破防法適用を見送ったツケが回ってきたのだ、と一部論者の鼻息は荒い。だが現象形態はともかく、破防法を適用したところで事態の本質は変わらなかったかもしれない。 と思うのは、そもそも脱会した信者と言うものの、どれだけの人が深甚なる回心を経て教団を離れたのか定かでなく、偽装転向とは言わないまでも、離れるにしろ戻るにしろ、信者たちがさして大きなハードルを越えるような葛藤を経たとはかぎらないからだ。あたかもコンビニの自動ドアからスッと店外に去り、ほとぼりが冷めたと見るや、また造作もなく自動ドアの敷居を跨ぐ。案外、そんな感覚なのかもしれない。だとすれば、ことは規制の如何とは別の次元に属する。 オウム「復活」現象を深刻な社会問題と捉え、いかなる法的制度的な規制をもってこれを封じ込めるかという発想は、四年前の事件当時の議論にもまして私には迂遠な回路だとしか映らない。お前は反・社会思想の持ち主だから、と言われれば「然り」と応えるしかないのだが(ただし反社会・思想ではない)。 私は、事件に関与しなかった信者といえど、遺族や被害者の訴えに耳を塞ぐことは許されないと思う。また、オウム進出拠点周辺住民の不安な心情を忖度することも必要であろう。それらの声の動かしがたいリアリティには無条件に向き合うべきと考える。しかしながら、嬉々として増幅され過熱報道されるジャーナリスティックな現象を介した途端、リアリティは私においてさえにわかに低減する。むしろそこに、元信者たちが苦渋も葛藤もなく再び自動ドアの敷居を跨ぐことと〈対〉になった何かが看取され、慄然とした思いに駆られてしまう。 この四年間、引き起こされた事件に見合うどれだけの深みを伴った精神的な格闘が信者や元信者たちによって行われ、現実の社会と交錯したのだろうか。私が知りたいのはその一点であり、現状に問題ありとすれば、それは、信者たちも社会の側も思想的な格闘や魂をぶっつけ合うような交通を欠いたまま、流れが淀むに任せたことだったのではないか(私とて例外ではない)。そんな営為が皆無ではなかったにせよ(註1)、メディアによって大々的にとりあげられた回心劇にかぎって、裁判の量刑上の見せしめに資するのみだった、という印象を拭えない。 オウム教団の広報副部長らが出演し「教団はこれだけ変わりました、住民の皆さんに迷惑はかけません」と力説していた。それ(周辺住民への公約)を一枚のボードに箇条書きで示した中に「ヴァジラヤーナの教えを封印する」との一箇条があった。はて「封印」とはいったい何事だろう、どう理解すればよいのだろう、というのがそのときの疑念だったが、番組では誰もこれを追及せず、不問に付されたまま終わった。 タントラ・ヴァジラヤーナ、秘密金剛乗の教えとは、言うまでもなく、サリン撒布によって衆生を「ポア」することも善業だとするオウム教の教義である。麻原教祖は迫りくる「国家の弾圧」を回避する目的で弟子たちにサリン撒布を命じ、それをヴァジラヤーナの教えの実践、すなわち宗教上の善業だと言い含めた。係争中ゆえそこまで断定できないとしても、ヴァジラヤーナの教えが教団内に流布され、ヨーガの修行集団が武装集団まがいの宗派に変貌したテコとなったことは想像に難くない。 ところで、ヴァジラヤーナの教えとはいかなるものか、それは教団が依拠した密教の原典にどう記載されているか、といったことを当時私はまったく知らなかったが、その後、偶然これに類する記述に遭遇した。ただしこれは漢訳の経典で、彼らが翻訳したとされるパーリ語原典のものではない。 金剛手若有聞此理趣受持読誦設害三界一切有情不堕悪趣為調伏故疾証無上正等菩提。 (金剛手ヨ、モシコノ理趣〔真理の知慧〕ヲ聞クコト有リテ、受持シ読誦スレバ、タトエ三界ノ一切有情ヲ害ストモ〔輪廻するすべての生きとし生けるものを殺害しても〕悪趣ニ堕セズ〔悪業の結果行く世界に落ちることはない〕、調伏ヲモッテノ故ニ疾ク無上正等菩提ヲ証スベシ) 不空訳『大楽金剛不空真実三摩耶経』般若波羅蜜多理趣品第三段(註2) この漢訳経典は、俗に『理趣経』または『般若理趣経』と呼ばれ、今日でも真言宗の根本経典である。不空(アモーガヴァジラ)の訳だけでなく、多くの異本が存する。仏教に詳しい方は周知のとおり、『理趣経』は男女和合の恍惚境を菩薩の境地と説くため、セックスを大胆に肯定する経典だと曲解され、淫祠邪教と言われた真言立川流を派生させる根拠ともなった。 それはともかく、すべての生きとし生けるものを殺しても地獄に落ちないというのは、比喩としてもあまりにエスカレートした表現と思われる。