『カルチャー・レヴュー』08号



■音 楽■

音の触りのすすめ
小原まさる



1.ムックリ

 アイヌの楽器に、ムックリ(※1)と言うのがある。同系のものは、フィリピンや台湾そしてシベリア地方、さらにはネパールにも見られるという(アイヌの音楽を含むアジア圏の音楽の共通性には興味があるが、ここでは触れない)。竹製で短い紐がついていて、口に銜えて紐をリズミカルに引くことで、ビョンビョンという音がする。
 やってみると意外にむずかしいが、自分の口の中への響かせ方などで、実に微妙な音の変化を楽しめる。この単純な楽器は、とても豊かな音との遊びの体験を与えてくれる。何か自分の頭蓋骨まで、共鳴箱になってしまう感じなのだ。
 ムックリは、北海道の観光地で500円くらいで売っているから、それ自体に骨董品的な価値があるようなものではない。しかし音楽というものを別の次元から体験させてくれるのだ。意外な音との遭遇の楽しみ、そしてその音をコントロールすることの楽しみ。自分が今感じている音を、自らの行為によって変化させることが、とにかく面白い。この楽しみをもっと持続させたいから、リズムをキープし、紐に伝わる反動をうまく利用する。だんだんいい音がする。心も自然に弾んで来る。音とのこんな楽しみ方があったのかと思う。 ムックリで遊んでいると、国産初のアナログシンセサイザーが売り出された頃、音程を固定して、フィルターを動かしたり、倍音の構成を変化させたりするのが、とても面白かったことを思い出す。旋律もリズムも和音もないが、音色を少しづづ変化させることそのものが楽しみなのである。初期のシンセサイザーは、和音なんて出なかったから、こんな風な遊び方でも、僕にはとても新鮮だったのかもしれないが。  楽器やシンセサイザーを使わなくても、この手の遊びは、自分の口だけでもできる。最近のCMで、モンゴルの草原を背景に、男の人が自分の声を連続的に変化させて、「ビヨーン」という感じの音を出しているのを見たことがある(※2)。早速自分でも試してみた。あんな風にはできないが、風呂場でやるとなかなか感じが出る。

2.膨大な情報としての音楽

 こんな事を書いたからといって、単に民族音楽がデリケートなサウンドを持つとか、電子楽器がそれに類する表現力があるとか、音楽の慎ましい楽しみ方が重要だと言いたいわけではない。
 音楽には、聴く楽しみと演奏する楽しみがあるが、音楽の何を聴いているのか、演奏するにしても、その行為の中で、演奏者自身が何を楽しんでいるのか、また聴く者に何を聴かせているのかという点を考える上で、ムックリは重要な体験をさせてくれると思うのだ。この楽器のつくり出す音楽は、単純なリズムと音色の変化だけで、旋律も和音もないが、十分に楽しい音の空間を存在させているし、耳には聴くことによる快感を与える。そして音の粒が揃わないほうが、楽しみは大きいかもしれない。耳は音色の部分の微妙な変化を楽しもうとしているからだ。聴く行為においては、耳が(脳が?)音楽のどの部分にその聴覚を集中するかによって、極端に単純な音楽の中にすら、如何様にも楽しむべき深みが存在する。そのことをムックリは教えてくれる。 コンピュータにサンプリングした音の波形を画面に表示すると、軸の置き方で雲の固まりの様に見えてくる。だがその表面はデコボコだ。サンプリングレートを上げれば、おそらく決してその複雑さをあきらめない波形がさらに現れるであろう事は、想像し易い。私達の耳は、このデコボコの表面の肌触りをどこまで感じられるのか。
 音そのものがこのような複雑な姿を持ち、それに構成的な複雑さをもたらすから、情報としての音楽は、さらに多層的とでもいう形態をとる。したがって、私達がCDを聴いたり、演奏会で音楽を楽しむ場合、当然ながら、一度にどうしようもない程の膨大な情報を、ともかく受け入れるのを余儀無くされているはずである。逆に言えば、音楽を聴くという行為そのものには、限り無い可能性と多様性があるということになる。
 しかし、古典的なクラシックの鑑賞では、私達の耳は、旋律、和声の技術、曲の構成、場合によっては歌詞等を、音楽の進行に合わせて、音の中から選択して読み取ろうとすることになる。できれば、作曲者の意図や演奏者がその曲をどのように解釈しているのかまで読み取れば、より一層の喜びもあろうし、どうして歴史的にこのような音楽が現れたのか、その誕生の物語まで、パンフレットや本で勉強すれば、音楽的教養もさらに深まるに違いないと、努力してみることになる。
 読み取りの行為が、一般的に何らかの解読装置を必要とするとすれば、聴衆がこうした形での音楽体験をするためには、多様な水準での訓練が必要だと言えよう。しかも、音楽の持つ膨大な情報の中から、聴く者は、ある特定の情報を読み取るべく仕向けられ、音楽と向き合い、格闘する。 私達に向けられたこうした読み取るべきもののために、音から得られるすばらしい快感を、つまり、音そのものを楽しむ機会を、私達はしばしば逃しているのではないか。過去のロックやある種の実験的な音楽は、強烈な音や沈黙、音の偶然性や即興性を用いることで、こうした状況を打破しようとしたと言えよう(最近のポップスに関しては、僕には別の見解がある)。

