『カルチャー・レヴュー』45号



■新年のご挨拶■


しなやかに対抗する

黒猫房主



 新年明けましておめでとうございます。
 旧年中は、本誌をご愛読賜りお礼申し上げます。本年も引き続きのご愛読をお願い申し上げます。

 さて隔月刊でスタートした本誌はお陰様で7年目を迎え、昨年の1月号からは月刊化も果たし通巻48号の刊行となりました。ちいさなメディアではありますが、淡々と継続してゆくことが潜在的な力になることだと信じています。

 また今年こそは会員制をベースとしたアクチュアルでキュートな評論・研究誌「コーラ」の創刊を目指しておりますが、その立ち位置に苦慮して刊行が遅れております。お問い合わせ等いただいておりますが、のんびりとお待ちください。

 厳しい出版状況が続いておりますが、昨年はNPO法人の雑誌「前夜」の創刊や「現代の理論」の復刊などを幾つかの新たなメディアも登場(雑誌の評価は別として)し、新保守化する現在の状況への文化的対抗と協働作業が行われています。本誌も「自由の平等」と「非暴力の実現」を目指して、しなやかに対抗と協働を展開していきたいと思っています。

 また読者各位からの投稿および催事等の情報を、随時お待ちしておりますので編集部までお寄せください。(E-mail:YIJ00302@nifty.com

 今後とも、みなさまのご支援ご高配を賜りますようお願い申し上げます。





■連載「文学のはざま」第6回■


大西巨人『神聖喜劇』の弥増(いやま)さる今日的意義について

村田 豪



 今回は、私が最近にしてようやく読了することができた、大西巨人の破格の長編小説『神聖喜劇』(光文社文庫版・全五巻)について書いてみたいと思います。

 すでに当作品を読んだ人はもちろん、まだ読まずともその評判について聞きおよんでいる人ならば、容易に了解されることでしょうが、文庫本で一巻につき五百ページ前後が全部で五冊分、原稿用紙にして約四千七百枚、執筆にまる四半世紀(1955年〜1980年)がつぎこまれた緊密で重厚なこの長編小説を、一度読み通したというだけで軽々しく論ずることは、まず不可能です。また数量的規模だけでなく、作品が取り組む内容・テーマ(「特殊境涯」たるはずの軍隊内に現れた、戦時下の全体主義的「日本社会一般」のねじれた縮図。とりわけその各階級・各階層の顕現と衝突、その軋轢を最も過酷に被る差別問題。それらが卑小・尊大・滑稽・悪辣・質実な、さまざまな具体的人間を通して描き出され、戦争に「死」を求めていた虚無主義者の主人公に回生を迫る)の厚みにおいても、文学・文芸上の様式・芸術性・思想性(通覧しえない物語時間の複雑な構造、推理小説を思わせる謎と謎解きの卓越した構成、語り手・登場人物たちの言葉にたいする即物的なこだわりが生むユーモア、短歌・漢詩・古典・西洋文学・方言・俗謡・軍歌・映画などさまざまなジャンルからの圧倒的引用・その解釈と批評および芸術論、19世紀後半から20世紀前半にかけてのマルクス主義を中心とした近代社会思想史の洗い直しと帝国主義的全体主義的日本社会の現状分析など)の優越においても、私が簡単に概括できるものでは、全くありえません。それゆえ、ここで私が「『神聖喜劇』について書く」と言っても、深刻な問題性をはらみ、幾多の課題を突きつけてくるこの壮大な作品にたいしては、きわめて部分的で一面的な感想にしかならないことは、断るまでもないでしょう。

 それに私自身『神聖喜劇』および大西巨人の他の著作にとりついてまだ間がなく、その作品解釈は生半可なままであり、光文社文庫版第一巻巻末に収められた、松本清張・大岡昇平・埴谷雄高・黒井千次などの著名大作家たちの『神聖喜劇』評の言葉を読むにつけ、「なるほどな」「確かにそうだなぁ」とただ感心するばかりなのです。また「面談 長編小説『神聖喜劇』について」(『大西巨人文選3』所収)というインタービューでの作者自身による作品への言及を読んでも、さらに昨秋まで一年ほど掲載された『週刊読書人』紙上での、批評家鎌田哲哉による大西巨人連続インタビューを読んでも、「本当にそうだなぁ」「確かにそういう捉え方もあるなぁ」とひたすら説得され教えられることばかりなのです。つまり私が自分なりに咀嚼してかみ砕いた感想の言葉やら、自分で考え抜いた作品理解のような、そんな語りうるものが、いまだにほとんど醸成されていないままだということなのです。

