『カルチャー・レヴュー』26号

■創  作■


小説「月に昇る」のための習作1

足立和政



 外気は零下だろう。それでも壁一枚隔てた部屋で汗をかいてオレは布団をはね除けた。寝巻き代わりのTシャツがべっとりと肌に張り付いている。髪も汗に濡れ、額にへばり付いている。手の甲がワックスを塗ったかのようにてらてらと光っている。ペニスも濡れた陰毛の中にだらんと垂れ下がり、饐えた臭いが鼻を突く気がする。時計に目を遣ると、午前四時。冬の夜は深く長く、窓には墨に墨を幾重にも重ねた羊羹の切り口のような漆黒が映っている。部屋の中には煌々と明かりがさ明かりが灯されてれている。部屋を明るくしておかないと眠れなくなったのはいつからだろう、と言葉が浮かんだが、すぐにどこかに消えてしまった。ここ十日間ほど休んでいる仕事の夢を見ていたような気がする。くるくる回り続ける輪転機に巻き込まれ自分自身が印刷されてしまう夢だ。否、それだけではない、と頭の奥に別のイメージが浮かんでくる。ああ、また龍三の夢を見ていたのだ。久しく見なかったのにこのところ三日ほど続いているな、と思ったとたん胴震いする寒気が襲った。
 初めから龍三はマンションのベランダに段ボールで部屋を拵えて、そこに住まわってい た。これまでその部屋を出たことがない。どうしてマンションと分かるのか、ベランダと分かるのか、分からない。そしてなぜ龍三がそんな所にいるのかも。二日前の龍三は部屋の中で、ガラスのカップを振りながらそれを眺めていた。ワンカップのお酒の容器のようなものだ。中には何か液体が満たされているが、酒ではないようだ。龍三はそれを飲もうとはしなかったし、蓋すら開けようとはしなかった。ただ振ったり、渦を起こしたりて、その波の揺れをじっと観察していたのだった。中学生のときに行った化学実験のフラスコの中の溶液を見つめるかのように。
 昨夜の龍三は、そのカップを段ボールで作った机の上に置いて蛍光灯の光を当て続けていた。一昨日よりその液体は濁っている。光の中、チンダル現象で細かな粒子が上下しているのが見て取れる。そのとき、龍三がカップくるっと回して渦を作った。粒子は銀河のように尾をひいて回転し、きらりと光った。  今日の龍三はどうだったのかよく思いだせない。初めて龍三の言葉を聞いたような気もするが意味は不明だ。それも仕方がない夢の話なのだから。ただ「う」という音が頭の隅に残り、鉛のように重たかった。
 オレは着替えて外に出かける準備をした。自虐的な仕事の夢の分析や龍三のことを思い出していると、時計は五時になろうとしていた。駅前の酒の自販機が営業を開始する時間だ。マフラーを首にぐるぐると象アザラシのように巻き付け、スニーカーを突っかけ、零下の明け切らぬ夜へ身を溶け込ませた。塗装工事中で古ぼけたマンションを養生している保護シートが風に吹かれてぶるぶると身震いをしている。建築用の足場が凍てつく空を幾何学模様に区割りしている。帽子を忘れたことを後悔した。汗で濡れた髪が凍りそうだ。髪が鋭いメスとなって耳を切り落としそうだ。街灯の極端に少ないマンションの裏道を行った。遠くの明かりは霧で濡れ、その下には枯れ枝が横たわっている。ぺきっぺきっという音が歩調に合わせて聞こえてくる。足下には何が横たわっているのかよく見えない。指の骨かもしれないな、と思ってみたりもした。
 がたりとカップの転げ出る音がした。擦り手止めて取り出すと、燗酒のはずのガラス容器は冷たかった。一気に飲み干して、二本目を買う。今度はひと口含みゆっくりと嚥下した。頭のどこが麻痺するのか、この一分間少々の行為で寒さは何処かに霧散する。今ごろ街灯の回りに漂っていた陰気な霧も消えているに違いない。帰り道のための一瓶、部屋で飲むための一瓶をポケットに突っ込み自販機にさよならをした。これで夢はともかく、ひどい寝汗はかかずに済むはずだった。
 連続飲酒が始まり三日間不眠不休で酒を飲んだ。そして倒れた。粥をすすり、一日中ベッドに横たわっている。トイレで用をたすといっても、水のような便しかでなかった。そんな体力しかないのだが、一つの例外があった。酒が飲みたくなると自販機まで歩いて行 くことができた。夢とも現とも知れぬ日々が続き、そして三日前から龍三の夢が再来した のだった。