3.音触りの快感

 音と出会うこと。音を自然なものとして受け入れること。草原や川岸で奏でるのに何の不思議もない音楽。それらをイメージするだけで、心は和む。なぜならその時、耳が自然に音という現象を受け入れているからだ。その音楽は、聴く者に解放され、その音を自由に味わい楽しめるからだ。 しかし、基本的にどんな音楽でも、音という現象の上に存在している以上、耳のもって行き方で、つまり、音楽のどこを聴くかによって、音触りの快感を楽しめるはずだ(それこそ、ムックリが私たちに教えてくれることだ)。たとえば、ロックだったらジミ・ヘンドリックスのギターのひずみ、ジョン・レノンのシンプルなピアノの余韻、古くて申し訳ないが、こうした音は、その音そのものが、ムックリの音のように、僕の音の性感帯をくすぐる。Kiroroの澄んだ声にだって、僕には声の地肌を触るような快感がある。ピーター・ガブリエルの音楽は、聴くことの楽しみを提供してくれる音の宝庫だ。もちろんブライアン・イーノも興味ある素材だ。
 そんなことを言うんだったら、ジャズやクラシックにだって演奏家ごとに独特の音色や声があるということになるだろう。その通りなのだ。それは聴き方次第なのだ。しかし、あまりにもコントロールされた音楽では、その表現のために駆使される、作曲上あるいは演奏上の磨き抜かれたテクニックのために、しばしば、音の素顔が見えなくなる。また、音楽によっては、こうした楽しみをあまり許さないものもある。その許容度に差があるのだと思う。楽しめる音楽とは、聴く者に、聴く楽しみの自由を与えるべく工夫されたか、意図せずとも、そのような性質を備えた音楽であり、聴く者のために、音の中に手付かずの部分を残してある音楽とも言えよう。そのような音楽は、同じ曲でも、その時々によって、異なった体験を与えてくれる。そして、録音されたものでも、十分ではないにしろ、繰り返しの楽しみに耐えるのである。

※1 インターネットで探せば、その音を聴けるホームページもある。※2 モンゴルで「ホーミー」と呼ばれる唱法。アジアの他の地域でも同種の唱法が見られるが、それぞれの地域ごとに呼び名が異なるようだ。喉歌、あるいは音の現象面から見て、倍音唱法(この呼び方がここでは適当だと思う)とも呼ばれる。本格的な演奏は決して容易なものではない。

■プロフィール■
(こはら・まさる)某短大で、コンピュータ・ネットワークのシステム管理を仕事にする傍ら、コンピュータのための(同時に人のための?)音楽の記述方法を研究中。また最近は、圧倒的な消費文化に包囲された、ネイティブ・アメリカンの文化の状況について関心がある。




■情 況■

自己とその存在基盤を変革する可能性

野原 燐



         私が求めているものは権利にすぎない。であればそれは
         すでに与えられている、わたしが気づいていないだけだ。

「権力を持たない者は空間をもつことができる」という魅力的なタイトルを持つ短い文章を読んで見よう。(註1)

| 学生の寮問題という、いわば事実性をめぐって出発した神大の闘争は、大
│ 学側のその問題に対する処理のしかたの問題に発展してきている。つまり
| 学生が「評議会のテープ公開」「教授会の議事録の公開」を要求している
| ことは、問題がたんなる事実性をめぐる要求から、表現の私有に対する闘
| 争に発展したことを意味している。私は、この問題を表現の問題としてと
| らえてみたい。

松下昇は大学斗争の渦中にいる。1969年。学生は「評議会のテープ公開」「教授会の議事録の公開」を要求している。見せろ、と言われて見せないと言えば、そこには公開しては困るなんらかの利害関係が推定されてしまうだろう。〈公開性〉をめぐる軋轢。2000年の今でも日本の体制は非公開性を守る為に大きなコストを掛けていることは、総会屋をめぐる最近の新聞報道からも分かる。固有の歴史性を持つ「学問の自由」云々はおいても、教授と学生は一定の共通利益を追求しているはずでありその限りにおいて、公開性は認められてもよかったはずだ。

大学闘争というものが何故存在しえたのか、今では分かりにくくなっている。〈大学の自由〜学問の自由〉という理念によって支えられた共同体でなければならない、大学は。という共通理解が学内には存在していた。そのような共同体が日本を明日へ前進させていくのだといった発想を基盤にして。69年の敗北の後、そのようなものはすべて、空疎な「たてまえ」にすぎないものとなり、そうでありながらその空疎さに黙って耐えるのが学校空間になった。でも本来大学とはそういうものではない。わたしたちは日本語と国家を自明のものとしていま話しているが、日本を含むいくつかの国以外では、それらは決して自明のものではない。むしろ〈大学〉が国語と国家を支えるといった関係が、いわゆる先進国以外ではかなりふつうにある。つまり、なんらかの〈普遍〉的価値といったものを造っていく装置として大学があり、それなしには社会はなりたたないということである。日本でも1969年まではより良き明日を作っていかねばならないという衝迫は学生にとって必須のものであった。(使命感と裏腹などこかで特別待遇を要求しうるというエリート意識とともに。)そして、社会もそれを求めていただろう。69年性の運動の敗北以後、大衆の無意識はバブル的価値を求めるという身振りのなかで満たされていた。だがいまや、「真理」が不要であるかのような社会はやはり一時の逸脱だった、ことは明らかになりつつある。

