『カルチャー・レヴュー』11号



■差 別■

『罪なく罰せられて ─婚外子の声─』を制作して

江上諭子



 ビデオ工房AKAMEは女性ばかりの映像制作集団だ。活動を始めてから丸7年が過ぎた。そして、これが、わたしの実質的な第1作だ。「婚外子」などという、NHKの朝ドラのテーマにでもならなければ、一般にはあまり知られていないこのテーマにわたしが取り組み始めたきっかけは、「わたしの父が婚外子だから」というごく単純な理由だ。
 いまから13年ほど前、父と、父の一番上の兄との年齢が20歳ほど離れていることについてわたしが「おばあちゃんて、すごく長い間、子ども産み続けたんだね。すごいね」と言ったとき、父がとても小さな声で「母親が違うから」。そのときのわたしのショックは、「後頭部をハンマーで殴られたような」という表現がピッタリの、漫画によく出てくる「ガーン」という擬音がピッタリの状態で、頭の奥が「ジーン」となったのを覚えている。「わたしって不倫でできた子どもの子どもなわけ〜! そんなの嫌だ〜」というのがそのショックの原因だったのだが、それが分かるまでには数カ月かかった。そのころわたしは、すでにフェミニズムに傾倒していたが、結婚せずに子どもを産むということ、それも不倫というのは耐えがたいことだった。その混乱した頭の中で唯一考えたことは「この混乱から何もごまかさずに必ず抜け出してみせる」という意気込みで、「決着をつけてやる」という気持だった。その後偶然、ビデオとの出会いがあり、そのときに「婚外子の声を集めたビデオを作ろう」と思ったのだ。
 婚外子というのは、昔は庶子とか私生児などと呼ばれていた子どもたちのことで、両親が婚姻届を出していない子どものことだ。戸籍の続柄欄を見ると分かるが、婚外子の場合は「女」「男」というように性別のみが書かれている。両親が婚姻している場合は「長女」「次女」というように生まれた順番が性別に付く。この差別表記があることによって、結婚差別、就職差別がまだあるのが現状だ。  以前は、社会保険の健康保険証や、住民票の続柄欄にもこのような差別表記があったが、現在はどの子どもの続柄も「子」に統一されている。
 今回制作したビデオに出演してくれた婚外子の方たちのうち2人が、歴史に残る裁判を闘っている。1人は東京高等裁判所で勝訴した中田千鶴子さん。もう1人は最高裁で敗訴した山田満枝さん。2人とも婚外子の相続分は婚内子の半分という民法900条4号但書前段の規定は憲法に反するということで争った。山田さんは敗訴しているが、民法900条4号但書前段の違憲性を最高裁で争ったのは初めてのことで、歴史に残る裁判であることには違いない。
 わたしは、このビデオで婚外子の「生の声」「生の思い」をそのまま伝えようと試みた。だから、説明的な部分は必要最小限に抑え、それぞれの方の発言をできる限り入れた。「婚外子差別とは何なのか」それを婚外子自身に語ってもらったのだ。
 婚外子差別に対する闘いは「身内の醜い金の争い」ととらえられることもある。「なぜわたしの相続分は半分なの? おかしいじゃない」ということを言っているわけだから、そう受け取る人もいるだろう。しかし「なぜ半分なの?」という言葉は「わたしの取り分が少ない」ということを意味しているのではなく「なぜ?」のところが大事なのだ。「なぜ?」の後ろに来るのは「同じ人間ではないから」という言葉だ。婚外子は同じ家族の一員ではないのだ。中田さんは、調停員から「婚外子は殺人者と同じ加害者なんだから」と言われている。一方、山田さんは財産相続の話を一切知らず、不動産屋からの「あなたの土地を買いたい」という突然の電話に驚く。親戚に聞いても「これはウチの財産だ。あんたには関係ない」と言われる。
 あと2人の出演者は屋代美智子さんと落合恵子さん。屋代さんは両親に捨てられている。屋代さんは婚外子として生まれたということ以外、どんな事情があったかは分からず、「捨てられた」という事実に苦しみ続けてきた。屋代さんは「2人(親)は、婚外子差別から逃げている」と語る。その言葉の中に、婚外子差別の非情さとそれに負けた両親への思い、そして屋代さんが受けてきた苦しみをにじませる。
 落合さんの母親は1枚の皿を何時間も洗い続ける「強迫神経症」にかかってしまう。婚外子である落合さんを生んだこともその病気の原因の1つだろうと落合さんは言う。婚外子差別があるために母は子どもに済まないと思い、子どもは自分が母親を苦しめていると感じる。差別の被害者が、苦しみの原因を「差別そのもの」に向けることができず、お互いを苦しめ、自分を傷付けてしまうことについて語ってくれた。
 このビデオは、婚外子とその母親に向けた応援メッセージだ。ぜひ、これらの人に見ていただきたい。もちろん、この問題についてまったく知識がない人にも分かるように作ってあるので、多くの人に見ていただきたい。そして、これが婚外子だけの問題ではなく、戸籍にかかわるわたしたちすべての問題であると感じてもらえればうれしい。
 第1回の上映会を3月18日に行った。そのときに、落合さん以外の出演者に来ていただき、シンポジウムを行った。ライヴの迫力はさすがで、ビデオの何倍ものインパクトを持って、婚外子の生の声や思いが会場に伝わったと思う。現在、ビデオの販売準備中で8月頃には発売予定。ビデオにはこのシンポジウムの様子も冊子にして付ける予定だ。ライブラリー価格(無料上映会、無料貸出が可能)1万2000円。個人価格(個人視聴のみ)3000円。