 次の夜、龍三は段ボールの部屋から外に出た。初めてのことだった。ベランダの外側に足場が組まれ、マンション自体が養生されている。どこかで見た風景だった。龍三の足下はさながら資材置き場のようだ。月の光が無機的なイントレの束を浮かび上がらせている。龍三は、その鋼鉄の山の頂上にワンカップを倒れないようにそっと置いた。カップの中には嵐が吹いていた。その液体は逆巻き大波を作り出している。中心部には渦潮が見える。月の光がその不思議な光景を一層幻想的なものに仕立てている。カップの中は海そのものだった。龍三は鶏に餌を与えるような格好でしゃがみ、そしてカップの中の海を見据えていた。月の光の粒子が海に降り注ぐ。
 会社から電話があり、容態といつから出勤できるのかを問われた。容態とか出勤とか言われても返事するすべはなかった。立ち上がったついでに着替え、外に出た。駅前は買い物目的の主婦でいっぱいだ。脇道にそれて、傾いて潰れそうな軒の酒屋に入った。小売り値で昼間から酒を飲ませてくれる。三メートルほどのカウンターが申し訳程度に備え付けられていて、奥の棚には缶詰めがピラミッド状に積み上げられている。いつものしわくちゃ婆さんが一人ストーブにあたっていた。ワンカップが石油缶を下から十センチ程度の高さで切った容器に並べられ、湯で燗されている。自分で蓋を開けて飲む。婆さんは下を向いたまま、こちらを見ようともしない。三本飲み干し、金を払おうとすると、婆さんが
「龍三さん、もう帰りなさるか」
とぼそっと呟いたような気がした。
いよいよ幻聴まで出てきたか。
表の自販機で冷や酒をひとカップ買って家に向かった。そして、あろうことか、オレはその酒を飲むことができなかったのだ。
 その夜、龍三はカップをまたイントレに置き、なにかぶつぶつと祈りのような言葉を囁いていた。月は明日満月を迎えようとしていた。海となった溶液は今夜凪いでいる。鏡のような水面だ。龍三が呟く。鏡面が震えた。龍三が話しかける。海が鳴き始める。龍三が見つめ続ける。海に同心円の輪が広がる。それは生命の誕生だった。単細胞の原生生物が、円の中心で身を踊らせていた。
 今日のオレは昨日買ってきたカップ酒の蓋も開けず、ふるふると揺すってみては、その不思議なものとなってしまった液体を見つめ続けていた。自らが振り続けることで手の震えを消していたのかもしれなかったが。離脱症状の脂汗が額から、脇から、股間から滲み出していた。この液体から生命が生まれるのか。龍三の夢が頭を支配していた。カップを激しく揺らす。ぐるぐると回転させ渦を作ってみる。ふと思い当たることがあった。オレは駅前のスーパーへ行き、段ボールを抱え込んで帰ってきた。オレのベランダに人ひとり住むスペースを造りだすまでには、スーパーとマンションを十何往復しなければならなかったが厭わなかった。かくしてオレの段ボール部屋暮らしが始まった。それから、ぷつりと龍三は夢に現われなくなった。
 眠っているとき以外は、カップを振り続けた。龍三の取った行動を思い出し、蛍光灯に当てたり、夜中資材置き場からイントレをくすねてきたりもした。取り憑かれた。泥酔で食事ができないのではなく、ひたすらカップの中に海が出現するのを焦がれて、食事を忘れた。体は痩せこけ、眼孔は窪み、眼だけが異様にぎらぎらと輝いていた。そこに一人で何やら呪文のようなものをぼつっぼつっと呟いている自分がいた。そして、ひたすら満月 を待っていた。
 半月ほど経つと、自分の五感が冴えている、否、正常に戻っているのに気づいた。常に感じていた手の痺れが取れ、宙に浮いたように発せられていた言葉も、舌に根付いているかのようだった。脂汗も手の震動もなかった。カップを振り始めてから、海を待ちわびてから、命の出現を願ってから、それ以来、酒を口にしていないことに気づいた。その夜、龍三が現れた。
 その夜の龍三も段ボールの部屋の外にいた。足をやや開いて立ちすくんでいる。首を垂れ、揺れるワンカップの中の海を見ている。生命が進化したのかどうかはこの位置からでは見えない。否、生きているのか死んでいるのかも分からぬ話だ。龍三は手を揺らし続け、海は混沌の輝きを見せる。
手が動いた。龍三はカップの蓋を開けた。足が動いた。龍三はベランダの柵を乗り越え、 足場を昇り始めた。確実だが足取りは早い。片手に海を持ち、一方でイントレの取っ手を握り締める。空には満月が輝いている。月の光子の中で龍三が揺れ、カップの海が揺れ、海の中の生命が揺れる。もうあんなに昇ってしまった。オレ小さな小さな野生に戻された手長ザルのように見えるのだが、脳裏にはその握り締めた指の先にあるものが大きく映しだされている。海はカップの外へこぼれようとしている。ああ、海が夜空に溢れ、龍三が月に昇ってしまうと思ったとき、オレは足場のてっぺんに立っていた。

