アメリカの大学でポトラッチパ−ティ−というものがあった。各家庭で作った手料理を持ち寄って留学生を歓迎するものであった。このポトラッチ(註1)という言葉は、言うまでもなく先住民の儀式から持ってきた名称である。しかし、アメリカ北西部沿岸の先住民の文化の中でも、このポトラッチという行為ほど西欧の思考にインパクトを与えたものはないのではなかろうか。 ポトラッチについてはマルセル・モ−スの『贈与論』が最も有名な著作であることは周知の通りであるが(当然ながらデュルケ−ムやマリノフスキ−の研究も忘れてはならない)、バタイユそしてボ−ドリア−ル、さらにはデリダへと語られ続けて行くのである。なぜ、これほどの多くの言説が生まれて来たのだろうか。現実には、ポトラッチという行為は、植民地の政府によって抑圧の対象となってきたのであり、言わば理解しがたい行為として扱われた歴史を持っている。にもかかわらず(あるいは、であるが故に)、ポトラッチは、様々な解釈を生み続けるのである。つまりは、西欧社会の時代の知的関心事の変化につれて、姿を変えて捉えられ、語られていくのである。その意味からすれば、それぞれの人類学者の見解は、それぞれの立場による限界性を持っている。その限界性ゆえに、かれらは語るのだとも言えるだろう。彼らは、自己の文化との差異に出会ったのであり、ある種のとまどいと驚きが語らせるのであろう。したがって、こうした西欧の人類学者の言説を検討することは、西欧の思考が、どのようにこの行為を見てきたのか、そして逆に言えば、彼らは、そこで何を発見したのか、そして何を発見し得る思考を持っていたのかを知ることにもなるわけである。 たとえば『贈与論』という本が、今日どのようなキャッチフレ−ズによって売り出されているのかを見ることは、このことを考える場合に参考になるだろう。一つの解釈は、得ることより与えるという事が重要に見えるこの行為を、若干の無理があっても反対贈与とともに交換の原始的な形として考えることである。そして、同時この交換を、酒を酌み交わしたり、お祝いのプレゼントを贈るときのように、人間関係を維持するためのコミュニケ−ションの手段として捉え、そこに意味を見いだすものである。このような見方は確かにポトラッチという行為を身近なものとして理解することを容易にするものである。 しかし、モースの「贈与」や「全体的給付」の概念は、いわゆる経済的な交換とは別のものを、つまりはモースのある種の驚きを表現した概念であったと思う。これは従来の概念では説明できない問題に直面することで生み出された新しい概念であったと言えるのである。つまりモースにとって、この贈与とは近代的な経済の原型となるものではなかった。そればかりでなく、特定の対象への贈り物という性格のものでもなかったのである。モースは、贈与の持つ、いわゆる近代社会での経済的な交換や贈り物以外の特徴に注意を向けようとしたのである。 これに対してレヴィ=ストロースの理論は、記号の交換の理論である。モースがポトラッチのような行為をいわゆる交換の概念とは異なる別のものとして、つまり贈与という概念で説明しようとしたように、レヴィ=ストロースは、記号とういう概念を使って、贈与を含む人の行為を説明しようとした。これは逆に言えば、交換の概念を、記号という、より一般的な概念によって拡大してみせたことになる。この作業は、記号が一義的ではなく、多義的なものであるという考え方によって、また、記号は矛盾したもの表現することも可能であるという考え方によって可能となる。 だが何故記号はそのような機能を持つことができるのであろうか。レヴィ=ストロースは、神話の構造や婚姻の仕組みが、言語のような体系を持ち、それによって複雑なコミュニケーションの機能を持っていると考えたのである。しかし、これらの構造は意識されているわけではないので、当事者にはその全貌はわからない。言語を話す人が、言語の構造を意識して話しているわけではないのと同じである。だが彼によれば人類学者にはその構造が見えるのだ。いずれにせよ、重要なのは記号が体系と体系を接続することである。そう考えれば贈与という行為は、体系と体系との間の記号の交換として説明できるし、この意味での記号という概念によって、より幅広い対象についての説明を可能にする。つまり交換理論は、こうしてその守備範囲を拡大するのである。レヴィ=ストロースは、「交換」のイメージと言語学の理論から、記号と構造という概念をもたらしたのだと思う。それは『贈与論』のモチーフの拡大であるとも言えるが、全く性格の違うものである。 