学校とは徹底的にシニフィアンだけが問われる場所である。試験において内心はどう思うと「正しい」答えを書かなければならない。ものごとには正しい答えがある、というイデオロギーのために学校はあるのだ、とさえいえるかもしれない。正確に言うと、シニフィアンだけが問われるわけではない。答えが書ければ良いというわけではない。本気で書いているという〈主体〉は逆にそういった訓練を十年以上積み重ねることにより確立されるのだ。国家に対して責任を果たしうる(一定の)透明な自我をもった主体を育てるためにこそ、学校制度はある。ところが、その目指されるべき透明性を当の教授たちが学生大衆たちの目の前で、裏切ってしまった。「表現の私有」とはひとつには、教授たちの唱える啓蒙的言説自体が自分の生活の場で自身に問われたとき、応えられなかった、ということだ。

「僕のやったことは、現在の秩序を逆用することだと思います。」と松下は語っている。やったこととは「〈私〉は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、しけん等)を放棄する。」と言ったことだ。教官であったから、授業〜試験を放棄できた。ラディカルな自己否定は旧秩序を前提としそれを転倒しようとする。「が、たとえ、君らが大学を出て就職して、労働組合対策に回わされたとしても、秩序を逆用し、日常性の論理を否定して闘うことはできると思います。」とまで松下は語っている。

わたしは大学を卒業し就職した。この文章の自明さをだれも疑わない。小学校入学以来の十六年間はこの自然さの獲得のために費やされる、国民の多数にとって。〈わたし〉は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働を放棄する、と松下は言った。言葉にすれば永続的ストライキであり、当時すでにあたりまえのように蔓延していたものにすぎない。
「私は、教官として、管理者としての日常性を否定しました。ですから、当然、試験もしないことにしています。試験をしないと、二〇〇人の人が卒業できないことになるわけで、「泣いて」頼みにくる人もいるわけです。そこで、恨んでいる人もいるでしょうが、恨む人を恨まなくするようにしようと思っています。」 わたしたちは試験の点数が1点低いと言っては泣き、1点高いと言っては笑う。松下の言うところは、そうであるところの日常の全否定であろうか。虚偽意識。わたしたちの生は虚偽意識なしには生きられていない。松下が語っていることは、虚偽なるものの全否定ではない。これから試験をします。〈試験空間を創造します〉と口に出して言ってみよう。固定的なものである試験とは、わたしとあなたとのそしてさらには不確定な〈未来〉との共犯関係、によっていま形をなしているものであることがわかるはずだ。

個人的なことは政治的なことである。自己というものがすでに、微細だが些細ではない権力関係の網の目のなかに存在し、他者との関係も権力関係とコミで行われることを自覚すれば、〈闘う〉こととはそれらの権力関係を逆転し利用していくこと以外ではありえない。そしてそれはもはや自己と分離不可能になった衣服をむりやりひっぺがすような、耐え難い痛みをともなうことであることも。だからといってそれは、自己の特権性を否定しなければならないといった生真面目な倫理主義ではない。特権性の否定という意識のあり方はそれ自体、プチブル・インテリという存在様式に直接的に規定された否定意識にすぎない。それでは存在様式自体を逃れられない。

松下は試験に0点を付けた。これは大学教師としては最大の権力行使である。二百人ものひとが卒業出来なかった、というのがもし本当であるとすれば大変な加害である。「卒業し就職する」ことが幸せであるなら、二百人のひとの幸福が多少なりとも減少したことになる。ただ他の教官の授業も成立していなかったのではないかと思う。であれば、単位とは授業の完了として与えるべきものであろうから、与えた方が正当性を欠くとも言える。大学とは生徒を卒業させるための機関ではない。自己の信じるメッセージを伝えるのが教師の役割だろう。その意味では情況の混乱のなかで松下こそが、自己のメッセージを明確に持っていたと言える。エポケー。われわれが普段自明のものと思いこんでいるすべての発想をいったんかっこにいれること。現象学だけでなくすべての哲学はそこから出発するだろう。手がつけられない過激派と忌み嫌われ続けた、松下昇も、ほとんど、同じことを言ったにすぎない。「このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして、持続、拡大する方法は何か、について一人一人表現せよ」と。

松下氏は〈一番楽な道を選んでいたらこうなった〉と呟くこともあった。自己と情況との交差点をしか歩めないわたしたちが、自己だけを保存しようとすることは楽な生き方ではありはしない。

何をどのように変革するのか? それは抽象的に問うことは不毛である。あなたが一つの組織にずっと所属しているのであれば、その「真の姿」を既に見たことがあるはずだ。そうであるなら、それを変革することは可能である。自己とその存在基盤・・・意識が選んだものでは無いが故に、対象化困難なそれは、自然に見えるとしても、外的な条件(たとえば地震や失業)によって容易に覆るものである。つまり不可能性とはたとえばパソコンで文章を打っていたときのパソコンに当たるものである。パソコンなしにはそれは不可能だ。でも〈手書きに戻るすべ〉を思い出せば、その不可能性は越えられる、容易に。最後に、「私は、一枚の紙キレを貼り出した。それによって、マスコミ、教授会は大騒ぎとなっている。」というその一枚の紙キレ(に書かれた文章)を引用しておこう。

