

 この章「WHO IS K? @」では、上記のごとくほとんど文学研究の論証のようなくだりが続く。そして推論を試みるこの語り手が、はじめからほぼ作者の高橋であることがあきらかにされている。だからふつう読者はこれをそのまま鵜呑みにするしかない。もちろん推論の部分は疑いえる。しかし引用されている啄木の日記それ自体が、「創作」(改竄?)されているとは、なかなか気づかないのではないだろうか。

 実際の啄木の日記には、高橋が注意をうながしている「予の保護者」という言葉はまったくどこにも存在しない。『石川啄木全集第6巻日記2』(筑摩書房)によると、この一節は正しくは「為政者の抑圧非理を極め、ついに予をしてこれを発表する能わざらしめたり」である。だから、高橋はここで、何年か前に遺跡発掘捏造で話題になった、「神の手」をもつとよばれた在野の歴史研究家のように、遺跡発掘現場に自分であらかじめ石器を埋めておいて、自分で掘り出し、従来の定説を書きかえる重要な発見をした、と言っていることになる。

 なぜこんなことをする必要があるのだろうか? まず確認しておきたいのは、「発掘偽造」のようなこの「創作」自体は、実はまったくたいしたことのない、ほんとうに小さなことだということである。なぜなら、別に「予の保護者」という言葉を差し挟まなくても、高橋の漱石にかんする推論やフィクションは、特に問題なく成り立つだろうからだ。作中ほかの箇所でも自由自在に文豪たちを動かして、現実にはありえない話を創造しているからだ。

 要するにこの「偽造」は論証のためにどうしても欠かせなかったというわけではないのだ。とすれば、これはよりいっそう解せないことになるだろう。明瞭な目的のない「偽造」。――考えうるのは、啄木の日記を細かく読みも調べもしないだろう一般読者を欺き、逆に、見ればおのずと気づくはずの研究者・文学者にはその「作為」を誇示するためぐらいか。

 確かにこれは「謎」にはなる。そしてこの「謎」は、高橋のえがいた漱石の創作態度とより強い親和を示し、自身と漱石との同一化には最高の証明になるだろう。とすれば高橋にも正直には語りにくいなんらかの罪深いことがあるというのか。漱石が社会主義弾圧の風潮にのまれて、啄木を黙殺したような、何かそんなひどい罪があり、こっそりその贖罪のために、こんな作品を書いたとでもいうのだろうか。

 しかし、もうこういう問いを繰り返す必要ないだろう。表象が、真実や事実「R」をとらえるのを逸らし、別の表象へずれてゆく「表象の循環」(「F’→F”」)を高橋が優位に位置づけるかぎり、これは行きつく先をもたない「謎」解きの連鎖に迷い込むしかないからだ。作者が意図しようがしまいが、こんなことにいつまでもつき合い続けることはない。それに漱石が、そのような作家であるのは、とりあえず高橋の目論見の中だけである。

 あるいは、ひるがえって、もっと実際的にとりあつかうこともできる。――このようなものこそまさに天皇制ではないか、ということだ。すでに「強権」とは多少とも分離させられているにせよ、「万世一系」のアレは、今も啄木の時代とほとんど変わりなく、「真実=あるべき現実」をえがかせず、「あるがまま」から目を逸らさせている。そして自らを「謎」めかせるためにはその歴史の「偽造」もいとわないのではないか。というかお手のものというべきか。実際、最近の「皇室典範改正」騒ぎをみても、健全な表象「現実を表現する」ことが、彼ら天皇・皇室にまつわることについては、ほとんど不可能に近いということを如実に物語っている。だから高橋は生々しくもこのような「現実」を、表象するというのとは少し違うやり方で、作品上で実演するかたちで「転写」したのだ。これは解釈されるのではなく、そうあつかいうるということである。

 だから「漱石との同一化」は、作品の構成の一部であり、前述したスガ秀実のような批判にも一定の保留がでてくる。なぜなら、「修善寺の大患」において胃潰瘍という無意識が企てた「小さな大逆」に自らおののき、最終的には天皇への恭順を示す、というようなスガによる精神分析的な漱石解釈(詳しくは『「帝国」の文学』参照)などよりは、はるかにえげつない、天皇制そのものの「漱石=高橋」像だからだ。ここでは「進歩的なイメージ」など、まったく担保されないはずである。いずれにせよ高橋が『日本文学盛衰史』において、表象過程のいくつかのパターンを関連づけ、表象が「運動」として機能するのを妨げる日本的な構造を摘出し、今でもそれが繰り返されるのを演じてみせたことには、やはりそれなりの評価を与えてしかるべきだろう。

 ところが、いかんせん困ったことに、作品内の「高橋」と現実の作者高橋源一郎をこのように分離してみても、同作以外での高橋の言説が、これをかなり裏切っているようだ。たとえば『盛衰史』とほとんど同じ明治の文学者を題材に使った朝日新聞連載小説『官能小説家』(2000年9月〜2001年1月連載、2002年刊)においても、漱石への同一化は繰り返されるし、ごく最近の対談をみても、