これについて、ある『理趣経』の概説書で密教学者の松長有慶氏は、原典が「大日如来の功徳は善悪という相対的な世俗の倫理をはるかに超越する」と強調するに直截すぎたため、うまく漢訳することができずに「タトエ」という仮定表現が採用されたのではないか、と指摘している(註3)。 すなわち、原典の表現はよりストレートであったというのだ。この不空訳『理趣経』を唐から請来したのは空海だが、密教の根本経典として定着するにあたり、くだんの一文は問題にはならなかったのだろうか? と言うと、やはり問題にした人がいたようだ。東大寺の華厳宗の学僧・円蔵という人物が疑問を呈したことを、当の空海が書き遺している。 〔円蔵が問うて曰く〕三界の一切衆生を殺害すれども、ついにそれに因りて悪道には堕せず。何をもつてのゆえに、すでに調伏律儀を受くるがゆえに、とは (一切衆生を殺害しても地獄に落ちない。それは心を調伏する戒律を受けたがゆえにである、とはどういうことですか) これに対して、空海は答釈して次のように述べる。 三界とは三毒これなり。一切衆生は三毒によりて三界の苦を感ず。修行者、三密金剛の律儀を発起し、三毒の本不生を観ずれば、すなわち三界の因を断ず。因すでに生ぜず、果何によりてか起らん。ゆえに終不因斯堕於悪道という。すなわち如来の密意なり。もし文のごとく義を取らば、いわゆる仏の賊なり、知らざるべからず (三界とは三毒〔貪・瞋・癡――むさぼり・いかり・おろかしさの三つの心〕のことである。一切衆生の現世における苦は三毒に起因する。修行者は戒律によって三毒を断ち、輪廻をまぬがれる。ゆえに悪道に堕することがないという意であって、これこそが如来の密意である。もし言葉のとおりに衆生を殺害してよいとする者があれば、それは仏の賊であることを知るべきである) 『実相般若経答釈』(註4) 『実相般若経』とは『理趣経』の異本であり、さきに引用した経文とは多少のヴァリアントがあるが、円蔵が空海に真っ向から放っている問いはまさしく例の一文に関するものだ。それにしても「仏の賊」とは、いかにも厳しいクギの刺し方である。 空海の解釈によれば、「三界ノ一切有情ヲ害ス」とは一切有情の輪廻の原因である三毒を「害ス」のであって、一切有情そのものを殺害する意ではないという。この解釈が原典に照らして適正かどうか、仏教の知識に昏い私には判らない。中国経由の仏典の価値を認めないオウム教団なら、空海の解釈そのものに否定的であろう。しかし確かなことは、平安朝初期の日本密教の創成期に、くだんの一文を単なる比喩的表現として済ますことを憚って、切迫した問答が交わされていたということである。 かつて自らを呪縛したヴァジラヤーナの教えとは何であったのか。教義を重んじる教団を自認する以上、それを切開せずに済ますことはできないはずだ。必要なのは〈封印〉ではなく、容易に語り得ないことをあえて語る言葉の〈開封〉ではないか。それによってこそ、メディアや住民に対する媚態ではない、交通のための前提が築かれるのではないだろうか。 宗教は時として、大地に立つ私の足を払い、わが胸を突き刺すような言葉を投げつける。「ひとを千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」と唯円を問いつめた親鸞の言葉、「地上に平和をもたらすために私が来たと思うな、平和ではなく剣を投げ込むために来たのだ」と十二弟子を諭したイエスの言葉を想起するまでもない。それらの言葉は、私をいったん躓かせ、宙に吊り下げる。だが、その異和の山門をひとたび潜らしめてこそ、宗教の言葉は俗人にさえ超越の契機を与える秘蹟たり得てきた。 ひるがえってオウム信徒たちもまた、宗教の言葉によって穿たれた深淵を覗き見る瞬間を経たのだろうか。彼らは教義や教祖の言葉にどのように応接してきたのだろう。想像を逞しくするなら、「科学オタク」と言われた教団エリートたちには、世俗の倫理さえ相対化するがごとき原始仏典も、ただちに実現可能な教義と映ったかもしれない。ハイテク技術を縦横に駆使しさえすれば、教義の〈喩〉は〈喩〉でなくなり、そこに尊師の予言成就を夢想し得たのかもしれない。けれどもそれは、自動ドアを抵抗もなく跨ぐあのコンビニ感覚(無感覚)に等しかったのではなかったか。 贅言すれば、私の想いはあまりに〈言葉〉に憑かれすぎた世代の繰り言にすぎないのではないか、との自省が胸に萌さないではない。私は彼らを買い被りすぎていただけかもしれない。シャクティパットやイニシエーションの身体感覚だけが、今日なお唯一疑い得ない彼らのリアルだとするならば――。 ■1999/07/15脱稿
