『カルチャー・レヴュー』37号



■連載「文学のはざま」第2回■


アベカズはほめられている?!

村田 豪



 アベカズこと阿部和重が、作者自ら「破格の作品として書き上げたという自負は持っています」とまで豪語した新作長編小説『シンセミア』。これは去年10月末の刊行ですから、上梓されてすでに半年がたっています。その間に新聞・文芸誌などにおける書評・評論もずいぶんと出そろいました。とくに批評家や同業作家からは、多くの称揚、賞賛、激賞の声があげられた模様です。

 とくに目立ったのは、高橋源一郎が朝日新聞の書評において手放しで大絶賛したものでしょう。後に高橋・阿部両者の『広告批評』(2004年1月号)での対談でも肉付けされて語られていますが、高橋の評価の力点はこうです。長編を支えるためのニュートラルな文体は、同時に表現としては限界をもってしまう。中上健次も高橋自身もそれに苦しんできた。にもかかわらず、アベカズは「要するにデカい屁みたいなものだ」というような独特の荒っぽい口語調でそれを突破してしまう。グレート!新しい!自由だ!と。他の評者たちも、私が見た限り、おおむねその明け透けな語りについては、高い評価をしているようです。

 ところが、概してアベカズファンを自称する一般の読者からは、今ひとつ歯切れの悪い感想がこぼれてもいるようです。確かに力作ではあるかもしれない。内容も派手で構築性がありアベカズらしい。しかしこれまでの作品に通じてあらわれたモチーフである、多重人格や解離を思わせる一人称の語りに面白みを感じ、音楽や映画、漫画などのサブカルチャーを小道具にして構築される批評的パロディに感心していたものからすれば、今ひとつぴんとこない、というのです。本作では、アベカズお得意の人称マジックみたいな手法は完全に後退し、雑多な登場人物を擁する三人称体の、ある意味では素直な語りの視点が採用されているために、期待はずれに映るのかもしれません。そして、総勢60人から70人にもなるという人物群が描きだされているのですが、それぞれが物語の駒として多彩に動き回る一方で、どの人物にも集約的な視点が与えられないので、人は不満げに「どの人物にも感情移入できない」と漏らすのでした。

 さて、私の感想を当然明らかにしなくてはならないのですが、実は、よく分からないのです。というか、賛否分かれているかに見える、プロたちの評価と一般読者の不満足どちらもが私にはよく分かるので、どのように自分の意見を表明すればいいのか、それがよく分からないのです。「よく分かる分からない」ついでにいうと、実はアベカズがどういう意図とモチーフで本作を書きつづったのか、部分的にはハッとするぐらいよく分かったので、これも私なりの感想を与えにくくしています。作者の意図が分かる、というのも不遜な言い方ですが、なんとなくよく分かるのです。いらぬ誤解を起こさないようちゃんと例証しましょう。

 まず作者は、この作品をきわめて近い時点での「近未来小説」として書こうとした、ということです。物語の舞台は、作者の生まれ故郷山形県にある「神町」という現実的な場所であり、また2000年の7月から8月という今では過ぎ去った短い期間を扱っている点で、「近未来小説」なんていう言葉を連想する人はおそらくいないでしょう。作家本人も完成後のインタビューや対談でそのようなことは一切口にしていません。しかし、雑誌連載時の初出は「アサヒグラフ」1999年10月15日号であり、作者は来るべき「世紀末」に向けて作品を用意し、時代と随伴すべく書こうとしたことは明らかでしょう。

 問題は、なぜそんなことが、いかなる意味でアベカズに要請されたかということです。それは当時(すでに誰もがすっかり忘れてしまっていますが)「世紀末」というものがかき立てる猥雑なSF的妄想が、オカルトチックな陰謀マニアや子供たちの共同体がつむぐおとぎ話を遙かにはみ出して、政治や社会一般の言説にも不安げな圧力を加えていたわけですが、おそらくそんな趨勢にたいして、作者は自らの想像力で対抗しようとし、別の(そして本当の)現実を予見しようとしたはずです。

 端的な例は、当時施行されたり制定されようとしていた「児童虐待防止法」や「通信傍受法」です。これらを作者は、物語中でも新しく制定された法律として具体的に名指し、人物たちにそれへのリアクションを引き起こさせているのです。ロリータ愛の警官中山正は、児童虐待から少女を守るという大義名分を得てこそ、その偏執的劣情を爆発させえたのだし、盗撮グループの首領松尾丈史は、国家が獲得した諜報権力を羨望してこそ、住民総監視の活動を増長させていくのです。つまりこれらの未来への予防的な法律が、皮肉にもいかなる形で転倒するか、そして予防されるべき空恐ろしい「世紀末」とは、事実上はそのような転倒としてだけ到来するであろうことを、あらかじめ言い当てておこうと作者は考えたのではないでしょうか。

 作品が完成したのが、物語の時間をずいぶんとやり過ごした後であったので、このことはあまり問われてはいません。作者も「分量としては当初1000枚を目論んでいたのに結局1600枚も書いてしまった」という予定変更については種明かしをしていましたが、現実の成り行きととどのような連携でもって、いつまでに終わらせるつもりだったか、については、残念ながら明らかにはしていません。でもひょっとすると完成の遅れだけが、問題なのではないかもしれません。作者が自らの想像力と予見によって企てた現実への抵抗そのものが、今ではどこか肩すかしを食らってしまっているようにも感じられなくはないのです。

 例えば、物語では「世紀末」のその夏、何十人も死傷者を出すダンプカー暴走事件に、パン屋の三代目宮田博徳とその妻が渋谷で遭遇することになっています。しかし、卑近な例ですが、もし現実の世界における9.11のテロが先に起こっていたら、アベカズはこのくだりをもっと違ったように処理したのではないでしょうか。衝撃的で「世紀末的」なカタストロフィにしては、現在からすれば、この出来事は何か的を外したような中途半端さを与えているように思えるからです。ですから、意図としては最初は明瞭だったのに、「世紀末」に向け作家が投射しようとした光学が、現実によって屈折させられてしまったため、その意味合いは確定しにくくなっているのではないかと思えます。だからこの予見の問題は、作者の意欲を買いたいところなのですが、作品における成否として評価することは難しくなっている気がするのです。

