『カルチャー・レヴュー』07号



■考 現 学■

考現学・覚書「言葉で言葉がひらかれる」
 栗田隆子



 日々漏れてゆくかすかな気持ち、または言葉にも出来ないような気持ち、それをそのまま書こうなんてしなくていい、書けないんだ、と書いておくだけでも、そのままにできなかった自分の何かがあるということが分かる。分かったからといって何か得があるかといわれたら、困る。でも何もなくすぎてしまうより、やっぱりいい。完全な記録ではない、むしろ言葉が生まれる端緒がみえてくるから。言葉を生もうとする身悶えをどこまであらわしているか、そこに考現学の面白さがあると思う。
 わたしは何もなかったかのように、なめらかな銅板のように生きていくこともできる。でも、言葉で刻みつけられた粗い板がをさらに、他の人によって刻みつけられ、不思議なエッチングが出来上がる。それは、さらに私―― それはまた何かが積み重なり、ひろがった私であろうが――の言葉となり、言葉が不思議な文様のように広がる。言葉が言葉によってひらかれ、広がる、そんな予感を感じた。それがこの考現学を始めた私の理由である。それでは、具体的に考現学とは何をすることなのか、考現学のルールにコメントを付けてまとめてみよう。

*「毎日書く」
 書くという行為。机に向かう。ペンを持つ。またはワープロ(パソコン)に向かってキーボードを打ち込む。
 それがまず、考現学で行う行為だ。
書くということは、それはまず一つの行為、しかも一つの鋳型に自分をはめ込むことだと思う。
 正直言って毎日、毎日そのような行為をすると言うのはしんどいことだ、おまけに書くと言うこと、言ってみればとりとめのない思いを文字という形にまとめあげるというのは、文字というものがある一定の鋳型であるだけに、気後れしてしまうのだ。私は日記を書くときにいつもそんなことを感じてしまう。
「何を書いていいかわからない」と思う。考現学ではもちろん、このような書き出しから始めてもよい、何回でも、何十回でも。
 何をかいていいかわからない、とはいろいろな意味がある。
自分の中の優先順位が決められない、こんなことを書いて馬鹿にされたくない、これが「書く」ということに値するのかわからない、などなど。そこで次のルール、

  *「自由に書いてよい」につながる。
 というのは、内容に関してとりあえず、やりすごし、適当にしてよい自由だからである。しかし、これは以前の三ヶ月間やったさいにみられたことなのだが、一人の人が思いきって自らをさらして書いた文章を見るとわたしも、自分をさらして書いてしまいたくなる。自分のことを知ってもらいたくなる。

*「赤入れをする」
 赤入れとは、「相手の立場になって読み感想を書く」ことである。「相手に見せるための文章である」ということが、赤入れされた部分をみるとき、実感をもってわかる。添削ではなく、感想。しかもそれが自分にとって「的外れ」と思えたりすることさえある。でも、いいのだ。それが「的外れ」であることを次回、書けばいい。いや書けないかもしれない。ただひとつだけ考現学で重要なのは、その「的外れ」感を消そうとする必要はないということだ。その「的外れ」さが軸になって、「対話」が生まれる。それは相手と文字を通してする場合もある。自問するかたちにまずはなるかもしれない。だが、その「的外れ」は自分の感覚なり表現なりが、まさに何かある対象にむかってぶつかり、摩擦が生まれている証拠だ。それは少なくとも私が取るに足らない無ではない、相手にも自分にもささやかなレベルかもしれないが、何かを動かしているという感覚を生む。これは画期的なことだ、と思う。日常生活のなかで、もちろんこのような「摩擦」なり「動き」なりはあるが、それを切り取り、一つ一つ意識が出来る、そんなプロセスとして。