■(もり・ひろし)フリーライター。1953年、神戸市生まれ。編集プロダクション勤務を経て、1995年からフリーランス。 |
松下 昇氏が突然亡くなられて、三年余り経つ。氏とはいったい何者であったのかと、時々思い起こす。わたしは氏の後半生とたまさか付き合ったに過ぎない。だから、氏の弟子でもないし、信奉者でもない。しかし忘れがたい人であるし、精神の刺となっている。どこまでも倫理的な人であったというのが、素直な感想である。現代にあって、イエスのような人であったとも思っている。 生身の氏から、反体制の闘士というイメージは微塵もない。物静かな研究家肌の人物であって、それこそ含羞の人というのにふさわしい。かつて造反教師として名を馳せ、その後も裁判闘争にあって、世間の目からすれば奇矯な振舞いを行ったわけだが、その抵抗する根拠には、今日の市民社会の構造や約束ごとに対して根底的なノンがあった。それは、丁度イエスが当時のユダヤ教のトーラ(戒律)に逆らったような振舞いにも似ている。生ぬるいシンパシーは拒否した。現代資本主義社会の成り立ちそのものに、そこでの人間関係も含めて、それではいけないと強調された。となると、氏についていくことは、社会のレールからはみ出すことを意味する。それをわが身に引き受けよとなると、離脱者が生まれてもおかしくない。氏の考え方とまともに対し、それを純化し実践していくとなると、そこには狂気も生まれよう。しかし、氏自身には狂いの片鱗は一切なかった。その恩考は論理的そのものであり、発想は詩人であった。もっと言えば、氏自身が一個の孤立したコスモスを形成していた。 氏が継続的に参加していた交流会(T君の教室で行われたコピー端会議)に何度か参加したが、氏からカリスマ性を感じることはなかった。話も決してうまくはない。特に威厳があるでなし、ユーモアも感じられず、メモと資料に沿って淡々と話しを進められる。ただ、ここは自分の発見であり独創的なところとなると、少し熱を帯びて語っていた。総じて、温和で真面目な教師のそれであって、どこに魅力があるのか、氏にまつわる神話や伝説を取り除いて付き合っていると、普通の人であったとさえ言える。交流会が終わり、集まった四名が夕食をどこで食べようかと外に出たとき、氏はおもむろにみんなの目を見て一呼吸置いてから、なにかを確認したいような眼差しで、ぼそっと言われた。「お寿司が食べたい」と。その言い方には、久しぶりにお寿司なるものを食べたいという切なる願望が込められていた。震災後いまだ復興ままならぬ時期ということもあって、駅前の居酒屋で飲み食いすることになったが、あのとき氏と一緒に寿司を食べれなかったことが悔やまれる。 (わたしなんぞは金はなくとも、人にたかることには長けている方なので、寿司を食べることに不自由はしない。それよりも「ああ、酒が飲みたい」と、毎晩飲んでいるくせに岬き声を上げたくなる時がある) 氏の生活状態がどのようなものであったか、それは推量するまでもないことである。「年収80万也」と自らの個人文集に記し、それでいて一向に恥じることなく、貧乏臭さもなく、むしろ泰然とする面さえあった。それはこれで仕方がないという諦めではなく、そうすることで生きているという矜持の念があった。氏の人生のこの一貫性は、余人のまねしえるところではない。 60年代後半から70年代前半にかけて、学園闘争が吹き荒れた。当時、大学当局に異議申し立てをした造反教官は多々いた。その多くはやはり教師として生活している。それしか生活の道がないといえばそれまでだが、「じゃあ、あなたの批判していたものは何だったのか」と問い詰めても、今日あまり意味もあるまい。「人間って日頃偉そうなことを言っても、所詮自分が可愛いのよ」なんて答えをもらっても、空しさが増すだけである。氏の場合、「旧大学秩序の維持に役立つ、いっさいの労働を放棄する」と宣言し、それを以後も守り通された。知的労働を拒否するという姿勢は、翻訳して稼ぐという仕事をも避けていた面がある。大概の人は、そこで元の日常生活にと戻っていく。思想と実生活とを巧みに歩み分けていく。それをしなかった、できなかったことで、そこに氏の独自性、倫理性を求めてもこれまた大して意味のないことである。氏は<六甲>の地に約30年間妻子と共に踏み留まって、生き続けてきたのである。そしてまた、「批評集」「表現集」「概念集」等の自費出版を営々と続けてきたのである。氏を論じる場合、かつての伝説・神話の人として語れば、片手落ちとなろう。わたしにとっては、氏はどこまでも生身の松下さんであった。一対一の個として、対等の関係であった。このことは、まことに有り難いことであった。 手元に氏からの手紙がある。鼠の這っているような細かい宇で書かれている。それを転載する。
