『カルチャー・レヴュー』19号

■共同アピール■


私たちは戦争に反対する


このアピールは、各個人に帰属するものであり、いかなる団体や権威も「代表/表象」するものではありません。
小さな声でも、「戦争反対」の意思表明をしたいと思います。
大筋で賛同いただける方は、よろしければ連名(ハンドル名も可とします)をお願いします。アピールを補足したい方は、「個別コメント」で反映してください。
「署名」および「個別コメント」は、このWebで公開いたしますので、E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp、あるいは掲示板「黒猫の砂場」までお願いします。

■共同アピール 「私たちは戦争に反対する」

 2001.9.11の大事件以後、わずかのうちに世界は変わってしまったかのようだ。
「報復!、戦争!」を絶叫するブッシュに対し、日本の小泉首相は必死で追随している。しかし、テロを憎むことと戦争を行うことが同一であってはならない。またこの戦争には理がない。
 ブッシュが堂々と口にした「Dead or Alive」という西部劇のセリフは、法 と秩序から遠く離れたリンチの思想の表出である。また彼の用いた「十字軍」という言葉は、その手前勝手な「正義」が、攻め込まれた側には通用しないということを、彼が一顧だにしていないことを示している。これらの発言は、「正義」に心酔したいという幼稚なナルシズム以外の何ものかであるだろうか。
 アメリカ合衆国はこれまで、他国を侵略し、また突然ミサイルを打ち込んで、人々を殺し、恐怖におののかせてきた。その国がいま、傷つけられた「国家の威信」を回復しようとしている。そして相手の行為を「文明」や「人間性」への挑戦と言いつのることで、自らの行為の正当化を図ろうとしている。
 そんな戦争に理があるわけはない。
 今回の大事件は、超大国への攻撃という意味で大きなショックを与えた。そして同時に、「進歩」や「繁栄」の崩壊といったものへの不安を与え、その反動が戦争を欲求させているのかもしれない。だが、たとえ不安があるのだとしても、その解消を戦争に求めようとするのは誤りである。
 私たちはブッシュの戦争に反対する。そして日本国の戦争支援(参加)に反対する。

                          2001年10月01日

■署名:小原まさる、加藤正太郎、田中俊英、野原 燐、山本繁樹、粟津秀三 富 哲世、村田 豪、安喜健人、佐藤和子、山口秀也、川口 正、元 正章、山田利行、福本卓道、山口平明(順不同)
■補足のための個別コメント

■野原 燐「わたしではないたくさんのひとたちは神の怒りを切望している」
 貿易センタービルの崩壊の映像は衝撃的である。バベルやバビロンのように傲り、腐敗し浮かれたものたちの象徴だからこそ、神の怒りに会い崩壊した。キリスト教ファンダメンタリストで無くともそういった連想を強く呼び起こす神話的力を持った映像である。テロリストという言葉がいかに全否定的に響こうが、抑圧され神の怒りを求めるものたちが集団的に存在するならば今後数千年、崩壊の映像は消え去ることなく記憶され、それを試みる者たちもまた絶えないだろう。

■山本繁樹「報復は、いっそうの不正義をもたらす」
 私は今回のテロル事件を「文明の衝突」や「宗教戦争」にのみ、回収してはならないと思います。マスコミの世論操作は、そのように動いているようですが、アメリカ政府と先進諸国による「世界支配」に対しての反撃だという視点は必要だと思います。その意味では、政治テロルは「周辺」から「中央権力」の「合法性」への異議申し立てとして、常に/すでに反復されてきたのですが、しかしテロルによる殺戮に「正義」があるわけではないと思います。ましてや「報復戦争」にも「正義」はないと考えます。
 そして「不正義」と「不正義」の闘いでは、いっそうの「不正義」がもたらされ精神の頽廃を累積させるだけです。それぞれの「正義」を宙吊りにして、「不正義でない方法」で問題解決を目指すべきだと考えます。
 またテロルの恐怖をあおって、いっさいの異議申し立てを「危険」視するような世論操作にも自覚的でありたいと思います。

■田中俊英「自分の身を守るために僕は反対します」
 僕は、このアピールに署名します。理由は、アピールに書かれていることと合わせて、自分自身を守るためです。
 こうしたアピールに署名してしまう僕は、すでに少数派になっています。そのことを僕は、若い人たちと接する毎日の仕事から感じています。
 いまや年齢などに関わらず、この日本という国名を名乗っているエリアに住んでいる人々の多くは、ブッシュや小泉の思想に共感する人たちが住む場所になってしまったと僕は恐れています。みなさんはそう思いませんか?
 繰り返しますが年齢は関係ありません。あえて言うと、若い人ほど僕の敵であることが多いのです。
 20年後、このエリアはたぶんやばいことになっているように思います。そのとき「政治思想的少数派」である僕は必ず迫害されているでしょう。  今回の署名は、これから限りなく反復されていくだろう僕の身を守るための闘いの、決定的出発点かもしれません。

