『カルチャー・レヴュー』27号

■住居問題■


わが家に化学物質過敏症がやってきた(1)
―シックハウスから脱出する方法―

山口秀也



 新居のリフォーム中のある日、妻が倒れた。原因不明のさまざまな症状が彼女を襲うが、どこの病院でも納得のいく診断・治療が得られない。やがてある医師に告げられた、聞き慣れない病名の正体とは……。

■ビニルクロスで倒れる

 2002年4月のおわりに、築後4半世紀以上たつ中古住宅に引っ越した。新生活をはじめた私たち夫婦は、ひとときもじっとすることのない、ともにこの夏3歳と1歳の誕生日を迎える息子と娘に手を焼きながらも、引越しの荷ほどき、片付けに追われていた。
 しかし、とうに終わっているはずのリフォームの内装工事が、この時点で、階段の板貼り・ニス塗りをはじめ、浴室・室内のペンキ塗り、壁紙、下駄箱の設置そのほかが、あまりにも不完全なままだった。
 生活の傍らで工事は断続的に続けられた。7月のはじめ、台所の天井のクロスを貼り替えようと業者がビニルクロスを屋内に入れたとたん、そばにいた妻が立っていられなくなった。直接的な原因とみられるのは、ビニルクロスに含まれる化学物質だった。
 すぐに私に電話をよこした妻に、クロスはとりあえず持って帰ってもらい、天井はそのままにするよう伝えた。
 私が家にとって帰すと、妻はぐったりとしていた。これに似た状態は、越してきた当初よりまま見られた。さらに言うと、越してくる前に6年間、新築時から住んでいた賃貸マンションでもまれに見られる光景だった。頭がぼーっとして、目が痛くなり、腹痛を起こし、下痢と便秘をくりかえす。なにもやる気が起こらず、眠くてしかたがない。
 妻の状態は数日経っても快方へ向かうどころか、1日のほとんどを寝てすごさねばならないようになった。そこで妻は二人の子どもをつれて新居を離れ、近くにある妻の実家へ移ることにした。

■慢性疲労から口内炎まで

 妻は引越してきた当初から、倦怠感・慢性疲労などが顕著だった。もともと体力には自信がなく、疲れやすい性質だったのにくわえて、小さい子どもを抱えての引越しの忙しさが彼女を疲れさせたのだろうくらいにそのときは思っていた。症状があまりにも多岐にわたりしぼりこめないために、二人とも気づくのがおそかった。以前にもまして集中力がなくなり、もの忘れがひどくなるにつけ、妻はその違和感を口にした。
 立ちくらみがふえ、数年前から自覚症状のあった目の痛み、とくにそれほど日差しが強くない日でも「まぶしい」ということばをしきりに吐くようになった。さらに、腰や背中の痛みを以前にもまして訴えるようになり、毎日、わたしが揉みほぐした。下痢と便秘をくりかえし、胃の痛みを口にした。そして、ちょっとでも食べすぎたり、脂っこいものを摂ると、皮膚に異常が現れた。局部、たとえば腰や背中全体が赤くなる、いろんな箇所にじんましんができ、口内炎が口中に拡がった。おりものがふえた。髪の毛が多く抜けると訴えた妻は、同時に頭髪が臭くなったとも言いだした。  以前から敏感だった嗅覚がいよいよ鋭くなり、タバコや香水のちょっとした匂いを毛嫌いするようになった。耳も遠くなったように感じられた。車に乗って30分もするとすぐに体がだるくなり、眠気が襲ってくる。デパートの靴や化粧品や書籍売り場などをまわっていると、頭がぼーっとして、すぐに「もう帰ろう」といった。1年ほど前には、大型の家具店で急に気分が悪くなるという経験をした。同じころ、駅ぢかに大型のショッピングセンターができた。市立図書館の分館がその中にでき、さっそく訪れると、妻はたちどころにからだの不調を訴えた。
 とくに病気を疑わざるをえなかったのは、新聞はもちろん折込広告がそばにあっただけで気分が悪くなり、それに腕が触れるとその箇所がたちまち赤く変色するのを目の当たりにしたことだった。また、季節は盛夏に向かおうとしているのに妻の手足や体は極度に冷え、クーラーをつけられない、夜も冬布団に毛布、こたつをつけてもぶるぶる震えるほどになっていた。
 7月になると、妻は朝起きられないどころではなく、1日を通じて起きているのが困難なからだになった。引越しの前後からすでに、子どもたちの世話から家事までできる範囲でサポートしていた私は、このころから3ヵ月ほどにわたって、朝起きてから夜子どもたちを寝かせつけるまでの家事いっさいをおこない、夜の8〜9時ごろになってようやく事務所に出かけ、たまった仕事を片付けて夜中に帰る、そして朝は5時半起床というサイクルをくりかえした。

