『カルチャー・レヴュー』41号



■連載「文学のはざま」第4回■


漢字なんてなくてもいいんではないでしょうかという話

村田 豪



 今回は当コラム「文学のはざま」にふさわしい内容とはいえないかもしれませんが、日本語を書きあらわす文字である漢字とかなについてすこし考えさせてもらいたいとおもいます。というのも、わたしが参加しているある読書サークルで、「漢字問題」についての報告をする機会をえたのですが、この一ヶ月ほどそのことばかり調べていたせいか、どうもそれ以外のことが頭にうかばなくなっているようなのです。どんな本をひらいても、書いている内容ではなく、「この人はこんなところまで漢字をつかっているなぁ」などと文字づらばかりおいかけてしまうぐらいなのです。これでは意味ぶかい「文学」のことなど到底考えられないのもわかっていただけるでしょう。

 ただ、そうはいってもこれはこれで面白いのではないかとおもっています。というのも、いままで「文字」の問題なんてさほど真面目に考えてこなかったせいか、わたしにとっては知らぬことばかりで、その「勉強」はすくなからぬ驚きにみちたものであったからです。また、驚きがあまりにおおすぎて、ついには「これだけ異例なことがあるなら、文字のことだけを掘りさげてみても徒労ではないか」という気さえするからです。ぜひ、その驚きと、ある種のウンザリ感をみなさんと共有したいとおもい、今回のテーマとさせていただくことになりました。

 まず、この「漢字問題」に目をむけたきっかけというのも、じつは何げないことなのです。以前から文章を書いていて、ある単語を漢字で書くべきかひらがなで書くべきかについてやたら悩んでしまうのでした。悩むだけならまだしも、基準や方針が自分のなかでいつまでたっても定まらないことに、なんとなく不満と不審に感じていたからなのです。たとえば……、そう「たとえば」と書くべきか、「例えば」と書くべきか? というようにです。もちろん自身の方針として決めてしまえばいいのでしょうが、意外とこれが決めにくい。ある場面では、ひらがなにしたくなり、ある場面では漢字にしたくなるからです。だから、この「たとえ」「例え」も、さらに「喩え」や「譬え」なんていう使いかたもあり、たいへん目うつりしてしまうわけです。

 しかしこれは書くほうの問題だから、どうぞ気のすむまで迷ってください、といっていられます。しかし読むほうはどうなのでしょう。「たとえ」「例え」「喩え」「譬え」などと使いわけられたら、その違いに何か深い理由があるように考えてしまわないでしょうか。生真面目な人に「どういうつもりで『喩え』にしたのですか」などと聞かれたら、それこそ「ちょっと格好つけたくなっただけで、深い理由はないんです、すいません」と謝ってしまいたくなります。

 実際本気で使いわけて書いている人なら、ひょっとするとその書きわけの微妙なニュアンスを説明することも可能なのかもしれません。学校でそれぞれの意味の違いを習ったとかおっしゃる人もいるでしょう。昨今の高性能ワープロソフトでは、変換のたびにこれらの違いが解説されたうえで語の選択をさせてくれるようです。でもこれらは本当に必要なことなのでしょうか。わたし自身は、その選択にせまられるたびに、なにか余計なものをつけくわえているような気がして、落ちつかないのでした。

 こんなモヤモヤをすっきりさせてくれたのが、高島俊男の『漢字と日本人』(文春新書)でした。「たとえ」のような本来和語であることばが、複数の漢字の訓としてあてられていることがよくあります。たとえば、「とる」(取る、捕る、撮る、採る、執る)や「はかる」(計る、測る、量る)ですが、これらを漢字で使いわけようとするのは愚かしいことだ、とはっきり書いてくれています。日本語においては単一のことばとしてきちんと機能しているものを、わざわざ漢字ではどれにあたるのかなどと気にするのは、やくたいもない漢字崇拝によるもので、害がおおいと力説してくれています。ホントそのとおりで、わが意をえたり、という気持ちです。

 そのほか、この著者によって教えられたことはおおく、たいへん有意義でした。著者の話のベースにあるのは、漢語(中国語)と日本語のあいだにある言語としての違いです。漢字はもともと「一文字・一音節・一単語」という形式をもち、話しことばの漢語にもピッタリのものであり、日本語での「漢字」の使いかたとは根本的にことなっているそうなのです。だから日本語の漢字でおこっているような問題、たとえば同音異義語の氾濫や、一つの漢字にいくつもの読みがあってそれを使いわけなければならない問題など、本家ではあるはずもない現象なのだそうです。それじゃあ、漢字なんか無理に採用したのがそもそもの間違いだったのでしょうか。  