氏の追悼集会がT君の教室で開かれ、約20名が集まった。席上、冒頭でT君が氏の奥さんの言葉を贈られた。「わたしは主人をずっと愛していました」と。その反応として、「そんなことは、ここでは問題ではない。ここに集まったのは、あくまで松下 昇の思想を論議するためである」といったような発言をする者がいた。生活を抜きにして、何が思想ぞ。言葉を大切にしなくて、何が文法ぞ。もっと言えば、神のことを考ええずして、何が文明の発展、人類の進化であるか。 イエスは、世の秩序、システム、常識と闘われた。神の国をこの世にあって実現しようと、かくて十宇架につけられた。イエスの言葉は、松下さんとは違って、小学生にも分かるような話し言葉であった。イエスはいっさい書かれなかった。それが凄い。松下さんは一見難解な言葉でもって書き残されたが、それが後世の人々にどのように伝わっていくのか、それは分からない。 ある路上死の遺言の部分を、最後に書き留めたい。 「死亡の通知はどこへも不要。風のたよりに任せる。葬儀はしない。遺品は譲渡、複写、刊行せず、基本的に廃棄してよい」 ●池田知隆・著『日本人の死に方・考』(実業之日本社・刊)を参照。 ●松下 昇の基礎資料は下記のホームベージに開設しています。 http://member.nifty.ne.jp/hikaridedekita-p-o ■(はじめ・まさあき)1947年生まれ。神戸生まれ育ちの異邦人。何度、原稿を没にされても懲りない男。南天荘書店、コーベプックスと勤める。最近の執筆は、エルサレム版のフランス語聖書の福音書を翻訳、注解、講解。 |
千人針のことを思い出した。 戦争中、「出征」兵士に女性が贈った弾丸よけの腹巻き形お守りで、さらしに赤糸で一人一針ずつ縫い、千人(多数)の針目を通したものを千人針という。これが実用的な弾丸よけの効果を発揮するわけはない。ないが、記録や証言から、安全を願う気もちを込めて多くの女性が千人針を兵士に持たせ送り出したようだ。 同じような習慣としてお百度参りや千羽鶴など、危機・不安を多数の合力によって防ぎ払おうとする行為がある。お百度参りなどは祈願する者の不安を昇華させる意義があるのだろう。千羽鶴や千人針も多くの人の願いを形に表し贈られる者を励ますのだろう。私はこれらの行為を「非科学」的な「迷信」だという理由で非難するつもりはない。 だが、なぜ、千人針なのか、と思う。戦場に行くということは殺すか殺されるかということだ。そこで安全を願うのは、殺すだけ殺して勝ってもどって来い、という意味なのか。本当は戦場に行かせたくないが、どうすることもできないので黙ってその思いを込めたのか。どちらにせよ、千人針が兵士を戦場へ追い立てたことに変わりない。千人針が多くの女性によって心をこめて縫われれば縫われるほど、兵士は戦場から逃げることも反乱を起こすこともせず、殺し殺され続けなければならない。なぜなら、そこに込められたメッセージは「逃げるな。不安を乗り越え、危機に立ち向かい、現状を受け入れよ」というものだから。 もし、私がその時その場にいたら、と思う。「兄のために千人針をお願いします」と頼まれたら、どう断っただろうか。知らない人より身近な人に言われた方が応えるだろう。それでも身近な人ならなおさら気持ちを話して断るしかない。私は相手を戦場に追いやるような愛情表現はしたくないのだ、と。 私が千人針のことを思い出したのは、台所の食料棚に並んだ大小のブルーベリージャムのびん詰めのせいである。月2回母から送られてくる宅急便にこのところ毎回これが入っていて、毎朝パン食だといってもそれほど消費しないため、貯まってきているのだ。電話の向こうから母の「ブルーベリーって眼にいいんだって!どんどん食べてね」(私は近眼である)と声がする。以前はココアであり、うこんであり、「○○に効く」とTVや友人からきくと母はすぐに送ってくる。「体にいいから食べてね」……そんなこと言わなくても彼女が私のためにくれるものなら何でも食べるのに。