『カルチャー・レヴュー』21号

■アニメ論■


2つのHappy Ending
――押井・宮崎、両監督の作品をめぐって――

岩田憲明



 アニメにしろ小説にしろ、私たちはその中に夢を求めて物語に接する。フィ クションであるにせよ一定の状況(設定)の中では「ありえる話」として私た ちはそれを受けとめるのであり、その中に自分の生きるべき世界を見い出そう とするものである。近代小説の世界では写実主義や自然主義の影響で夢が語ら れることは少なくなったが、最近ではアニメやゲームの世界でその夢が展開さ れるようになってきた。
 人は物語の中でそれなりにHappy Endingを求めるものだが、それが文字通り Happyであるとは限らない。日本のアニメ界において押井守と宮崎駿は双璧を なしているが、エンディングという面から見るとこの2人には際立った違いが ある。一般的に、宮崎駿の場合、物語は誰もが望むHappy Endingを目指して展 開する。最近は自然破壊などの社会問題をテーマとするために文字通りの Happy Endingが得られるとは限らないのであるが、そこには何がHappyで何が Happyでないのかについての明確な基準が物語の前提に横たわっている。しか し、押井作品の場合は必ずしもそうではない。そこでは常に物語が展開される 世界そのものが夢であるか現実であるかあやふやであり、時として長々と続い た物語がはかない一瞬の夢とも解される物語もある。

 押井守は出世作である「ビューティフル・ドリーマ」で夢と現実との微妙な 関係を描き出したために、夢オチの監督とも見られることがある。今自分が生 きている世界が夢なのか現実かという問題をテーマとした作品を多く手がけて おり、この傾向は昨年公開された「アヴァロン」においても顕著に現れてい た。しかし、このために一部では押井監督を難解ではあるが、陳腐な夢オチの 物語を展開する監督と見る向きを生んでいるのも確かである。夢オチは最初衝 撃的に思えるが、現に自分の生きている世界が夢であるか現実であるかを理論 的に証明することが不可能である以上、それをテーマにすることは解答不能な 形而上学を弄んでいるに過ぎないというわけである。このように押井作品を批 判する人たちにとって、恐らく現実とはすでに与えられた既成事実なのであ り、その中でいかに精一杯自分たちが生きるかが問われるべき課題なのであろ う。しかし、「現実とはすでに与えられた既成事実である」ということが、本 当に夢と現実との微妙な関係を問うことを無意味にするのだろうか。ここから 私たちが物語に対して一体何を望んでいるのか、何を以ってHappy Endingとし ているかが、浮き彫りにされてくる。

 何がHappyかがはっきりしている宮崎アニメの世界においては主人公のひた すらな努力が物語をHappy Endingへ導く鍵である。例えその努力に限界があろ うとも、自らの努力が何らかの形で報われることが示されるなら、物語は Happy Endingを迎えたということになる。主人公はあらゆる試練に耐えなが ら、自らの希望を実現するために奮闘し、アニメという媒体はそれを支援する ために時としてアクロバット的な現実ではありえない事柄でさえ可能にしてし まう。 結局、ここでは物語が「うまくいく」ことがHappy Endingの条件にな るのであるが、この手法は「魔女の宅急便」のようにひたむきな少女を描く時 には最大の威力を発揮する。そこでは何が望まれているかが自明であるからで あり、誰もが彼女のひたむきさの中に生きることの真実を見い出すからであ る。しかし、一方、環境破壊などの大きなテーマを扱う時、それは大きな壁に つきあたる。それは、どうしても異なった立場の善悪が私たちの期待する Happy Endingの枠に収まりきれずに対立したまま残ってしまうからである。 「平成狸合戦」にせよ「もののけ姫」にせよ、未来へ希望を託す形で物語はエ ンディングを迎えるが、その一方、その背景にある大きな問題そのものは何も 変わっていなかった。