■専門医を受診する

 6月になって、胃の痛み(とそれにともなう腰と背中の痛み)と、体中にできたじんましんについて、それぞれ内科とアレルギー科を受診した。
 アレルギー科では、妻から「シックハウス症候群じゃないでしょうか」と疑問を口にしたが、「もしシックハウスやったら、換気をよくして、臭いが抜ければだいじょうぶなんやないの」と一言ですまされた。この医師はおそらくその後いろいろ調べてくれたのだろう、電話をかけてきて気づかってくれたが、これ以降も、他人の「気のせい」「神経質すぎる」「抵抗力をつけろ」という無神経なセリフにさんざん傷つけられることになる。
 また内科では「シックハウス」も「化学物質過敏症」ということばも医師からは聞くことができなかった。
 みずからの症状にかたちが与えられないまま、しかし、体の不調はどんどん悪化していったあるとき、たまたま近所にある大学病院で、そういう症状への対応に特化したH病院を教えられ、すぐに電話をして出かけたのが7月11日だった。  電話口では、その日が初診の受付日であること、受付時間は終わっているが診てもらえること、病院までの道順を手際よく教えてくれた。ぐったりしている妻を車の助手席に乗せ、病院に着いたのはもう夕方だった。
 時間のわりに込み合っている待合室で長い時間をすごす。妻は病院に入ってきた瞬間からしきりと「消毒液の臭いがきつい」と漏らし、さらに気分が悪くなったようだった。
 そして……。妻の名前がよばれ、三つあるうちのまんなかのドアを開けて診察室へ入ると、まず真正面に、真夏であるにもかかわらず開け放たれた窓が目に入った。当然、冷房など効くはずもない。
 担当のF医師はすぐにデスクから私たちのほうに少し体を開き、うつむき加減で「どうしました」と問いかけてきた。はっきりとした関西弁特有のイントネーション。
 ぼーっとした状態の妻の横から、私が口ぞえしながらおおかたの症状を伝えた。するとF医師は間を置かず、
「そらアカンな」
と言ったのだった。このあとF医師は淡々と、しかし、あまりにもショッキングな妻の病気「化学物質過敏症」のことを話しだした。
 化学物質過敏症とは、「過去にかなり大量の化学物質に接触した後、または微量な化学物質に長期にわたって接触した後で、次の機会に非常に微量な同種または同系統の化学物質に再度接触した際に出てくる不愉快な症状」(『化学物質過敏症』柳沢幸雄・石川哲・宮田幹夫著、2002年、文春新書)である。最近マスコミでよく耳にする「シックハウス症候群」とは、これらの「不愉快な症状」の原因が、住宅内の汚染物質に限定される場合をさす、とさしあたり理解しておいてよいと思う。
 H病院では、発症時のリフォームについて、ことこまかに訊かれたあと、妻の小さいときからの住環境や食環境についてまで問診を受けた。化学物質過敏症は、時間を跨ぎ越して発症に至るため、時系列をさかのぼって発症の原因を探ることが必要になる。また発症の原因と考えられる化学物質の種類があまりにも多く、その場所の特定も困難なため、時間・空間を横断した、あらゆる状況を考慮に入れた聞き取りが必要になる。こうなると診察室が、まるで刑事の取調室のように思えてくる。
 この特殊性が、通常の医療機関ではつねにやっかいな事態をまねく。皮膚が赤く腫れれば皮膚科を受診し、胃が痛くなれば胃腸科を紹介され、目がおかしければ眼科へ、腰や背中が痛くなれば整形外科へ行きなさいと言われて、多岐にわたる個々の症状は、それぞれの分野で異なる病名をつけられてしまう。その結果、いまだに「化学物質過敏症なる病気はない」といったあつかわれ方をする。
■ついに交通事故を起こす

