『カルチャー・レヴュー』17号

■現代思想■


終わりなき闘争?
―柄谷行人の「転回」―

平野 真



 『トランスクリティーク』以後の柄谷行人が評価されるとき、例えば、山城む つみなどは「転回」という言葉を使いながら柄谷のことを語っている。最近出 版された『可能なるコミュニズム』、『原理』、『NAM生成』などで語られ る理論的な考察は、すべて「NAM(New Associationist Movement)」に関す るものであると言ってよいが、柄谷行人の「転回」とは、理論家・柄谷行人 が、実践家・柄谷行人へと転換したことを漠然と意味しているように思える。 『トランス・クリティーク』以前の柄谷行人は、歴史上出現した社会主義に対 して批判的な距離をとりつつ、アイロニカルに資本主義を肯定し、資本主義の 徹底化を通じて求められる共産主義という抽象的なビジョンしか提示してこな かったがゆえに、なおさら、実践家への「転回」が際立ってくるのである。

   我々は、90年代中ごろまでの柄谷行人から原理的なものを探求・批判す る驚くべき一貫した態度を見ることはできよう。だが、それが、即座に社会的 実践への指針となることはないといってよい。実際、岩井克人との対談をまと めた柄谷行人の極めて旺盛な批判精神を見ることができる『終わりなき対話』 をわれわれが読むとき、われわれが手にすることになるのは、矛盾を抱えた制 度からバランスがとれた理論的な距離を保つための指針とでも言うべきものに 過ぎないだろう。その指針とは、個が、社会性を喪失し、差異性を失ったナシ ョナルな特殊性に埋没することなく、世界資本主義のダイナミズムに身をゆだ ねて、単独的な自由な個の結合を目指し、「歴史の終わり」というヘーゲル主 義に対抗する形で、「終わりなき闘争」を目指すという抽象的なものにすぎな い。


  岩井:さっきの個の自由な結合としての共産主義ということですけれど、
      それは世界資本主義とどこが違うのですか?

  柄谷:同じことですね。
                               (p203,『終わりなき世界』


   この書物における二人の対談は、ベルリンの壁崩壊、東欧の崩壊、ソビエト 連邦の崩壊という歴史的経験によって生じた「マルクス主義の崩壊」=「歴史 の終わり」を受け止めつつ行われたものである。フランシス・フクヤマなどの イデオローグは、冷戦構造の崩壊を「歴史の終わり」というヘーゲル主義的な ビジョンに回収してしまう。そのヘーゲル的ビジョンとは以下のようなもので ある。人類が命を賭けて体制選択のために行う政治的なイデオロギー闘争は、 ソビエト連邦に代表される社会主義圏が歴史的に敗北=崩壊し、「自由」と 「民主主義」という基底的な枠組みが人類の歴史において勝利することで終わ りを迎えた。したがって、歴史において「自由」と「民主主義」は、最終的に 人類によって選択されたのであり、以後の人類の歴史は、そういう「自由」と 「民主主義」という基底的な枠組みを前提として歩みを進めるがゆえに「終わ った」のだ、というビジョンがそれである。したがって、フクヤマなどのイデ オローグによれば、マルクスに対して自由主義思想家としてのヘーゲルが勝利 したのであり、歴史は20世紀末に再び、「終わった」と判断されたのである。

 もちろん、柄谷行人はこうした自由主義イデオローグたちの見方にくみする わけではない。だが、この90年に行われた対談では、「歴史の終わり」という 強力な歴史的ビジョンに対して「現実を止揚する運動」(マルクス)としての 共産主義を主張しつつ歴史の目的や終わりの観念を批判するに留まっている。 ここで押さえておきたいのは、この時期の柄谷行人にとっても、自由と民主主 義という資本主義を支える基本的な前提のうえにたって行われる反システム的 なマイノリティ運動などのラジカルな民主主義=ポスト・マルクス主義的な社 会民主主義には断固として批判的であったということである。柄谷行人は、初 めから状況に対して「倫理」的であり、資本主義的な経済の批判を前提として いた。