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情況への発言
〈神戸大学教養部〉の全ての構成員諸君! 二月一日の団交は、評議会が〈寮問題〉に関する解決能力を持っていないことを暴露した。しかし、これだけをスト続行か中止かの基準にしてはならない。まして〈時間〉が切迫しているからといって、〈しけん〉のための秩序に復帰してはならない。
〈スト〉に入る契機自体よりも、一カ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。〈神戸大学教養部〉の全ての構成員諸君! このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして、持続、拡大する方法は何か、について一人一人表現せよ。
少くともこの実現の第一歩が、大衆的に確認されるまで、〈私〉は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、しけん等)を放棄する。この問題提起に何らかの共有性を発見する諸君は、自己にとって最も必然的な方向を創り出して闘争に参加せよ。

一九六九年二月二日
〈六甲空間〉にて                松下昇(教養部教官)
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註1.「権力を持たない者は空間をもつことができる」
 テキスト0:雑誌「情況」(1969年3月臨時増刊号)
        1969年2月12日神戸大学理学部において行われたシンポジウムを
        雑誌「情況」編集部がまとめたもの。
 テキスト3:情況出版『全共闘を読む』p24以下 1997年9月刊
 テキスト2:松下昇発言集〈 〉版〜1988.9〜p1以下
        http://www.musesworld.co.jp/free/nohara/KENRYOK2.htm
 テキスト1:松下昇発言集(回覧用)1979年6月作成
        引用の1行目「学生の寮問題」はテキスト3で「学生の問題」
        となっていたが、テキスト2により訂正した。
このようにリスト化してみると、69年の発言がほぼ十年おきにコピー〜配布されている。〈発言〉は単に過去になされたものではなく反復し回帰してきている。テキスト3の発行者はその名に反し、出版とは〈情況〉への問いかけであるという意識が乏しいようでこの反復に気づいていない。69年からの隔たりを対象化する意味でも、テキスト2の〈序文〉の一部を引用しておきたい。
〜〜1、発言集の原本は、占拠空間から留置された状態にあり、それにもとずく複製はできないが、この状態を、たんに対権力的な課題にとどまらない広いテーマの対象化の媒介としつつ、その対極に〈同一〉内容の〈 〉版を構想していく。(中略)〈 〉版に出会う読者は、対極に留置されている原本を意識して読んでいただきたい。〜〜

註2.発言集などの入手について
この文章でも松下昇氏は「神大教養で行なわれ始めたように、現在は、一人一人が自分の言葉で発言すべきときである。あくまで個人の立場で、全責任を負ったビラを自分一人でまく、そういう態度が要求されている。」と語っている。
松下氏は1996年5月亡くなったが、〈松下昇〉は膨大なパンフを残し、現在も発信続けている。
連絡先の一つ。
VYN03317@nifty.ne.jp 野原燐
松下氏の表現に少しでも興味を持った方は是非ご連絡下さい。折り返し〈刊行リスト〉を送付します。

■プロフィール■
(のはら・りん)1953年、兵庫県生まれ、男性。18歳のときペンネーム野原ひとしを名乗る。その後野原燐に改名。1975年、松下昇氏に出会い以後大きな影響を受ける。1995年、ニフティサーブに入会、少女マンガ、フェミニズムや自己否定についてなど発言を続けている。現在、ニフティサーブのパティオ、「北海」を設定。ID:VYN03317、PASSWORD:NORD.0 ですので、一度覗いてみて下さい。不活発な場ですが。adress:VYN03317@nifty.ne.jp




■哲 学■

メビウスの輪としての啓蒙の概念

平野 真



【1】 はじめに

本稿は、デカルトの懐疑とカントの超越論的哲学の中心モチーフを現実からの覚醒というモチーフから考えることからはじめている。わたくしたちは、夢から目覚めて現実の世界に入って行く。しかし、近代の哲学が教えるのは、私たが経験する世界の曖昧さであり、夢と現実の区別自体に潜む謎である。この謎に接近しようとすると私たちは、夢と現実の2項対立そのものが意味を失ってしまう地点にまで連れて行かれてしまう。それは、まるで、表と裏を区別しようとして、いつのまにか裏を経由して再び、表に出てくるメビウスの輪のような構造をしている。こうしたメビウスの輪のような宙吊りされた論理は、カントの『啓蒙とは何か』というテクストにおいても生きている。このテクストにおいても、啓蒙されたものと啓蒙されるべきものの区別は、曖昧にされ、宙吊りにされてしまう。

むしろ、私たちが近代の哲学から学ぶべきものは、現実と非現実の区別や啓蒙と非啓蒙の区別ではなく、こうした2項対立そのものが無効になってしまうような地点において考えること、すなわち、宙吊りを生きる強度ではないのだろうか。

【2】 「現実の世界を夢の世界とどのように見分けるか」

『啓蒙とは何か』というカントのテクストに入っていく前に哲学の啓蒙という課題を覚醒というモチーフから見てみよう。

デカルト的懐疑とは、私たちが自明のものと思っている世界が、ひょっとすると悪霊たちにだまされているのかも知れないし、また、夢を見ているのかも知れないという風に、日常の意識には、気違いじみた問いを提出してみせることからはじまっている。ここで、重要なことは、理性という思考の基礎が夢とか悪霊とかによって、惑わされる可能性を指摘していることである。すなわち、デカルトは、自明なものと思っている現実と夢の区別がいかに確実なものとして捉えられるのかという問いを提出しているのである。

通常の意識において私たちは、夢から目覚める。私たちは、「ゆめ」「うつつ」の状態という現実と夢との区別のつきにくい流動状態があったとしても、現実において夢と取り違えることはありえないと思っている。しかし、夢と現実とを区別しているものは、原理的になんであるのか。我々が現実と確信しているものも感性が受取った情報を脳のなかで、情報操作を行い脳のスクリーンに写して事態を三次元的に受取って構成したものである。夢も脳のスクリーンに映し出された映像にほかならないではないか。その映像を現実だとか夢と区別することは出来るのか?

