かつて上野千鶴子は「ジェンダーレス・ワールドの〈愛〉の実験」(一九八九年初出、『発情装置』所収)で、いわゆる二十四年組を中心とした少女マンガについて次
のように書いた。 《彼女ら少女マンガ家は、「少年マンガ」を描いたのではない。少年の姿を借りて「少女マンガ」を描いたのだ。その時「美少年」とは何か? 美少年は、少女にとって 「理想化された自己像」であり、したがって男でも女でもない「第三の性」である。》 だが、少年であること=男性主体であることには、「第三の性」などという怪しげなカテゴリーを設けるまでもなく意味がある。〈少女たち〉がそこに「理想化された自己像」を見たとしたら、それは〈少女たち〉が自己を材料に「男でも女でもない」ものを作ったからではない。同一化の欲望の対象となる表象が、すでに文化の中に存 在していたからだ。 上野の文章は次のように結ばれる。 《異性愛のシナリオに代わる〈愛〉の物語を、まだ私たちの文化はつくり上げていない。少年愛マンガは、ジェンダーにふかく汚染されたこの世への、少女マンガ家のルサンチマンが産んだジェンダーレス・ワールドにおける〈愛〉の実験である。そしてそれは同時に、〈恋愛〉の最後の可能性の追求であった。》 「異性愛のシナリオ」がそれほど魅力的だろうか、と「美少年コレクション展〜昭和のイラストレーションにみる〜」と題する展示を弥生美術館で見てきたばかりの私は思う。男女の対等でない関係にルサンチマンを持つことが、こうした絵に魅惑されるために必要だろうか? 私たちのセクシュアリティは思春期以前にはじまっているのだ。高畠華宵や山口将吉郎らが昭和初年の少年雑誌に発表した作品には、何らかの大義に身を捧げる者同士の友情だの、女と見まがう美貌の貴人とその従者だの、傷ついた少年とそれを介抱する少年だの、およそ現代の〈やおい〉ガジェットそのままのモチーフがすでに出揃っている。男同士の「〈愛〉の物語」は、文化に登録されていなければけっして〈少女たち〉を惹きつけることはなかったろう。その証拠に、〈少女たち〉はジェンダーレスならぬジェンダード・ワールドにおけるホモソーシャリティの優越と隠されたホモセクシュアリティに魅惑されこそすれ、ペニスを持たぬ者同士のあいだに欲望が通うことがありうるなどとは思ってもみなかったのだ。 だが今は、そうした魅惑について語ろうというのではない。そうではなく、かつて「理想化され」たためしのなかった、しかし「私たちの文化」が確実に生産しつづけている、そしていまなお人目に触れることの少ない、「異性愛のシナリオに代わる〈愛〉の物語」の最近の例を、二つ紹介したいと思うのだ。一つは、今年の〈東京国際レズビアン&ゲイ映画祭〉で上映されたカナダのイリーナ・ピエトロブルーノ監督の『ガール・キング』であり、もう一つは、後藤羽矢子の連作マンガ『ラブ タンバリン』全二巻(大都社)である。 ピエトロブルーノは、同映画祭で五年前に上映された、病院の廃虚を使って撮ったというドイツ表現主義風のモノクローム映画『猫はオウムを飲み込んで・・・しゃべりだす!』で、地下室を満たした経血のプール(『不思議の国のアリス』の涙の池を想起されたい)の中で女同士がキスするという、それまで誰ひとり思い描くことのなかった美しい場面を見せてくれた人だが、今度の作品は女だけの世界である。といってもそれは「ジェンダーレス・ワールド」ではない。〈女王〉がおり、〈王〉がおり、その名もブッチ(いわゆる「男役」――と呼ぶのは実は問題があるのだが――を意味する語で、対する名称はフェムである)という若者がおり、その恋人の少女がいる。それらを皆、女性が演じる。 しかしこれは宝塚ではない(見ながら私は宝塚がこのようだったらどんなにいいだろうと思ったものだ)。宝塚で〈男〉を演じるのは贋の男=男役で、周知のとおり彼女たちはいつか男装を解いて女になる――妻か女優に。だが、『ガール・キング』の世界では、男女の姿をとりながら衣裳の中身の女同士が愛しあう。王と別れた女王は今では快楽を奪われているが、それは不在の王の不在のペニスのせいではない。王が彼女のクリトリスを持ち去ってしまったからだ。女王は不感症だったのが王によって治ったとされている。しかしそれは王のペニスによってではない。王もまた題名通り〈ガール〉であるのだから(外見は髭を生やした男性である)。女王のクリトリスを取り返す旅の途上、ブッチの恋人も男装する――とはこの世界では男になるということであり、逆に言えば男であるとはそれだけのことなのだ。 ここにあるのはジェンダーの流用と撹乱であって、オリジナルを模倣することによる規範の再強化ではない(もしも「ブッチ」が男の模倣にすぎないのなら、それはどこまでもオリジナル(「本物の男」)に及ばぬ贋物にとどまるだろう)。実は一人だけ男性が登場するが、それは海賊船長キャプテン・キャンディが彼に究極のフェムを見出した結果である。キャプテンは彼を相手に異性間性交も辞さない模様だが、それでもあくまで彼は彼女のフェムなのだ。 アーシュラ・K・ル・ グインの読者なら、『ラブ タンバリン』からただちに『闇の左手』を連想するだろう。一九七二年に邦訳が出版されたこのSFにおいては、惑星〈冬〉の「ゲセン人」は普段は雌雄同体で、定期的に訪れる「ケメル」の期間だけ男女どちらかに変化して性行為を持つという設定がなされていた。地球から訪れた主人公は、彼らの目から見れば、つねにケメルの状態にあり、恒常的に「男」である異常な存在である。彼自身、ゲセン人に馴れてしまって、最後に久しぶりに仲間の地球人を目にしたときは、過度に男性的だったり女性的だったりすると感じる。当時の日本の少女マンガの試みと奇しくも照応していたこの小説では、女性作家ル・ グインにより、「ジェンダーにふかく汚染された社会」のめざましい相対化がなされていた。