 高橋 (略)もう一つ、戦後民主主義って、いま、ある意味評判悪いんだけど、あれをつくった人間は誰かというと、これは実は戦前の人間なんですよね。戦後に生まれた人間がつくったわけじゃない。大正リベラリズムの信奉者とか、そういう連中が戦後民主主義を用意した。それこそいま一番の民主主義者は実は天皇じゃないかっていうのと同じです。
 矢作 先日話していたら、そこで全員の意見が一致して驚いたんですが、万一安部晋三が総理大臣になって、もし憲法改正に踏み込んだときに、いわゆる九条精神の最後の砦になるのは、たぶんいまの明仁(天皇)ではないかっていう一点でね。(『文学界』2006年3月号「喪失の先にあるもの」矢作俊彦との対談)

というようなことを呑気にしゃべりあっている。まったくこれでは、啄木に批判されている「敵とすべき者に服従した」当時の作家となんら変わりないではないか、といいたくなる。

 また大西巨人との対談(『at[あっと]』2号2005年12月)でも、大西の近作『縮図・インコ道理教』をめぐるやりとりで、問題の本質を微妙にずらしてしまう、高橋の「体質的な政治性」があらわれている。大西の同作は、「戦争とテロリズム」「オウム真理教事件」「死刑制度」「天皇制」「改憲問題」など、現在の日本が問われている複数の問題を相互に関連させてできており、しかも複数の人物がそれぞれに意見を交わしあう議論小説のような体裁をもっているのだが、そのことをもって高橋は「作者の意図」は、どの登場人物に集約されているのでもない、どこに書かれているのでもない、というような話をしはじめる。ここでも例のごとく「小説では『真理』はありのままえがかれず、『謎』のように埋め込まれているのだ」というようなたわいもない作品概念を反復しているわけだ。

 しかし『縮図・インコ道理教』の中心的なテーマは明瞭である。それは、テロリズム(殺人)を容認した「オウム真理教」(作中では「インコ道理教」)は、戦争という殺人・殺戮によって宗教国家的目的を果たさんとした「大日本帝国=皇国」の「縮図」と見なせるということ。そしていまだ「天皇」をいただく「皇国」の継承者たる日本国家が、「死刑」でもって自らの「縮図」である「オウム真理教」主宰者を裁こうとしている。しかも、かなりの予断をまじえた裁判のやり方によって。――まさにこういう視点の欠如が、天皇制強化、戦争・軍隊肯定の「改憲」勢力を助長させる一因となっている、というものだ(もちろんこれだけではないが)。

 別にこんなふうに作品を説明する必要はもちろんない。けれど、我田引水の作品概念をひとの小説にお仕着せているひまがあるなら、せめてかつて自作でとりあげた「大逆事件」と、大西がとりあげた「オウム事件」と比較して、その関連性や類似・相違でも話す方が、よっぽど気がきてはいないだろうか。せっかく大西巨人と対談しているのに、これでは全然価値がないではないか。いや、こういう点において、高橋にまともな政治性など期待するほうが、おかしいのかもしれない。

 ただ、本稿の初歩的で図式的な議論だけで、「文学と政治」という問題が語りつくされるはずもない。また、これまで歴史的に蓄積されてきた同様の議論について、私自身不案内なままなので、そういうものを援用して今後さらに考察する必要があるだろう。その際には今回とは違った見方で、あらためて高橋を位置づけなおす機会があるかもしれない。

 それにしても表象をめぐる分析が、思ったより長くなってしまった。そのため予定していた作品も十分には言及できなくなった(タイトルに偽りあり、だ)が、最後に、これまで論じてきた『日本文学盛衰史』での試みが、高橋の近年の他作品にはどのようなかたちで反映しているかを、ざっと紹介して、本稿を終えることにしよう。

 短編集『君が代は千代に八千代に』(2002年刊)。糞尿AV女優である母親の過激な作品を、幼稚園児の息子がお友達と見る話。7歳の娘をもつ男が「近親相姦」という言葉をいかにして頭から追いやることができたか、という話。いじめで自殺した若者が、死後の世界でも日常は暴力やドラッグやセックスで支配されているということを知る話。父親を殺して少年鑑別所にいる少年が天才的に素数についての直感をもっている話、などなど。

 前回紹介したように、『ゴーストバスターズ』を書き終えたあと、高橋は「世界のスピードにあわせて書く」と確かに言いだした。上記『君が代は』を筆頭に、『あ・だ・る・と』(1999年刊)や『官能小説家』を含め、エロ、グロ、暴力、援助交際、ひきこもり、少年犯罪などの現実的で現在的な意匠・素材を積極的に取り入れている。急進的な自然主義作家もきっとあ然としただろうぐらいに、「露骨さ」への意欲はめざましい。「現実」をより間近にとらようとする(2)の「R→R’」は、なるほど、表象の硬直化や惰性的な表象循環を打ち破る契機になるかもしれない。これはなかなかに否定できないことだ。