■粟津秀三
 私は必ずしもビスマルクに与するものではないが、戦争をやむを得ないと考える国の為政者は彼の言葉を噛み締めてもらいたい――賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

■富 哲世
 わたしは先の共同アピールにおいて、あるいは間違っているかもしれないテロの犠牲者の「正義」まで糾弾されているような気がして、必ずしもアピールの「正義」に全面的に寄ることはできませんが、もしそれでよければ「アメリカ内の全体主義的な気分と日本政府の同調に反対する」という一点においてここに署名します。わたしの主張は、死者のたましいを生者の「正義」に利用しない。犠牲者のたましいを国の埒から解き放てというものです。

■村田 豪「日本国の戦争参加に強く抗議します」
 私も「報復戦争反対」のアピールに賛同します。とりわけ日本国政府が自衛隊を派遣し、戦争参加させることには強く抗議します。
 いまや小泉首相は、虚言家としての馬脚を完全にあらわにしました。あたかも国際社会が一致して日本の「戦争協力」を求めているかのように、連日白々しいパフォーマンスと露骨な扇動を繰り広げていますが、そんなものは嘘に決まっています。どこの国も日本の言動などまったく注目もしていないでしょう。せいぜいアメリカが自国の覇権上の利害から「同盟関係」を強調しているにすぎません。にもかかわらず小泉を筆頭に多くの政治家、関係官庁、マスコミは、「遅れをとってはならない」とでもいうように騒ぎたて、自衛隊を否定し制限してきた憲法9条を有名無実化しようとしています。彼らは本当には国際問題など眼中にありもしません。民主主義を逸脱してでも、ただただ自分たちの政治的権能を強化しようとしているだけです。もはや自衛隊派遣だけなら、新法を成立させる建前すらなしに強行する勢いです。こんな暴挙を許してはならないと思います。

■安喜健人
 今回のアメリカでの事件は、民間人の無差別大量虐殺を企図した卑劣極まりない行為であり、いかなる理由があろうと決して許されない「人道に対する大罪」である。
 しかし一方で、パクス・アメリカーナのグローバリゼーション(軍事的・経済的・政治的覇権)の下、今日の世界では、残念ながらそれを遥かに上回る「野蛮」と「暴力」が地球上に満ち溢れている。世界的規模でますます拡がる貧富の格差、軍事的抑圧といった圧倒的な社会的不正義の是正が目指されない限り、真の解決も類似のテロ事件の撲滅もあり得ない。
 ところが、この「野蛮」と「暴力」に満ちた構造に大いに荷担し、利益を得ている私たちの住む日本国家は、事件発生直後から、早々と「報復テロリズム戦争」への全面的支持と協力を表明した。このまたと無いチャンスを利用し、憲法の存在自体を完全に無視した「自衛隊」海外派兵を強行し、大国のエゴ以外の何物でもない軍事的覇権のまさに「軍事」の一翼を積極的に担い、無関係の幾多の人々を死と恐怖のどん底へ突き落とす先兵の役割を果たそうというのである。
 私(たち)は、彼らの狂気と悪意に溢れたニヒルな欲望に対し、たとえどんなに小さな声であろうと、怒りと反対、非協力と不服従の意志を今こそ示し、平和的共存を求める人々の国境を越えたつながりを求め、小さな一歩であっても具体的な行動を起こしていかなければならない。

■佐藤和子
 ブッシュ及び彼を支持する人達の発言やかいまみえる雰囲気は、西部劇そのものの野蛮な独善的正義感でしかないと感じています。
 地球環境に対してある面、最もダメージを与えていながらも、資本利益のために京都議定書をひっくり返すブッシュとその支持者達は、自分達がつくりだした今の文明を自滅させるところまでいくのかもしれないという予感がします。それをチャンスとばかりに、小泉達がはしゃいで、戦争ごっこに積極的にかかわろうとしている全ての動きに反対です。憲法が泣いている。
 アメリカも日本も、法治国家ではなくなりつつあります。

■山口秀也「マッチョアメリカを支援する小泉ジャパンに強い不快感を表明する」
 アメリカが、タリバン政権を生み出したその原因を省みることなく行う報復行為で流される血は、アメリカ国民の犠牲によるものにほかならないだろう。
 一方、そのアメリカに追随し、報復戦争の一翼を進んで担おうという日本。
 この報復戦争参加(賛歌)は、小泉首相の靖国参拝で危惧された国家の右傾化を確信に変えた。小泉首相は、国が自ら選択して自国民に課した「死」を、加害の主体を捨象した「犠牲者」として奉り、加害者としての国の責任を隠蔽してきた欺瞞を、自らのヒロイックな報復戦争協力の表明とともに肯定しようとしているように思われます。
小泉首相のいう報復戦争支援とは、戦争賛美のことにほかならないということを、私たちはいまいちど認識する必要があると思います。