とはいえ、現在から見れば(すでに批判――自己批判を含めて――されていることだが)、惑星〈冬〉の人々が「彼」という代名詞で呼ばれること、二つの個体が同性同士に変化するのは異常だと明言されていることなど、かなり気になる点ではある(緻密な想像力と見事な文体で一つの世界を創造したル・グインについてそればかり言い立てる不当を承知で言えば)。だが、いったい、どのようなオルタナティヴがありえたであろう? 「彼」を「彼女」に言いかえただけでは(そういうヴァージョンもあるという)どうにもならない――それとも、なるだろうか? 『ラブ タンバリン』はこの問いに、一つの、そして魅力的な答を与えている。作者はまず、惑星ラウルス(「常緑」の意味だそうだ)の住人を全員「彼女」にしてしまう。名前からして〈冬〉と対極にあるこの星では、ケメルの期間以外は性欲に無縁の生活をするゲセン人と違って、人々はつねに発情している――私たち同様に。当然、セックスは女同士で行なわれる。実はこのマンガは男性向け雑誌に掲載されたものであり、これは男性読者のために繰り広げられるレズビアンものであるととりあえず言うことができる――だが、問題はそれほど単純ではない。 ラウルスはジェンダーレスの世界ではない。誰もが三ヶ月に一度、一夜だけ男になる「メールデイ」を迎えるからだ。『闇の左手』は発情モデルだが、こちらは月経モデルである。メールデイは一定の年齢が来ると起こり(老年になると消失し)、そのときは性欲が増し、攻撃的になったりもする。気分が悪くなるので症状を和らげるために薬を飲んだり、薬で時期を変えたりすることもある。また、メールデイが来るのは、妊娠していないしるしでもある。月経のアナロジーが「男性的」セクシュアリティと結びつくこと自体も面白いが、この枠組みによって作者には、女同士のセックスに加えて片方がメール化したときのセックスをも描くことが可能になった。 レズビアン読者にとって、この「メール化」は一種の躓きの石であろう。松浦理英子の『親指Pの修業時代』について、主人公の一実は足の親指を、それがペニス化した時点で切り落してしまえばよかったのにという意味のことを書いた小倉千賀子のような読み手には、これは気に入るまい。実際、『親指P』では、一実が女性とする性行為は親指ペニスによるペニス-膣性交に終始しており、それがそのまま『ナチュラル・ウーマン』と比較したときの『親指P』のわかりやすさと通俗性を形作っていた。異性間性交の代用でなくそれ自体で完結したものだと主張するとき、女同士のセックスにとってペニスは余計なものに見える。だからといってそれを切り落してしまえと言ったのでのは、一実の最初のボーイフレンド、正夫(その名も「正しい夫」!)と同じ振舞いをすることになる。 松浦の(親指)ペニスは、射精しない、快楽のためだけの器官であり、マクシマムのクリトリスだったが、『ラブ タンバリン』のペニスには再び生殖の問題が入ってくる。実際、『ラブ タンバリン』の世界ではかなり生殖が重要視されている。彼女らがプロミスキュアス(フリーセックスという懐しい言葉が使われている)なのには、メールデイと排卵日がカップルの間で重なるとは限らないから、妊娠の機会をふやすためだという理由づけがされているし、二つの個体のメールデイか重なることもあるはずだが、男同士になってしまったらそのままセックスすればいいと言われて主人公の一人が嫌がるのは、子供がほしいからだ(ただし、描かれないだけで、男同士が一般的に忌避されているわけではない)。「フリーセックスの惑星で結婚を選んだ」リラとベスを主人公としたこの連作は、雑誌で一話だけ見たならば他愛ないレズビアンものと思えたかもしれないが、通して読むと、作者が、長期的なパートナーシップ、子供、家族といった実際の関係性を問題にしたかった――「地球の男女」からあえて離れたところで――ことがよくわかる。愛する相手とするのが一番気持ちいい―― 『ラブ タンバリン』は基本的にそういうメッセージを発している。だがそれは、愛する相手とでなくてはしてはいけないという禁止ではない。また、愛しているのならセックスすべきだという規範でもない。「男」のいない世界は柔らかな描線の可愛らしい絵のユートピアではなく、子供への虐待もあればレイプもあり、それに対する判断を作者はきちんと示している(ただ、たとえば「聖母」と「娼婦」への女の分断はない。彼女たちは性を楽しみ、しかも子供を産むものなのだから)。かろやかな筋運びのコンパクトな本の中に驚くほど多くのテーマが詰め込まれている。 はたして地球人の男性読者はこのマンガをどう読むのだろう? 赤川学が指摘するように、画面上の女性に同一化できないことを通じて「自己を、女性には同一化不可能な他者、すなわち男性として再認させること」こそがポルノの基本戦略であり(『性への自由/性からの自由』)、男性主体にとって重要なのは男性の表象ではなくもっぱら女性の快楽の表現であるのだとしたら、セックスの場面に男性(「本物の 」)が全く現われることのないこの作品は理想的なのではないか? 最初そんなふうに思っていたが、試しにウェブで検索すると、意外なことに、同一化するキャラクターがいないので「おかず」には使えないという男性の感想が複数ヒットした。なるほど、なおも女言葉で喋りながら性交する、さっきまで女だったものは、ヘテロセクシュアルな男性主体の円滑な作動を妨げるのかもしれない――あたかも親指ペニスのように。そうなるとこの作品は、むしろ〈女性の快楽〉への同一化を誘うものであり、それが可能な者(性別を問わず)のみを惹きつけるのだろうか。そういえば仕事でラウルスを訪れた地球人男性がひとり出てくるが、女たちが男に飢えていると聞いていた彼は、リラとベスの親密さ――というより激しさ――を目のあたりにして、なすすべもなく帰って行ったのだった。 しかしさしあたって私の関心は男性読者にではなく、女性読者にこの作品がどのように受容されるかにある。もともとこれは男性向けマンガであり、女二人のカラミではじまり男女間のセックスに移行するポルノグラフィの定番であり、男性読者にとっておいしい設定のはずだ――しかし、読んでいるうちにそんなことはどうでもよくなる(地球人男性のエピソードをなぞったかのように)。