 でもそれは今さらいっても仕方ないことのようです。古代に漢字が取りいれられて以来、はじめのはじめから漢字に寄りそってつくられてきたのが日本語にほかならないからです。「取」「捕」「撮」に同じ訓(意味)があてられたりするのも、日本語にもともとその漢字の区別に対応することばがなかったからであり、また「生」「正」「清」「性」などに「セイ」という同じ音(発音)があてられているのは、日本語の音韻構造が単純なため、本来の漢語の発音を再現できなかったからなのだそうです。それでも漢字のおかげでこうしてことばが増えて便利になったともいえるでしょう。ちょっと混乱したり、間違ったりもしますが、そうやって使ってきたのですから、そんなもんだ、という意見もあるとおもいます。なんといってもたいてい人は漢字に愛着があるようですしね。

 しかしです。いろいろと面倒なことがあるなら、もうそろそろ漢字などやめてしまえばいいのではないか、と考えてみることにも、多少の意義があるように依然としてわたしにはおもわれます。これは、日本語をあらわす文字として便利か不便かという観点だけのことではないのです。どちらかというと気風・道徳・人間性の問題です。漢字でハクをつける、その難しさに乗じてごまかしをはかる、どちらの意味で使っているのか不問にできるなど、漢字の使用は、日本人におけるうわべだけの態度やあいまいな態度の原因としても機能しているのではないかと推察したからです。ちょっと強引かもしれませんが。

 ところが、実はちょっと調べればすぐわかることで、みなさんもご存じのことに属するのかもしれませんが、漢字を廃止するという考え方は、明治以降、そして戦後においても日本国家の国語政策におけるある種の大方針・大前提だったのです。これは少々驚きました。わたしとしては、漢字批判は権力批判になるものではないかと、浅知恵的にかんがえていたからです。どうも逆のようでした。でも「漢字廃止」が国の方針だったなら、なぜそれが今になっても実現していないのか。それにはいろいろな紆余曲折があるようなので、簡単にその「国語改革」の歴史をふりかえってみましょう。

 「漢字廃止」の考えは、明治の維新期には、すでに前島密によってうちだされています。なぜ「漢字廃止」を行なわなければならないかというと、当時の公用文だった「漢文訓読体」は、近代化のために役立たないばかりか、それを妨げるものでしかないと考えられたからでした。森有礼にいたっては英語を「国語」にすればいい、とさえ唱えていたのです。よっぽど漢字がダメだとおもっていたのですね。

 では漢字にかえて何を文字に使うのか、という議論になると話はいっこうにまとまりませんでした。勢力として有力だったのは、「ローマ字」派と「かな」派です。政府肝いりの言語学者も、漢字をなくして採用するにはどちらがいいのか、当時最新の言語理論を駆使して、調査・報告・答申などをくりかえし、それなりにつよく後押しをしたのです。けれど漢字はなくなるどころか、明治・大正・昭和、つまり近代化をおしすすめるうえで、以前の時代よりもはるかに使われるようになったともいわれています。

 一番おおきな問題は、西洋から流入した新しいことばをすべて漢語に訳してしまったことでしょう。この数は膨大なもので、ゆうに数千、ひょっとすると数万ともいわれるそうです。だから、さきに挙げた同音異義語の氾濫は、むしろ漢字の歴史から見るとごく最近の問題なのです。漢字を廃止せよといっているその横で、せっせと漢字熟語が作られました。福沢諭吉や西周など漢字訳語を世に多数おくりだした張本人たちですら、どちらかというと漢字廃止主義者だったのですから、これはなんとも因果なものだとおもいませんか。

 漢字問題・国語問題にかんして、ちぐはぐだった例は、ほかにもあります。漢字廃止論側が押しすすめた「棒引きかなづかい」というのがあるのですが、明治の後期に小学校で採用されていた時期があるのです。これは長音にかんしては、現在のカタカナ語のように「ー」を使うので、たとえば「どーゆーぶんしょーになるかとゆーと」こういう文章になるのです。このだらしなさにはさすがに漢字擁護派(歴史的かなづかい派)も完全にキレて、猛烈に反対キャンペーンをはり、数年で「棒引きかなづかい」を廃止においこんだのでした。もう少しやりようがあったであろうに、と今さらながらおもうのですが。

