『カルチャー・レヴュー』16号

■音  楽■


あるウタウタイの独白

室津敬一郎



 私にとっての「歌」とは何だろう。人は歌を聞くとき、そこに何を感じ何を求めるのか。私は歌のむこうにある何かを感じようとする。詩を読むとき、ジャズに耳を傾けるとき。それは魂・精神が孕む、苦悩・鼓動・叫び・歓び。作品の向こうにあるそんなものを感じ取ろうとしている。歌とはそんなものたちが暮らす島に私をいざなってくれる舟のようなものだ。

 歌は生き物だ。ライブ演奏こそが歌に生命を与える。耳だけではなく、目で皮膚で、そして心で歌を感じることができる。同じ時間、同じ空間を聞き手と共有することで、歌はもはや歌い手だけのものではなくなる。時間・空間・聞き手もまた歌の一部となるのだ。「ああ聞いてくれている!」という確かな感触が、歌に生命を吹き込む。これこそが歌うことの快感だ。何度か歌をやめかけた私が今も歌い続けている理由のひとつがそこにある。

 何度か歌をやめかけた話をしよう。歌うことに喜びを感じるかたわら、疲れを感じていたことも確かだ。もう20年近くライブ活動を続けている。仲間たちとコンサートを企画し、300円のチケットを売ることよりも、とにかく歌を聞いてほしくてしかたなかった16才のころから私の歌は始まった。それからライブハウスで歌うようになり「ノルマ」につきまとわれることになる。その小屋で歌うために20枚ほどのチケットを掴まされる。その度に知人・友人を頼り売り捌いた。いつも聞きに来てくれた優しい人々。その反面いつも同じ人たちの前で歌う羽目になる。私がこの地でライブ活動を続けていられたのは心優しき彼らのおかげだった。だが「もういい」と感じた。私は歌うためにライブをやっているのか、歌う場を得るためにノルマを果たすためにライブをやっているのか、そんな葛藤に苦しみ始めた。本意ではない。そこでは、ミュージシャンは才能よりも客を呼べることで高く評価される。どれだけいい歌を歌っても客を呼べなければ店には用がない。

 プロのミュージシャンの前座(今はオープニング=アクトなどと呼ばれているが)で旅にでたこともあった。私の歌など聞いたことのない人たちを前にして歌うことの戸惑いと快感。その時その場で伝えるしか「僕にはない」。焦る思いと緊張の中で感じた充実感。
 やがて私は未知の人々にこそ聞いてほしくなる。
 そんな葛藤の中、歌うことをやめた。メジャーの連中のように「休業宣言」なんてする必要もなかった。惜しまれることもないと思っていた。
 そんなころ、私のギターの歌の人生の師匠である中川イサト氏がつぶやく。
「おまえがやめるのは勝手や。そやけどおまえの歌を聞いてきたヤツらが許してくれへん時がくる」と。
 (中川イサト:「遠い世界に」で著名な西岡たかし率いる『五つの赤い風船』のオリジナル=メンバー。その後みずからのギター=ミュージックを追及するため脱退。現在はヨーロッパにおいても高い評価を得ている。そのかたわら再結成された『五つの赤い風船』でリバイバルではなく今の彼のアプローチでコンサート活動にも参加している)。

 かつて1975年ころ中川イサトも音楽稼業に別れを告げようとしていた。そんな彼を慕う様々なシンガー・ミュージシャンが集い、彼の作品を歌う「お別れ」ライブを催した。それはライブ盤としてレコードに残されている。「鼻歌とお月さん」がそれだ。加川良・金森幸介・高田渡・西岡恭蔵・シバ・大塚まさじ、その他多くの連中が集い、そして「お別れ」ライブは中川イサトの新たな出発となる。そんな彼の経験からの助言が、私を励ましてくれる。

 キース=ジャレットは1975年にケルンでのコンサートで名演を残している(『ケルン=コンサート』ECM)。その日、彼は何の構想もなくステージに現れピアノの前に坐る。リアルタイムの彼の心象が指を伝わり鍵盤を伝わり、その場その時だけの音を紡ぐ。彼は記録することに何の意味も感じなかった。その意に反して、記録を耳にすることでしか、そのすばらしさを感じることができない私たちも確かに存在する。
 キース=ジャレットはかつてマイルス=デイビスのコンボで弾いていたこともある。その後、彼自身リーダーとして「アメリカン=カルテット」「ヨーロピアン=カルテット」と呼ばれるメンバーとともに、ジャズ空白の70年代の中、ジャズを超えた独自の音楽世界を切り拓いた(と私は確信する)。80年はじめからジャック=ディジョネット(ドラムス)・ゲイリー=ピーコック(ベース)とともに、ビル=エバンス亡きあとの「ピアノ=トリオ」を活き活きと奏で続けている。