★おまけ★ビデオ工房AKAME新作情報!
■「Go Women go ! ─市民とメディア・アクセス─」(VHS26分)
 1999年6月、わたしともう1人のAKAMEのメンバーは、サンフランシスコ市とバークレー市を訪ねた。市民ならだれでも番組を流せる「パブリック・アクセス・チャンネル」というものがケーブルテレビにあるということを聞いて、視察旅行に参加したのだ。
 アメリカでは、この市民のアクセス権が法律で保証されている。番組内容は玉石混交だが、環境問題、教育問題、健康問題、女性問題、同性愛の問題など、さまざまなテーマが扱われている。番組を作っている市民プロデューサーや、市民の番組づくりを支援するNPO(=アクセス・センター)で働くスタッフの話からは、パブリック・アクセス・チャンネルを心から楽しんでいるのが伝わってくる。この作品では、パブリック・アクセス・チャンネルの仕組を解説しているだけでなく、市民が作った番組をたくさん紹介している。きっと、何か番組を作ってみたくなりますよ。
 付記。先日、サンフランシスコから電子メールが来た。この作品をパブリック・アクセス・チャンネルで流してくれるそうだ。日本ではそういう場はまだ少ししかないが、アメリカでなら今すぐ流せるんだなと気がついた。

■プロフィール■
(えがみ・ゆうこ)1963年、東京都生まれ。写植の会社を転々としながら関西へやってきた。女性による女性のための映像制作集団「ビデオ工房AKAME」の創立メンバー。ディレクション、撮影、編集のすべてをメンバー内でこなす。AKAMEがいままでに扱ってきたテーマは離婚、従軍慰安婦、働く女性、在日朝鮮人女性、など。99年に行われた山形ドキュメンタリー映画祭で韓国の女性ドキュメンタリストたちと知り合い、来年に向けてシングルマザーをテーマにした作品を日韓で共同制作する予定。ビデオ工房AKMEhttp://www2.osk.3web.ne.jp/~akamev/
E-mail:akamev@osk4.3web.ne.jp




■セクシュアリティ・ジェンダー■

セクシュアリティ・ジェンダーについての語り口の模索
―「私で語る/私を語る」その意味と無意味―

栗田隆子



 セックスのことや、それにまつわるもの、生理や避妊など、ある場合はタブーにされ、ある場合には、たとえば酒場での「下ネタ」といったような、特定の語りを要求される。
 または、ジェンダーについて、ここ最近読んだ本の中で面白かった本のひとつである遙洋子さんの『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』のなかにこんなくだりがある。
 「意見はふとしたはずみで簡単に対立する・・・語り言葉の裏側のメッセージが本番中、痛いほど耳に飛び込んできた。『私はみんなに好かれたいの。』『女は黙れ』・・・(中略)私にはこの第二のメッセージが気持ち悪くて仕方がない。実は、ひとは、本来語り合わねばならないテーマではなく、違うところで議論をしているのではないか? 議論を左右するのは、論理ではなく、第二のメッセージのほうが、じつは語っていて、そっちのほうで勝負が決まることが多いのではないか・・・」
 そう、ジェンダーもまた、隠される。いや、あるコードにしたがって示されること以外、そんな存在はなにもなかったものとして処理される。そのように隠されてこそ、以上のような「政治的」機能がジェンダーやセクシュアリティに課せられていくのだ。

