『カルチャー・レヴュー』04号



■演  劇■

狂言のエッセンスのようなものを
大和座狂言事務所/狂言師

赤坂放笛




 「狂言を初めて観ました」という反応を、毎度公演のあとに聞く。日本の古典伝統芸能であるのに、一生狂言を見ないで死んでしまう日本人はどれほどいるのだろうか。全く見当も付かないが九割りを越えてしまうかも知れないと私は思っています。もしそれが遠からず当たっているならば、これは最早、日本の古典伝統芸能とは呼べないのかも知れない、これは一大事です。
 しかし最近若手狂言師のマスメディア出演の機会が増えたおかげで俄に狂言ブームが興りつつあります。これまで一部の愛好者しか足を運ばなかった能楽堂に若者の姿が目立つようになったのは、喜ぶべきことなのでしょう。俄愛好者の多くは若手狂言師をアイドルのような存在としてとらえていて、彼等の出演が終わるとごそっと客席が空いてしまうので少々問題ですが、そんな観客のなかに能や狂言の本当の魅力に気付き、能楽ファンになる人もでてくるでしょう。

 ところでこの拙文を読んで下さる方々の中にもこの九割りに入りそうな人がいらっしゃるのではないでしょうか。それを少しでも減らすためには、ここで自称狂言師の私から狂言の魅力について書かなければならないでしょう。まず「狂言」とは喜劇です。ですから鑑賞すると楽しく観ることが出来るでしょう。しかし何も知らないで鑑賞するとその面白さは分からないのではないか、と言う先入観が邪魔をすることがありますが、全く予備知識など必要はありません。
 そう自信を持って言う根拠に、過去二回の海外公演と毎年うかがう保育園公演での鑑賞者が笑った事実があるからです。鑑賞者即ち、日本語の解るはずのない外国人や、0歳から5歳の幼児がその言葉と動きを観て笑ったのです。何故彼等が笑ったのでしょう。

 海外公演の場合、一応その国の言葉による解説が事前にアナウンスされますが、上演中は同時通訳などは入りません。日本通の観客ばかりが集まったと考えるのは余りに不自然だし、愛想笑いをする民族は私の知る限り日本人ぐらいなので、彼等は純粋に面白いと感じたのだろうと信じています。また幼児に至っては、気を使う事を知らないから尚更正直に面白かったのでしょう。ですから先入観を持っている方はまず一度観て頂きたい。それでもし楽しくなかたっらそれは貴方の心が病んでいるか、狂言がヘタクソだったのでしょう。

 荒っぽく言うと六百年程前にその原型が出来てその伝統を今日まで受け継いでいます。そのため台詞は当時の言葉をほとんど変らずそのまま使います。それで学生時代、古典につまずいた人には特に敬遠されるのでしょう。現代語とは多少違っても日本語です、難しい言葉など聞き流して観ているうちにストーリーは理解出来るはずです。古典は難しい、その先入観を拭切れない人でも絶対に楽しめます。

 狂言はお芝居ですから色々な人が登場します。例えば庶民の代表太郎冠者、その上司の主人、成り上がりの大名、商人、詐欺師、若妻おごう、中には蚊の精や鬼、狐などなど、といった人でない物まで登場します。それらの登場人物を通して人間社会の葛藤、問題点を風刺し喜劇仕立てで作り上げているのが狂言といえるでしょう。しかもその演出方法には全く無駄がありません。登場人物の身分によって装束は変わりますが、舞台の上では大道具は全く使わないし小道具も最低限度にしか使いません。観客の想像力が頼りです。  例えば「佐渡狐」(佐渡の国の百姓と越後の国の百姓が都に年貢を納めに行く道中出会い、雑談から佐渡に狐がいるかいないか言い争いになって、賭け事として都の役人に判断を頼む。佐渡は役人に賄賂を渡し賭けに勝つが、越後に狐の鳴き声を尋ねられ答えられず賭け物を奪われる)という狂言で百姓は肩に扇を担いでいるだけで年貢を持っていることを表現します。年貢の米俵や目録などは一切持たないでそれぞれ百姓が舞台に登場すると「まかりいでたる者は〜〜の国のお百姓でござる。毎年上頭へ御年貢をささげまする……」と名乗るだけなのです。