 それならばなぜ、今こうやって書ききれないはずのことを書きだそうとしているのか。それは「『光文社文庫』版前書き」にある作者のことば

 「このたび」(『神聖喜劇』三度目の文庫化――引用者)が二〇〇二年(二十一世紀初頭)であることは、私として――『神聖喜劇』の弥増(いやま)さる 今日的意義を確信する私として――至極重畳でなければならない。

にたいし「本当にそれは間違いのないことだなぁ」と感じ入ったため、一人の読者として作者のこの確信への同意をただただ表明したいために他なりません。『神聖喜劇』が戦後日本文学の、二十世紀を代表する傑作でありながら、同時にこの新世紀の現在において「弥増さる今日的意義」を強烈に輝かせていることを、ただ確認することしか今の私には思いつかないのですし、それ以上を望むこともあり得ないのです。

 しかしそんな同意の表明をするなら、やはり最終的には『神聖喜劇』という作品の「弥増さる今日的意義」がいかなるものであるのかを、そのことこそを明確に述べなければならないということも、また要請されるでしょう。今この文章が十全にそれを成し遂げるとは思いませんが、その表明の理由・根拠を明確にする作業のとっかかりとして位置づけることならば、可能でなくもないかと考えるのでした。

 ただそれでも基本的には、ごく大ざっぱでまとまりを欠く印象と感想の積み重ねか、これまでの評者と作者自身が分析・思考した作品評の受け売りもしくはそれをなぞっているだけ、のように見えることには変わりないでしょうが。

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 さて『神聖喜劇』の一番の読みどころはどこかと問われれば、絶対服従を強いられる軍隊内部において、不当な言いがかりと無体な仕打ちで下級兵たちをいじめにかかろうとする上官上級者たちにたいし、主人公東堂太郎二等兵が持ち前の超人的記憶力を駆使して、自分たちを縛るはずの軍規軍法条文を盾に、それをむしろ我が身の盾にして彼らをやりこめるところがあげられるでしょう。またそんな東堂の孤独な「合法闘争」が、いつしか同年新兵たちあるいは一部の上級兵たちにも大なり小なりの影響を与え、偏見と差別ゆえにあらぬ濡れ衣を着せられ苦況に陥っていた冬木二等兵への嫌疑を晴らすべく協力しあうところも大きな読みどころでしょう。またその冬木は、不当にも「模擬死刑」に処せられようとしている末永二等兵を救うべく、東堂とともに上官にたいする異議申し立てに立ち上がりもし、そこに多くの同年兵たちが彼らの身代わりに名乗りを上げるという本編随一の感動的な山場も、捨てがたいに違いありません。

 さらにまた、途轍もないキャラクターで他を圧倒する農民兵大前田文七軍曹も忘れがたい人物でしょう。教育補充兵として入隊してきた東堂ら内務班第三班の教育係の班長として登場するや、「歴戦の勇士」としての戦場の経験・中国人民虐殺の生々しい証言をするかと思えば、自身の平民的視線から厭戦気分や軍部・皇国批判を明け透けにぶちまけたり、またある時には、農民的心情から新兵たちへの強い同情と共感を滲ませたかと思えば、「階級的身分的」差別の立場に立ってその嗜虐的な酷薄さで存分に新兵たちをいたぶったりするのでした。特に主人公との対立対決は、冒頭早くから顕在化し、ことあるごとに衝突寸前にいたるのですが、その決着は作品の最後の最後まで引き継がれます。そして大前田からの痛いしっぺ返しと彼の引き起こす事件でもって、東堂にとって深い情感と大きな教訓を孕む珍事をもって物語は、一つのフィナーレを迎えるのです。ある意味で『神聖喜劇』のもう一人の主人公は、大前田であらねばならないでしょう。

 他にも『神聖喜劇』の魅力は、枚挙にいとまがありません。戦時虐殺の事実を自己弁護するための大前田が演じた長広舌を、橋本二等兵と鉢田二等兵が平民的率直さで切り捨てた場面も、地口を丸出しにした村崎古兵の
上官と軍組織批判の長大なインタビューも、作品の中でとりわけ印象深いものです。