 つい最近ボブ=ディランのライブ演奏を聞く機会を得た。40年近く前に書いた歌を彼は歌う。だがディランは1曲として同じアレンジ・アプローチで歌うことはない、という神話がある。’like a rolling stone’, blowing in the wind’がまるで初めて聞く歌のようなのだ。自らを裏切り破壊することで、新しい生命を彼は彼自身の歌に吹き込む。
 16才のときからディランを聞いていた。単調でつまらなかったというのが正直な印象だった。だが今飽くことなく貪るように「ディラン」を聞き漁る私がいる。媚びることのない、コマーシャルな世界と隔絶した歌を、そんな歌を歌い続けてきた彼を40年近い時を超え目の前にして私のからだは震えた。プロのギタリストをふたりも携えながら、四六時中「ヘタクソ」なリードギターをディランは弾き続ける。彼よりギターが上手いヤツは山ほどいるが、ディランにしか出すことができない味が確かにそこにある。ほんとうに楽しそうに嬉しそうに歌うディラン。作品を歌うのではなく、作品を介して今の自身を表出する、それが歌なんだ。  今さらながらそんなことが身に染みた。そして今までの私自身の歌に対するアプローチが崩れ去った。

 そんなエピソードのひとつひとつが「歌は生き物なのだ」と、私に確信させる。

 伝えたいことを直接的に表現してしまうことで歌は現象でしかなくなる。
「愛」という言葉を使わずに「愛」を伝えたいと思う。絵の世界でフォービズムという動きがある。たとえばひとつの林檎がいま目の前にある。そのまま写実すれば確かにそれが林檎であることは伝わる。目の前の林檎を描き手の感覚というフィルターを通して表現することで、彼・彼女が感じた林檎がそこに表出する。ひとりひとりの「愛」はひとつひとつ違うだろう。既成の言葉に頼ることは、表現を自ら放棄することだ。

   いまレコード会社の枠を超え20世紀の遺産としてかつての流行歌を企画モノに仕立て上げたCDが溢れている。ある歌を聞けば青春時代のワンシーンが「鮮やかに蘇る」。四畳半フォーク(「神田川」は三畳フォークか)は点としての時代・世代を切り取ったものだ。思い出の中でしか語られることはない。いまとなってはそこそこの暮らしを手に入れた世代が「キャベツばかりをかじってた」時代を振り返り懐かしむ(そして自戒する)装置でしかない。
 点としての歌ではなく、聞き手の生長の過程で「これはこんな歌だったのか」と感じさせる歌こそを私は21世紀に伝えたい。普遍性を持つ歌とでも言おうか。それぞれの時代を背景にはしているが、時を経ても色褪せることのない歌がある。

 歌だけ歌っていたい、と思う。生きることと労働することとの繋がりが希薄になってしまったこの現代の中で。すべてが分業化され流通を基準に形づくられちまったこの世界で。畑を田を耕し米や野菜を育て、生きるために熊を撃ちその命に感謝する。そんな生きることと直結した世界、生命の尊さを大切にする世界。そんな世界の住民でありたいと願う私にとって、歌うことが生きることに直結する。そんな思いは今の社会からかけ離れたものなのだろう。D.H.ロレンスやジョン=レノンが夢みた世界をいまだ真剣に追い求める私は「夢見るアホ」なのだろう。そんな思いで仕事を辞めかけたことも何度かある。日々の暮らしの中に埋没したまま、年老いてこの世を去るのか。そう思うと虚しい。それは叶うことのなかった夢を年老いてから悔いることになるだろう。私にとっての「歌」とは、生きていることを実感できる一番の存在だ。私というひとりの人間が、社会の歯車の一部として機能的に存在するのではなく、この地球に産まれ落ち朽ちていくまでのほんの短い時をどれだけ私自身に誠実に生きることができるか、そんな価値観で生きている。
 そんな思いを書いた歌がある。