■福本卓道「報復戦争反対」のアピールに賛同します。
 一部のイスラム原理主義者のアメリカ帝国主義に対する攻撃に対しての「報復戦争」「日本の協力」に対し何かの表現をと考えていた矢先、「カルチャー・レヴュー」のアピールを受け賛同の意を表します。
 汚いのは民主主義を看板に裁判・証拠という事抜きに予断と偏見によって軍事報復 などというのは全く民主主義を踏みにじるものである。そしてアジア・中東諸国に は「援助金」と軍事力なる暴力でその国の意志を変えさせる。
 日本においては、「憲法の枠の範囲で」という中で憲法を踏みにじる。
 我々のたつ立場は、小泉首相は「所信表明」で憲法九条の後段を一部引用し、アメ リカ支援の根拠としているが、その前に記載されていることこそが、我ら日本の立 つ原点ではないのでしょうか。
      愛と平和を            卓道

■山口平明「今回のアピ−ルにおおかた賛同します」
 1991年1月17日から42日間にわたる米軍主体のイラクへの爆撃で、25万人のイラク人死者がでたと、7年前、松下竜一が書いた書評(ラムゼー・クラークの本)に出てました。
 テロに反対と唱えるのが論議に加わる条件みたいなのには異議ありです。
 油まみれの鳥は、米国のやらせだったなんて。ピンポイントは、画像操作ででっち上げ、のちに大はずれのスウダンへのミサイル誤射で証明されました。虐殺そのものです。
 不便そうな動きにくい感じの伝統衣装を着たアフガンの人が、「君は西洋伝来の洋服を着て、そして米国に原爆で父君を虐殺されたのに、怒らないできたのは何故だい?」・・・もぐ2。
 殿山泰司が、やい大日本帝国よ、弟を返せと書いてたのを思い出してます。(2001/10/03)






■天皇制■


大江町に天皇・皇后がやってきた
(前編)

三宅紀子



 天皇や皇后が日本各地を廻っているのは報道などでよく見かけるが、どこでも「日の丸」の小旗を振り、歓声を上げる国民の姿が見られる。いったいあの風景は誰がどのようにつくりだしているものなのか。昨2000年秋、私が暮らす京都府北部に天皇・皇后が視察にやって来た。人口6000人弱の大江町への天皇・皇后訪問の準備段階から当日及び後日談まで見聞き、体験したことを前後2回に分けてレポートしたいと思う。

■町長が陣頭指揮
 そもそもなぜ、天皇・皇后が大江町を訪問することになったのか。
 9月29日から4日間、二人は京都府内を視察し、10月1日に丹後半島網野町で開催される「第20回全国豊かな海づくり大会」に出席し、翌2日大江町を経由して京都市内にもどる行程が計画された。大江町での約2時間の滞在を「行幸啓(ぎょうこうけい)」と呼び、出迎え・歓迎の準備で町は大騒ぎとなる。
 このことを私がはじめて知ったのは、9月のはじめ。私の暮らす集落(山間部にあり、大江町でも最高齢化地域。うちの家族以外はみな65才以上の老人世帯)の区長さん(大江町は45の区に分かれ、各区毎に1年交替で区長が選出され、行政と町民の連絡係となっている)に天皇と皇后が大江町に視察に来るという話をきく。ここは国道、府道からずっと奥まった山村なのであまり影響はないが、天皇・皇后が車で通過する他地区は大変らしい、と言う。何が!? どう!? いったい何が始まるのか。  9月14日夜、有線放送で町長の「ごあいさつ」があった(毎朝夕、役場が一日の行事予定などを全戸に放送する。町長のあいさつは年始と町の大きな行事があったあとぐらいで年2〜3回しかない)。
 「天皇・皇后両陛下の訪問は、大江町がこれまで取り組んできた鬼の町づくりが評価されたもので、京都府知事のおかげで実現したもの。町ではこの行幸啓をこのうえない光栄として、町民の皆さんとともに心から歓迎となるよう準備をすすめていきます。ご協力とご支援をよろしおくお願いします」。
 町長が「町全体で歓迎するよう協力をよろしく」と呼びかける声は、天皇や皇后、京都府知事の威を借りて思うままに町政を動かし、町民の協力を取りつけようとする内容であった。このあと、まるで自分の家に客を迎えるかのように、町費を使い、役場の職員を動かし、ボランティアの町民を動員する町長は完全に舞い上がっていた。
 こちらに来てからつきあいのある共産党の町会議員に連絡を取って話をする。これからどのような準備がなされる予定なのか、と尋ねるがまだ一ヶ月ほど先で、はっきりしたことはわからないが、町長の熱の入れようから言って話がどんどん大きくなる可能性はある、と言う。とにかく、いきすぎた歓迎に町費を使わないこと、子どもたちを歓迎に動員しないこと、警察が町民の人権を侵害するような警備をしないこと、の3点を議会で確認してほしい、と求める。
 町の共産党議員団(10数人中3人)としても問題があると認識しているので、そういう町民の声がある、ということで交渉に臨むと返事はあったが、環境問題や教育問題で話をするときのようには話が盛り上がらず、「天皇制のことはやりにくいわあ。もう町長は私らの顔を見てもぜんぜん無視、聞く耳もたんという対応やねん」と言う。多数派になれないことでも、票につながらなくても、筋を通してほしいんやけどなあ。