レヴィ=ストロースによって示される「一般交換」の概念は、マリノフスキーによって説明された「クラ」(註2)や、モースによって引用されたマリオ族の「タオンガ」(註3)ように、人から人へ、集団から集団へと送られる贈与物のイメージであり、それは記号の交換による集団間のコミュニケーションの理論の根拠となる概念として定義されているように思う。この場合、贈与物は記号であり、この記号こそが体系の連鎖を可能するのである。モースが直面したのと同様の問題、(非近代的という意味で)非経済的で非個人的な交換を、これらの概念によって、つまり記号によるシステムの連鎖によって説明したことになる。そして、これは社会集団の中での人々の他の行為を説明することのできる理論として一般化されるのである。トーテミズムもまた、自然界の系列と人間社会の系列との関係付けによって生まれたものとして説明されるのわけである。しかし、モースが、強調した破壊の意味について、レヴィ=ストロースはその行為の目的を「膨大な財産の証明」(仮面の道)であるとしているものの、あまり言及しようとしてはいないように思う。構造と記号の交換といった概念によるコミュニケーションの理論では、このことを説明するのが困難であったのかも知れない。 逆に、この破壊的な性格を積極的に取り上げたのは、周知の通りバタイユであった。バタイユの見方は、ポトラッチの特性を「交換」という点よりも、「破壊」という点から捉えている点で、注目すべきである。確かにポトラッチにおける銅板の破壊は、これまでもポトラッチの特徴ある行為として語られてきた。しかし、モースによってポトラッチのすべての形態に含まれるとされたこの「破壊」という行為は、バタイユによってこそ直視されたものだと言えるだろう。何故、破壊は贈与と同じ場面でなされる行為なのか。これはポトラッチにおける最も重要な点であると思う。しかも、バタイユはむしろ破壊の方に注目する。もし仮にレヴィ=ストロースの流儀で、これをコミュニケーションの観点から見ると、ポトラッチは、いわば無のコミュニケーションであり、無の交換であることになる。それでも関係性のなかで把握しようとすれば、その行為は、関係性の切断という記号であり、本来の記号の役割とは逆であろう。したがって、レヴィ=ストロースの思考が捉える交換の概念では説明されないものとなってしまうのである。 モースは「破壊」の目的は「贈与」であると言ったのであり、彼にとってそれは、経済的な交換でも、富の誇示でもない。それは、ボードリヤールが、おそらくはモースの中に発見した「価値の彼岸」を示すものであるかも知れない。そしてそれは、レヴィ=ストロースの解釈によって見えなくなっていたものであり、しかしモースには見えていたことなのである。(24号に続く) (註1)北アメリカ大陸北西沿岸地域の先住民の儀式。多くの財物や食べ物が招かれた客に贈られる他、銅版の破壊が行われ、時には主催者側の家屋に火が放たれた。 (註2)ニューギニア島の東海域にある島々での贈与のしくみ。マリノフスキーは、首飾りと腕輪がそれぞれ島々を逆方向に贈られ、回っていくとした。 (註3)モースが贈与論で言及したニュージーランドの先住民の贈り物。この贈り物は自分のものとして所有してはならず、必ず次の相手に贈らなければならない。そうしなけば、害があると信じられていた。 【参考文献】 マルセル・モース『社会学と人類学1』有地 享、伊藤昌司、山口俊夫訳 所収,弘文堂,1973.4 マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』寺田和夫・増田義郎訳『世界の名著59』,中央公論社,1972.8 レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳 みすず書房,1976.3 レヴィ=ストロース『仮面の道』山口昌男・渡辺守章訳,新潮社,1977.8 ジョルジュ・バタイユ「原初の真実」山本功訳『神秘/芸術/科学』,二見書房 ,1973.5 ジャン・ボードリヤール『象徴交換と死』今村仁司・塚原史訳,ちくま学芸文庫 ,1992.8 ■プロフィール■ (こはら・まさる)某短大で、コンピュータ・ネットワークのシステム管理を仕事にする傍ら、コンピュータのための(同時に人のための?)音楽の記述方法を思案中。また、NGO活動を経て、ジンバブエの教育関係者との支援のための共同研究に参加して(使われて)いる。 |