 その他にも、感想の与えにくさについては、いろいろと言うことができます。やはり気になるのは、一般の読者が不満げに指摘する、語りの人称と登場人物の問題でしょう。アベカズ自身の自己分析を引用すると「一人称の、自分語りの方向は、このままでは行き詰まるだろうという予感がありました。『インディヴィジュアル・プロジェクション』は自分なりに上手く書けたと思えた作品だったから、今後はもっと複数の視点のものを書いていかなきゃいけないだろう」(webサイト「エキサイト・ブックス」におけるインタビューhttp://media.excite.co.jp/book/special/abe/index.html)と考えたらしい。あるいはさきの高橋との対談では、「美文」を追求しているのではなく、「レゴブロックとかを組み立てるみたいに、本来の置き場所の異なるもの同士をつなげて、その組み合わせ方によって新しい印象を生み出していきたい」とその手法の意義を説いています。

 確かにアベカズの目論見には、一定程度理解できるところがあります。とくに陰謀論的世界観の人物を複数配置することで、人物の心理と行動のメカニズムについての前作までの蓄積を、余すところなく活用もしている点で、『シンセミア』はそれほど単純な客観小説ともやはり言えないのです。細部には、不測の事態、偶然、驚き、反転が絡み合い、一度読んだだけでは、実際どうなっているのか分からないぐらいなのです。しかし、それをただ物語として読み辿るときには、どんな破天荒な「出来事」も、作品が規定する時系列と因果性を踏み外すことがないせいで、なんとも奇妙な慎ましさの印象に支配されるのです。一向に胸のすくような驚きへとは少しも到達させてくれないのです。人物と出来事の圧倒的な複数化が組織されればされるほど、いわば予定調和の出来事を累々と積み上げられていくだけのように思われてくるのです。

 ただし、このことについては蓮実重彦が『新潮』(2003年12月号)での書評「パン屋はなぜパンを焼く以外の多くのことに手を染めざるをえず、また、あるとき、ただのパン屋であることへのノスタルジーを憶えざるをえないのか ― 阿部和重『シンセミア』論 ― 」で非常にうまく評価として論じています。ここでの蓮実は、この膨大で錯綜した出来事の累積である『シンセミア』を驚くほど分かりやすい見取り図を用いて説明してくれています。そして多くの読者が「予定調和」と感じたところも、「偶然を宿命化するこの何気ない呆気なさこそが、『シンセミア』阿部和重の素晴らしさにほかならない」と冴えた言い回しでほめるのでした。

 ただ、やはりこれは蓮実が素描する『シンセミア』にすぎないなあ、とも思います。例えば、「神町」の隠された破廉恥な出来事の犠牲者に「祖母」を持ち、「母」もまた別の辱めを受けたため「神町」自体に異様な復讐心をもつ隈元光博を、蓮実が「かつて神町で辱めを受けた娼婦と進駐軍兵士との間に生まれた混血児」などと間違って簡略化してしまうところなどにも、その単純化が見て取れます。それでも『シンセミア』を読んで今ひとつ消化不良の人は、蓮実の当該の書評を読めば、少しその胸につかえたもやもやをすっきりすることはできるかもしれません。こんな素晴らしい小説だったんだ、と説得されること請け合いです。

 他にも、大西巨人が短いながらその書評(『小説TRIPPER』2004年春季号)で、おそらく最上の讃辞と思われる「芸術犯」という独特オマージュを授けています。つまりアベカズを芸術上の「確信犯」、大西との「共同正犯者」に仕立て上げ、「阿部の犯行完遂を願おう」とさらなる飛躍を、ほとんど約束されたものであるかのように、格調高く奨励しています。これだけほめられたら、アベカズも本望でしょう。

 しかし、この賞賛の合間には、他の論者が手放しでほめた『シンセミア』作品中の漢語の多用については、大西らしい指摘でもって難じています。間違いとは言えないが、「『顕在化した無意識に促されるようにして』とか、『過慮とは理解しながらも』とか、『幼子らの喧しい泣哭が』とかいう語の選択・使用・排列を、もっぱら消極的に評価する」と、ほめきれないのです。確かに物語のある事態にたいしての、漢語表現が孕む微妙な踏み外し方が、文章のドライブ感をそいでいるように私にも思われるのでした。高橋との対談でアベカズ本人は「間違ってるということで終わってしまうんですね。僕の場合も「文章がヘタだ」で終わってしまう。(笑)」と言葉遣いについてのよくある表面的な批判を皮肉っているのですが、果たしてそれで済むのかどうか。さて、私はなおよく分からなくなるのです。

 『シンセミア』は果たして、いいのか悪いのか。傑作なのか駄作なのか。結論はでないままではありますが、しかし作品中、私なりに相当感動・感心した箇所もあったので、それだけは最後に明らかにして、この『シンセミア』評価にまつわる小文を終わらせたいと思います。

 それは、見合い結婚して2年もたつのに互いにうちとけあえぬままに、しかし仮面夫婦としての行き詰まりを感じていた宮田博徳と妻の和歌子が、洪水で町全体が避難状態の騒動にあるただ中、偶然の思い違いが作用して、標高百数十メートルの「若木山(おさなぎやま)」を二人して裸足で駆け上がる羽目になり、足を傷つけ息を切らせた頂上でとうとうお互いが相手を今や理解したがっていることに気づく、という掌中唯一すがすがしく描き出された場面でした。大洪水の後の雲間から差し込む荘厳な光が、水に浸された「神町」を照らし出す、という描写まで添えられた非常に感動的な場面なのです。

 それまでの若い夫婦のでたらめな行状によってハラハラさせられてきた読者としては、ここで突然の象徴的な山登りによって、主人公格の博徳とその妻の間に、今までになかったような親密さが醸し出させられるのは、結構なカタルシスになったことだと思います。これはおそらく私だけが感じたものではないでしょう……。

 しかし、やはりアベカズを尊敬してやまないと私が感じたのは、もう十年も前に書かれたデビュー第2作の『ABC戦争』の次のくだりを読み直したときでした。これにはやはり呆気にとられるしかありません。