 では、つねに漢字派が優勢だったのかというと、またそうではありません。とりわけ日清日露戦争以降、帝国主義国家日本は植民地を多数かかえることになり、現地での言語教育に頭を悩ませなくてはならなかったからです。日本人にでさえややこしい漢字(もちろん昔の難しい字体のほう)の数々、かなづかいの意味不明さ(てふてふがいつぴきだつたんかいけふをわたつていつた……)を各民族語を話す子供にどう教えるというのか。しかも赴任する教師たちからして、出身の方言によることばが、現在とはくらべものにならないぐらい遙かにまちまちで、なんとも悲惨な状況だったにちがいありません。

 だから朝鮮・台湾・関東・満州などの「外地」の教育関係者は、表音的かなづかいと標準語の確定をつよく要求したのでした。もし植民地行政を成功させたいと考えるなら、漢字をすくなくし、表音的なかなづかいを採用しようというのが合理的な考えでしょう。いっとき保守派に煮え湯を飲まされた改革派も、この植民地政策が焦眉の問題となるやにわかに勢いづきました。しかし当時の保守派・国体派はもっととんでもないものでした。「『国語』は科学ではなく『国体』を護持するものであって、外国人のために易しくするなどもってのほかだ!」などと平気でいってのけたのです。いや、今でもいいそうで怖いですね。

 こうして戦前までは、大前提とされながら「漢字廃止」はいっこうに実現する気配を見せませんでした。しかし第二次大戦での敗戦が、国語改革派の長年の夢をかなえさせようとしたのです。戦後改革のひとつとして、GHQの後押しをうけながら「漢字廃止」を目標にした「当用漢字」「現代かなづかい」が制定され、徹底的におこなわれたのでした。当然これには保守派が「反国語改革」ののろしをあげて対抗したのですが、行政・教育・新聞などを通じてひろく押しすすめられた結果、くつがえすことができませんでした。ただ「漢字廃止」の勢力もしだいに力を失い、どっちつかずの「漢字かなまじり」現代文がこうして書かれつづけているのです。

 さてこのように「国語」の歴史を振りかえっておもわれるのは、「漢字廃止」論には、いささかの問題点があるのではないか、ということです。戦後の絶好のチャンスにも、道なかばにしてその目的を達成せぬままついえたとすれば、なにかその立論にどこか欠点があるにちがいありません。そうおもって反国語改革派の急先鋒・福田恒存の『私の國語教室』を読んでみると、なかなか興味深いことに気づきました。「現代かなづかい」の「でたらめ」さがそこで暴露・糾弾されているからです。

 福田は「歴史的かなづかい」を「現代かなづかい」にしてしまうと、語としての意味を失うケースがあることを、いくつも例をあげながら問題にしています(たとえば、こえ[越え]/こゑ[声]の区別)。また「現代かなづかい」は表音主義を原則にしながら、いくつもの例外や破綻がかいまみられ、むしろしりぞけた「歴史的かなづかい」に依存していることさえある、というのです(たとえば、同じ音でもおうぎ[扇]は「う」、おおきい[大きい]は「お」など)。そんなことをして日本語を混乱させるぐらいなら、「歴史的かなづかい」のままのほうがよほど合理的だったと。確かにわたしもおおいにうなづけるのでした。

 ここで浮上しているのは、文字が「語」をどのようにしてあらわすことができるのか、という問題だとおもいます。「現代かなづかい」が「語」をあらわすときに、その弱点があらわれる。あまりに頼りないケースでは「歴史的かなづかい」をひそかに援用しているわけです。そして福田はそれを批判しているのです。

 ただし私のみたところ「歴史的かなづかい」も事情はあまり変わらないのではないかという気がします。というのも、「歴史的かなづかい」が「語」をあらわすとしながら、では戦前にあれだけ問題にされたのはなぜだったのか。それは「かな」が「語」として定着しようとするいっぽうで、漢字があるかぎりいつまでも「表音記号」の役目から逃れられず、「は」は「wa」とよむのか「ha」と読むのか、その二重性に揺れつづけることになるからではないでしょうか。

 それに「歴史的かなづかい」もまた、過去にどう発音されたかということに依存する点では「表音主義」にほかなりません。その悪しき面をあげるなら、「てふ」(蝶)のように、戦前は「字音語」(音読み漢字)にまでやたら古代の「音」をつづりとして再現していたのでした。そんな読み方もつづりも受けつがれてきたわけでなく、近世・近代以降の国学派の研究からおしひろげただけのものなのです。その結果どうなるか。おそらく「てふ」を「chyo:」と読まず「tefu」と読む人があらわるということなのです。実際にも、そう真面目に読んでいたひとがいただろうことをわたしは疑いません。