 柄谷行人が自己の立場を語るところによれば、彼の「転回」は、状況の変化 に即したものである。冷戦構造が存在する時代には、ソ連圏の社会主義体制と 自由主義圏の資本主義体制の両者を批判する第三の道を提示するために、米ソ の二極構造を根底で支える世界資本主義のダイナミズムをアイロニカルに肯定 し、それを超える第三の道としてのコミュニズムを柄谷行人は語っていた。だ が、二極構造を支えていた一方が、崩壊し、世界が資本主義経済圏の勝利に見 えるような状況においては、理論家が語るべきことは違ってくると彼は言うの である。そこでは、68年から90年まで有効に思えた脱構築主義などが保守的な ものとなり、むしろ、具体的な実践的な思考が要請されると言うのである。現 在、浅田彰が述べているように、新カント派的な良識派的なモラリズムへの回 帰がフランスやドイツやアメリカ、および日本において生じている。社会主義 圏が崩壊した後、理論家たちは、マルクス主義の理念を再検討したり、資本主 義のシステムの根底を批判するのではなく、資本主義的な前提を踏まえつつ、 自由競争と私的所有が作り出す矛盾を解決するためのセーフティ・ネットとし ての「社会民主主義」への思想的な回帰=転向が見られるのである。

 柄谷行人は、もちろん、社会民主主義的な綱領を認めない。では、マルクス をいかに読むのか。彼は、西欧マルクス主義の歴史の総体、すなわち、ルカー チ、グラムシを経て、アルチュセール、フーコーにいたる系譜を批判する。柄 谷は、ルカーチがヘーゲルの主と奴の弁証法を賃労働―資本の関係に適用し、 労働者が、意識の物象化を乗り越え、資本家を打ち破るという生産中心史観を 提示したことを、マルクスをヘーゲルに後退させるものだと批判する。さら に、グラムシを経てアルチュセールの国家のイデオロギー装置にいたる理論 は、革命化しない労働者階級の日常を上部構造に狙いを定めて、制度的な分析 を行ったものなのだが、柄谷が指摘するように、そうした上部構造の研究をい くら緻密に行っても当然ながら、労働者階級は革命化しないし、実践的な指針 にはならなず、それらは、逆に、結果的に、理論家のヘーゲル的な「歴史の終 わり」への「転向」を示すものに過ぎない。だから、そういう理論はマルクス 主義にとって無効であると柄谷は宣言する。それらの理論には、ヘーゲルの主 人と奴隷の弁証法を労働者階級と資本家の関係に誤って適用すること、及び、 生産中心主義的に理論を構成しているという問題があるのだ。さらに、柄谷行 人は、そうした理論が前提とする上部構造、土台という二元論は、『資本論』 において意味を喪失しているのだと考えている。

 柄谷行人にとって、マルクスは、『資本論』全三巻の到達点から見られねば ならないものである。とりわけ、柄谷行人は、資本主義社会の現実的な幻想と しての宗教的な構造、すなわち、信用の制度、価値の形而上学的な性質などに 関心を向けている。
 彼は、マルクスの価値形態論をラジカルに読みつつ、価値の幻想性を暴露す るために、価値が交換の事後性において発生することを強調する。商品の売り 手と買い手の間には、キルケゴールが『恐れと慄き』において信仰における倫 理の構造を問題にしつつ、倫理的なものを宙吊りにしてしまったように、価値 それ自体の根拠が宙吊りにされる契機が存在するのである。マルクスは、それ を「命懸けの飛躍」と言う言葉で表現したのであった。柄谷のマルクス読解に は、こうした意味で、しばしば、幻想中断的な批評性を強調する傾向が存在し 売り手と買い手の非対称性を強調しつつ、即物的な実践を幻想に対置すること によって幻想を解体しようとする傾向が内在している。