 Y県の山、あるいは「文学的」山登り。しかしこれにはどうも嫌な予感がする。なぜなら「文学」にとって、山は、これまでどれほどおおく信仰の対象となってきたことか!おもいだせば、あれも登ったこれも登った、あの山もこの山も……。(略)《跳躍》における滞空時間をできるかぎりひきのばしてゆくことをいちおう義務としてうけいれたものとしては、頂上に一気にのぼりつめたりしてはならず、―― 昼飯に食った鯛にあたって下痢などして ―― 中途で立ち往生していなければならない、というのも、これから登ってみようというY県の山とは、月山でもなければ鳥海山でもなく、ましてや蔵王山ですらない、標高一三三mというまことに小さな山、若木山なのである。(『ABC戦争』)

 アベカズが、自分の小説世界に「若木山」を初めて登場させたとき、それは山とも呼べぬ標高133メートルの小さな山、「文学的」な信仰の対象にはなりえぬ山、作品に《跳躍》としての持続を望むならば「頂上へ一気にのぼりつめたりしてはなら」ない山としてでした。それゆえ同作では「若木山」は慎重に(あるいは悪戯っぽく)「O山」と記号に書き換えられ、山を「自然主義的」=「神秘主義的」なドラマの舞台として描くような「文学主義」を封殺する、という手の込んだことをやっていたのでした。

 つまり、『シンセミア』で私が感動した「若木山」の夫婦による駆け上がりは、十年前に同じ作者が批評の対象にした「文学的」なドラマそのものだったわけです。十年かけてアベカズは、山ともいえぬちっぽけな「若木山」を、山登りにふさわしいだけの、さらには信仰の対象としての「文学的」な山へと、その力業で仕立て上げたのでした。なんとなれば、作品は、狂信的な一部の神町住民による「若木山」御神体発掘作業のさなか、第二次大戦下に残された幾多の不発弾が爆発しだし、ついには山の真上の闇夜をUFOのような赤い巨大な光が浮かび上がる、といったまさに馬鹿馬鹿しい「神秘主義」でもって大団円を迎えるのですから。

 最後に、『シンセミア』を読んでいない人には、私のこの論評は、「『シンセミア』って結局どんな話なんだ」という疑問のフラストレーションを与えるものでしかなかったかもしれません。しかし私の力量では、やはり要約のかなわない作品なのです。ご容赦いただきたいと思います。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。腹ぺこ塾塾生。





■投稿/書評■


「青春の終焉」から「青春の復権」へ
――脇田憲一著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件−戦後史の空白を埋める−』(明石書店 4,800円 845頁)雑感――

橋本 康介



 三浦雅士はその評論集『青春の終焉』(2001年 講談社)の前書きをこう始める。

   ――「『さらば東京! おおわが青春!』
一九三七年九月二十三日、中原中也は、詩集『在りし日の歌』の後記の最後に、そう書きしるした。享年三十一。詩集原稿は小林秀雄に托された。
『還暦を祝われてみると、てれ臭い仕儀になるのだが、せめて、これを機会に、自分の青春は完全に失はれたぐらゐのことは、とくと合点したいものだと思ふ』
 小林秀雄がそう書きしるしたのは、四半世紀後の一九六二年。友を失った批評家は、生き延びて、六十歳を迎えていたのである。」――

続けて、青春や青年という語の起源と、発展し世に定着する過程、下って60年代後半に急速に萎んでしまった背景などを語っている。例えば「伊豆の踊子」では、青春がエリート層の旧制高校・帝国大学という制度による囲いこみによって維持された、つまりは階級による特権者の独占物であったと語り、主人公はまさにその青春に在り、登場する人々、踊子も栄吉やその女房も青春とは無縁だったと述べる。60年代後半の学生反乱こそは、そうした永く続いたエリート層・特権者の独占構造の大衆化を通じた解体過程、青春の終焉であったと言う。青年という語にはあらかじめ女性を排除する思想性が間違いなく付着しているし、それは保護者の会を父兄会と呼び、労組などでも若い男女の部会を青年婦人部と呼んでいたことにも正直に表れているとつなぐ。

 事実、70年を前にしたぼくの学生期には、所得倍増の「成果」が創り出したその特権の大衆化の中で、青春や青年といった語は、臨終直前であり、やがて青春・青年はダサい気恥ずかしい言葉として姿を消した。三浦氏が言うとおり、青春文化・青年文化とは呼ばず、代わって若者文化と称したのだ。

 青春という語に宿るその気恥ずかしさは、社会的な特権背景もさることながら、特権の渦中に在ればこそ無自覚な「青春はかくあらねばならぬという確信」「青春の規範とでもいうべきもの」(三浦)という、青春という語の背後に倫理めいて潜んでいる、いかがわしさにも依っている。そのいかがわしさを見破ることにさえ、膨大な労力を費やし夥しい醜態を演じたのが、60年代後半期の青年たる我が世代だと言われれば、ぼくや同世代者は怒るだろうか。

 さて、本書は敗戦から朝鮮戦争・55年日共「六全協」前後に至る時期の、日共軍事路線の二転三転する混迷に翻弄されうごめく群像(企画段階の書名は『炎の群像』)の、845頁にも及ぶ身を削っての当事者(著者は「枚方事件」の被告人)ドキュメントと、関係者への聞き取りである。

 当時の日共の方針のブレや、党内抗争の裏面のいきさつにも触れていて、戦後初期共産党史としても興味深い。何を巡って抗争していたのかさえ、一体どちらがソ党の「介入作戦に毒された」のかさえ、たぶん当事者にも党中堅幹部にもさっぱり解るまい。「所感派」「国際派」・「軍事方針」「平和革命路線」・「臨時中央指導部」「全国統一委員会」・「四全協」「五全協」「六全協」……その入り乱れて錯綜した経過と抗争内容は、昔(68年当時)若干学習したが、いま本書を読み返しても相変わらず難しい。

 が、著者は元々、党の政治的総括を求めるために本書を書いているのではない。当時の東アジアの政治地図には世界史的の理由があり、選択された各種方針には当事者なりの根拠がある。その理由・根拠を封印し、党史を改竄するその党的在り方のことを言っているのだ。

「吹田事件」。1952年6月24〜25日。
 前夜の阪大石橋キャンパスに結集した朝鮮人・日本人の3000人も、同日阪大下の待兼山米軍住宅への軍事攻撃を準備していた部隊も、深夜の行進の果てに山田村で合流し、千里丘竹之鼻ガードをくぐって「吹田操車場」へ突入した1800人も、笹川良一邸を襲撃した部隊も、「列車を一時間遅らせば千人の命が救われる」との想いに基づくそれらの行動は等価ではないのか。