 だからこそ。セクシュアリティやジェンダーの既成の言説に戸惑いを感じてるひとが、それを的確に表現したいと思うとき、特に自分が「語られてしまっている存在」と感じたとき、どうしたら、よいか。そのひとつの方法として有効な武器になるのが「私」を主語にセクシュアリティについて、そしてジェンダーについての疑い、感覚を語るやりかたなのだ。
 それは、ある既成のカテゴリーを壊す有効な武器となるだろう。また、その発言に対して口を封じさせるような言動、表現があるならばそれはまさに「顕在化された暴力」としてクローズアップされるから、「私」を主語としてとして語られたセクシュアリティ・ジェンダーの問題は、現在どんな問題がジェンダー・セクシュアリティに関する領域でおこっているかを、わかりやすくさせる。それは、話し手にとってもそうであるが、聞き手にとっては「わかりやすく」提示されたものと捉えられる。たとえば同性愛のカミングアウトは、それを行うことで、みずからのアイデンティティを否定しないものとして、語るという行為そのものが力を持つ。そしてそのような自分を語りうる関係がそこにあるであろう、と希望できることもまた、語り手の「力」となることは、否定できないだろう。そして確かに聞き手にとっても、もしその聞き手がいままで同性愛という存在にある恣意的なイメージを抱き、もやもやとした印象のみを抱えていた場合、そのカテゴリー(それはマイノリティである場合が多いが)を体現した個人に出会うということは、衝撃とともに考察をうながす力になるということもまた否定できないだろう。
 しかし、もうひとつ、「私」という主語でセクシュアリティやジェンダーについて語ることの意味がある、というか意味を持たされている。それは(セクシュアリティやジェンダーをひとまず乱暴に「性」といってしまうこととして)、その「性」について表現することに、ある程度の「誠意」や「具体性」を持たせるならば、その性について何らかの違和感なり、共鳴なり、関心を持つ「私」について語らざるを得なくなる、ということだ。
 今この文で、私が書きたいと思うことは、そのように、ある誠実さをもって、言いかえれば「人にわかりやすく話すために「私」で語らなければいけない、性にまつわる言説(ディスクール)とはなんなのか?」ということなのだ。 別冊宝島の『ゲイの贈り物』のなかでセクシュアリティに関して伏見憲明が対談の中でこのように語る。
 「ほんとにセクシュアリティというのは多様で、僕の理論というのはその多様性のひとつを、僕自身のセクシュアリティを言語化することによって提示したということでしかない」
 「語りなおし」としての「私」の存在、(この文章のタイトルにあるように)セクシュアリティを「私」で語ること、それはたしかに既存の性の言説に対する武器になる。つまり、ある偏見、枠組みを壊すものとして、「私」が語られるのだ。
 しかし、ゲイやレズビアンとして自分を語ることも、また女性問題としてくくって語ることもできない場合、また逆に「フェミニズム」や「ウーマンリブ」の理論を通してこそ浮かび上がった自分の体験として、当人が語ろうとすると、それがひとつの「理論」としてみなされ、「自分の、身の丈にあった語りではない」とみなされる場合も、「私」でセクシュアリティを語ることのかえって困難さ、意味のなさがうかびあがってくるのではないか。また逆に「性」の問題を「私」で語らなければいけないのか? という問いも噴出する。さらに仮にゲイや、レズビアンといったセクシュアルマイノリティであってもそのことを語るときに「私」がそうだから、その問題をとりあげるのだ、という語り方しかできないのか? という問いも立てることができる。
 性について「私」で語ることが「誠実」となるこの枠組み、これもまた、注意すべきことなのではないだろうか。いや、さらにいえば性について「私」で語ることが聞き手にとって「わかりやすさ」につながり、聞き手が語り手に「私」で語ってほしいと思いやすいところに、なにか落とし穴があるのではないだろうか。
 このセクシュアリティを語ること(とりわけ「私」を主語にして)の意味(そして無意味)については、私の大学の有志で行っている「セクシュアリティに臨む哲学研究会」でも再三取り上げられたことであり、さらにこのあいだ、ドーナツトークの田中俊英氏の主催した会合のテーマも"Gender & I"というタイトルでまさにジェンダー問題とそれにまつわる「私」との関係がテーマだった。そしてこの文章作成にあたり、そこで交わされた対話が非常に影響をあたえていることにふれておかなければならないだろう。あらためてこの場を借りて、そこで出会った人々に御礼申し上げたい。
 そのような会合のなかで私がわかっていったことは、今まで書いてきたことと、さらになぜ「私」で語らなければいけないのか、という素朴な疑問だったのだった。たとえばいかに、「まじめに」語られたとしても、こんなにまじめに性について語っている「私」を受け入れてほしい、という「承認」をもとめるような「私」という主語で性を語られたとしたら、それは同じ「私」で語っているにしてもさきほどの伏見憲明のいう「私」とは違うものとなっているだろう。「性」を「私」で語るのではなく、「性」を利用して「私」を語るとでもいうような・・・。なんでも「私」で語ることによってセクシュアリティの語り口が免責されるわけではないことも、最近改めて感じている。特に性を語るということそのものが、リスキーな行為として受け止められる要素は大きく、それゆえにかえって、「性を語る自分」というものが「性を誠実に考える探求者」として(周囲にそして自分自身にも)認識されうる要素が大きいのではないか。「性」を語るということによりその目の前にいる相手とどんな関係を自分は結びたいのかということを照らし出してしまう。それを無視して語ることにより、その語りがたとえ「私」を主語とし、私をさらすというリスクを犯すにしても、それが単に「性を誠実に語り、探求する」姿勢から、そのような「私語り」をするのならば、それはまた違う形での「性を語るにはこの語りしかない」といった狭い姿勢におちいってしまうのではないだろうか。
 性を語るというのは、不思議な行為だ。ある種の科学的な「誠実さ」をあざわらい、なんのために誠実に「あなたに対して」語らなければいけないの? と常に問い返されてしまう。そして、性の語り方を「―ではない」と否定形で論じてきた私だが、その姿勢もまた私のある狭量さを明らかにしているであろうこともまた、予測でき、焦っているのだ。

■プロフィール■
(くりた・りゅうこ)1973年、東京生まれ。現在大阪大学文学研究科「臨床哲学」博士前期課程2年に在籍中。現在の関心事:ひつじ書房から出た『ルネッサンス・パブリッシャー』に影響され、「大道芸的ミニコミ」の可能性を考えてます。興味のある方、メールください。E-mail:ouidaRK@aol.com




■哲 学■

ヒューム熱

中塚則男



 
 数年前にも一度微熱が続いたことがあった。ネットサーフィンという言葉がまだ新鮮に響いた頃の話で、私もしばらく凝ってすぐに飽きてしまったことを今となっては懐かしく思い出すのだけれど、ウェブAからウェブBへとリンクをたどってあてもない漂流を繰り返しているうち、あ、もしかしたらこの「事象Aから事象Bへ」の物語性の欠けた接続の経験、根拠や理由や必然性があったりなかったり単なる偶然のなせるわざだったりする継起の経験は「ヒューム的」とでも形容すべき世界での出来事なのではないか──電子メディア時代の知覚の束としての主体による想像力の飛翔!──と唐突に思い至り、早速インターネットで入手した‘ A Treatise of Human Nature ’全文をプリントアウトして読み始めてみたものの、何だったか今は思い出せない事柄に関心が移って、だからその時は数頁も進まないうちに熱は冷めてしまった。
 今年の1月、ドゥルーズが22歳で書いた『経験論と主体性──ヒュームにおける人間的自然についての試論』の改訳版が出版され、翌月にはクレソンとの共著『ヒューム』が出て、ドゥルーズ編集の「ヒューム抜粋集」や訳者の合田正人氏の長編解説「ドゥルーズによるヒューム」もあってとても重宝だし、手ごろな分量だったので少しずつ暇な時に読み始めたばかりのところ、久しぶりに届いた友人(野原燐さんのことです)からのメールが第7回『哲学的腹ぺこ塾』への誘いで、テキストはヒュームの『人性論』。シンクロニシティと呼ばれる現象があって時折私も経験するのだが、メールを受け取ったちょうどその日に読んでいたのが『ヨーロッパ精神史入門』(坂部恵)の「中世のヒュームと現代の反カント」の章だったものだからこの符合にはちょっと驚いてしまった。会合には欠席したし今回もまた『人性論』を読み通すことはできなかったのだけれど、数年の時を経て再発したヒューム熱は今だに冷めない。
 それにしてもヒューム菌に取りつかれたなどと書くよりもヒューム熱に冒されたと表現する方がぴったり来るのはなぜだろう。たとえば私はここ数年ベンヤミンという文人に強烈に惹かれ続けていて、この場合は何か物質的なものが私の肉体に巣くっていて確実に繁殖しつつあるように実感しているし、それはまさにベンヤミン菌とでもいうべき実体なのだと思う。