 柄谷行人は、『可能なるコミュニズム』の序言のなかで、『トランス・クリ ティーク』の最終章を書いているときに大きな「転回」が起こったと言ってい る。資本制が要請する「倫理」は、原理的に言って、他者をたんに価値増殖の ための手段とするシステムであるが、柄谷は、コミュニズムを、カントの言 葉、「他者をたんに手段としてのみならず、同時に目的として扱え」を経済的 に表現したものだと理解したのである。ここで、確かに、柄谷行人は、90年の 岩井克人との対談で言っていたことから「転回」していると言ってよい。コミ ュニズムが、カント的なものを内在させた行為によって確証される倫理的な絶 対的な実践として、理解されることになったからである。それ以前までの柄谷 の理論によれば、実践は経験的なレベルに留まっており、カントの考える定言 命法のレベルで考えられたものではない。それは、その場、その場における偶 然的な実践として理解される傾向があったと言える。だからこそ、共産主義を 目指す実践とは、アイロニカルに資本主義を肯定しつつ、それを超えるものと して抽象的に表現されるに留まっていたのである。

 柄谷は、そうした「コミュニズム」の可能性を労働者と消費者運動の結合に 見ようとする。柄谷行人が指摘するように、生産中心主義のマルクス主義は、 労働者を革命の主体と把握していたがゆえに限界に直面する。生産中心主義的 な労働者運動は、資本の能動性が、労働者を受動的に組織するがゆえに、権利 獲得運動以上には進展しないのだ。柄谷は、むしろ、労働者が主体として登場 する場にこそ可能性を求めるべきだと言うのである。つまり、資本制商品が売 られる市場においてこそ、労働者は主体として資本に向き合うことが出来るの であり、そこにおいてこそ、非暴力的ながらも革命的に労働者は資本に対して 振舞えるのである。

 資本主義に労働者が、抵抗するには、単純に、資本というG―W―G’の運 動を止めさせればよいと、柄谷は言う。彼は、資本が最終的に、流通過程にお いてしか剰余価値を実現できないことを強調し、資本の増殖運動に潜む「命懸 けの飛躍」を内在させた幻想的な核を消費者運動という即物的な実践によって 宙吊りにし、価値増殖運動に停止を命じようとしているのである。

 ここまでくれば、NAMの柄谷行人まであと一歩である。柄谷はさらに、剰 余価値源泉である労働者が、資本に自己を売り渡す際にも抵抗を示せるような 仕組みを考えようとする。柄谷は、資本の無限の価値増殖運動を停止させるに は、資本制商品を買わないで、かつ、資本制商品を生産するな、という単純明 快な「倫理」を実践すればよい、とすることで、二段階目の「転回」を果たす のである。

 NAMは、生産協同組合を通じた消費者としての労働運動として考えられた ものであり、それは、主体としての労働者が消費者として市場に登場する側面 を強調した不買運動からさらに一歩踏み出す形で生まれた実践である。NAM とは、労働者が資本に自己を売り渡さないでも生産が可能になる場を創設する 運動なのである。NAMという運動は互酬性に基づく地域貨幣の創設によっ て、個々の市場が成立するその度ごとに売り手と買い手の間に自由に地域貨幣 を発行するシステムなのだが、それがどこまで機能するのか、そして、その地 域貨幣たるLETSに基づくNAMがどれだけの広がりをもちうるのかという 問題は、残念ながら、本稿の課題を超えるので、次の機会に考えたい。

 我々は、柄谷の90年以後の歩みをざっと眺めてきたわけであるが、彼の転回 は、社会主義圏や東欧の崩壊を契機として始まったといえる。その転回が、 『トランス・クリティーク』の結論部で、消費者=労働者運動という資本の流 通過程に対する抵抗運動として表現されることになった。柄谷の「希望の原 理」としての「コミュニズム」は、カントとマルクスを非弁証法的に媒介し、 マルクスをカントから読むこと、あるいは、カントをマルクスから読むことで 可能になるものであり、「可能なるコミュニズム」としての資本への抵抗運動 は、「倫理的な資本への抵抗」として理解されるべきものである。