■プロフィール■
(あだち・かずまさ)1955年京都生まれ。現在、大阪寝屋川市在住。編集・執筆業を生業としていたが、アルコール依存症にかかる。現在、リハビリ、アルバイト、小説を書いて日々を過ごす。




■アンケート回答■


「一読多読」       


編集部



Q:いわゆる「良書」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた本や想い出深い本など、あなたのお薦めの本、印象深い本三点を挙げてください。
A:書名・執筆者・発行所名・その本についての簡単なコメント(コメントは無くても可です)。(掲載は、入稿順です。)

■真島正臣
1 『アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法』バリー・R・ルービン、日本評論社
 市民の意見を反映させられる政治参加は可能か?――問題解決型の実践論が提示されている。
2 『敗北を抱きしめて(上・下)』ジョン・ダワー、岩波書店
 小泉構造改革には、日本の将来へのビジョンがないといわれる。心情を共有できた時代の日本人を再考する上で、戦後の歴史から学べるあれこれがいきいきと描かれている。
3 『マイクロビジネス―すべては個人の情熱から始まる』加藤敏春、講談社
 リストラに逢い独立を検討している人なら読んで元気がでる。コミュニティ・ビジネスなどの小さな起業を奨励する本である。簡便で読みやすい。講談社+α新書のシリーズに入っている。加藤氏の翻訳本『市民起業家』日本経済評論社、参照。

■yamabiko
1 『現代の古典解析』森毅、現代数学社
 解析学と代数学を接続した。
2 『歴史の進歩とは何か』市井三郎、岩波書店
 人間とはなにか、を問うた。
3 『構造主義生物学とは何か』池田清彦、海鳴社
 科学とはなにか、を問うた。

■黒崎宣博
1 『文化のフェティシズム』丸山圭三郎、勁草書房
 1989年。私はこの本を読んだのがきかっけで、読書、研究の世界に足を踏み入れてしまった(決定的な影響を受けた)。
2 『ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源』マーヴィン・ハリス、早川書房
 歴史と社会についての新しい視点を獲得できる。全面的に正しいか否かは別にして、一人でも多くの人に読んでいただきたい本である(印象深い。お薦め)。
3 『ビーグル号の3人―艦長とダーウィンと地の果ての少年』リチャード・L・マークス、白揚社
 宗教と科学、未開と文明が交錯する数奇な物語(印象深い。お薦め)。

■鵜飼雅則
1 『中野重治詩集』中野重治、岩波文庫他
2 『潮風の町』松下竜一、筑摩書房、講談社文庫
3 『石田波郷全集』石田波郷、富士見書房

■S・H
1 『共同幻想論』吉本隆明、角川文庫他
 現実の捉え方を示唆してくれた。
2 『かもめのジョナサン』リチャード・バッグ
 夢と勇気を与えてくれた。
3 『パン屋再襲撃』村上春樹
 戯曲なのか小説なのかボーダーレスな空想小説。

■國岡克知子
1 『心のおもむくままに』スザンナ・タマーロ、草思社
 めずらしく二回も熟読してしまった本。いろいろ考えさせられた。ベストセラーとはどうやって作られるものなのかを研究しようとして 読んでいるうちに、すっかりこの本の世界にはまった。
2 『整体入門』野口晴哉、ちくま文庫
 体癖という著者の考え方が以前から気になっていた。おもしろい。
3 『さらば、わが青春の少年ジャンプ』西村繁男、幻冬社文庫
 編集者の原点を知りたい人には絶対おすすめ。熱く爽やかな読後感。本宮ひろ志の『天然まんが家』もあわせて読むと面白さが倍増する。

■岩田憲明
1 『精神指導の規則』デカルト、岩波文庫
 学問の用不用を教えてくれる本。特に、経済学者にとって必読。
2 『道徳形而上学原論』カント、岩波文庫
 自己の内に聖なる他者がいることを示唆してくれる本。
3 『多賀墨卿にこたふる書』三浦梅園、『三浦梅園自然哲学論集』、『三浦梅園集』、共に岩波文庫
 根源を問い続ける哲学の現場が見えてくる本。