 
 中世のヒュームとは14世紀パリの「過激」な唯名論者オートゥルクールのニコラウスのことで、『ヨーロッパ精神史入門』ではその《あるものごとが認識されている、ということから、他のものごとがある、という判明な明証を、原理ないし第一原理の確証にもとづいて導くことはできない》という文章が引用されている。また現代の反カントに準えられているのはフーコーで、坂部氏は『言葉と物』の有名な文章──ヒュームによって独断論のまどろみから醒まされたという『プロレゴメナ』序文のカントの言葉を踏まえた《こうして、この〈折り目〉のなかで、哲学は、新しいまどろみに入る。もはや今度は〈独断論〉のまどろみではなく、〈人間学〉のまどろみに》や《今日、ひとびとはもはや消滅した人間が残した空虚のなかでしか思考することはできない》──を引用した後で《フーコーは、カントの第二の「人間学のまどろみ」を醒ますべき、第二のヒュームにみずからを擬しているようです》と書いている。
 ところで中世普遍論争には前々から関心があって、貨幣とは何か、魂とは何か、言語とは何か等々を考える上で避けて通ることはできない、というよりそもそもそういう事柄が問題とされる精神の領域のようなものを設定したのがレアリスムス(スコトゥス派)とノミナリスムス(オッカム派)の対立だったのではないかと考えてきたし、スコラ的実在論の立場に立つパースがこの論争の意義について独特の見解を示していたらしいことをある書物で読んで以来いつか調べておこうと思っていた。実は私はベンヤミン菌に侵されるずっと以前からパース病に罹っていて、だから『ヨーロッパ精神史入門』に出てきたパース「形而上学ノート」からの引用[*1]とこれに対する坂部氏の解説[*2]はまさに私が探し求めていた世界への格好の手引きだった。
 坂部氏によると、古代地中海世界に対する「ヨーロッパ世界」が確立され「知性─理性─感覚、神学─哲学─自由学芸、という、以後数百年にわたってヨーロッパ世界を支配することになる思考と学問と教育制度との序列」の基礎が据えられたのが9世紀で、以後、ノミナリズムによって神学と哲学との間に亀裂が入った14世紀、次いで1770年から1820年にかけて第二の亀裂が哲学と自由学芸(個別科学)との間に入り、現在は1960年以降の第三の亀裂の時を迎えているというのだが、この間一貫して、エリウゲナの「理解を絶しアクセス不能な光の闇」や「神化」(テオーシス)の思想に発する精神の地下水脈が──ニコラウス・クザーヌスやライプニッツの「垂直の個体概念」からパースの哲学へ、そしてベルクソンの「内包的多様体」やホワイトヘッドの形而上学、ボードレールの「万物照応」やヴァレリーの「錯綜体」、さらにデリダの「いまだ名づけえぬもの」等々へと──流れていた。
 かねてから坂部氏は「ライプニッツは千年単位の天才、カントは百年単位の天才」と主張しているのだが、もしかすると(坂部氏はそこまで明言していないが)わがヒュームの思考もまた「イギリス経験論」対「大陸合理論」といった新カント派的な準拠枠では到底とらえることのできない垂直的な深みを湛えているのかもしれない。

[*1]《考え深い読者よ、政治的党派心のバイアスのかかったオッカム的な先入観──思考においても、存在においても、発達過程においても、「確定されないもの」(the indefinite)は、完全な確実性という最初の状態からの退化に由来する、という先入観を取り払いなさい。真実は、むしろ、スコラ的実在論者──「定まらないもの」(the unsettled)が最初の状態なのであり、「定まったもの」の両極としての、「確実性」と「決定性」は、概していえば、発達過程から見ても、認識論的にも、形而上学的にも、近似的なものを出ない、と考えるスコラ的実在論者の側にあるのである。》

[*2]スコトゥス派とオッカム派の対立は通常、個と普遍のプライオリティ如何という問題をめぐるものとされるが、パースはその論争点をずらした。対立はそれに先立って「確定されないもの」と「確定されたもの」のどちらを先なるものと見るかにあるのであって、《…むしろ、(パースはそこまで明言していませんが)、個的なものをどう捉え、ないしはどう規定するかにかかわるものである…。/すなわち、個的なものを、元来非確定で、したがって(ここが肝心のところですが)汲み尽くしえない豊かさをもち普遍者や存在をいわば分有するものと見なすか、それとも、まったく反対に、それを、いわば第一の直接与件として、しかも単純で確定された規定を帯びた、世界と思考のアトム的な構成要素と見なすか。/「実在論」と「唯名論」の対立の因ってくるところは、このような考え方のちがいにあるとおもわれます。》