 柄谷は、NAMに可能性を見出しつつ、共同組合的な生産者によるトランス ナショナルでネットワーク的な生産が作り出す新しい「結合された悟性」を、 超越論的な統覚として機能させる「コミュニズム」を「目的の王国」として、 行為によって確証される実践理性の「意味」とするのである。だが、ここに は、ある捩れが存在している。なぜなら、柄谷自身が、こうしたLETSを内 在させたNAMを「対抗ガン」的なものとして考えており、後期情報資本主義 段階の制度それ自体を内部から侵食する実践と考えているからである。柄谷な らば、それが、実践の拡大によって、意味を変えていくだろうことを、おそら く折込済みであり、エンゲルスがある意味で素朴唯物論的に「プディングの味 は食べてみないと解らない」と語ったのと同じように、「やってみなければわ からない」という曖昧さが付き纏っているように思われる。私自身、この短い エッセイを纏めるために、出版されたNAM関係の書物は全て目を通したが、 その資料や柄谷の歩みからは、そういうNAMの実践が要請される理論的な意 味それ自体は、良く理解できるし必要なものだと考える。いつもながら、柄谷 行人の政治的でありかつ動物的カンの良さには敬服するのだが、運動それ自体 の可能性についてはまだわからないという印象しか残らない。

 柄谷の「トランス・クリティーク」は、カントをマルクスによって、マルク スをカントによって読むことによって達成されたものであった。そもそも柄谷 の理論そのものに、資本主義制度それ自体が作り出す宗教的な幻想の構造を素 朴な実践を対置させることによって、宙吊りにするという批評的、あるいは、 幻想中断的な傾向が内在しているが、「トランス・クリティーク」において は、柄谷の従来の側面に対してカントの『純粋理性批判』と『実践理性批判』 をアクロバティックに適応することによって、柄谷の理論を基礎付けようとし ているように思える。したがって、柄谷行人の理論的可能性は、カント哲学そ のものの可能性に対応しているのではないか。

 カントは、理論理性において、人間の精神の無限性を表現するものである 「来世」、「神」、「永遠」などの理念を宙吊りしつつ、理性の適用を悟性の 範囲に限定したのであった。そして、実践理性においては、悟性の範囲に適用 された理性が、実践理性の優位のもと、行為によって確証される理念の実現に 拡張される。だが、カントの理論そのものの限界と可能性は、主体の根拠づけ を欲しながら、実際は主体を宙吊りにしてしまい、現実と理論の関係そものの が、主体の実践的効果でしかないこと、すなわち理論と実践の関係を根拠付け る理論そのものが、根拠付け不可能という不可能性を内在させていることを示 してしまったことである。そういう意味で、ヘーゲルは、カントの超越論的な 主体を「空虚」な主体と呼び、ヘーゲル理論はその空虚な位置を主体に確保し ようとして、『精神現象学』を書いたのである。

 柄谷の理論は、メビウスの帯のように、現実と理論が対応関係を持ちつつ構 成されているように見える。というのも、柄谷行人において、NAMの実践 は、資本主義社会の宗教的で幻想的な構造を宙吊りにし、そこに倫理的に介入 することで、無限に進行するように見える資本の増殖運動に「停止」を命じる のだが、その運動それ自体が、現在のところ資本主義制度総体のそのものの存 在に依存しているからである。NAMが提出する共同体のシステムと資本主義 のシステムの区別それ自体を、資本主義が内在化させる傾向をもっているよう に思われることが問題なのだ。だが、NAMそれ自体は、メビウスの帯のよう に絡まった現実と理論そのものの関係をユートピア的に外部から眺めることが 出来る「視点」そのものを提供するのである。その点が重要なのであって、そ れゆえNAMにおいて、主体が倫理化されうる可能性を持つのである。

 だが、互酬性に基づくLETSの運動が拡大して、複雑な生産システムを持 ってしまったときマルクスが『哲学の貧困』において、「労働貨幣」運動を推 進するプルードンを批判したように、「資本」を創造してしまわないという保 証はどこにもないように思える。その運動は、資本主義社会の幻想の構造を抜 け出すかに見えて、また、その幻想に内在化されてしまう傾向を不断に持って いるように思えるからだ。だが、柄谷は、幻想の宙吊り、停止の瞬間そのもの を実現する「行為」それ自体の唯物論的な力にすべてを賭けるのであり、その 幻想が中断される瞬間において、「可能性」が根源的に噴出すことを理論によ って肯定し、それを「希望の原理」としたのだということは最低限、言い得る だろう。