 それに対して、押井作品のなかには一見無意味な死をラストとする作品もあ る。「ご先祖様万々歳」などはその典型であるが、そこでは主人公そのものの 悲劇的なラストでさえその背景に無限に広がる「何か」を際立たせる効果があ る。そこでは主人公たちが「うまくやる」ことがHappy Endingの条件なのでは なくて、その演じる物語を通して物語そのものを成り立たせている「何か」、 そして私たちが生きて在ること自体を浮かび上がらせることがその条件なので ある。ここにおいてHappy Endingを決定づけているのは、エンディングそのも のの良し悪しではなく、物語として展開される出来事の「重さ」の有無であ る。

 人間は誰でもHappy Ending、つまり良き結末を望んで生きており、自分が接 する物語の中にもそれを求めている。しかし、誰もが良き結末を得るわけでは なく、またすべての物語がそのようなエンディングを持っているわけではな い。むしろ、「悲劇」に代表されるように物語には悲惨な結末を通して人間そ のものの生き様を描き出そうとするものが多い。そこには人間が生きて在るこ との真実があるのであり、その真実の故に人はその結末の良し悪しに関わらず 物語そのものを良きものとして受け入れるのである。
 押井作品における夢と現実との微妙な関係は、そのような物語そのものをよ り効果的に浮き彫りにするための導きに過ぎない。人は死という出来事を通し てその有限な生そのものを自覚するように、夢を通して現実そのものの危う さ、そしてそのかけがえのなさに気づく。物語における真実は単に私たちの期 待したとおりに「うまくいく」ことを超えて在る。

 本来、物語のHappy Endingはそれが良き結末であることによるのではなく、 それが良く結末に至ったことによるのである。ひたむきな少女の物語ではその 結末がHappy Endingそのものを決定づけるが、悲劇の場合は、その結末に至る ことへの道程がHappy Endingを決定づける。一見両者は異なるように思われる が、私たちが物語を「良し」として受け入れるために物語全体の過程が問われ ていることに違いはない。物語は語られる出来事の経過そのものであり、 Happy Endingとはその一連の出来事を一つの物語として終わらせることに他な らない。言い換えれば、物語をうまく終わらせることができればそれはHappy Endingなのである。

■ プロフィール■
(いわた・のりあき)哲学者。元大分県庁の公務員で現在はフリーの立場で研 究を進めている。研究分野は文明論からアニメまで幅広いが、その中心には独 自の記号論がある。現在、【哲学茶房のサクサクHP】(http://www.oec-net.or.jp/~iwata/index.htm)にてその著述を公開してい る。押井監督については、最近WWF (http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/index.htm)などを通じて論考を発 表しているが、このWWFは同人誌でありながらも押井作品を中心にアニメに ついて哲学的な立場から本格的評論活動を行っている。




■書  評■


二十世紀をふりかえる本

yamabiko



 しばらくツンドクのままにしておいた歴史本を2冊読む機会を得たので、書 評のようなものを書く。
 橋本治著『二十世紀』(毎日新聞社、2001年1月刊)とジョン・ダワー『敗 北を抱きしめて』上下巻岩波書店、2001年5月刊)。
 橋本治が20世紀を読み、解読し、つむぎだしたキメの一句を集めた編年体文 集。橋本は、「あとがき」で、「私がこれまでに書いた本の中で、最も個人的 な本」と言っている。21世紀を生きるため、20世紀にケリをつけておきたいと いう著者の意気込みを感じる書物である。本書は、冒頭45ページ「総論 二十 世紀とはなんだったのか」で前世紀を総括し、つづいて、1年4ページでその 年の代表的テーマに絞った記事を書き、100年400ページで1世紀を書(駆)け 抜けるという構成。総論の部分はソックリ高校の教科書に転載してもいいほ ど、分かりやすい文章。全体も高校の副読本、として最適と思う。ということ は、オトナの読み物としてもイイ、ということだが。多少のハッタリのような ものはあるが、身の丈ホドの文章であり、背伸びが無く、読み返さなければ意 味が分からない、という箇所は皆無といって良い(加藤典洋著『言語表現法講 義』では、橋本治調著『よくない文章ドク本』を基本文献の1つとして推奨し ている)。これは単に形式の問題ではなく、橋本の、モノゴトを咀嚼する場合 の、基本図式である。ちょっと、引用してみる。1929年の箇所(p165)。米国 の恐慌から日本のバブルを言及するところ。