 初めは扇が年貢なのだという確証は持てないものですが、芝居が進むうちにそれが年貢に見えて来るから不思議です。また彼等は舞台を三周歩くだけでそれぞれの国から都に到着します。そのときの舞台背景は全く変りません。「イヤ!何かと言ううち都へ上り着いた」というだけなのです。台詞で言うことによって何もない舞台の上には、何処にでも行けるし、何でも出てくるのです。これには狂言師の技量も問われますが、何より観客の想像力が不可欠です。「イヤ!これに大きな薮がある」「イヤ!何かといううち早市場じゃ」「ハハ〜ッこれはよい庭じゃ」そんな台詞で狂言師は風景を作りだし、観客はそれぞれの感性に合わせた風景を想像するのです。芝居の原点、喜劇の原点が狂言なのです。
 小さい子供と遊ぶとき「ほら、ウルトラマンだ、シュワッチ」と言えば空を飛んでいるし「スペシウム光線ピーッ う〜やられた」といえばスペシウム光線でやっつけられたことになるのと何処か似ているのではないでしょうか。そんなピュアな心と想像力を持って狂言を観れると貴方は幸せに笑えるでしょう。それとこの何も無いのに全て整っている演出方法は、誰か知りませんがフランス人のパントマイムの役者が随分衝撃を受けたとも聞いたことがあります。

 六百年の間に服装は全く変ってしまいました。言葉も少し変わりました。しかし人の心はそれほど変わってないのです。ですから狂言に登場する人物は現代人にもあてはめて見ることができるでしょう。嬉しいことに登場人物は「広陵の赤坂」とはっきり人物を特定せず、「これはこのあたりに住居致す者でござる」というふうにどこの誰かがはっきりしません。「あの社長は成り上がりの大名そっくりだ」「この生徒はズル賢い太郎冠者のようだ」「となりの女性は妻恐の狂言「鎌腹」の女そっくりだ」と、登場人物に知人の姿が重なると尚一層楽しめる(身に詰まされる)ことでしょう。
 狂言の演出方法や物語は六百年掛かって完成されたものです。我々日本人だけでなく海外の人にも共通するテーマを持っています。ですから世界人類の無形文化遺産だと言っても過言ではないでしょう。そんな世界に誇れる日本の古典伝統芸能「狂言」を知らない見たことないとは、何とも勿体ないことだと思います。さあ狂言を観に行きましょう。

■(あかさか・ほうてき)1969年奈良県生まれ。大和座狂言事務所、神戸バロックアーツ所属。狂言を大蔵流狂言方、安東伸元氏に師事。これまでにウラジオストック、メルボルンでの海外公演の他、薪能などの能・狂言の催し、学校鑑賞公演に数多く出演。94年より狂言研究会を安東伸元氏の監督の下、毎月開催。音大でバロック・オーボエ専攻。バロック。オーボエ奏者としても各地で古楽アンサンブルや古楽オーケストラで演奏している。

■(編集部・注)「月例・狂言研究会」の今後の予定です。
4月09日(金)午後7時/狂言「墨塗」 ゲスト/落語家・桂蝶六
5月23日(日)中国古典武術舞踏「花架拳」 ゲスト/美濃千恵子
6月10日(木)新内語り入門U ゲスト/岡本宮之助
7月01日(木)津軽三味線とサックスとピアノ/音楽は時代と国境を越える/ゲスト/坪山健一(サックス・ピアノ・他)
      久保比呂詩(津軽三味線・ピアノ・作曲・ボーダレス音楽家)
詳細は下記の<大和座狂言事務所>にお問い合わせください。
〒565-0842 吹田市千里山東2-3-3  TEL:06-6384-5016 FAX:06-6384-0870