食をめぐって表現される彼女の嗜 好や趣味を受け取る楽しみが、「体にいいもの」によって奪われてしまっている。しかも、それらは彼女がこれまで培ってきた生活の知恵と関わりないものだったり、「科学的」な情報を彼女なりに味わい検証したものでもないことが悲しい。一体なぜ愛情を表現するのに、自分の中からでてきたものでない言葉やプレゼントを選ぶのだろう。 私たちの身体を取り巻く状況……自然環境・生活スタイル・労働形態の変化や都市化・機械化が、近眼やアレルギーなどの身体の不調を生んでいることに皆気づいている。しかし消費によって「健康」を手に入れられるという幻想に浸るだけで、生活の構造を変えようとする選択は行われない。緩慢な死に向かっている現状への漠然とした不安が彼女を捉えている。それを紛らすために「体にいいもの」を買っても、高血圧、腰痛、体脂肪……終わることなく不安は続く。 食品添加物や農薬が野放しに使われ、ダイオキシンに汚染された世界で、人々が「健康」を買おうとするかぎり、「将来」への不安を煽りながら高度消費社会は生き延びる。 それでも私は、自分に向けられる母の気もちをすべて否定することはできないから、彼女が「体にいいもの」と言いかける前にわがままを言う。「私の好きな神田精養軒の雑穀クッキーを送って」。 「健康」のため、「福祉」のため、「環境」のため、「安全」のため、「平和」のため、どれほどの厚意や熱意が吸収されて現状を補完する役割を果たしているだろう。 今も巷に千人針を求める声が溢れている。 ■(みやけ・のりこ)1962年生まれ。町生まれの町育ちですが、過疎の山里に移り住んで10年。田畑をつくり、アルバイトをして生活しています。「性の研究会」の会報「ばらばら」vol.3を準備中。「愛情」に呪縛されている私を俎上に「援助交際」を論じたいと思っている。著書に『ええやんか 生徒と教師の恋』(にじ書房・刊1987年)がある。 ■(編集部・注)会報「ばらばら」vol.1に掲載された三宅さん執筆『「強姦論」考』は、所謂センカドレイプ批判を越えて、性の「聖化」批判として秀逸です。近日には、著者のご了解を得て「Chat noir Cafe′」Webの「増殖する<言葉の杜>叢書」に掲載できればと思います。 |
気力のある出版人がいるものだと驚いた。未来社の先代社長のように、良心的な本を作るためのポリシーを述べた図書を書いた人は、これまでも何人もおられた。だが志だけでなく、この本で書かれている戦略的アイデア、提案、行動力は、先人以上に現状打破の気概に満ちている。本づくりの危機を通して見えてくる現在の矛盾を考えると、読者もいつ学術書が読めなくなるかわからない不安にかられた。著者松本さんの提唱する運動に協力しなければならない心境にまでなる。そこで出版変革運動を中心に考える本書の“書評”を試みる。 1 出版の危機を見ないふりしてきた読者 書店の棚に幅をきかせて並んでいる出版物は、コミックスかコンピュータのハウツー本が多い。学術書の出版は、新聞一面に広告を掲載する予算も取れず、コスト、スピード、資金で競争を強いられる大量生産、大量消費の大衆出版市場では採算が合わない。 本の危機は、老舗「中央公論社」の経営悪化に例を見るごとく、警鐘を鳴らす段階ではない。学術書専門の出版社の台所を公開しながら、いかに精根込めた良い本でも売れなければやっていけないことを、痛感してこの本は書かれている。 実は、少子化で大学経営が成り立たないという問題に直面する以前に、大学の研究者が本を買わないことが学術書の危機だという。それはコピーが活用されるようになったからでもあるが、研究者がオリジナルな学問創造をめざさなくなったため、熱心に本を読まないからという。大学、学問、知と連鎖する人々の思惟の営みが地滑りを起こしていると著者は見ている。 「現在、学者ばかりでなく出版人も学問を生み出そう、作り出そう、という創業の熱意が欠如しているのではないか、という気がする。新しく作りだそうとしたとき、様々な人々の力添えが必要になるはずだ。何か、学問産業がすでにできていて、その恩恵に預かろうという感じが強すぎるような気がする。研究者、編集者のサラリーマン化である」と著者は怒る。そして、大学、学問、知への幻想を創造的破壊するべきだと説く。 学術書が出版されれば、中身の吟味もなくあとで買えなくなると困るからという動機から、新刊、古本手当たり次第に購入してきた読者である私も、出版界の苦悩を見ないふりをしてきたことに反省させられた。 