『カルチャー・レヴュー』05号



■思  想■

石鐘方の襄は海に入る
−−『論語』の一部から

野原 燐




   楽団長の摯は、斉国におもむき、
   二番方の干は、楚国におもむき、
   三番方の繚は、蔡国におもむき、
   四番方の缺は、秦国におもむき、
   太鼓方の方叔は、黄河地方へ消え、
   振鼓方の武は、漢河地方へ消え、
   楽次長の陽と、
   石鐘方の襄は、海岸地方に消えた。
  (註1)

 意味不明のテキスト。意味を支えていた共同体が最後の一人まで消えたことを記録している。孔子教団が作った文ではなく、かって存在した共同体の記憶を伝えるものとして語り伝えられたものが、脈絡の知識が次第に脱落していき、テキストだけが数十年漂っており、そのまま文集に記録されたもの、だと思う。共同体の消滅を、君主や大衆(農民)の死滅においてではなく、楽団の八人のメンバーの固有名において記述している。
 白川静氏は「たぶん西周が滅亡したとき、王宮にあった楽人たちが身を寄せるところを失って四散したことをいうものであろう。」と言っている。(註2)八人の名前が並んでいるだけなのだが、それだけにかえって音楽のある饗宴とそれから離れて四散していく彼らのイメージが鮮やかに浮かび上がる。

   鳳や鳳や 何ぞ徳の衰えたる 
   往者は諫むべからず 来者はなお追うべし
   已みなん已みなん 今の政に従うものは殆し

 同じく微子篇に、こんな話がある。楚の狂、接與が歌いながら、孔子の前を横切った。孔子は彼と話をしようとしたが、彼は走ってそれを避けたので、話せなかった。その時接與が歌っていたのがこの歌だ。太古の時代、辺鄙な国境地帯には半ば妖怪のようなインテリがどのような生計によってか孤立して生き延びていて、共同体の中で人々と同じ言葉で語ることだけが生きることではないと、不意に教えてくれることがあった。緩やかなうたで。

   微子はこれを去る。
   箕子はこれが奴となる。
   比干は諫めて死す。
    孔子曰わく、殷に三仁あり。[微子]

 ここには三人の人が出てくる。彼らは共同体からあっさり去ったり、死んだりしたと伝えられる。孔子はそれだけしか伝えず、それでも彼らに「仁」という最高の言葉を与える。
 ひとは共同体の中にしか生きられないものだ。だのにひとはその時の共同体の行為をしばしば理不尽に思い、それを超える“理”や“仁”を構想する。共同体に何の影響も及ぼせず黙って「去る」という身振り、思想の存在は最初そのように明かされる。

   志士仁人は、生を求めて仁を害することなく、
   身を殺して以て仁を成すことあり。 [衛霊公]

 現実の権威の非道に対し、伝統的価値を一身をなげうち擁護すること。「祝史の間には、このような職事にたいする献身、自己投棄の伝統がある。それはかれらがかつて、神への献身者であったからである」と白川静氏は言う。(註3) 神といっても、孔子の時代にももはやその実像を明瞭には描き得なかった未開・異貌の<神>であると想定することが出来るだろう。後世、“仁”は普遍的価値に成り上がることでかえって、死を恐れない直進性、批判力を失ってしまったのではないか、と思う。

註1.『論語』微子篇 純丘・樹玄訳 別冊宝島96
  「二番方・三番方・」は原文では「亜飯・三飯・」となっている。
音楽と儀礼的な饗宴が不可分だった時代を窺うことができる。
註2.『詩経』p235 中公新書
註3.『孔子伝』p91 中公文庫 いずれも現在入手可能かどうかは不明。

言い訳:論語にも意外なRPG風の一面があるのだな、と思ったので書いて見た。現在あまり大衆的には読まれていないようだとはいっても、東アジアの聖典『論語』である。全く無知な私ごときに言及可能なテキストではないと言われかもしれない。でもどんな文化伝統の中にもいないので、不当性が判断できません。どうか批判してみて下さい。