1.個人という呪縛 「日本のフロンティアは日本の中にある−自立と共治で築く新世紀」(2000年1月)を読んで笑ってしまった。これは、小渕元首相の委嘱による「21世紀日本の構想」懇談会の最終報告書であり、座長は河合隼雄氏だ。 この報告書では、まず総論において二つの変革の核心が提示される。 1)国民が国家と関わる方法とシステムを変えること。 2)市民社会における個と公の関係を再定義し、再構築すること。 何のことはない。国民ひとりひとりに意識の持ち方を変えろという、上から下への通告である。そして、本論の中では、この上から下の一方通行を否定している。この矛盾に気づかなかったとすれば、とても不思議である。 この報告書はまず「個」に対する形容詞のパレードではじまる。<自由で自立した責任感のある個、個の確立、たくましくてしなやかな個、寛容な個、創造的で活力のある個、等々>何と総論にあたる第1章だけで、個人が52回、個が33回、個々人が4回、計89回も使われている。 それでいながら、述べられていることは個に対する形容だけであり、個あるいは個人(いずれもindividualを訳すための造語。元来の日本語ではない)とは何か、という基本的な問題に対する記述がない。そんなことは義務教育で教えているのであり常識だ、とでもいうのだろうか。 これでは、明治以来のインテリ達の「個を確立していない日本の大衆に対する嘆き」を繰り返しているだけだ。そこにあるのは、個人と社会をデモクラシー(多数者支配)の視点から捉えた単純な図式であり、俗にいう近代的自我だろう。自己概念など文化的、伝統的なものだというのに。 さて、個人の歴史をめぐってはいろいろな説、いろいろな見方があり、とてもウンベルト・エーコの流儀で論文を書けるようなテーマではない。参考文献だけで、1冊の本でも足りなくなるからだ。 そもそもギリシャには個人主義があった。いや、個人主義はキリスト教の伝統なのだ。いやいや、個人の誕生は12世紀であり個人は都市とともに生まれたのだ。(阿部謹也氏)とんでもない、デカルト(1956-1650)の方法序説によって近代のいわゆる個人概念が形成されたというのが常識だ。真の意味で個人が理解されたのはフロイト(1895-1982)ですよ。等々となって議論は尽きない。 本稿では、個人概念を整理する意味から、近代的自我の構造と現在を概観する。さらに、現在のポスト・モダン的な、あるいは精神分析的な、自己について省察する。本稿が、読者諸賢の自己概念を揺さぶるヒントとなるならば、これに優る喜びはない。 2.近代的自我の終焉 自我(エゴ)とは、自己から前意識を除いた心理学用語であり、現在の意味での自我の起源はフロイトに求められる。しかし、自我は脳の一領域として存在しているわけでもなく、説明に便利な仮説にすぎない。 日本語でも、一般には自我、自己、個人、はほぼ同義で使われているのであり、学者でないのであれば、特に気にとめる必要はないだろう。 さて、近代的自我は二つの観点から説明できるだろう。 一つは政治思想的な観点からの説明だ。ホッブズ(1585-1679)の「リヴァイアサン」から、ルソー(1712-1778)の「社会契約論」で完成をみる自然法に立脚した社会契約思想を起源とする説明である。近代的自我は、まず個人の生命の尊厳という意識から出発する。自己への尊厳であるとともに他者の尊重だ。そのうえに理性を備え、さらには国家(コモンウエルス)おとび公共(パブリック)を背負う。個人は、合理化された主体的なものとされ、社会的要請を担う存在となる。 もう一つは心理学的な説明である。ミシェル・フーコー(1926-1984)の解釈に沿って言えば、近代的自我は人間が自己との関係を問い直された時、すなわち自己と真理の関係の代わりに、自己と自己との関係を採用した時、つまりフランス革命(1789)とほぼ同時代に誕生したという。もちろん、これはデカルト思想の実現だ。人間は自らが真理であると宣言すること(我思う故に我あり)で真理を疎外し、自己と真理の関係から、自己と自己の関係への移行したのだ。理性が倫理ではなく自然となった。つまり、個人は非理性から閉ざされてしまった、とフーコーは言う。 理性対非理性の対決に歴史的な終止符が打たれ(当然、理性が勝利した)たところで近代が誕生し、近代的自我が誕生したのである。 このような人間観に対する批判は、当時から西洋の中にもあった。特に、暴力化したフランス革命後には批判と反省が噴出している。エドマンド・バーグ(1729-1797)などは近代自然権や社会契約論を真っ向から否定しているし、ヘーゲル(1770-1831)も近代自然法を批判している。弁証法を駆使して、哲学の脱認識論化、脱形而上学化をはかり、後の思想に多大な影響を与えたヘーゲールに対しても、政治学からは保守的国家思想家というレッテルが貼られるのである。 