 ところで妻は、幼少のころより、卵アレルギーをはじめ、結婚してからもハウスダストのアレルギー数値が高かった(貝類やイカ、生ものでよくじんましんがでていた)。もちろん、そのことも今回の化学物質過敏症発症の温床となったのだろうし、説明を受けた当初は、この病気がアレルギーの一種であることを疑わなかった。
 しかし、それを誤りとする考えがより確かであるらしいことが、妻の症状や書物によってのちに理解できた。渡辺雄二氏は、免疫反応であるアレルギーと、「目や鼻、口などの粘膜細胞の直接的な反応といえる。あるいは、有害化学物質が血液によって各臓器や脳に運ばれ、動悸や頭痛、うつ状態などが起こる」化学物質過敏症を分けている(『危ない化学物質の避け方』KKベストセラーズ、2000年)。
 化学的知識の薄い私がこれらのことを実感できたのは、とりもなおさず、妻の口内炎や目のしょぼつきなどといった、化学物質が粘膜細胞に作用する症状や、ひどいもの忘れや情緒不安を目の当たりにしたおかげだった。具体例は枚挙にいとまがないが、ここでは例を二つ挙げる。
 ひとつは、交通事故。妻は、引越ししてしばらくしたとき、家の近所で接触事故を起こした。幸い双方にケガはなかったが、妻はそのとき「ぼーっとしていた」と私に打ち明けた。まわりの人間は誰もが妻のたんなる不注意だと疑わなかったが、のちに、これも化学物質過敏症のせいであることがわかった。
 からだや神経に作用するさまざまな症状を化学物質過敏症と結び付けにくい原因のひとつは、それらの症状と原因との因果関係の証明がきわめてむずかしい、ということにある。
 化学物質過敏症の認知に大きく寄与したとされる石川哲氏は、水平および垂直方向に動くひとつの目標にどれだけついていけるか(滑動性追従運動という)という実験で、化学物質過敏症にかかった人の目の動きが著しく遅れることを客観的に証明した。動きのにぶいコンピュータマウスのポインターを想像すればよいだろうか。妻も目に症状が出ていたことと、さらに慢性疲労や集中力の欠如、精神不安定といった症状もあいまって事故を起こした、と結論づけることができる。ついでながら化学物質過敏症では、有機リン酸系の神経への影響などから、海馬や扁桃体といった大脳辺縁系での異常を伴うことがわかってきた。
 もうひとつの例は最近のこと。
 治療によって症状の軽減した妻が、必要があって住民票をとりに役所に出向いた。帰ってきた妻が、「きょうはカンタンやった」と晴れやかな顔をして言った。
 じつは、引越し当初も妻は住民票をとりに行ったのだが、そのときは「なにをどうしていいかわからへんかった」と憔悴して帰ってきたのである。所定の用紙に名前と住所と目的と枚数を書いてはんこを押して窓口に提出する。こんなに簡単なことができないほどの異常が彼女の身に起こっていたのだ。
 このようにして、初期の私の誤り、つまり過敏症は広義のアレルギーだという思い込みが、世間一般の人および多くの医療関係者にもあるだろうことを実感した。それに加えて「過敏症は精神疾患である」という見方が合わさって、さまざまな偏見や臆断を構造的に生み出しているということにも思い到った。(この項つづく)