 そういった『神聖喜劇』の面白さの主要な部分の中でも、私がある独特の興味を惹かされたものがあります。それは、東堂が積極的に召集を受け入れ、太平洋戦争開戦直後のさなか軍隊に入隊するころには「私は、この戦争に死すべきである」と考えるようになった彼の思想的基盤、「我流虚無主義」の遍歴に関する物語と思索です。この長編小説全体がその「虚無主義」への後退と疑惑と抵抗と克服に貫かれてもいるのですから、これは本作にとって一番の中心的課題の一つであったと見なさなければなりません。そしてその「虚無主義」への後退と疑惑と抵抗と克服(の予感)は、作品冒頭から第三部「運命の章」の終わりまでに(作品の前半約三分の一に)集中的に、息をつがせぬ綿密さと執拗さでもって描きつくされてもいるのです。この箇所が私には、とくに強い高揚をあたえるのでした。

 これは作品内物語の時間の流れとも関係するのですが、この前半約三分の一は、ほとんど一息に読まねばならないのではないか、と私は二度目の通読を通して考えるようになりました。というのは、この箇所で主要に語られているのは、内務班第三班所属の召集兵と班長大前田軍曹、班附神山上等兵、班附村崎古兵たちの教練・内務・呼集・食事の合間などになされたやり取り、それもほとんどが一月十九日と二月三日の出来事、そのうちのきわめて短い時間のうちにほぼ集約されているからです。本来の物語の世界における極めて緊張を強いられる短時間の中で、しかし同時に作者は、主人公の生い立ちから、精神形成期の出来事、かつて読んだ東西の文学・マルクス主義文献のテクストの再生と解釈、そして召集前のある女性との「情事」などを折り込み展開するのです。

 たとえば日本浪漫派の影響下にある士官学校出身少壮将校村上少尉が、大前田に「あるべき」皇軍の戦争目的を問いただし、その返答を待つ場面は、東堂によるかつての「彼女」との「情事」・その回想がさし挟まることで中断され、それが百七十ページにもわたってうち続いた後に、ようやく再開されるのです。ここの一つながりは、やはり息をのんで一気に読まなければならないでしょう。そして東堂「私」は、ここの回想=中断においてこそ自己の思想的遍歴を、ある恐れと疑いとをもってたどり直すことになるのです。

 「犬死に」であろうと「私は、この戦争に死すべきである」という、召集を志願する拠り所となったはずの東堂の「虚無主義」は、その実、このたどり直されるなかで明らかになるのですが、それが互いに矛盾しあういくつかの別の要素をもぶら下げ続けているのでした。マルクス主義思想に深く親炙しながら、時代の重圧に屈服する形で「現実変革」を何一つなしえず、その「自己の無為無力」が、「世界は真剣に生きるに値しない(本来は一切は無意味であり空虚であり壊滅すべきであり、人は何を為してもよく何を為さなくてもよい)」という「虚無主義」へと東堂を帰着させていたのですが、「虚無主義」を自己に許容するならば、では、「この現実のこの戦争を阻止する何事も私が実際に為し能わずに現に為していない以上、五体満足な私が実戦への参加から逃げて隠れてただ他人を見殺しにするのは、結局のところ人間としての偸安と怯懦と卑屈と以外の何物でもあり得ないのではないか」という考えをも受け入れなければならない。東堂は自己の「参戦志願の基本動因」をそのように分析・理解したのでした。

 しかしさきの村上・大前田の対決を宙づりにしている、その第三部第二「十一月の夜の媾曳(あいびき)」において明らかになるのは、「人間としての偸安と怯懦と卑屈とに対する拒絶と排斥」が、「虚無主義」とは全く異質な、ある種の肯定的欲望にかかわるのではないかという疑惑なのでした。それは例えば幼い頃から亡父によって教え込まれた「武士道」における克己的な倫理・心構えともかかわるようでいて、また第一次大戦に参戦し果てたアメリカ人詩人アラン・シーガーから考察された「この総じて冒険を好む性向、この『危機に瀕しつつ生きる』ことへの願望」が、意識上は否定しながら無意識に根付いていて、参戦志願はそれにこそかかわるのではないか。そしてニーチェの「黄金の野獣」をひきながら、それら二つがまたなにがしかの関わりを持つように疑惑はさらに深まるのでした。