■(のはら・りん)1953年、兵庫県生まれ、男性。18歳のときペンネーム野原ひとしを名乗る。その後野原燐に改名。1975年、松下昇氏に出会い以後大きな影響を受ける。1995年、ニフティサーブに入会、少女マンガ、フェミニズムや自己否定についてなど発言を続けている。現在、ニフティサーブのパティオ、「北海」を設定。ID:VYN03317、PASSWORD:NORD.0 ですので、一度覗いてみてください。不活発な場ですが。E-mail:VYN03317@nifty.ne.jp





■臨床哲学■

哲学と援助
―「今、ここ」を考える

田中俊英




 高校・大学を出て企業とか役所へ就職し、そこで地道にキャリアを積んで地位を上げていく。やがて結婚し、子どもが生まれ、家を購入し、年金生活で優雅な老後を過ごす。こういう人生プランを「レールの上の人生」と否定し、僕は、就職した会社を1年でやめてその後10年強、独立独歩の道を歩いてきたとどこかで自負している。しかしこういう僕の中にも「内なる人生プラン」はしっかりと根を張っており、それが必ずしも「マイホーム購入」とか「孫の顔を見たい」というありきたりのものではないにしろ、「20才を越えた人間なら歩むべきであろう」漠然としたモデルを持っていることを否定することはできない。

 それは端的に言うと、「大人になれば自分で自分の食いぶちはまかなっていく」というものであり、この程度のいわば“最低限の”モデルであれば、生き方の価値観として抱いても別に罪ではあるまいとどこかで思っている。
 しかしはたしてそうだろうか。そういう“最低限の”モデルさえも疑ってかかることが、「一人ひとりの姿をありのままに見ていく」僕の理想とする援助の姿なのではあるまいか。

 僕がここ1年、哲学の周囲を標榜してきたことの最大の理由はここにある。哲学の基本的課題には「死」があり「私」があり「時間」があり「他者」があるのだが、「価値観」や「善悪」などもそこに含まれると思う。「『よく生きる』とはどういうことなのか」「その時代の主流の価値観や言説にはどういう背景や根拠があるのか」等を疑うことが哲学の問いの一つである。これが心理学の場合だと、その時代の人々が持つメジャー/主流の価値観に乗ることが「正しい」ことであり、そこに戻ることを「治る」と言うし、そこから外れる人と接していくことを「臨床」とか「診断」という。

 確かに臨床や診断や分類がなければ我々は戸惑うばかりだ。それは当然だろう。いくら援助者といえどもその時代にどっぷり浸かっているわけであり、そこから見事に外れている人を「科学的知識」なしで平然と捉えることはできるわけがない。たとえば精神分裂病における妄想や幻覚を「そんなのもあってもおもしろい」とか「神の使いだ」とか畏怖の対象として捉えることは、我々高度資本主義社会に生きる人間には不可能だ。「病気」として位置づけてこそ、専門家として冷静に援助できるし、本人も家族も腰をしっかりと据えてその「病気」と長期の闘いを続けていく意欲が湧いてくる。

 分裂病と聞いて震え上がる人も未だに珍しくはないだろう。ある殺人事件の容疑者が分裂病患者であることにうなづく人は多いだろうし、それが「正常人」における殺人犯人の発生率よりも低いことであることを知識としてたとえ知っていたとしても、「怖い」対象であることは事実だ。しかし、80年代に流行したニューアカデミズム(死語!)の理論的支柱の一冊であった「アンチ・オイディプス」(ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著)や「構造と力」(浅田彰)によって分裂病が理想の生き方の一つになったことも確かだ。いや誰も分裂病に実際になりたくはないだろうが、思春期に自殺に憧れることと同じような意味で、一部の本読み学生が「スキゾ(分裂病的)人間」に憧れた時代が確かにあった。まあそれはこの原稿とはあまり関係はないが、つまり哲学とは、そういう世の中のメジャーな価値観を疑う分野なのだ。

