『カルチャー・レヴュー』54号



■特別連載「戦争責任/戦後責任を考える」(1)■


いざとなったらこれで死になさい
野原 燐


  <1>

「一九四五年三月、米軍が沖縄列島ではじめて上陸した慶良間諸島で、住民たちが集団で自殺したということが起こりました。渡嘉敷島で、三百人以上、座間味島で百数十人が死に(あるいは殺され)ました。」大江健三郎は、2005年8月16日付けの朝日新聞・朝刊の連載エッセー「伝える言葉」の冒頭で、こう書いている。

「私はいま、一九七〇年に書いた『沖縄ノート』(岩波新書)での、慶良間諸島の集団自殺をめぐっての記述で、座間味島の当時の日本人守備隊長と、渡嘉敷村の同じ立場だった人の遺族に、名誉毀損のかどで訴訟を起こされています。」世界の大江が訴えられるという事件が最近起こっているのです。その割には話題になってないようにも思うがどうだろう。大江自身この文章で「私はこの裁判についてできるだけ詳しい報道がなされることを願っています。」と書いている。意外な反響の無さに大江自身も戸惑っているようにも思える。

 じつはわたしは「この裁判」そのものについてそれほど興味があるわけではありません。だが、この辺境の島の集団自殺をどうとらえるかは、「大東亜戦争」をどう捉えるかの根幹に関わる問題であるとも言えるだろう。そこでもう少し書いてみたい。
 わたしのブログ(下記参照)では、7月24日以降何度かこの問題を取り上げました。

 原告の日本人守備隊長たちの主張は、「大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。」といううものらしい。わたしはこれを読んで、ふーんといぶかしく思った。「そのような軍命令」があったかどうかを争おうとしている。だいたい守備隊長に住民の自決を命じる権限が法的に存在したのかどうか分からない。仮に権限がなかったとすればそれは命令ではなく依頼ということになろう。つまり法的には「軍命令」というものは存在しなかったということになる。おそらく原告はこれに類するトリヴィアルな法廷戦術を駆使して「命令はなかった」と言いつのるつもりだろう。原告に幾分かの勝ち目はあるだろう。とわたしは思った。

 しかしいぶかしい思いは残る。守備隊長の本当の名誉はそんなことで回復されるのだろうか。たくさんの日本人を死なせてしまったことへの悔恨はいま彼のなかにはないのだろうか。

 この提訴は最初から論点のすり替えを意図しているように思える。裁判の論点はどうあれ、わたしたち市民〜国民にとっての論点は、「国軍が市民(国民)を守る」という建前が崩れたかどうか? であろう。「国軍が村の上層部などと一体になって働きかけることにより、たくさんの市民の「自決」が行われた」ことはどうあがいても動かせないのではないか。

 当時の日本軍は「生きて俘虜の辱めを受けず」という命令を住民に強制しようとしていた。「自決」した住民たち(女性子ども老人が多い)は被害者であり、皇軍は加害者である。
 軍人は「命令を出さなかった」と主張しているようだが、仮にそうであるとして彼らの存在が被害者を作ったという因果関係は明らかにある、と言えるようだ、次の林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」を読めば。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

 また、林博史氏は別のインタビューでこう答えている。

 ■「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。
 「直接だれが命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステム が、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自 決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう。」
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper55.htm

 わたしたちはすでに当時の沖縄の一般住民がどのような雰囲気のなかにおかれていたのかをうまく想像できなくなっている。林氏の文章からもう一ヶ所引くと、次のように「一人十殺」なんていう荒唐無稽なスローガンが、兵士に対してではなく、住民に対して真顔で強力に注入されていた、ということが分かる。

  軍は「県民の採るべき方途、その心構へ」として「ただ軍の指導を理窟な しに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ、即ち一人十殺の闘魂をもつて 敵を撃砕するのだ」とし、この「一人十殺」という言葉を「沖縄県民の決戦 合言葉」にせよ、と主張していた(前掲『沖縄新報』一九四五年一月二十七 日)。(林博史)http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper04.htm
 
住民が「竹槍で米軍に勝てると本当に信じこまされていた(同上より)」というのは今の感覚からはどうも信じがたい。だが何が何でも竹槍で突撃だ! という方向に追い立てられていったことは確かなのだろう。

