『カルチャー・レヴュー』58号



■連載「マルジナリア」第12回■


遍在する私(二)

中原紀生


●物や記号が「情報」であるとして、それではこれと対になる「システム」、つまりスルメに対するイカは何かというと、それは物質、生命、精神である。システムの典型はもちろん生命だが、生命現象だけがシステムなのではない。物質(現象界=「諸法」)も精神(イデア界=「実相」)もシステムだし、もっと言えば物質・生命・精神の循環そのものもまたシステムである。(余談だが、ベルクソンの『物質と記憶』『創造的進化』『道徳と宗教の二源泉』はそれぞれ物質・生命・精神に対応している。)
 社会もシステムである。人間や動物の社会(狭義の社会=精神)はもちろんのこと、植物や菌類や鉱物や道具や機械類、はては観念や概念や神々までも含めたより大きな社会システムを考えることができるだろう。私もまたシステムである。私とはそのように拡大された擬似生命的な(というより生態学的な)社会システムにおける諸関係の総体を微分しあるいは積分する屈折点にあって、たとえば預言者や使徒、声聞や巫女(メディアム)といったかたちで出現する言語的現象である。

●話が複雑になるが、ここで生命システムを二つに分類する。集合的生命(種)と個体的生命(個)。気分としては前者が物質システムとの界面の近傍に、後者が精神システムとの界面の近傍により多く分布している。太極図(白黒の巴がからまりあった円)を想像していただければいい。物質システムと集合的生命(より精密に言うと、集合的生命の濃度が高い生命システム)との界面に立ち上がる物情報は「食」や「性」にかかわる具象性・呪術性を帯びている(ラカンの想像界、あるいは王朝和歌)。個体的生命(個体的生命の濃度が高い生命システム)と精神システムとの界面に浮かび上がる記号情報は「名」や「死」にかかわる抽象性・象徴性を帯びている(ラカンの象徴界、あるいはアレゴリー)。
 もちろん物質や精神についても同様の分類ができようが、それはおそらく朧気な比喩の域を出るものではない。私に装備された知性は生命の圏域に属しているので、物質や精神のあり様については物質や精神に訊くしかないからである。汎生命主義の立場にたって一刀両断式に分析の刃をふるうことはできようが、そうして見出されるのは擬似生命化された物質であり精神であるしかない。

●物情報の「意味」(たとえばアフォーダンスや霊性)は物質システムと生命システムの界面に、すなわち環境のうちに立ち上がるものであって、その意味を固定する仕組みとして脳が設えるのが時空構造である。この時空構造を記号情報の局面に、つまり生命システムと精神システムの界面に浮かび上がる記号情報の「意味」(たとえば神のロゴスや魂)にあてはめようとすると、そこに様々な論理的パラドクスや形而上学的アポリアが発生する。たとえば、無限に分割できる空間や時間の観念。
 注記を一つ。いま括弧書きの中で断りなく「霊性」と「魂」の語を使い分けたことについて、気分としては前者が仏教的、後者がキリスト教的といった違いを念頭においている。山川草木悉有仏性と言われる集合的霊性と最後の審判において復活する個別的魂。とはいえ所詮は同じスピリチュアリティの気分による言い換えにすぎず、ほとんど定義というしかない。

●このあたりの議論は、養老孟司『日本人の身体観』にほぼ全面的に準拠している。古い仏教の身体思想の論理が「自己相似」にあることを論じた「仏教における身体思想」に、ウパニシャッド哲学における絶対者は万有に遍在するというくだりが出てくる。
《これはキリスト教の神も同じである。万有に遍在するものとはなにか。私は脳しか認めない。それなら、脳が万有に遍在するとして認めるものはなにか。それは時空である。もっとも経験に明瞭なものは、空間である。空間は万有に遍在するからである。実際、神が遍在するというときには、一つには空間を意味し、もう一つには時間を意味している。神はどこの場所にも、どの時点を区切っても、そこに存在している。それが、「神の内容は時空だ」と私が言うことの意味である。》
 神の概念は時空と結びついてわれわれの脳のなかにある。時空は「図」に対する「地」としての特徴を備えている。すなわち時空の無境界性と透過性(遍在性)。──時間も空間も、すべての物事を「通り抜けて」しまう。われわれの方が両者を通り抜けると感じる人もあろう。どちらにしても、さしたる変わりはない。われわれの方が時空を通り抜けると感じる人はニュートンの絶対空間に共感し、時空がわれわれを通り抜けると感じるならアインシュタインが定式化した時空にリアリティを感じる。
《こうして、時空の観念が強い存在感と結合して、神の観念が生ずる。時空の観念も、存在感も、生物が生きるためには基本的な観念と言わざるをえず、神の観念が人類に普遍的であるのは、そのためであろう。これは議論や説明というより、ほとんど定義というしかない。》