 「大人になれば働かねばならない」とする常識に素直に乗っていくべきなのだろうか。正直に言って僕の中には、「18才になれば人間は親元を旅立ち、自立すべきだ」という“偏見”がある。考えようによってはこれは「大人になれば働かねばならない」よりももっと厳しい考え方だ。厳しい考え方ではあるが、たとえばこれと「子どもは学校に行かねばならない」という常識を比べた場合、「学校」のほうはどうしても自分の中では受け入れることのできない価値観であるのに対して、「18才になれば〜」のほうは積極的に支持している。18才という年齢基準は人によって異なるものの、「学校」に比べて「自立」のほうはほとんどの人が支持する価値観だろう。だって、親もいつかは年をとる。常識的に言って親のほうが先に死んでいくのだ。その時に残された子どもはどうするのか。そういう身も蓋もないことは誰も書かないが(僕もこう文字にしてしまうことにすごく勇気を要する)、「自立」の裏にはそういうえらくリアルな心配が横たわっている。

 しかしよく考えてみると、人間いつ死ぬかは誰にもわからない。もしかすると明日交通事故で死ぬかもしれないのだ。「親が先に死んで後に子どもが残される」というあり方は最大公約数的な未来予測でしかない。いや、最大公約数的な未来予測ならば、もっとリアルに想像しなければならない。どういうことかというと、いわゆる平均寿命(でも、こういう数値を未来の一番ありうる可能性として描く考え方こそが僕の敵なのであるが)という点から考えると、80代で死んでいく人が多いということはその子どもは50〜60代だということだ。50や60まで「自立」できない人生とはどういうものなのだろうか。もしも60才になって「自立」できたとして、ではそれまでの60年間は“無駄な”人生だったのだろうか。それとも60になっても「自立」できない人生があるとして、その人生はまったく無駄なものなのだろうか。 実はこうやって「未来に起こるかもしれない現実」をリアル(と思い込みながら)に予測してしまうこと自体、「現在」を否定していることである。今の場合、かなり悲観的な予想未来を描いてしまったが、逆にもっとありふれた未来(マイホームを持って年金生活)とか成功する未来(社長とかそういうやつ)を描くことも同じだ。そういうひとつの「理想」を描いてしまうことは、今日の1日の生活、今のこの瞬間から目をそらしている。

 別に「未来」でなくとも、我々がよく口にする言葉、「現実」とか「現実主義」でも、事は同じだ。「いろいろ言ってみても所詮今の世の中には学歴主義という『現実』がある。」「『現実』には人間には明らかな能力差がある」等々の「現実」は、はっきり言って事実ではある。しかし、その圧倒的な事実に覆われているうちに、いつのまにか我々はそれを「理念」までに高めていく。事実は事実だから、そのへんに今もごろごろと転がっている。しかし、これを繰り返し言葉にして確かめるうちにそれは「向こう側にしっかりとそびえる」塔になってしまう。学歴にともなう苦労は、事実としては、自分の中だけのうねるような時間と体験の中にある。けれども、それがいつのまにか言葉として理念化し、決して踏み込むことのできない神のような現実として我々の前に圧倒的にそびえ始める。我々がふだんひれ伏している「現実」とは、神のように理念化された「現実」なのだ。

 心理学では執拗に「今、ここ」という言葉が繰り返される。この言葉は単なる刹那主義でもないようだ(だいたいこの刹那主義という言葉自体、「人生はしっかりとした目標を先に据え、それに向かって邁進すべし」的な価値観が背景にあると思うので僕は好きではない。なぜ嫌いかというと、繰り返しになるが、先に目標を設定することそのものが「今、ここ」の否定につながるからだ)。  しかし心理学は科学である。科学とは、乱暴に言ってしまうと、仮定をたて、研究・実験し、分類し、一般化・法則化することだ。そこから下された診断のもと、治療目標に向けて地道にかかわっていくことこそが援助の基本でもあるだろう。しかし目標という概念自体、目標そのものにすべてを預けてしまい、現在を否定してまうものだ。現在というのはつまり「今、ここ」のことである。治療やカウンセリングの中で常に「今、ここ」を標榜しながら、実は目標に向けて走っている(裏返しに言うと「現在」を否定している)、このあり方は完全に矛盾していると僕は思う。