近代的自我という文脈から、個の確立という言説を改めて見直すならば、それは精神的な成長や知的啓蒙ではまったくなく、道徳的主体として公的に行為する個人である、と自ら宣言するかしないのだ。また、そのような個人を演じるか演じないか、なのだ。つまり、ここでの個人は儀礼的ゲームのプレイヤーであり、道具的であり技術志向的であることから「実証主義の自我」と呼ぶことができよう。 一方、ロマン主義においては、いきいきとした主観的感覚の主体であるところの個人を重視する。代表的な存在はニーチェ(1844-1900)だろうか。 近代はまさに、理性主義対反理性、実証主義対ロマン主義の長い対立の歴史でもあった。そして、この戦いの主導権は常に実証主義が握り時代を支配してきた。つまり、単純化してしまえば、実証主義は近代的自我を支持し、ロマンを近代的自我の傘下で支配しようとするのであり、ロマン主義はその支配を拒む。 では、日本のインテリ推奨の近代的自我は今、西欧でどうなったと言うのだろうか。実証主義的な近代的自我は文明を繁栄へと導きはしたが、人間を幸福にしたとは言えまい。オルテガは「大衆の反逆」(1930)を書き、フロムは「自由からの逃走」(1941)を書き、リースマンは「孤独な群集」(1969)を書いた。やめておこう、近代的自我に起因する病理についての批判と処方箋など数え出すときりがないのだ。 「自律的なパーソナリティを育成すれば、それは近代官僚制に不適格な個人を作ったという失敗であり、逆に、官僚制社会に適応する個人を作ることは、人格的には空虚な人を作ることだ」というような辛辣なことを言う人もいる。近代的自我とは、実に引き裂かれた自我、引き裂かれた自己、引き裂かれた個人、なのではあるまいか。 3.ポストモダンの自己概念 私は、哲学の専門家でも、ポストモダンの専門家でもない。現代思想でいうところのポストモダンの定義など知らない(ご存知の方がいれば教えていただきたい)。まあ、それでも「近代という思想」への批判であり対立であり超克であることくらいはわかる。それを、広義のポストモダンと呼ぶならば、私はポストモダンであり、論敵はさしずめ最後の近代主義者、ハーバーマス(1929-)だろうか。 とは言え、私は、ルーマンの社会システム論を支持するわけではない。話がそれるが、ルーマンの社会システム理論は、個人を社会の単位と見なさないものであり、そんな人間のいない社会学の一体どこがおもしろいのか、私にはさっぱりわからない。 一方で、現代を積極的に評価する人もいる。個人と社会との新しい関係が、個人の内面すなわち心と道徳心を深めて行ったという解釈である。イーフー・トゥアン(1930-)によれば、過去200年から300年のあいだに人間の内面性が著しく成長したという。各種の差別や不正に対する感受性の高まり、人種を超えた隣人意識、動物の権利への思索、などがその事例である。また、私的空間への欲求や内的状態を描写する心理学用語の増加などを示して、戦争や自然破壊で罪悪感に苛まれている西洋人を慰め、励ましている。 また、精神科医でもあるフェリックス・ガタリ(1930-92)は「主観性」という言葉を多様した。味わい深い概念である。ガタリは現在の社会状況を、独自の主観性を生産することなく「市場的な主観性へと自己放棄している状態」と認識する。ガタリの言葉をそのまま使うならば、「資本主義的主観性=主観性の圧延された状態」ということになろう。このような状況の中で、いかに主観性を再生するのか。これは、個人を考えるうえで重大だ。 簡単に言えば、文明は、私達の心あるいは自己の犠牲の上に成立する。ある程度の犠牲は仕方がないものの、精神における人間的自然あるいは本能的なものが壊れるのであれば、その犠牲は大きすぎると言えるだろう。私達の自己は、現代社会の中で、知らず知らずのうちに、摩耗し、傷つき、破壊され、去勢されてはいないだろうか。 自己とは、理性と感性の調和である。理性が感性を支配することも、感性が理性を放棄することも、賢明とは言えないだろう。自己概念は、文化によって、時代や環境によって当然異なる。自己概念を統一しようという試みを、私は野蛮と呼ぶ。ポストモダンが目指す自己。それは一定の義務を負いながらも、より自然な、理性と感性の調和のとれた自己を求める運動である。従って、ポストモダンの自己概念は統一化できる性質のものではなく、一人一人の中にある。 ■プロフィール■ (くろさき・のりひろ)1961年神戸市に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校中退。東京都在住。ホームページ:黒崎亭(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5582/)にて、時事評論から社会、経済、文化までの幅広い言論活動を展開しているディレッタント。ネット会議室の運営手法も研究中。 |
