『カルチャー・レヴュー』15号

■出 版■

人文書版元、事始め
―冬弓舎の場合―

内浦 亨



 昨年の春に哲学・思想を中心とした人文書出版社をおこして、もうすぐまる1年になる。小舎は京都、比叡山の麓にある自宅兼事務所で妻に手伝ってもらいながら、細々とやっている零細の出版社だ。昨年はなんとか2冊を刊行し、暮れには自舎サイト「thought.ne.jp」をオープンすることもできた。

 本紙編集部から与えられたお題は、設立にあたってのエピソードなど。ひとに語って聞かせるほど面白いものはないので、比較的他社とは違うかもしれないことを中心に書いてみることにしたい。

 一番特徴的と思われるのは、本にする素材の選び方だろうか。既刊の2冊は哲学リソース・サイト「ポリロゴス」(中山元氏)の書籍版(といっても「ポリロゴス」メンバーを中心にした独立の企画)。二月末刊行予定の『ためらいの倫理学――戦争・性・物語』(内田樹氏)は、氏のサイトでの連載や日記を中心に加筆・修正の上、テーマ別に編集したもの。また、続刊の『ペヨトル興亡史(仮題)』(今野裕一氏ほか)も、ペヨトル工房公式サイトで連載中の「解散日記」がベースだ。その他、現在進行中の企画は、すべてウェブ上で見つけたものが企画の発端となっている。

 別にそういったものをわざわざ選っているわけではないし、今後の企画もすべてウェブがらみにしようというわけでもない。設立前、すでにいろんな人脈と企画をもっていれば、また違った展開になったのかもしれないが、あいにく始めるにあたって何の持ち合わせもなかっただけのことだ。出版資金づくりに精を出しながら、あてもなくネット上を散策しているうちに、今まで自分の知らなかったおもしろい試みがなされていたり、すばらしい書き手がいることに気づかされることになったのだった。

 ウェブ上の書き手に共通しているのは、「書くこと」に対する情熱と愛情。マイナーな書き手の場合、他に公開する媒体がなかったり、またメジャーな書き手であっても、私的な楽しみとして、といったように「書く」理由はさまざまだ。しかし、とにかくこれだけは書いておきたい、書くのが楽しくて仕方がない、といったオーラがすべての文章からあふれている。こうした幸せな文章たちを素材に仕事を開始できるというのは、編集者冥利につきることではないだろうか。  また、執筆者にしても、書籍化の申し入れに対し、今のところ全員が素直によろこんでくださったし、執筆だけにかぎらず営業的な面でも、たいへん協力的だ。こちらはそもそもやる気まんまんなのだから、こういう人間関係のもとで本が作れるのは、できあがってくる本にとっても幸せなことだと思う。

 もちろん、素材自体がすでに公開されているものを単行本にするわけだから、問題がないわけではない。すでにウェブ上で読んだからいいや、というひともいることだろう。しかし、ウェブ上の素材とできあがった本は別物である。というのも、可読性や物質的な面で違うのはもちろん、編集をとおすことによって(つまり、組み合わせたり、ふくらませたり、削ったり、変形させることで)、文章はまったく別のものに生まれかわるからだ。

 考えてみれば、雑誌の連載に手を加えたり、さまざまな雑誌に書かれた小文を一冊に編んだりするのはよくあることだが、だからといって単行本になった本を誰も読まないかというと、そうではない。それと同じことだと思う。つまり、ウェブ全体を無料でオープンな巨大雑誌とみること。実際、磨かれて輝きだすのを待っているダイヤモンドの原石は、ゴロゴロと存在しているのだ。

 だから、昨年末にオープンした小舎サイトのコンセプトは、「雑誌としてのサイト」にした。メインはサイト独自の読みもの(鈴木晶・内田樹氏「晶・樹のメル友交換日記」、くるぶし氏「よい子の社会主義」、原宏之氏「メディオロジー入門」)。もちろん、刊行物の紹介など営業的なコンテンツも含まれているけれど、これはあくまでも二次的な扱いにしている。それよりもサイトの中で、これと見込んだひとに書いてもらったり、いろんな企画の実験をして、結果としてそれに手を加えて本にできる「かも」しれないことの方が可能性としておもしろいと思うし、そもそも自社本の宣伝だけのコンテンツでは、だれもアクセスなどしてくれないだろう。