というより、言われてみるまでそんなことは思い出しもしないほど、これは女性読者にとって心地よい作品であるのだ(性的主体化=従属化されたヘテロセクシュアル男性主体の均一性と違い、その心地よさは人によってさまざまであろう)。作者が男性向けエロマンガのステレオタイプを逆手にとっていかに私たちが楽しめる作品を生み出したかを、女性読者にぜひ見ていただきたい。 ■プロフィール■ (すずき・かおる)東京生まれ。詩、小説、評論を細々(こまごまでなくほそぼそ)と書く、むかしの「ユリイカの新人」(折口信夫は能登一ノ宮に建てた父子墓の碑銘で「もつとも苦しき たたかひに 最もくるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉」と養子・春洋のことを記していて、子供の頃家にあった観光ガイドブックで折口が何者か知らずに読んだ私は、その抽象性と自己中心性にただならぬものを感じたものだ)。 月一回、「きままな読書会」を主催。今月は10月18日(土)18:00〜21:00、ジェーン・ギャロップの『娘の誘惑―フェミニズムと精神分析』6,7章を東京・中野のLOUD(レズビアンとバイセクシュアル女性のためのセンター、http://www.space-loud.org/pc/map.htmlに地図あり)て。参加者の性別、性的指向は不問。問合せはdokushokai@hotmail.comへ。 |
ポール・ニザンの小説『アデン・アラビヤ』に、「青春が美しいものだとは、誰にも言わせない」と言ったような言葉があった。ニザンと言っても、今の若い人たちには分からないであろうが、当時流行っていたフランスの作家である。カミュやサルトルに隠れて、若者の間では静かな人気があった。青春とは謳歌するものではなく、失望と挫折を経験するのである。まさしく私の青春時代もそうであった。 学生運動が一番華やかな時代に東京で学生生活を送った。これはもう体に染み付いた原体験であって、あれから40年近く経っても、記憶から拭い去ることはできない。いわゆる全共闘の世代、その中にどっぷりと浸かって、無茶苦茶な生活を送っていた。革命と言う幻想に惑わされて、口角泡をとばし、生半な言辞を弄して意気がっていた。要するに何も分かっていなかったのに等しいのだが、その時はその時で真面目であった。でも、それを純粋であったとは言わせない。若さの特権を生きていたに過ぎない。しかしまた、それを若気の至りとも言いたくない。社会人となり今度は生活の中に浸かってしまうと、青春とは愚かなものであり、罪でもあったと反省しないでもないし、世間欲とはまた違ったところで己の欲望に忠実に生きていたのであるが、あの一途なひたむきさを世の安易な価値観で判断して欲しくないという気持ちは絶えず持っている。分かって欲しくない部分と、分かってもらいたい部分とが入り乱れている。それは今も続いている。 当時、ATG(アート・シアター・ギルド)が全盛期であった。学校なんて行かず、もっぱら新宿の映画館に通っていた。映画がわが人生であった。それにモダンジャズと読書、この三つで青春時代を要約できようか。月1万円の仕送りと3000円の奨学金、あとはバイトで稼いでいた典型的な苦学生であった。それでも心の中は贅沢であった。映画の世界は日常を忘れさせた。何が一番印象に残っているのかと問われた時、かつてはゴダールの「気狂いピエロ」と答えていたものだが、今はブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」(1966年)と答えよう。主題曲は、シューベルトのピアノソナタ。それが何番であったのか、忘れてしまったが、聴けば映画のストーリが思い出される。とにかく哀しい映画であった。もう随分と前になるから、その内容の細かいところは覚えていない。それでもこの映画は良かったと、唇を噛み締めて頷き、目を閉じて納得している。この映画をすばらしかったと感動する感性を備えてくれたことに対して感謝する。これが偽りのない自分であるのだ。そしてブレッソン監督、彼のことについては、映画を通してしか何も分からない。でもよくぞこのような映画を作れるものだと、感心を超えて頭が下がる。 原題は「Au Hasard Balthazar 」。厳密に訳せば、「行き当たりばったりのバルタザール」となろうか。それを、「どこへ行く」としたのは、内容を組んだ訳である。実際は、どこにも行っていないのだ、どこにも行けなかったのだ。人間の身勝手さに翻弄され、ただそれを受け止めるしかないロバの一生が淡々と描かれているに過ぎない。そこには何の説明も評論もない。哀しい、寂しい事実が映像に映し出されている。リアリズムの手法ではあるが、デシーカ監督が「自転車泥棒」で描いているようなドラマ性もない。あるのは偶然である。 主人公のロバであるバルタザールは勿論何一つとして言葉を発するわけではない。彼は現場の証人であっても、そこで抗議し自己主張することはできない。傍観者として存在しているだけである。悲しい目を注いでいるだけである。それがまた、なんとも言えない。バルタザールが生まれて、銃に撃たれて静かに息をひきとるまで、それは悲惨と苦難の毎日であった。何故そうなってしまうのか。色んな偶然が重なって、そうなってしまったとしか言えない。彼はどこまでも無抵抗である。その無抵抗をいいことに、人間として屑の悪餓鬼どもの残酷な仕打ちが繰り返される。それは虐めたいから虐めるといったようなものである。それは偶々おまえがそこにいたから、おまえが悪いのだといった発想である。悪餓鬼どもは明らかに何も言わないバルタザールを意識している。だから余計に許せなくなるのか、情け容赦なく残虐の限りを尽くす。それがまた、彼らの青春の証でもあるかのように、その行為を微塵として疑っていない。「彼は敵である。だから抹殺せよ」。