「枚方事件」。同年「吹田事件」の前日。
 旧陸軍の砲弾の70%を製造していた枚方工廠、その払い下げ先小松製作所の砲弾製造手段を爆破しようとする著者を含む9名の行動。実行部隊4名の中にいた3名の朝鮮人青年。参加者に共通した「同胞の殺戮を阻止したい」「日本の直接戦争参加を許さない」とした爆弾製造手段爆破の実力闘争は、その政治的方法論を巡る論議や政治的有効性の当否への客観的評価とは別に、後年装いを新たにした党から「極左冒険主義」であり「無関係だ」として葬り去られるべき行動ではない。党は紛れもなく、直接に関与していたのだ。
彼らの想いに誰が光を当てるのか? 著者はそう語っている。

 改憲論議が進み、イラク派兵は苦肉の特措法にさえ抵触している。北共和国の不法不当な拉致問題を最大限に活用しての『過去ほうかむり精算』と『脅威論の流布』が深く広く進行している。この国のぼくたちは脅威論と排外主義の蔓延の中、再び為政者が企図した筋書きに乗るのだろうか。  

「戦争のできる国」へとひた走る準備作業は、巨大メディアを駆使し、戦時下イラクでのボランティアやジャナーリストの人質事件への「自己責任論」「損害(?)賠償論」を広く形成することに成功した。

 自衛隊派兵だけではない日本の在り方を示してくれた若者を、一億挙げて袋叩きにするという、世界に通用しない「奇妙」を堂々と繰り返す異常さえまかり通っている。国家方針に沿わない行いや存在を力ずくで排除する危機の時代の到来である。

「吹田・枚方」は、戦争と平和、民族と国家 を考える際の生きた教科書でもあるだろう。
「吹田・枚方」が、いまぼくたちに語りかけるものは何なのか?

 やがて、著者はその後、和歌山水害救助隊への参加から、党の方針に従い「山村工作隊」に入隊する。
 党が約束した食料補給が途絶える中、大阪へ出て集めた食料を担ぎ、雪深い山道を独り往く著者、その冷たく冷え切った足先の感触が伝わって来て痛い。 著者はその眼差しの向こうに何を見ていただろう……。

 このとき著者には「かくあらねばならぬという確信」や「規範とでもいうべきもの」のみでなく、いかがわしさを顧みぬ倫理でもない、内側から来る希いのような原初の叫びが、理論や戦術戦略を超えて確かに在った。元々エリートと無縁にして特権を持ち合わせない貧困夜間高校生としての著者が、当時の軍事方針下の諸行動・諸個人を「極左冒険主義」として歴史から抹殺した党への憤りを除けば、自己の内と想いを同じくする仲間の内において、「こと」の自己責任を負う気概で立とうとしているのは、当時の「事件」への視点目線からも、その後の経歴からも明らかだ。

 そこには、戦後のある時期、社会的特権性からもエリートという括りからも、そしてその奥に潜んでいるいかがわしさからも免れた、民衆(あえてそう言おう)に開かれた青春、原初の青春が確実に息づいていたと思い至る。奥深い山の工作隊員間にときに発生する、党方針・食料問題・移動と人事を巡る紛糾も、勤労奉仕や山びととの交流・信頼関係も、それは間違いなく丸ごと、「こころざし」を維持した隊員たちの青春が支えた日々だ。おそらく類まれなる天与の時期だったのだ。著者はそこに居た。

 その青春は畢竟ある種の世界性へ、全体性へと向かって当然なのだ。個々の青春の有効性を求めてやまない在り様は、個々の青春を鷲掴みにして維持される司令部といった政治的・戦術的な党的存在ではなく、思想としての中枢を担うべきもの=統括的な機能を果たす存在を模索していた。

 最近、旧友が、しばしば「党的な流儀の一切を拒否」するというぼくに棲みついた「党派性」に業を煮やし、「あのな、『全共闘』時期の教訓とはな、あえてひと言で言えば、依りかかりの対象としての『党』を拒否するあまり、必ずや必要な統括機能をまるごと否定した、その無効性のことやないのか」と述懐したのだが、急所を突いていて半ば了解できるのに、素直に聞けなかった。

 ひと昔まえなら、「依りかかりの対象としての『党』を拒否するというよりも、『必ずや必要な統括機能』であっても、『統括』や『機能』そのものが持つ、その代理性=権力性をまるごと乗り超えることを志向したのだ!」などと言い返していただろう。

 1955年7月、日共「六全協」(第六回全国協議会)。同年12月、著者は、工作隊以後転々とした任務を経て従事していた「アカハタ」分局員を突如解任される。「弾圧事件関係者は党の常任になれないという機関決定」が理由とされた。「極左冒険主義」のその責任は「武装闘争を実践した下部党員」にあるとし、他ならぬ直接間接に武装闘争に関与した多くの幹部によって、党は生き延びたのである。

 なお、著者の為に付け加えれば、除名を想定した意見書の提出などに見られるように、この突如解任がなくとも彼が党を離れていたことは疑いない。

 党とは無関係な「間違い」とされ、一部の者の「冒険主義」だと葬り去られた事実を、飾り立てや誇張を排し戦後史の中に過不足なく、正確に確実に、定位させたい。それが、領導した党・参加した個人それら当事者の、歴史へのせめてものそして本源的な責務であり、唯一の可能者であるはずだ。著者はそう訴えている。その責任を果たそうという作業を、政治的にではなく思想的に、臓をしぼって開始したとき、党は党を超えられるのだろうか……?