 私たちはあくまでも「NAM」に結果する柄谷の歩みを理論的に見てゆかね ばならないのであり、同時にそれを現実の運動に即して経験的に判断しなけれ ばならない。  柄谷行人の世紀末の10年から21世紀への歩みは、具体的な実践へと投げ返さ れることで収束したのだが、その「終わりなき闘争」は、わたくしたち自身に 投げかけられた「問い」であり、かつ、長い歴史によって評価されるものだろ う。

【参考文献】 『トランス・クリティーク』(『群像』98年9月号〜99年4月号に掲載)
『可能なるコミュニズム』(太田出版)
『原理』(太田出版) 『NAM生成』(太田出版)
岩井克人、柄谷行人著、『終わりなき世界』(太田出版)
浅田彰著、『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)
フランシス・フクヤマ著、『歴史の終わり・上』(三笠書房)

■プロフィール■
(ひらの・まこと)1969年生まれ。ドイツ近現代哲学・美学専攻。大学院修士 課程修了。とりわけベンヤミン、アドルノなど。在野の研究者。共著『反論― ネットワークにおける言論の自由と責任』(光芒社)、論文「商品の呪術的性 格の脱魔術化に向けて」「複製芸術論のアクチュアリティー」(「La Vue」2 号、5号掲載)など。http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/7059/


●●●●「La Vue」6号の内容(01/06/01発行)●-----------------

 ◆凰堂のペルシャ美と京都復興―「京都デザインリーグ」の試み」
  渡辺豊和(京都造形大学教授・渡辺豊和建築工房主宰)
 ◆わたしは、『「懸命に」ゲイに「ならなければならない」』
  大北全俊(大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室)
 ◆「態度の変更」として――柄谷行人著『倫理21』を読む
   村田 豪
 ◆「これが好きだ」ということが好きだ
  小杉なんぎ(コラムニスト)
 ◆わたしたちは忘却を達成した――大東亜戦争と許容された戦後
  野原 燐

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■哲  学■


『少年とアフリカ』という本にて
―殺すこと、殺されること―

中島洋治



 近ごろ、気のせいかもしれないが、「なぜ人を殺してはいけないのか?」を テーマにした話を、雑誌やテレビで見かける機会が多かったように思う。ま た、そうした言葉がタイトルや帯に印刷された単行本も少なからず見かけた。 この問いは、きっと若いうちに誰もが一度は問うような問いだろうと思ってい た。実際のところはどうか分からないけれども。私はといえば、10代の頃は今 よりは真面目にこのことについて考えていたような気がする。

 『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文藝春秋、 2001年)という本は、音楽家の坂本龍一氏と、作家の天童荒太氏の対談を収め たものである。なぜ人を殺してはいけないかという問いを冒頭に書いたのは、 この本の中でもそれに類したテーマが話されていたからである。しかし、『少 年とアフリカ』での坂本氏の問いは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と いうものではない。彼の言葉は、「僕は自分の子どもが殺されたら、やっぱり 復讐に行く」というものである。また、「僕は、息子が人さまの子どもを殺し たら、息子を殺すと思う」とも言っている。私には子どもがいないので、この 言葉を現実の自分の生活に対してそのまま問うことはできなかったが、これ は、「なぜ人を殺してはいけないか?」という一般的な形での問いではなく、 「自分の子どもや愛する人が殺されたらどう思うか、どうするか?」という、 より具体的な問いになる。

 『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフは、「一つの生命(いのち)を消す ことによって――数千の生命が腐敗と堕落とから救われる。一つの死と百の生 命の交代――こんなことは算術の計算をするまでもなく明らかじゃないか!」 と、ある士官に言う(新潮文庫版より)。この理論(?)は今まで何度も語ら れてきたかもしれない。しかし一方で、最近になって私を驚かせた殺人事件が あった。「人が死ぬのを見てみたかった」という供述をした少年の話が新聞に 載っていたのだった。過去に「太陽がまぶしかったから銃を撃った」という小 説も確かにあった。しかし同時代に起きた事件はその迫り方がまた違う。