著者のいう、近代化の過程で醸成された知を神聖なものとみる幻想を自覚しないと、21世紀の出版は構築できないことも認識させられた。著者は怒るのみでなく創造的破壊の手だてを模索し、本書であれこれと提案する。 2 大学、学問、出版における知の空洞化 著者は、言語学関係の学術書の出版社を経営している少壮の出版人ある。学術書の書き手である研究者の世界と連絡を取り、出版の現場を実際に行き来しながら仕事をしている。書店という本の流通の現場でも、同様に本の市場性を考えながら立ち会ってこられただろう。 「今の本の持っている問題点は何なのか」と著者が問う場合、大学の自己改革とかかわるという考えは、大学の外からの意見で、迂遠なようでありながら重要である。 西欧の大学機構に、産業の近代化の要請を付け加えて作られた」日本の大学の機構は、この先20年ぐらいの間に、「あって当然のものから市民社会に支持されるかどうか左右される機関に変わるだろう」と著者は見る。出版は大学とともに衰退せざるをえないのか。 近代化というテーマが日本の大学の役割から消えた今、「どの学問に予算を付け、育てていったらよいのか、地域や市民が判断をすることができるのだろうか? これは、難問である」と著者はいう。SF小説の世界の話みたいだが、知の将来像としてこんな状況が来ないとも限らない。そんな場合、出版社が学問を育てる役割を担ってもよいと自負し、「出版社が、市民の判断の材料を提供し、どの学問を育てていけばいいのかアドバイスすることもあるだろう」と大学だけが学問を育てる場でないことを繰り返し読者に自覚させる。アメリカやカナダを例に市民も大学運営に参加すべきだとする。「知」を生産する人々、発信する人々が、大学という機関に属している人間ばかりでなく、出版社も、書店も、読者も様々な人々が関わっている」ことを指摘する。 この本を書く出発点として、「学問は、校舎の中、研究室の中である必要はないのではないか」「市民が「知」的な営みを続ける場合、学ぶ場所、教える場所が、どこでおこなわれるか」など、大学変革の将来を市民の選択にゆだねるとする見通しを著者が持つことに、私も賛成である。 3 電子出版、電子書評、電子パブリシテーの可能性 「大学と学会だけで「知」がそだつだろうか?」という疑問から、かっては、「学問を再生産する機能を、出版は機能の一部としてもっていた、という仮説を立てたい」という立場に著者は立つ。21世紀の出版のあり方を提言する基盤にもなっているのだが、当然のことながら、古い学問と市民の関係の回復をめざすものではない。 あくまで市民と連帯の持てる学問のあり方を目標にしながら、出版の生き残れる道をさぐろうとする。そのための提言は、ほとんどが電子活用のアイデアである。 1)コピーできない本の技術―図書館などのコピー機に、出版社への還元の機能を付け正統な金額を支払わせるものを開発せよという。 2)オンデマンド出版、オンデマンド論文―注文が来たら作るというジャストインタイムのような発想である。レーザープリンターをベースに、ネットワーク経由による印刷から、製本まで一連でこなす機械を使う。ゼロックスのコピー機の高品位版などで可能なのではないかと提案。 3)オンデマンド論文―部数が少なく高価になる学術書で若い研究者の論文を刊行するのは困難である。オンデマンド論文刊行の仕組みを作り、学位を与えられた若い研究者に道を開こうという狙い。あと10年で紙と電子的な媒体の比重は半々、それにプラス10年で、ほぼ逆転するだろうと予測する著者は、論文の電子化を学術的公開手段として適切と見る。 4)電子書評、電子ブックレビュー―この発想が「投げ銭システム」―市民がパトロンになる仕組み―という運動宣言に連動していく。出版が「21世紀の新しい研究「知」のわき出る場所に」なることをめざす著者は、プレビューにも電子の効力を期待する。 「出版界は、新しい知を生み出し、それを広い人々に知らせて、実際に買って貰うことで、新しい読者を作り出すという当たり前の努力をこれまで怠ってきたとしか思えない」と書いている。 4 投げ銭システムというインフラ運動 『ルネッサンスパブリッシャー宣言』というこの本のタイトルは、“あとがき”で解るのだが、著者が翻訳した『ネチケット』の原著のシャーが叫んでいた言葉を借りたらしい。 私が『ルネッサンスパブリッシャー宣言』の中で、最もショッキングだと驚いた箇所は、「早く溶けよう!―新しい「知」の生まれる場所へ―」であった。「私の予感では、学問も出版も読者も大学も、一度、溶けてしまうというものだ。」