 俯瞰すれば垣間見える無謀、ある意味での青春の無残、その恨み辛みを、とうに終焉した青春にしがみついて書いたのではない。ましてや、逆にそれらを隠蔽し美化した青春や、爆弾闘争の冒険譚や自慢話を書いたのでもない。決してそうではない。

 それら正負を超えて、自身のみと過去のためでなく、自身を含む人々と未来のために、その展望の一助にと「青春の復権」を書いたのだ。著者はきっとそう言いたいはずだ。
 そうした「青春の復権」を今日的に可能にする方途の模索こそが、読者に与えられた課題だろう。

 それが、もはや終焉したはずの今日に不適にして無効なる「青春」を、墓を掘り起こしてまで、再び持ち出すことでないことは言うまでもない。
 著者が最後部分に書いている、いくつかの今日的取組みが著者にとっての今日的方途の模索なのだが、その方途は読者各自がそれぞれに見出すしかない。

「自己責任」を問われバッシングに遭っても、対象と等身大に触れ合おうと再び戦場へ向かう気概をさえ持つ若者たち、その青春。自民・公明・民主相乗りの助役上がり市長候補との闘い(茨木)に打って出、互角の戦いをした女性市民派市長候補と選挙を支えた若者たち、その青春。済州島「四三事件」に関与し密航して在日し、今なお、一九四五年に半島に居て構想した「原祖国」の意味を問い、あえて日本語で語り続ける朝鮮人詩人・金時鐘の、その74歳の青春。

   それらは、新たな流儀=依りかかるまいという在り方、党力学とは無縁にして党から無援の在り方を示して、先に述べた旧友の述懐と「ひと昔まえのぼくの言い返し」との応酬域を超えようとする地平に立ち、やはり「青春の復権」を問うてはいないか。

 それらは、死語としての青春ではない、特権に支えられいかがわしさを抱え持った青春ではないもの、著者が関与した党の日々=「極左冒険行動参加」「山村工作隊体験」を可能ならしめたのにも通底する、あることを訴えている。
「青春の復権」なる言い回しが的を得ていないとしたら、ネーミングは任せたいのである。

■プロフィール■
(はしもと・こうすけ)1947年、兵庫県生まれ。1970年、関西大学社会学部中退。1977年、労働争議の末、勤務会社倒産。5年間社屋バリケード占拠の中、仲間と自主管理企業設立。1998年、20年間余の経営を経て、同企業及び個人、自己破産。2001年、小説『祭りの笛』執筆(2002年1月、文芸社刊)。2003年、「映画から届いた『「肉声』」(「La Vue」14号)に寄稿。2002年、知人の業務の支援として中国家具工場貿易ブローカー開始、現在に至る。大阪府茨木市在住。





■連載「映画館の日々」第2回■


日本のレズビアン映画をヴィデオで見る

鈴木 薫


■美しさと哀しみと☆ 誘惑者☆櫻の園☆ナチュラル・ウーマン☆blue

I: あらら……連載二回目にして、看板に偽りありじゃないですか。
S: このところ映画館に行かない(行けない)日々を送っているもので。今回はこれで勘弁して下さい。上記五本を借りてきました。
I: Sさん、もともと映画をビデオで見るってことをしない人ですよね。
S: できない人 です。ロラン・バルトも言ってますが、明るい室内で、複数の家具のうちの一つに注意を集中しつづけるなんて。
I: では、これらの映画も映画館で見ている?
S: ……それが、映画館で見ているのは『櫻の園』だけなんです。
I: それはかなりキビシイですね。だいたい、どうしてレズビアン映画なんです?
S: それは、必要があって、『blue』以外は以前にもビデオで見ているもので、見直せばいいかと。
I: Sさん……「必要があって」だなんて(笑)、まるで、「男色には興味ないけれど学問上必要で」と前置きしなければ発言できない国文学者みたいじゃありませんか。
S: 同性愛には関心ないけど、ジッドのことが出ていたのでこの本を訳したと訳者あとがきに書いてるデタラメ訳の人とか? いえ、別に、内容に興味があったからと言ったって何もこわくはないんだけど、私がビデオで映画みるのってよっぽどのことだから。やっぱり、必要に迫られなくちゃ見ないんですよ。
I: そうすると早い話、今回の私たちの対話は〈映画体験〉についてではないってことになりますね。
S: 残念ながらそう。作品の選択だって、たまたま貸しビデオ屋にあったものにすぎません。それでも、私(たち)がこれらのビデオを予想外に楽しんだように、読者の関心を惹きつけ、楽しませられるような何がしかを語るべく、せいぜい努力してみましょう。

■『美しさと哀しみと』(篠田正浩監督 1968)

I: 私はこれ、キモノを着たキレイな女二人を出したいという、男流作家と男流監督の欲望の典型的な具現にしか思えなくて。おまけに、八千草薫演じる女性画家の絵に、男流画家のアノ絵を使ったってのが……。
S: あれはいただけませんね。自分が亡くした赤ん坊を描きつづけることぐらいしか、女が芸術家になる動機としては思いつかないんでしょうね。殴り描きされたような女体も、ああいう女流画家がもしいたとしても描かないよねえ。ちなみに、幽霊絵師は池田満寿夫です。
I: 内弟子である加賀まりこが、師匠であり恋人である八千草の昔の男に復讐するため、男とその息子を誘惑するって、何なんですか、この馬鹿らしい設定。
S: まあ、それはそうなんだけど。でも、加賀まりこがすごくいい。彼女最近、自分の人生を振り返った本出してたんで、この映画のことが出てるかもと思って立ち読みしたけど、原作者の川端康成に自分がどう見られたかってことしか書いてありませんでした。でも、俳優の自己認識とは別に、また、作中で彼女に投げかけられる「怖いほど綺麗」「妖婦」「はげしい娘(こ)」といった形容とも別に――当時の彼女には「小悪魔」というレッテルが貼られていたわけですが、そうしたある時代の偏見から自由になって――私たちは今、これを見ることができるわけです。そうした意味づけを洗い流され、時間の彼方から奇蹟的に甦った二十歳(はたち)のまりこのせつなげな唇を、イノセントでひたむきな表情を見、湯上がりの八千草薫のために彼女が画面外でコップに注ぐ冷たい水の清冽な音を、八千草の指を口にふくんだ彼女の、「ちっともしょっぱくないわ、お湯にお入りになったから」とつぶやく声を聞くべきです。
I: 私は、「イルカごっこしません?」て、笑いながら走って行くところが好き。
S: 師匠の昔の男と、水族館でイルカの餌やリをした帰路、イルカは腋の下が弱いんだけどお嬢さんはどうでしょう、といやらしいことを言われて――。
I: セ・ク・ハ・ラ・お・や・ぢ。
S: 山村聡だから、それほど嫌な感じでもないんだけどね。そのあと、八千草薫と二人きりの場面で、加賀まりこが「先生、イルカごっこしません?」て。
I: 先生の方は何も知らないから、「イルカごっこって何?」って優しい声を出してる。あの二人は、ちゃんと恋人同士なんですよね。
S: ちゃんとって、プラトニックじゃないってことね。それを許してるのって何だと思う?
I: 二人とも、「普通の人」じゃないですよね。八千草薫、十七で産んだ山村との子がすぐ死んで、自殺をはかって、「気違い病院」に半年入って――それで芸術家になった。加賀まりこの方は――「気違いさん」だって、八千草から山村に紹介されてますね。
S: この映画をテレビで見たことがないのはなぜかがよくわかります……今でも本当は山村を愛しつづけていて加賀まりこを嫉妬に狂わせる八千草はともかく、加賀まりこの方ははっきりエクセントリックな女として提示されていますよね。というところで、四半世紀後に作られた『誘惑者』へ話をつなげましょう。