 ウェブの場合、読者の反応は(アクセス数や掲示板などへの書き込みで)即座に伝わってくるので、愛読者カードなどよりもより直接的なフィードバックが期待できる。また、小社サイトのようなコンテンツの場合、地方の零細出版社にとっては(コスト的に)むずかしい雑誌の刊行を、タダ同然でできるようなものなのだから、規模が小さいところほど利用する価値があるのではないだろうか。何も大手の文芸誌のように、赤字を出しながら雑誌を刊行し続ける必要はないのだから。

 今、出版界の衰退の理由をうんぬんするのがはやりだ。もちろん、流通構造やマーケティングの問題など議論されなければならないことはたくさんあるけれども、問題はそれだけではないだろう。本というメディアの特質(変質?)を見きわめることで、私たちにはまだまだ可能性が開かれていると思う。電子メディアの時代になった今こそ、活字メディアの本質が何であるかを考えることができる。だから、ウェブをはじめとする電子メディアの発展が本を駆逐する、という論調にももううんざりだ。むしろ私たちは、電子メディアを手に入れたことによって、ある可能性を手にしたと考えるべきではないだろうか。

 楽観的にすぎる、というご批判があるかもしれない。しかし、出版界の衰退の理由すべてを流通構造やマーケティングの問題に帰するのは、それはそれで問題だと思う。本の魅力は「商品」としてだけにあるわけではないからだ。おそらく、出版界の不幸は「本というメディアの変質」と「流通構造やマーケティングの問題」の2つが同時に進行していることに起因している。その2つをともに見すえながら、私たちは出版の未来を考える必要があるだろう。大手出版社ほど既存の価値観にがんじがらめになっているのだから、私たちにとっては今がチャンスなのだろうし、それがあってこそ出版界はいまいちど活性化するのだと信じたい。

■プロフィール■
(うちうら・とおる)。人文書出版社、冬弓舎代表(京都市左京区一乗寺馬場町10/TEL&FAX:075-722-3267/Email:info@thought.ne.jp)。近刊として『ためらいの倫理学――戦争・性・物語』(内田樹)、解散したペヨトル工房の一代記『ペヨトル興亡史(仮題)』(今野裕一ほか)のほか、年内に書籍版『ポリロゴス』の3号とドゥルーズ関連本を刊行の予定。昨年末オープンした思考のためのポータル・サイト「thought.ne.jp」(http://thought.ne.jp/)も好評です。ぜひご覧下さい。

★冬弓舎の新刊――詳細は小舎サイト http://thought.ne.jp/
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ためらいの倫理学――戦争・性・物語             2月末刊行
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■内田 樹著(神戸女学院大教授)  46判/272頁/並製本/本体:2000円
なぜ私は戦争や性について語らないのか? 戦争論やジェンダー論に共通する「不敗=腐敗構造」の不毛性を明らかにした上で、「それではいかに物語るのか」をレヴィナスやカミュのためらいをキーワードに提示する。正義がより正義であるために。非−正義にむけた痛快かつ痛切な方法序説。



●●●●「La Vue」5号の内容(01/03/01発行)●-----------------

 ◆「ことばの現在―詩をめぐる無重力」
   高橋秀明(詩人・第二回小野十三郎賞受賞)
 ◆「紫の上のいのり」ゆふまどひ・あかね(作家・女優・チェリスト)
 ◆「魂脳論序説」中塚則男(中山元編集『ポリゴロス』執筆メンバー)
 ◆「複製芸術論のアクチュアリティー」
   平野 真(在野研究者/共著『反論―ネットワークにおける言論の自由 と責任』光芒社)
 ◆「日本一あぶない音楽―河内音頭断片」鵜飼雅則(「BBCC」広報担当)
 ◆「私はその存在を肯定したい――立岩真也『私的所有論』『弱くある自 由へ』を読む」
  加藤正太郎(高校教員)
 ◆編集後記

 ■協賛:哲学的腹ぺこ塾
 ■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
  英出版研究所 http://www.page.sannet.ne.jp/hpri/
 ■投げ銭価格100円より・B4判・8頁・発行部数10000部
 ■京阪神地区の主要書店(一部東京方面)・図書館・文化センター他に配布