 大量の「自決」者を生んでしまったのは、皇国皇軍の構造的問題であり、それを一人部隊長に負わせるのは酷だという理屈は成り立たないことはないだろう。しかし皇国皇軍の構造的問題の批判は六〇年経っても充分出来ていないのだ。それなしにこうした裁判を提起することは、結局構造的問題はなかった(=一部の住民が自発的に死んだだけ)ということになる。一部の住民はなるほど無学だったかもしれないが、馬鹿だったわけではない。犠牲者を馬鹿にするのは許されない。

  <2>

 かって曾野綾子によって問題とされ、さらに今回名誉毀損裁判を起こされるに至った大江の「沖縄ノート」の一文とは次のようなものである。

 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて 罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。」(『沖縄ノート』210頁)

「A大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と曾野は言っている(註1)のだが、この文章をそう読むことはできない。

 この文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。

 「あまりにも巨きい罪の巨塊」は<わたし>の前にごろんところがっている。つまり予め<わたし>と罪が結ばれているわけではないのだ。だのに<わたし>は、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは、虚偽である。

 ところで、Aさんに対し、「国民を守るべき「皇軍」の一員としての「集団自決」を阻止しなかった/認容した「政治上の罪」(集合責任)はあるだろう」といえるだろうか?

 たぶん言えるだろうと思う。だがAさんの責任について論じるためには、その時そこで何が在ったのか、を私自身追及し納得しなければいけない。わたしはすでにこの問題に言及しており関わってしまっているともいえるが、その島で起こった事件の総体とAさんとの関わり、責任について論じる準備はとうてい無い。

「小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。軍医は「この子は助かる見込みはない。今にもショック死するだろう」と言った。まったく狂気の沙汰だ。」と 『ニューヨーク・タイムズ』のウオーレン・モスコウ記者は45年3月29日付の報道のなかにあるそうです。
 この文章の存在には反するのですが、全き狂気をひとは観察し記述することがどのように可能なのでしょうか。

 絶対的な犠牲者、それは抗議することさえできない犠牲者です。人はそれを犠牲者として同定することすらできません。それは、自己をそれとして提示=現前化することさえできないのです。(略)
 全歴史が諸力の抗争の場であり、そこで問題なのは、読みとれなくすること、排除すること、排除しつつ措定すること、排除しつつ支配的な力を押し つけること、つまりただ単に犠牲者たちを周縁に追いやり、のけ者にするだ けでなく、犠牲者たちのいかなる痕跡も残らないようにし、彼(女)らが犠牲者であるという事実を人が証言することさえできなくし、あるいは犠牲者たちがそのことをみずから証言することさえできなくすることなのです。
(デリダ「パサージュ」註2)

 「たぶん」ではなく、Aさんの責任について法的にも、「政治上の罪」(集合責任)としても語られなければいけない。
 死んでしまった者は絶対的に何も語れない。そして60年体験者が死に絶えたのを待って訴訟が提起される。

「犠牲者たちのいかなる痕跡も残らないように」、「死を知らず、死について語られることを欲しない」「絶対悪」が裁判を起こしている。永劫無窮の名前のない国家がその「絶対悪」なのであろうか。

(註1)http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html第34回司法制度改革審議会議事録
(註2)p270高橋哲哉『デリダ』より孫引き isbn:406265928X

★野原による関連表現の一部、は下記にあります。
 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050724#p3
 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050816#p2

■プロフィール■
(のはら・りん)1953年、兵庫県生まれ、男性。18歳のときペンネーム「野原ひとし」を名乗る。その後「野原燐」に改名。1975年、松下昇氏に出会い以後大きな影響を受ける。http://members.tripod.co.jp/noharra/ブログ「彎曲していく日常」があります。

