『カルチャー・レヴュー』02号



■出  版■

前書評がなぜ必要か?

本の評価が前もって流通できるようにすること
ひつじ書房 房主・松本 功




 本が、あるいは本屋さんの店頭がもっとも早くて重要な情報が提供される場 所であった時代があった。本屋さんにふらりと訪れ、並んでいる本を見ること で最新の情報を手に入れることができる時代と言うものがかつてはあった、と 思う。

 たとえば,1960年代の終わり、公害が問題になり始めた時、マスコミや政治 はその問題をすぐに取り上げたわけではなかった。良識ある人々が、ミニコミ で取り上げ、また、本で取り上げ、それがしだいにマスコミに取り上げられる ようになった。マスコミが動き出すまで、数年はかかったのではないか? 原 子炉の問題も、そうだった。今のようにマスコミ自身がすぐさま放射能漏れの 問題を報道することは少なかった。

 そうした時代は、本の情報の価値は非常に高かった。本でしか、あるいは本 屋さんの店頭でしか手に入れられない情報と言うものが確かにあったのだ。こ の時代は、本は店頭で、売れることが充分、可能であった。本でしか手に入れ られない情報があり、それらはまた求められていたのだから。今はどうだろ う。ダイオキシンの問題にしろ、原子炉での放射線漏れにしろ、すぐに報道さ れる。また、インターネットで公開される情報の速さとは比較されることも不 可能だ。ここでは、本の最新情報としての価値は無い。

 また、近代化の過程では、情報は大学などからより進んだとされている知識 ・情報が、学ぶべきものとして上から流されてくる。啓蒙ということである が、みなが学ぶべきものが比較的単純な時代、右と左と言った見取り図が簡単 であった場合、本と言うものは近代の知識を得る象徴でもあったし、格好なメ ディアであった。

 しかしながら、そういった時代は終わってしまったのである。真に有益な情 報は、現場での試行錯誤にしかない。こうした時代は、店頭の本は、情報源で はなくて、まさに単なる消費財となる。

 ここで、二つの選択肢がある。消費財として本をこのままの時代の流れに放 置しておくか、あらたな知識財として再構築しようと試みるか、である。人文 書を、中心に考えるなら、後者しか選択肢は無いと言うのが私の考えである。

 では、具体的にどうするのか? 知識財生産の現場の問題とそれを流通する 問題がある。ここでは、後者の問題について触れる。それが、まさに前書評の 問題であるからだ。

 優れた思考が生み出されたとして、現状の書店の店頭、取次店の流通の考 え、あり方、読者の本の買い方。これらが、すべて旧来の考えに基づいて運営 されている。情報が正しく、誰でもが理解できるということだ。裏返していう と理解できないものは正しくなく、価値も無いということだ。これでは、真に 新しい思想が生まれてもそれを流通することができない。

 もっと謙虚になる必要がある。食べ物でも、飲み物でもあるように、目利と いう存在を作る必要があるのではないか。理解できないものがあるのは、当然 で、そのことはおかしいことではない。それを評価できる存在をきちんと制度 的に作って、できればそれはひとつだけではなくて、複数作って相互的に評価 し合うようにしなければならないが。

 目利きをきちんと育て、次に読者を作っていく。このことにしか、人文書の 未来はないのではないか? 一定の評判のある評価を本の情報とし流すことが できれば、本の生命は復活すると思うのである。

 そのための制度が、新しい書評のあり方、前書評というものである。これ は、 困難がある。ゲラの段階で、第3者に見せなければならない。現実には、かな り切羽詰ったスケジュールで進行している本の製作過程の中にそれを割り込ま せなければならない。編集者が、この必要性を理解できるか? プローモー ションという考えが、ほとんど無い世界のことである。習慣を作るところから はじめなければならない。また、書評子という地位が十分でない現在では、質 の伴った前書評を実現できるのか、という問題もある。たぶん、出てきた書評 と著者が激論を交わすと言うことも当然おきてくるだろう。そうしたもろもろ の様々なこと、それは現状の仕事にプラスされるものであり、今でも忙しい出 版人の負担に耐えられるだろうか。

 しかし、一方、基本的な問題は、プレビューが本つくりの中の工程として組 み込まれていないことにあるのではないか。欧米の出版人・編集人は、当然の こととしてこなしているのであるから。

 これは、今まさに考えていることである。まだ、煮えきらないところ、説得 力に欠けるところがあるだろう。ぜひ、ご意見をお聞かせ願いたい。

<ひつじ書房>
E-mail:isao@hituzi.co.jp
千代田区猿楽町-2-5(〒101-0064) TEL.03-3296-0687/FAX.03-5281-0178
ひつじ書房ホームページ:http://www.hituzi.co.jp/
書評ホームページ:http://www.shohyo.co.jp/
投げ銭システム:http://www.shohyo.co.jp/nagesen/