  野に咲く花になりたい
  花瓶の中で枯れたくない
  俺らに値札なんてつけないでおくれ
  風に吹かれて揺れていたい

  どうせ咲くなら精一杯
  このいのち咲かせてみせるさ

  見えない鎖に繋がれて
  いつのまにか飼い馴らされていた
  空に焦がれる籠の鳥のように
  夢はどこまでも拡がる

  忘れかけてた風の歌が
  いま心を空へ解き放つよ

  野に咲く花になりたい
  花瓶の中で枯れたくないんだ
  たった一度のいのちなら
  私が信じるままに

  (作詞・作曲:室津敬一郎「風の歌がきこえる」)

■プロフィール■
(むろつ・けいいちろう)1964年生まれ。心はシンガー=ソング=ライター、生業ではないが。1983年に詩集「冷めた紅茶を飲みほして」を自費出版。ギタリスト・中川イサトに師事、「ギターは上達しないが、いまどきにはない硬派な歌だ」と評される。現在、大阪・京都・三重辺りで不定期にライブ活動を続けている。企画から3年を経て1998年にCD「風の歌がきこえる」を自主製作。在庫にかなりの余裕あり。ちなみに1枚2500円。 >http://www.mp3.com/MUROTSU でも聞けます。
CD・ライブ情報のお問い合わせはE-mail:muro@cb4.so-net.ne.jpまで。





■思想/哲学■


シモーヌ・ヴェイユ『根を持つこと』を読みなおす
―サバルタンという概念が照らすもの―

栗田隆子



 これから書くことは私の「思いつき」が根底にある。シモーヌ・ヴェイユの主著『根を持つこと』を読みなおすことによって、現代のポスト・コロニアルの代表的な思想家スピヴァクの「サバルタン」という概念が理解しやすいのではないかという「思いつき」。もしくはその逆、すなわちヴェイユが「魂が要求するもの」として描いた政治の概念を、このサバルタンという言葉を考察することによってその二つの差異も含めて理解が出来るのではないかという「思いつき」。この二人を並べることで、政治の次元とは何か、政治とはいったい何が出来て、何が出来ないのかというシンプルにしてラディカルな問いに真正面から向かい合えると考えたのである。そんな思いつきを胸に秘めてはいるものの、筆者の力量不足により二人の人物紹介だけで終わってしまう可能性が100%近くあるが、ともかくこの思いつきを胸に話をすすめたいと思う。

1.シモーヌ・ヴェイユと『根を持つこと』
 1930年代から40年代前半を中心に労働問題から宗教問題まで広汎な興味を持ち、大量の手紙、カイエ(ノートブック)を残し34歳で夭折したフランスの女性哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。彼女の思想は、哲学者、文学者、宗教者そして彼女の本を読んだ全ての人々に対し、時には困惑や嫌悪を巻き起こしながら時代を超えて読みなおされ、現在も思想のみならずその特異な生涯(病気であるにも関わらず第二次大戦中の「フランス政府配給分の食糧」しか口にしなかったため最期はイギリスで衰弱死した)が伝わる思想家である。

 その彼女の唯一生前にまとめて書かれた著作と言ってよい『根を持つこと』は、彼女のカイエや手紙などとは文体の調子が違い、ある種の平明さをたたえたものである。その理由の一つとして考えられることは、これがフランスがドイツの占領から解放された戦後フランスの政府案として書かれたものであり、外に向かって訴えることを意識的に書かれたものであるためと考えられる。

  『根を持つこと』の序文、「人間の義務は権利に先立つ」と書かれた個所は有名であるが、今日取り上げるのはその後の第一部「魂の要求するもの」という個所である。政治的な概念がヴェイユの手によって定義し直されてあり(14の概念が第一部では取り上げられている)、そのなかの「責任」という定義の部分をまずは見てみたい。