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■連載「マルジナリア」第10回■


フィロソフィカル・ハイ

中原紀生


●数年前ヘーゲルの『大論理学』を十三箇月かけて通読したことがあった。ちょうどメーリングリストへの書き込みが面白くなってきた頃で、ある人の呼びかけに応じてネット読書会のモデレーター役をかってでた。参加者は十数名程度だったし(今から思うと相当いい加減な)要約と思いつきを書きなぐったレジュメを一方的に送りつけるだけで、ほとんど議論もなく淡々と進んでいった。それはとても幸福な時間だった。ほとんど毎日のように岩波全集版のあの面妖な訳語(中国人の名前かと見紛う「有」「定有」「向自有」など)に親しんでいると、やがてそれらの言葉が人格をもった固有名か何かのように思えてきて、相互の人間関係ならぬ論理関係をたどたどしく探っていくうち幾度となく陶酔(フィロソフィカル・ハイ)を覚えるようになった。
 最近ベルクソンの『物質と記憶』の独り読書会を始めた。毎日曜日の午前に一時間から二時間、一年ほどかけてじっくりと読みこみ、小林秀雄の『感想』やドゥルーズの『差異と反復』『シネマ』につなげていきたいと思っている。小林秀雄の講演「現代思想について」に「君の問題は哲学の問題だ、なぜ哲学を勉強しないのか、ベルグソンをお読みなさい」と質問者にたたみかけるくだりがあって、何度聴いても異様に迫力がある。ここで小林秀雄がお読みなさいと言っているのが『物質と記憶』で、百年に一人の天才の仕事だと絶賛している。八年間かけてただ一つの切実な問題を考え続けたベルクソンを尊敬するとも。八年どころか一年続くかどうかさえ不安だけれど、しばらくはこの本を基軸にしてやっていけそうだと確信している。

●保坂和志が『小説の自由』で「小説でも哲学書でも、それを楽しんだり理解したりするために、読んでいるあいだにいろいろなことを自然と思い出したり強引に思い出したりしているもので、読み終わるとそれの何分の一かしか残っていない。それらをすべて忘れずにいられたら私たちはすごいことになっているだろう。」と書いている。ほんとうに「すごいこと」になっているだろう。その何分の一かの割合を少しでも大きくするため、『物質と記憶』を読みながら自然に思い出したり強引に思い出したりした「いろいろなこと」をなるべく時をおかず記録することにした。以下は、最初の「フィロソフィカル・ハイ」を経験した週とその翌週の記録から。第一章四節「イマージュの選択」を読んでいる時にそれは訪れた。

●この節はここだけ読んでも独立した哲学作品になっている。冒頭の「神経系は表象をつくり出さない」(衝撃的な仮説!)から末尾の「対象Pのイマージュが形成され知覚されるのは[脳の灰白質においてではなく]まさにPにおいてなのだ」(大森荘蔵!)まで、寸分の隙のない論理に導かれて(ベルクソンの思考でも私の思考でもない「純粋思考」とでもいうべき)思考が進んでいく。まだ二度読んだだけだが、読むたびに世界を覆う薄皮がはがれ落ち(けっして隠されていたわけではない)世界の実相が剥き出しにされていく。
 冒頭と末尾のこの二つのテーゼをつなぐのが、イマージュと純粋知覚のそれぞれについての二区分と相互の関係をめぐる議論である。イマージュ(物質界)には「現存するイマージュ」(あること=客観的実在)と「表象されたイマージュ」(意識的に知覚されてあること)の二つがあって、後者は前者が「減少」したものである(つまりこの二つのイマージュには程度の相違があるだけで、本性の相違はない)。知覚には「無意識的知覚」(無意識な物質の一点のもつ知覚=万物の可能的知覚)と「意識的知覚」の二つがあって、後者は前者のうちからフィルター(不確定=選択可能性の領域)を通じて浮き上がったものである。

●これらは結局同じ一つのことを言っている。物質(イマージュの体系)から「生気を呈するすべての性質」をはぎとると、そこに意識に属する「表象=物質の幽霊」と科学に属する「物質=空間的広がり」(たとえば脳)との二区分が生まれ、いわゆる「心脳問題」が発生する(物質である脳からいかにして主観的表象=意識的知覚が生じるのか)。ことの発端は物質(イマージュ)を二つに断ち切ったことにある。断ち切ったから、これを「縫い合わせなければならぬ」と錯覚するのだ。
《知覚がそこ[脳]から出てくることはありうべくもない。脳は他のイマージュと同じく一個のイマージュであり、大量のイマージュに包まれているわけで、容器から中味が出てくるということは、理屈に合わないからである。(略)意識的知覚と脳の変化は厳密に照応している。したがって、この二項のいわゆる相互依存は、どちらも意志の不確定という第三項の関数であることからくる。》