■ひるます
1 『意味と生命』栗本慎一郎、青土社
 ほとんどそう考える人はいないと思うが、現代においてもっとも重要な哲学書。これを前にすれば、ほとんどの哲学・思想は文献を前に悩んだ振りをしているだけに等しい。マイケル・ポランニーの暗黙知理論を栗本が継承し、現代に通用するフォームに練り上げた思考。それをさらに継承したのが『オムレット』(我田引水)。
2 『文脈病』斎藤環、青土社
 『オムレット』を作成する上で、決定的なコンセプトとなった「コトの創造」という着想をこの本から得た。モノの構造における部分と全体という発想にとどまる暗黙知理論を「コトのリアリティ」という観点によってブレイクスルーしたと、今にして言える。
3 『プラトン入門』竹田青嗣、ちくま新書
 「La Vue」掲載の『伊丹堂対話シリーズ」など、『オムレット』以降の倫理・正義・美などについての論考を書く上で手がかりとなった本。いわゆる「真・善・美」を実体ではなく価値のヨリドコロとして捉える発想は重要。ただし倫理をめぐる考え方では竹田の「欲望の現象学」にはいろいろ問題はある。

■中塚則男
1 『〈私〉のメタフィジックス』永井均、勁草書房
2 『脳とクオリア』茂木健一郎、日経サイエンス社
3 『〈私〉という演算』保坂和志、新書館

■野原 燐
1 『無限と連続』遠山啓、岩波新書
 数学はかっこいいものだ、ということを教えてくれた。
2 『吉本隆明全著作集13巻 政治思想評論集』吉本隆明、勁草書房
 1970年の夏私たちの高校では高校紛争があった。その直後に読んだので余計思い出深い。
番外 「大東亜戦争の総括・東アジア人に〈成る〉」というテーマに関わって、二つの長大なシリーズ本を読みたいと思っています。皆さんもよかったら一緒に読みませんか?
☆『ある無能兵士の軌跡(全9巻)』彦坂 諦
 1部「ひとはどのようにして兵となるか(上・下)」創樹社
 2部「兵はどのようにして殺されるか(上・下)」創樹社
 2部別冊年表「兵はどのようにして殺されるか」創樹社
 2部別巻「蛾島1984=1942」創樹社
 3部「ひとはどのようにして生きのびるのか(上・下)」柘植書房新社
 最終巻「総年表 ある無能兵士の軌跡」柘植書房新社
☆『火山島(全7巻)』、金石範、文藝春秋
 上下段びっしり詰まっているので読み応えがある。一巻だけ読んだが、かなり面白い、と思う。

■高橋秀明
1 『比較転向論序説』磯田光一、勁草書房
 高校生のときに学校図書室で偶然手にして、「文学」というものに開眼させられたような気がしました。曰く。「純粋客観としての存在の世界を二次的なものとし、主体との関わりにおいて意識された存在に真のリアリティを認めるのは、あらゆる観念論の(あるいはロマン主義の)基本原理である。しかし、それが近代的な実在論の観点から見てどれほど不合理にみえようとも、やはりそれは人間の根源的な生き方に深くつながっているのである。人は科学の進んだ今日においても死者の墓を建てることをやめはしない。死者がすでに非存在である限り、死者への礼拝は明らかに架空のものへの礼拝であり、それは非合理的な所業であるというほかはない。と同時に、それは人間が生きる上にいかに架空の原理を必要とするかを鮮やかに物語っているのである。二十一世紀の人類は、死者の肉体を肥料に使う最も合理的な態度を身につけうるかもしれぬ。しかし、今日、私たちは「墓」の人間的なリアリティを否定することができるであろうか。」―「序論・問題と視点」の中の一節ですが、この一節が、トラウマのように心中に刻み込まれたためか、今も、「ロマン主義」を蔑称のごとくに用いる思想の言辞にはあらかじめ不信感を抱いてしまう僻見からどうしても自由になれないままでいます。
2 『吉本隆明全著作集』吉本隆明、勁草書房
 大学生のときは、吉本隆明全著作集ばかりを繰り返し読みました。一番最初に読んで目からウロコが落ちたのは、「文学と政治」という問題のはざまで「想像力」というものをどう理解して良いのか途方に暮れていた折りに、「文学論T」の中の「想像力派の批判」を読んだときです。概念とも感覚とも違うイメージの構成力を想像力と呼ぶべきだと書かれている箇所で、目からウロコが落ちたと思いました。曰く。「存在が意識されたものだとすれば、イメージは仮構の存在についての意識であるか、存在しないものについての意識であるほかはない。しかし前者はいわば仮構力とよぶべきものであり、後者はまず存在しないものについてのイメージはおこりえないことからそれ自体背理にほかならない。わたしのかんがえでは、想像力はたんにサルトルのいうように非実在物を存在するかのようにかんがえうる力ではなく(それは空想力または仮構力である)、じぶんの意識にとって矛盾であるとかんがえうる意識の能力をさしている。【中略】想像力は不変ではなく、(不変なのは意識の仮構力だ)もしも社会的疎外がなくなったとすれば、対象の人間化という意識活動のなかに消滅するか、あるいは、まったくちがった意識の綜合作用としてのこるほかはないのである。」
3 『わが驟雨・永島卓詩集』永島 卓、永井出版企画
 社会人になって、学生時代から好きだったこの詩人の詩集を、万引きなどではなく、ちゃんと買うことができるようになりました。「かわらぬ意識の土地で立つ/幻の土器を追う鼬橋を/かならず渡りきる」という一節ではじまる「鼬橋」の詩編をはじめとするこの詩集にどれだけ鼓舞されたかわかりません。詩篇の続きは以下のとおり。「硬い驟雨で洗いきれぬ/日常への重い惨劇を/沈黙しつづける出崎で/一途に迎えながら/影の終着駅で凍結するのだ/死魚たちの群れが/夜の膨らむ川から這いあがってくる/鼬橋が組む坂の論理を/一斉に解体しようとすれば/坂をこえる位置からも/逃れることができぬ/散乱した土器の迷路で/青い亡姉が空を包みながら/風景の皮膚へ触れると/軒並みひしめく家系たちが/声もなく悲鳴をあげて/ふるさとを焦がすのだ」