2.魂の要求するもの
 「責任」とは彼女によれば「有用な存在であり、さらには不可欠な存在であろうとする感情」であり、それは人間の魂の生命的要求である」という。
 この感情が完全に失われている例として彼女は失業者を挙げているが、その「魂の要求する」次元とはさきほどの「権利に先立つもの」として描かれた「義務のレベル」と等しく考えているところに注目したい。すなわち「権利とはある種の条件と結びついたところで生じる」のに際し「義務は一切の条件を超えた領域に位置」し、かつ「個人に対するものでしかない」とヴェイユは考えるのである。しかし、何故そこまで義務を重視し、義務の対象である「個人」を重視する必要があるのか。この「必要性」を考えるには、いわゆる集団への所属が断たれた「個人」というレベルに立つものとは一体何者なのか? という問いにスライドさせて考えると、その「必要性」が浮き上がってくる。ヴェイユ自身はさきほど述べたように「失業者」を代表的なものとみなしたわけであるが、重要なのはその失業者という言葉で示す具体的内容である。その内容とは単に失業者という社会的地位のみならず、有用な存在であり、さらには不可欠な存在であろうとする感情が断たれているという事実なのである。それが証拠に「投票用紙があっても、彼にとっては意味を有しない」とヴェイユは言う。投票用紙を持つといった目に見える社会空間にスタンディングさせる以外の政治の目的、その意味とは一体何であろうか?

  3.ガヤトリ・C・スピヴァクについて ―サバルタンとは―
 ここでポストコロニアルの思想領域において用いられている概念「サバルタン」について説明したい。この言葉はもともとアントニオ・グラムシが獄中ノートの中で階級問題を考察する際に用いた概念である。英語(Subaltern)でもともとは「地位が下位の人」「(英国軍隊での)準大尉」「(論理学の)特殊命題」という意味を持っているが、インドの富裕階級の出身者でかつマルクス主義者であり、フェミニズムの批評家でも知られるポスト・コロニアルの思想家ガヤトリ・C・スピヴァクは、彼女の主著『サバルタンは語ることが出来るか』のなかで、「もしあなたが貧乏人で、黒人で、そして女性であればあなたはサバルタンであるとの規定を三様のしかたで手にいれることが出来る」とサバルタンをひとまず定義する。いわゆる周縁的な地位に置かれた立場のものを指す概念であるが、このサバルタンに関するインタヴューのなかでスピヴァクは「今日では、どこのどのサバルタンも法律上では市民なのです。(中略)投票さえできるのです」と語る。しかしほとんど同時に「サバルタンのために働くということは、サバルタンが市民としての権利―それが何を意味するのであれ―に参入することを意味するのですから、その結果サバルタン空間が放棄されることになる、そのことを忘れることはできないのです」とも語る。

 ここでいう「サバルタン空間」とは、「市民空間」に通じるふるまい、言説を獲得したことにより、いわゆる「市民空間」に対応するような「サバルタン空間」は放棄されるという意味であるが、しかし、ここで注目したいのは「サバルタンが市民としての権利に参入すること」に対し、「それが何を意味するのであれ」と語ることによって、その意味を「宙吊り」にしている点である。サバルタンでないものが、サバルタンのために働くということによって、「市民空間」にサバルタンを参入させることを彼女は肯定している。しかしここで言うその「サバルタンが参入する市民空間」と彼女が語るとき、それはどのレベルで肯定しているのかは改めて問われなければならないし、この「何を意味するのであれ」という留保はどこからくるものなのかを考察しなければならない。しかし、サバルタン空間が放棄されても参入する「市民空間」とは近代市民空間のそれであるのは、ここでは明らかである。それではこの「意味」を宙吊りにし、その「意味」を敢えて語ろうとしない彼女の姿勢とは一体何を表しているのか?

4.ヴェイユとスピヴァク ―その「政治」の宛先―
「魂の要求するレベル」で政治を求めている人々に対し、ヴェイユは政治を語り直す。一方、通常でいうところの「市民空間」には入っているもののある決定的条件に欠ける存在としての「サバルタン」に対し、スピヴァクは語りに注目することによってサバルタンに働きかける、すなわち政治を「行なおう」とする。

 ヴェイユによれば「魂の要求」とは「生命の要求と同じように、この世の生活の必要に属している」ものではあるもののこのような魂の要求は「認識したり列挙したりすることが困難」であるという。一方スピヴァク自身そのサバルタンたちが自分たちの置かれている位置を表象(representation)することの難しさをまさに「サバルタンは語ることが出来るか」という問いに結晶させている。

 しかしヴェイユが通常用いられた政治的な言葉の概念をもう一回「言葉」で定義し直し、必死に「魂」という言葉を用いて、「列挙しようとした」のに対し、スピヴァクはサバルタン自身が語ることの不可能性を説き、その「市民空間」への参入のため、いわば行動をともなった「働きかけ」については、「魂」という言葉葉用いず、「市民空間」という言葉を用いて説明するにとどまる。その参入の意味を宙吊りにすることによって、少なくとも「投票権」に象徴される明文化された権利「のみ」にその「意味」があるのではないことを暗示しつつも、それが決して「近代の啓蒙」のプロジェクトを放棄することを示唆するものではないということを読者に強くアピールしている(ちなみにヴェイユ自身も「近代の啓蒙」ではないにしても、いわゆる教育者としての熱心さを示すエピソードには事欠かない)。