ここで私が述べようとする「信仰」は、キリスト教についてである。私はこれまで宗教学や神学(キリスト教神学のみならずその他の宗教における神学や宗学も含め)についてきちんと学んだことは全くない。しかし、宗教なるものが人間にとって非常に深い次元、あるいは社会的次元でも関わっていることは否定することができないと思う。また、昨年9月にアメリカで起きたいわゆる同時多発テロは、「ある意味で」象徴的である。というのは、宗教的なるものに対する理解なくしてはそれを語ることはできないということが一つであり、また同時多発テロと呼ばれるものがたとえもし起こらなかったとしても、宗教に絡んだ人間的な衝突は歴史的、現在的に絶えない事実であること、そして、人間はほとんど必ず宗教的な次元と関わらざるを得ない状態を生きる──死や無、彼岸的なものにいつでも直面する可能的存在としての生であることを忘れてはならないと思うからである。 宗教に対して全くの素人である私が何かを語る権利があるとすれば、それは哲学に対して素人である人が哲学に関して何かを語ることが許されるのと類比的かもしれない。ヤスパースはかつて『哲学入門』(新潮文庫)という小著で、その人の生きている生をもって語られる(実存的)哲学的なるものは、それを非・哲学的といって斥けるべきでないことに賛意を表明していた。私も基本的には、それに共感する。 さて、この小文で私が触れようとするのは、一つはキルケゴールである。私が「宗教」や「信仰」という言葉から、どうしても連想せざるを得ない一文が彼の手記の中にある。「神はほんとに私が何をなすべきことを欲したもうたのかを知ることが重要なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要なのだ。」(註1)これは、実存主義の出発点となる記念碑的文章として余りにも有名なものである。 次に、この小文はキリスト教から離れないだろうということである。また、これはパウル・ティリッヒという(プロテスタント)神学者の著作に影響を受けて書くものであることも告白しておく。私はプロテスタントのある教会に顔を出しているが、「教会」というものに対して私の個人的な「想い」がある。これは、この文章を書くにあたっての個人的な動機ではある。が、一つの宗教に即して語るのも、信仰を考えるときに的外れなものとはならないだろう。宗教学において、神学や宗教哲学は「規範的・主観的」と呼ばれ、それに対して社会学的や人類学的な宗教学等々は「記述的・客観的」と呼ばれる。それに従えば、この小文は規範的・主観的な分類に入るだろう(それほど大仰なものでも何でもないけれども……)。 信仰が何を意味するのか、それは恐らく「信仰」する者の数だけその意味があるほど複雑だろう。ただ、私にとっては先に挙げたキルケゴールの言葉がその線を示しているのである。つまり、私自身の現在の存在様相に関わる意志や決断と離れては考えられないのである。もちろん、それだけが信仰ではない。ヌミノーゼ的なもの、聖なるもの──その絶対的な観念だけでなく相対的な観念も含めて──に対する感情的および理性的反応や応答、あるいは社会的・組織的な制約や階層の中でのもの、民間信仰、またこの言葉を使ってよいなら「世俗的」な信仰というものもある。そして私自身、それらもまた「私にとっての」信仰と無縁なわけでは断じてない。しかし、ある者が「私は信仰を告白した」と言うならば、そこに先のキルケゴールの言葉が何らかの形で結びついていなければ、信仰を告白したと思うことはできないというのが、私の考えである。ただし現在のところ、私はクリスチャンではないし、恐らく今後もクリスチャンにはならないだろうと思っている。 信仰にとって問題となることはいくつかある。無限と有限、啓示と理性、意志・自由と知性・理性、超自然と自然、宗教と道徳・教育、信と疑、聖と俗等々。 まず、カントの『たんなる理性の限界内における宗教』を参照してみようと思う。(註2)彼は原則として、人間は有限だと考えていたと言い得るだろう。神は実践理性によって要請されるのであり、出発点となるのは理性、内的な道徳律である。ごく簡略化してしまうが、カントは啓示信仰(歴史信仰、教会信仰)と理性信仰(道徳的信仰)とを区別する。前者は、いわば信仰に先立ってその義務、神の命令を啓示から知っていなければならないが、これは有限な人間理性を超えた事柄を信じることになる。