(「いのちジャーナルessence」2003年1-2月号 No.18より改稿転載)

■プロフィール■
(やまぐち・ひでや)フリーライター。編集プロダクション「スロー・ラーナー」代表。「カルチャー・レヴュー」「La Vue」編集委員。slowlearner02@ybb.ne.jp
 




■<法>と正義■


「イラク戦争/第二次アメリカ戦争」から考える       


黒猫房主



 気の利いた書店では、イラク関連本と一緒に世界地図やイラク地図を置いている。湾岸戦争から10年以上が経っているが、国際情勢に詳しくない日本人には、イラクとイランの違いもおぼつかない。地理的には遠い国だ。それだけではない、どんな国なのかその関心においても遠い。

 さて、私たちは新聞報道等で「イラク戦争」と呼んでいるが、この戦争に反対している立場も含めて、この呼び方はすでにアメリカ合衆国寄りの視点であることに気づいていない。このことに気づかせてくれたのは、池澤夏樹さんのメールマガジン「新世紀へようこそ 094」の下記の一文だった。

    新聞を読むのは、自分がこの世界のどのポジションに立っているかを確認する作業です。先にぼくは「イラク戦争」と表記しました。そう書く一方でぼくは、この書きかたはアメリカの同盟国としての日本国の視点だと意識していました。イラクの側から言えばこれは「第二次アメリカ戦争」ということになるでしょう。個人としてのぼくはこのポジションをも視野に入れておかなければならないし、新聞はその手がかりを提供しなければならない。http://www.impala.jp/century/index.html

 どのように名指すかということは、どのように理解しているかを示している。その理解の仕方は、すでにアメリカを中心にして世界を見る態度を暗黙の内に共有していることである(「新世界秩序」)。
 それは軍事的にも金融的にも強大な「力」をもったアメリカを無視して国際政治を考えることはできない(とくに金融ではドルは国際通貨として基軸の位置を占めている)ということからも、その態度は仕方なく当然だと思われている。
 そして「既成の事実」はアメリカを中心に世界は動いているが、だからと言ってそれがアメリカの「行動=権利」がすべて正当化できるという根拠になるわけではない。実効的事実が正当性の根拠ではないことを再確認しておこう。
 アメリカは、国連決議がなくてもイラクに戦争を仕掛ける権利を持っているとブッシュは主張しているようだが、その戦争に正当性があるかどうかは別問題である。この場合、正当性は国際法によって担保されるだろう(絶対平和主義の立場からは「戦争」それ自体が犯罪だから、いかなる場合も肯定されない。)だが、国連および国際法における合意(相互承認)のあり方、正当性の判断も問題にしなければならない。  今回の「イラク問題」を討議する場合、いったいどのテーブルで議論がなされているのかが問題だ。アメリカの主張を土台にした議論であり、軍事で脅されて譲歩しているのがイラク側であることは明瞭で、この両者が対称関係にあるわけではない(念のために言っておくが、イラクが「正しい」と弁護しているわけではない)。
 いわばアメリカは警察官で、イラクは前科者で容疑者という関係である。また裁判官(第三審級者)としての国連決議を無視するならば、アメリカは裁判官と執行官を兼ねていることになる(カウボウイのリンチを想起しよう)。