■松本康治
1 『風車小屋だより』ドーデ、岩波文庫
 ワケわからないなりにも陶酔した若き日々。
2 『自転車野郎世界を行く』浜村紀道、秋元文庫
 コテコテの青春冒険ロマンに憧れた若き日々。
3 『シュマリ』手塚治虫、講談社
 手塚マンガとしての完成度はイマイチだがなぜかひかれた。 番外 ああ、ほかにも挙げたいなあ。『高熱随道』吉村昭、新潮文庫とか、『八甲田山死の彷徨』新田次郎、新潮文庫とか……。そう考えると、この3点がベストスリーっていうわけじゃ決してないんですが。

■中津雅夫
1 『大菩薩峠』中里介山、角川文庫
 たしか二十九巻だったと思う。高校生のときはやたら大長編ばかり読んでいた。これ以外は白井喬二『富士に立つ影』、直木三十五『南国太平記』、吉川英治『三国志』『宮本武蔵』など。ついでに長編というそれだけの理由で島崎藤村『夜明け前』も。読む時間は主に汽車+電車の通学途上。母親から「T君はいつも豆単の暗記や数学の問題を解いているのに…」と落ちこぼれ宣言。まさに人生を決められてしまった本といえる。
2 「鼬の道」(『本所しぐれ町物語』所収)藤沢周平、新潮文庫
 1974年に続いて1998年(56歳)に二度目の心臓手術のため入院。一時間あるいはひょっとして十分後にはぽっくりと逝くかも知れない、とにかく生きているうちに物語は終わって欲しい、そう思うと短編しか読む気がなくなった。藤沢周平の小説はほとんど読んでいたが、短編は避けていた。鼬は同じ道を二度と通らぬところから「鼬の道切り」という。お見舞いに来ていただいた人と別れるさい、常にこの言葉を思い浮かべ、これで二度と会えぬかも…ともういちど振り返るのであった。
3 『透谷全集全三巻』勝本清一郎編纂・校訂・解題、岩波書店
 私にとって、生涯をかけて真向かうべきひとと思想。

■上倉庸敬
1 『奇譚クラブ』(雑誌)、暁書房
 性が五十歳をこえても生の大きな問題になっているだろうとは、子どものわたくしに予想できたはずもありませんでした。
2 『春夫詩鈔』佐藤春夫、岩波文庫
 詩の、というよりむしろ一般に悦楽というものをおぼえた始めです。
3 『砂漠の隠者 シャルル・ド・フコーの生涯』
 著者も、訳者も、出版社もおぼえていません。二十世紀になってから亡なくなったフランス人カトリック修道士の伝記です。内容はほとんど忘れましたが、人間にはあるべき姿があるということを示された感動はいまも鮮明です。

■F
1 『デミアン』ヘルマン・ヘッセ、岩波文庫
 これを読んで、万年学級委員長から不良少女に。
2 『歴史について〜小林秀雄対談集』小林秀雄、文春文庫
 表題の江藤淳との対談における発言。「宣長の間違いを正したら宣長ではなくなってしまう。宣長は大へん偉かったから間違った、そういうふうに見ればいいんだ。じゃ、どう偉かったから、ああなったのか、ということが僕にうまく書ければ、あの人は間違わなかったことになるんだ。それが生きた歴史だ。」に深く感銘。以来ヒデオイヤンに。
3 『なぜ書きつづけてきたか、なぜ沈黙しつづけてきたか』金石範・金時鐘、平凡社
 在日を相対化して考えられるようになった一冊。