 またそれらを証拠立てるかのように、「参戦志願の基本動因」として、「私」にはいま一つの「別の奇怪な思想」が渦巻いてもいたのです。

 ……もし私が、ある時間にみずから信じたごとく、人生において何事か卓越して意義のある仕事を為すべき人間であるならば、いかに戦火の洗礼を浴びようとも必ず死なないであろう。もし私が、そのような人間でないならば、戦争に落命することは多いにあり得るであろう。そして後者のような私の「生」を継続することは私自身にとって全然無意味なのであるから、いずれにせよ戦場を、「死」を恐れる必要は私にはない。(第二巻p189)

 これらの互いに撞着し合いつつ絡み合う戦争志願の動機をめぐって、東堂の思索は堂々巡りをくり返し、この時点(召集前)では、明確な結論の形をとらないままであり、むしろ最後にはさまざまな気がかりをかき消すように、「虚無主義」の感覚に自己を塗り込めてしまうのでした。しかし、同時に軍隊内部で大前田・村崎・冬木・橋本・鉢田・村上のことばとあり方に接し始めた「今」、あらかじめ用意されていた予感に導かれて、すでに東堂は変わり始めているとも読めるのです。

 ゆえにこの後の第四部からは、この東堂の自己の「虚無主義」「克己主義」「奇怪な思想」についての疑惑・吟味についての表面的な言及は、大幅に減っていきます。そして物語は、この後東堂たちにしばし大きく暗い影を落とすことになる「銃剣故障・すり替え事件」をめぐって、第三班食堂末席組を中心とした新兵たちの具体的連帯・連携へと移っていくのです。それは、作品末尾で強い確信とともに語られる「『一匹の犬』から『一個の人間』へ『実践的回生』」その「人間生活」に向かうための胎動であったことは、間違いないでしょう。

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 始めに断ったように、『神聖喜劇』について書くには、まだ十分に読んでもいず考えてもないながら、あえてこのように取り上げたのは、この偉大な小説の「弥増さる今日的意義」を称揚したかったからにほかなりません。また作者が考えるのとはやはり別に、私がそう考える理由・根拠を明らかにするための、とりあえずの手がかりとして、『神聖喜劇』評のようなものを書こうと試みたのでした。しかしながら作品の一部を、作者がそう書いているとおりに、ただたどり直すようなことを冗長に書いているにすぎない気がするのは、なんとも申し訳ない気がします。

 しかし2005年年明けの『カルチャー・レビュー』連載で取り上げさせていただくには、やはり大西巨人『神聖喜劇』は「弥増さる今日的意義」においてやはり相応しいのではないかと考えました。その理由と根拠については、ぜひ稿をあらためて書いてみたいと思います。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。腹ぺこ塾塾生。高校時代は三島由紀夫に傾倒。三島と福田の関係については、またいずれ考察してみたい。






■連載「映画館の日々」第5回■


地上はまだ思い出ではない――浜野佐知監督『百合祭』

鈴木 薫


 あの頃私たちは二十代の半ばか後半だったろう。大学の同級生だった一人暮しの友人を私はときどき訪ね、夕飯を御馳走になり、泊めてもらっていたが、ある晩、そういう約束をして向うの部屋に着くと、彼女(Aさんと呼ぼう)の同僚の女性で初対面のBさんが来ていたことがあった。今夜は友だちが来ると話したところ、自分も入れてと言われたという。いや、それとも、その直前にAさんと会うか電話で話すかして、来たがっている人がいると告げられたのであったか。むろんそれはかまわなかった。正直なところAさんと水入らずで話すつもりのところに現われた闖入者ではあったが、食事だけで帰るというし。Aさんの手料理が並んだテーブルにはキャンドルも点された。いよいよ食べはじめようとしたとき、Bさんが言った。「こういうの、誰か素敵な人が一緒だといいのにね」

 そのとき生じた不協和音は、当のBさんだけには聞こえないものだった。友人と私だけならありえない、思いつきもしなかった言葉。気のきいた科白か何かのつもりで、Bさんは笑顔でそう言った。言ったあとも、それが場ちがいなことに気づかなかった。Aさんと私が気づかせなかったからでもある。マルグリット・ユルスナルの小説『黒の過程』で、主人公のゼノンが男同士のあいだでは笑わなくてはならない種類の会話(性的なジョーク)だったので笑う、というくだりがあったが、まるでそうした科白であるかのように、Aさんと私はちょっと笑ったと思う。