■『誘惑者』(長崎俊一監督 1989)

I: そうか、これは完全に「気違い」の話なんですね。
S: 病人ですね。レズビアン=病気と断言されているわけではないにしても、ここに出てくるレズビアン、秋吉久美子は病人です。犯罪者でもある。
I: 最初ッから、草刈正雄が精神科医で、彼女は患者ですもんね。
S: ただ、私今回見直して、このヒエラルキーが絶対じゃないところが面白いと思った。草刈正雄が弱い男なんですよね。二度も刺されるなんてマヌケじゃないですか。しかも、刺される場所が二回とも腿――あれは象徴的去勢でしょう。
I: なーるほど、そうか……。でも、めげないんですよね。恋人の原田貴和子を秋吉にとられちゃっても。また来るって言ってるし、原田も笑顔で応じてるじゃない。自分で刺しといて。
S: 彼女たち、本当なら警察行きのところなのに、なぜ許されるか。それはやっぱり、責任を取れるような「まとも」な側にはいないから。秋吉の妄想に原田がつきあっているので、このままでは秋吉は人格崩壊をきたすと草刈に警告されている。遠からずそれは現実となるんでしょう。二人の関係には未来がないし、社会性も、外部もない。いくら美しくても(とは、私は思いませんが)。結局のところ、医者=男が最終的には勝つと決まっているから、草刈は負けられるのかも。『美しさと哀しみと』も、女二人で完結しない、男が媒介する関係でしたが、これもやはり、男性によって囲い込まれた上で、美しい女たちを楽しむという構図なんでしょうか。
I: 『誘惑者』は原作はあるの?
S: ないと思うけど。脚本家は――男性ですね。
I: 残る三本は、女性作家の作品の映画化です。較べてみてどうでしょう?

■『ナチュラル・ウーマン』(佐々木浩久監督 1994)、『櫻の園』(中原俊監督 1990)、『blue』( 安藤尋監督 2001)

S: まず、『ナチュラル・ウーマン』ですが――これも、エクセントリック女ですね。
I: さっきSさんが言った、男に媒介される関係っていうのは、ここでは影をひそめてるでしょ。
S: でも、その代り、何がある?
I: 緒川たまきの胸と、ぎりぎりまで露出した脚。
S: 持ち上げている……。それを、男のための露出とは全く思わないけど、でも、小説『ナチュラル・ウーマン』がああなってしまうというのはやっぱり悲惨ですよ。
I: 『櫻の園』と『blue』はどちらもマンガが原作で、女子高での、女同士の恋愛感情を描いたものですね。
S: これ、どっちが好き?
I: 『blue』ははじめて見たけど、私、前から、『櫻の園』かなり好きなんですよね。吉田秋生の原作よりも好き。
S: 私も、原作よりずっと好き。映画より原作の方を後で読んだけど、原作は男性との初体験の話なんかがかなり重要な位置を占めていて、女の子が女の子を好きというのは一部でしかないのよね。それも、女同士であることによる共感の方が比重が大きかったような。
I: そう。映画の方が、〈好き〉に焦点が絞られていて。最後の記念写真の場面、よかったな。
S: それがね、今回、『blue』の方に惹かれたら、『櫻の園』が作り物めいて見えてきちゃって。『blue』は原作(魚喃キリコ)も好きだったはずなんだけど、今回見て、読み直したら、映画の方が好きになってたの。で、気に入らないところを先に言うと、このどちらの映画も一人が一人に「好き」と告白して、「嬉しい」ともう一人が応えるけど、「嬉しい」の先がないのよね。
I: と言うと? ベッドに行けとか。
S: いや、そうじゃなくてさ。ベッドに行ったって、それでもう先がないってことだってあるでしょ。つまり、どうしてこういう話が受け入れられるかっていえば、それは、思春期の一過性のものだってことになってるからでしょ?
I: その先に、女同士にどういう関係がありうるかってことを想像できないから、エキセントリックな女か、病人か、コドモってことになるって言いたいのね。
S: そう。本当は高校生はコドモじゃないけどそう見なされていて、それならば安全ってことよね。本当の(異性の)恋人ができれば、嘘のように消えてしまうもの。Vito Russoの“Celluloid Closet”に、精神病院の中だからレズビアニズムを描くことが許されるっていう、六十年代の映画の例が出てきます。病気が治るってことは、レズビアニズムが治るってことと同じだという。
I: 女子高も精神病院も、構造的には同じだったのか! でも、アメリカの場合のように、レズビアンが激しい排除と憎しみの対象になるっていうことはないよね。
S: それって、どうなのかな。そういうものがあることも考えられないほど、同質性の幻想に捉われた社会であるとも言えるでしょう。