本紙は市民の表現を保障する媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
また本紙を安定的に発行するために、賛助会員を募っております。年会費一口1000円(5号〜8号までの定期購読料+送料+投げ銭)からの「木戸銭」を申し受けております。

■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321




■書 評■

生きる場で、闘い続けるということ
―久下格著『謡子追想−人は愛と闘いに生きられるのか』を読む―

安喜健人



 今のご時世、「闘う」という言葉に、何がしかの夢や希望を託しうると感じる人が、どれほど居るのかは良く分からない。しかし、私たちが「社会的・政治的無関心」が蔓延している状態に胡座をかいている内に、日米新軍事ガイドライン、盗聴法施行、国旗国歌法制定、労働法改悪など、この「国」の根幹に関わる施策は急激なる右旋回を見せ、草の根では、自らに都合の悪い歴史記述を抹殺し、「自民族」の誇り高き歴史ばかりを誇示しようとする「自由主義史観」派が跋扈、さらには他民族蔑視発言を繰り返すウルトラ・ナショナリストが、「民衆の支持」を受けて首都の知事に当選し、戦車部隊を大動員して「大軍事・防災演習」を強行するという、一連の余りにきな臭い動きをまざまざと見せつけられるにつけ、戦後左翼の「闘争」が残したものは一体何だったのかと、深い虚無感と絶望感に陥らざるを得ない時がしばしばある。

 そのような折、国労組合員久下格さんの『謡子追想−人は愛と闘いに生きられるのか』(教育史料出版会)という著作を再読する機会があった。この本は、徹底的な国労潰しを目的とした、国鉄分割民営化推進の嵐が吹き荒れた80年代半ば、底辺の一労働者として最後まで(そして今でも)闘い続けた著者が、自らと仲間達の闘争と、中学校卒業以来十五年振りに邂逅した多田謡子弁護士と死別するまでの一年間の恋と闘いの日々を綴った、極私的な記録を小説風に纏めたものである。

 物語はまず、主人公の青木(=著者)が、新左翼活動家の弁護に打ち込んでいる謡子弁護士と、十五年振りに再会する場面から始まる。青木は十五年前の1970年、「人間を枠にはめたりふるいにかけたりするだけで、ほんとうに教えるべきことは何も教えない」欺瞞に満ちた中学校の卒業式粉砕行動を果敢に決行。取りあえずは進学した高校も、「腐敗した社会には与しない」とすぐに退学を決意、大学教授の父親は「社会変革のために生きるとしても、まだ勉強することがある」と説得して思いとどまらせようとするが、「それは闘いから逃げる口実でしかない」とはねのけ、家を出て単身上京。自力で定時制高校を卒業して国鉄労働者になり、矛盾に満ちた現代社会を超える「もう一つの世界」への回廊を求めて組合運動の世界に飛び込んで行った。同じ中学校に通っていた謡子は、青木の行動に強烈な衝撃を受けて彼に憧れるが、結局全く違う道を歩み、地元で高校、大学、そして大学院へと進学し、苦学の末、漸く「闘いの側に立つ」弁護士としての一歩を踏み出したばかり。自らの十五年間の生き方を振り返る中で、青木を捜し出して再会を果たしたのだが、二人はすぐにお互いの人生を共振させて恋に落ちる。

 分割民営化に向けて、三十万人居た職員を二十万人弱まで大幅削減する計画が一挙に進行、国労組合員ばかりが職場から排除されるという徹底的な組合潰しが行われる中、青木は「分割民営化反対」のワッペンを制服の胸から外さなかったという理由で新橋駅の勤務を解かれ、「要員機動センター」という名の「収容所」に放り込まれることになる。そこでの仕事とは、ラッシュの尻押しなどの助勤の仕事が与えられる時間以外は、朝出勤してから夕方まで、数人の仲間と共に「収容所」の中でひたすら待機を命ぜられるだけだった。戦後保守勢力の持てる力を全て出し切っての国労潰しの嵐が吹き荒れる渦中で、青木たちはいささか不毛とも言える、およそ勝ち目の無い負け戦を、しかし粘り強く闘い続けていたのだ。一方の謡子は、引き受け手の少ない新左翼活動家の弁護活動に奔走し、青木に見守られる中、徹夜で裁判資料を書き、裁判所へ、警察へ、拘置所へと飛び回る超多忙な日々を送る。