■町がお膳立て
 9月10日、区の総集会がひらかれる。議題は「天皇・皇后の行幸啓」についてである。区の全17戸中12戸が出席。とにかく準備、歓迎で「協力」の強制がないよう意見を言わなくちゃ、とドキドキしながら臨む。
 まず区長さんが、町が招集した区長会で説明を受けたことをみなに説明する。最初に話があったのが、天皇と皇后の大江町滞在中のタイム・スケジュールである。10月2日、午前10時35分、北近畿タンゴ鉄道の大江駅に到着。10時××分移動。10時××分出発。11時××分、鬼の交流博物館着。××分間休憩。11時××分移動。××分間見学。12時××分出発 etc。分刻みの動きについて報告がある。次に町民手づくりの歓迎をするために花いっぱい運動が計画されていると言う。町がプランター2000コを用意し、そのうち各区に20コずつ配布し、花を植え、沿道に配置するらしい(ちなみにプランターは来年の町の記念行事のときも使うので、貸し出して後日回収するらしい)。うちの区は戸数が少ないので、プランター10コが割り当てだと言う。そして当日の歓迎場所は町が各区毎に指定するが、参加者については全員名まえを区長に届け出ること、当日は警備上交通規制があり、駐停車は困難なので参加者は乗りあわせていくこと(他地区では町が送迎バスを出すところもある)、「日の丸」の小旗は一世帯当たり2本を配布する予定であることなどが報告された。

■天皇へのさまざまな思い
 区長さんがひととおり説明をし終わるまでみな静かに集中して話をきいていたが、一区切り話が終わると(いつもの集会のパターンと同じ)ワイワイガヤガヤ他所できいた話、うわさ話の披露でもちきりとなる。「町長はこの話が決まったとたん、モーニング服を新調して行幸啓のあとはそのままでとっておくらしい」「自分たちは何を着て行ったらいいんじゃろう?」。区長「失礼のないようなかっこうを常識的に考えてな」。区長さんは、とにかく初めてのできごとで町としてもわからないことばかり、上の上の上の方や警察の指示に従っていくことになる、ということを宮内庁という言葉を出さずにくり返し言っていた。誰がどんな場でどのようにものごとを決めているのか、拘束力があるのか、を明示しないまま「上の上の上の方が言っていることだから、これはきくしかないじゃろう」という態度は、彼のふだんの町や府への対応と全く異なっている。
 Aさんの「ふだん着のままでよいんじゃ。ありのままの国民の姿を見てもらったらよいんじゃ」という声に困ったような苦虫をつぶしたような顔になっていた。そんな中で「わしは名まえを書いて警官に見張られているようなことでは(歓迎に)行きたくないのう。テレビでよう見れるし」とBさんが言った。「何でじゃ。みんなで行こう、行こう」とまわりが声をかける。「わしは(歓迎指定場所の近くに自分がもっている)道ぶちの田んぼをすいとって、トラクターの上から見ておろうかのう」とさらにBさんが言う。区長「あかん。あかん。交通規制に警官がたくさん出て駐車車両はチェックされるし、田んぼの中でトラクターから見るなんて、あかんて」。B「百姓が自分の田をすいて働いとったらあかんなんておかしいのう」。A「そうじゃ。戦後は世の中が変わって人間天皇になっとるんやから、いつでも、どこでも準備されているところだけを見ていては何も視察してることにならん。あれは宮内庁が悪いんじゃ。わしがいっぺん電話して言ってやってもよいんじゃ」。二人を無視して区長さんは他の人と話をする。

■花いっぱい運動を区へ割り当て
「区長さん」と私も質問する。「花いっぱい運動は町民の厚意でするということなら、賛同する人がすすめるべきで、町から区に一律に割り当てがあって、区費で花を購入するというのはおかしいのと違いますか」。区長「誰か個人に頼めたらよいんじゃが、今は花が庭に咲いとる時季じゃないし、苗を買って植えるしかないんじゃ」。私「いやいや、私が言いたいのは、町は町民の自発的な参加を呼びかけているはずなのに、区に割り当てとなると、参加したくないものも、参加するということになるということです」。A「そりゃそうじゃ。やりたいもんがやるのが筋やな。でも昔みたいに人気のある天皇やったら何も言わんでも花も集まるやろうけど、今の天皇ではなあ」。区長「今は花が咲いとらんで、買うてきて植えるということになると区で10コのプランター、3つずつ苗がいるとして30コ分、3000円ほどやが、それを個人に頼めないんで、区で出すということにしたいんじゃ。みんな、どうじゃ?」。
 このやりとりの間にも歓迎者名簿が回覧され、ほぼ全員が家族の名まえを書きこんでいる。ざわざわしながらも、私と区長さんの話を気にはしているようす。「わしはずっと立っとるのは無理じゃで、むしろを持って行って敷いて座っとろうと思うが、ええじゃろ?」とCさんが話しかける。区長「そんなかっこ悪いことしておられるかい。車が近づくまではその場でへたっていてもよいじゃろが、車が来るときにはみんな立って歓迎するんじゃ」と諭すように答える。Cさんはブツブツと「それはわかっとるけど。ずっと待っとるあいだ、ひとところに座っとるというてもイスもないし、どうするじゃ。雨が降ったりしたら、どうもならんのう」とくり返す。私は話がそれていくのを何度ももどそうとするが、結局、今回のことはすべて区長さんにおまかせする、という結論になる。「そのとき買った花はまたあとでみんなで分けて記念に庭に植えたらよいし」と区長さんは言う。ふだんは集会の場でもどこででも私の話をよくきいてくれるし、気をつかってくれる区長さんに、全く話が通じなかった。