■山口秀也
1 『バイトくん(全3巻)』いしいひさいち、プレイガイドジャーナル社  中学時代「プガジャ」で知り、腹が捩れるほど笑った。でも、いまこれほど笑えないのはなぜだろう。
2 『ラビリンス』ひさうちみちお、ブロンズ社
 これも中学時代。「ジュネ」が懐かしい著者初の単行本。クノップフなどの幻想絵画やコクトーに興味を持つきっかけになった。
3 『地球の午後3時』さべあのま、サンコミックス
 彼女のすべてがつまっている単行本。ペンネームの由来はなんだったろう。
 あとは、くらもちふさこ、さいとうたかお、いしかわじゅん、いがらしゆみこ、ちばあきお、ちばてつや、おおやちき、たがみよしひさ、わたせせいぞうあたりでしょうか。はらたいら、やなせたかし、さくらももこはあまり好きくありません。かとうれいこ、は漫画は描きません。

■山田利行
1 『携帯市民六法』 責任編集・渡辺洋三 編集委員・小川政亮 等、実業之日本社、1976年
 市民運動に役立つと思われるものを収録した法律全書。絶版。こういうものを、もう一度刊行して欲しいという願いをこめて選。
2 『市民の暦』小田実・鶴見俊輔・吉川勇一編、朝日新聞社
 いわゆる365日事典。きょうは何の日かのテーマは、市民の視点から選ばれていた。現代史を学ぶには好著だった。絶版。これも誰か編集してくれないかなあ。
3 月刊誌『未来』未来社(発行) ただし、西谷能雄が社長をしていたときで編集長が松本昌次だった全号
 1970のある時期、この小冊子を知り、バックナンバーを全部取り寄せた。一、二冊欠けた程度で、ほとんどを入手(数十冊)。松本昌次執筆による編集後記を全部読んだ、たぶん。これを読んでいなかったら、ヒントブックスを興さなかったかもしれない。

■山田輝子
1 『冬物語』南木佳士、文藝春秋
 ヒントブックスは無店舗書店です。えっ? 無店舗。そうなんですよ。いわゆる店がないんですよ。店がぁ? だから、自慢じゃないが、万引きは一度もされたことがありません。立ち読みもできません。レジなんかもないんですよ。お客さんに「カバーはどうなさいます?」と訊ねたことが一回もないんです。まあ、「店番」という役割がないんです。
 私の楽しみは、お客さんが注文した本が入荷したとき。重いダンボール箱を開けるとき、きょうも何か発見できそうな……。
 表紙やタイトルはそれほど惹かれなかったけれど、ちょっと開いてみた『冬物語』。書き出し一行目に「不定愁訴」の文字があって、ドキッ!
 そのまま読み進む。「めまい、のぼせ、ふらつき、いらいら、頭重感、……。」「三年前、医者になって十五年目、三十九歳の秋に痛烈なしっぺ返しを受けた。ある朝、病棟の回診に出かけようとしたら、不定愁訴が束になって襲いかかってきた。動悸、めまい、不整脈、冷や汗……。」「病名は恐慌性障害(パニック・ディスオーダー)。うつ病によく似た心の病であった。」
 著者の南木佳士は心の病とつきあいながら、人間の、むきだしの弱さから目をそむけなることなく、淡々と人生の切なさ、悲しみ、喜びを繊細な気持ちで綴っている。体力に余裕のある若い人には、この本に書かれてあることは理解できないかもしれない。でも五十五歳になった私の心情にはぴったりだ。
2 『転がる香港に苔は生えない』星野博美、 情報センター出版局
 私は忙しい毎日を送っている。そう他人(ひと)に言うと、決まって不思議そうな顔をされる。想像力の欠如である。どんなに忙しい毎日を私が送っているか、想像できないのである。
 私は朝五時に起きる。それから明石公園まで自転車に乗り、公園の入口に自転車を置き、散歩する。夕方にも体力が残っていれば、もう一度散歩に行きたい。これは願望である。
 私は夜十一時には眠る。そのようにして六時間睡眠を保っている。私のライフスタイル(生活習慣)のうち、睡眠に関しては守られている。  さて、昼間はヒントブックスの仕事をしている。昼寝をしているのではと想像してはいけない。想像力はほどほどでなくてはならない。仕事熱心なあまり、本を読む時間がほとんど取れない。悲しい。だから私は「あとがき」や「まえがき」を短時間で読む。中は、ちょろちょろと読む。これを繰り返す。だからどの本にどんなことが書いてあったか、こんがらがって思い出すのに苦労する。単なる加齢による記憶力低下現象かもしれない。
 そう、私は、パラパラ読派である。ノンフィクションが好きで、星野博美が好き。『転がる香港には苔は生えない』は分厚い本で、なかなか読み切れない。例のごとく、「あとがき」を読む。「世界に香港があってよかった。私にはあの街が必要だった」「たまらなくあの雑踏の中に戻りたくなる」星野にとって、香港は刺激的だった。私にとって「あとがき」は刺激的だった。
3 『笑う敬語術 オトナ社会のことばのしくみ』関根健一、勁草書房
 最近ちょっと気になる言葉「ご苦労さ
ま」。――ハンカチ片手に握りしめ、三者懇談とやらで中学校まで。先生と対面するや、「暑い中、ほんとうにご苦労様です」と、先生は“深々”とまではいかなんだが、軽く頭を下げてご挨拶。
 今年の夏はホンマニ暑かった。だから「暑い中」そこまではソノトオリ! でもねえ二十代のお若い先生に、五十代の年配者が「ご苦労さま」とねぎらわれても、ねー。
 中年太りになったといえどもその脂肪をかすかに上回る教養が、汗とともにじわーと出てくるではないですか! そもそも「ご苦労」というのは、上の者が下の者をねぎらうときに使われてきた言葉である、オッホン。そのことを年配者はよく知っている。時代劇なんかで殿様が、「うーん、ご苦労であった」とかなんとか言ってふんぞりかえっているシーンを見たことないかなあ。まあ、私が先生よりわかーく見られたんならウシシだけど……。
 人間関係に上下関係を持ち込むのはよしましょうよ。では、何と言えばいいのかな? 「お疲れさま」ぐらいでどうでしょう。と、まあここまで書いて、私の敬語に関する教養ソースは『笑う敬語術』であることをバラしておきましょう。
 著者の関根健一さんは「あとがき」で、敬語の「マニュアル本はあまた出ているけれど、うっとうしい文法論と辛気臭い精神論ばかり。ならば、文法用語は極力避け、理論的厳密さよりわかりやすさを、道徳と人生訓の代わりに冗談と与太話を、ということで出来上がったのが本書」とあるとおり、笑って読ませてもらいました。