●実証思考と対になるのは(想像力ならぬ)抽象思考であるというのが養老説。西欧における抽象思考はキリスト教であり、実証思考は自然科学である。
《要は、わが国にも西欧にも、同じように抽象思考があり、その思考の形式に従って、「解毒剤としての実証思考」が成立するのではないか。もしそうだとすれば、わが国の実証思考を知るためには、わが国の抽象を支配する思考すなわち仏教を知らなければならない。ところが、面白いことに、仏教という抽象思考については、書かれたものがたくさんあるのだが、実証思考の方は、この国では「思想」として表明されない傾向があることが注意される。》

●以下は私の仮説だが、養老孟司がいう日本の実証思考は歌論・連歌論・能楽論の類においてかろうじて「思想」として言語的に表現されてきたのではないか。(これに対して、宮大工の知恵やほとんどの芸能家・武道家の秘伝は「言わぬが花」である。)
 たとえば『日本人の身体観』に収められた論考「中世の身心」に、「私は、東洋の古い文献で脳を論じたものを知らない。「髄脳」ということばはある。しかし、これを表題にした書物は、要するに歌論書である」というくだりがでてくる。「髄脳」とは「詠歌の法則、心得、秘説、またそれらを記した書物」のことである(『日本古典文学全集50 歌論集』巻末の「歌論用語」)。

●あるいは荒俣宏『「歌枕」謎ときの旅』に歌合の判定をめぐる話題がでてくる。歌の良し悪しを判定するとはどういうことか。藤原清輔『袋草子』下巻「三十講歌合」に、赤染衛門の「かへるべきみちもとほきにかはづなくさはべにひをもくらしつるかな」に評者の藤原義忠朝臣が下した判定が記されている。蛙が夕暮れから鳴きはじめるものと知りつつ、沢辺に一日いたという。フィクションくさいので負け。
 荒俣宏いわく「研ぎ澄まされた美と雅の感性だけをもって、神のように「こっちが文学的にすぐれている」と託宣するのか、と思っていた。理屈というより師匠の趣味によって判定するものと信じていた。ところが実際は、歌の良し悪しを博物学的知識によって決していたのである」。また「歌をつくるということは、まこと、文学である以上に理学に近い。数学や法律学に近い。そう、思った」。歌学は科学(博物学・理学)に通じる。

●ここで、以前(第9回)仮設した図式をもう一度取りあげる。アクチュアル/ヴァーチュアルの垂直軸とリアル/ポッシブルの水平軸との交叉図のことだ。今度は物質から生命を経て精神へと上昇する垂直のシステム軸と、これと交叉する水平の情報軸を組み合わせる。
 ここで垂直軸における物質・生命・精神の区分はあくまで水平軸との関係において事後的に定まるものである。したがって水平軸は必ず二本一組のものとして引かれることになる。すなわち第一の水平軸が物質と生命を分岐させ、第二の水平軸が生命と精神を切断する。第一の水平軸は物情報や実証思考に、第二の水平軸は記号情報や抽象思考に相当するわけである。この一対の水平軸は、それぞれが「差異性」と「同一性」を担う。養老人間科学では差異性はシステム(垂直軸)に、同一性は情報(水平軸)にかかわるものだった。つまり一対の水平軸はシステムと情報の関係を自らのうちに入れ子式に反復している。

●ここに言語が発生する。養老孟司は『無思想の発見』で、「五感で捉えられる世界をここでは感覚世界と呼び、それによって脳内に生じる世界を概念世界と呼ぶ」と定義している。この「感覚世界」は第一の水平軸に、「概念世界」は第二の水平軸に相当する。
《感覚世界つまり物体の世界を一つの楕円で示し、概念の世界を、その上に位置する、もう一つの楕円で示す。両者の重なりが「言葉」である。言葉という道具は、この二つの世界を結ぶ。感覚の世界は「違い」によって特徴づけられる。概念の世界は、他方、「同じ」という働きで特徴づけられる。(略)ここで大切なことは、言葉自体は「同じであって、違うものだ」ということである。だから言葉は、「違う」という感覚世界と、「同じ」という概念世界を結びつけることができる。》