彼は後者をこそ優位なる信仰(宗教)と述べるのだが、これは自由な理性的存在者の道徳性の法則に基づいている信仰である。神的命令が予め義務であることを(理性的に)知っている信仰であって、理性に基づくゆえ普遍性、一般的道徳性を持つ。カントにおいては、前者に対する後者の優位が主張される。 ただし、彼は啓示信仰を完全に否定しているわけではない。そして私が注意したいのは、学問としての哲学が、宗教的な「迷妄」に陥るような事態に対して警告を発していると、この書物から受け取ることも可能だという点である。こうした指摘は私にとっての現実の、また個人的な信仰を考えるときに決定的な注意を促してくれる。つまり、仮に私が「信仰者」であるとする。そして自分の信仰が神からの啓示に基づいていると信じているとしても、それが迷妄でないということを何によって保証されるのかという問題を、明晰な論理でもって信仰者に提示するのである。 ただ、ここで理性と啓示という概念を使う場合に付言しておいたほうがよいだろう。それは「理性」の意味である。今日、理性という言葉から連想される「自然科学的」な意味はルネサンスから啓蒙主義期、また中世においては希薄であったり、それとは異義でさえあり得るということである。 もちろん理性と信仰の関係は、カントだけが問題にしたわけではない。それよりずっと以前から大きな問題であった。少なくとも、トマス・アクィナスの時代には、アリストテレスの哲学がイスラム文化から「輸入」されていたわけだが、この時代のアリストテレス理解は、端的に言っていいなら、アリストテレスの哲学は「自然神学」と呼ばれるものを導くのだと言い得るだろう。例えばトマスにとっても、既にその総合は一つの問題とされていて、ここで言う自然神学は、自然的理性による神学という意味合いが強い。トマスによれば、「啓示神学」と「自然神学」は矛盾しない。トマスがアリストテレスに強い影響を受けているのはよく知られているが、この「自然」はアリストテレスに由来し、人間が本来的に持っている自然的理性の文脈で使われるものと解釈したほうがよさそうである。(ここでも我々は「自然」という概念の現代的意味と古代や中世的での意味との区別に注意を払う必要があろう。)トマスはもちろん、啓示神学の優位を説く。それに対して自然神学は寧ろ啓示神学を助けるものと言ってよいだろう。啓示による信仰を持たなければ、理性神学は本当の「神の知」とはならない。ただし、理性も啓示と同じく神の恩恵である。神は真理であるゆえに、それらは絶対的な矛盾を示すはずがないのである。(24号に続く) [付] 私はこの小文の中で「理性」とか「決断・決意」、「意志」等という言葉を、無批判的に使いましたが、こうした言葉・概念は、今後哲学はもっと明確にしていくべきものだと思っています。それは、言語の分析や超越論的な方法によるだけでなく、科学的な意味も含めての実証的positive な方法でもなされてしかるべきだと思います。 (註1)文献2、20ページより。 (註2)文献3はこの書物のことである。 【参考文献】 (1)石田慶和、薗田坦[編]『宗教学を学ぶ人のために』(世界思想社、1989) (2)桝田啓三郎[編]『世界の名著40 キルケゴール』(中央公論社、1966) (3)『カント全集・第9巻 宗教論』(飯島宗享、宇都宮芳明訳、理想社、1977) (4)ティリッヒ『キリスト教思想史1』(大木英夫、清水正訳、白水社、1997) (5)ティリッヒ『キリスト教思想史2』(大木英夫、清水正訳、白水社、1997) (6)『ティリッヒ著作集 第5巻 プロテスタント時代の終焉』(古屋安雄訳、白水社、1978) (7)山田晶[編]『中公バックス 世界の名著20 トマス・アクィナス』(中央公論社、1980) (8)『カール・バルト著作集14 ローマ書』(吉村善夫訳、新教出版社、1967) (9)『世界の大思想3 アウグスチヌス・ルター』(村治能就[他]訳、河出書房新社、1966) ■プロフィール■ (なかじま・ようじ)1970年生まれ。男性。大学では哲学専攻(哲学科の直接の志望動機は実存主義だが、卒論テーマは科学哲学^_^)。編集者を経て現在は図書館に勤務。パートナーとともに「茶飲みジジババ」になることを目指している。 |
■編集後記■ ★今号は偶然だが、「近代」あるいは「近代人」への問題意識からの優れた論考が集まった。 ★近代思想としての<平等>は等価な関係の交換の保障要求であり、それと相即的に均質空間と計量化される身体(主体としての自己管理、正常値)を要請(養成)もしている。(黒猫房主) |