まことに単純である。相手が弱ければ弱いほど、虐めないことには気がすまない。このような心理は現代の社会病理とも共通している。人間とは文明の発達とともに進化する動物ではないことを、いみじくも顕している。悪餓鬼どもは自分のやっていることが分かっていないのだ。どこまでも日常の延長であって、悪さをしても家に帰れば、家族とともに飯を食い、両親にキスして、ベッドに気持ちよく眠り、明日を迎えるのである。 女主人公のマリーも輪をかけて、哀しい。悔しいほど哀しい。女の人、彼女はまさしく女の人であった。それが好きでもない男とベッドをともにし、悪餓鬼どもに暴行され、村から離れてしまう。マリーの父親は、落胆の余り死亡。善良であればあるほど、不幸になる。悲惨のどん底に落とされる。そのことを淡々と描いているのだ。その淡々さが辛い。涙ぐむ。マリーよ。あなたは美しかった。優しかった。善良であった。それが人間の屑のような男の胸に抱かれる。それは愛情なんてものではない。自分の身を崩す行為なのだ。彼女はそうすることで、婚約者と父親を裏切った。悪餓鬼どもも、あいつらはあいつらなりの生き方と正当性があるのだ。あいつらももう少し大人になったら、結婚して、市民生活を送ることになる。「若いときは、自由であったな。結婚は墓場だ」と言いつつ、子供を抱いて満足気である姿が浮かんでくる。 バルタザールよ、おまえは誰であったのか。何を私たちに示そうとしたのか。マリーはおまえを愛した。おまえもそのときだけは、本当に幸せであった。そのときだけは。さんざん痛めつけられ、サーカスに売られ、アル中男に弄ばれ、最後には密輸品を背中に背負わされて、国境の山を喘ぎながら登っている最中に、官憲の手によって銃殺される。無駄な死であった。そう、それがイエスの生と死でなかったか。今、牧師となって、そう痛感する。バルタザールは、イエス・キリストであった。人間の負荷を一生担い続けたのだ。 ■プロフィール■ (はじめ・まさあき)1947年神戸生まれの神戸育ち。両親は奄美出身。これは事実だが、出身と育ちを越えようとして、超え切れなかったところで今も生きている。別にしがらみなんてあるわけでもないのだ、それなのに離れることができなかった。コスモポリタンなんて、嘘っぱちだ。多神教なんていい加減だ。本屋に勤めて、30年近くになった。そこを離れて、3年半。今は、曽根教会の牧師である。神との格闘の真最中。ずっと苦学生だ。これはどうにもならない。いつまで経っても、現在進行形である。 ●●●●日本基督教団曽根教会&子供の園保育園ご案内●●------------------------------------- 高砂市曽根町にあって、70数年の歴史がある。農村開拓伝道、セツルメント事業から出発。その精神はこの地に根ざしている。一地方の小さな共同体ではあるが、保守的な地盤にあって、開かれた窓口となっている。一度是非とも訪れてください。JR曽根駅下車。 〒676-0082 高砂市曽根町788-1 TEL.0794-48-6836 牧師 元 正章 http://www2s.biglobe.ne.jp/~sonechch/ |
Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げてください。 A:映画名・監督名・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くても可です)。回答者名は、匿名も可です(掲載は、入稿順)。 ■山口秀也 (1)『天国に行った猫』(監督不明) 幼稚園のころ観た(とおもう)ので題名も、だれに連れて行ってもらったのかも解らない。もちろんストーリーなど想いだせるわけもないのだが、暗い夜の街角で、死んだ猫のからだから抜けでたたましいが、空から差し込んできた光を伝うように昇天していくラストシーンに、「死」そのものを恐怖してか、泣いていたことだけ憶えている。死ぬのが怖いと、布団を頭から被って泣いていた子どもは、これ以降、映画でこれほどの暗い欲動をかんじたことがない。この作品について知っている人がいたらぜひ教えてください。 (2)『イズ・イット・ヘヴン・イェット?』(カール・カルダナ 1984) 軽妙なタッチ、愛すべき登場人物、印象ぶかい音楽といい、ジャック・タチの正嫡といえるカナダ人カール・カルダナが、脚本・監督・主演その他をこなすコメディ。主人公ソーニー・クロフトは、ぼくの憧れのやさしき隣人だ。続編らしい『Mr.プープの初恋』も観てみたい。 (3)『二人が喋ってる』(犬童一心 1997) あまりの良さに心の底から唸ってしまった。自主映画っぽさが全編を覆うが、この作品のような稀有なるアトモスフィア(雰囲気)をもつ映画だけが、じつはほんとうの意味でのエンターテイメントといえるのではないだろうか。大島弓子原作の『金髪の草原』も観てみたい。 映画とは、本質的に忘れられる運命にある。もう観られないという気持ちから作品への愛はふかまる。そんなわけで、めったなことで人の口の端にのぼらないが、もういちど観たい映画を3本挙げた。ビデオやDVDになっているものもあるが、いずれも、目にする機会がすくないことはまちがいない。 さいきんは、映画館へ足をはこぶことが極端に減ったため、レンタルショップで貴重な映画体験をすることが多い。『マグノリア』のP・T・アンダーソンの日本劇場未公開の初長編作品『ハード・エイト』のDVDもレンタルショップで見つけた。25歳(O・ウェルズが『市民ケーン』を撮った年だ)にして熟練の域。新作『punchdrunk knuckle love』がはやく観たい。そういえば、「武士道」を愛読するF・ウィティカーの殺し屋が『レオン』より渋いジム・ジャームッシュの快作『ゴースト・ドッグ』もレンタルで観た。 ついでに……。インパクトではつぎの4本。アレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』、ドゥシャン・マカヴェイエフ『スウィート・ムービー』、セルゲイ・パラジャーノフ『ざくろの色』、ジョン・ウォータース『ピンク・フラミンゴ』。 ■中島洋治 (1)『東京物語』(小津安二郎 1953) 小津さんの作品は、観れば必ず私は好きになる。綿密に計算された反復される画面とそこで動く人々。その光と影だけでさえ心に響く。よく小津さんの映画は「古き良き日本」と形容されるが、私は何故か稀に「古き良きアメリカ」をふと想起させられる。他にそうした感覚を持つ方はおられるのだろうか。 (2)『ブレードランナー』(リドリー・スコット 1982) この衝撃は大きかった。混沌とした近未来が映像として見事に表現されていたし、人間概念を問うというテーマもショッキングであった。この映画に続くものとして、押井守『攻殻機動隊』、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』を考えることができるが、『ブレードランナー』が色褪せることはない。原作者フィリップ・ディックもまた二十世紀の重要な作家になろう。 (3)『戦場のメリークリスマス』(大島渚 1983) この映画はじつは思想映画かもしれない。原作者のヴァン・デル・ポストは、捕虜の悲惨さが描かれていないことに不満があったらしいが、映画だけで言えば、シーンの美しさ、登場人物の哀しさが強い印象を残す。私は訳も分からず泣いた(今でもよく分かっていない)。 私は映画通とは掛け離れているので有名な映画ばかりになったが、以上の三つにはどれも十代で大きな影響を与えられた。 ■笠井嗣夫 (1)『トプカピ』(ジュールス・ダッシン 1964) トルコかどこかの博物館に侵入して宝石を盗み出す泥棒団の話です。学生時代最後の夏、とても落ち込んだことがあった直後に観ました。観ているあいだ、イヤなことはどこかへいってしまったばかりか、映画がおわって外へ出たあとでさえ、落ち込みは5分の1くらいに減じていました。それ以来、ぼくにとって映画(映画館)は、心から感謝すべき存在です。 (2)『春婦伝』(鈴木清順 1965) ラスト数分のすごさ。戦場を従軍慰安婦に扮した野川由美子が必死に走るのですが、無数の銃砲が、まるで大量の花火のように「美しく」炸裂します。映画とは、物語ではなく映像の力なのだとぼくの映画に対する見方を根底から変えさせてくれた作品です。 (3)『鴛鴦歌合戦』(マキノ雅博 1939) 十数年まえ、まったく偶然から知人の所有するビデオで観た戦前の時代劇ミュージカル。千恵蔵、志村喬、ディック・ミネらが脳天気に唄い、怪しげな骨董品に一喜一憂します。映画とは、映像だけでなく、リズムなのだとおしえてくれました。どうじに、戦前の日本映画の多様性に目を開かされるきっかけにもなりました。 ■Thomas Magnuson (1)『Dune』(Frank Herbert) Patrick Stewartや音楽家のSting。 (2)『Close Encounters of the 3rd Kind』 (George Lucas) ルーカスのブレークのきっかけとなった作品。宇宙人を「敵ではない」と描いた物は、これが初めてだと思います。 (3)『There's Something About Mary』(Bobby Farrelly & Peter Farrelly (俗で、「The Farrelly Brothers」) 「メリーに首ったけ 」。これほど爆笑させてくれた映画はありません。 ■宮山昌治 (1)『オテサーネク 妄想の子供』(ヤン・シュヴァンクマイエル 2000) 原作はチェコの民話である。子供のできない夫婦が切り株を子供として育て始める。切り株はいつのまにか生命を持ち、しだいに大食になってゆく。そのうち食器、家具までもたべはじめ、ついには村人や両親までもたべてしまう。しかし、禁断のキャベツを食らったために、老婆に斧で切り倒されてしまう……。シュヴァンクマイエルはこの民話を、独特の奇妙な世界に作り変えてしまうのだ。生命とは「たべる」と同義であろう。子供のできない夫婦が、枯れ木の子供オテサーネクを得る。オテサーネクは「たべる」ことに関して逸脱している。この世のすべてをたべ尽くそうとする過剰な生命なのである。しかし、オテサーネクはキャベツをたべることで破滅してしまう。キャベツは言うまでもなく多産の象徴である。正しくたべること。最小限の殺しにとどめること。殺しの上に成り立っている生命は過剰であってはならない。過剰な生命は過剰に生命を殺すことになり、生命に復讐される……と言うような教訓に止まらないところが、シュヴァンクマイエルの魅力であろう。原作と違って、たべられた人間達は助からないのである。 (2)『スラム砦の伝説』(セルゲイ・パラジャーノフ 1984) この映画の原作はグルジアの伝説である。侵略者に悩むグルジア王は砦の建設を進めたが、スラム砦だけはいつも破壊されてしまう。奴隷のドゥルミシハンは恋人ヴァルドーを救うために出稼ぎにトルコにゆくが、心変わりして別の女性を娶る。ヴァルドーは絶望して占い師となる。時を経て、スラム砦を救うには人柱しかないと占い師は預言する。折りしも、トルコからドゥルミハンの子が帰ってくる。かれは人柱となり国を支えることを決意するのだ。 シュヴァンクマイエルが名誉回復したのと対照的に、パラジャーノフは弾圧に次ぐ弾圧の生涯を全うした。人柱が当時のグルジアの人々やパラジャーノフの心情を象徴していることは言うまでもない。しかし、この映画から筋や諷刺を読み取ることは困難である。イスラム文化と東方文化の豊穣な混淆が、あやしげな音楽と共に色鮮やかな画面の上に、これでもかこれでもかと展開されるのだ。脈絡もなくつながる画像は、幻想世界のなかに思考を停止させ、理解することに慣れた精神を狂気にさらさずにはいない。そこに、直線的なプロットを読むことはむしろ無粋であろう。ソ連の映画大臣が「あなたの映画は美しいが、わけがわからない。