●あるいはこの図式を社会にあてはめてもいい。丸谷才一は『日本文学史早わかり』で次のように書いている。
《非常に図式的な言ひ方をすれば、横の方角に共同体があり、縦の方角に伝統があるとき、その縦と横とが交叉するところで詞華集が編纂され、そしてまた読まれる。といふのは、われわれは伝統を所有する際に、孤立した一人ひとりの力で持つことは不可能で、共同体の力によつて持つからである。孤立した個人にさういふことができるといふのは、ロマンチックな妄想にすぎないだろう。事実われわれは、そのことの不可能をいはば無意識的に知ってゐるゆゑに、もうずいぶん長いあひだ、詞華集を持つことを実質的には諦めてゐるのである。つまりわれわれの文明と文化は共同体的なものを失つてからすでに久しい。そしてそのことがどういふ弊害をもたらすかと言へば、いちばん歴然としてゐるのは言葉の衰弱である。言葉は過去から伝はつて来た力を失ひ、社会を築くことをやめてしまつた。》
 丸谷才一は大野晋との対談(『光る源氏の物語』上巻)で、西洋十九世紀の個人主義的文学理論とケンブリッジ・リチュアリストに由来する集団制作的文学理論との対立がエリオットの「伝統のメディアム[媒介、巫女、霊媒]としての個人の才能」の理論によって解消されたと語っている。

●差異性に彩られた垂直軸と同一性を刻印された水平軸。この一対の概念を二本の水平軸が入れ子式に反復する。そしてこの一対の水平軸を言葉が媒介する。だとすると言葉もまた入れ子式に差異性・同一性の関係を反復表現しているに違いない。
 パースは記号をイコン・インデックス・シンボルに三分した。瀬戸賢一(『レトリックの宇宙』)はこれを、現実世界における空間的・時間的隣接関係にかかわるインデックス、意味世界における類と種の包含関係にかかわるシンボル、そして意味世界と現実世界の境界上に存在し類似関係に基づき両世界を橋渡しするイコンの三組みとして再構成した。私はかねてからそこに第四の記号を付け加えることができるのではないかと考えてきた。言葉遣いはまだ精錬されていないが、イコンが具象的でアナロジカルな類似関係に着目して現実世界と意味世界をつなぐ働きをもつのだとしたら、これと対になるかたちで、つまり抽象的でアイロニカルな相互否定関係に着目して両世界をつなぐ記号があるのではないか。それは「マスク」とでも名づけられるものなのではないか。この未完の理論が完成したあかつきには、「言葉」とは感覚世界=現実世界(インデックス)と概念世界=意味世界(シンボル)の重なりであり、「イコン─マスク複合体」として機能するという命題が成り立つことになる。
 水平軸はおそらく無数に引くことができるだろう。それに応じて垂直軸もまた変容していくだろう。そして「幽明境を接する仮面の無限の重なり合い」(坂部恵)として幾層にもわたって上書きもしくは重ね描きされる入れ子式の図式のうちに、私というシステムはあたかも倍音のように遍在している。

■プロフィール■
(なかはら・のりお)論考として『ポリロゴス1 特集:ミシェル・フーコー』『ポリロゴス2 特集:メディア――越境する身体』(中山元編集、冬弓舎)掲載。共著として『熱い書評から親しむ感動の名著』( bk1with熱い書評プロジェクト著・すばる舎)などがある。
ブログ「不連続な読書日記」
★「オリオン」http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n

INDEXへ / 目次へ




■連載「メディアななめよみ」第2回■


映画の思い出あるいは思い出と映画

――『映画がなければ生きていけない』(十河進著)を読みながら思い出したこと

山口秀也


「しっかりしていなければ/生きていけないし/やさしくなければ/生きていく資格はないけれど/やっぱり…… 映画がなければ/生きてこれなかった」(本書中扉より)

■松山容子のボンカレー(=昭和)は終わった

 休日の昼下がり、近所のスーパーで買い物をしていると、見慣れたレトルトカレーのパッケージが目に入った。なんのこともないいつも目にするお馴染みの……、とおもったら箱に印刷されているのは…、なんと松坂慶子ではないか。