 アメリカの言い分はこうだ。「悪の枢軸」としてイラクは世界の脅威「テロ国家」だから、世界の平和のために事前に叩かなければならない。あるいは核開発をしているからとか、理由は幾つか捻出している。だが判定するのは、「正義=法」を標榜する保安官・アメリカなのだ。同時に保安官・アメリカが軍事でイラクを威嚇するのは、「正義=法」の目的に適って正しい行為だというわけである。威嚇だけならまだしも、脅威や核開発ていどの容疑で戦争が正当化できるだろうか。
 だがその前に、アメリカこそが世界で最大の脅威(チョムスキーは、アメリカこそが最大のテロ国家だと批判している)でかつ最大の核保有国であり、自国の利益を第一主義にしか考えない帝国主義国家である。
 今回の「イラク問題」も中東におけるアメリカの覇権と石油の利権が狙いだと言われている。このアメリカの覇権主義は分かりやすい帝国主義だが、ネグリ/ハートの示唆する「帝国」に対して、資本主義的には後退しているとさえいえるだろう。
 いま話題の『帝国』(以文社)の共著者マイケル・ハートは期待(皮肉?)を込めて、次のように言っている。

  「世界中のビジネス・リーダーたちは、グローバルな流通への障碍という理由から、ビジネスにとって帝国主義はいただけない選択であることを理解している。(…)資本主義的なグローバリゼーションがもつ潜在的な利益は、生産と交換の開かれたシステムに依存している。(…)帝国は、支配的な国民国家、国際連合やIMF、多国籍企業、NGO、メディアなどの国民国家を超える組織、異なった種類の権力によって構成されるネットワークである。(…)この脱中心化されたネットワーク権力である帝国は、グローバルなエリートたちの利益に照応している。というのもそれは、資本主義的なグローバリゼーションが有する潜在的利益を促進すると同時に、潜在的な安全-保安への脅威の置き換えあるいは散逸を果たすからである。(…)グローバルなエリートたちが長期的な視野に立ってみずからの真の利益を理解しさえすれば、彼らが帝国を支持しアメリカ帝国主義のいかなるプロジェクトにも拒否を表明するといった選択肢を選ぶ取ることは間違いない、と考えている。ここ数ヶ月、おそらくはここ数年、われわれが人類史におけるもっとも暗い時代に読みとった悲劇に直面することになるだろう。もしエリートたちが自分の利害に導かれて行為することができなければ。」(註1)

 このビジネスエリートを代表しているのが国務省のパウエル国務長官(中道派=均衡政策)かもしれないが、現在は国防省に押されてタカ派発言に傾斜している(このタカ派発言は、むしろラムズフェルド国防長官ら新保守主義派を骨抜にきする戦術だという指摘もあるが)。戦争推進派の国防省を掌握しているのが、この新保守主義(ネオ・コンサバティブ)といわれる勢力らしい。新保守主義の戦略は、均衡戦略を捨ててアメリカの言うことを聞かない国はぜんぶ潰す、という「アメリカ一強主義」(ユニラテラリズム)だそうである。この辺りの分析は、ジャーナリスト田中宇氏による。(註2)

 さて私は次のように考えている。
 アメリカを中心に思考する態度、それ自体が不当だと感じることが重要だ(ネグリ/ハートのいう、脱中心的な権力ネットワークの「帝国」が現在の段階にあるとすれば、その「帝国」を象徴としての「アメリカ的」と読み替えれば、私の考えていることとクロスするかもしれない)。この不当性を忘却/隠蔽させているのは、すでに(行為遂行的に)「アメリカ的」を中心に考える態度を主体化(主権=自発的服従)しているからに他ならない。
 それは、いわば「アメリカ的」な<法>の内部で思考する態度であり、その<法>によって各国の主権(権利)や個人の主体(生命)が承認されていることを意味している(テロ国家か否か、戦争か否かの判定)。
 しかしこの<法>の内部で行う批判の態度では、その<法>それ自体を批判できない。<合法的=自発的服従>であることによって、<法>に回収されてしまうからだ。<法>によって権利は承認されるが、そのことによって境界線が引かれる。
 <法主体>にとって、この境界線は意識できない。実際、権利の不備は新しい権利の獲得によって<法>の内部に組み込まれて拡張してゆくので、境界線を欠くように思われる(<法>の目的としての普遍性、正義の実現)。
 だから批判とは、この<法>からの逸脱(かつ脱構築)である。何よりも、アナーキーに生の権利者であること(戦争反対)。そして、存在において異議申し立てすること。しかし<法>の権利に与らない者の異議申し立ては<非合法=違叛>とされ、その(権利主張)行為は暴力(暴動)とみなされる。この暴力をベンヤミンは「神的暴力」として肯定し、体制的な「神話的暴力」を否定している(『暴力批判論』)。
 それゆえに……レトリカルに言えば、権利は主張されなければならないが、それゆえに獲得されてはならない。正義は実現されなければならないが、それゆえに実体化されてはならない。「権利/非権利」「正義/不正義」の境界を宙づりにしつつ決断(脱構築)すること。