 
 ヒューム熱にうなされて、うっかりしているとたちどころに隣接と類似、因果関係ならぬ時空の連続を超えた思考の系譜に沿って連想と譫妄と錯乱に陥ってしまう。──この隣接・類似・因果性は『人性論』に出てくる「われわれの単純観念の統合ないし凝縮の原理」いわゆる観念連合の諸法則で、クレソン(『ヒューム』第2章)によるとヒュームはデカルトが認めた三種類の実体のうち物質的実体の観念は空間的時間的な隣接によって、精神的実体の観念は過去の記憶と現在の知覚との類似によってそれぞれ連合された「哲学的亡霊」にすぎないとして、さらに神的実体の観念というより「われわれの眼に永遠で必然的な真理と映るとともに神にさえも課せられるすべての公理」とりわけ因果性の原理もまた経験によって獲得された根深い習慣によって信じ込まされた観念連合にすぎないとして廃棄した。
 またドゥルーズ(『ヒューム』第4章)は芸術・道徳・宗教という「一般的諸規則ないし文化の体系(システム)」について、道徳を近き者と遠き者との隣接に、芸術を情念と想像力との触発や反射・反映にかかわる類似に、宗教を因果性にそれぞれ主として関連づけ、それらを基軸としながら叙述しているように思えて(気のせいかもしれない)それはそれでとても面白かったのだけれど、これらの解説を読みながらパースの記号論、すなわちインデックス・イコン・シンボルという記号三分の説をしきりと連想していて私はむしろそちらの方が気になった。
 自分の文章を引用するのも変な感じがするけれども、隣接・類似・因果性をめぐるヒュームとパースの「類似関係」についていちから書き始めるのが億劫なので、ほぼ15年前パース病の初期症状を示し始めた頃の覚書を以下にペーストしておく。
《レヴィ=ストロース(『野性の思考』)は美的創造と神話を生み出す創作行為との違いを、美術作品の場合は「一つの共通の構造を明らかにすることによってそれ[一ないし数個の事物と一ないし数個の出来事の集合]に全体性を付与する」行為から始まるのに対して、神話は逆の方向に──つまり構造の発見ではなく、ある構造から出発して「構造をもちいて、出来事の集合の様相を呈する絶対的事物を作り出す(なぜなら神話はつねに物語であるから)」方向に向かう行為によって生み出される点に求めている。
 また科学と美術の違いについて、縮減模型の例を挙げて次のように指摘している。すなわち美術作品の大多数は縮減模型なのだが、その特性は「縮減模型では全体の認識が部分の認識に先立つ」こと、‘man made’であり「手づくり」であって「対象物の単なる投影、受動的相同体ではな」くそれが「対象物についての真の実験」であることの二点である。レヴィ=ストロースによれば「科学のやり方が換喩的であって、あるものを他のものによって、結果を原因によって置き換えるのに対し、美術のやり方は隠喩的である」。
 ここで対比される換喩(metonymy)・隠喩(metaphor)という比喩の二つの型は、ヤーコブソンが記号行動の二本の軸である「連辞 syntagme 」(ある発話の中で結合される語の横の連鎖にかかわる)と「範列 paradigme」(語形変化表に通じ、語の縦の選択にかかわる)にそれぞれ対応させて使用したことに依っている。ヤーコブソンによれば換喩的な言説を支えるのは隣接関係であり、隠喩的な言説を支えるのは類似関係である。
 ところで瀬戸賢一(『レトリックの宇宙』)はこのヤーコブソンによる隣接性の用法が「倒錯的」であるとし、これを重層的な現実世界(仮想された世界を含む)の時間的・空間的な隣接関係に基づく転義と概念操作の領域である意味世界での「類−種」の包含関係に基づく転義とに分割し、前者を換喩、後者を提喩(synecdoche)と定義している。瀬戸は「提喩と換喩は、互いに異なった世界に属しているために、直接的な交渉を持つことができず、もし交渉を持つ可能性があるとすれば、隠喩を経由した間接的なものにならざるを得ないのではないか」とし、隠喩が意味世界と現実世界の境界上に存在し両世界の橋渡しをするものであることを指摘している。
 ここで明らかにされたのが「言語表現およびその基礎となる私たちの認識を支える上でもっとも重要な役割を果たす三つ組を構成する」三種の比喩の位置関係(トライアド)であり、瀬戸はさらにパースの記号の三分法と組み合わせて「換喩=指標記号(index)=隣接関係」「提喩=象徴記号(symbol)=包含関係」「隠喩=類似記号(icon)=類似関係」という対応を導き出している。》  瀬戸氏のいう包含関係がヒュームの因果性と相同なものであるとすれば、ここに「物質的実体=換喩=インデックス=隣接関係(現実世界、仮想世界)=道徳」「神的実体(公理的世界)=提喩=シンボル=包含関係(意味世界、概念世界)=宗教」「精神的実体=隠喩=イコン=類似関係(現実世界と意味世界の媒介)=芸術」といった対応が成り立つことになるのかもしれない。
 私としてはぜひそこに第四の比喩形象として逆喩(oxymoron)かケネス・バーク由来のアイロニーを、第四の記号として仮面(mask)かベンヤミン由来のアレゴリーを導入して、瀬戸氏がいう現実世界と意味世界を媒介するもう一つの契機──超越論的なものではなく、その対極にある(トランスフォーメーショナルな? 物質貫通的な?)契機──を加えた四つ組(テトラド)を完成させたいと思ってきたし、そのための突破口が古代フィリオクエ論争や中世普遍論争やフェリックス・ガタリの『分裂分析的地図作成法』あたりにありそうだと睨んではいるのだがこれは見果てぬ夢かもしれない。さらには未知の項を導入して四次元世界でしか表示できない五つ組(ペンタド)を発見してもみたいと長年思いをめぐらせているのだけれど、もはやそれは火を吐く龍や翼の生えた馬のごとき譫妄・錯乱のなせる所業でしかない。