 そのレトルトカレー(ボンカレー)といえば、和服姿でやさしい笑みを湛えたいかにも日本のお母さん然とした女性のパッケージで有名である。またそのパッケージ、テレビCM、地方でたまに見かけるレトロな看板などをとおして、いまやある年代以上の日本人の原風景として刷り込まれている食品である。

 その見慣れたパッケージの女性、女優の松山容子はこの商品のメーカーが提供する番組のヒロインを演じていた関係で、発売当初より長年パッケージの表紙を飾り続けてきたということである。松山容子のパッケージは、とくに沖縄での人気が高かったらしく、ここ数年の沖縄ブームも手伝って、逆輸入のようなかたちで数年前まで西日本限定で販売していたらしい。それがいまや松坂慶子である。ありふれた表現であるが「昭和は遠くなりにけり」である。

 その松山容子のボンカレーが流通していった時期と同じ頃の日本を描いた、封切り中の映画『三丁目の夕日』の舞台は昭和30年代の初めである。映画未見のままで穿った見方をすれば、この映画は松山容子のボンカレーが醸し出すレトロな「昭和」を味わいたい、こういう30年代を観たいという観る側の欲望が大きく作用してつくられたのではないかと、世間でのこの映画の反応を見ると思えてくる。それは製作者側のスケベ心といったようなものではなく、今の風潮がそれをもとめていてそれに即応するような形で『三丁目の夕日』が作られたとでもいう「何か」があるような気がする。

 翻って本書の著者十河進氏の振り返る70年代は、果たして今の日本人がもとめる「昭和」と同じくただたんにレトロなものであろうか。本書の紹介とともに少し考えてみたい。

■日刊デジタルクリエイターズというグループ

 ということで『映画がなければ生きていけない』(十河進著、2005年、デジタルクリエイターズ)を読む。

 発行元で、ビデオジャーナリストの神田敏晶も5人いるスタッフのひとりとして名を連ねるデジタルクリエイターズとは、日刊デジタルクリエイターズ(http://www.dgcr.com/)というメールマガジンを発行するグループであり、本書はメールマガジンで連載されている十河進氏の文章を書籍化した、グループがはじめて上梓した単行本2冊(もう一冊は『怒りの葡萄球菌』永吉克之著)のうちの1冊である。

 著者は十代の半ばから始まり学生時代、出版社に籍を置き専門誌畑を歩いてきた中で、折々に観てきた映画を題材に映画評プラスその時どきの自分を振り返ったエッセイに仕立てた。

 1951年生まれの著者は、70年代を学生として過ごしてきた世代であり、本書に出てくる映画もその頃封切られたあるいはリバイバル上映されたものを多くふくんでいる(80年代に観たであろう『風の歌を聴け』も、1970年が舞台の話として取り上げられている)。

 十代で観たフェリーニの『道』、学生時代に観た藤田敏八の『八月の濡れた砂』、サム・ペキンパーの監督作品群。いずれも、豊富な当時の記憶と多少のメランコリーで彩られた文章は、映画本というカテゴリーを超えて時代の空気を良く伝えている。取り上げられる映画も、松竹ヌーベルバーグから西部劇、ヤクザ映画からアイドル映画にいたるまで多岐に亘っている。話題は映画だけに止まらず、小説、漫画、音楽などにも触れている。

 本書の最大の特徴は、取り上げられている映画を観た当時の自分をも赤裸々に語っているところにある。恋愛や仕事、子育てから友人や肉親のこと。ややもすると、甘く流れるか、さもなければ露悪的になりがちな私小説風のエッセイを救っているのは著者の対象(映画と自分自身)との距離の取り方のうまさゆえであろう。本書を読むかぎり、この著者は若造の僕から見ても、充分にセンチメンタリストで、青臭い部分があったりもするのだが、決して押し付けがましいところがない。自分の人生に重ね合わせて映画を語ろうとすると、どうしても自分に無理が出てきそうなものだが、そのあたりはなぜか読後感がくどくないのである。著者の人徳であろうか。

■(その映画が観られる時に)生まれてくる才能

 周知のごとく、映画とはフィルムに焼き付けられた「物」であり、それは上映される「場所」で、スクリーンに投影されてはじめて「見る」ことができるものである。当然のことながら本やCDのように持ち歩くことはできない。それどころか、読書やレコード鑑賞のように、「集める」という読んだり聴いたりすることから派生する二次的な行為が不可能なメディアでもある。ある時期までは……。ビデオやDVDの登場で蒐集の対象となり、カットやショットが文節化され分析の対象となった現在では、本やレコードと同じように、文字どおり持ち歩くことすらできるものとなった。