■舗装工事・草刈りで沿道整備
 ひととおりの話が終わったあとも、小一時間はお酒やビールが出てみなでワイワイ話をするのが常であり、この日もそうだった。「沿道にかかる集落は道の草刈り、道にかかっている木の枝はらいなど当日まで大変らしい」「そりゃ、家まわりをきれいにしないといかんやろうで大変じゃ。うちらは奥まっててよかったなあ」「車が揺れるといかんので大いそぎで舗装工事じゃ」「土建屋は大もうけじゃのう」といった話から、「子どもたちは教職員組合が反対していて参加しないらしい」「共産党は天皇制廃止言うとるし、『日の丸』『君が代』反対やでなあ」という話まで、ほかにも天皇家をめぐる話も盛り上がった。
 この集会でおもしろかったのは、AさんやBさんの発言を見てもわかるように天皇のことをめぐっても好き勝手なことを言いあう自由さがあるということ。私は天皇、戦争、「日の丸」「君が代」がきらいで共産党支持者だと思われているが、ふつうに話ができたことである。
 この日の集会は夜7時半から始まって終わった頃には11時になっていた。うちでは天皇・皇后を見に行く気はない、と明言したので、このあと毎日畑のあぜ道での立ち話などでみな当日のことをいろいろ話していたに違いないが、私の耳に入ってくることはなかった。それから10月2日までの3週間ほど、うちのまわりにいると何もない日常なのに、車で町の中心部に出かけると、途中あちらこちらで舗装工事がなされ、沿道で草刈りやそうじをしている人々の姿が目立ち、国道ではいつになくよくパトカーとすれ違うなど、町がざわざわしている感じを強く受けた。
 この間、共産党議員団は町に対して、駅前での歓迎に議員として参列しないことを明言したり、町議会でもこの行幸啓歓迎のための予算800万円の支出の中身をただすなど活動をしていたようだ。

■町が「日の丸」小旗7000本を用意
 9月25日夜、区の総集会。これは例年この時期に行われるもので、公民館祭や、氏神である熊野神社の秋祭りのことを相談するのだが、それだけでなく、またまた区長さんから区長会の報告がある。「天皇・皇后の行幸啓」について、他区長から「どのような服装で歓迎すべきか」など質問がいろいろ出たそうだ。町長は「平服でよい」と言い、みなの自主的判断に任せる、強制はしないということらしいが、区長さんは、背広とネクタイは必要と聞こえた、と付け加えた。また、奉迎場所では動いてはいけないが、その場でならカメラ・ビデオは自由に撮影してもよいこと、荷物は警察に調べられたらよくないので、おかしげな物はもたない方がよい、ということなどが、話されたらしい。花いっぱい運動については、町から各区に対して花代として2000円ずつ補助金が出るということ。行幸啓のあとプランターを片づけたら区の各戸に配布すること。「日の丸」の小旗は2000戸ある町の全戸2本ずつで4000本配布するが、用意は7000本したことなどが報告された。
 あとの雑談で、うちにも「みんなにもらえるんやから『日の丸』の小旗、もって行き」と声がかかる。「記念に花も植えんか?」とも。苦笑いしながら、「いやいや、いいですわ」とどちらも断る。
 9月27日の夕方、苗が届き、作業場にみな集まってプランターづくりをしたらしい。それにしばらく水やりなどの世話をして、10月2日の前日に沿道に設置しに行ったとのこと。

■奉迎のつくられ方
 天皇・皇后訪問の前日までの大騒動を見聞きして、いろいろなことを考えた。まず、大江町の「行幸啓奉祝」は一ヶ月以上前から町が、府や宮内庁や警察に相談しながら演出したものである。それは決して宮内庁が「強制」してきたものではなく、町の方から積極的にすり寄っているのだ。しかも町民にむかっては、自発的な参加、協力を求めながら、多くの人を動員して奉迎を乗り切っていく。一方、町民は本音では皇室を心底敬愛しているわけではなく、スターを見物に行く気分でありながら、町の期待以上に建前に沿った振る舞いを見せ、自己規制をすすめ、町のお膳立てした「奉祝」に嬉々として乗って行くのだ。
 テレビでよく見る風景…… 天皇や皇后の通る沿道や立ち寄る施設での「日の丸」の小旗を振って歓声を上げる人々の姿は、このようにしてつくられている。  そして、当日がやってきた。(後編につづく)