(註1)M・ハート「帝国とイラク攻撃」(雑誌「現代思想」2003年2月号掲載)
(註2)「米イラク攻撃の謎を解く 2002年9月9日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c0909iraq.htm
    「イラク攻撃・イスラエルの大逆転 2002年9月16日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c0916iraq.htm
    「イラク戦争を乗っ取ったパウエル 2002年12月26日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c1226powell.htm

■プロフィール■
1953年、愛媛県松山市生まれ。3社の出版社を経て9年前に独立。専門書の販売促進から企画・編集・製作を業務とする「るな工房」と版元「窓月書房」を営む。隔月刊誌『カルチャー・レヴュー』および評論紙『La Vue』編集・発行人。「哲学的腹ぺこ塾」世話人。Web「Chat noir Cafe′」の黒猫房主として、リアルの黒猫房開店を模索中(スポンサー求む)。





■投  稿■


「イラク戦争」に関して

編集部


 各 位

 「人間の盾」作戦でアメリカ、イギリス等の国の人々がイラク入りするというニュースを聞きました。
 戦争をストップさせるために何が出来るかと問うてみても、有効な手だては浮かばず、無力な我が身に思い致すだけの状態。
 せめてアメリカがフセインの独裁国家と決め付けるイラクという国を知ることだけでもという思いから、送られて来たメールを転送します。

 最近アメリカという国がますます嫌いになってきています。
 私はさっそくこの本を注文しました。
  S・K  03.01.28(水)

 以下は転送メールです。

 みなさま 2003年も一ヶ月が経とうとしています。
 みなさまその後、お変わりありませんでしょうか。
 さて、本日はご案内でメールさせていただきます。

 本橋成一が、作家の池澤夏樹氏と共著で、小さな本を出しました。
 この本『イラクの小さな橋を渡って』は、昨年の11月に雑誌の取材で訪れたイラクでのことをまとめたものです。そこで両氏が見てきたものは、いつ戦争に突入するかわからないという緊張体制の独裁国家、というよりかは、人なつっこく話しかけてくる人々であったり、食卓に乗り切らない豊かな食事であったり、街角であどけなく笑う子供たちでした。この人たちのことを伝えなくては、そして今しか戦争を止めることはできない、という強い思いから、この本も短い時間の中で刊行するまでに至りました。
 とにかく多くの人に読んでいただきたいということから、値段も1,000円(税込)に設定しております。
 どうぞみなさまにもご一読いただければ幸いです。そしてお知り合いの方にもぜひ ご紹介いただければと思います。
 どうぞよろしくお願い致します。
 この本は本日23日から店頭に並びます。
 ポレポレタイムス社(本橋成一)
 http://www.ne.jp/asahi/polepole/times/polepole/index.html



 ■『イラクの小さな橋を渡って』■
 池澤夏樹・文 本橋成一・写真
 光文社刊/四六判・ハードカバー/定価1,000円(税込)/1月23日発売
 問合先/光文社 文芸編集部 Tel: 03-5395-8174