 しかし、僕やこの著者の見始めた時代(同世代にあらず。念のため)の映画とは持ち運び不可のものであった。当時、映画は上映期間が終わるとその役目を終え、もはや二番館にかかるのを待つのみであった。観られなかった映画とふたたび邂逅することは不可能ではないが、それには様ざまな条件が必要となる。たとえば学生時代にロードショウで見逃し、二番館にかかったころには就職していてみることができなかった。特集や連続上映会があっても遠く離れた地域でやっていて観にいくことができなかった等、観られない理由はゴマンとある。結局は観たいその時に映画を観ることができる条件を具えていなければならないのである。8歳の子供に『八月の濡れた砂』は分からないだろうし、逆に60歳の大人に『仮面ライダー響』はつらいだろう。観ることができたというほうからはたとえば、僕が学生の頃フランス映画社のバウ・シリーズが梅田の三番街シネマでかかっていて、アラン・レネの『去年マリエンバートで』や、ゴダールの『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などを観ることができた。また、同じころヒッチコックのリバイバルが盛んに行なわれていて『北北西に進路を取れ』や『ロープ』、『ダイヤルMを回せ』、『めまい』などと出会うことができた。MGMのミュージカルもちょうどリバイバルの時期と学生であった時期が合って『略奪された7人の花嫁』などに胸躍らせることができた。これらはタイミングを少しはずすとお目にかかれなかったものかもしれないのだ。かの蓮見重彦先生にはたしか「(その映画が見られる時に)生まれてくる才能というものがある」という言葉があるが、映画というものの一面を言いえてこれほどぴったりな言葉は見つからない。

 限りなく一回きりの出会いを運命づけられている映画というものに対して人は、同じく一回限りの自分の歴史と重ね合わせて接することを余儀なくされる。その意味で映画は、クラシックの名曲にくらべた時の流行歌と似ている。

 流行歌といえば、本書でも『セーラー服と機関銃』で使われた「カスバの女」に触れている。ここでは、著者と大学の先輩にあたる監督相米慎二とのエピソード、さらには当時ファンだった広島カープの思い出とともに映画と挿入歌は語られている。

 こういう観方は本来映画評ではなく、映画評の形を借りた自己表出であり、私小説であるというふうに受け取られるのであろうが、僕はここに時間という映画の本質に即した観方を見て取る。観た時という要素が他の文学や芸術とは少し違ったかかわり方をする映画の本質に即した観方を。

 蛇足ながら相米慎二には、このほかにも『ションベンライダー』で河合美智子が歌う近藤真彦、『ラブホテル』に効果的に流れる山口百恵、『雪の断章』で二人乗りのバイクの後ろで斉藤由貴の歌う古い歌謡曲など流行歌が要所要所で出てくる。

 本書を通読すると、不思議と自らの映画体験、わけても映画そのものの内容もさることながら、それを観た当時の自らが振り返られ、気障な言い方をすればもうひとつの映画とでもいったものが紡ぎだされるような感覚に囚われるのは僕だけではないだろう。

■ウィリー・ウォンカ=マッドサイエンティスト

 映画が媒介となり、その人の様ざまな思い出の扉をノックする。

 若かりし頃、映画館の闇の中シートに深く身を沈めるて過ごすあの2時間あまりのひとときを大切にしていた時から何年経つだろう。このあいだ子供らとひさしぶりに映画館に行った。『チャーリーとチョコレート工場』(ティム・バートン監督、2005、米)。ロアルド・ダールの原作本が好きで、これまた大好きなジョニー・デップが出ている。『シザー・ハンズ』でのジョニーの憂いをふくんだ目の演技。滑稽な狂気を描きながら、観たあとで胸の中で小さなさざめきがおこるようななんともいえない余韻を残す『エド・ウッド』。いずれも見た目の奇矯さとは裏腹にセンチメンタルな側面を併せ持つ映画を作り出してきた監督・主演のこのコンビのことさぞや、という期待は裏切られることはなかった。