 その他のルールとして、
*「(半月に一度の)締め切りを守る」
 そして、
*「最低三ヶ月は続ける」
 というのがある。

 具体的な作業としては、この月に二回、集配係の人に自らの書いたものを送り、集配係は仕分け作業をし、各人に配布するのである。
 この二つのルールは、なんでも書いてよい、もしくは書かなくてよい、とする考現学の、ゆるやかな、しかし必要な枠組みであると思う。特に「三ヶ月続ける」というのは、重要かもしれない。最初の一ヶ月くらいは、「適当なことを書いている」とか「こんなことやって何になるんだろう?」という疑問が湧いてくる場合もある。しかし「こんなことやって何になるんだろう?」ということを三ヶ月も続けてしまえば、もはやその時間が一つの意味を持たせてしまうのではないか。少なくともその三ヶ月間「何もやらなかった」三ヶ月ではなくなる。無意味と思われたことを三ヶ月やる、という行為によって、時間によって、何かに風穴が明くような・・・。

 突然だがここで、考現学の歴史について少し触れてみたい。
 考現学とは考古学に対応して、建築学者の今和次郎が作った造語である。考古学が過去の事跡の科学的研究ならば、考現学は、今現在のさまざまな現象における科学的研究であり、社会学に近い。また民族学のように、他の世界、特に<未開民族>とみなされる世界を対象にするのではなく、今、この現実を対象にしたものが、考現学なのである。
 彼の提唱したのは、日常の人間の行動に関するスケッチ、記述が中心であった。即ち、道行く人の歩き方、くせ、街路をゆく通行人の構成・・・etcを細やかに記述してゆく。この流れは現在の赤瀬川原平らの「路上観察学会」、または杉浦日向子さんの「江戸漫画」に通じるものといえるだろう。
 その日常の些事に目を注ぐ、という一つの軸とともに、さらに「自らのことを語る」記述へというもう一つの軸をつくり、考現学を応用したのが、平井雷太氏(セルフラーニング研究所)と加藤哲夫氏(仙台・みやぎNPOセンター、カタツムリ社)である。現在私が行っている考現学は彼らの発案したシステムに則っている。
 この考現学の定義を強引に私がするならば、「みずからの<主観>や<判断>を中心にして書く。高所から語らず、または批評をせず、常に私にとどまり、また日常にとどまりつつ言葉を紡ぎ出していくこと」だろうか。
 それが、もし高所からの批判、審美的な目的性があったら、それはひとつのエッセイ、とはなるのかもしれないが、言葉で言葉をひらいてゆく、そのような役割は果たすことはないだろう。
 交換日記のような気持ちで、少々のときめきすら覚えながら、わたしは考現学を続けている。そして月に二回、送ってこられる他の人の考現学をまちわびながら。

(考現学の歴史の部分は以下のホームページを参照した。)
●平井雷太さんのホームページ
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/~raita-hirai/raita/raita.html
●<考現学>とは何か
http://ziggy.c.u-tokyo.ac.jp/files/lecture4.html

■プロフーィル(くりた・りゅうこ)大阪大学大学院文学研究科・臨床哲学専攻。 1973年、東京生まれ。二才の時に(病弱のため!!)鎌倉へ引っ越し、以降18年間はそこで過ごす。その後大学(学部)時代は静岡で過ごし、去年の四月から大阪、池田市に住む。ひとこと:考現学会員募集!! 興味のある方は連絡ください。E-mail:OuidaRK@aol.com




■パトロンシップ■

ペーパー版『La Vue』への誘惑

編集委員会



 メールマガジン『カルチャー・レヴュー』もお陰様で本年10月を持ちまして創刊一周年を迎えました。そこで本誌およびWebマガジンと連動するペーパー版の文化・思想レヴュー紙『La Vue』を11月下旬に創刊いたします。

 ■季刊・原則無料・B4判・4頁建・発行部数10000部予定
 ■京阪神地区の主要図書館・文化センター・書店に設置

 就きましては同紙への広告のお願いと、同紙の配布を協力していただける方を募集いたしております。
 本紙は、持ち出しが大半で営利を生み出すいわゆる「商業紙」ではありませんが、その中間形態です。みなさんのご支援・ご支持によって継続が可能となります。
 そういう次第ですので、一緒に面白がってお手伝いいただける方は、「るな工房」山本までご連絡ください。 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
 またパトロンシップとして<投げ銭>を募っておりますので、下記の郵便振込をご利用ください。(機械式の振込機では、無記名で振り込めます)