 外から持ち込まれたそうした価値観は、実のところ不愉快きわまりないものだった。Bさんが帰ったあと、Aさんは私に、断りなく人を連れてきたことに対して謝った。もちろん私は、かまわないと答えた。それはかまわなかった。だが、同じものをわけあって食べるという親密さの頂点で彼女の言ったことは許せなかった。そのことは、しかし私たちのあいだでは話題にされずじまいだった。私たち二人とも違和感を感じたに違いないのに。Aさんが謝ったのには、そのことが絶対あったのだが(話して気持ちのいい相手ならば、あるいは、Aさんが私に引き合わせたい人だったのなら、謝る必要はない)。それでも言及しなかったのは、一つには、話題にすること自体が不愉快だったから。そしてもう一つ――「名前のない問題」については、指摘することすら不可能だったということがある。

 今ならまず、Bさんが男のいないところにまで男の価値観を持ち込む女性であったことを批判できる。そうした価値観を内面化した上、他の女性も自分と同じように感じると決め込んでいた。さらに言えば、同性間の親密さが生じるとき、それをすばやく打ち消さなければならないと感じる、強迫的なホモフォビアすら指摘できよう。

 Aさんと私は恋愛関係にはなかったし、その予定や希望も持っていなかった。しかし、相手が「素敵な人」でありうることを(恋人でなくてもAさんは素敵な人だった。少なくとも、そうした楽しい時間を一緒に過ごしたい思われるほどに)、その発言によってBさんは否定していたのだった。女だけでいるのはみじめだという紋切型を自分たちに押しつけて、Aさんと私の関係をもおとしめていた。

 そうした楽しい時間はいつまでも続きはしなかった。Aさんに電話しても留守のことが多くなった。ある週末にようやく電話が通じたとき、彼女は、見合いからはじまったつきあいというにはいささか型破りな、いとこに紹介された男性のもとへ翌日から押しかけるという形で通う生活に入っており、そのときも、相手の住む地方都市へ出発するところだった。仲のいいきょうだいができたみたい、という言い方で、彼女は相手に対する愛情を表現した。まもなくAさんは東京を引き払って結婚し(結婚式や披露宴などはないままで――Aさんはそういうことに拘泥する人ではなかったし、もしそうするようだったら、結婚すること自体よりも意外に思われたろう――私は相手の男性に会うことはなかった。Aさん自身とも、その後は一度会ったきりだ)、私は居心地のいい場所を一つ失った。

『百合祭』(2001年)は、当時の私たちの年齢から数えれば五十年後の、再び一人暮しになっている女たちに焦点を絞るという、そのこと自体珍しい――通常、この年齢の女性はヒロインとは見なされないから――作品だ。物語は、高齢女性ばかりが住む「毬子アパート」で、住人の一人、目黒幸子が誰にも看取られずに死んでいるのを発見されるところからはじまる。彼女の異変に気づくのは吉行和子。和服の展示会に一緒に出かけたり、おかずを届けたりして仲良くしていた関係の終りだった。老人を扱うのにいかにもふさわしい孤独と死による幕開け。かつて、未婚の私たちは、男に所属するまでの待ち時間を生きていると見なされた。夫の死によって再び一人暮しになっ老女たちは、死までの待ち時間を生きる存在だ。しかしこの映画は、老人問題を取り上げたもの、つまり、老人であること自体を問題にしたものだとは必ずしも言えない。

 映画の最後で、吉行和子には別の関係がはじまる。それを現実的でないと――二人の結びつきがありえないことだと――思う人がいるらしい。いっそ彼女たちを〈現実世界〉――略して〈現世〉か――からはみ出した存在と呼ぼう。死んだ目黒幸子も、なお声だけの存在となって、遍在し、語りつづけるのだから。

 中高年の女性とは、今の日本で、公然とバカにすることが社会的に許されている存在である。韓国の男性スターに群らがる女たちは、社会性のなさをバカにされ、容姿をバカにされ、けっして手に入らない男に夢中になる非現実性をバカにされる。しかし、女ばかりの毬子アパートに引っ越してくる颯爽としたお爺さん、ミッキーカーチス演じる三好さんは、〈手に入る〉男である。吉行をお婆さんと呼んだ若者を、奥さんと呼ぶんだよとたしなめた彼は、口先三寸で毬子アパートの住人全員と大家の奥さん正司歌江を惹きつけることになる。しかしやがて彼女たちは、女として遇されたのが自分だけではないことを知る。男は先に死んでしまい、しかも自分たちに「セックスアピールしてくれる」男はさらに少ないのだから仕方ない、と一人が言うように、彼女たちは魅力的な一人の男を共有することになるのだろうか? だが、話の中心はそっちの方向へは行かない。女がポリガミーを受け入れられないからか? 男が女を共有するとき、おとしめられるのは女である。では、逆の場合は?