●こんな要約ではとても汲み尽くせない。豊かな哲学的思考の種子が惜しげもなく蒔かれた沃土。──上に引用した「容器と中味」のくだりを読んでいて保坂和志の議論を想起した。たしか『小説の自由』の中に容器と中味云々という言葉が出てきたように記憶していたのだが、いくら探してもみつからない。みつからなくてもいい。意識的知覚と脳の変化、意志の不確定の三項関係は、保坂和志が書いている精神性と物質性とフィクション(第三の領域)の三項関係とほぼ相似形の関係にある。
 それは私の脳が勝手にそう思うだけのことにすぎないが、ついでに書いておくと、保坂和志がよく言及するチェホフの「学生」の過去と現在を結びつける鎖の話(「いっぽうの端に触れたら、もういっぽうの端がぴくりとふるえた」)は、ベルクソンがやがて導入する記憶の議論に関係してくる。石川忠司が『現代小説のレッスン』の保坂和志を取り上げたところで引用している、物的知覚物と身体を結ぶ「ロープ」(ウィリアム・ジェイムズ)も。
 ついでに『エックハルト説教集』から。《ある師は、目が歌とは関係なく、耳が色と関係がないように、魂はその本性においては、この世界のすべてのものと関係がないのであると言っている。それゆえに自然学の師たちは、魂が体の内にあるというよりも、むしろ体が魂の内にあるのだと言っている。ワインが樽を容れるのではなく、樽がワインを容れるように、体が魂を保有するのではなく、魂がその内に体を保有するのである。》

●もう一つついでに書いておくと、茂木健一郎『脳の中の小さな神々』巻末の「特別講義」に「対象─脳内過程─意識」の三項関係が出てくる。これは脳科学が「見る」という体験を「(外界からの刺激を受けて)神経細胞があるパターンで活動すること自体が脳の中でのさまざまな情報の「表現」であり、そのような「表現」が集まって「見る」という体験ができあがる」と説明するときに準拠している枠組みで、茂木健一郎いわく、この方法では「見る」という体験(視覚的アウェアネス)を説明することはできない。脳科学は外界(対象)からの視覚的刺激と脳内過程(神経細胞の活動)との対応関係を説明するだけで、脳の中で生み出された神経活動の一つ一つが「私」にとってクオリアとして成り立つメカニズム自体を説明するわけではない。「むずかしい言葉を使えば、私たちが「見る」という体験のなかにとらえている、さまざまな視覚特徴の「同一性」自体を説明するわけではないのである」。

●これに対して提示されるのが「メタ認知的ホムンクルス」のモデルで、それは「「私」の一部である脳の神経活動を、あたかも「外」に出たかのように観察する「メタ認知」のプロセスを通して、あたかもホムンクルスがスクリーンに映った映像を見ているかのような意識体験が生じる」というものだ。このモデルにあっては先の三項関係はいったん「物自体─脳内過程」の二項関係に置き換えられ(ただし「脳内過程」の項は「後頭葉=認識の客体」と「前頭葉=認識の主体」という二項が非分離の状態にあるものとされる)、その後「物自体─脳内過程─小さな神の視点」の三項関係へと修整される。ここに出てくる「小さな神」(ホムンクルス)という「主観性の枠組みは、脳の前頭葉を中心とする神経細胞のあいだの関係性によって生み出される」。
《「私」はこの宇宙全体を見渡す「神の視点」はもたないが、自分自身の一部をメタ認知し、自分の脳の中の神経細胞の活動を見渡す「小さな神の視点」はもっている。私たちの意識は、脳の中の神経細胞の活動に対する「小さな神の視点」として成立している。/私たちの脳の中には、小さな神が棲んでいるのである。/これが、私たちの意識の成り立ちを最新の脳科学の知見に基づき考察していったときの、論理的な帰結である。》

●脳の中に棲む小さな神が見ているものは「表象されたイマージュ」である。それは脳内過程を通じて生み出されたものではなくて、あらかじめ与えられたイマージュ(物質)が神経系の活動を通じて縮減されたものである(何のために? 不確定=選択可能性=潜在性の領域を現実化するために、つまり行動のために)。そう考えることができるならば、そこにはいささかの困難(神秘)もない。「メタ認知的ホムンクルス」のモデルが優れているのは、そこに「神」が出てくることだろう(それは『小説の自由』最終章に出てくるKつまり樫村晴香の言葉──「神」や「リアリティ・宗教性」──と響き合っている)。心脳問題はすぐれて神学の問題である。そんなことは実はとうの昔から分かっていたことなのである。思わず吠えてしまった。