 ■郵便振替口座 00920―9―114321
 ■口座名称   るな工房




■魂と希望■

体験的認識でどのように希望を語れるか

宇野正明



 私は代々木ゼミナールで講師をしています。この夏『体験的認識でどのよう希望を語れるか』と言うテーマのもと、“聞き入る場のための装置”という構造物を、東京在住の象設計集団の協力を得て自宅の庭に作る事にしました。
1 聞き入る場をなぜ作るのか
 授業をしていると、携帯電話の呼び出し音。会話している生徒がいる。「うるさいから電話を切れ!」と頭ごなしに言ってはダメ。「うるさいと周りの迷惑になるだろう。だから授業中は携帯の電源を切っておくことに協力して欲しいんだ」と言わないとその生徒は次の授業から全く来なくなってしまう。
 質問にきた生徒に「そのことは授業で言っただろう。もう一度ノートを見なおしてから質問においで」と言うだけ。言っただろうの語尾を少しでも強めようものなら批判めいた雰囲気を感じとり、もうそっぽを向いてしまう。こうした生徒は昔からいたが、やる気のないごく一部の生徒に限られていた。ところが、ここ二〜三年成績の良いしかもやる気のある生徒でも同じような態度を示すようになってきた。これは、どうした事なのだろうか?

   私は長い間予備校で教えてきました。近頃、とくに感じるのは、学力の良し悪し、やる気の有る無しに関わらず「自分と異なる世界を受けいれる緊張感に耐えられず、必要以上に傷ついてしまう」生徒がかなりの数見られるようになったということです。<君の欲望はよく分かる。だけどこのことについてはとりあえず我慢して欲しい>といったポーズを、こちらからまず示さないとコミュニケーションを一方的に遮断してしまう。頭ごなしに怒られると心の中で「バーカ」と言って相手を心から消し去ってしまうか、自分の非を脇において、正当性を主張するために怒鳴り込みに来る。ほんの些細な事について注意したつもりでも、全存在を否定されたかのような反応が返ってくるのです。
 これは、多くの人が指摘しているように、親が有無を言わせない規範を子供に伝えることが出来ないまま成長させてきた事に主な原因があると思います。言いかえるなら、家族の中の<役割あるいは関係>といったイメージは力を失い、自分の<欲望>があらゆる場面で優先されてしまう。必要以上に傷ついてしまうのは、無意識の中に自分と違う価値を持った他者を住まわす(現実とは違う別の物語を想像する)ことが出来ないため、欲望を相対化できず欲望に振りまわされて起きる出来事の様に思います。持てる能力を充分に発揮できないまま、いたずらに時間を費やす生徒が本当に多いのです。「心の中に現実と違う物語を生き生きと想像できたら、欲望から少しは自由になれるのに・・・」
 “聞き入る場のための装置”は肉体に依存する感覚や感情を眠り込ませる事で想像力を刺激し、思考力を活性化させて物語を生き生き受けとめる事を助けるための装置です。