 何も心理学だけではない。心理学は先に書いたとおり、その社会の主流の価値観を映す鏡なのである。そうやって「現実」とか「未来」とか「目標」に覆われて「今、ここ」を否定する思考方法をとっているのは、我々の社会そのものだ。社会と言うより、我々そのものだろう。だから僕が「18才になった自立すべき」という価値観を心の底で抱いているのは別に罪ではない。僕だってこの社会の一員なのだから。もし、そういう価値観を抱いていることを認識するのを意図的に排除するのであればそれは大いなる罪だろうけど。  当然、「大人になっても自立できない」人たち自身もそういうこの社会の主流的価値観を身につけている。ということは、その価値観に自分自身で縛られているということだ。いや縛られているというよりも、その価値観でもって自分自身を鞭打っているということだろう。「自立」できないで苦しんでいるのは、親でもなく援助者でもなく、本人自身なのだ。

 「今、ここ」の大切さを最も知らなければいけないのは、カウンセラーでもなく教師でもなくソーシャルワーカーでもなく援助者一般でもない。本人たちだ。「未来」や「現実」や「目標」によって現在そのもの、「今、ここ」を否定してしまっている彼ら彼女らを一刻も早く解放してあげなければいけない。
 少し付け加えると、ここに不登校問題が絡んだ場合、「アンチ学校」という要素が入ってくるのでややこしくなる。「学校に行かなければならない」という常識を否定することでは非常に有意義なテーゼではあるが、ここに「アンチ学校」が入ってくると、その「今の学校に行かないというもうひとつの生き方」を未来に探るという姿勢それ自体が、現在の不登校の子達の「今、ここ」を否定してしまう。「学校」に伴う教育論議は、援助の本質からすればどうでもいいことだと僕は思う。学校を考える論議は「思想」であるかもしれないが、人間の根本的生き方を問う「哲学」ではない。

 では「今、ここ」とは何だろうか。勉強不足のせいだろうが、心理学関係の本で僕は未だに満足する説明を得たことはない。だからどうしても哲学からヒントを得ることになる。
 僕たちの毎日はきつい。楽しいことなど一つもないと言っていい。日曜日の夕方など、家族で団らんしている時間に「もしかしてこういうのが幸福ということだろうか」と自問する時はあるが、それはあくまで知的発奮であり、仮にその瞬間幸福の絶頂を感じたとしても(たとえば恋人との抱擁や子どもとのふれあいなど)、それはあくまで「特別な一瞬」だろう。そういう幸福だけが決して「今、ここ」ではないと僕は思う。逆に、それにのみ思いを馳せることは、「恋人との抱擁」というある記憶ないしこれから起こるであろう未来の情景に心を託すことで、現在を否定していることではないかと思うのだ。先ほどいった「未来」や「現実」や「目標」が、「恋人との抱擁」というひとつの情景に変わったものにすぎないと考える。決してそればかりが「今、ここ」ではない。  「今、ここ」とは、まさに、今、ここのことなのだ。今の僕であれば、ワープロに向かって指を動かしている自分のことであり、この文章を読んでいるみなさんであれば、どういう姿勢や状況かはわからないものの、まさに「今読んでいる」ということそれ自体のことだ。「今、ここ」とは、そういう、いわばありきたりの、平穏な日常の瞬間ことだ。

 しかしこうやってワープロに向かっているこのこと自体、今、この瞬間の唯一の出来事である。もちろん昨日も僕はワープロを打った。その姿勢や思考方法、文章の内容、BGMはよく似ている。しかし当然のことながら違う。すべてがよく似ているようですべてが違う。今日(3月1日)ワープロを打っている行為は、今日にしか訪れない出来事だ。いやもっと言うと、この「もっと言うと」と文字を打ったこの瞬間、今のこの瞬間は僕の限られた数十年の人生の中の唯一の出来事であり、それは今、あっという間に過去になったが、また次に、「また次に」という文字を打っている現在が開けている。つまり現在は、いつも「先端」なのだ。この事実こそ、ものすごく驚嘆すべきことではないだろうか。