 そんなある日、謡子が東アジア反日武装戦線の弁護人を引き受ける事になる。反日武装戦線とは、70年代初頭、「日本」国家の侵略戦争責任と、戦後の無秩序な経済侵略によって引き起こされる飢餓・貧困の拡大―「南北問題」―、そして無意識の内にその搾取構造に組み込まれて共犯関係にある自らの市民生活の在り方を根底的に問いただし、アジア各地の人々の闘いに「共闘」しようと決起した、アナキスト系の青年活動家グループ。彼らは党派に拠らず、自発的な個々人の身を賭した直接決起(彼らのマニフェスト『腹腹時計』の言葉でいえば、日帝本国人として「身体を張って自らの反革命におとしまえをつける」)というスタイルで闘った為、その行動は日本資本主義の中枢たる侵略企業の連続爆破や、天皇お召し列車の爆破未遂など、過激極まりないものとなり、その結果、予期せざる事とは言え、多数の死傷者を発生させるに至ってしまった。

 青木は彼らのことを、当時の多くの人々が抱いた「闘わないことは悪である」「闘えない自分」という内面の矛盾した二つの思いの葛藤を、最も突き詰めて理論化して実践行動に移した人達であると一定の理解を示すものの、浮き浮きした様子の謡子に『腹腹時計』を見せられると、爆弾テロには反対だ、と不機嫌になる。すると謡子は、「私、爆弾投げる人、好きよ」と泣きながら抗議。その様子を見た青木は、謡子が常に「世間」と闘いながら、闘っても勝てる自信をまるで持っていない人であるということ、闘うなどとても柄ではない繊細な心の持ち主であるが故に、「想念の世界では本物の過激派」であり、「社会に向かって『爆弾を投げる人』の友」だったということに気づく。

 物語はその後、過労がたたって倒れた謡子の余りに突然の死(多分に医療事故の疑いが濃い)、そして主人公青木と仲間達の、国鉄当局、JR東日本との終わりなき新たなる闘いが描かれ、クライマックスを迎える。地味な装丁に、「愛と闘い」という些かひいてしまう書名、表紙の帯は謡子の父多田道太郎の友人瀬戸内寂聴の推薦文、裏表紙には「JRの10年を問う!」と書かれた、やや滑稽な出で立ちでこの世に出た本書だが、本書の魅力は何と言っても、悲しいまでに自分の人生と世の中に対して誠実に愚直に不器用に生き続けようとして、国家に切り捨てられ、時代に見捨てられた一労働者の極私的な視点で、労働者、仲間達、弁護士それぞれの個人的な闘いの軌跡が確かな息づかいある文章で記録されているという点に尽きる。

 彼ら国労組合員で、国鉄改革法に基づいてJRに採用された者も、元の職場には復職させてもらえず、JR発足と同時に、駅売店、どんぶり飯屋、パン屋など「余剰人員対策」の直営店勤務の辞令が下る。中には清掃会社への出向を命ぜられた者も居たが、以前駅員として働いていたのと同じ駅の清掃を言い渡された者は「どうしても耐えられない」と辞めていった。これを「退職に追い込むための嫌がらせだ」と団交の場で追求したところ、当局側は「職業に貴賎はないでしょう」と言い放ったという。「駅のホームや階段や便所を清掃する、多くが年配の労働者の置かれている立場、世間の見る目、世間の評価を十分こころえ、自分自身が心の底からそれらの人々を差別し、蔑んでおきながら、『職業に貴賎はない』と言い放ち、意向に従わぬ青年に出向を命じて退職に追い込み、他人の人生を左右できる権力に酔い痴れている、そういうやつの言葉」を伝え聞いた著者は、「目眩のするほどの怒り」を決して忘れることはできないと書く。

 国鉄の分割民営化は、この国が今日、「軍事国家化」「管理国家化」へとひたすら突き進んでいくきっかけとなる「五五年体制の崩壊」をもたらした。この国は、臭いもの、見たくないものには全て蓋をし尽くし、第三世界へ公害と貧困と飢餓を「輸出」し続けてひたすら均質化された「清潔」空間を創出し、人々を思考停止状態に追いやって牙を抜き取りきる事に大成功した。闘う人々は白い目で見られ、過去から現在に至るこの国の加害者性を問わんとする人々に対しては、幼稚な「漫画ファシズム」が襲いかかる「漫画国家」。