 この二人のふるまいをヴェイユに関しては「宗教的」、スピヴァクには「政治運動的」と一般には表現される。しかしこの二人の問題意識の近さと遠さをつぶさに肌で感じるセンスこそが、政治の力と救いとそして限界を考察する際に、とりわけ現在「マイノリティ」の問題に絡まる「政治」の問題を考える際に、必須であると私は考えるのだがどうだろう? もしくはそのセンスを「育てること」こそが。

【参考文献】
シモーヌ・ヴェイユ、『シモーヌヴェイユ著作集5 根をもつこと』、春秋社、新装版1998年
ガヤトリ・C・スピヴァク、『サバルタンは語ることが出来るか』、みすず書房、1998年
ガヤトリ・C・スピヴァク、「サバルタン・トーク」、『現代思想』1998年7月号、青土社

■プロフィール■
(くりた・りゅうこ)1973年生。今年の4月から大阪大学文学部臨床哲学研究室のドクターコースに進学。修士論文ではシモーヌ・ヴェイユの労働論、宗教論について執筆。考現学(詳細は「カルチャー・レヴュー」07号掲載の栗田隆子「考現学・覚書『言葉で言葉がひらかれる』」を参照)を2年ほど続けた後に、去年の5月から、具体的な生活の変化に地続きとなる「言葉」にこだわりつつ、会員同士で応答しあうミニコミ『Oui-da』(ウィーダと読む)を創刊しました。今まで取り上げたテーマは「パラサイト・シングル」「仕事」「国家」「ナショナルアイデンティティー」「ジェンダー」「セクシュアリティ」など。会員希望、または質問等ある方はこちらに。E-mail:ouidaRK@aol.com





■サッカー■


サッカー場にサッカーはあるか
―サッカー少年のための書評『ボールのまじゅつしウイリー』―

山口秀也



 美人喫茶に美人なんかいないのと同じように、フォークコンサートにもフォークソングなぞない。むろん、ロックコンサートでもそうだし、当然、歌謡番組でも、歌謡曲なぞ聞けない。歌は歌のないところから聞こえてくる。(早川義夫『ラブ・ゼネレーション』序文)

 下の文章は、友人がつくったサッカークラブで、将来的に会報を出す予定で、そこに載せようと書きためているもののうちのひとつです。
 熱血サッカー少年には、歌のレッスンに血道をあげるばかりに歌を忘れてしまった歌手のような 「息苦しさ」がかんじられるのです(そうおもっているのは僕だけかもしれませんが…)。
 そんなときに読んだ、サッカーを題材にした絵本の紹介をしたものです。とうぜんひらがながほとんどで、却って読みにくいかもしれませんが、これで、“ウイリー”のファンがひとりでもふえれば幸いです。

◇サッカー好きのきみのために
 ひっしで歯をくいしばり、くるしいれんしゅうにたえなければ、うまくなれない。ひょっとしてきみはそうかんがえていないかな。…でも、れんしゅうがつらいわりには、なかなかうまくなれない、そうしているうちに、つらいれんしゅうがきらいになるのとおなじくらい、じぶんがサッカーがすきかどうかわからなくなるんだ。

 サッカーがうまくなるためには、むりやりイヤなれんしゅうをつづけるんじゃなくて、〈サッカーをすきなじぶん〉をたいせつにすることのほうがずっとだいじなことのようにおもえる。そんな気にさせてくれるのが、『ボールのまじゅつしウイリー』(アンソニー・ブラウンさく/久山太市やく、1998年、評論社)っていう絵本。主人公は、ウイリーというなまえのちいさなサルなんだけど、おはなしはよんでのおたのしみということにして、とりあえず、ウイリーっていうのがじつに好感のもてるヤツなんだ。どうろをあるくときには、ほどうのつぎ目をふまないようにしたり、あさばんのはみがきは、うでどけいをみながらきっかり4分みがくとか、みょうにきっちりしてるこどもで、つまりは、きみのちかくにいるふつうのおとこの子(サルだけど)。