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うた時に、「よい」という結論は 見えてくる。しかし同時に「いけない」という結論も見えてくる。そして分か らなくなる。これが私の実相だ。「分からない」のである。したがって、私は 「人を殺してもよいか?」と問われても答えることができない。しかし、その 問いに対して、問いと答えがずれているのは分かっている上で、私は「いや だ」と答えたいと欲する。そしてまた、このようには言う。「あなたが私や、 私が殺されてほしくないと思っている人を殺そうとしたら、私は「必死で」あ なたを殺そうとする。そして、あなたがそれによってどれほど苦しんでも私は 知らない。そしてもし私が生き残った場合、私はすごく悩むかもしれない」。

 永井均氏は、『これがニーチェだ』(講談社現代新書、1998年)の中で、 「相互性の原理」について触れている。すなわち、「きみ自身やきみが愛する 人が殺される場合を考えてみるべきだ。それが嫌なら、自分が殺す場合も同じ ことではないか」というものだ。私が上に書いた言葉は、概ねこの相互性の原 理に相当するだろう。違いは、私の言葉には、相互性の原理とともに、正当防 衛および報復や仇討ちの論理が見えているところである。

 永井氏によれば、この原理には二つの応答の可能性があるという。一つは、 「私には愛する人などいないし、自分自身いつ死んでもかまわないと思ってい る」というものであり、いま一つは、「私や私の愛する人が殺されるのは嫌だ が、だからといってそれがどうして私が他人を殺してはいけない理由になるの かがわからない」というものである。(ちなみに、永井氏は、「人を殺しては いけないのか?」に対する本当の答え(ニーチェによる)は、「重罰になる可 能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」のだと述べ ている。また、ニーチェは、究極的には、この答えに相互性の原理を介在させ てはならないと考えていたのではないかと言う)。

 ところで、相互性の原理に対する応答は、相互性の原理が理に訴えて説得力 があるように、応答の方も理に訴えて説得力があると思われる。先日、テレビ (確か、読売テレビの「希望の国のエクソダス」に関する番組)で香山リカ氏 が、第一の応答をするような若者が実際にいる、と語っていた。そして、根拠 があるわけではないが、きっといるに違いないと私も思った。しかし、どれほ どの覚悟をもってそのように言えるのかは、もう一度問うて然るべきだと思 う。ついでに言えば、その覚悟をしていれば私はその人に誠実さを感じること もできなくはない。ただし、「然るべき」とか「誠実さを感じる」という言葉 は、それ自体、倫理的・価値的な言葉である。

 羅列的にいくつかの意見を書いてきたが、ここで私は注意をしたいことがあ る。たとえば、私が上に書いたような言葉、「あなたが私や、私が殺されてほ しくないと思っている人云々……」は、日常性の文脈と、たとえば限界状況で は当然違った意味をもつ、ということである。端的に言えば、これは一般論で はおさまらない言葉なのだ。厳密に言うならば、あらゆる言明は一般論をのが れるのかもしれないが、しかし、「殺す」とか「殺される」といった「物騒 な」言葉は、私には厳密さを言う前にじつに重苦しいのだという認識がある。 理由は簡単かもしれない。私は殺されたくないからである。

 先ほどの坂本氏の問いにはいくつかの契機があるが、そのうちの一つとし て、「自分の子どもが殺されたのだから、その殺したやつを殺しに行ってはい けないのか?」というテーゼが読み取れる。これは「人を殺してはいけないの か?」という一般的な問いと、ある条件ではどうか? という問い、それから 相互性の原理での前半部分、「きみ自身やきみが愛する人が殺される場合を考 えてみるべきだ」を指している。原理は一般を扱うので、坂本氏は原理に従え ば殺しに行くことはできないが、少なくとも原理への言及を行っている。具体 的な事象を語ることで、錯綜した状況を明らかにしている。