■映  画■

映画の人生、人生の映画

堀本和彦



 三月二一日の昼、出掛けようとして、昨夜、財布を落としたことに気づいた。玄関に散らばった財布の中のカード類を見て、それが財布から出たことが分かった。靴も片方無い。表に出て見ると建築中の隣の塀の向こうに落ちている。そこでピンときたのは、昨夜深酒して、帰宅した際、カギをカバンから出して、服のポケットに入れたとき、中に入れていた財布を知らずに玄関の外に落としたとろうという、感触に似た淡い記憶であった。しかし、なぜ靴があんなところにあるのかは理解出来なかった。
 またやってしまった、が第一感。財布をすられたり、カバンを落としたり、電車や何処かに忘れ物をしたり、これまで何度も経験した。経験して間なしは反省しきりで、暫くは二度目の過ちを繰り返さ無いよう、誘惑を押し止どめる効果が働くのだが、数カ月すると、また同じことをしでかしてしまう。交番に遺失物の届けとクレジット会社に紛失の電話をしたが、毎回のように失せ物出ずの結果に終わり、それでこの日も一日を棒に振ってしまった。
 昨夜の自分の行状をたどってみる。とぎれとぎれある自分の記憶を映像的に振り返って見るが、その断片はモンタージュされず、その一瞬ずつ点滅するように何処かに浮遊して意味を与えられず消えてしまう。巻き戻しも出来ない壊れた映写機のぼくは、財布の中身に託された自分の未来を暗澹たる思いでめぐらしてみる。金のことはさておき、この一カ月見ようとしていた映画の前売り券と金券ショップで買った招待券の類いを・・・。

 この一週間の間に11本の映画を映画館で見た。この映画を見るために要した時間は、正味1本2時間として22時間。しかし、移動時間を含めてきっとこの映画を見るために倍の時間は消費してるだろう。1週40時間制の労働時間と同じだけ僕は映画に費やしている。いや、映画に費やされてると言った方が当たってるのかも知れない。手当たり次第に映画を見ないと気が済まない。1本見たら、続いて2本目が見たくなり、そしてと・・・懲りないといったら良いのか。どうしても続いて見てしまうのだ。しかも、見た映画をすべて覚えているかというと全然そんなことは無く、ほとんど、忘れてしまう有り様。
 つい先日も、このクリストファー・ランバートの映画を見たはずなのにと思いながら、最後のところにくるまで確信がもてない自分自信にあきれてしまった。それも、ラストシーンで主人公が車で去って行くシーン、殺し合いの果てに最後生き残った主人公を見て、主人公は死なないっていうドラマの定石をいってるなぁと気づいて。あの時もそう感じたっていうことを今更ながら思い回らすのだった。

 映画は小説とかと違って読み返すことが出来ない。前へ前へ進んで行く時間の芸術である。これは音楽と近い分野で抽象的な感じはするが、作業としては非常に具体的にしかなし得ないことである。
 一片のショットは作者の意図があったとしても、見る者にとって意味を与えられず、浮遊して消滅する。前の映像を打ち消すように次の映像が続く、連続の無い連続性が映画だ。観客は一瞬だって映像の1コマを制止することは出来ない。それは一方的な強制に近い。しかも、フレームという枠が現実の作為的な切り取り方で示される。又、作り手と観客が同一時間、同一場所で居合わせることはない。

 それらを考え合わせれば、よほど観客にへりくだった映画でない限り、理解するのが難しいのが本当だ。観客に分からせるように作る。その技術を学ぶために教室の先生にしかられながら、現在の僕はシナリオの勉強をしている。
 しかし、それは観客に対して傲慢ではないかという気持ちが僕の中にあり、そのためか僕の書いた物は、教室ではいたって評判は悪い。どのように表現すれば観客に通じるのか、訴えることができるのかの勉強。よくわかるヨクデキタ作品を聞かされると僕はうんざりさせられる。いや、それすらも書けない僕のやっかみなのだろうけど・・・。

 僕の場合、作品の出来不出来は関係なく映画を見る。下手と思える作品でも必ず面白いシーンはあるので、つまらないと思いつつも最後まで見る。途中で捨てぜりふを吐いて席を立つようなことはしない。これまで何度も席を立ちかけた映画はあったが、そんな映画に限って二度見る機会があり、二度目に見たとき衝撃的な感動で打ち震えた経験だってある。だから、自分を100%信じない。特に分かり辛い映画だなと思ったときは、いずれ来る約束された感動に舌なめずりしたくなる。まるで修験者にでも成った気分があじわえるからだ。だから、僕の理解の及ばない全く手も足も出ない映画となると、まるで宿敵に出会った勝負師のように何度も映画館に通うはめになる。