 また、親について考えて見ると、親は親で経済的な欲望を満たすため、あるいは世間体のため仕事や人間関係の雑事に追われてきました。しかし、失業におびえる昨今、経済的な欲望以外に何を支えにしていけるか、仮にすべてを失っても、自分の子どもに自信を持って何を語れるか。答えを持てないのが実情です。私も二児の父親として、他人事ではありません。これは私達が魂の働きを見失ってしまったためのように思います。“聞き入る場のための装置”とは日常のしがらみを絶ち切って、無意識に働きかける見えない世界に身体を開かせ、魂の語り掛けに耳を傾ける事で私達の物語をもう一度見直しするための装置でもあります。
2“聞き入る場のための装置”とは何か
 肉体に依存する感覚や感情が眠り込んでしまう状況になると、見えない世界をある程度体験的に認識することが可能です。感覚や感情を眠り込ませる手段として、夢や薬物による幻想・瞑想や肉体的に苛酷な修行・肉体を精神的に扱う教育・病気や臨死体験・感覚遮断・自然森による密儀などが考えられます。
 このなかで、<自然森の密儀>では次のような過程をとって、死と再生を体験します。
(1)[外なる人の死]フラクタル構造から成り立つ自然森の前に佇むと、暮らしぶりや仕事、これまでの経験がまったく役立たなくなりその分想像力が強く刺激される。想像力が活性化されるにつれ、肉体に関する感覚がしだいに消えていく。
(2)[神的な体験]想像力をつき抜けていくと、見えない世界から流れこんでくるもの(無意識の世界)を感るようになる。見えない世界に強く引きよせられながら、私が完全な私であることを実感する。
(3)[再生](2)の状態から見える世界に帰ってくると自我が抑えられ、これまで気づかなかったこと、たとえば、あらゆるいきものが生かされていることをすなおに受けとめられるようになる。

“聞き入る場のための装置”は、上で説明した森の密儀を参考にして、意図的に日常の感覚を眠らす事で想像力を喚起させ、その後見えない世界(無意識で感じる世界)との出会いを目指すものです。見える世界を消し去って見えない世界に心を開き、自分の魂と出会い自己が納得する物語を作りだすことを助けるための装置です。
 こうした考えにたって、装置にはいくつかの「仕掛け」を組み込みました。
<歩きによって重力のバランスを崩す><囲う事で、音と光の日常性を遮断する><渦や流れの模様によって精神を活性かさせる><日常性を遮断して、自然(けやき)に心を開く><聞き入る人が装置のそばにいて、自己のイメージを語る魂の旅の同伴者となる>

■プロフィール(うの・まさあき)1953年、福島県生まれ。予備校講師。かつて「街塾」という私塾をみなで運営していた。そのかたわら、代々木ゼミナールで「化学」を教えている。著書に「化学」の受験参考書が数点ある。




■医  療■

おそろしや「脳死」臓器移植

松本康治



 あらゆる角度から、いくらでも、日本の「脳死」臓器移植に関する問題は挙げることができる。というより、実は全部がおかしい。全部がおかしいようなことが堂々とまかり通っていることが一番おかしい。で、僕の発行する『いのちジャーナル』ではそのおかしい点についてひとつひとつ指摘しているのだが、ここでは、まだあまり指摘されていない3つの大きな誤解に絞って述べておこう。すごく基本的なことだけど。