 分割民営化による弱者切り捨て、地方切り捨ての必然的結果として発生した、信楽高原鉄道事故。余りにも多くの人命を奪った悲惨きわまりない事故だったが、小さな町の鉄道ド素人集団に鉄道運営の全てを押しつけた国家の愚劣な政策や監督責任は一切問われることはなかった。罪を被せられたのは、町に繋がる唯一の鉄道を自分達の力で何とか守ろうとしていた、「赤信号」の意味すら正確に理解していない人々だけだった。

 労働法改悪で、大規模リストラや派遣社員の増加など雇用の不安定化が蔓延し、大規模倒産が相次いでいる不景気真っ只中の今の日本。この国の「現在」に疑問を感じ、この国の「在り方」を根本的に問い返そうとするにあたって、国鉄分割民営化とその後の十余年を問い直す作業は、極めて重要な事柄のように思う。その意味でも、一労働者の極私的な闘いの貴重な記録である本書は、是非多くの人々に読まれるべきであろう。

 「人間の行為の当否がもし判断できるものなら、それは結局、その行為の結果が社会の中に根づいていくのか、次の世代にも引き継がれていくのか、そこで計るしかないと思います。だから、私の個人的な闘いも国労の闘いも、/理解してくれる人が、これからも生まれてくるかどうかに、かかっているのではないでしょうか。」

■プロフィール■
(やすき・たてひと)1972年生まれ。現在、会社員(書店勤務)。生まれて初めて「書評」めいたものを書いてみたが、冗長で稚拙な文章に終始してしまい、猛省。なお、紹介した本の著者、久下格さんのホームページは、 http://www.yk.rim.or.jp/~kuge/




■文 学■

新宮市住宅地図調査日誌
―新宮で読む中上健次―

村田 豪



 和歌山への出張先が、新宮市だと知らされたのは、その2日前だった。地図会社の調査員のアルバイトをして2年になるが、その時々の進行状況に応じて仕事が出てくるので、どこへ飛ばされるのか、直前になるまであいかわらず分からない。「新宮ですか」担当の社員から諾々と図面を受け取りながらも、もっと早く教えてくれたなら作品も読み返せたのに、と内心で不満をこぼす。

 新宮といえば中上健次、中上健次といえば新宮。中上の読者なら、たいていこのような観念の呪文をたずさえていて、なかでも熱心なファンによる「熊野詣で」「新宮詣で」は、後を絶たないらしく、知り合いにも「行ってきたぁ」と目を輝かせて報告してくれるものがいる。作者の死後、毎年夏に当地でシンポジウムが開かれているのも、そういう動きを後押ししているかもしれない。しかし、中上作品を読んで感銘を受けてきたけれども、自分自身が、作品に繰り返し書き込まれた新宮に出向くことになるとは、決して考えていなかった。熱心でなかっただけといわれればそうだが、作品を素晴らしく思うことと、作者作品に縁あるものに出会おうとすることはやはり別のことだ、と決め込んでいたともいえる。だから、いきなり新宮に5日間滞在することになって、自分の準備不足が気になりだした。本当は、その場所を見知って読む『枯木灘』とそうでない『枯木灘』は違う、となんとなく直観していたのだ。

 だが、結局満足に作品を読み返すこともできないまま、前日の夜から新宮駅の東側の裏にあるビジネスホテルに泊まり込み、調査を開始することになった。朝、ホテルの駐車場に出てみると、晴れわたった冬の空の下、町を熊野の山々がとり囲んでいる様子が一望でき、「山と海と川に囲まれた小さな町」というような一節を思い出させる。

 ところで、住宅地図の調査とは具体的に何をするのか、説明する必要があると思う。版を新たにするにあたって、おもに居住者、店舗、地名、番地などの変更がないか、ビル、家屋、敷地、道路などの割付に変化がないかをつぶさに歩き調べる作業がそれなのだが、そのため調査地のなかの道という道、私道であろうが、小道やあぜ道であろうが、家屋と家屋の隙間としかいいようのないところであろうが、歩かないところはないのであり、副次的にこの作業はその土地にたいする独特の感性を養わせることになる。はじめて訪れた場所にも関わらず、調査後には頭の中ですべての道を歩き直せるぐらいに、その土地の風景を再現できてしまうのだ。