フィルムが逆になっていたのではないか」と言ったところ、パラジャーノフは「私が撮った映画について、私が何か理解しているとお思いですか?」と答えたと言う。理解すること。それは簡単に誤ることなのだ。 (3)『デリダ、異境から』(サファ・ファティ) デリダ主演映画である。エジプトの女性監督サファ・ファティは、デリダの故郷であり内戦下にあるアルジェリアで撮影を行った。「未知の観客に語りかけようとした」とデリダは言う。デリダはさまざまな場所に立って、異境の他者に向けて声や姿を発信する。この場所はアルジェリアに限らない。フランス、アメリカ、チェコ、スペイン。さらに民族として立つヨーロッパ、ユダヤ、アラブ。関係として立つ母と息子、男と女、動物と人間。さまざまな場所から、デリダは友愛、自伝、赦しなどについて即興で語る。その他者への語りは淀みないものではない。痕跡として残されたデリダの声を、我々はどれだけ聴くことができるだろうか。日本の思想状況はつねに直輸入に終始する。デリダの声を聞くことができるのは、いつでも己の定位からでしかないはずだ。『帝国』などと言う大著がいくら売れようとも、定位しない非場所と言う名のどこかでしかないところから、自称無国籍人という名のヨーロッパ人もどきとして、問題に立ち向かっている「ふり」だけをする安全な大学知識人を増やすだけなら何の意味もないだろう。この映画に、異境に立つことの困難さを知らぬ者の所作をもって接することもまた、何の意味もないだろう。 ■カオリゴ (1)『ベティーブルー 完全版』(ジャン=ジック・ベネックス 1992) (2)『髪結いの亭主』(パトリス・ルコント 1990) (3)『グラン・ブルー』(今は、すっかりメジャーラインのリユック・ベッソン 1988) はぁー。ジャック・マイヨール本当に首つっちゃった。生きていて欲しかったけど、彼が生きて行くには現実はあまりに過酷だったのでしょうか。 ■N (1)『プロスペローの本』(ピーター・グリーナウェイ 1991) (2)『ベイビー・オブ・マコン』(ピーター・グリーナウェイ 1993) (3)『ZOO』(ピーター・グリーナウェイ 1985) ■柳小路善麿 (1)『暴力脱獄』(スチュアート・ローゼンバーグ 1967) (2)『ガルシアの首』(サム・ペキンパー 1974) (3)『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ 1957) いずれも映画館で観たものを挙げました。ビデオ、DVDを含めれば、ちょっと違った選択になったと思います。何歳ころに、どこの映画館でという時間と場所の記憶と分かち難く結び付いた作品ばかりです。いずれも観終わった後で、その強烈な印象で、夢現のような気分だったことを記憶しています。特に(1)は、田舎の鬱屈した高校生の時に観たので、特に印象に残っています。確か翌週も同じ映画館に観に行きました。 ■yamabiko (1)『12人の怒れる男たち』(シドニールメット 1957) (2)『日の名残り』(ジェームズ・アイボリー 1993) (3)『MY DINNER WITH ANDRE(日本未公開』(LE MALLE) ■富 哲世 (1)『黄色い老犬』(監督不明) 小学生時代の学校映画鑑賞会で観た。初めて泣いた映画(かっこ悪いから、狂水病になった犬のシーンが恐いと皆に嘘をついて、顔を伏せて密かに落涙した)。 (2)『ジークフリート』(フリッツ・ラング 1924) 年少時親に連れられて観た、二本立てのうちの目的外の一本(字幕、だったかと思う)。当時筋もよく理解できぬ、暗澹たる英雄悲劇。以後の、人生の長い長い夢魔の最初の烙印か。 (3)『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ 1966) いまははるかな蜃気楼のような距離ですが、漂う存在としての自らが、内在的還流とは異質のリズムを血のタガ(アンカー)として創り出す。その調和的不調和(むしろ不調和的調和)の感覚を、30年後のいまでも、音韻・音数のズレとして体がいまだに覚えているようです。事件進行と受肉的日常の衝動を描くバランスがとてもうまいと思った。映画的秀作ということの認知のそれは始まりかもしれなかった。 ■松本康治 (1)『荒野の7人』(ジョン・スタージェス 1964) (2)『鳥』(ヒッチコック 1963) (3)『異人たちとの夏』(大林信彦 1988) ■寺田 操 (1)『雪華葬刺(せつかとむらいざ)し』(監督・高林陽一/主演・宇都宮雅代、若山富三郎/大映映画京都撮影所第一回作品 1982) この映画の原作は、赤江瀑『青帝の鉾』(文春文庫・一九八二・四)所収。文庫本の帯には、橘姫の刺青で飾られた宇都宮雅代の背中と刺青師・若山富三郎。背中の彫り物にはさほど興味をひかなかったのですが、左腋下の乳房に近い場所に隠彫された一ひらの雪の結晶の場面が印象的でした。天保三年に描かれた雪花図を謄写したものが鈴木牧之『北越雪譜』(ワイド版岩波文庫)にあり、この雪の結晶図を見るたびに映画を(貸しビデオ)思い出します。 (2)『清順流フィルム歌舞伎 陽炎座』(監督・鈴木清順/主演・松田優作、大楠道代/東宝 1981) 原作は泉鏡花とくれば、近年、平野啓一郎の『一月物語』(新潮社・一九九九・四)に及ぼした影響などを思うのですが、なにか人を尋常でない場所に引き込む圧倒的な力を感じます。水の中の女が口に含んだ朱のほおずきが、ひとつ、ふたつ、泡のように水面に浮かびあがる場面は強烈な印象でしたが、人形を裏返し空洞を覗きこむと、人妻と男が背中合わせに坐る死後の世界の屏風絵は、江戸の異端画家・絵金の作品のようで強烈でした。 (3)『アガタ』(マルグリット・デュラス 1981) デュラス原作の映画は何本か見ています。『かくも長き不在』『夏の夜の10時半』『ヒロシマ私の恋人(二十四時間の情事)』、『モデラート・カンタービレ』『愛人・ラマン』など。