 
 ヒュームの「思考の迷宮」の奥深く踏み込むこともなく近傍を漂流している。ヒューム熱はこのまま私の脳髄に浸潤していって体熱と分かち難く潜伏することになるだろう。このあたりでひとまず切り上げることとして、最後に「ドゥルーズによるヒューム」から印象に残った事柄をいくつか粗描して筆を擱く。──合田氏の文章はたとえば『レヴィナスを読む』もそうだったけれど、細部に織り込まれた咀嚼しきれない大切な事どもがいつまでも原形のまま結像しない語彙群として頭の中に残って時折間歇的に私の思考を撹乱する。これとはかなり趣が異なるもののそれはドゥルーズ/ガタリの文章にも接続しうるところがあるように思う。高速道路を移動している時や大群衆が犇くスクリーンを眺めている時のような、剥き出しの構造か積分された時間とでも表現できるものを垣間見ている感覚。(「情念化した想像力」=「重力化した光」がもたらす速度感覚!)
 その一、貨幣。《ヒュームの経済理論の本質的でほとんど唯一のテーマは、次のことを指摘するところにあると言ってよい──通常は貨幣の量に由来するとみなされている諸結果は、実際には他のいくつかの原因に依存しているということである。そこにこそ、そうした[ヒュームの]経済学における具体的な理念、すなわち経済活動はひとつの質的な動機づけを折り込んでいるという理念がある。》(『経験論と主体性』第2章)──その二、超越論的経験論。虚構的な原因性。合田氏は書いている。《私たちは、課税体系に象徴されるような贈与と交換の日々を刻々生きている。》《ヒュームのいわゆる経験論の最大の逆説は、それが、経験的所与によっては認識は説明されないという点を明確に認めた点にある。(中略)ヒュームの経験論は、感性的経験の所与からのいわば超越を語る、そのような経験論である。》──その三、正義論。合田氏は「正義論の解体と構築」がドゥルーズの終生変わらぬ課題であったと自らの確信を語っている。《つまり、経験に先立つ超越論的な「正義・公正」の法則、それが「システム」の法則なのだ。》(『レヴィナスを読む』)──その四、グッド・ヒューモアの哲学者ヒューム。
 個人的な註記。グラムシはマルクスが『聖家族』でフランス語の「平等」はドイツ語の「自己意識」に置換可能だといった趣旨のことを述べたのを踏まえて、カントが神様の首を刎ねロベスピエールは国王の首を刎ねた云々と書いているらしい。ドイツ観念論の抽象的言語、フランス社会主義の直観的言語、イギリス経験論の…、(アソシエーショニズム=「可能なるコミュニズム」とヒュームの観念連合…)、そしてイタリアの…。こうして私のヒューム熱は──ベンヤミン菌が欠けた器の破片を接合しそしてまた解体する作業を永劫に反復するのに対して、またパース病がたとえば写真、映画を通じてベンヤミンとドゥルーズに転移していくのに対して──システムと関係と構造を経由して感染し拡散していく。

《余録1》
 第一次世界大戦の本質はいまだ解明されていない。ある書物にそう書かれていた。桜井哲夫氏も『戦争の世紀』でこの戦争はヨーロッパ社会に根底的な変化をもたらし「精神の危機としての20世紀」を生み出したのであって、われわれを拘束し続ける今日の政治的問題へとつながる決定的な出来事であったにもかかわらずそもそも誰もが納得しうる戦争勃発の決定的要因ですら定まっていないのが実情だと書いている。
《つまり、諸国間が織りなしている様々な関係の網の目が、いつしか機能不全となって切断されるに至ったのだ、と考えるほかはないということだろう。誰もがこれほどの惨劇が生み出されることなど、考えてもいなかった。そして、おそらく、この事態を生み出した要因の一つは、20世紀が生み出した「速度」だと見なすことも可能である。》
 桜井氏はまた機関銃の出現が生み出した塹壕戦こそが第一次世界大戦で姿をあらわした近代戦の姿であり、《塹壕体験は新たな共同体(戦士の共同体)体験となり、その一体感(崇高なる沈黙の共有)が戦後のファシスト運動の基盤となってゆくのである》と指摘し、ひとり、この戦争が何を失わせたのかを的確に論じた人物がいた、それはヴァルター・ベンヤミンその人であるとして──ジョルジュ・ソレルとベンヤミンという二人の思想家の出会いの意味を「20世紀の政治的にして神学的問題をめぐる二つの傾向の対決の先取り」であったと規定した今村仁司氏(『ベンヤミンの〈問い〉』第3章)の議論を念頭におきながら──1993年に書かれた「経験と貧困」を取り上げている。《「経験」の崩壊は、世代間の断絶を生み、人と人との間の関係を変化させ、「経験」や「文化的遺産」から切り離された無機質な文化を生み出し始める。第一次世界大戦は、国民総動員の名のもとに、どこを切り取っても等質で、固有の経験や文化を喪失した「国民」、すなわち、オルテガ=イ=ガセットの言う「大衆」、ハイデガーの言う「ダス・マン(世の人)」を生み出した。
 かくて第一次世界大戦は、それ以前の社会や文化から世界を切断してしまった。以後の世界を特徴づけるのは、「痕跡」を消した文化である。ベンヤミンは、バウハウスの建築や作家シューアバルトが描いた移動可能なガラス住宅は、人が住んだ痕跡を消してしまうことに注目する。人の住んだ歴史(痕跡)が、一切残らない住居。それこそは、20世紀という、無機質な科学技術文化を発展させ歴史意識(経験)を消し去ろうとしてきた時代の象徴とも言えるかもしれない。  なればこそ、ベンヤミンは、歴史のなかで打ち捨てられてきた廃物、屑を収集し、死者の叫びを共有化する道を歩むことになる。おそらく、彼はそこに、第一次世界大戦における膨大な死者たちの存在を意識していた。だが、彼は、ドリュ=ラ=ロシェルやマルセル・デアとは異なって、塹壕共同体の「死者への崇拝」から政治的崇高性(民族と祖国のために死ぬ)へと向かう回路を切断し、民族や国家を越える(「法を越えて」)、つまり近代国家を越える道を模索し続けることになるだろう。》
 私は第一次世界大戦の「本質」が問われ始めたのは坂部氏が「哲学にとって大きな変革期、あるいはすくなくとも大きな変革期をおもわせる予兆をすくなからずはらんだ時期」と規定した1960年代という時代だったのではないか、そしてそこで問われたのは正義の、というより普遍的な意味での経済システムの問題だったのではないかと考えているのだが、それにしても坂部氏が例に挙げている『野性の思考』『言葉の物』(フーコー=第二のヒューム説!)『エクリ』『エクリチュールと差異』『正義論』等々の書物、そしてまた合田氏がフッサール由来の超越論的経験論という「奇形学[テラトラジー]に属する」観念に関連して──ベンヤミンの「経験と貧困」に触れた後で──ドゥルーズとフーコーとデリダとロールズに言及している箇所を読むにつけ、そこにまぎれもないヒュームの「セントバーナードのような丸く陽気な顔」(ディドロ)が見え隠れすることに驚いている。
 ちなみに合田氏は《ヒュームならびにドゥルーズのヒューム論が現代正義論の相異なる潮流をつなぐ「失われた環」たりうる可能性を否定することはできないだろう》と書いていた。付言すればヒュームと自己組織化との関係への合田氏の言及──《…寄せ集めからシステムへという自己組織化の過程、すなわち「習慣」の成立は、経験の反復よりもむしろ、いまだ経験されざるものとの「類似」に司られているのであり…》──は来るべき「経済システム」への予兆を示していると思う。