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うと同時に、『少年とアフリカ』 のように、自分の息子を殺されたら殺しに行くか、と問う態度は必要だと思 う。特にこのような「重苦しい」問題についてはそうだろう。一般的な問いと 具体的な状況での問いが世界には存在する。その両方を意識しつつ語ることは 難しいが、じつは、現在固定化したように思われる理論、たとえば今までの文 脈からは少々突飛な例のような感じがするかもしれないが、数学や物理学の理 論も、そうした両者への志向を持っていたと思う(また、持っていてほしいと 思う)。議論を整理することの難しさと大切さ、それと同時に、そうしないこ との大切さもあるのではないかと思うのである。

 『少年とアフリカ』の最後の方で、坂本氏は次のように語る。「最愛の人が 殺された。仕返ししてやる――そうではない思考力が人間にはある。それをな んとか表現しようとする人もいる。」それは「許す」という言葉で表されるも のではなく、むしろ「生命への畏れ」とでもいうようなものであるという。私 はその言葉に救われた気がした。

■プロフィール■
(なかじま・ようじ)1970年生まれ。男性。大学では哲学専攻。職を転々と し、最後は編集、今は自由業。茶飲みジジババになることを目指している。 http://www.asahi-net.or.jp/~ah9y-nkjm/

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■舞踏/ダンス■


ダンスに感応する関西での日々
〜「観る身体」になるために〜

小暮宣雄


 もう一年以上も前になるが、ダンスの「パフォーマンスと解説」に来ていた 伊藤キムさんらと道後温泉に入ったことがある。その時彼が、ダンサーは世界 で二番目に古い職業だってねと笑って言った。
 彼の知人が道後温泉でストリッパーとして踊っていたことに話題が広がりは したが、芸術ダンスの鑑賞について、松山ダンスウェーブという市主催の企画 で彼と語ろうとしていた私にはこのテーマは荷が重すぎた。  確かにオーケストラの語源が「踊る場所」という意味だったり、芸能の原点 に舞踊があることは以前から理解していたつもりだった。でも、職業としての ダンサーと、一番古い職業だと言われたりする売春/セックスワークとの関係 については深く考えたことがなかったのだ。

 …天宇受賣命(あめのうずめのみこと)、天の香山の天の日影を手次(たす き)に繋けて、天の眞拆(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉 (をさば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の岩屋戸に槽(うけ)伏せて踏み轟 こし、神懸りして、胸乳(むねち)をかき出で裳緒(もひも)を陰(ほと)に 押し垂れき。ここに高天の原動(とよ)みて、八百萬の神共に咲(わら)ひ き。…

 ご存じ、天照大神が岩屋戸に隠れた古事記の一節である。踊る衣裳の起源や 踊る体が発する音の効果についてを考えさせてくれる所でもあるが、ここでは すでに舞踊に観客が存在しているということに注目したい。「踊り子」には触 ってはいけないという「ダンスを観る」快楽の基本的構造が出来上がっている わけだ。
 セックスもまた身体の日常的でない動作によって生じる快楽だが、踊り手と 観客というような区分はもともとはない。セックスを職業とする専門者が生じ ても、お客は参加することが原則となる。セックスワーカーがどうしてダンサ ーよりも古いのか。それはストリップダンスを観るだけの客のような、物理的 には参加しない快楽者が出現していない時代からの職業だからかも知れない。 なんて屁理屈をようよう思いつく。

 6月10日天王寺の茶臼山舞台にて、山梨県白州/舞塾(現・桃花村)の玉井 康成独舞『ザマ』の始まりを待っている時に、このエッセイを依頼された。玉 井康成の舞台については、まず毎日つけている「アーツ日記」に書き、その一 部をインターネットにあげた(ので、それを参照して欲しい)。
 そこでも触れたが、原稿を頼まれたこともあって、どういう時にこのダンス は自分に届いたなあと感じ、どういう時に感じないかを意識しながら観てい た。