という。そして、「溶けた「知」というものの何かの鍵が、ネットワークのどこかにあるような気がする」と。 優柔不断な私は、電子ネットワークを大衆のメディアとして、現在の紙メディア並みに成長すると断定しきれず、未来が見える決定的な場所と思えない揺れを持つ。 ところで本書は出版論として読まれるに留まらず、日本語学の学問史としても読めるほどに著者・松本氏は、学識の人である。そして近代化により、「本と学校は同罪」で日本人の「知」の地下水脈を破壊させたというために、氏は宮本常一の『忘れられた日本人』を引用している。 20世紀の大学、学問、出版の危機のあとに、再び、市民の「知」を蘇生させようと著者は願っているらしい。21世紀に、市民による市民のための学術出版をビジョンとし、インターネット上に共同体を作ることで目標の実現は不可能ではないと考えるようだ。 著者の経営する「ひつじ書房」では、「オンライン学術誌」を作ることなども計画しているという。すでにホームページでは、著書において提案したことを有機的に関連づけながら実践されている。 そのひとつである「投げ銭システム」は、読者も21世紀の出版システムづくりに参加させようとする巻き込み運動であり、インフラ運動であるという戦略は読める。 読者が、本を読んでみて、非常にいい紹介だったと思ったら、書評ホームページへ、あるいは評者自身に、もちろん、この両者でもいいのだが、100円程度の少額のお金をオンラインで送るのである」という投げ銭システムに支えられて、学問は、磨かれねばならない。 5 大きいものも、小さいものも共存し、育て会う 「「投げ銭」とは、大道芸人の芸が、面白かったら、帽子や空缶に100円やら500円硬貨を投げ込むこと」であるという。「投げ銭」になぞらえて、「使ってみて気に入ればお金を支払うシエアウエアの考えを取り入れ、インターネット上に簡単な送受金システムをインフラとして構築することで実現することをめざす。」という運動を提言する。「電子図書館」などの構想も踏まえての実践運動のようだ。 この本をあえて批判的に捉え苦言を呈するならば、(1)インターネットが庶民に浸透するのか(2)既存の大学などの学問産業が早急に衰退するのか(3)新しい「知」の担い手として市民は信頼していいのか等の疑問があり、著者が多くの人々から「非現実的」といわれた部分と通底する未知数の側面を抱えている。だが乗り越えよ! 6月6日東京飯田橋のシニアセンターで、有志による「投げ銭システム推進準備委員会」が作られ、このシステムへの参加呼びかけの決起集会が持たれたようだ。ホームページには、賛同者の発言も多く寄せられている。 20世紀の社会の仕組み批判から出発したともいえる運動であることを次のように著者は意義づけていることで、地道な広がりの可能性を信じさせる賢明さが潜んでいると感じられないだろうか。 「投げ銭システム」は、大きなものが小さなものから、奪っていく仕組みではない。被害者意識から、小さいものが、大きなものを非難するものでもない。大きいものも、小さいものも共存し、育てあう仕組みだ。」なんだか読者である私も参加せずにおれない、胸打つコメントである。含蓄の深い、感動ある学問には、投げ銭をしよう。ニューヨーク路上のジャズ演奏家に、多くの市民がコインを投げているように。 「投げ銭システム」運動と出版改革の根強い持続から、出版がある意味では壮大な、市民による市民のための学問創造に連結する動きに展開することを期待する。 最後に、本書のもうひとつの重要なテーマ「編集者とは何か」について、著者は今日的・未来的にそれを論じているが、紙幅が尽きてこれ以上触れることができず心を残しながら注意のみ喚起しておく。 (ひつじ書房のURL:http://www.hituzi.co.jp/) ■(まじま・まさおみ)1942年生まれ 。広告代理店MC局在職。1999年経営学修士取得。生産システム、ベンチャービジネス論、新産業論、マーケテイン戦略など専攻。「新日本文学」99年7月号の「インターネットで詩はかわるか」特集に参加執筆。 思想の科学研究会評議委員、新日本文学会会員、大阪歌人クラブ会員、短歌結社「ポトナム」同人。 奈良市社会教育協力講師、創造社デザイン専門学校講師などを経て、現在、大学院特別専攻生。 E-mail:Masaomi.Majima@ma9.seikyou.ne.jp |