■ふたたび『blue』

S: 話を『blue』に戻すと、あれも、あらかじめ限界を設けた上での切ない話だよね。
I: ちょっと原作との違いを指摘しますと、桐島(映画では市川実日子が演じる役)は、原作では遠藤(同じく小西真奈美)を好きになって、彼女に中絶経験があることを知り、遠藤に近づきたくて男の子とホテルへ行きます。
S: あれ、映画では原作ほど痛々しくなかった。
I: 市川実日子のキャラクターもあって、さらりと流してた。
S: 原作になくて映画にあった切ない場面は、妻子ある男と別れた遠藤に向かって桐島が、今は一番の人の場所が空いてるけど、結局また誰か(男)が一番になって自分は二番でしかなくなる。それでもあたしはいつまでも遠藤が好きだよ、というところ。遠藤の側から言えば、男との関係に躓いたから、女性との二次的な関係に甘んじているわけです。いくら笑顔でも、キスしてくれても。この点は、『美しさと哀しみと』から変わっていない。
I: しかも、両方とも妊娠小説ですねえ!
S: この二人、どっちが好み?
I: 小西真奈美。市川実日子を好きって人の方が多いと思うけど。でも、ほんとはこの二人が一緒にいるのが好きなんだ。
S: 市川実日子の低い声と、小西真奈美のしっとりした声。両方ともいいよね。男と女のように対極(と思われているだけだけど)というわけじゃなくて、たんに「違って」いる二人。
I: もっと表情をよく見せてくれればいいのに、すぐ暗くなっちゃって。
S: 私は、あの、自然光で撮られてるのがいいと思ったよ。確かに、すぐ逆光になっちゃうけど。原作は鋭い描線の、本当に、エッセンスだけでできているような絵じゃない。だけど、映画は何でもキャメラを向ければ映っちゃうからね。畑が広がる野へ出てゆき、走るバスを映す。東京で一緒に暮らしたらどうだろうという会話も、原作では室内だけど、映画では夜明けの水のような空を背景に交わされる。丸襟のブラウスに四角い襟あきのジャンパースカートという、シンプルきわまりない制服(『櫻の園』の制服が媚びて見えてきます)、袖は半袖、脚は黒のハイソックスで、夏の光の中で撮られた映画です。
I:  そういえば原作との違いで際立つのは、セザンヌの画集を小西真奈美から借りた市川実日子が、それをまねて静物画を描きはじめるところですよね。原作にはセザンヌは出てきません。
S: 結局彼女はそれがもとで美大を目指し、受かって東京へ行ってしまう。セザンヌの絵も、キャメラを向ければそれで再現できるんだから、それは正しいやり方だと思います。画集の上でも、光を絞って、果物を闇に沈ませたりしてましたね。ああ、やっぱりスクリーンで見るべきですね。
I: 小西真奈美の方は、家に画集を持っているくらいだから、美術、好きなんでしょう。でも、鑑賞するだけの側。ところが、彼女に影響を受けた市川実日子の方は創り手になってしまう。一種の芸術家小説になってると言ったら、大げさかしら。
S: 実は今日取り上げた作品の三本まで、ヴィジュアル・アートがかかわった話なんですよ。つまり、八千草薫と加賀まりこも画家だし、『ナチュラル・ウーマン』の二人をつないでいたのは劇画を描くことですよね。(そこに意味を見出したいわけでは全然ありませんが。)『blue』の原作にはなかったけれど、映画版ではできたこと。それは、小西真奈美が、ビデオカメラを手にすることで「芸術家」になったことです。絵を描かなくとも、ただキャメラを向けるだけでいい。彼女が撮って送った青い海を、東京で市川実日子が繰り返し繰り返し見ていることが語られる。
I: その向うには何があるんでしょうね。ビデオ画面の海の向うには。
S: 何にもないに決まってるでしょ。
I: 原作の遠藤は、親元を離れられないままいずれ結婚するみたいだけど、小西真奈美の方はどうにかなるんでしょうか?
S: どうにかって?
I: つまり、「芸術家」になってさ、市川実日子と暮らすために東京へやってくるとか。
S: それはありえないでしょう。沖に雲が連なり、波が寄せては返す、その無窮の運動のように繰り返し見られるビデオの空と海、さらに接近してただ散乱する光になるブルー。それが映画『blue』の美しさの極まりであり、限界です。
I: どうしたらいいんでしょう?
S: 私に答えを提示しろと?
I: だって、Sさん、答えを知っているのかと思って。
S: 桐島も、遠藤が答えを知っていると思ったのよね。それで「遠藤になりたい」と言ったんだけど、最後には遠藤の方が自分には何もないって言い出して、桐島の方が何ものかになって(なろうとして)東京へ出てゆく。東京っていうのは、閉ざされた領域の外部の象徴ですけど。
I: これ、成長物語でもあるのよね。
S: そういう意味では多くの人に、胸のつまるような懐しい思いをさせる作品なのかもしれません。でも、懐かしむというのが、距離を介して安全に追悼することだとしたら、それはけっして過ぎ去ったわけでも手の届かないところへ行ってしまったわけでもないと、とりあえず言っておきましょうか。
I: 私たちの関係って何でしょう。ねえ、Sさん。私、Sさんの何なんでしょうか?
S: さあ……内弟子ってことでどうですか?

■プロフィール■
(すずき・かおる)体制側による用語のアプロプリエイションについては田崎英明が書いていたが、最近驚いたのは都教委の人間が、都立高校への日の丸君が代全面強制を「改革」と称していたこと。全都立高でたぶん唯一、69年の高校生の叛乱を、校史でも「改革」と呼んでいる(はずの)高校を私は出ている。かつてはその名自体抵抗のしるし、都教委には許し難かったはずなのだ。四方田犬彦の『ハイスクール1968』(彼の母校では最近校史から紛争の記載が消えたという)に『blue』を足すと、私の1969年にいくらか近づくだろうか? 四方田も言うように、大学紛争に比べ高校生の叛乱の記録は格段に少ない。校舎が占拠されていた時も美術室でデッサンをしていた私の導き手は、17年後精神病院で死亡。事実はあまりにも奇にして小説にもならない。5月3日(月)三国志本(小説)でコミケに初参加、5月15日(土)夜、東京・本郷にて「きままな読書会」の予定。いずれも詳細はdokushokai@hotmail.comへお問合せを。





■情  況■


「自己責任」という妖怪

黒猫房主


「自己責任」という妖怪がうろついている。しかしこの用語は精確に遣われているのだろうか。

「自己責任とは、本来、近代法の基本原則で、人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはない、と言うことです。従って他に、責任を負う者が居るのに、事実上全責任を負うことを強いられている者の「責任」を意味するものではありません。」(http://www.jichiro.gr.jp/tsuushin/683/683_04.htm より)また法律辞典でも、同じ趣旨の説明がされている。