デカルトは、現実に対して夢を対置することによって、現実からの覚醒というテーマを提出している。現実と夢は、原理的に、内在的には区別することが出来ない。デカルトの懐疑で結局、あきらかになるのは、現実と夢を区別しようとしている「考える私」の存在の自明性だけなのである。結局、デカルトは、現実を構成する核に不可能な点が織り込まれていることを我々に示したことになるのである。

この点をもう少しイメージ化するためには、ウォシャウスキー兄弟監督の『マトリックス』という映画を参照するのが一般的な導入になるのかも知れない。『マトリックス』は最終戦争以後の廃墟となった世界において、人類を巨大な人工知能コンピューターがその出生から死に至るまで管理し、さらに人間たちをコンピューターの熱源として、発電装置として飼育するというような、人類が、コンピューターの自己保存の道具となりさがった世界の物語である。

『マトリックス』においては、個々の人間は後頭部をマザー・コンピューターに接続され、彼らにはコンピューターが作り出すマトリックス映像が流し込まれる。彼らはまさに、肉体的には眠った状態でコンピューターに対して発電のための熱源を供給する生体エネルギーであり、一方では、人間たちは、バーチャルな世界をそれとは知らず生きることになる。

「現実の世界を夢の世界とどのように見分けるか」・・・この問いは、映画『マトリックス』においてコンピューターに対するレジスタンスを組織している指導者モーフィアスが未だ覚醒していない救世主に向けて語る言葉である。『マトリックス』は、バーチャル・リアリティの世界から人々を覚醒させる力を持った救世主が自己を救世主として意識するまでの物語なのである。モーフィアスによって、導かれながら、現実を知ることを決意した救世主ネオは、コンピューターの作り出すマトリックス映像から自由になり、自己の身体をコンピューターから取り戻すだろう。

バーチャル・リアリティから目覚め、自己の肉体を取り戻したネオに向かって、「現実の世界にようこそ」とモーフィアスが語りかける。

マトリックスを構成しているバーチャル・リアリティは、コンピューターが作り出す集団的な共同幻想である。コンピューターの支配から自由になったネオは、モーフィアスに導かれながら、コンピューターが作り出すバーチャルな世界に進入を試みる。彼らは、コンピューターにハッキングを行って、バーチャルリアリティの世界にウィルスとして脳に接続されたコンピュータープラグから進入し、さまざまな工作を行った後に、電話から転送され、肉体に戻ってくる。

単純化すれば、『マトリックス』とは、コンピューターが人類を子宮的に管理する世界から、身体を自らのものとすることで自己を開放し、自律した主体へと覚醒することを目指すという厳密にカント的な意味における啓蒙の物語なのである。

『マトリックス』においても、夢と現実を切り分けることは、現実それ自体を構成する統覚の存在を参照することによって、可能となるのだ。

コンピューターが作り出すマトリックス映像では、一定の条件の下で、鏡が水面のように変化し、ヘリコプターがビルにぶつかった衝撃によって、壁が液状化する。すなわち、固さという物理的性質を持ったはずの素材が、液状化したり不自然に歪むことによって、私たちは、自分たちが見ている世界をコンピューターによるマトリックス映像であると判断するというわけである。逆にいえば、こうした奇妙な映像の乱れによって、背後に潜む統覚としてのコンピューターの存在を確信するというわけである。

実は、こうしたことは、『マトリックス』という映画そのものの限界とも関係しているのである。
すなわち、映画とはそもそもバーチャル・リアティなのだということである。映画とは、フィルムに焼きつけられたバーチャルなイメージに光を当てて、スクリーンに投影することで可能になるものだ。映画『マトリックス』が存在論的に提出している問いは、映画というそれ自体バーチャルの世界において、内在的にバーチャルの世界と現実を切り分けることがいかにして可能なのかということである。そして、その問いに対する答えが、『マトリックス』なのである。

映画『マトリックス』がバーチャルな映像の世界で、現実と非現実を区別するために、物質の「固さ」についてのイメージを参照したり、身体イメージを参照する。私たちの日常の世界において、通常、延長を持った物体が液状化することはありえない。しかし、コンピューター映像が作り出すマトリックス映像ではヘリコプターがぶつかる衝撃によって、ビルが波を打つ。そして、マトリックスに登場するレジスタンスの同志たちは、マトリックス映像から現実の肉体に戻ったとき、彼らの肉体にコンピューターに接続されていた頃の痕跡が残っており、首の後ろにはコンピューターを接続することができるプラグを持っている。