 すると、観ている私にダンスが届くには、そのダンスに共振する自分の身体 があるかどうかにかかっていることが分かってきた。つまりそこで私が「踊り を観る身体」になって初めて踊りについて語ることができるのである。  結局そこに物理的に居ても、実際は踊りの場に私が居たとはならないのだ。 そしてその「踊りを観る身体」はダンスが始まる前から徐々に準備ができてい るときもある。公演が始まってから、ある一瞬の動きや身体と音(光)との出 会いがそれを引き出してくれることもある。

 鑑賞し損なう原因は、世俗的な雑念などの時もあるし、制作の不手際や周囲 の観客層など小屋環境のもろもろの条件にも左右される。しかし、一番大切な のはもとより眼前のダンスそれ自体である。
 ただ、その次に大きく影響するのは、今までにどんな身体動作を自分自身の 目で観察したり体験したか? によるように私には思える。その経験の中のあ る塊が、いま眼前にある身体によって数珠つなぎに引きだされるのだ。瞬時に 私の身体が、過去に踊りを観た当時の身体の感応記憶と参照しつつ、眼前の身 体の新鮮度や巧拙を教えてくれる。

 そうなればしめたものだ。自分の身体なのに、踊りを観る私の身体は、今ま での他者の踊りを観た記憶や、他者との交わりによって身体に刻まれた体験に よって、今だけの、私だけのものではすでになくなっている。
 ひょっとしたら、古事記にあるような、踊る身体を観る快楽に「はまった」 先祖たちの感応した記憶までも尾てい骨あたりに潜ませて、私たちの身体は、 ダンスを観る快楽をいつかリリースさせようと待機しているのかも知れない。
(「La Vue」3号より転載)

■プロフィール■
(こぐれ・のぶお)京都橘女子大学文化政策学部教員。NPO法人アーツワーク ス理事。1955年大阪市生まれ。10年ほど前から、継続的に様々なアーツ現場を 観察するようになり、その記録を日記形式で書き綴り、99年9月からは「アー ツ・カレンダー」(http://www.arts-calendar.co.jp/)にレビュー「こぐれ 日記」を掲載(5月にはCD-ROM「つれづれアーツ日記1996-98」をアーツワー クスから出版)している。中でも関西の若手ダンサーには触発されることが多 い。由良部正美はじめとする生きた舞踏の流れの他にも、岩下徹のワークショ ップ体験から出発した山下残や若井博人、あるいは黒子さなえや北村成美、砂 連尾理・寺田美砂子、クルスタシアにポポル・ヴフ、BISCO…。ジャンルも様 式も現れも多様な振付家たちが、海外や関東などとの交流も始まって、難波の トリイホールや京都の中京青年の家などの小さなスペースで新鮮な公演を続け ている。あとは、その場に座り、いつ自分の体が「踊りを観る身体」になるの か、その瞬間を待てばいいのである。



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■編集後記■
★平野さんには、「NAM」批判のテーマで原稿依頼をしたところ、柄谷行人 のこの間の思想的「転回(展開)」に関して要領を得た論考を入稿していただ いた。黒猫の提起した疑問にも言及され、柄谷入門としては「バッチ・グー」 ではないかと思う。「う〜む。なるほど」と膝を打った次第。
★中島さんのエッセイは、難解な言葉を遣わないで「哲学している」好感のも てる論考で、とくに論旨の展開には共感を持った。しかし坂本龍一の言うよう に、死に対して死を以て贖うことはできないと思う。報復や復讐の論理は、死 の非対称性の前では挫折するしかない。復讐しても死者は甦ってはこない。そ れでも復讐心あるいはその逆の罪障感が生じるのは、残された生者が、死者か らの負債を何とか返済しようとするからだろうか。しかしこの返済も、同じく 挫折するしかない。そしてその挫折が、「生命の畏れ」を感得させるのかもし れない。
★小暮さんには、本誌の姉妹紙「La Vue」からの転載を快諾していただいた。 今春から大学の先生になられたが、気さくな人柄と落語家のような風貌が印象 的。関西のアート・シーンでの仕掛人であり、支援者として活躍されている。(黒猫房主)





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