 映画自体の感想はともかく、この映画を観たあとでふと古い記憶がよみがえった。

 学生時代レンタルビデオ店でアルバイトしていた頃のこと。後輩のアルバイトにひょろ長くて眼鏡をかけたSという男がいた。レンタルビデオ店といっても今の「TSUTAYA」のようなきれいなところではなく、繁華街の裏路地にある小さなゲームセンターを衣替えした見た目もあやしげな店であった。当時店には何人かのアルバイトがいたが、とてつもなく傲慢な態度のオーナー社長ゆえ皆まじめに働く気などさらさらなかった。私はというと、当時ビデオ化されたアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』や、ジム・ジャームッシュの処女長編『パーマネント・バケーション』などのダビングに余念がなかった。Sもご多分に漏れず勤労意欲にとぼしいアルバイトであったが、彼のサボリは他のアルバイトが「あーあアホらしいてやっとれんワ」とビデオを観ながらサボタージュするのとは趣を異にしていた。彼はプロのマジシャンを目指していたらしく、店に来る客にマジックを披露したり、自分のお気に入りのビデオを解説つきで売り込んでいたりしていた。年若ながら古参のアルバイトMなどはそんなSを毛嫌いしていた。サボりながらも日常業務をこなしていたものからすれば、店が立て込んでいようと、レジ打ちも忘れて自らのマジックの披露に勤しんでいるSは目障りな存在以外のなにものでもなかった。

 そんなSが、例によって細ごまとした仕事をサボって、1階のレジカウンターのうしろに沢山あるビデオモニターのひとつで熱心にビデオに観入っていた。画質や映画の中のファッションからして古い映画であることはわかるのだが、さて何の映画だかは分からなかった。少し興味をそそられたのを気取られたのか、客に押し付けるネタばれの解説よろしく一方的に話しかけてきた。曰く「これは『夢のチョコレート工場』という映画で、監督はメル・スチュワートで……」。

(ああロアルド・ダールの……)、メル・ブルックスの『ヤングフランケンシュタイン』などの出演作をわずかに知っているだけだが、主演のジーン・ワイルダーには見覚えがあったので、そんなことを話していたことを思い出す。そうしているうちにもモニターではダールの原作をカラフルな映像で具現化していてなかなかに面白そうな映画が展開していた。とくに主演のジーン・ワイルダー演ずるウィリー・ウォンカの奔放さが良く描かれている。

 「ほら山口さん! このウォンカが凄いでしょ。彼は完全にマッドサイエンティストですよ。」
 彼はすでに興奮していて、目はモニターを注視しながら僕に向かって声を掛けている。こちらの反応にはおかまいなしに、
 「ここ、ここ。『私は夢を夢見る者なのだよ』完全にマッドサイエンティスト!」

 子供たちとその親を自分のチョコレート工場に招待して、チョコレートで埋め尽くされた大きなジオラマのような工場内で、どこからか連れてきたウンパルンパという小人たちとともに見学が進んでいく。案内する際のウォンカの自分勝手なこと! これはティム・バートン版のジョニー・デップによってもひじょうにうまく演じられているが、15年ほどまえのアルバイト先のビデオで観たときのジーン・ワイルダーの演技のはまり具合が当時はとても新鮮だった。

 信じられない情景が次ぎつぎと繰り広げられていく工場内で、ひとりの父親
が、
「スノッズワンガーのなんのと何のことかね。」
と尋ねるとウォンカすかさず、
「質問は文書で!」
別の場面では、
「さて次は、これは子供部屋のナメナメ壁紙です。オレンジはオレンジの味。
イチゴはイチゴの味。パイナップルはパイナップルの味。これはプラム。この
バナナまるで本物だよ。イチゴはイチゴの味、スノッズベリーはスノッズベ
リーの味。」
たまらずひとりのこまっしゃくれた少女は、
「スノッズベリーってなによ。」
するとウォンカはゆっくり少女のほうに向き直りひと言
「私たちは夢を夢見るものなのだよ。」

 これをしてSを陶然とさせた名セリフであるが、ジーン・ワイルダーのこのウォンカ、なるほど目が完全に「イってしまってる」ではないか……。

 自分の思惑にたわいもなく乗って関心してしまった僕に、Sはいたく満足したようだった。
 マジックのほうもなかなかの腕前だったS。彼はいまごろどうしているだろうか。
 あれから15年ほど経った今、子供とカミさんを連れて映画館で『夢のチョコレート工場』のリメーク版を観ている僕がいる。