 「そもそも「バブル経済」というのは、とんでもなく不思議な言葉である。 「アブク銭の経済」があるのなら、「アブク銭じゃない経済」もあることにな る。「アブク銭じゃない経済」とは、必要なものが必要なだけ循環している経 済で、これは当然、「不景気ではないが、別に景気がいいわけではない」とい う段階である。だから「アブク銭じゃない経済」に余分な金が流通し始める と、「好景気」になる。つまり、好景気とは、基本的にバブル経済なのであ る。
 橋本は、わたしと同年の1948年生まれ。記事は毎日新聞社発行のムックに連 載されたのをとりまとめたもの。年表を繰りながらコラムを書き続けたにちが いない。ダワーの本にも触れられているが、マッカーサ元帥が日本から帰国 後、米国国会公聴会で、例の「ドイツやわれわれが45歳のオトナとすれば、日 本は12歳の少年レベル」という発言をし、その数ヶ月前に総理大臣まで見送り に出して一大送別セレモニーをやったニッポン人にエライ衝撃を与えた。橋本 は「その後の日本の歪みは、「日本人は所詮12歳」という評語を謙虚にかみし めなかった結果だろう、と私はおもう(1952年)」(p525)と、マットーなこ とをいう。
 また橋本は「あとがき」で、「書き終わった今、「もう安心して21世紀を生 きていけるな」と思います」といっている。

 「総論」の最後で、今世紀から来世紀に持ち越す課題をのべる。「これから の時代、物は、必要なだけ細々と作り続けられて行かなければならない…… 「大量生産によらない一定量の供給」という、むずかしい生産システムを確保 しなければならない」「産業革命=大量生産という命題は平気で工業? 自給 自足にしてしまったけれども、「自給自足を前提とする工業」という発想がな かったことの方がほんとうはおかしいのだ」と言う。(この点をヨリ詳しく論 じたのが広井良典『定常型社会(新しい「豊かさ」の定義)』(岩波新書、 2001年)である。同書第4章「新たな「豊かさ」のかたちを求めて」(持続可 能な福祉国家/福祉社会)。

 ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて Embracing Defeat』
 本書は政治的な著作、である。記述は米国読者向けであり、われわれの世代 の日本人なら終戦直後の事情は書物映画などにより明らかになっており、この 本で新規に得られる情報というのはそれほど多くはないはずだ(たとえば、小 林正樹監督の映画「東京裁判」など)。戦中戦後にかけての日本国内の状況、 貧窮ぶり、天皇(の非神話化)とその側近の行動、東京裁判、憲法改正の顛 末、GHQの占領政策、等。この本の利点は、アレコレの資料(たとえば、み すず書房の『現代史資料』など)に当たらなくてもこれ一冊で間に合うという ことだろう。

 現在の時点からみてもっとも重要な記述は、現在にも大きな影響を及ぼして いる(すなわち、米国への政治的従属)日本に対する連合軍(米国)の基本占 領政策であり、本書で言えば第6章「新植民地主義革命」およびエピローグで あろう。引用する。

 「占領軍は日本を直接統治するだけの言語能力と専門能力に欠けていたので ある。基本的にいえば、最高司令官はワシントンの上司の許可をもらえば、既 存の政府機構を変更し、天皇裕仁を退位させ、天皇制を廃止できる権限を持っ ていた。しかし、現実には、こうした選択肢は一度たりとも真剣に考慮される ことはなかった。日本の軍事組織は消滅し、抑圧的であった内務省も解体され たが、官僚制は本質的に手つかずのままであり、天皇も退位しなかった。アメ リカの植民地総督は、自分たちが出した指令を遂行するのに現地のエリート官 僚層に頼り切っていたのだ。その結果、SCAP(連合国軍司令部)の庇護を 受けた日本の官僚は、戦争に向けて国家総動員を進めていた絶頂期よりも実際 にははるかに大きな権限と影響力を獲得したのである。(中略)
 そしてGHQが「超政府」として行使した権力のあり方は、無傷のまま残さ れた官僚たちによって受け継がれ、征服者が去ったのちも長期に維持されるこ とになるのである。」(上巻、p275、第6章)