 そんなウイリーは、気分によってすごいプレーができたり、またそのぎゃくに、エンギをかついだサッカーシューズをわすれて、しあいするまえからじしんをなくしたりする(グラウンドにはいるときの、なさけないひきつりわらいといったら、おかしくてたまらない)。だけども、イザしあいがはじまると、ウイリーのからだはしぜんにうごきだす。まいにち、いっしょうけんめいボールをおいかけて、しらないあいだにからだにしみついたものが、ここいちばんではっきできたのだろう。でもそのこととおなじくらい、いや、ひょっとするとそれいじょうにだいじだったことは、ウイリーのこころのなかに、まいにちまいにち、ちいさい花のたねのようにまかれていたもの、〈サッカーが好きだ〉っていうきもちが、だいじなしあいで、芽をだしたんじゃないだろうか? ホントにそうなら、この芽は、きっときれいな花にそだつだろう。

 じゃあ、サッカーが好きっていうのはどういうことだろう。それはたとえば、けさでかけるときにお母さんがやくそくした晩ごはんのおかず、きみのだいこうぶつのシチューをおもいうかべるときの「…ウフフ」という笑みのこぼれるようなきもち。サッカーなら、ウイリーもそうだったように、ほしいサッカーシューズにこいするときのような、せつないようなきもち。すきなきもちがあれば、しあわせになれる、ってかんたんそうだけどむつかしい。むつかしそうだけど、さがそうとおもえば、もうみんなこころのなかにもっているものなんだ。

 とにかく、ウイリーのたんたんとしてひょうひょうとしたキャラクターが愛らしい。すばらしいプレーをみせるときのウイリーのながれるようなドリブルにむねがおどる。ぜひとも、本やさんかとしょかんへいって手にとってみてほしい。きみも、おとうさんやおかあさんも、いちどこれをよめば、きっとウイリーをじぶんのともだちのようにかんじるはずだ。

■プロフィール■
(やまぐち・ひでや)京都出身。二つの出版社を経て現在フリーランス。





■古書店■


古本屋の個性と、充実した読み物を楽しむサイト「ふるほん横町」
http://www.furuhon.org/

大塚清夫+小野不一



 出版業界・書店流通業界が構造不況で苦しむなか、伸長を遂げている分野もある。それはインターネットに特化した書籍流通業であり、新刊を扱うサイトでは、紀伊國屋書店・アマゾン・bk1など数社が覇を競っている。書評の充実、送料無料などさまざまなサービスの拡大を図っていることはご存じのとおり。

 これに対して、存在自体は全く地味だが、確実に増えているものに、オンライン古書店というものがある。店舗を構えている古書店が、ネットで目録を公開するというケースは以前から存在したが、最近特に目立つのは、無店舗、かつ古本屋の経験を持たない店主が始める、こうしたオンライン古書店である。手持ちの蔵書をもとに始められ、古物商の免許を取得するのも比較的簡単、というハードルの低さも、人気の要因であるようだ。

 しかし、インターネットで商売を始めた場合、すぐにぶちあたるのが、店のPRをどうするか、どうやって認知させるか、という問題である。
 こうした悩みの解決先として人気があったサイトが、「古本屋さんに行こうよ!」であった。このサイトは、亜樹さんという大学生が一人で管理・運営しており、基本的に古書店の参加は自由となっていた。

「古本屋さんに行こうよ!」のトップページには書籍の検索システムが置かれ、たとえば「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」と入力すると、この植草甚一の該当本を目録に載せている古書店の該当ページが表示される、という仕組みになっていた。古書店が集まったサイトはいろいろあるが、そこで採用している書籍検索システムが、該当する本の情報を比較検討(店ごとの値段、状態など)する仕組みなのに対し、「古本屋さんに行こうよ!」では、その本が掲載されているページをまるごと見せてしまう、という点が大きく違うのである。ある書店では「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」の後ろに、同じ植草甚一のエッセイが続いているだろうし、またある書店では久保田二郎のエッセイとか、ジャズの本が並んでいるかもしれない。そして、こういう本の並べ方こそが、古書店の生命線であり、訪れたものはそれぞれの書店の個性を楽しんでいた。

「古本屋さんに行こうよ!」には毎日1,500人以上の人が訪れており、この検索システムからの注文で恩恵を被った古書店は数多いと思う。 「ふるほん横町」は、この「古本屋さんに行こうよ!」を発展継承させるかたちで、この二月にリニューアルした。従来のサイトのトーンは生かしながら、新たに読み物を大幅に増やしたのが特長である。