■プロフィール■
(みやけのりこ)1962年生まれ。町から山村に移り住んで12年。田畑をつくりながらアルバイト生活。天皇制、死刑制度のない日本を見てみたい、と思っている。








■説 教■


ついていくということ。一日の始まり。
聖書箇所 マタイ8:18-22
関学神学部チャペルにて 2001/05/18
元 正章


 おはようございます。
 草木も眠る丑三つどき。ほぼ毎日、早朝というよりも深夜2時半に起きています。この3月25日から、新聞配達をしているためです。今まで、典型的な夜型人間であったわたしです。ときに夜2時半に寝入ることはあっても、その時刻に起床するなんて、考えられないことです。でも一度やってみよう、やらなくてはいけないと、思い決めたのです。

 社会人から神学生となって、一年余り経ちました。長い間、反対方向への通勤生活から一転して、阪急電車に乗り、仁川の川沿いを歩いての通学生活。その一年間、働かずに勉強だけしていました。ここ関西学院そして神学部は、勉強するにはまことに恵まれた環境であり、その中で、神学という自分にぴったり合った学問を勉強できるということは、幸せ以外のなにものでもありません。今まで自分なりにいろいろと勉強してきて、そこでイエスと出会い、キリスト教をより深く学ぶために神学生となっている。このことは、人生の喜びというよりも、感謝といったものです。有形無形の支えがあって、今のような学生生活を送っています。それだけに、授業をさぼるということなんて、わたしにとっては罪を犯すのと同じなのです。

 2年目を迎えるにあたって、生活費に事欠くことは最初から分かっていました。とにかく、働かなければならない。では、何をして稼ぐのか。勉強にできるだけ差し支えないところとなると、新聞配達が一番いいと思うようになりました。「要は、人よりも早く起きれはいいことだ。新聞配達している約2時間は、睡眠時間を減らせはすむことだ」と、単純に考えました。まず、行動ありきです。行動に移さずして、その前にあれやこれと思いめぐらしても、そこからは何も生まれてきません。「へたな考え、休みに似たり」であって、「やってみよう」その一言だけでいいのです。それにこの一年間の反省として、頭ばかりで、体を使っていないことでの肉体的な衰えを痛感していました。牧師になろうという者が、足腰が衰えて、歩くのが億劫になれば、これはやはり問題ありきです。先般、医者から中性脂肪がたまっていると指摘され、運動不足は大いに自覚しているだけに、ここで決断しなけれはと迫られました。ここで先に結論を言いますと、まだ2ヵ月にもなっていませんが、ズボンのベルトの穴が一つ減りました。「早起きは三文の得」なんてものではありません。皆様も、自分の健康を守ろうとするのならば、健康器具に頼らずに、早起きすることです。早朝未明の空気は、昼間や夜の空気と違っています。この空気を体いっぱいに浴びていますと、さわやかという言葉がぴったりです。

 早朝の時刻というのは、お日さまが東の空に昇ってくる頃を指します。普通、5時か6時頃でしょう。それが、2時半起床となると、これは不自然というかなんというか、やはりきつい。最初の日、目覚まし時計を3つ用意しました。無理やり、だましこんで、9時過ぎに寝ました。すると夢の中で、目覚ましが鳴り、一瞬遅刻したかと起き上がってみれは、まだ時計の針は12時半でした。そのあと、寝つくことができず、うたたねを操り返しながら、2時半の時を迎えました。外は、あいにくの小雨。気分うっとうしく、バイクに乗って、販売所まで出かけました。初日は、同行者の後をついていくだけ。それでも、急な坂道を、馴れない三段変則(ママ)の大型特殊バイクに乗っていると、運転もままならず、案の定見事に滑ってしまい、擦り傷と捻挫をしてしまいました。打ち身打撲もそうなのですが、その時はそれほどではなくても、2〜3日経ってから、痛み出すのです。そして数日間辛抱していれば、治っているということなのです。これを自然治癒といえば、それだけのことですが、そのとき、なにかしら守られていると、感じました。イエスとは、自然治癒の神さまでもあるなとも、感じました。

 家々が寝静まっている深夜の時間帯に、歩いている人が一人もいないところで、新聞を一軒一軒配って行きます。まさに「習うよりも慣れろ」であって、慣れてくると、走るコースといい、一時停止する場所といい、一メートル以上ずれるということがありません。もし、ずれた場合、これは間違っていると信号が発せられます。体が反応しているためでしよう。