 本書のタイトル「敗北を抱きしめて」とはどういうイミであろうか? 私に は分からない。訳者(三浦陽一氏、ダワーの弟子)は「あとがき」で、著者 は、その暖かい腕で「日本人を抱きしめて」くれたのだと思う、と言ってい る。そんな馬鹿な! というしかない。このホンは、資料的にいえば数十年以 前に出版されていてもおかしくないはずだ。

 エピローグでダワーは言う。
「日本が独立したといっても、予見できる将来において、現実に依存し従属し ていく以外のことを想像することは難しかった。独立国というのは名目だけで あり、ほかのすべてにおいて、日本は合衆国の保護国であった」「沖縄はそも そも占領改革から除外されていたが、平和条約によって日本が回復した主権の 範囲からも除外され、アメリカの重要な核基地(!!!)とされて、無期限に 新植民地主義的支配の下に組み入れられた」(下巻、p408)。
 訳者は「かならずしもアメリカの対日政策を肯定してはいないこの著作が高 い評価を受けたことは、アメリカにおける日本理解の深化、ひいてはアメリカ 自身の自己意識の成熟を象徴しているといってよいかもしれない」といってい る。なにを言っているのか? 昭和天皇も亡くなり、長期のバブルから回復す る兆しもなく、いかがわしい米国の対日占領政策を記述しても、軽く受け流さ れる時期を待って、すなわち、米国に対する日本属国化が動かしがたい現実と なった前世紀末を待って、出版された、と読むのが妥当ではあるまいか?
 日本の敗北は抱きしめられた、のではなく、羽交い締めにされ、むしり取ら れたのであり、いまだにそうなのである。

■プロフィール■
(やまびこ)53歳、自営翻訳業。千葉県在住。広島県出身。




■教  育■


やがて? 恐ろしき
『小学校学習指導要領解説社会編』の学習(前編)

加藤正太郎



■学習の目的
 大阪のとある学校で教員をしている私はいま、『小学校学習指導要領解説社 会編』(著作権所有文部省)なる小冊子を手に取っているのである。文部(科 学)省の「告示」にすぎないものではあるけれども、「法的拘束力」があると される「学習指導要領」【1】は、私たちが授業を行う上での「大綱的基準」 であるらしいのだから、一度ぐらいはその文言に目を通し、自らの仕事を顧み る機会があってもよいと思われるのである。ところが同僚の教師ばかりか、こ とあるたびに「日の丸・君が代」を強制し、あるいは強制されている【2】校 長たち自身も、「指導要領に定めらている」と一つ覚えのようにくり返しなが ら、実のところあまり読んだことがないのではないかと私は睨んでいる。

 これからの学校教育は、「自ら学び自ら考える力」の育成を基本としなけれ ばならないと言われているのだし(中央教育審議会答申)、その提言に沿って 改訂がなされたというのだから、「育成」する立場にある教師自身において も、これらの「解説」を「自ら学び自ら考える」ことは、大切な基本ではない かと思われるのである。
 かくいう私も、ほぼ十年に一度改訂される「指導要領」をすべて熟読するわ けにも行かず、今回取り上げるのは、来年度から実施される小学校の社会科に 限られてしまうのではあるが、各種資料もまじえつつ、若干の考察をしてみた いと思う。
 近い将来、「自ら考える」授業をしているつもりの私も、管理職たちにその 様子を監視され、さらには事前に「授業案」を提出しなければならなくなるの かもしれない。今回のレポートが、その際に提出する「授業のねらい」の下書 きになればと願っているのである。

【1】文部省は1958年から「法的拘束力がある」と主張してきている。「的」 というのが理解しづらいとは思うが、教育界においては「のようなもの」は重 要な概念であり、例えば文部省や教育委員会の「指導」や「通知」は「命令の ようなもの」、「助言」はときに「脅迫のようなもの」である。そして長い間 (1999年まで)「国歌」として法制化されることのなかった「君が代」を、す でに1977年から「国歌」と定義づけてきたのだから、文部省というものを、何 かしら「超法規的」機関のようなものだと誤解する向きがあっても無理からぬ ことであろう。