 スクリーンでは、新しいウィリー・ウォンカも、旧作に劣らずマッドサイエンティストぶりを発揮している。テクノロジーの助けも借りてファンタジーではティム・バートン版に軍配があがろうか。しかし、旧作にも原作にもないキャラクター、ウォンカの父親をくわえたことによって、原作に対する新作のはっきりとした解釈が見えた。何かにつけウォンカを型にはめようと、ウォンカのしたいことに規制を加えようとする歯科医の父親を登場させることによって、ウォンカのチョコレート(作り)へののめりこみ(耽溺)を説明しようとする。映画には母親は登場しないが、いわゆるエディプスコンプレックスがモチベーションとなって、ファンタジーの世界にのめりこんでいったというのであろう。ことの良し悪しは別として、この父親役を『エド・ウッド』のベラ・ルゴシ役でアカデミーの助演男優賞を取ったマーチン・ランドーが演じて味のあるところを見せている。

 これで思い出すのは、『ケロッグ博士』(アラン・パーカー監督、1994年、米)。あのコーンフレークの生みの親ケロッグ博士の物語では、徹底したベジタリアン、いまはやりの腸内洗浄を日になんども繰り返すなどを実践するサナトリウムを主宰したケロッグ博士を、これでもかのデフォルメで演じたアンソニー・ホプキンスが秀逸な作品。ここでも父親の干渉に逆らいつつ、長じて親に金のむしんを続ける放蕩息子との関係が、ストーリーにアクセントを加えている。

 ベルイマンの『秋のソナタ』の母娘やヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダの実の親子共演の『黄昏』での父娘で世に知られたものは多いが、父子の関係がメインとなったものでそれほど有名な映画がないのはなぜだろう。

 今回は引用もほとんどせずに、自らの思い出話に走ってしまった。これでは書評という与えられた役割を果たしていないのではないかという気がする。

 しかし僕はこれを全面的に、映画を媒介にして個人的な思い出を引き出す気にさせる文章を書いた十河氏のせいにしてしまっていいのではないかと思っている。

 本書の続編の帯文には、ちかごろ流行りの「泣かせる」小説や映画の向こうを張って、ぜひとも「(本書を読んで)あなたも大事な思い出を拾い集めませんか」とでも入れて欲しいところである。

★編集部註:十河進さんの旧作は、次のサイトでもお読みいただけます。
 http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

■プロフィール■
(やまぐち・ひでや)1963年生まれ。京都市出身。腹ぺこ塾塾生。

INDEXへ / 目次へ




■黒猫房主の周辺「<私>とか、映画とか」■
★中原さんの論考を読みながら……垂直性は通時性(伝統/システム/差異性)、水平性は共時性(共同性/情報/同一性)、それがクロスするところに「詞華集」が編纂されるという丸谷才一の指摘、僕はこの「詞華集」的なものが「言葉/文化的身体」の振る舞いだと勝手に思っているが、それが衰弱している(動物化している?)と丸谷は言う。……ということは「私というシステム」の衰弱か?「遍在する私」は「言葉の重層性」とともに立ち現れる事態のように思われるが、そのいっぽうでシステムの外部に過剰に/余剰なそれとして、すでに<ある>と言うほかない<私>もまたあるように思うが、それも言葉の効果か?
★十河進さんの『映画がなければ生きていけない』は、まさに映画を観ることが生きることの伴走になっていること(と言っても「艶歌的」ではない)を証明する好著だと思う。僕はメルマガ「日刊デジタルクリエイターズ」連載中からの読者で、何人かにこの連載を紹介しもした十河進さんの隠れたファンであるので、この度上梓されたことを嬉しく思っている。それで僕よりも遙かに映画に想いを凝らす山口さんに書評を依頼したという次第。山口さんじしんが十河さんによくシンクロしている様子は、本文にて明らかだろうと思う。
★僕がいま一度観たい映画として『ル・バル』(エットーレ・スコラ 1983)がある。「ダンスホールにスイッチが入れられ舞踏会(バル)が始まる。シャンソン「待ちましょう」にのって女たちが階段を降りてくる。「ボレロ」にのって男たちが。この展開がすばらしい。以下台詞は一言もなく、なつかしい四十数曲をちりばめて、このダンスホールの戦前からの移り変わりが、回想的な手法で描かれていく」(双葉十三郎のコメントより)。二十年前に私が東京から大阪に転居してきて、毎週のように梅田の「大毎地下劇場」(名画座)の二本立てを観ていた頃の印象深い作品。VTRは品切で入手不可の模様。どこかで、ぜひDVDで復活して貰いたい。(黒猫房主)



INDEXへ / 目次へ