夏の炎天下は、摂氏50度近くまで気温が上昇するスペインのアンダルシーア。マドリーやバルセロナから、この地に入った旅行者の目には、同じスペイン国内でありながら、まるで違った国に迷い込んだかのような錯覚に陥ってしまう。 背の低い黒髪の人たち、非ヨーロッパ的な相貌。そして街の随所にある聖母マリマ像、「この地はキリスト教ではなく、マリマ教の地である」といったのは、誰だったろうか。ヨーロッパの「地の果て」であるアンダルシーア。インドからはるばる時間をかけてやってきたというヒターノ(ジプシー)たちは、この地に到達し、在来の土着音楽と融合させてフラメンコ音楽を創造した。 「地の果て」は終わりであると共に、〈事・場所〉の始まりでもある。イベリア半島の大半を700年間にわたって支配してきたイスラム世界が、アンダルシーアの対岸であるアフリカに広がっている。イスラムからスペインに伝えられ影響を与えたものは、天文学、医学、化学、神学、農業技術などさまざまな分野にわたっている。そして民話の世界もそうである。イスラムの民話がスペインの民衆に伝わり、それがヨーロッパ各地、そしてヌエバ・エスパーニャといわれたラテン・アメリカ諸国やフィリピンにも伝播していく。 イスラム文化がスペイン国内で濃厚に残っている地域がアンダルシーアであり、その豊かな民話・寓話の世界を幼少時にたっぷりと叔母から聞かされ育ったのが詩人のフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898〜1936)である。 ロルカの詩がわれわれをいまだ魅了してやまないのは、彼の作品世界にひろがるアンダルシーアの根の文化そのものであり、同時にそれは読む人の土着性を激しく喚起してやまないなにかがあるからなのである。 今年もスペインの国民的詩人・ロルカがファシスト軍によって銃殺されてしまった8月19日に「ロルカ詩祭」を行います。ロルカ生誕100年だった去年から始まったこの詩祭。第一部にロルカの詩の朗読を行い、第二部では、福田知子、富哲世、大西隆志氏ら関西の詩人たちによるロルカ的世界に身を委ねた自作詩の朗読・パフォーマンス、そしてオルタネティブな楽団のオルタネティブな演奏を行います。去年は、盛況のうちに終わりました。今年もおおいに期待してください。参加者の皆さまには、第二部出演の詩人が朗読する詩作品を集めた冊子『8月19日詩集・1999年』を差し上げます。この詩集は、今年から誌面参加もあり、沖縄出身でH氏賞詩人・知念栄喜氏らの作品も収録されています。(マドリーは、マドリードの現地読みだそうです。/編集部・注) 日 時:8月19日(木)午後6時開場/午後6時30分開演 場 所:神戸市・三宮「スペイン料理・カルメン」TEL:078-331-2228 阪急・三宮駅西口下車徒歩1分、北の出口を出てパチンコのウィーンの裏。 料 金:3500円(ディナーとワイン付き、チャージ料込み) 問い合わせ・申し込みは「スペイン料理・カルメン」大橋まで |
■編集後記■ ◆「愛情」があれば「分かりあえる」と思っている私たちは、それと知らずに相手を追いつめているのかもしれない。三宅紀子さんの『「健康食」ブーム』はそんな問いを投げかけてくれる。「ええやんか 生徒と教師の恋」の入手方法については編集部にご一報ください。(加藤) ◆今号は入稿状態がよくて増頁となりました。「T-Time2」を使って読まれるか、出力して読まれることをお薦めしますが、くれぐれも著作権には配慮ください。◆巻頭の森ひろしさんの原稿は、本来、一周年特別号<07号>用に依頼したものでしたが、情況との関係を判断して内容が<生もの>ですのでクール宅配便にてお届けします。お早めにご賞味ください。◆元さんは文字通りの「全共闘」世代で、現在宗教家を目指されています。松下昇さんは、60年安保を経てもっとも「全共闘」の精神を体現した思想家だったと思います。生前、松下さんについて書かれた評論はほとんどなくて、詩人の佐々木幹郎さんのエッセイと野原燐さんの「ゲーデルの拘置所」がある程度でしょうか。(その後、各位からの指摘によれば、延べ193人の方々が言及されているそうですので、訂正して不明をお詫びいたします)本誌次号<08号>では、野原燐さんが「松下論」あるいは<松下思想>を展開する予定です。◆真島さんには、ご多忙の中、書評をお願いしました。真島さんの人柄がよく表出した、丁寧かつ共感的書評にお礼申し上げます。(山本) ■本誌の郵送版もありますので、お問い合わせください。 |