『マトリックス』において、リアリティとバーチャル・リアリティを明証的に切り分けるために取った戦略は、コンピューターによって作られた世界の物質は、リアルな物質世界のルールを逸脱し、液状化したりすることであったり、あるいは、リアリティの世界に登場するレジスタンスの同士たちの首の後ろや体に残るプラグであったり、コンピューターと接続するためのインターフェースの痕跡である。彼らの身体に残る傷跡は、コンピューターが作り出すマトリックス映像だけでは説明できない痕跡である。すなわち、マトリックス映像の外部の世界を暗示させる効果を持っているというわけである。

すなわち、この映画では、私たちの表象世界の自明とも思えるルールを参照しつつ、その自明性を逸脱するものを通じて、自明性それ自体をリアリティとして際立たせようとするのである。

私たちは、ここで、現実を構成する不可能な核に触れている。『マトリックス』が提出する現実と非現実の境界は、自明性と非自明性を分ける境界と同じであって、この境界は、非常に曖昧なものである。いや、コンピューターが作り出すマトリックス映像が完璧ならバーチャル・リアリティとリアリティを分けることなどそもそも出来ないのである。
レジスタンスの同士の一人がコンピューター側に寝返って、仲間を裏切る代わりに、バーチャル・リアリティの世界での幸福をエージェントたちに求めたように、本人が気がつかなければ、バーチャル・リアリティはそれ自体リアリティなのであるということである。
ここで、私たちは、有名なメビウスの輪の構造に触れている。すなわち、現実と非現実を分ける境界を求めていくうちに、両方を切り分ける平面を失ってしまって、両者が等価のものとして現れてきてしまうのである。

カントに戻ろう。カントは、我々の経験している現実を構成しているのは、経験の背後から経験それ自体を可能にし、条件づけている超越論的な主体であると考えた。超越論的な主体は、いかにして考察可能になるのであろうか。デカルトの懐疑が見出したものは、私たちが見ている現実は、夢か幻か、悪霊が作り出すイメージなのかも知れないが、そうした世界の存在を吟味している「考える私」の存在は疑いようのないものであるということであった。しかし、これを良く考えてみれば、「考える私」の自明性に先だって、考える私が疑っている「世界」が存在しなくてはならないのである。すなわち、デカルトのロジックには、「考える私」が疑うべき世界があらかじめインストゥールされていなければ可能にならないのである。すなわち、現実に対立する夢の存在がなければ、デカルトの疑いがそもそも必要ないものとなってしまうということである。デカルトにとって、重要なのは、現実と夢の世界の間の境界に潜む区別それ自体ということである。

カントは、私たちが経験している世界が、「考える私」=統覚の存在によって可能になるのだとしたら、あらかじめ、私たちが経験している世界と経験の外部に「真の世界」が存在しなければならないと考えた。もちろん、カントの用語では、こうした真の世界とは、「もの自体」のことである。カントの議論はデカルトの懐疑をさらに条件づける構造のレベルに到達しているといえるだろう。

要約しよう。カントによれば、私たちの現実は、経験の背後において経験一般を可能にする超越論的主体の効果として可能になるのであると考えたわけであるが、しかし、こうした理論的反省が可能になるのは、経験された世界と真の世界、すなわち「もの自体」の二つが存在することによるのである。カントによれば、「もの自体」そのものは、認識が捉えることは出来ないが、その存在を考えることはできるものであって、実は、もの自体こそが、現実についての理論的な反省を可能にするのである。

カントが提示する超越論的哲学は、現実についての意外な側面を明らかにしているということがここから理解できるであろう。私たちは、啓蒙の伝統を現実からの覚醒というモチーフから、デカルトとカントにおいて見てきたのであるが、ここで、現実とは、まさに、非現実と区別できないものであるということを知るのである。デカルトとカントが教える啓蒙の哲学とは、私たちは、夢から目覚めるように、現実からも目覚めなければならないのであるということである。しかも、私たちが、この覚醒において、手にするものは、現実の内部には不可能な核が潜み、現実とは、主体において構成された現実にほかならず、自己の思い込みでしかないような、すなわち、主観的な現実から真の現実に目覚めようとして逃走したあげくに、再び、主観の内部において構成された現実に到達してしまうというメビウスの輪の構造なのである。

繰り返しになるが、見落としてはならないのは、理論において「もの自体」の役割は、決定的であるという認識である。デカルトにおいて、「考える私」を見出すことになった懐疑を起動するのは、現実と夢がいかにして区別可能であるか、という問いであった。カントの理論も「経験されたもの(可能的経験一般)」と「もの自体」の区別があればこそ、経験を可能にする条件の分析が可能になったのである。

超越論的哲学による経験の反省が、可能になるためには、主体という心的装置の外部に不可知の核としての「もの自体」が存在しなくてはならないということである。

『マトリックス』においても夢と現実を切り分けるために最終的に自明なものと非自明なものの区別が必要であったように、カントやデカルトにおいても、経験された世界と真の世界という区別それ自体が存在しなければならないのである。

すなわち、夢と現実の区別は、原理的には不可能なのであって、そもそも、現実それ自体が「思惟するものとしての<私>、あるいは、<彼>、あるいは、<もの>」によって、構成されているのである。現実とは、夢かも知れないし、悪霊に騙されているのかも知れないけれど、それをそうしたものとして疑っている「考える私」の存在それ自体を疑うことができない、とデカルトが考えたとき、デカルトは、現実それ自体に潜む不可能な核、あるいは、リアリティをそれ自体の構成を可能にするリアルな裂け目にふれていたということである。リアルな裂け目とは、現実と非現実が等価に結ばれるというか、現実を首尾一貫したものとして、理論的に提示しようして、現実を成立させている裏側を明らかにしようとすれば、現実自体が、非現実との境界を失って、再び、表に出てしまうという構造自体を言い換えたものである。リアリティそれ自体を可能にするリアルな裂け目とは、現実と非現実の区別それ自体の曖昧さのことであると言って良い。