■S・K
1 『第三の性』森崎和江、三一新書
2 『女遊び』上野千鶴子、学陽書房
 前二冊は “男”との関係に行き詰まっている “あなた”に、解決の扉を開く本。「第三の性」は一九六〇年代にはこの本しかなかった。その意味で、感謝を込めてリスト・アップ。『女遊び』は言わずと知れた上野千鶴子さんの本。さらに、理論として明確になってる部分はあっても、いまでも古くないよ。
3 『復讐の白き荒野』笠井潔、原書房
 笠井潔のカケルシリーズ以外の本格推理小説。笠井潔と島田荘司との対談『日本型悪平等起源論―「もの言わぬ民」の真相を推理する』のなかでもこの本について触れている。もと左翼の方にも右翼の方にもお勧めの本。二転三転とあっと驚くこと請け合い。結末を推理出来た方は日本の右翼、左翼問題に精通している方か? 笠井潔の推理小説の中で一押しの一冊。『バイバイ・エンジェル』をはじめとする“カケル”シリーズを読んだ方にも是非お勧めします。私は講談社版を読みました。

■村田豪
1 『仮面の告白』三島由紀夫、新潮文庫
 現実と観念の乖離をイロニーによって乗り越えるという三島的な文学意匠の、その動機がいわば語られているとみなせる初期傑作。感動的。
2 『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド、澁澤龍彦訳、河出文庫
 「自然」と「自由」の、折り合いのつきがたい二つの根源性に突き動かされる、性と哲学のオルギア。カントの第三アンチノミーの文学的解決!
3 『探究T』柄谷行人、講談社学術文庫
 それまでの形式化の問題を捨て、著者がウィトゲンシュタインの言語論にとりつかねばならなかったのはなぜか。『トランスクリティーク』が著された今だからこそ、その意味がようやく分かるのかもしれない。

■田中俊英
1 『ナイン・ストーリーズ』J・D・サリンジャー、新潮文庫
2 『レイモンド・カーヴァー集』、中央公論社
3 『差異と反復』ジル・ドゥルーズ、河出河出書房新社
 僕は現在三十八才。上記の本は順に、1「自殺」、2「コミュニケーション」、3「自我の崩壊」がテーマであり、それらに沿って確実に年を重ねてきました。