 つまり、生きている、この今の瞬間こそが最も驚嘆すべき事実だということだ。朝、僕は川西から池田まで猪名川という川を渡って歩く。すると左側に五月山というきれいな山が見えてくる。橋を渡る際、五月山は、僕の一歩ごとにわずかずつではあるが表情を変える。やがて4月になると、あの山は一面桜で覆われることだろう。僕はたぶん花見に行くことだろう。その桜たちを近くでよく見ると、僕の視線の角度、ひとつひとつで微妙に表情を変える。その角度のひとつひとつに「今、ここ」はある。桜を見る時、僕の中では時計の針が指し示すものとは違う、僕だけの時間が流れているに違いない。そこには過去の記憶があり、桜の香りがあり、一瞬ごとに表情を変える映像がある。桜など大げさなものでもなくとも、我々の日常はいつもこういうものたちで包まれている。どこかに別の「理想」や「現実」を設定するのではなく、そういう「今、ここ」を見つめることこそがその人なりの充実した人生を過ごすことだと僕は思う。あえて今回は特定の哲学者の名前は出さず、僕なりに「援助と哲学」の問題の要点をまとめた。(『Kid』99年03月号より転載)

■(たなか・としひで)1964年生まれ。大学卒業後、1992年頃より、友人と設立した出版社(さいろ社)勤務のかたわら「相談家庭教師」という名称で不登校の子への訪問活動を始める。96年、個人事務所「ドーナツトーク社」を設立。訪問・相談活動の他、講座運営などを行なう。また月刊誌『Kid―「対話する」ことで子どもへの援助が見えてくる』を発行。 E-mail:zan01701@nifty.ne.jp





■読書会のご案内■

永井均・著「<子ども>のための哲学」
(講談社新書)

黒猫房主




 事の発端は「思想の科学」大阪グループ例会の二次会で、同席した田中俊英さんとの会話の中から、読書会を始めようということでした。
 仮にこの読書会の名称を「哲学的腹ぺこ塾」としますが、田中さんには異論があるようですので、仮称とします。今後どのように展開するかわかりませんが、当面は哲学関連のテキストを会食(輪読)する予定です。

●第1回目は、永井均・著「<子ども>のための哲学」(講談社新書)の前半 (108頁まで)をテキストに、永井の展開する<独我論>について、山本が レジュメを用意します。

●第2回目(7月11日)では、同書後半の<倫理もんだい>を、田中さんがニーチェに絡ませて報告する予定です。

 永井「独我論」の補助線的参考文献として
■勝守 真・著「他者の語りとしての<私>論―永井独我論の脱構築」
(「現代思想」98年1月号<ウィトゲンシュタイン>に掲載)
■「自己と他者」(叢書<<エチカ>>B/昭和堂・刊/本体2500円)所収の、森岡 正博・著「この宇宙にひとりだけ特殊な形で存在することの意味―「独在性」 哲学批判序説―」は重要です。
因みに、同書に所収の永井均の「独在性と他者―独我論の本質―」は、現在 永井均・著「<私>の存在の比類なさ」(勁草書房・刊/本体2500円/98年2月25日 初刷)にも収録されています。この論文集の内容は「<子ども>ための哲学」 (講談社新書/96年5月20日初刷)より以前のもので、現在、その<独我論>の 立場に変更はないようです。

■日 時:6月13日(日)午前11時より2時間程度
■場 所:るな工房/シャノワール・カフェ(阪急線・淡路駅より徒歩10分)
■定員に限りがありますので、6月10日までに事前予約厳守です。
 テキストの議論をして、その後近くのレストランでランチをしながら「カル チャー・レヴュー」の合評会に延長したいと思っています。(合評会のみの 参加も可能です)
■朝の11時にしたのは、田中さんの頭が昼間のほうが冴えているからです。 おいでいただければ幸いです。
■メールでの参加も歓迎しますので、本書の読後感など送信ください。

<<読書会の口上あるいは課題>>

我が家の猫は「レイ」という名であった。彼女は、如何にして自分の名前を理解したのか?
つまり「レイ」と呼ばれた時、それがなぜ、他ならぬ自分のことであると理解できるのであるか? 規則的な音の連鎖である「rei」に条件反射しているだけだと見なしても、なぜその猫だけがそのように条件付けることが可能なのか?
猫が、少なくとも個体識別の能力を持っていることは明確だ。
しかし複数の猫の中で、その猫だけがその「rei」に反応し、その音と自分を関連づけて(自己同一)、呼ばれていることを理解しているように見えるのは<奇跡>ではないか。(個別性の理解―実在的)
ところが実は「レイ」は「rei」以外の名前で呼ばれても、尻尾や鳴き声で返事をするのだが・・・彼女は、この個体に対して呼ばれていることを、明らかに理解しているように思える。
しかし彼女はこの呼ばれている個体が、この<自分>であると理解しているのであるか?(独在性の理解―存在論的) この事例は、幼児が自分自身と自分または自分の名前とを同一化する過程と同じであるのか?
また赤ちゃんが笑いながら、天空に指さしている。この指先の延長に赤ちゃんの視点が届いている。これを<あの、この意識=指示性>の発生と呼んでよいのか?