もちろん、現実それ自体を可能にするリアルな裂け目は、カントの用語で言いなおせば、考えることはできるが決して知にとって到達しえないものとしてのもの自体である。

カントは、リアルな裂け目が現実それ自体にもの自体として潜むことを理論の条件として措定することによって、逆に現実それ自体が、構成されたものに過ぎないことを明らかにしたのである。現実それ自体が、構成されたものにほかならないというのは、以下のことを意味する。すなわち、私たちは、「Xと考える」という超越論的主体の機能を無視して、思考することが出来ないということである。「Xと考える」という統覚の機能は、すべての表象に伴っているのである。

カントが探求したもの、それは、思考を条件づける形式であり、思考の外部なのである。私たちがここで手にしたものは、現実の内部に、知が内在的に到達しえない核が潜んでおり、そうした現実の裂け目なり亀裂を通じて、現実そのものを主体が構成した効果として捕らえ、そうしたことを通じて、現実の内部の闇の部分に光を当てることを可能にする啓蒙の概念なのである。

したがって、こう言うことは出来ないであろうか。啓蒙の概念は、そもそも、認識上において、メビウスの輪の構造を意識させる概念なのであって、これまで通常なされてきたように、知識人が大衆を啓蒙するとか、指導するというような啓蒙されたものと啓蒙されるべきものの対立が容易に区別できるような概念ではない。これをカントの『啓蒙とは何か』に即してみてみよう。

【3】 『啓蒙とは何か』再読

カントの『啓蒙とは何か』というテクストにおいて、啓蒙の概念の特徴は、まずもって、「脱出」である。すなわち、カントは、啓蒙の概念を人間の未成年状態からの脱却過程として定義するのである。

「啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである、ところでこの状態は、人間が自ら招いたものであるから、彼自身にその責めがある。未成年とは、他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用し得ない状態である。・・・この状態にある原因は、悟性が欠けているためではなくて、むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気とを欠くところにあるからである。」{*1}

カントにとって、啓蒙の概念は、まずもって、自律的に考えることであり、「私に代わって悟性をもつ書物、私に代わって良心を持つ牧師、私に代わって養生の仕方を判断してくれる医師」たちに依存することから脱却することなのである。そして人が依存的になるのは、個々人が勇気や決意を欠くからであって、個人に能力がないためではない。「――二度三度転べば、けっこう歩けるようになるはずのもの」(『啓蒙とは何か』)なのである。啓蒙の概念が、個々人が、自律的に考えることであるとすれば、それは、すでにして、通常言われるような知識人が大衆を啓蒙するというような概念ではない。カントが定義する未成年状態からの脱却・脱出としての啓蒙の概念は、すでにして、通常考えられている啓蒙を転倒した構造をしているのである。

ミッシェル・フーコーが指摘するように、この啓蒙の概念は、「ある時代」に関わっており、まずもって、「未完のプロジェクト」(ハーバーマス)として特徴づけられるものである。啓蒙された個人とは、制度の一個の部品のように、機械的に事態を処理するのではなく、理性を普遍的な公共的な立場から使用できなくてはならない。カントは、まずもって、宗教的な諸制度から人類が自由になり議論できるようになることを啓蒙専制君主フリードリヒの名において、肯定しようとする。カントは、自身が生きた18世紀末を、「啓蒙された時代ではなく」、「啓蒙の時代」であると認識するのである。すなわち、啓蒙がなされつつある時代であるということである。

啓蒙の概念は、自律した個を育成するためのたんに倫理的な概念であるわけではない。そうではなく、カントの「啓蒙の概念」は、倫理的であるとともにすぐれて、政治的な概念なのである。人間が、制度の部品のように機械として振舞う状態から、精神的に自由な個として自律的に思考する状態へと転換を果たすには、まずもって、議論する自由が与えられなくてはならない。カントにとって、重大なことは、言論の自由を肯定することによって、人間の精神の可能性を最大限肯定することにあるわけである。したがって、カントの『啓蒙とは何か』はまるで、君主に対して人類の名においてなされた契約文のような性格まで担うことになる。

カントは、自律的に考える人間の創出が個人が自由に議論することをもって可能になると考えている。
「・・・このような啓蒙を成就するに必要なものは、実に自由にほかならない」(同上)のである。ここでも、カントの啓蒙の概念の独特性が現れている。啓蒙されるべき蒙昧な大衆というイメージは微塵も存在しない。カントは、自由な議論の空間の創出を啓蒙の概念の実現であると捉えていることになるだろう。

ここで、重要になるのは、カントによってなされた理性の私的な使用と公共的な使用に関する区別である。この区別に関するカントの定義を引こう。

「ここで、私が理性の公共的な使用というのは、あるひとが学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのは、こうである、――公民としてある地位もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。」{*2}

この引用から解かるように、理性の公共的使用と理性の私的使用の区別は、普通一般に言われるような見方からすれば、転倒した印象を与えるに違いない。カントは、学者が一般の読者全体の前で自分の言説を展開するときに理性は、公共的に使用されるのだと言う、一方で、カントは、公職に任ぜられている人がその立場において使用する理性は、私的使用であると言うのである。

常識的意識からすれば、一般読者の前でなされる言論とか、サイバースペース上で書かれるようなものは、自分の考えを展開しているのであって、私的に理性が使用されているのであり、公職にある人たちの立場においては、理性は、公共性の立場から使用されているのだと考えるのが普通ではないだろうか?