【2】これらの事態については、いまや学習や考察の域を超えているとの指摘 を受けるかもしれない。事例の枚挙にはいとまがないが、たとえば福岡県で は、もうすでに20年以上も前から、反対する教員を強制転勤させ、訓告、戒 告、減給と処分をエスカレートすることで「定着」させてきた。卒・入学式で は職員の動向をカメラやビデオ撮影。起立している職員についても、本当に 歌っているか、教頭が聞き耳をたてて調べたという話も聞いたことがある。そ して現在では学校の日常は次のようなものになっているという。入学式の「主 任・主事」紹介の場面では、二十人近くの教員が一人ずつ壇上を登り、ステー ジ中央に張られた「日の丸」に向かって深々とお辞儀。降壇するときにも一度 立ち止まり「回れ右」をして「礼」をしなければならない。式の直前には校長 が「儀式にふさわしい服装。10分前に着席」などと職務命令を出す。新任の校 長が赴任するときには、教職員総出にて玄関から校長室まで二列に向かい合っ て並び、拍手で出迎える。職員会議は座席指定。「起立・礼」の号令がかか る。内容は、事前に運営委員会(校長・教頭・主任らで構成)が決定した事項 の伝達のみ。「構内巡視」と称して授業の様子を校長と教頭が監視している。

■元号についてのあれこれ
「また、21世紀に向けて、我が国の社会は、国際化、情報化、科学技術の発 展、環境問題への関心の高まり、……これらの変化を踏まえた新しい時代の教 育の在り方が問われていた。(改行)このような背景の下に、平成8年7月の 中央教育審議会第一次答申においては、……」(第一章「総説」、p1)
 姿勢を正し、意識を集中して読み始めたはずではあったのだが、ここまで読 んだ私は、しばしの中断を余儀なくされたのであった。私は、遠くない将来 (22世紀を目前にするまでもなく)、この「指導要領」がいつの時代に作成さ れたものであるのか、すぐには理解できなくなるな、とふと「考えて」しまっ たのである。そして読むべき文字から目をそらせてしまった隙に、以前勤めて いた職場での一つの出来事が、つまり卒業証書の「生年月日欄」について議論 したときのことが蘇ってきたのであった。
 けれども私は、元号は(0)天皇制を浸透させるものであるということ、つ まり(1)歴史的な出来事を、さらには自らの人生さえも「天皇の治世」とい う区切りと共に、(無意識的に?)意識させるものだということ、(2)それ がきわめて不便だということ(パスポートセンターでは係員の机に西暦換算表 が張り付けられているらしい)、(3)1979年に「元号法」が成立したが(そ れ以前から強制はあった)、当然のことながら義務規定ではなく、当時の政府 も「今後とも元号と西暦の使い分けは自由である」と言明していること、 (4)西暦もキリスト教起源という意味では「強制」ではないか、という反論 には、だからといって元号だけを強制する理由にはならない、といった議論を 最初に思い出したのではなかった。

 私の脳裡に浮かんだのは、次のような光景だったのである。つまりその日、 校長室のテーブルをはさんで向かい合った私に、校長はこう言って胸を張った のであった。
「日本人は、ガンゴウが基本である。」
 そして続けざまに私は、小説『神聖喜劇』(大西巨人の代表作)の主人公が (「軍紀とは何か」と隊長に問い質されて)、『作戦要務令』の一節を暗唱し てみせる場面を思い出し、実は自分にも同じような体験があったのだと思い 至ったのである。
「『シチョウ』、「其ノ弛張ハ実ニ軍ノ運命ヲ左右スルモノナリ。」でありま す。」
「『シチョウ』ではない。『チチョウ』と読む。いいか。」
 そして堀江隊長は、「『シチョウ』のほうが正しくあります」「辞書にも、 そう書いてあります」と抗弁する東堂二等兵に対して、次のように言うので あった。
「地方ではひょっとするとそうも読むかもしれんが、……軍隊では違うぞ。 (略)軍隊には軍隊の読み方がある。『チチョウ』と読む。いいか。」
 むろん先の校長は、「ガンゴウと読め」とまでは言わなかったけれども、教 育委員会において長く指導的立場にあった経歴を匂わせるためにか、「何も知 らんだろ」とでも言いたげな口調で、「ガンゴウ、ガンゴウと言うが、ガンゴ ウ法の内容、知ってるのか」と私に問うたのであり、私はといえば、東堂二等 兵のようにはもちろん暗唱できず、天皇が変われば元号も変えると書いてある だけで義務ではない、といった意味のことを口走ったのであった。