《余録2》
 ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』第1部の「過剰エネルギーの破局的消費として見た戦争」の節で次のように書いている。《工業生産の余分が近代戦争の、特に第一次大戦の淵源にあるという見方はときおり否定される。しかしながら両次大戦がそれぞれ発汗したものはこの余分であり、それらに異常な熾烈さをもたらしたものはその夥しさである。》(生田耕作訳)  つまり戦争もまた経済学の、ただし「普遍経済学」のテーマであるということなのだが、ここで私が想起しているのは先に第一次世界大戦の本質云々で触れたある書物に《[人類は]貨幣をつくり、為替をつくり、株式社会や取引所をつくりあげたはずなのに、実は経済システムについてはまだひとつとして総合体系をもちえないでいるままなのだ》と書いてあったことだ。このある書物とは『ボランタリー経済の誕生』のことで、共著者の一人金子郁容氏は同書のキー・コンセプトである「ボランタリー・コモンズ」(自発する公共圏)について次のように述べている。
《ボランタリー・コモンズは、イメージでいえば、インターネット/ネットワークと伝統的地域共同体を重ね合せたものである。これらふたつは、一見するとまったく反対の方向性をもっているようで、情報についてはかなりの共通点がある。いずれの場合も、情報の伝わり方は、契約関係や上下関係によるものでも経済関係だけによるものでなく、基本的には自発的な情報が互いに誘発して伝わってゆくからである。また、情報は共有され、それが組織体の共同知として蓄積される。企業間の競争を基礎に置く市場経済システムにおいては、情報の独占が経済活動のエンジンであるから、システム全体としての共同知は形成されない。伝統的地域共同体における共同知は、いいつたえであったり、しきたりであったり、祭のやり方であったり、伝説、童謡、民話などといった形で残される。インターネットで試行錯誤的に作られてきた通信プロトコルのデファクト標準が共同知の典型例である。》(http://www.hotwired.co.jp/matrix/9709/3_2.html)。  ここで出てくる「共同知」は「黙契」にかかわるものだと私は考えていて、その意味するところは合田氏の次の文章に尽きている。──契約と隣接と換喩と指標記号、制度と因果性と提喩と象徴記号、黙契と類似と隠喩と類似記号。(そしてアイロニカルな第四の次元あるいは第四の言語ゲームとは?)
《ただ、人為的であるとはいえ、正義の起源はヒュームにとっては「約束」や「契約」ではない。もしそうなら、いつでもそれを解消することができるからだが、「正義」という「モラル・センス」(道徳感情)は、ボートを漕ぐ複数の人間が水の流れと格闘しながらおのずとそれぞれの漕ぎ方を掴み、それが相乗的な協働となる場合と同様に、「共通の利害に関する総対的センス」であって、それをヒュームは「黙契」(convention)と呼ぶ。ドゥルーズはいわゆる社会契約論とこの考えとの相違を強調し、『本能と制度』では、「有用性は制度を定義するのに十分か」「制度は本能によっては説明されない」という小見出しのもとにヒュームの言葉を引用している。
 のみならず、サド的「契約」(contract)とマゾッホ的「制度」(institution)との対比のなかでも、「黙契」をめぐるヒュームの考え方が応用されているのだが、契約や約束をも支えるこの「黙契」それ自体がいかにして形成されるかという点については、ヒュームは「おのずから」としか答えていない。そこに、「前提なき帰結」(ブランシュヴィックがスピノザについて語った言葉)を看取し、それをドゥルーズの「帰結・効果の哲学」に結びつけることもできるだろうが、と同時に、「黙契」のいわば脱構築こそが私たちに課せられた最大の課題のひとつであるとも言える。そこに、根源的な意味での「信頼」の何たるかが掛かっているのだから。》
■プロフィール
(なかつか・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。震災後インターネットを始め、メーリングリストに「表現」の場を見出す。最近、そこで知りあった「インターネット哲学集団」(!)による『ポリロゴス1 特集:ミシェル・フーコー』(中山元編集、冬弓舎)に参加。哲学というよりは哲学者に魅かれつつ、森羅万象への関心を漂流させながら日々を過ごしている。(なお、は『ポリロゴス』[http://nakayama.org/polylogos/]中山氏のサイトから送料なしで購入できます。)E-mail:norio-n@sanynet.ne.jp http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n
■(編集部・註)本紙の掲載論文は、中塚氏の初稿を大幅に縮小整理したもので、初稿の全文は上記の中塚氏のWebに掲載されております。