なかでも印象深いのは、『アガタ』でした。映画を先に見たのか(大阪府立情報センター)? それとも原作(小林康夫訳/一九八六・二)が先だったのか定かでないのですが、何度目かの結婚記念日だったこともあり、よく覚えているのです。トラック野郎や寅さんシリーズが好きな彼は、スクリーンに映し出される別荘の内側から映された海辺や近親相姦的な愛に苦しむ兄と妹の会話にうんざりしたようで、「これが分かるということは、知的だということなのか」と吐き捨てるように言ったのでした。私はといえば、海が好きなのでとのみ答えておきましょう。 ■竹中尚史 (1)『怪盗ルビイ』(和田誠 1988) KYON2 がかわいい! (2)『化粧師』(田中光敏 2001) 菅野美穂がかわいい! (3)『超少女REIKO』(大河原孝夫 1991) 観月ありさがかわいい! ■村上幸生 (1)『北国の帝王』(ロバート・アルドリッチ 1973) のどかさと暴力の共存が、すばらしい。 (2)『貸間あり』(川島雄三 1959) ノイズがいっぱいで、すばらしい。 (3)『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男 1969) 小学生の時、予告編を見てしまい、うなされたので。 ■内浦亨 (1)『コントラクト・キラー』(アキ・カウリスマキ 1990) (2)『ソナチネ』(北野武 1993) (3)『トカレフ』(阪本順治 1994) ■今泉弘幸 (1)『わんぱく王子の大蛇退治』(芹川有吾?) 性格が暗くて無口な子供にとってのヒーローはスサノオノミコトだった。なぜ? スサノオが駄々をこねるから? 駄々ってなに? ダダは芸術――ダダイズム。 (2)『吸血鬼ドラキュラ』(テレンス・フィッシャー 1957) 性格が暗くて無口な子供にとって、もうひとりのヒーローは吸血鬼あるいはヴァンパイアだった。なぜ?「わかってもらえない」「みんなとは違う」「血はおいしい」 (3)『けんかえれじい』(鈴木清順 1966) 性格が暗くて無口な青年にとって、永遠のヒーローは「けんかえれじい」の南部麒六になった。なぜ? 近代が発見し、現代まで受け継がれている自分探しの物語あるいは旅――「ぼくってなに?」から出発したとき、人は永遠に何もみつけられない。鈴木清順は、「ぼくってなに?」から出発しない場所から、たくさんの宝石をプレゼントしてくれた? ■江越美保 (1)『エレンディラ』(ルイ・グエッラ 1983) 悲惨な物語ながら、何度殺そうとしても死なないごうつくばりな祖母を演じたイレーネ・パパスの怪演が笑いを誘う。彼女を見るだけでも価値がある。個人的にはラテンアメリカへの興味を抱くきっかけとなった作品。 (2)『蜘蛛女のキス』(ヘクトール・バベンコ 1985) 監獄という閉ざされた空間でストーリーは展開するが、舞台をブラジルに設定したことで、熱帯独特の猥雑さが夢と現実の交錯する物語に陰影を与えている。モリーナ役ウイリアム・ハートの可憐さが忘れがたい。 (3)『極私的エロス・恋歌1974』(原一男 1974) 主人公・武田美由紀の欲望が赴くままに動き回る様と、それをカメラで追いつづけた原一男の心もとないナレーション(つぶやき?)が対照的。自力出産を試みる武田と、その様子をフィルムに収めた原。両者の濃厚な「愛」のやりとりに恐ろしささえ感じる。 ■鈴木 薫 (1)『ロシアン・エレジー』(アレクサンドル・ソクーロフ 1996) たぶん私たちが来る前に物語は終わっていたのだろう。今しも一人の男が病室で最期を迎えたところだ。彼の目を覆いつくしたのと同質の闇の中で動かぬ私たちの耳に、それでも〈外〉からの物音が聞こえてくる。やがて音は光を放って、緑したたる戸外を構成する……映画が本質的に夢であり、もっとはっきり言うなら死後の夢であり、目を閉じてなお見えてくるもの、瀕死の耳になお聞こえてくるもの、妄執に似た何かであり、生まれたての羊歯のように私の目の前でほぐれてゆく、みずみずしい人生(むろん贋物の)であることを改めて教えてくれる作品。 (2)『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー 1955) 来日したギャングのボスは立ち並ぶ朱塗りの柱の間からフジヤマが見渡せるとんでもない家に住み、ホモソーシャルなギャングは潜入捜査官ロバート・スタック(先週訃報が伝えられましたね )にボスの寵を奪われて嫉妬に狂い、家庭用檜風呂(懐しい)で入浴中に愛するボスに射殺されて、風呂桶の側面に弾丸があけた穴からお湯がピューと噴き出す。李香蘭の名を捨てシャーリー山口と名乗る山口淑子がスタックの相手役をつとめ、浅草松屋・屋上遊園にそびえ立つ土星形大観覧車(懐しい向きもあろう)で最後の戦いが行なわれる、戦後日本のドキュメンタリーというべき作品(かつては国辱映画と呼ばれた)。 (3)『夜半歌聲』(馬徐維邦 1937) 三十年代上海の特異な映画監督マーシュイ・ウェイパン。顏を潰された美男、二度と会えぬ恋人の立つ夜のバルコニー、荒れ果てた劇場、貴方が松の木なら私はそれに巻きつく蔓(かずら)と夜の風にのせて切々と歌い上げる声は、『オペラ座の怪人』の翻案であり、六十年後にレスリー・チャン主演でリメイクされる正統的メロドラマだが、ジェイムズ・ホエイルに倣って怪人を丘の上へ追いつめ、群衆に焼き殺させた監督は、続篇(『夜半歌聲續集』)では生き延びた主人公を古城のマッド・サイエンティストに手術させ、素顔のままでも黄金バットの化け物に変えてフランケンシュタイン化をさらに進行させる。『竹の家』とは逆のベクトルによる異種混淆の傑作。 ■中明千賀子 (1)『ポン・ヌフの恋人』(レオス・カラックス 1991) 絵描き、音楽、猫、花火、酔っぱらい……。イメージのすべてがそこにあったから。 (2)『木靴の樹』(エルマント・オルミ 1978) 小さな子供たちがいじらしくかわいらしい。価値観のちがう世界に触れた。 (3)『蝶の舌』(ホセ・ルイス・クエルダ 1999) きらきらした美しい田園風景や子供たちの表情とは、対照的なラストシーンに衝撃を受けた。 ■山田利行 ベスト3点を本で選ぶのなら、むずかしいけれども、候補になる書名は具体的にいろいろと浮かぶ。ところが、映画となると、まず映画のタイトルを覚えていないというせいもあるが、なかなか浮かんでこない。映画サークルに入っているので例会上映を年間で12本見て、そのほかは、ビデオを年間で10本、いやもっと見ているかな? 映サは20年前からなので、見てきた映画は相当な本数になる。例会ごと、見るたびに、何か思うことがあり、10本に8本は「良かったなあ」と思って満足している。そんなにたくさん見ているのに、さて、ベスト3をあげるとなると、タイトルがさっぱり出てこないで、断片的なスクーリーンの場面が脳裏にチラチラする程度。でも、3本なんとか選択を試みましょう。 西アフリカの海岸から奴隷船に乗せられ大西洋を渡りアメリカへ。船に積み込まれる、積み込まれてからの奴隷たちが受ける仕打ち、これは凄まじかった。で、この映画のタイトルは……とりあえず「A」。 さて、2番目。イランの映画を立て続けに3本か4本、見た。テンポがどれもゆっくりで、寝不足なまま見ると寝てしまいそう。そのなかでどれが、というよりも、数本連続して見たのがよかった。もっともドラマぽかったのは、走り競争で優勝すると靴がもらえるというので、靴をなくした子どもが走った映画。これを「B」としておこう。 3番目。米中(中米?)合作映画を観たとき、中国人が英語を話していた。そういうのは違和感がずっとつきまとって落ち着かない。その点、チベットの映画でチベット人がチベットの言葉をしゃべっていたのは良かった。チベットは夏が短く、冬が長い。厳しい冬を越すために、行商の旅に出るチベット人の隊列。その隊列のゆくまわりの自然の美しいこと、雄大なこと。その映画はインド人の女優を除けば、ほかは皆(だったかな?)、チベット人の地元の人たちで、映画出演は初めてだという。チベットを堪能できる映画。これを「C」としておこう。 問題です。「A」「B」「C」に映画のタイトルを入れなさい。(*回答は、最後をご覧ください。) ■山田輝子 私も明石映サの会員で、二〇〇本以上の映画を観ていることになります。観るたびに「よかったー」と感激するのですが、内容はほとんど覚えていません。 さて、3本の映画となると、うーん。 小学生くらいから母に連れられて映画館へ見に行きました。 母は、文部省推薦映画が大好きで、小学生の頃『人間の条件』(小林正樹 1959〜1961)という戦争というか日本の軍隊の新兵さんが上等兵にいじめられる、なんともいえない暗い映画を思い出す。仲代達矢と新玉三千代が夫婦役で、ラスト近く、面会時に、馬小屋のようなところでワラの中で抱き合うシーンが、唯一子ども心によかったあと感じられ、50年くらいたった今でも、そこだけがくっきりと浮かんでくる。 もう一作。その文部省関連で『怒りの孤島』(久松静児 1958)という映画もみました。当時、私は小学高学年でした。瀬戸内海かどこか? の小さい島で、子どもがといっても青年かな? 檻のような箱に入れられてお仕置きされる。その青年の顔のアップが、なんともすさまじく、私の脳裏に焼き付きました。今でも、その顔だけは浮かんできます。 3作目は『しコふんじゃった』(周防正行 1991)です。笑いました。とにかくおもしろかった。へー、日本映画でこんなに笑えるなんて! とびっくりしました。生活の中に「笑い」を日常的にもっともっと取り入れたいですね。 ■黒猫房主 (1)『ル・バル』(エットーレ・スコラ 1983) ダンスホールにスイッチが入れられ舞踏会(バル)が始まる。シャンソン「待ちましょう」にのって女たちが階段を降りてくる。「ボレロ」にのって男たちが。この展開がすばらしい。以下台詞は一言もなく、なつかしい四十数曲をちりばめて、このダンスホールの戦前からの移り変わりが、回想的な手法で描かれていく(双葉十三郎のコメントより)。十数年前に私が東京から大阪に転居してきて、毎週のように梅田の「大毎地下劇場」(名画座)の二本立てを観ていた頃の印象深い作品。いま一度観たいと思っているが、VTRは品切で入手不可の模様。 (2)『あらかじめ失われた恋人たちよ』(田原総一朗・清水邦夫 1971) いまでは誰も信じないかもしれないが、あの田原総一朗が東京12chのディレクター時代に監督した作品。華奢な石橋蓮司の演技が痛々しくかつ眩しい。緑魔子がワンシーンだけ出てくるのが嬉しい。桃井かおりのデビュー作品。つのだ☆ひろの名曲「メリージェーン」が、この映画の主題歌。 (3)『鬼火』(ルイ・マル 1963) 主人公ロネの孤独感と絶望感に共振した。エリック・サティの「ジムノペディ」がさらに空虚さを増幅した。いまはなき池袋の「文芸座」で20代に観た。 番外『アクマストキングV』(土方鉄人 1977) 騒動社という独立プロ製作。騒動社で検索すると上記のタイトルにヒットしたが、私が大学祭で観たのは七七年以前のはずなのでVではないのかも知れない。ストーリーは全然覚えていないが、映画と同名の主題曲「悪魔巣取金愚」のフレーズ「悪魔ストッキング、ドゥドゥビドゥ」のリフレインをよく覚えている。この主題曲が「休みの国」というCDに収録されていることをウェブで知り、今回アマゾンでゲット(URC復刻シリーズ)。ちなみにバックの演奏は、ジャックスの早川義夫や角田ヒロらが担当。 (回答:A……『アミスタッド』(スティーヴン・スピルバーグ 1997)、B……『運動靴と赤い金魚』(マジッド・マジディ 1997)、C……『キャラバン』(エリック・ヴァリ 2000) |
■編集後記■ ★引っ越しを控えて、年と共に増殖し続ける書籍や雑誌を整理・処分している最中なのだが、その作業の途中で古い雑誌の特集を見つけては読みふけること屡々で、なかなか作業が捗らない。(黒猫房主) |