ところで映画「転校生」は、男子生徒=僕と女子生徒=わたしの記憶や心が入れ替わる思春期ドラマなのだが、この場合、この<私>を意味しないものは何でありえるのか?
同様に、脳を移植された個体は、いかなる<夢>を見るのか?

因みに、「離人症/人格喪失体験」と呼ばれる神経症がある。
これは意識は鮮明ではあるが、「自分が自分であるということ」、「ここ」とか「そこ」とかという意味がわからなく「世界」を「意味の連関」として捕まえることに障害を来すようである。
木村 敏によれば「この症状においては外界の事物や自分自身の身体についての実在感や現実感、充実感、重量感、自己所属感などといった感覚が失われるだけでなく、なによりも自分自身の自己がなくなってしまった、あるいは以前とすっかり違ってしまった、感情や性格が失われたという切実な体験が訴えられるためである」とある。(「時間と自己」中公新書)
しかし木村の言っている<自己>や<近代的自我>と、永井が発見したこの<私>とは無関係であると永井は言明しているように読めるが、それは「語り得ぬもの」として示すほかないのであるか?

以上、「<子ども>のための哲学」を読みながら、永井<独我論>を他者=山本による言語ゲームで<読み換え>を試みました。批判してみてください。

<おまけ>
5月30日の朝日新聞の読書欄で、清水良典が「<私>という演算」(保坂和志・著/新書館・刊)を紹介しています。私=山本は未読ですが、読書会のテーマにも関連するようなので、ご案内します。

■(やまもと・しげき)1953年愛媛県生まれ。3社の出版社を経て5年前に独立。専門書の販売促進から企画・編集・制作を生業とする「るな工房」を経営。隔月刊誌『カルチャー・レヴュー』発行人。読書会・自主講座の運営及びDTP・デザイン装幀を制作するグループ「Chat noir Cafe 」を組織。





■編集後記■
◆「ヒントブックス」の山田さん(本誌2号執筆者)が、『書店の大活用術』(毎日ムック・アミューズ編 サブタイトルは「知を鍛える 大型店・専門店・個性派店」1524円+税/1999.3.30.発行)、および5月31日放映の朝日TV系「ニューススターション」、5月25日放映の衛星放送「朝日ニュース」で紹介されました。(http://www.remus.dti.ne.jp/~hint-yf/index.htm) ◆先月、購入して二ヶ月目の新車の自転車をいつもの駅前に駐輪して翌日取りに行くと、あらら行方不明。「また盗難か! 今年で2回目だぁ〜」と憤慨しながら数日後、盗難保険申請のため交番に「盗難届」を出したところ・・・その届けた翌日に未知の方から電話があり、その方の自宅先に例の自伝車が放置されているとの親切な連絡であった。(車体に連絡先を明記していた)「ありがたや」と深くお礼を申し上げた後、あれれ? 駅に立ち寄る前に中華料理店で食事をしたことを突如憶い出したのであった。いやはや、その店先に駐輪したことを、私はまったく失念していたのだった! ああ〜畏るべし! あの偉大な「老人力」活力が我が「中年」にも定着しつつあることを実感した今日この頃でした。◆集会・催しの情報を適宜掲載いたします。情報を編集部までお寄せくだい。 ◆現在の配布数は、オンライン・オフラインを含めて約160名になりましたが、より多くの方々の購読を募りますので、ご友人・知人の方々のメールアドレス(あるいは郵送住所)をお知らせいただければ、送信(送付)いたします。 ◆ご意見・感想・投稿をお待ちしておりますが、今のところノーギャラです。



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