 プライドの問題よ、と吉行和子と白川和子は言う。バーの女として四十年生きてきた白川の作ったカクテルで二人は乾杯する。これを、男に裏切られたから女同士でとはみじめな、と思って見る人もいるらしい。そういう人は、レズビアンとは男に相手にされない女だと信じているのだろう。女たちが仲良くするより、男をめぐっていがみあう方がリアルと感じるのだろう。男同士の連帯にはそれだけで光り輝く価値がある(と思われている)。だが、女のホモソーシャリティは存在しない。

 ヨン様に夢中のおばさまたちを見ていると、ジェイムズ・ティプトリーJrの『男たちの知らない女』を思い出す。地球の男を見かぎり、宇宙人について行ってしまう二人の女。日本の男をさしおいて韓国の男なんかに、というオヤジのナショナリズムは、こうした事態を口をきわめて罵らずにはすまないが、では、女に走ったのだったらどうだろう。宇宙人に走る以上の暴挙――およそ〈現世〉を離れた事柄――は、むしろ認識の編み目からこぼれ落ちるだろう。

 吉行には、夫の浮気に悩まされた過去がある。堅気の女とバーのマダム――〈現世〉ではおよそ結びつくことのありえぬ関係だ。妻と愛人。彼女らに、敵対以外のいかなる関係がありうるか?「でも、私たちが恋人同士だったとしたら?」そう言ったのは、1996年版の『悪魔のような女』(ジェレマイア・チチェック監督)で、愛人役をやったシャロン・ストーンだ。それはまだあくまで仮定。けれども、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の1955年版ではありえなかった可能性が、このハリウッド製リメイク版にはほの見える。人目を引く娯楽映画のプロットをすり抜け、二人の視線はからみあった。ちょうど、あまたの男の友情ものにおいて、男たちをライヴァル関係におく女が、あえてその名で呼ばれることのない男同士の愛のアリバイに過ぎなかったように、二人の目差しは口実に過ぎない(のかもしれない)男の存在を超えて直接触れあっていた。吉行和子と白川和子にそういうことが起こるとは、さらにその先へ行くとは、誰が想像しよう。

 ミッキーカーチスは吉行和子の空想の中で長身の白雪姫となり、老女たちは小人になってそれを囲む。実際、二十年前になくした妻の形見というふれこみの鏡を大切に抱えて引っ越してきた彼は、女王となった老いたる白雪姫なのかもしれない。実は妻は生きており、亡くしたのは長年の愛人、妻に追い出されたというのが真相であって、死んだ妻の思い出を大切にする男というものがモノガミーな女の目にどう映るかを計算の上での嘘だったにせよ、ともあれ彼はその鏡をのぞいて泣いていた。だが、鏡には自分が映っているわけで……実は彼は「女のような」ナルシストかもしれないのだ。

 しかし、ジェンダーの逆転が問題というのでは必ずしもない。最後まで行っていいかと確認しつづけるミッキーカーチスに目を閉じて身をゆだねる吉行和子は、やがて「やわらかくてきもちいいー」と叫ぶ。後日、三好さんのアレどうだった? という白川和子に答えて、猫の肉球みたいだったと彼女はいう。ペニス―肉球―白川和子の耳たぶへのフェティシズム的横すべり。これを、レズビアニズムを男根の代替品と見なしていると、非難するには及ぶまい。肉球だの耳たぶだのに還元されては、ペニスの男らしさにとってはむしろ侮辱であろう。そして吉行は、女性器の代りに靴で満足するフェティシストではないので、耳たぶにのみこだわるわけではない。女の身体にも、やわらかいところもあれば固いところもある。