ここで、私たちは、これまで分析してきたカントの啓蒙の概念に立ち戻らなくてはならない。2章で明かになったように、私たちが経験する現実は、可能的経験一般を条件づいる超越論的主体の効果として構成されたものである。現実は、個々の主体が構成するのであるが、それが、人類すべてにおいて普遍的に成立する条件であるがゆえに、個々人すべてに的中する。さらに、一歩進めて書けば、学者が対象とするような言説の空間さえも、超越論的な主体の効果として経験されるものであるということになる。私たちが言説の場において、繰り広げられた言葉を認識することが出来るのは、主体にあらかじめ織り込まれた悟性の機能によるわけである。すなわち、そうしたものとして、言説の空間さえも、自律した主体を基礎において、理解するということが、啓蒙のモチーフとなるわけである。
しかし、主体の外部には、不可知なものとしてもの自体が横たわっており、そうしたものの存在をあらかじめ考慮に入れた上で可能になることであるのだが。すなわち、他者にとって、現実は、別様に読み取られうる可能性があるということをあらかじめ、織り込むことで言論が可能になっているのである。

さらに、制度からの自律の概念に言及する必要があろう。カントは、「さまざまな制度や形式は、人間の自然的資質を理性的に使用せしめる−−あるいは、むしろ誤用せしめる機械的な道具である、そして、これらの道具こそ、実は未成年状態をいつまでも存続させる足枷なのである」(同上)と言っている。税務署や役所、警察機構であったとしても、カントの理性概念から考えれば、それは、人間を機械へと転換し、理性を私的にしか使用させない装置として機能するのである。

もちろん、カントも理性の私的使用を全面的に否定しているわけではない。「公共体の利害関係を旨とする多くの事業においては、その公共体を構成する人たちのうちの若干に、あくまで受動的な態度を強要するようなある種の機制を必要とする」(同上)のであり、たとえば、公職に任ぜられているものが、その立場において、政府の目的について批判することを制限することを許容している。さらに、税制について、どのような議論をするのも自由であるが、しかし、支払い場所で、税制について議論するような場合もカントは否定している。
したがって、カントにとって、自律した主体なり主体による公共的な理性使用を確保するための代償は、「論議せよ、だが、従え」というテーゼになる。

ここで、私たちは、啓蒙というプロジェクトが、本来的に未完のままに留まるということを言うことは出来ないだろうか? すなわち、啓蒙の完成を求めて君主に対してなされたはずの契約は、本来的に不履行を内在化させているとは言えないであろうか。啓蒙は、啓蒙されないものと啓蒙されたものの区別を曖昧にし、啓蒙の輪もメビウスの輪のように裏と表が繋がったものなのである。

要約しよう。カントの『啓蒙とは何か』において、三つの性格を抜き出すことが出来た。それらは、制度から自由になった自律した主体、理性の公共的な使用、「論議せよ、だが従え」というテーゼにまとめることが出来るだろう。この三つのテーゼをそのものとして、個々人が引きうけることが出来るとすれば、人間の自由が開かれるとカントは、考えるのである。

しかし、カントは、人間には「非社交性」(「世界公民的見地における一般史の構想」)という性質があって、人間は、敵対関係を持っており、制度を構築しなければ他者と共存できないと考える。すなわち、自由に悟性を発散させるだけでは、目的の王国は地上のものとはならなず、制度によって、悟性を制限しなければならないと考えるということである。ここにおいて、自律としての啓蒙の概念が裏返され、啓蒙の闇の側面に触れることになるのである。カントにおいて、啓蒙の概念とは、メビウスの輪のごとくはじめから不可能の核を保存した概念であって、「啓蒙とは未完のプロジェクト」留まるということなのである。

私たちが以上の二つの章で手にしてきたものは、現実と非現実の区別の宙吊りと啓蒙されたものと啓蒙されるべきものの区別の宙吊りであって、こうした宙吊りに耐える力こそが理論そのものを可能にする強度を理論に与えるということであるといえば、言いすぎであろうか。

【註】【3】
{*1}『啓蒙とは何か』(岩波文庫)p.7{*2}同上、p.11

【参考文献】
 カント『純粋理性批判』 カント『啓蒙とは何か』
 Slavoj Zizek,The Sublime Object of Ideology,Verso
 ミッシェル・フーコー「啓蒙とは何か」(『ルプレザンタシオン5号』筑摩書房)

■プロフィール(ひらの・しん)1969年生まれ。哲学、美学、とくに、アドルノ、ベンヤミンを専攻。昼間のほとんどだれもいない映画館で映画を見つつ、夜は、ひっそりと哲学書を読む生活を維持したくて、30を目前とするも定職につかず、仕官の口を探そうともしない浪人生活を送る。最近、学生時代に知り合った奥方に愛想をつかされ、めでたくバツイチになる。ニフティの現代思想フォーラムに参加して、96年以後、哲学や映画について雑文を書き散らかしている。




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