 しかしそれは一時的な効果である可能性も大いにある。特に「表象の循環F’→F”」的体質の強い高橋にとって、「露骨そのもの」がすでにありきたりな表象に陥っているのではないか、という花袋の恐れは切実になる。だから小説論(『一億三千万人のための小説教室』あるいは『文学界』連載中の評論「ニッポンの小説」)においてはいつも猫田道子や武者小路実篤の、狂っているのかボケているのか紙一重の異様な文章を取りあげて、その凄みが表象「R→F」なんていう問題を難なくこえる、というメッセージを発し続ける。より極端な、表象不可能なもの(「R=F」)はあるのだ、という証明が、自然主義作家には前提となっていたことはすでに述べたが、高橋も自分の文学理念の保証には、同様にこういうイメージが必要なのだろう。

 せめて高橋は、自らを誤解をしないことだと、私は思う。それら現代的「露骨なるもの」をえがくことが、「現実R」をとらえることになっているとは限らないことを。それが「世界のスピードに合わせる」ことになっていると必ずしもいえないことを。むしろ「世界」という表象を追いかけているだけなのかもしれないということを。そして「表象の循環」におちいるのが「避けられない」ことと、それに「居直る」のはまったく別のことだということを。

 それでも高橋という作家には、なかなか侮りがたいところがあることを、やはり私は否定しきれない。『君が代』と同様の素材を使いながら『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(2005年刊)では、「露骨さ」への無用の気構えがなくなり、言葉が軽くなって、よくなっているように思える。これは「表象の循環」に近いのだが、何か少し違う。おそらく「世界のスピードに合わせる」前のやり方、「自分の批評のスピードに見合うスピードで走る」に近い何かだ。ここには少し可能性があるように思える。そういう意味で、『ゴーストバスターズ』以降、高橋源一郎が変わったというのは、やはり一面的なとらえ方なのかもしれない。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。サラリーマン。「腹ぺこ塾」塾生。

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■黒猫房主の周辺「いいかげな春よ、来い!」
★世間の景気は上向きとか思えばライフドア・ショックもあってか、景気上昇は緩慢との修正予測もあったりで、どのみち必需品ではないかもしれない本の売上は厳しいですね。まあそんな時こそ、思想の強度が試されるわけですが。
★鈴木さんは論考の結語として「書物は破り捨てよ。やまじえびねには規範を超えてほしい」と書いているが、規範の逸脱は、あらたな規範を再帰的に呼び込む、あるいは脱構築する。だからそれは、遅延してやってくる不可能性の経験とも言えるが、だからこそそれは目指されるべきだとしたら……それは<欲動>ではなく「欲望」を模倣しているのかも、知れない?
★Amazonの読者コメント(「インディゴ・ブルー」) で、<「男と付き合おうと思えばわたしはちゃんと付き合える その事実がわたしを安心させる」この言葉には恥ずかしながらかなり共感できました>とあった。この引用の台詞だけで判断すると、やすやすとヘテロ規範に回収されてしまっているように思われるが(僕の誤読か?)、これは鈴木さんが示唆する「女同士の快楽を信じられない女」の絶望の裏返しとして、照応しているようにも思いました。
★村田氏の論考を読みながら、漱石の立ち位置と高橋源一郎の立ち位置もある部分ではクロスしているのかもしれないと思ったり、そう言えば源一郎も連載中に「原宿の大患」で吐血したのでした。でも源一郎は柄谷にすり寄ったり、さいきんは加藤典洋にも近いようだったりと競馬予想をしながら、いい意味でも/悪い意味でも「いいかげん」にかつ政治的にも振る舞っているような気もしています。いぜん源一郎が大江健三郎をして「最大の顰蹙作家」と評し「小説の神髄」を語る部分(朝日新聞の書評)は、まさしく源一郎じしんの文学観なわけでしょう、と書いた黒猫房主のブログでの指摘も、あんがい的を射ているのかもしれないと思ったのでした。
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20051109
★それから僕は『日本文学盛衰史』は未読なのですが、関川夏央の『坊ちゃんの時代』全5巻(双葉社)と読み比べると面白いと思いますよ、と村田氏に感想メールしたら、源一郎じしんがその漫画に触発されて『日本文学盛衰史』を執筆したそうなので(村田氏じしん周到にも『坊ちゃんの時代』にも目を通したそうで、脱帽)、まあ僕の読みもまんざらではないかなあと安堵。しかして、その『坊ちゃんの時代』の第4巻で、関川は「いわゆる「大逆事件」とその背景」という一文で、漱石が文部省からの博士号を拒否したことを、啄木との関連で示唆しています。((黒猫房主)



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