「開戦」前夜のイラクを、本橋成一の写真とともに池澤夏樹がレポートする。……今の報道は政治家たちの駆け引きは詳しく伝えるが、イラクがどういう国でいかなる人たちが住んでいるかはまったく伝えない。国民は数ではなく個々の人生であり、その死は一つの人生の中断であると同時に、家族の悲しみと嘆きである。僕が戦争を見る時はそちら側から見る。……(池澤夏樹)

 ★「新世紀へようこそ」メルマガ版のバックナンバーは以下で読めます。
   http://www.impala.jp/century/index.html
 ★「新世紀へようこそ」ドットブック版は以下でダウンロードできます。随時更新中。)
   http://www.voyager.co.jp/ikezawa/index.html
 ★「新世紀へようこそ」フランス語版
   http://www.cafeimpala.com/registrationF.html
 ★「新世紀へようこそ」英語版
   http://www.cafeimpala.com/subscriptionE.html
 ★池澤夏樹公式サイト「カフェ・インパラ」http://www.impala.jp



それと関連して

 ■『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』■
 田中 宇著/700円+税/光文社新書
  http://www.kobunsha.com/book/HTML/sin_03179_X.html

 中東問題の深奥を多角的に読み解きました。中東問題の本を何冊か読んだが問題の本質がどうもよく分からない、という方々に。
 また、田中宇氏の「国際ニュース解説」http://tanakanews.com/で、「イラク日記」の連載が読めますので、池澤氏の視点・見解と比較されるとよいでしょう。(黒猫房主)



黒猫さま

 またまた以下のような内容のメールが再転送されてきました。
 内容の真偽は私には検証しようもありませんが、イラクにたいするものすごい恫喝、脅迫の内容ですね。
 本当にアメリカがこのような攻撃を実行したら、世界中から袋叩きにあうと私は考えたいが……。
それを考慮してアメリカは実行しないというようになればと祈るのみです。

 いまだに私はアメリカが空爆だと騒ぐたびに、1945年8月14日、15日の前日に大阪・京橋を中心に米軍による空爆を思い出します。
 通学、通勤途上で、京橋駅近辺にいた人は空爆で殺戮されました。近くに軍需工場があったからなのですが。しかし、大阪の人でもこの事を知っている人は少ないようです。
 白旗を掲げて降伏してくるものを背後から撃つというような卑劣な作戦(戦争とは所詮そういうモノなのでしょうが)。
 反米主義者でないつもりですが、正義の国、民主国家アメリカには別の汚い側面があるんだなあということをおもい知りました。

 目下アメリカが目論んでいるメール内容のような精度の高い大量殺戮が実行されても、あの日本・大阪・京橋の8月14日の空爆と同様、多分忘れ去られていくのでしょう。

 「人間の盾作戦」は実際にバクダッド入り出来るのでしょうか?新聞には報道されていないようです。(毎日新聞しか読んでませんが)

 取り急ぎ S.K 03.01.31(金)

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再転送してください。

米国の対イラク攻撃戦闘計画 ミサイル3〜400 発/日×2



 以下の記事は、本日、国会で福島瑞穂議員が質問のなかで使用することになっています。大変な内容です。転載転送歓迎します。

イラクは米国の大量のミサイル投下に直面する
(「CBSニュース」ワシントン、2003年1月24日 http://www.cbsnews.com/stories/2003/01/24/eveningnews/main537928.shtml