誤解1 「脳死になったら・・・」という言説
 たとえば「ドナーカードを持つべきか持たざるべきか」について考えるとき、これまでは「脳死になったら、あなたは自分の臓器を提供するかどうするか」というような言い方で語られてきた。しかしその命題は、現代医療の実態を知っていれば成り立たない、ナンセンスなもの。正しくは、「あなたが事故などで倒れたら、助かる可能性があっても臓器を待つ人のために治療を途中でやめてドナーとなるか」が問われるべきだ。
 かなりの極論に聞こえるかな?
 でも実はそうではない。その理由を説明します。  臓器移植法は、「死体(脳死体を含む)」からの臓器提供について定めているが、その付帯決議で、その「脳死体」とは「あらゆる適切な治療を施した末」に脳死となったものであるとしている。そりゃそうだろう。「脳死」ドナーとなるのは、さっきまでピンピンしていた元気な臓器の持ち主。つまりは、交通事故とか、脳の血管がいきなり切れたとか、自殺とか、射殺とか(アメリカの場合ね)、ようするに突然のアクシデントにみまわれた人であるから、その突然の出来事に驚きパニクって必死に患者の名を叫びまくっている肉親にとって、中途半端な治療しかしてもらえずに「臓器ください」と言われたって、「はいどうぞ」なんて言えるはずがない。普通、そういう家族は奇跡を祈る。したがって、医師らの懸命な救命活動もむなしく、奇跡もついに起きず、叫び疲れた家族が、せめて患者の一部でも生かしたい、との最後の思いでハンコをつく、それが臓器提供であるはずだ。で、臓器移植法にも「そうしなさい」と書かれたわけだ。
 でも、臓器提供施設の救急医や移植医は知っている。そういう臓器はもはや使いものにならないことを。
 なにしろ、さっきまでピンピンしてた人だから、そう簡単に「脳死」にはならない。臓器移植法施行後1例目となった高知赤十字病院の事例(99年2月28日)では、正式な脳死判定まではやってはならないことになっている「無呼吸テスト」(人工呼吸器を10分間止めて「自発呼吸」がないかどうかを調べるテスト。どうして「やってはならないことになっている」かというと、瀕死の人にそんなことをしたら死んでしまうから)を何度も繰り返し、その上で正式な脳死判定をやったのだが、それでも「脳死でない」との結果が出た。その翌日、仕切りなおしで行われた脳死判定で、消えない脳波は「ノイズ」として処理され、晴れて正式に「脳死」と判定されたが、いよいよ臓器を摘出するぞと皮膚を切開したとたんに血圧が上昇し、あわてて強力な笑気ガス麻酔が行われている。おそらく、麻酔をせざるをえないなんらかの「出来事」があったのだろう。岡本隆吉氏(脳死・臓器移植に反対する関西市民の会代表)は「摘出できないほど手足を動かしたに違いない。脳死ではなかったということだ」と言っている。
 これについて、あるホームページでは、移植医サイドによる「脊髄反射を抑えるために麻酔したのでは?」という意見が紹介されていた。一見もっともらしく聞こえるので、ちょっと話が横道にそれるが、念のためにもう少しくわしく書いておこう。
 実は、厚生省の公衆衛生審議会に提出された移植コーディネーターの資料には、ガス麻酔の根拠として「(ラザル徴候?)」とカッコ付き・ハテナマーク付きで書かれている。これは、昔キリスト教信者のラザルという人が、死んでから手をゆっくりと胸のところで合わせて拝むような形にしたということで、その人の名前をとって生まれた言葉のようだ。でも普通の感覚で考えて、そういう類のゆっくりとした反応のために笑気ガス麻酔をすると思えますか?
 少なくとも、その場にかかわった人たちの資料には、「脊髄反射」といった表現は一切書かれていない。「脳死」下で臓器摘出が困難なほどの脊髄反射が予想されるなら、事前に普通の麻酔をしておけばすむことだろう。第一、慌てて笑気ガス麻酔をしなければならないほどの「脳死者」の「脊髄反射」とは、どんな反射なのか(もしそういう大きな反射がありうるというなら、それこそその具体例として論文にして発表すべきだろう)。
 ちなみに東京医科歯科大学の古川哲雄教授(神経内科)によると、最近アメリカでは「脳死」患者から臓器摘出するさいにモルヒネを使うようになってきているそうで、古川教授は「医師らに何か不愉快な経験があったと、どうしても考えざるを得ない」と言っている。このことは脳死判定の不確かさの議論につながるが、それはよそでも指摘されているので、ここでは割愛する。