 そこで、イラクで人質になった人々を「自己責任」論をもって、パッシングする論法の誤用を批判してみよう。

 人質になった人々は「ある目的」でバクダッドへ向かった(A)。そして、人質になった(B)。

 AとBは近接あるいは連続した事態(AそしてB)であるために因果関係があるように思われ、Bという結果の原因がAという行為にあるように思われるが、この関係に因果関係はない(AだからBではない!)。

 この事例をパラフレーズしてみよう。
 私は夜道を歩いた。そして強盗に襲われ、助けを求めた。

 強盗という行為の原因は「私」にはなく、「私」は被害者であることは明白である。また「不注意」や「自己防衛」できなかった「私」にも責任があるとする論法は教訓的ではあるが、そして「不注意」はあったかも知れず「自己防衛」も怠ったかも知れないが、そのことをもって被害に対する「自己責任」には直結しえない。
★補足(「私」の行為の結果に対して「自己責任」は発生するが、強盗という行為をしたのは「私」ではないから、「私」に「自己責任」は発生しない。近代法では、因果の相当性の範囲において「有責性」を求める。それは「風が吹けば桶屋が儲かる」というような因果の無限の連続性を断ち切り、完結性を求めている。)

 しかしイラク「人質」事件と強盗の事例とは違うではないか、という反論がありえよう。危険地域を「承知」で踏み込んで危険な目にあったのだから、それを他者のせいにしてはならないという意見(自己責任)はもっともであるように聞こえるが、そのような責任ならばすでに彼らは引き受けている。そして承知(その承知内容とその程度が問われてよい)していたのだからと言って、起こりうる結果のすべての責任が彼らにあるとは言えないし、救助しなくてもよいということには繋がらない。

 今回のイラク「人質事件」の事例では、Aという行為をしなければBという結果にならなかった可能性は高いが、A以外の行為をしてもBになった可能性も高い(バクダッド以外の場所でも人質になった可能性は、もはや高いだろう)。そして肝心なことは、Bの原因は別のところにあるという点だ。(*1)

 つまり「人質」にされる理由(政治的原因)は彼らにではなく、アメリカ政府とそれを支援する日本政府にあるということだ。ところが、政府は「自己責任キャンペーン」によって、「人質」になった全責任が彼らにあるように世論を誘導したのであった(これは、本来の「自己責任の原則」に反する)。それは日本政府の政治責任を彼らに転化して隠蔽するための策動であり、右派メディアがそれを増幅したといえる。

 しかし、なぜ少なくない一部の「国民」がそのキャンペーンにのせられているのか? 先に日本人外交官(公人)が亡くなった際には「英雄」と称えた、かの「国民」は、なぜ私人たちの人道支援を貶めるのだろうか?(*2)

 それは彼らが「私人」として自律的に振る舞うことへの「嫉妬/怯え」ではないのか、加えて日本政府に批判的であることへの反発(かの国のある国会議員は、「反日分子」と呼んで憚らない。「非国民」は救助に値しないということを端的に表明したが、これを支持する「国民」も少なからずいるということ)から生じるように思われる。(*3)

 その感情がAとBを短絡させて、自分勝手なことをしたのだから「自業自得」(AだからB)という「自己責任」論を押しつけ、彼らの行為を貶めるルサンチマンの感情を増幅させているように思えるが、これはまさに「俗情との結託」であり批判精神を封じる「奴隷根性」ではないだろうか。

 だが一方的に非難するだけでは、このような「俗情との結託」を解除・解放することにはならないだろう。その心理機制を解く手だてを開発しなくてはならない。

*1 私は今回の「人質」をイラク人による抵抗活動の一環として捉えている。いわゆる「金目当て」の犯罪者による「犯罪」とは考えていないがゆえに、そのレジスタンスの原因をもたらしているアメリカ政府と日本政府に「人質」の政治的責任があると考える。またレジスタンスを「テロ行為」と名指すことは、アメリカ軍によるイラク攻撃を隠蔽するものである。

*2 フリーランスのジャーナリストやNPOの活動家たちが戦場にリスクを抱えてまでも行くのは、まさにその悲惨な状況に<応答>しようとする倫理性であろうと推測する。そして彼らの行為は「無謀」にして「軽率」であったと言いうる面があるにしても、その行為によって彼らは自律的-人道的に「応答責任」としての自己責任を果たそうとしたとは言えるだろう。また自分の行為における危険性を引き受けるという意味においてもその覚悟(自己責任)はなされていたと推測されるし、その覚悟があるからと言ってその家族等が救助を求めることを否定はできない。そのことから危険に際して、救助を求めることが非難される理由にはならない。

*3 政府に批判的であることと、その政府に救助や保護を求めることは矛盾しているという意見に対して。国家は「国民」に対する保護義務があり(憲法13条)、「国民」はそれを求める権利がある。またその権利ゆえに批判も可能である。「人質」の家族等が国家に救助を求めることは権利として肯定される。それとは別に、私は「国民国家を開く」という実践においても、「国民」に限定されない、すべての人が保護・救助される生存権を有していると考える。


●●●●INFORMATION●●●-------------------------------------------------

自衛隊イラク派遣に反対する訴訟 〜関西〜
http://www15.ocn.ne.jp/~j-stop/


自衛隊 イラク 派兵の差止訴訟・違憲確認訴訟を、大阪地方裁判所に提訴します。
京都、神戸兵庫、奈良、和歌山、滋賀からも、ぜひご参加を!イラク派兵(イラク派遣)に反対する声を、近畿一円に広げましょう。

2004年4月30日 午後1時に、大阪地方裁判所で提訴します。
〜 大阪から、平和を願う市民の声を 〜

原告は、小田実さん、鶴見俊輔さん など多彩な顔ぶれです。
あなたも、原告として裁判に加わりませんか
約160名の弁護士がサポートします!

【 今 後 の 予 定 】
第1次提訴・・・2004年4月30日 午後1時
第2次提訴・・・2004年6月上旬頃
自衛隊イラク派遣反対関西訴訟弁護団




■黒猫房主の周辺(編集後記)■
★この一週間、十二指腸潰瘍初期症状の痛みで苦しんでいたが、薬を変えて改 善、一息ついている。(黒猫房主)





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