 配っている最中、賛美歌を口ずさむことがあります。ただ今、歌った「ガリラヤの風かおる丘で」は、一番の愛唱歌です。早朝には、賛美歌が似合います。誰でもそうでしようが、朝早々に演歌を歌う人はいないでしょう。美空ひばりや森進一は、朝に歌いません。ガリラヤの風。そう、わたしは今ガリラヤの丘の上で、その風を体いっぱい味わっているのです。イエスと弟子たちがその体で感じていたであろうガリラヤの風を、遠く時代も場所も離れたこの地で、わたしもまた、共有しているのです。彼ら一人一人が歩まれた、伝道の道のりを、このような形であれ、共に体験しているのです。

 弟子たちの姿が生々しく浮かんできます。イエスと出会ったために、「わたしについてきなさい」と言われ、そのとき、弟子たちはどこまで分かっていたのか。とにかく、この人についていこうと、もう理屈も自分のことも家族のことも、なにもかもほっぽりだして、イエスについていった。その瞬間は、まるで雷に打たれたかのように、イエスの魅力に引かれたからでしょう。それが実際ついていくとなると、なんのことはない、毎日毎日が苦労の連続です。それこそ、人々が寝静まっている深夜に起き出して、朝御飯の支度をし、お祈りをし、それから、伝道に出かけます。その生活が、雨の日も風の日も、ほぼ毎日と続いたことでしょう。世間の人の安息日には、シナゴーグでの大事な伝道があり、いったい弟子たちの休まる時とは、いつだったのでしょうか。そうして、その伝道の日々がうまくいけば、まだしも終わった後、疲れは癒されます。「ああ、一日がようやく終わった。今日は、聞いてくれる人がいた」と、それが明日の糧にと繋がっていきます。ところが、石を投げられるなりして、散々な目にあうと、「なんで、こんなことをしなくてはいけないのか」と、自棄になったからとて不思議でもなんでもありません。「選択を間違った」と、弟子たちの内心の声が聞こえてきそうです。「少なくとも、イエスと出会うまでは、もっと楽な生活をしていたのに」と。そんな彼らが、道々互いに、「誰がいちばん偉いか」と言い合っていた姿というのは、よく実感できます。また、ヤコブとヨハネの母の願いとして、「王座につかれる時、わたしの二人の息子をどうか、あなたさまの右と左に座らせてもらえますように」とイエスに頼み込むのは、これも親心として理解できます。また、ゲッセマネの園で、三人の弟子たちがうとうとと眠り込んでしまったというのも、無理からぬことです。そして、言われたイエスの言葉。「もういい」と、その一言の言葉に、「よく、ついてきてくれた」、イエスの弟子たちへの思いが伝わってきます。

 生活者たる者、何が一番かといえば、帰る家があるということではないでしようか。疲れた身を横たえるところ。ほっと息抜きのできるところ。「今日一日の苦労は、今日一日で足れり」と、独り言の言えるところ。なのに、イエスには、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」。そのことに対して、わたしなんぞには、何も言えません。このことから、長く病いの床にある知人の言葉が、甦ってきます。「いくらどん底にあっても、この後、頑張れるという人は、幸せなものです」。その方に対して、どのような励ましの言葉をすれはいいのでしょうか。

 言葉とは、また単なる伝達の手段としてではなく、神のみ言葉(ロゴス)でもあります。人を殺すも活かすも、言葉であります。人は死んでも、言葉は永遠に生きます。聖書とは、まさにその言葉たちの集まりなのです。実が結んだものです。伝えるべきというよりも、伝えられたものであり、伝わるものなのです。わたしたちキリスト者は、このことをどんなに感謝しても、感謝すぎることはありません。

 新聞配達をしていますと、家の中までうかがい知ることはできませんが、玄関の戸口にいろんな表示がしているのを目にします。あるところなど、「中を覗くな」と、模造紙にマジックで大書きして貼っています。どんな家庭なのか、想像するだけでも疲れてきそうです。あるマンションでは、「いつも、ごくろうさまです」と、子どもの字で書かれています。それを見ると、ほっとします。「猛犬注意。犬がいます。かまれても責任もてません」と、市販の看板が貼られています。その犬がまたなんとも可愛い小犬でして、すっかりお友達になりました。近づくと、いつも舐めてくれます。その小犬に名前をつけてやろうと思い、考えました。アブラハムか、モーセか、ヨハネかペテロか。それともマリアか。どうも、その小犬らしくありません。そこで、ヨシュアにしました。イエスのヘブライ語読みであり、モーセに仕える忠臣。忠犬には相応しい名前でしょう。「ヨシュア」と読ぶ(ママ)と、嬉しそうです。

 ほぼ毎日配っていますと、そこで出会うのは、もつぱら同業者の人です。あるとき、すれ違いに、「まいど…」と挨拶されました。「毎度」とは、どういうことか、そのとき一瞬ためらいました。「毎度、おおきに」をイメージしてしまいました。でも、すぐに思い当たりました。「おたがい、毎度のことだな」と。わたしたち、道こそ違え、ほぼ同じ地域を毎度、配って回っているのです。「毎度」とは、自分のことも含めて、相手に対して呼びかけている言葉だと、直感しました。