 上官や上級兵達は、「弛張」や「弛緩」(チカン)以外にも、「捏造」をネ ツゾウ、「消耗」をショウモウ、「攪乱」をカクランと読み、「四国の高知 県」を四国のタカチケンとさえ読んで、それらのおうむ返しを新兵達に要求し た、と書かれていたのだが(捏造、消耗、攪乱については、すでに慣用音とし て公認されていたようである、ともあった)、ひっかかりを覚えつつも読み飛 ばしていた私はいまになって、『講談社カラー版日本語大辞典』を調べてみた のである。そして〈ねつぞう【捏造】(「でつぞう」の慣用読み)〉〈しょうもうB>【消耗】(「しょうこう」の慣用読み)〉〈かくらん【攪乱】(「こうらん」の慣用読み)〉と確かにあるのを知り、そして〈げんごう【元号】〉の項目を調べてみるに、「××の慣用読み」とは書かれてはおらず、また〈がんごう〉という項目は存在しないことが確かめられたのである。
「地方」(軍隊外のこと)の辞典には載っていないからといって(『広辞苑』 にもなかった)、「ガンゴウ」という読み方が誤りであると断言することは論 理的にはできないし、教育委員会には教育委員会の読み方があるのかもしれな い、といまでは冷静に考えることができる(そして最終的にはたった一枚では あったけれども、西暦記載が実現したときのことに限って言えば、校長の態度 は立派だったと思う)。けれども私がほんとうに攪乱し、消耗させられたの は、先の場面からしばらくして、再び校長の「基本」を聞くことになった職員 会議での出来事だったのである。
 「校長先生のおっしゃるように、私もガンゴウが基本だと思います。」
 当時から校長におもねる発言の目立ってきていたある「運営委員」は、そん な「意見」を述べたのであり、その後さらにある芸術科の教師は、「本校の縦 書きの証書には、西暦は似合いません」と言い放ったのであった。(後編に続く)【「Kid」67号より転載】

■プロフィール■
(かとう・しょうたろう)1960年頃生れ。高校教員。とある舞踊家を熱く支 持。仲間たちで編集した「教育の『靖国』……教育史の空白・教育塔」(樹花 舎)が発売中。新しい人と出会うたびにいつも勉強し直したいとは思ってい る。本誌編集委員。

■編集後記■
★「この指とまれ〜」の合図で集まった子供達は(最近のガキはそんな遊びは しないか? だから社会性に乏しい?)、一人ではない複数での「遊び」を愉 しむことを目指して、その「指」にとまる。その子らの目は輝いているかもし れない、あるいは「仲間はずれ」になることを怖れて曇っているのかもしれな い。いずれにしても、なんらかの「合意」が表現されている。これは「仲間は ずれ」を畏れることから、心理的には「半強制的」であっても一応の「合意」 と言えるだろうか?
★このシーンでは、「合意」に関する「明示的なルール」は開示されていない が、その子らにとっては「暗黙のルール」が共有されているだろう。すなわ ち、ガキ大将でなくとも潜在的な中心人物がおりその子が「ルール」を取り仕 切っているはずである。「この指とまれ〜」の号令を発する者とそれに従う 者、この関係は一見「人気投票」の様相を呈しており、人気のない子には子供 らは参集しないようにも見えるからだ。
★だが関係という「磁場」においては、「人気」も隠然たる「力」である。 そしてこの人気投票に参加しないこと自体、「いじめ」の対象になりうるの だ。だがそうすると、本来任意のルールであっても、その「遊び」に参加=合 意しないこと自体が、「非合意者」に対する「敵意」を生み出すという不当な 事態を起こさせてしまうのである。そこで先生が「いじめちゃ、ダメよ。仲間 に入れてあげなさい」と言っても、もちろん事態は解決しない。なぜそのルー ルに「合意」しなくてはならないのか? ここには、ルールをめぐる<自己中 心性>の問題があるように思う。(黒猫房主)





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