 それは「Aデー」と呼ばれている。サダムの兵士たちを戦闘不能にする、あるいは戦意喪失させるに十分な壊滅的打撃をイラクに与える空爆を行うから、airstrikesの頭文字を取ったのだ。
 ペンタゴンが現在の戦争計画を守るなら、3月のある日、空軍と海軍がイラク国内の標的めがけて300〜400発の巡航ミサイルを打ち込むことになる。CBSニュースのデビッド・マーティン特派員の報告によれば、これは、第一次湾岸戦争の全期間40日に投入された数を上回る。
 そして二日目、またもや300〜400発の巡行ミサイルを打ち込むことに、ペンタゴンの計画ではなっている。
「バグダッドに安全な場所はなくなる」と、この計画の説明を受けたペンタゴンのある役人は語った。
「このような規模の攻撃は前代未聞だし、今までに考えられたことすらない」と、彼は言う。
 この戦闘計画は、国立防衛大学で開発された「驚きと畏怖」というコンセプトに基づいている。それは、ミサイルの力による物理的破壊でなく敵の戦意を破壊する心理的効果を主眼としたものである。
「彼らが戦闘をやめてしまうことを我々はねらっている。彼らが戦わないことをだ」と、「驚きと畏怖」の立案者の一人、ハーラン・ウルマンは、言う。
 このコンセプトは、高精度誘導兵器を多用するのが特徴だ。
「そうすれば、効果は何日、何週間もたって現れるのでなく、すぐに現れ、広島での核兵器にかなり近いものだ」とウルマンは言う。
 第一次湾岸戦争では、兵器のうちピンポイントの精度で誘導されるものは10%だった。今度の戦争ではそれが80%になるという。
 空軍は、通常の精度のひくい爆弾を、衛星で誘導される爆弾に変えるため、こうした誘導キットを6000個、ペルシャ湾に蓄えている。そんな兵器は、第一次湾岸戦争のときには存在しなかった。
「バグダッドにいる将軍の指揮下の30師団が突然消されてしまうのだ。都市も破壊される。つまり、彼らから権力と水を奪うことができるのだ。2日か3日か4、5日で、彼らは、物理的にも情緒的にも心理的にも力尽きてしまう」と、ウルマンはマーティンに語った。
 前回のときは、米国は機甲部隊をクウェートに送り込み、第二次大戦以来最大の戦車戦で、イラクの共和国防衛軍の精鋭師団を圧倒した。このときの標的は、イラク陸軍ではなく、イラク指導部だったのであり、戦闘計画は、可能な場合はイラクの師団を回避するように考案されていた。
「驚きと畏怖」作戦が奏効すれば、地上戦は行われないだろう。
 ブッシュ政権の誰もがこの作戦が成功すると思っているわけではない。ある高官はこれを「馬鹿げたことの寄せ集め」と呼んだが、戦争計画が そこのコンセプトにもとづいて立てられていることは認めた。
 昨年のアフガニスタンにおけるアナコンダ作戦で、アルカイダが進んで死ぬまで戦ったのは、アメリカにとって予想外のことだった。イラク戦争でアメリカは、増援部隊を投入して、古いやり方で戦わなければ、共和国防衛軍に勝つことは出来ないかもしれず、それはアメリカとイラクの双方の犠牲がいっそう多くなることを意味する。(訳 萩谷 良)

(★原文の英文は割愛しました。/編集部)


■編集後記■
★池澤夏樹さんの新刊『イラクの小さな橋を渡って』を読んだ。写真家・本橋 さんのカラー写真が扉に数葉、あとは本文中にモノカラーの写真が数頁おきに あり、文章と相まってイラクの人々や町の様子を伝えてくれる。子供達の目は 輝いて笑顔はステキだが、裸足の子供が多いのは経済制裁のせいだろうか。 2001年、国連はこの経済制裁によるイラクの死者数を150万人と推定し、この うち62万人が5歳以下の子供だったと報告している(p30)。
★池澤さんの動機は明解だ。「イラクのことを考えて。もし戦争になった時 に、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった。メディアがそ れを伝えないのであれば自分で行って見てこようと思った。」(p23)この発 想は、P・ハントケ『空爆下のユーゴスラビアで―涙の下から問いかける―』 同学社、2001年)に通じる。統計数字で知る世界とは違って生身で感じる共生 感が、この二著にはよく現れている。(黒猫房主)




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