 ここにあらわれている難問こそが、「漢字廃止」論者としてのわたしを悩ませるものでもあります。はたして言語は、「音」からはじまるのでしょうか、「文字」からはじまるのでしょうか。あるいは「音」にもとづいて「文字」を決めるのに、なぜこれほどの困難がまとわりつくのでしょうか。こういう事態を確認しながら、いつまでも「音」をあらわしたものが「文字」だと考えつづけることができるのでしょうか。

 それにくらべれば「漢字」は、観念だけを表示して「音」はいつでもその人、その時代、その時の権勢におうじて決めていけばいいのですから、なんとも便利なものです。訓をあたえることができるから、場合によっては「意味」だっていつでも都合よく変えることができるでしょう。そのかわり「漢字」に依拠してしゃべっているのを横で聞いても、いつまでたっても「こやつはなにをいっておるのか」といぶかしいおもいをしなければならないわけです。それが日本語の運命だというなら、そういうものか、と納得しないではないですが。

 結局、「漢字廃止」論者の問題点はなにか、ここにきてようやくわたしは気づくことができました。つまり段階的な「漢字制限」という手法では、根本的には「漢字擁護」派とその考えにほとんど差がない、ということなのです。だから戦後の「国語改革」は革新的だったのか保守的だったのか、いまではよくわからない代物になっています。つまり日本語の革命は一挙にやるしかなかった。混乱しようが、不平分子がいようが、歴史をうしなおうが、強権的に全部「かな」か「ローマ字」にして一気にやるしかなかったのでしょう。まあ、わたしのこの考えにくみする人は、現在ほとんどいないでしょうが。

 最後に、少し話はずれますが、さきごろ発表され、テレビ・新聞などで話題になった「人名用漢字」についてひとこと。くれぐれも、本稿を読みとおしていただいた人なら「これからは赤ちゃんに『苺』や『林檎』と名づけられる」などと喜んだりしないでください。当然「いちご」「りんご」とひらがなで登録申請できたわけですから。

 もうひとこと。くれぐれも、本稿を読みとおしたのになお「『糞』『屍』『呪』が名前に使えるなんてどういうことだ!」などと憤慨しないようにしましょう。人名として使用できる漢字として指定されている「常用漢字」には、「死」も「病」も「殺」も、もともとあるのですから。

 そんなことよりは、なぜ「人名用漢字」にわざわざそのような漢字があることを「お上」は強調し、議論を引き起こそうとしたのかを考えてみたいところです(マスコミもそろいもそろってあんな露骨なお膳立てをしなくていいのに、とわたしなんかはおもうのですが)。ようは、漢字制限緩和のムードを醸成しながらも(反動は歓迎)、しかし最終的にはこれは国家がコントロールする問題なのだといいたいんでしょうね。という点からみれば、国民のほうから漢字制限を要求したというかたちにもっていくのが、一番好都合なのでしょう。うまいことかんがえたものです。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。腹ぺこ塾塾生。





■連載「映画館の日々」第4回■


ホモソーシャリティの廃墟へ
――クリント・イーストウッド論のために(2)

鈴木 薫


■クリント・イーストウッドは男の中の男である(註1)
 デイヴィッド・ハルプリンは『同性愛の百年間――ギリシア的愛について』(紀伊国屋書店)に収められた「英雄とその親友」という論文の中で、「おまえの愛はすばらしかった、女の愛にもまさっていた」というダビデの言葉が示すのは、一見そう思われがちな、彼とヨナタンとの関係に性的動機があったということではなく、性的ならざる愛が性的な愛を超え得たことへの驚きなのだという意味のことを言っていた。これを敷衍すれば、「女の愛」が一般に(あるレヴェルで)価値あるものとされているとき、それをも超えた「男同士の関係」はいやましに輝くということになろう。

 敵が何人いようと拳銃をぶっぱなせば百発百中、自分だけは無傷の「不死鳥の哲」こと渡哲也が東へ西へと流れ歩き、彼が現われるたび流れる主題曲が実は画面内でも聞えていることがメロディを聞きつけたチンピラが「哲だ!」と叫ぶことでわかる、クライマックスでは純白のナイトクラブに純白のスーツで哲が現われ、次々に色を替えるライトにひたされたセットで松原智恵子が歌う、目もくらむほど嘘っぽい『東京流れ者』(鈴木清順監督、1966)では、「流れ者に女はいらねえんだ。女と一緒じゃ歩けねえんだ」と最後に哲が松原を拒むとき、場内に拍手が起こったものだ。女を排して、つるみ、裏切り、殺しあい、愛しあう、こうした男たちの関係(『東京流れ者』はマニエリスムの極地であるが)――日活アクション映画や東映やくざ映画や香港ノワール――を、イヴ・セジウィックを実践的に応用して論じた評論集『男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望』(四方田犬彦、斉藤綾子編 平凡社)が最近出た。すでに詩誌「ユリイカ」が七十年代に出したやくざ映画特集で同性愛との関連は論じられていたが(当時、同級生の女の子がそれを読んで面白がって話しかけてきたのはいいが、いったいなんでそんなに笑いながらでなければ話ができないのか、第一そんなに意外な指摘か? と不機嫌な応対をした記憶がある)、今やホモソーシャリティという魔法の言葉が導入されたため、ホモセクシュアリティとの通底と切断について考えることができるようになったというわけだ。