 本題に戻ろう。とにかく、さっきまでピンピンしていた人間は、そう簡単に「すべての脳機能が失われた」状態にはならないようだ。1993年の関西医大事件では、クモ膜下出血で倒れた29才の看護婦から腎臓を取り出す準備として、瀕死の患者の大腿部を切り裂き、冷却水かん流用のカテーテル設置手術までしたのだが、それでも「脳死でない」との結果が出た。後日、裁判所に提出されたカルテに、主治医は「持ちなおしている!」(ビックリマーク、ママ)と書き殴っている。
 それでも強引に摘出した彼らはツワモノというか、ようするに確信犯なのだが、そうではない真面目な救急医は、プロとして当然、法に謳われた通りの「あらゆる適切な治療」をする。その治療の代表が、「脳低体温療法」と呼ばれるものだ。1週間くらいのあいだ体温を32〜33度に冷やして、脳の腫れを抑えてダメージ回復を待つ治療法だが、これを開発した日大板橋病院の林成之教授らが、現代医療では救命できない段階(非代償期・・・脳死直前の状態とされる)の患者を含む最重症の脳障害患者にこの治療をしたところ、約7割が社会復帰した。1割や2割が助かったのではない。7割ですよ。中には職場復帰を果たした人もいる。それくらい、脳の機能、人間の生命力というのは馬鹿にはできないということだろう。で、あとの3割の人は助からなかったわけだが、ギリギリの治療を受けた末にダメになったものだから、その臓器は移植用にはもはや使えない状態になっている、ということらしい。
 さて、ではドナー臓器を提供したい医師はどうするか。ドナー臓器が使いものになるうちに摘出するしかない。つまり救命治療はそこそこでやめると。では泣き叫ぶ家族はどうするか。騙すしかない。それはいとも簡単、「全力を尽くしましたが残念ながら」と言えばおしまいだ。現に、3例目となった古川市民病院の事例(99年6月13日)では、脳内出血しているのに抗生物質等の投与だけで、脳の治療は9時間も放置されたのだが(週刊誌で「野ざらしの9時間」と報道された)、病院側は「救命に全力を尽くす」と言い、家族は「信用するしかありません」と語っている。
 そして、阪大の杉本侃教授が開発した「臓器保存術」(抗利尿ホルモン・大量の輸液・少量の昇圧剤、の3点セット)をやる。これは臓器をみずみずしく保つための処置だが、これをすると脳は逆に水ぶくれとなって崩壊する。2例目の慶大(99年5月12日)、4例目の千里救命救急センター(99年6月24日)ともにこの「臓器保存術」を、脳死判定のずっと前からやっていた。そして脳を完全に崩壊させてから正式な脳死判定をする。そしたら「脳死」という結果が出る。
 結局、「脳死」臓器移植が成立するためには、そういうからくりが必要になってくる。「あらゆる適切な治療」が謳われているけど、実は臓器提供と救命治療は両立しない。だから「脳死になったら」じゃなくて、「助かる可能性があっても治療を途中でやめて」というわけ。こういうことを新聞が書かないから(医療報道では最大のタブーになっている。某筋の情報によると、某新聞では記者が書いてもデスクが採用しないとのこと)、みなさんご存じないのです。
 こういうことを書いていると、一般の人は「でも、なぜそこまでして医師らは・・・?」との疑問を持つだろう。僕としてもそれを臓器提供した救急医らに直接聞いたわけではないが、その疑問を解くヒントをいくつか提示しておきたい。
 まず、救急医療は日本では最も日陰の分野であることがその背景にある。日本の医療は大学の医局講座制にもとづいて細かく専門分化され、プライマリーケアや救急医療など何科でもみるジェネラリストは評価されにくい点が海外とは違う。救急専門医を養成するシステムも不十分で、その結果、救命救急センターの質のバラツキが存在する。「脳低体温療法」など最新の救命治療をきっちりやろうと思うと相当の設備やスタッフ教育が必要になってくるが、それはパッとしない救命救急センターにとっては負担だろう。某筋の情報によると、たとえば1例目の高知赤十字病院については、「救命救急センターとしてのレベルが低い。医大に運んでいれば助かったのでは」といったことが現地でささやかれているという。
 ちなみに高知の病院関係者によると、今回の事件の主治医である高知赤十字の西山救急部長は、高知医大が新設された時の第1期生だそうで、この事件が起きたとき高知医大では「よくぞわが1期生がやってくれた!」と大騒ぎだったらしい。医師は一般に学閥や学会の狭い世界でお互いを「先生」と呼び合い、名誉・名声を競う体質がある。地味な日陰の救急医療の、さらにパッとしない救命センター。そこで日本で最初の「脳死」臓器提供が行われ、歴史に名を残す。医師らの反救命救急行為の原動力は、そのあたりに潜んでいる可能性もあると僕は見ている。
 最初の項が異様に長くなってしまった。あと2つは簡単にいきます。