 京橋のフィルムセンターへ私をはじめて連れて行ったのはAさんだった。アテネフランセで映画を上映していることを教えてくれたのもそうだし、池袋の文芸坐もAさんに聞いた。大学に入り直した人なので、東京に先に来ていた友人もおり、私の知らなかった東京を知っていた(東京の東の方で生まれ育った私は、新宿より西へはお花見ぐらいにしか行くことがなかった)。その頃はどこへ行っても私が一番年下だった……。数年前、機会があって再会したとき、子供が二人いるAさんは思ったより老けていなかった。私の方は相変らず映画を見、本を買う生活だったが、Aさんは毎晩子供を抱えて帰りの遅い夫を待ち、別に結婚しなくてもよかったと今では思っている、と言った。きょうだいができたみたいじゃなかったの? 思わず言うと、そんなこともあったのを今思い出したと苦笑した。私に言われるまで、本当に忘れていたらしかった。こっちはなにしろそう聞いた日以来情報がないのだから忘れようがない。

 時間をもとには戻せない。もう彼女の部屋に泊まることはない。私が彼女に悩みを相談することがないように、彼女の結婚生活について私が相談に乗ることもありえない。たぶんAさんには二度と会うことはないだろう。しかし、地上はまだ思い出ではない。私はいつでも別な人と別な関係をはじめられる。『百合祭』の女たちは、加齢の結果、未婚のシングルと同じように自由で無意味な――存在意義を他から与えられる必要のない――存在に戻っている。こうなったらもう何でもありだと言っている。そしてそういう生活をするのに、老年になるのを待つ必要は必ずしもない。

 終幕、室内劇から、横浜の船上へと移行して、サングラスをかけ、グラスをあげるカッコいい二人に私たちも乾杯。「わたしたちがきのうの夜、どんないやらしいことをしたか誰も知らないでしょうね」という吉行の科白によって〈それ〉は示される。ピンク映画300本のキャリアを持つ浜野監督による、吉行和子とミッキーカーチスのセックス・シーンと、女同士の描かれない〈それ〉。前者はポテンツと「最後まで行く」ことが問題にされる、着物の裾をまくり上げての、キスと挿入だけのものだ。対する〈それ〉は、遍在する目黒幸子によってだけ見られていた――つまりは誰にも見られていない。むしろ「すばらしいこと」と言ってほしかったという意見は当然あろう。だが、「すばらしい」だけでは、どうすばらしいかは表現できない。「いやらしい」まで言わないと(言っても)わからない人もいる。むしろ、いやらしい/すばらしいの二項対立が成立しなくなる地点を思うべきだろう。いやらしい/すばらしいことを、浜野監督にはぜひいつかスクリーンで見せてほしいと思う。

■プロフィール■
(すずき・かおる)12月30日の冬コミ終わってようやくこの原稿を書く。雪の大晦日。今年もやり残したこと多数のまま、人を待たずに年はゆく。http://kaoruSZ.exblog.jp/




■黒猫房主の周辺(編集後記)■
★戦後60年、「日本人」と呼ばれる人たちはその勤勉と禁欲によって戦後復興という「福音」を得て、今日経済大国と呼ばれる「日本国」を造ってしまったが、その「大国」を維持するために、今度は戦後的精神とも言える「憲法9条」を「改憲」しようとしている。しかし振り返ってみればわかるように、明治以来この国では富国強兵の国造りが幾たびかの戦争をもたらしてきた。大国主義が戦争を呼び込んできた/いる。
★しかし繁栄は平和の証とも言われたりするから、「大国」になって「繁栄」を享受していることはよいことではないかと言われたりもする。だがそれは事の半面であって、分配の不平等によって存在が脅かされている人たちがいる。また「自由」や「平和=治安」の旗の下に、戦争状態が引き起こされて存在が脅かされている人たちがいる。私たちには事の半面しか知らされないことが多いから、メディアリテラシーの訓練は欠かせない。
★「日本国」と呼ばれている国は国連の常任理事国など望まず、『三酔人経倫問答』の洋学博士よろしく、小国主義の非武装中立でゆくのが憲法前文や9条の精神にかなっている。そのためにも9条護憲派は日米安保の「国益」従属論から脱し、かつ国際法や自然法で肯定される「自衛権」をも超えて(したがって「国=自己同一性」を開いて)、非武装=非暴力を「可能性の中心」において貫く覚悟でなければならない。「非暴力状態の実現において他者を肯定する」、それこそが思想に値する態度である。(黒猫房主)





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