 この本のまえがきで四方田犬彦は、「あるときわたしは突然にある評論家から、あなたの好きな映画は、結局はみんなホモ映画ではないかという指摘を受け、ひどく驚愕したことがあった」と書いている。ゲイ・プロパー作品、たとえばケネス・アンガーの『花火』などをすでに見ていながら、「無自覚のうちに、自分を取り囲んでいる社会的ホモフォビア(同性愛恐怖)のイデオロギーのさなかにあった」ため、そうした「特殊」な映画と、「一般」映画(仁侠ものも入る)とのつながりに思い至らなかったというのだ。(これにはこちらが一驚。少女マンガにも造詣の深い四方田氏にしてこんなことを言うのか。)。セーラー服の水兵が顏にミルクをかけられ、股間に花火を挟んで火をつける『花火』(1947年)は95年にようやく劇場公開されたが、これにしても、監房の壁の穴を通して隣室の囚人同士がタバコの煙を与えあい、看守が独房に押し入って囚人の口に銃身を押し込むジャン・ジュネの『愛の唄』にしても(どちらも、七十年代の終り頃、故佐藤重臣のコレクションによるアンダーグラウンド上映で繰り返し見たものだ)、言うまでもなく真空の中に純粋なゲイの感受性というようなものがあって、そこから出てきたわけではない。なぞるべき男同士の関係(「一般」映画にも見出される)が、すでに「無自覚のうちに」(たとえば当時十七歳の高校生だったアンガーに)夢の種子として刷り込まれていたのでなかったら、けっして花開くことはなかったはずだ。

 映画の中で同性愛がどう描かれてきたかを論じたヴィト・ルッソの『セルロイド・クローゼット』に、『真夜中のカーボ−イ』(ジョン・シュレジンジャー監督、1969)で、ダスティン・ホフマンがジョン・ヴォイト演じる「ジョー」のカウボーイ姿に「破壊的な批評」を加えるところについて述べた、次のようなくだりがある。
「本当のことを知りたいんなら教えてやらあ。そいつはホモ野郎の服だ。ホモの着るもんなんだよ」と彼は叫ぶ。傷つき、困惑して、ジョーは自らを守ろうと言い返す。「ジョン・ウェインは! ジョン・ウェインがホモだって言うのか?」/これが恐怖の正体だ。西部劇のヒーローと四十四丁目のホモに真の違いがないとしたら、アメリカの男らしさには何が残るだろう?(Celluloid Closet, P.81)

 ヴォイトの必死の反撃は、現在ならばクリント・イーストウッドに名前を入れ替えても成立しよう。相手を「ホモ」呼ばわりすることが最大の侮辱であるがゆえに、殴り合いに先立ってその種の悪口の応酬が行なわれる男だけの空間(カウボーイの集団、兵舎、監獄)――アンガーもジュネもこうした意匠を流用した――で、イーストウッドはつねに男の中の男であった。アルカトラズ刑務所で、彼は仲間の囚人からの性的誘惑を暴力的に退けている(『アルカトラズからの脱出』ドン・シーゲル監督、1979)。『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)のブラッド・デイヴィスでさえ、シャワーに半ば隠されての男同士のキスは――それ以上の行為はいとも優しく退けたとはいえ――拒まなかったのに。(ちなみに、モデルになった実在の主人公の方は何一つ拒まなかったという)。走ると息が切れる『ザ・シークレット・サービス』(W・ペーターゼン監督、1993)の彼は、若く美しい女の同僚との恋を昔と変わらず成就させるし、『トゥルー・クライム』(1999)での微妙に齟齬をきたしている老いたる二枚目ぶりは前回述べた。前回触れられなかった『ブラッドワーク』(2002)の、心臓移植後でしょっちゅう手を胸に当てている彼にも、姉を殺された依頼人という恋人ができ、ベッド・シーンまで演じていた(『スペース カウボーイ』(2000)におけると同様、女の医師に対して身体を見せる場面も頻出する。手術後だから当然なのだが)。つねに正義の味方であり、つねに犯罪者を追う側であるのと同じくらい、彼は正真正銘ヘテロセクシュアルの、新作のたびにそこに相手役の女優が用意されている男であった。