 5時頃に、配り終えてから休憩します。小鳥のさえずりを聴くともなく耳にしつつ、坂道の上から、街の灯を眺め、晴れた日には遠く紀州に目をやりながら、煙草に火をつけます。わずか数分間のときではありますが、仕事を終えての解放のときを味わっています。新聞配達をすること。それを毎日、間違えずにきちんと届けること。ただそれだけのことですが、仕事を果たしたという実感が、そこはかとなく湧いてきます。当たりまえのことをしているに過ぎません。あと数時間経ては、それぞれの家庭では、新聞を当たり前のように広げて、読んでいるのです。わたしたち新聞配達夫の仕事とは、その当たり前のことを可能なさしめる縁の下の力持ちということです。すなわち、地の塩ということです。

 帰宅すれば、5時半前。朝風呂に入ることが習慣となりました。それから、朝食。食前の祈りは、決まっています。「神さま、一日の始まり、ありがとうございます」。6時から、FM放送でバロック音楽が一時間あります。今まで、聴きたくても聴けなかった音楽番組でした。聴きながら、子どもの分も含めて弁当を作り、7時からはラジオ講座のドイツ語、フランス語。そして通学と、生活のリズムがすっかり定着しました。

 まだ、2ヵ月にもならない経験の一コマを語らせていただきました。起きて、家の外に出てしまえば、あとはしゃっきりしているのですが、それにしても、「なんで、こんな時間に」という気持ちを拭い捨てることはできません。それが、仕事というものだから、習慣となっているからというだけでは、納得しないもう一人の自分がいるのも意識します。

 「ついていくということ」は、一体どういうことなのでしょうか。ましてや、イエス・キリストにつき従うということは。このことは、なにも「箸とお茶碗」だけを持って、イエスの後を追って行けば、すべてそれでいいということではないでしょう。肉体的には、午前中が一番冴えていて、昼食後がつい眠たくなってしまい、丸一日が充実の時を過ごせるわけではありません。夜9時には、もう寝なくては、体が持ちません。このような限界の下で、目一杯に日々過ごしていて、今日この日が始まり、終わり、そして、翌日を迎えるということ。人が生きるというのは、なんなのだろうと、あらためて考える毎日でもあります。多分、そこで、明確な答えは出てこないでしょう。「主の祈り」を唱え続けていくことで、一日一日を刻んでいきたいと願っています。

 最後に、新聞配達したことで、出会った人がいます。その人は、関学OBで、かつて教会に行っていました。その時ある牧師の話が今も強く刻まれていると言われました。「祈るとは、ざるで水を掬っているようなものかもしれない」。それを聞いた信徒が質問しました。「それなら、いくら祈っても無駄なのですか」。牧師はその質問者の顔をじっと見つめて、しばらく時を置いて、こう語りました。「そういうことだな。でも、何度も何度も、ざるで水を掬っていたならば、ざるはきれいになる。そのざるとは、あなたの心のことです」。

お祈り
 神さま、今日もこの日一日を与えていただき、ありがとうございます。恵みのみことはを、ちからのみことばを、すくいのみことばを、いのちのみことばを、わたしにも聞かせてください。お願いします。このお祈り、主イエス・キリストのみ名によって、み前にお捧げします。アーメン。

■プロフィール■
(はじめ・まさあき)1947年生まれ。神戸生まれ育ちの異邦人。南天荘書店、コーベプックスを経て、現在、関西大学神学部大学院に在籍。


■編集後記■
★その人物の存在を、広く知らしめるために始められた全国「六大巡幸」(1872年〜1885年)は、やがて肖像写真の配布へとつなげられ、その神格化を成功させていく。この一大行事は、その存在を「見せる」ことで、人びとの視線を一つに集中させただけでなく、その存在から「見られる」対象として、人びとを配置していったのである。現在の「行幸啓」と同じくそれは、「天皇による“視察”(天覧)でできあがっていた」(『天皇の肖像』多木浩二、岩波新書)のであり、「泥のなかに足を投げだして」いた農夫たちも、やがては整列させられていったのだろう。トラクターの上からそれを「見る」ことが、少しも「かっこ悪くない」この国を、私もまた、一度は見てみたいと思っている。(加藤)
★今回の「共同アピール」は、野原燐さんの提起と原案に対して有志が意見交換することから、「報復戦争反対」と「日本国の戦争支援(参加)反対」の2点にポイントを置いて作成した。現時点で、テロルの首謀者を認定する証拠は公開されておらず、またテロル側の「声明」もなく、いわば推定のみで戦争準備が進行している。そしていち早く戦争支援を表明している国々は、自国内に紛争を抱えているか地政学的な利害が絡んでいる国々である。アメリカ合衆国およびこれらの支援国が言う「正義」には、さまざまな「思惑」が隠されている。(黒猫房主)





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