 映画は千差万別いろんなものが公開されている。くだらないものや、ためになるもの、欲望をそそらせるものがあれば学術的な内容のもの。そのいずれも、視覚という人間の感覚に作用する。
 感覚はその時々の人間のその日の気分に左右される事もあれば、気分が感によって振り回されることもある。しかし、感覚なしには何も始まらない。人間は受けた感覚を意識化にして、それに意味を与えようとする。
 映画の中に引き込まれ、いつの間にか主人公の心の中に入り込んで、泣いたり笑ったりしている自分がある。その場合、見ている自分の意識は映画の中に溶解してしまっているだろう。

 反対に登場人物の誰の心の中にも入り込めず、映画の中の出来事をただ別世界事の様にそらぞらしく見ている自分もある。その場合、自分の意識は二人称的に確保されている。
 どちらかと言えば現実の世界の多くは後者の空々しさを受け取っているのが事実で、前者の感動的な出来事は作り物そのものに過ぎない。しかし、感動する自分の意識の有り様を考えたとき、意識の底につながっている現実感がよみがえってくる。
 映画鑑賞の醍醐味は、自分の意識の行きつ戻りつする風景を眺めながら、不特定多数の人と同時体験することにある。
 映画館は僕にとってストイックな自分と批判的な二人称の自分が出会うことの出来る道場である。そのために不特定の同行者が必要で、すいた映画館ほど寂しいものはない。

 今年も四分の一が過ぎた。無くした映画のチケットの事を思って考えたことは、この後どれだけ映画を見る時間を割き、それによって僕が何を得るかではなく、僕の時間は映画によって確実に奪われていくだろうということである。 今日も僕は、遥かスクリーン彼方から暗がりの自分の姿を見詰められるために映画館の扉を開けようとしている。

■(ほりもと・かずひこ)1950年前後生まれ。家電商品を作っている会社に勤める電機労働者。現在、シナリオの勉強中で、いくつか、何らかの形にしたいと思っている。




■anniversary考■

世代の幻想を生きる
―神戸空襲を記録する会―

富 哲世




 近年、異人館などに代表される神戸の街のエキゾチズム、ハイカラというイメージの定着は、明治期、治外法権区域として設定された外国人居留地の拡大、生活様式の周辺地域への浸透に端を発しているといわれている。

 神戸という土地は、もろい花崗岩からなる六甲山山系の麓に広がる扇状地である。淀川長治も子供時代に親しんだという、映画の街として大正、昭和初期に栄えた「新開地」も、山からの土砂の流出によって天井川となった河川の大掛かりな改修によって生まれた(新しく開かれた)土地だという。また現在の六甲山の姿も、当時はげ山が広がっていたところへの明治以来100年の植林事業の歴史の成果であるらしい。要するに神戸のもつハイカラさ(なんと田舎じみたぴったりな語感)とは、扇状地特有の人工性の上に築かれた、流砂のような浮遊のハイカラさ、その砂の性質ゆえに決して中心たりえないもののもつモダンさ、ときにその母体に秘境的な夢をも包含することのできる辺境的なモダンさである。そしてその砂上のモダンさとは、神戸のもうひとつの貌である災害と表裏一体である。

 もろい山を背負った扇状地であるという、神戸のこの地勢的な条件は天災、人為的災害の誘因ともなっている。昭和の時代に入って、神戸は三度の大きな災厄に見舞われた。1938年(昭和13年)の阪神大水害、1945年(昭和20年)の空襲、それに記憶に新しい震災である。

 神戸は昭和20年に入って、敗戦の日までに50回を超える空襲を受けたといわれている(原子爆弾の模擬弾も一度投下されている)。死者8000人、50万余の人たちが家を失ったという。なかでも被害が大きかったのが市街地の西半分が壊滅した3月17日と、東京大空襲を上回る3000トンの焼夷弾が投下されたといわれる6月5日の空襲。「神戸空襲を記録する会」は、炎の証言として神戸新聞に連載された「神戸・明石大空襲」をきっかけに1971年に有志によって結成された。以後毎年3月17日をメモリアルとして、活動の起点たるべき慰霊と行事の会を催してきた。