誤解2 臓器提供は本人の自己決定、という言説
 高知赤十字病院の事例では、新聞の1面トップに「家族の選択」との見出し躍った。どこが「本人の自己決定」なんだろう。それに、来年の臓器移植法改定に向けて、ドナーカードがなくても「家族の承諾」だけで臓器摘出できるようにしよう、との線で話が進められている。結局、流行の「自己決定」という言葉が、脳死移植の既成事実づくりに利用されただけだったようだ。
 そもそもその前に、前段で述べた「救命治療をちゃんとするか、それともドナーにまわすか」という医師の決定があるのが現実だ。
 正しい情報・知識なくして自己決定なし。

誤解3 「脳死」臓器移植は医療問題、との捉えられ方
 最初の項で「家族は奇跡を祈る」と書いたけど、実のところそうも言えないという悲しい現実は、三面記事やワイドショーでご存じの通り。介護苦・借金苦、あるいは感情のもつれから起こる無理心中や殺人、幼児虐待、親殺し子殺し、妻殺し夫殺し、姑殺し舅殺しエトセトラエトセトラは世のならい。何年か前、死んだ息子の腎臓を提供すると申し出た父親が、臓器提供でお金がもらえないと聞いて提供を撤回したというニュースもあった。海外では臓器売買や、それを目的とした児童誘拐が起きている。アメリカでは「ドナー不足解消のためにハイウェイの制限速度を上げろ」との話もあるとか。
 そこまでいかなくても、DV(家庭内暴力)や不倫で関係のギクシャクした夫婦、不登校や非行でギクシャクした親子、遺産相続などでギクシャクした兄弟親戚は、見回せば周囲に1人や2人は見つかるご時勢だ。「かわいそうだが、このさい死んでくれたら好都合」な関係はいくらでもある。ついでに臓器提供すりゃ美談として誰も悪く言わない。
 「誤解1」で述べたような救急医らの反救命救急行為も、臓器提供という「旬」の医療に参画して名を売りたい、目立ちたいという欲望がなせる、いかにも人間くさい所業ともいえる。
 つまりは、今後そういったところから臓器提供が行われていく可能性も高いわけで、これは医療問題の枠組みで考えているだけではいけないはずだ。

 以上、3点を指摘したが、ここから僕は、「脳死」臓器移植は医療問題というよりも、家族問題や社会問題としての意味あいのほうがはるかに大きい、と考えている。今後はそういう方面からの議論がもっとなされるべきだろう。

 さて、そのほかにも「移植で助かる」は本当か、など、「脳死臓器移植」には誤解や問題が山ほどある。それらが知られないままにドナーカードが街のそこかしこに置かれている現状は許しがたい。10月初めに、それらをわかりやすくコンパクトにまとめたムック『「脳死」ドナーカード持つべきか持たざるべきか』(『いのちジャーナル』別冊MOOK1、近藤誠他、さいろ社・刊、本体1000円)を出版するので、ぜひ買って読んでいただきたい。

<さいろ社>〒567-0829 大阪府茨木市双葉町4-1[Tel&Fax] 0726-38-5299
 E-mail:sairo@osk2.3web.ne.jp http://www2.osk.3web.ne.jp/~sairo/