 だから、わたしはあらかじめ下調べもせず、うろ覚えの作品イメージだけでもいいと思った。それだけ綿密に踏査するのだから、いくつもの作品で繰り返し描かれる「路地」、70年代終わりからの市街開発で実際には消え去ったはずであるにしても、その痕跡ぐらいは見つけることができるとたかをくくっていた。  しかしそんなに単純ではなかった。初日こそ熊野川を目にしただけで、「ここで子供の頃の中上は泳いでいたのか」というようなおおざっぱな感慨にひたることはできても、調査図面と各家屋の表札を照合し続ける作業を通してでは、どこに中上の出生地の「路地」があるのか、作者が投影された『枯木灘』の主人公秋幸が8歳まで暮らしたという家はどのあたりにあったのか、分かりようもなかった。ところが、夜ホテルに戻ってみると、観光案内のチラシの簡略な地図に何ともあっけらかんと「作家中上健次生育の家跡」と明示してある。それに何より、その地区は自分の調査担当ではないことが判明するのだった。いくら綿密に歩いてもそれでは見つかるはずがない。

 翌日からは仕事時間以外の早朝と夜に、ホテルから10分とかからない「路地」跡、春日地区をぶらぶら歩いてみる。作品の人物たちが何度も渡った「路地」横の踏切、「地区改良」の名のもとそれまでの家屋を潰し建て替えたという「改善住宅」、「路地」と裏山を完全に消滅させたスーパーと道路、それらは確かにあった。分かっていたことだが、『千年の愉楽』や『奇蹟』で描かれた濃密な共同体としての「路地」、開けっぱなしの玄関、オバたちが軒先に植えた小さな花、土埃のたつ路、裏山のほうへあがる石段、そういったものがあるなどと思っていたわけではない。けれど、何か物足りなく、「こんなところだったのかな」というような気がしないでもなかった。

 この最初の拍子抜けのような印象を、しかし、決定的に変えるものが実はあった。結局それは、単にその場所をくまなく歩くのではなく、作品こそを丹念に読み返すことだった。ホテルに戻って夜、作品を『岬』から読み返していて気づき始める。たとえば「花がにおった。路地をまがり、駅前からの通りを突っ切り、畑の中の道を歩いた。」という箇所。もちろんこれは、作品の人物秋幸と姉の美恵の行動を描いているにすぎないが、「さっき自分が歩いたそこだったのか」という感じがしてならない。『枯木灘』でも「秋幸の家と美恵の家の間の道は駅からの通りにつながっていた。その道に平行するように小高い山はのび、山からの道は製材所の横にも出るのだった。」とあり、ホテルの窓から窺える夜の闇の町の「あのあたり」に、彼らの家が必ず同定できるように思えてくる。なんというリアリティか。

 次の日そう思って再び歩きなおすのだが、起点となる踏切や駅前からの通りは分かる、裏山を削って平らにしたところに建った問題のスーパーもわかる、けれどやはり「路地」がどんな家並みを持ち、そこから義父たちと暮らす秋幸の家にどう向かうのかわかりはしない。「株式会社中上組」(もちろんここでは「中上」は「ナカウエ」とよむ。作家当人の名を「ナカガミ」とよむのは、上京したフウテン時代そう呼ばれるようになったかららしい)の看板を掲げた事務所は市立図書館の前に見つけた。そこからなら秋幸がダンプカーを国道に駆り出す方向がピッタリあっているようだ(「大通りの信号を左に折れて国道に入った」)。しかしそれが中上の親族が経営する土建屋で、作品に出てくる「竹原組」の完全な対応物だとしても、そこに中上の親族が住んでいたのかどうか、いや、というより、そうだとしても、それこそが作品内の秋幸の家だと同定することなど、誰にとってもありえないだろう。

 地図調査とあいた時間をつかった散歩でこんな風に新宮の町中を歩き回り、わたしは「まさにこれか」と感じられるものを探し続けた。浮島の森や神倉神社、城跡、浜の防風林なども作品に描かれ「ここか」と思いはするものの、観光案内にも載るような名所のたぐいでは「ここだったのか!」という強い感じを与えることはない。むしろ知りたいのは「駅裏の新地で店を持っているモン姐さん」のその店であり、秋幸が恋人の紀子に電話をかける喫茶店「アカシア」の赤電話なのである。