■女たちのあいだで
『マディソン郡の橋』(1995)はイーストウッド初のラヴ・ストーリーというふれ込みだったが、彼の映画は大方がラヴ・ストーリーでもあったはずだ。要するに、それまでの主演作から勧善懲悪のプロットを抜き取ればラヴ・ストーリーが残ったということであり、起こっているのは『ペイルライダー』(1985)同様、女たちと〈神〉との出遭いだと言える。助けを求める娘の祈りに応えるように白馬(蒼ざめた馬)にまたがって現われ、少女の母のみならず、女の子からようやく娘になろうとする年頃の彼女にまでセックスを求められる後者での牧師同様、『マディソン郡』の写真家は、主婦の願望の化身のように出現する。イーストウッド監督は、原作より若い女優でという周囲の意見を退けて四十五歳のメリル・ストリ−プを起用し、彼女は体重を増やして撮影に臨んだという(ストリ−プより実に十九歳年上のイーストウッドを、若い男優に取り替えようと言う者はいなかったらしい)。念のため言いそえれば、若い美男美女のメロドラマであったなら、この映画はけっして傑作にはなりえなかったろう。

 女たちの恋人であり、女たちを救う者であった彼は、初監督作品『恐怖のメロディ』(1971)では一夜を共にした女に命を狙われ、『白い肌の異常な夜』(ドン・シーゲル監督、1971)では、女たちに弄ばれ、殺されもした。しかし、年とともに女たちは、まるで男性の相棒のように、彼の対等な仲間となって、めざましい働きを見せるようになったのだ。彼は男たちのあいだで生きてきたのだが、年を取るにつれ、目立って女性に庇護されるようになった。『許されざる者』(1992)では娼婦と連帯し(註2)、『ブラッドワーク』では、医師も、協力してくれる刑事も女性であった(しかも刑事は黒人、恋人になるのはヒスパニックの女性である)。依頼人である彼女が船を果敢にも廃船に体当たりさせたからこそ、彼は犯人を撃てたのだし、最後にそっと伸びてきてとどめを刺すのは彼女の手だ。

 自らの老いを、彼は十二分に利用している。『許されざる者』の場合はまだ、何年も前に映画化権を得ていながら役柄にふさわしい年齢になるまで待ったというだけあって、今は堅気の元無法者、久しぶりに馬に乗ろうとして失敗し、試しに銃を撃っても当たらないという主人公を余裕をもって演じており、もとは凄腕だったという設定も、スクリーン上での彼自身の経歴に見合っている。しかし、『スペース カウボーイ』の健康診断の場面でしなびたお尻まで見せた身体を再びさらす『ブラッドワーク』の場合、事態は異なる段階へと入ったように思われる。前述のとおり、ここでは彼は、依頼人、女刑事、女医に支えられ、ようやくクリント・イーストウッドをやっているのであり、その点、『トゥルー・クライム』とも違うのだ。あまっさえ心臓までが被害者の女性からもらったものだ。そうやって女たちに支えられていることは必ずしも悪いことではないが、同時に、「イーストウッド」の機能不全と解体の徴候でもある。そのことの一つの帰結が、イーストウッドなきイーストウッド映画『ミスティック・リバー』(2003)であると見ることもできよう。

 女たちとの連帯以外に、イーストウッドには深いつながりを持つ別の系列の者たちがいた。言うまでもなく犯人たちだ。『恐怖のメロディ』の場合はまだ、DJである彼に音楽をリクエストしてくるジェシカ・ウォルターは、たんなる怪物であった。電話やラジオという距離をおいた関係から、距離を廃棄しての情交を経て、最後には目の前に現われナイフを突き出してくる理解不能な絶対の敵へと変貌した女を、崖下に突き落して排除することでフィルムは終った。犯罪者たちはしかしたいていは男であり、愛を求めるジェシカ・ウォルターと、実はそれほど異質な存在ではない。犯罪者にして分身――『タイトロープ』(リチャード・タッグル監督、1984)の刑事は犯人は自分ではないかと疑い出したものだが、それよりもよくあるのは、あたかも恋愛妄想のように、イーストウッドとの特別な絆を彼らが感じている場合だ。この分身は外見はイーストウッドに似ていない。『ザ・シークレット・サービス』のジョン・マルコヴィッチは、最初私たちに小出しにしか見せられない。『去年の夏、突然に』(1959)で同じような登場のしかたをする同性愛者についてヴィト・ルッソが言っている言葉を借りれば、「一度に見せられるには恐ろし過ぎる、映画の中の怪物のようだ」。彼は変装により(マルコヴィッチがもともとそういう役者であるが)千変万化の姿を見せる。(イーストウッドはそれとは反対に、たとえ変装していてもつねにイーストウッドである。『目撃』(1997)で、娘のローラ・リニーと待ち合わせたカフェにイーストウッドが現われるのを、警察と暗殺者、そして観客が待ち受けるとき、あの長身を見分けることができないとは誰ひとり思うまい)。ウィリアム・ウィルソンと違ってこの分身は目の前にいてもわからない。『ブラッドワーク』の場合、文字通り相棒[バディ]として現に目の前に存在しながら、観客にもイーストウッドにも気づかれない。