■黒猫房主
1 「日本のナショナリズム」(『吉本隆明全著作集 13巻』所収)吉本隆明、勁草書房
 大衆を敵にしない思想、そして徹底した反スターリズムである「自立思想」と「大衆の原像」の原点がここにある。同じく吉本隆明の「転向論」と併せて読むとよい。
2 「駈込み訴へ」(『晩年』所収)太宰治、新潮文庫
 「背信とは何か」を巡る否定神学? 13枚の銀貨で売ったユダだからこそ、いっそうイエスへの愛が深いか、あるいはエゴイズム。併せて遠藤周作の『沈黙』もお薦め。踏み絵を考案したのは、転向した信者だろうか。その踏み絵を受け入れるイエスの愛の深さはカソリック的(普遍的)か?
3 「セヴンティーン」(『大江健三郎全作品 3巻』所収)大江健三郎、新潮社  中学生の私に文学好きの理科教師が大江健三郎の存在を教えた。それで初めて読んだのが14歳の春、打ち震えた。分からないままに性と政治が一挙に押し寄せてきた。二度目に読んだのは1970年の17歳を迎えた年。その年に三島由紀夫が割腹自死した。そして二十歳前になって同書二部『政治少年死す』(事実上の発禁扱い)を入手して読む。ラストシーン、主人公が「純粋天皇」への恋情を焦がす至上の瞬間、その自死の描写が脳裏に焼き付いている。政治とエロティシズムの結託がよく表出されている初期傑作。ちなみに17歳時の大江健三郎は「掌上」という新制高校の文芸雑誌の編集後記に、17歳には17歳の文学があり得ると書いていた。

■MAO
1 『カニバリズム論』中野美代子、福武文庫
2 『ヒトはなぜヒトを食べたか(原題:食人族の王――文化の起源)』マーヴィン・ハリス、早川書房
3 『肉食という性の政治学』キャロル・J・アダムス、新宿書房
 小学校高学年の頃から陶酔を伴う死への憧れと恐怖にとりつかれる。「死んだらどうなる(される)のか」という妄想は死ねない自分にとってはある意味で逃げ道であったろう。死に関する書物、写真は世に溢れていた。戦車に轢かれてミンチになった青年。家族の死を惜しみ、焼いて食す民族。屠殺所で解体され、バケツにつっこまれた豚の内蔵に群がるハエ。ゴミ袋に入れられた堕胎児。昨日まで「牛:a cow」だった動物がある瞬間から「牛肉:beef」にモノ化される過程。中でも人肉食は私の心を魅きつける。禁忌とは、行われて止まない行動に設定されるからだ。起因が悲惨な飢えや政治的判断であろうと、敵意や愛情であろうと。





■アンケート募集中■


「映画多彩」

編集部



Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や 想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げてくだ さい。
A:映画名・監督・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くても 可です)。回答者名は、匿名も可です。

  ■「La Vue」14号と「カルチャー・レヴュー」にて掲載します。
  ■回答者には、掲載紙1部進呈します。
  ■回答締切:03/05/15
  ■回答形態:メール入稿
  ■回答送付先:るな工房/窓月書房 編集部
   〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
   TEL/FAX:06-6320-6426 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp


■編集後記■
★みずからのアルコール依存症体験をもとに書かれた小説といって、まっ先に頭にうかんだのは、中島らもの『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)である。ここでも、著者の体験に裏付けられた飲酒の描写がなかなかにすばらしいのだが、このなかに、医者に入院を言いわたされてから、「最後の一杯」であるワンカップを、自動販売機で買って飲むくだりがある。そこで主人公(ほとんど中島らも本人である)は、「これがとうとうこの世で最後の一杯なのか、と思うと、ついガラスの中の液体をながめてしまう。別に感傷的になったわけではない。「性悪女」の顔を、別れる前にもう一度拝んでおこう、といったところだ。」とつぶやく。ここでは酒は、いまいちどの邂逅を望むべき対象である。
★くらべて、本号収載の小説「月に昇る」の主人公のばあい、ガラスのなかの液体をながめることは、むしろ<祈り>にちかいものであるように感じられる。現実の世界から引き剥がされ、じぶんの創り出したフィクションの「龍三」にやがては同化するように、カップのなかに渦巻きをつくり、それをながめつづけている。わけても、カップのなかの渦巻きの映画的といえる描写すばらしい。月へ昇りつめていくという一方向へのベクトルは、あともどりを想定していない。その折り返しのないおもいが<神への祈り>のようにおもえたのだ。また、毎日くりかえされるカップのなかの渦をながめるという、倦むことなく繰りかえされる行為にも、祈りの一面をみた。まるで、アンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジア」にでてくる狂人が、水のないプールを、ろうそくをもってゆっくりゆっくりと往復する、厳粛な場面にも似た。
★足立氏にはかねてより、「アル中日記」とでもいうような、エッセイを依頼していた。ほとんどギブアップ状態であったところ、急に本稿が舞いこんできた。かねてよりの知り合いとすれば、書くことが彼の唯一のリハビリのようにかってに思いこんでいたのだが、この小編を読むと、足立氏にとっても、書くことが祈りに近いもののようになっていたように感じられた。というわけで、この作品については、とくに読者諸氏の感想を待つものである。(山口)




TOPへ / 前へ