 これはバカげた思い方だと自分でも気づく。小説に書かれたものがそのまま現実にあればすごいのか、しかもすでに時代が違うではないか、「アナクロリアリズム」ともいうべきその倒錯を人からわらわれるかもしれない。それにどう考えたって、秋幸という主人公は、生い立ちや家族関係が作者のそれにほとんど対応するとしても、フィクション上の存在なのである。にもかかわらず作品を読んでいると、虚構としての細部と、現実に中上が新宮で生きた細部が一致しているという感じ、それが拭えない。むしろ『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』においてはとくに、中上自身がそういうこころみをしているように思える。

 証拠はたくさんあるが、傍証するなら、たとえば『熊野集』ではないか。そう思って、駅前の商店街にある「ゲーテ書房」で買い込んで、夜中またホテルで読み返すと、以前から変だと思っていたことが次第にはっきりしてくる。この短編集の中で、中上は、アメリカや韓国をいったり来たりしながらも必ず新宮に舞い戻り、そしてそこでの生活や人との交流を描いているのだが、町で出くわす実際の実父が、情けない姿をさらし、自分の作り上げた悪の権化「浜村龍造」の片鱗もないことに、奇妙にも腹を立てているのである。さらにおかしいのは、自分の姉たち、その娘たちに生じた騒動を描く際に、彼らを平気で『枯木灘』の人物名で通すのだ。「秋幸」と「美恵」はきょうだいだとして、はたして中上と「美恵」はきょうだいなのか。これではあたかも、作品にこそ現実のほうが似るべきだ、というようなものではないか。

 しかしそうなのだ。『熊野集』の中上は、自分の書いたものと現実の「路地」とがずれていることに苛立ち、再解釈するように迫られていると感じる。現実の「路地」が消えようとする今、老婆たちの話を採取し、若衆をつれて「路地」の風景を映画のフィルムに収めることで、むしろ自分の中の「路地」を浮き彫りにしようとするのだ。


 若衆と私の違いは、映画を廻すのに一方は生まれからずっと路地に住んで来た者らしく、壊されて更地になるので現実の路地を撮ろうとするが、私は他所で住んだ者として見い出した路地を撮ろうとする事だった。見い出した路地とは単にこんがらがった配線の頭をもつ私の中にある。それは言ってみれば発見する事によって侵略するようなものだった。つまり私が映画に残しておきたいのは小説家が視る事で侵略し発見する事で収奪したただ一人私所有の路地だった。(「石橋」、『熊野集』)


 すでに死んでしまった者たち、作家自身知らなかった「路地」のかつての姿を、オバたちの話によってありありと細部まで思い描き、書きつけ、幻のように現れるその存在を、映像にさえ収めうると肯定すること。その感覚こそが、物語と私小説のきわめて特異な混合を可能にしたのではないか、という気がする。だから、中上が絶賛する熊野、新宮の光、緑、街を見てみたいとここを訪れるファンの直観は、正しいかもしれない。書かれたことがそこに存在するという驚き、そして同時に書かれてあることがそこに存在しないという驚き、は、やはり直に見てみなければ分からない。そのことが作品の価値すべてではないにしてもだが。

 しかし、そう思ってみても、やはりもどかしさは続く。昼間の調査で別当屋敷あたりを歩けば、作品においてはその高台にあるとされる浜村龍造の家をふと探してしまう。夜になって春日にある居酒屋「彩菜」のカウンターで一人飲んでいたら、酒焼けして表情にすさみのある作業服の男がホステスを連れてやってき、隣に座るのだが、女将とカウンター越しに話す言葉はまったくろれつが回っていず目線が遠い。ばかばかしいとは感じながらも『地の果て』のヨシ兄ではないかと思ってしまう。「通りを左に折れ、まっすぐに歩き、一つ目の信号を右に折れた。」店を出て、秋幸が夜の闇を歩いた道順をそのようにたどってみるが、なぜこんなにローカルな場所の「左」や「右」が厳密に書かれなければならないのか、それが分からない。分かるのは、秋幸も中上も、やたら新宮の町なかをいったり来たりしてばかりいることだ。