■プロフィール(まつもと・こうじ)1962年、大阪府生まれ。出版社勤務を経て、現在、「さいろ社」代表。『いのちジャーナル』編集長。共著に『看護婦の世界』(宝島文庫)『四つの死亡時刻―阪大病院「脳死」移植殺人事件の真相』『看護婦と勇気―医療問題と出会うとき』(以上、さいろ社)がある。
■(編集部・注)『いのちジャーナル』別冊MOOK1は、全国の書店にて購入できますが、店頭在庫がない場合は取り寄せて貰うか、直接「さいろ社」にご注文ください。「脳死」移植論議は、それぞれの立場からもっと深化されてよいと思います。また実証的に検証されるためにも、情報公開が前提です。編集子もWeb「Chat noir Cafe′」の「黒猫房主の周辺」で意見を表明しております。
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/boushu.html




■余  白■

「誠実」と「ルサンチマン」という小話

黒猫房主



 翼を持たぬ鳩が、懸命になって大空へ舞い上がろうとしている。傍らで黒色た烏はそれを観て思う。
「どうして。そんなにも飛びたいのだろう」
 また思う。
「翼もないのに、どうやってあなたは空へ舞い上がる術を知っていると云うのだろう・・・」
 その烏はそう思いながら訊ねてみた。するとその返答に、
「君は誠実を知らない。努力を知らない。いや、それのみならず、だいいいち大空への憧れを知らないのだから、それで僕にそんな失敬なことが云えるのだ」
 成程と烏は思った。それはそうかも知れない。
 自分は一度だに、大空に舞い上がる願望を持つことはなかった。でも、それは地上の餌のほうが一等興味深いからだ。
「それで、そんなに大空は、あなたの努力や執着に値するものでしょうか」
 烏は再び疑念を抱かずにはいられなかった。
「君は知らないんだな、どうも怪しいと思ったら、やっぱりそうか。君は不真面目だ。君は平気で嘘言を吐き、僕を笑うだけだ。僕の<翼なし>が君には途方もなく愉快だろうさ」
 そう云った鳩は露骨にジェラシィを表した。
「でも、私は翼がなくっても平気です。それに私は飛ぶ必要なんかないのですよ。したがって翼も要らぬ道理です」
 それを聞いた鳩は激怒した。
「そーか。つまり、それだよ。君は翼を持ちながら、飛ぶ素振りすらみせない」

■プロフィール(くろねこ・ぼうしゅ)1953年、愛媛県生まれ。3社の出版社を経て6年前に独立。専門書の販売促進から企画・編集・制作を生業とする「るな工房」を経営。隔月刊誌『カルチャー・レヴュー』および季刊紙『La Vue』(99年12月創刊)発行人。また自主講座の運営からDTP・デザイン装幀を制作するグループ「Chat noir Cafe′」を組織。




■編集後記■
◆ここに一周年を迎え、月並みだが感慨深いものがあります。本号を特別仕立てにしたり、これまでの掲載原稿の人気投票を求める企画も考えましたが、色気を出さず通常通りとして「継続への意志」を新たにしています。◆執筆者・編集委員をはじめ、これまで支援していただいた各位にこの場を借りて、深謝申し上げます。◆前号で執筆いただいた元さんが、「牧師の道」を目指すべく関西のK大学神学部大学院に、来春入学されることになりました。その不退転の決意に、及ばずながらエールを捧げます。◆また、前号の「編集後記」で「生前、松下さんについて書かれた評論はほとんどなくて、詩人の佐々木幹郎さんのエッセイと野原燐さんの『ゲーデルの拘置所』がある程度でしょうか」と編集子が書いた部分に対して、その後の各位からの指摘によれば、延べ193人の方々が言及されているそうですので、訂正して不明をお詫びいたします。<08号>では、野原燐さんが「松下論」あるいは<松下思想>を展開する予定です。◆本誌の読者でもある小樽の詩人・高橋さんより最新詩集『言葉の河』(札幌市・共同文化社)を贈呈していただいて恐縮しています。美術家・岡部昌生さんによる路上のアスファルトとマンホールを和紙でフロッタージュしたものをデザイン化した装幀からは、人肌と言葉の交差を連想します。編集子も、かつて天空から降りてくる熱い言葉への想いを詩に綴ったことを想い出しています。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。(黒猫房主)





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