●最初のハイを経験してから、日曜の午前が待ち遠しくなった。第一章五節「表象と行動の関係」を熟読して、続く二節分を通読。四節「イマージュの選択」も少し読み返した。ハイの余韻が続く。これを読んでいた時に脳髄に浮かんでいたことをウロ覚えで書いておく(本を見ずに記憶だけで書くのは、なぜだかとても健康的なことに思える)。
 ベルクソンは書いている。児童の知覚は非人称である(児童の表象は非人格的である、だったかもしれない)。これは「アナログの私」(ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』)がつくられる前の知覚の実質をさしている。児童のまだ朧気な意識のうちに、無人称の「脳」のはたらきによって縮減されたイマージュが浮かび上がっているということだ。知覚するのは「私」ではない。行動するのは「私」ではない。思考するのは「私」ではない。一人称の「私」を無人称の「脳」に置き換えても同断だ。「私」が「脳」のはたらきによって産出されたアナログであるとすれば、部分が全体を統治できないように「私」が「脳」を使って知覚し行動し思考することはできない。だからといって「脳」が知覚し行動し思考するわけではない。「脳」は伝導体である。神経系は伝導体である。

●ここでベルクソンが論じているのは「純粋知覚」なのである。それは権利上の存在であって、事実上の存在ではない。権利上の存在ということであれば、「無意識な物質の一点がもつ知覚」や「物質が神経系の協力なしに知覚される可能性」だって議論することができる。全宇宙を隈なく映しだす透明な写真。児童の非人称の知覚はこうした無意識の知覚に限りなく近い。三歳までのまだ言葉を使いこなせない(言語のはたらきを通じてつくられるアナログの私=三つ子の魂の輪郭がまだ朧気でしかない)児童。七歳までは神の内と言われる父母未生已前の世界に(まだ言語によって切断されきっていない臍の緒で)つながった児童。児童とは一個の身体である。児童は物質である。

●物質は屈折率をもっている。ベルクソンは、光が異なる媒質間の界面で屈折せず全反射する現象を知覚になぞらえている。この界面(身体の表面)は「自由」の名で呼ばれる。反射した光は虚の光源をさししめす。これが「表象されたイマージュ」である。実の光源すなわち「現存するイマージュ」から虚の光源を浮き出させるのが意識的知覚のはたらきである。この分離作用、弁別するはたらきは精神を告知する。ベルクソンはそう書いていた。
 ずっと前から「スピノザの屈折率」というアイデアを温めてきた。スピノザが磨いたレンズを身体になぞらえ、あるいはモナドと見比べながら、身体と精神という二つの媒質の界面で生起することをみさだめたいと考えてきた。言葉にすると訳が分からないが、ベルクソンを読むことでその実相が少しずつあきらかになっていきそうな予感がする。
■プロフィール■
(なかはら・のりお)星の数ほど、海辺の砂粒ほどの書物に埋もれて、活字や画像の錯綜からたちあがるイマジナリーでヴァーチャルな世界に身も心も溺れたい。そんなブッキッシュな生活に焦がれたこともあったけれど、体力の衰え(の予感)とともに、それはヒトの生きる道ではない、とようやく気づき始めた。哲学的思考は身体という現場からたちあがってくる。そのことを確認するための作業を、この場を借りてやってみたいと思います。 共著として『熱い書評から親しむ感動の名著』( bk1with熱い書評プロジェクト著・すばる舎)などがある。
★「オリオン」http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n
★「不連続な読書日記」http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/index2.html

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■黒猫房主の周辺「秋風の頃」■
★秋風がここちよい季節となりました。先日も交差点で信号待ちしていたところ、とつぜん見知らぬ方から「秋風だねぇ」と声をかけられました。残暑を過ぎた初秋の心地よさが人の心を穏やかにさせている、そんな今日この頃ですが色に喩えれば「白秋」です。
★連載寄稿者のひるます氏が多忙のため今回は休載となりました(今後は不定期の連載となる予定です)。そこで急遽、増刊号用に依頼していた野原燐さんの原稿を、特別連載「戦争責任/戦後責任を考える」の1回目に切り替えて掲載しました。2回目は、加藤正太郎さんに寄稿していただく予定です。
ブログ「シャノワール・カフェ別館」というバーチャルのカフェを開設いたしました。いまのところ三日坊主にもならず毎日更新しております。そのお陰もあってか、常連のご来店客さんも増えてきてコメントを頂戴しておりますが、読者の皆さまからもお題(コメント)を頂戴して、丁々発止と展開できればと思います。(黒猫房主)



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