 作品を読むために地図調査が要請されかねないほど、中上の小説は現実の新宮に依拠したものだと気づき、それはひとつの発見ではあった。現に中上は地図を問題にしていた(「十九歳の地図」「覇王の七日」)。けれど同時に分かりようもないことが多すぎるのではないのか、単なる旅行者はもちろん、土地の人でさえ知りようもない、しかし歴然と存在するなにかを中上は書き込んでいるのではないか。そういう疑いを強めはじめて、とうとう調査の最終日になった。

 担当図面の最後のページ、市の中心部から少し離れた石ヶ坪という山手の住宅地を歩いていて、はっとする。車両置き場に「中上組」のダンプカーがあり、「人夫」たちが車を洗っている。その向かいに「中上」の表札のある民家があったのだ。図面にも確かに「中上」姓の世帯主の名があった。しかしこの場所は作品に出てくるところなのか?

 調査に厳密を期すため、表札などが出ていない場合については、住人に聞き込んでまで表記に間違いがないか確認することがあるのだが、この時、表札が掲げられていたのだからそのまま通り過ぎればいいものを、わたしは逆に必要もないのにその家の前に立って呼び鈴を押すのだった。部屋の中の人影が動き、年輩の女性が玄関を開けて対応に出てくる。中上の義理の兄「文昭」の「嫁」に当たるその人ではなかろうか、と思うと少し緊張してくる。

「地図を新しくするので、お名前を確認させていただいているんですが……」わたしは言い出したときすでに迷っていた。そして、結局出てきたのはこの呼び名だった。「こちらのお宅は、ナカガミさんでよろしかったですね」。

 ところがその女性は、わたしの作為的な間違いにも動じることなく「いえ、ナカウエですよ」とごく自然に訂正してくれて、わたしが知りたがっていることの何一つも持ち合わせない、そんな感じであった。そして最後には「ご苦労様」とねぎらいの言葉までかけてくれるのだった。「ナカガミ」という呼び方に何らかのリアクションを期待してもいたし、また「中上」を「ナカウエ」と読むことを知っているほうがかえって奇妙に思われるのではないか、と配慮したつもりでもあったが、その人はそれらには反応することなく、家の中に戻った。

 調査を完了し、夕暮れに染まった坂道を町のほうへ降りながら、やはり、そんなことはわたし一人の思いこみにすぎないと、だんだん恥ずかしくなるのだった。新宮も、そこで暮らす人も、中上の親族でさえ、中上の作品と関係なくあるのが、ある意味で当然なのかもしれない。この土地の何もかもを作家中上健次や作品で書かれていることに結びつけて考えるのは、いわばファンの独善というものであろう。新宮に来て初めてえた「通りを左に折れて」という記述に対する臨場感は手放せないが、それは本当に「まさにある」ということなのか、なぜ新宮に来る前にはひしひしと真近に感じなかったのか、そのことについてはもう少し考えるべきなのかもしれない。
 その夜、新宮駅から特急で名残を惜しむ間もなく帰阪した。

〈付記〉この春、青山真治監督のドキュメンタリー『路地へ 中上健次の残したフィルム』が一般上映されるようだ。同作には、消えゆく「路地」を記録した中上の16ミリ映像が挿入されているらしく、中上の目に映った「路地」が「まさに」どんなものだったのか、少しは知ることができるかもしれない。

■プロフィール■
(むらた・つよし)1970年生まれ。フリーター。もう10年以上前、手伝いをしたとあるアートイベントの会場で、それを見に来た中上健次におにぎりを売ったことがあった。といっても、当時は中上作品を読んでいなかったので、感激するようなこともなかったのだが。ただし、よれたジーンズをはいてにぎりめしを頬張る彼の姿は、自分のイメージする作家らしさからはほど遠く、そこに好感をもったことを思い出す。
Web「ケンキョに書評」




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■編集後記■
★黒猫房主は鬱なんである。出版業界をめぐる情況は、きわめて厳しく我が懐も寂しい。而して元気がでないのである。しかしそんな情況下にあっても、元気な出版人や書店人、読書人は確実にいる。今回は、そうゆう活きのいい方々に寄稿いただいた。
★柄谷行人の『NAM原理』を検討している内に、貨幣や交換などに思いが及び、廣松渉の「物象化論」を読み直そうとしている。掲示板「黒猫の砂場」では、その辺りを話題にしますので、ご参加ください。(黒猫房主)





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