 震災以降3年ぶりに、ふと会に出てみたくなった。自分にかまけていたという以上に、何かにかまけていたという訳ではない。わたしがわたしにまぎれている切実さのなかで、懐かしさと使命感という会への思いが明るむまでに、それだけの時と、変化が必要だったということだろう。これはわたしの切実さの変容を、何よりわたしに明かしているのだ。

 今年は湊川公園内にある神戸タワー跡を始点に、3月17日の空襲の象徴となっている兵庫運河にかかる大和田橋まで、空襲跡をたどるウォーキングを開いた。約80名ほどの参加があったようだが、慰霊の会のあとの打ち合わせでは、若い世代の参加をさらに容易くするためにウィークデイを避け、日を3月17日近辺に、必要に応じて移動させてはどうかという意見が出た。だがそれでは、8月15日を人出をたのんで移動させられるだろうか、という反論も当然おこってくる。

 ことほどさように、ひとには譲れない区切りや意義が必要なのだ。悲惨さの記念館や資料館がわたしたちにとって有効なのは、そこで壊れた登場人物たちの壊れた物語りの顔がひとつひとつ見えてくるかぎりにおいてだ。

わたしたちがそこに悲惨さの壊れた物語を捏造できるかぎりにおいてだ。たぶんわたしたちのこの会にとって、今なによりも大事なのは(それはあくまでも今、という限定付きのことだが)、昭和20年ここで、この場所で物語の壊れた、今に生きる老いた者たち、そしてその無念さや、理不尽さを悲しみと怒りと恋しさで今に生きついでいるものたち、その有限な幻想の気持ち以外にはない(その幻想の種火が会の唯一の存在理由である)。それはたかだか三代の幻想かもしれないが、チョームカツイたり、キレたりする怒りや苛立ちの連鎖に席を譲ることのできないわたしたちが、身を低く、体を弱く、血の音に聞き入るようにその通時的な幻想に耳傾けようとすることは、いま共生の意味を考えようとしていることかもしれない。

■(とみ・てつよ)1950年代生まれ。神戸在中。詩誌「MELANGE(めらんじゅ)」同人・「カルチャー・レヴュー」編集委員。詩集『血の月』(蜘蛛出版)を上梓。





■編集後記■
◆先月は、知人の出版パーティーに2回ほど誘われましたが、その会場で出会った西谷民五郎さんから詩集『嗚呼花の機動隊』(土曜美術社・刊)をいただきました。私は、1948年生まれのこの詩人の思想遍歴を全く知りませんが、アイロニーに充ちた肉感的な言葉と、内省を経ない「半熟タマゴの正義」への苛立ちには強く共振しましたので、この場を借りてご案内します。 ◆巻頭の赤坂さんの文章にもありましたように、発行人も「狂言」を<生>で観たのは一度きりですが、舞踏などよりも敷居の高さをどうしても感じてしまいます。ヨーロッパの哲学者は来日すると、概ね「能」観劇にゆき堪能するようですが・・・。堀本さんの文章は、映画に憑かれてしまった「映画中年」の醍醐味と快楽の在り様が窺い知れます。富さんの文中の「ひとには譲れない区切りや意義が必要なのだ」という断定には納得でした。 ◆03号で加藤正太郎さんが取り上げた『性現象論』(勁草書房・刊)の担当編集者に本誌を送付したところ、礼状と本誌購読申し込みの手紙をいただきました。望外の喜びでした。 ◆3号雑誌に終わらずなんとか4号を刊行できたことは、編集委員をはじめ読者諸氏のご支援の賜と、発行人は深く頭をたれるのでありました。それから、題字のデザインを変えてみましたが、如何でしょうか。 ◆集会・催しの情報を適宜掲載いたしますので、情報を編集部までお寄せください。 ◆現在の配布数は、オンライン・オフラインを含めて約160名になりましたが、より多くの方々に購読していただきたいので、ご友人・知人の方々のメールアドレスあるいは住所をお知らせいただければ、送信・送付いたします。 ◆ご意見・感想・投稿をお待ちしておりますが、いまのところノーギャラです。



TOPへ / 前へ