■現代詩■

新詩集『殺佛』のこと・など

富 哲世



 詩的な言表行為が事態として示そうとしている態度の過程を、果たして「詩の思考」という風に、思考や思惟という名で呼べるかどうか、そう呼ぶことには少なからぬ抵抗の気持ちがある。言表事態と言表態度との意味作用における確固たる対応を旨とする、たとえば哲学的思考、散文批評的思考と詩のそれとは、およそ近くて遠い報復神的なモダリティの距離がある。前者的精神の思考が、判断がどこまでも判断を追い詰めてゆこうとすることへ向かう世界解釈の運動態であるのに対し、詩的な行いとは判断の放棄により世界を提示することに、その最終の絵を思い描こうとするものではないだろうか。詩とここでいう思考とは、一方がそれぞれ他方のなかに己れを見い出そうとするとき、また同じことだが己れの裡に他方を見い出そうとするとき、容易にオイディプスとその父との関係に擬せられうる事態を生じる。詩をつくる者自らが思考の王として詩のなかでふるまおうとしたり(それは幼稚さをさらけだすことにしかすぎないのに)、思考の王道をゆく純粋な思考の達人にとって、詩がときとして脆弱な知性の逃げ場所のように見えたり、また逆にたましいをかすることばの妙技に映ったりするかもしれないのは、おそらくその理由による。詩のメタファとは、否を「肯」と表すことである。
 この度の詩集の題名『殺佛』の語彙は、永田耕衣の句集の題名によって初めて知った。臨済玄義禅師法語の編纂集『臨済録』に見える語。20年程も前に読んだその句集のはるかな残響と、印象の強烈さの記憶をも蘇らせながら、その「殺」の事態がそこにふさわしいと思いつつ、詩集となるべき緒編を書き接いでいた。その事態とは、訣別への意志とそのイミそのものとも、また訣別を生きるという「思慕」の形式の一変形ともなりうるかたどりなのではないだろうか。「訣別を生きる」とはなにも他者との訣れを生きるということのみをイミしているのではなく、それは自身との訣れを生きるという情動の上に立つことがらでもある。この詩集の暗黙の意図のひとつは、未来の悼歌からわたくしたちはどれほど歩み出せるか(帰還できるか)、ということだったのではないだろうかと思っている。近づきつつある親しい者への死のあした、震災の記憶のなかからあらわれてきたものなど、なにか「聞き書き」のように、暮らしの主題に見え隠れする仮構の声、その事態の声を書き写すこと。それが少なくとも死者がそれとして「死」に拘わるときの(死が死者を殺すときの)、生きる者にとっての「殺」のイミである。
 たとえば死のなかにある死者は、もちろん位牌のなかに、遺影や仏壇の本尊のかたわらにいるわけではなく、わたくしのこころのなかにいるというわけでもない。その人は、わたくしのこころのなかにもいないという不在のなかにあることでのみ、そこにいるのであり、わたくしがこの世に出会える人たちとのドーブルでありうるのである。その「どこにももう居ない」ということの再認の想いは、その人の死が許されたようにわたくし自身にもそれが許されたのだという発見の想いへと連なり、それは恐怖心の消失といくばくかの答えのないしづまりを、わたくしに示して呉れる。
 詩的行為としてのその「殺」は、「一編の詩が生まれるためには、われわれは多くのものを殺さなければならない」という、それが死者を蘇らせるただひとつの道であるという田村隆一の『四千の日と夜』の想念とも、背景の異想を越えてどこかで重なってくるのかもしれない。これらの想いは今、祈りのそばにあるものの姿をわたくしに見させて呉れようとしている。

■プロフィール■
(とみ・てつよ)神戸市生まれ。獅子座。詩集:「血の月」1993年。「天人五衰」1999年。「めらんじゅ」同人。





■編集後記■
★ジェンダーやセクシュアリティに関して偏見や差別意識を持っていない人はいないと思う。僕の場合、そうした自分が持つ偏見は、セクシュアル・マイノリティの「他者」との具体的出会いの中から気づいた。だからそれを克服したいと思う。だからさしあたり、その偏見や差別意識をできるだけ飾らないかたちで表現し、自分で認識し、他人に批判してもらうようにする。しかしその行為は同時に「他者」を傷つけていることでもある。もちろん僕は差別意識だけで構成されているわけではないだろう。でも差別意識の表出は、いかにも自分がそれだけで構成されているような気分になるし、他人をもそうした気分にさせてしまう。つまり、差別を乗り越えるためにお互いが傷んでいる。このような傷つきはどうしても避けられない「手続き」なのだろうか。(田中)
★今回は、『La Vue』2号と並行しての編集作業で、2誌・紙同時発行の割には、掲載原稿が早々と入稿していたので、精神的ゆとりがあった。しかしメルマガ版と違って、ペーパー版の編集作業は段階が多くて手間と校正作業にはより一層の神経を使うが、やはりリアルの手触りはなんとも捨てがたい。巷ではIT革命という幽霊が彷徨いているらしく、これに対応できるか否かで、今後は情報格差による所得階層が明瞭に分離するとの予測がある。それに応じて21世紀の思想・文化・出版モデルは、どのように変貌するのか、あるいはしないのか、見極めたい。(山本)





TOPへ / 前へ