『ブラッドワーク』で、引退した刑事であるイーストウッドは、犯人に誘惑されて再びゲームに引き入れられる。捜査を開始した彼がその状態を“connected”と表現したとき、それを聞いて「イキそうだった」とのちに犯人は告白する。彼に移植された心臓は、脳死になるよう計算して被害者の頭に銃弾を撃ち込んだ犯人からの、ヴァレンタイン・デーの贈り物であった。そうやってイーストウッドを復帰させ、互いにコネクトされている快感をもう一度味わおうとしたのだ。女の心臓をもらったことで、イーストウッドが女性化したのではないかと犯人は揶揄する。心とは性器なのだ。ロラン・バルトが、膨張したり衰えたりするという特徴を挙げて言ったように。山口百恵が、「あなたにあげる」べき「女の子の一番大切なもの」とは何かと訊かれ、「心です」と答えたように。イーストウッドが現場に首を突っ込むのを嫌う刑事が口にする、アレも移植したらどうか、とか、今度はケツを移植したらどうだ、引き裂いてやる、という冗談は明らかにホモセクシュアル、かつ、一方を女性化してヘテロセクシュアリティに還元するホモフォビックなものであるが、しかしイーストウッドにはすでに心臓[こころ]という女性器が移植されている。

『ミスティック・リバー』では、ホモセクシュアリティとは白髪混じりの狒爺による少年の誘拐・監禁・暴行か、さもなければ買売春である。それ以外の可能性はいっさいない。車の中で少年を買っていた男を、少年を暴行していたと表現するトム・ハンクスにとっては、少年時代に自らが受けた性的暴行と、現在少年である者たちが金を受け取ってフェラチオをすることに差はないのだ。もはやここには男同士の美しい絆へと通じるいかなる道もない。あるのはただ、思い込みで友人を手にかけてしまったことに苦しむショーン・ペンに、あなたは正しいのよとベッドに押し倒してささやくローラ・リニーの強さだけだ。これをどこまでも現実的な、自分のことしか考えない、地上を這い回る女の恐しさ、鈍感さと見なしてしまってはなるまい。そうしたのでは結局のところ、すべてを再びミソジニーに還元することになるだろう。男らしさへの憧れを温存することになるだろう。そうではなく、強さは正しいというこの確信が――そもそも弱さを糊塗する妄想であったがゆえに――すでに機能しなくなっていること、ローラ・リニーは「イーストウッド」たりえない男に、あなたは強いのよと暗示をかけつつ、「男らしさ」が勃起という目に見える形で具現するための共犯者を演じていること(註3)、ホモソーシャリティの墓場はこの時代にあって、実のところ私たちの唯一の希望でもあることをこそ思わねばなるまい。

(註1)あるクリント・イーストウッド論のタイトル。
(註2)実は1968年の主演作『奴らを高く吊るせ』(テッド・ポスト監督)にも、すでに庇護してくれる娼婦は存在していた。前回の原稿を書いた直後ヴィデオで見て驚いたのだが、冤罪とリンチ、どう見ても死んだとしか思えない経験を生き延びた男、復讐、傷痕、正義と死刑に対する懐疑までが勢ぞろいしている。今回は考察する余地がなかった。他日を期したい。
(註3)まだ通読していない本だが、酒井隆史は『暴力の哲学』の120〜126頁で、仁侠映画と区別される「実録もの」やくざ映画を例に取り、『仁義なき戦い』の脚本家が「男の中の男」など本当はいないと書いていることを紹介しつつ、暴力とは自らの男らしさ[の欠如]に不安を持つ者の「無力(不能)」の否認であると述べていて興味深い。(河出書房新社、2004)。