 吉村智樹「BOOKりしたなぁもう」、北尾トロ「目録YMOができるまで 制作日誌」、中野晴行「マンガ家の本棚」などプロの書き手の連載もあれば、参加古書店のエッセイ「古本ホイホイ」もある。また、これからインターネットで古本屋を始めてみたい方には、その進め方を懇切丁寧に解説した「オンライン古本屋入門」というコーナーもある。これからの連載予定もいくつか控えており、「本好き」には目を離せないと言えよう。

 もちろん、従来の検索システム(メタサーチ)も継承しており、本を探すと同時に、それぞれの古本屋の個性を味わうことも可能だ。  このサイトは、有志によるボランティアで支えられているが、初代の編集長は『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』という著作もあるライターの北尾トロ氏である。

(「書肆月影」http://www.jah.ne.jp/~okiyo店主・大塚清夫)
 
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 決して儲かっているとはいえない古書店が集まって、なにゆえこのようなボランティアをするのか? それは面白いからだ。なんといってもその一言に尽きる。古本を愛してやまないお客さんと店主の橋渡しをするのが我々スタッフの役目である。一冊の値段は安いかも知れない。だが、その一冊に込められた気持ちが人と人とを結んでゆく。売れた喜びは、やや金儲けから離れた位置にあり、買った喜びは単なるモノを手に入れたのとは微妙に異なる。小さな夢、とまで言っては大袈裟になるだろうか。

 ひょっとすると、世界の平和は古本によって成し遂げられるかも知れない、などと誇大な想像をしてみる春である。

(「雪山堂店」http://homepage1.nifty.com/sessen/店主・小野不一)

■「ふるほん横町」http://www.furuhon.org/



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■編集後記■
★『法の力』のジャック・デリダは、ベンヤミンの『暴力批判論』をとりあげ、互いに反復しあう二つの暴力、法を基礎づける暴力と法を維持する暴力について語っている。そして、「法の核心には何か腐ったものがある」という一節に着目し、この二つの暴力の間には、「差延による汚染」があるだけだとも書いている。安易な応用は慎むべきかもしれないが、一昨年に成立した「国旗及び国歌に関する法律」もまた、「何か腐ったもの」をかいま見せてはいるだろう。この法律は、すでに1958年から「法的拘束力を持つ」と言われ始めた「学習指導要領」(それは1977年に「国歌」を定義づけている)を維持する基礎づけであり、それが求める「君」への「敬愛」を、憲法の変更にともない「君」の意味も変化「していた」のだと正当化しつつ、「新たに」要求しているのである。そして法制化以降、実際に学校への「強制」が激越化しているが、これらの事態はまた、さらにある「暴力」の維持・反復を想起させずにはおかない。例えば1979年には、「ジャズ風アレンジ演奏」に対する「分限免職処分」(「懲戒」ではなく「教師不適格」としてなされる)が行われているが、「ふまじめな授業」「ふさわしくない衣服の着用」といった「理由」を書き連ねる処分説明書によれば、その教員による演奏は、「極めて異常な伴奏」だったのである。先の著作において、正義についての言葉をめぐらせているデリダは、それを「他者」からやって来る「不可能なものの経験」と書き、切迫した決断としての解釈行為だけが正義にかなうと述べているが、ここでの「経験」をある種の音楽体験に結びつけるとしたら、やはり安易な連想とのそしりを受けるのかもしれない。しかしもし、「ライブ演奏」や即興表現と呼ばれるものの成立が、「他者」との応答にかけられているのだとすれば、それもまた「解釈」闘争の一つの現場ではあるだろう。先の教員の切迫していたはずの演奏行為は、「列席者」たちの「君が代」斉唱の歌声にかき消され、「式典」は「混乱」なく進められたのだという。ひとりの「観客」としての、そして「私」の解釈もまた常に問われていると、自戒を込めて言いたい。(加藤)
★先々月の「哲学的腹ぺこ塾」では、ヴェイユをテキストにしたのだが、当日報告者の栗田さんが高熱でやむなく欠席となった。そこで、今回は紙上での発表をして貰った次第。現在、マイノリティ問題を考える際の手懸かりとして、ヴェイユとスピヴァックへの着眼点は興味深いと思います。(黒猫房主)





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