■プロフィール■
(すずき・かおる)下町の星・金メダルで荒川区は大騒ぎかって? まさか。静かなもんです。トンデモ男女共同参画条例案を引っ込めた区長、何をはしゃいでるんだか。北島君は違うかもしれないが、将来自民党議員をふやすのに何人かは貢献するんだろうね、あの人たち。都教委が「つくる会」歴史教科書を来春開校の「新設の都立中高一貫校」に採用。新設って……昨日や今日できたわけじゃないぞ、学校群制度下でなければ私も行っていたはずの白鴎高(北島くんちのメンチカツを常時おくことになった上野松坂屋近く)に、何をするんだ、石原! 委員の顏ぶれがまたスゴい。ジェンダーについて考える精神科医のサイトで知って、委員の一人、某棋士のわかりやすすぎる「放談」(「胸がふくらんだ女性を見たら、むらむらっとくるような男を育てるのだ」)を読む。http://homepage1.nifty.com/yonenaga-kunio/sakusaku/4_1.htm
 オヤジの絶望的に貧しい頭の中身。(脱力するよ。)





■バーマニアの今月の一軒■


Cafe&Bar あんさんぶる

久世明宏


 京阪電鉄本線関目駅西口下車、国道一号線に出て右手を見ると、すぐに「Cafe&Bar あんさんぶる」というお店が見えます。外から見るとこぢんまりとした印象で、中に入ると落ち着いた空間が広がります。
 入口の正面にカウンターがあり、椅子は4席しかありません。あえて4席にしたのは、椅子の間隔を広くとりお客様にゆったりとくつろいでいただけるように、というオーナーの配慮からです。カウンター後ろにテーブル席もありますが、ぜひカウンターに座り、マスターの話を聞きながらお酒を飲むのがよいかと思います。
 カクテルが中心のお店で、700円から飲めるリーズナブルな価格設定。少々高価なリキュールをオーダーしても、大抵は700円で出してもらえます。その他のお酒や摘み類もオールセッティングに揃えています。
 関目駅は繁華街ではありませんが、京橋駅から約5分、梅田駅から約10分の場所です。早い時間帯から飲むのであれば、意外に穴場ではないかと思います。

「Cafe&Bar あんさんぶる」
 大阪市城東区関目5-3-28 〒534-0008
 Tel&Fax.06-6930-1210
 (Cafe)AM7:00〜PM5:00 木曜日定休
 (Bar) PM6:00〜AM2:00 日曜日定休





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★茂木健一郎(脳科学者)トークイベント


 〜これは脳科学の革命だ!
 千億ものバラバラの細胞が、なぜ「ひとつの意識」を持てるのか?
 <私>という明確な意識はいかにして成り立つのか?
 大胆な仮説を元に、意識誕生の仕組みを探究する革命児が著書『脳内革命』 (NHKブックス)
 のエッセンスを語る〜

 ■日 時:04年09月04日(土)16:00〜18:00
 ■場 所:阪急ブックファースト梅田店 3階リビングカフェ(TEL:06-4796-7188)
 ■入場料:先着15名、ドリンク付き席300円/当日の立ち見席は無料




■黒猫房主の周辺(編集後記)■
★「スローライフの言説」が消費される一方で、年間3万人以上もの自殺者が発生しているこの国では、そのギャップを埋めているのが「癒しの言説」である。この「癒しの言説」は「保守化」とも通底しているだろう。その在り方としては間違いではないだろうその「スローライフ」も、それを可能にする物質的基礎(分配的正義)を問わないかぎり、後退した「癒しの言説」に過ぎなくなる。
★働きたくても働けない人がおり、一方に働き過ぎで過労死する人がいる。この矛盾への怒りは上手く焦点化されていない。出来ること(働くことや能力)と所有(収入)の関係を切断あるいは相対化した上で、存在の肯定を目指すために分配が主張されるべきだ。その分配は、立岩真也氏が言うように「譲渡したくないものを譲渡せずにすむような分配」であることが、基本に置かれるべきである。そうでないような「徴収と分配のシステム」は、「理性」の名を借りて「差異」を封じ込める抑圧に転化するだろう。
★かくして「働ける人が働き、必要な人がとる」という理想の具体化と現実化が目指される。しかしこの分配への道程は、私的所有のしがらみを思うとあまりにも現実味がないよう思われるかもしれない。それは確かに困難ではあるが同時にその実現が不可能である理由がないことによって、すべての人ではなくとも多数の人々にそのことが理解されれば、そこには希望はある。( 立岩真也『自由の平等』参照
★先月号の「編集後記」で「読書運動」批判をしたところ、いろいろとご批判をいただいた。改めてこの場を借りてお礼を申し上げます。そのご批判への応答を込めて、加筆のうえ再論をWeb版に掲載しましたので、ご一読いただければ幸いです。http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re40.html#40-3(黒猫房主)





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