■(まつもと・いさお) 1961年生まれ。国文学の研究書を刊行する桜楓社(現、おうふう)を経て、 1990年 に言語学の専門出版社の有限会社ひつじ書房を創立。1995年に、学術 専門出版社として初めて自力でホームページを立ち上げる。専門書というマイ ナーな書籍を刊行している立場から、出版のあり方をとらえ直す試みを持続し ている。1997年には、書評のホームページを独自ドメインを取得して、運営を 開始し、最近では「T-Time」 をボイジャーと協力して販売したり、シェアテ キストのためのインフラとして投げ銭システムを提唱している。




■書  店■

無店舗の「六畳間書店」
書籍注文とかかわりつづけて

ヒントブックス 代表・山田利行




 かつて私も「読者」であった。永井明氏は『不良のための読書術』で、「読 者」 ではなく「消費者」と読んだ方がいいという意味のことを書いていた が、私も同 感できる部分があるので「消費者」だったとしたほうがいいのか もしれないし、当然だが、本屋になっても、私は一方で本の「消費者」であり 続けている。

 消費者であった頃は、注文した本がなぜ2週間も3週間もかかるのか不満 だった。それは14年前に遡る。だが今も本屋の店頭では「2,3週間、お待ち ください」と言われているようだ。本屋も取次(問屋)も出版社も厖大な費用を コンピュータや流通倉庫などに投入しているはずなのに。これは流通革命でな く、流通「管理」だなあと思う。コンピュータという利器の使い道、使い方の 哲学が違うのだと思う。

 ヒントブックスは「開業」当初より店を持たなかった、というより持てな かったというほうが適切だろう。たまたま平凡社と小学館の百科事典販売競争 が始まっていたときで、私は平凡社のほうが気に入っていたのでそれを勧めた ら意外と売れた。販売コンクールに入賞するぐらい売れた。それが功を奏した のだろう。取次(トーハン)から書店コードをもらい「正式な」書店になっ た。新規書店に本を売ることが取次の最大メリットで、ヒントブックスのよう な無店舗書店を認めることは例外のはずだったが、幸運に恵まれたというわけ であった。当時の取次担当者に今も感謝している。

 1986年暮れに家庭用FAXを購入したが、まだ20万円以上もしていた。本の注 文をFAXで、版元(出版社)へ直接送ろうとしたのだ。そしてFAX用の専用短冊 (注文書)を作成し、たとえば岩波書店に送ったときは、「急ぐものだけにして ください」と言われてしまった。角川書店は無視して捨てていた。深夜の電話 料金が安い時間帯でさえ、1通のFAXを送信するのに50円もかかっていた頃 だ。当時、電話注文でさえも、大手版元に直接すると、「取次の了解を先に 取ってください」と意味不明のことを言われたものだった。

 それから10年余。取次の作成する取引出版社名簿はFAX欄が充実し、版元へ の直接注文は今やどうぞどうぞである。FAXの機械は数万円で買えるし、KDDの 市外電話サービスを利用すればFAX1通を7円位で送信できる。隔世の感があ る。家庭にもFAX機器が普及し、ヒントブックスで受注する約7割はこのFAXに よる。

 版元へFAX注文すると、おおむね早い。おおむねというのは、ここが書籍注 文品流通の難しいところだが、商品アイテムや版元の性格次第だということで ある。その見極めを習得するには、数年の修業が必要だろうと思う。今、ヒン トブックスが確保している注文品調達日数の平均値は「5.4日」。発注日から 入荷日までの日数である。

 ところが、ある大手版元に電話注文して、いつ取次に搬入されるかと尋ねる と、「1週間後」の日付を言い渡されることは珍しくない。小規模の版元は、 今すぐにでも出荷したいという好感をもって対応してくれることも少なくない のに、大手版元は、中2日というのは当たり前である。流通上の約束事のため に多少の日数を要することを甘受しても、なぜ1週間もなのかと思ってしま う。本の消費者を「読者」と呼んで敬意を払っておきながら、出荷を1週間も どうして滞留させるのだろうか。

 前月あるいは今月出た新刊書を版元に発注すると、「品切重版未定」の6文 字をハンコで押して返されることがしばしば起きる。何の説明もなく。東京・ 名古屋・大阪周辺の大規模書店に恵まれた地域に住んでいる人は不便しないか もしれないが、田舎に住み、新聞広告を見てその日に注文した人が、希望の本 を手にすることができるのに1か月を超えるなんてザラ。その苦情がヒント ブックスに寄せられる。大都会ですぐに購入できた本の対価が1000円。1か月 以上待たされて払う本の対価も同じく1000円。再販制(再販売価格維持制度)の 定価とは何だろうと思ってしまう。

 大手出版社は、市場に出回っている商品の、後日の返品を恐れて供給過剰を 警戒している。それは大規模書店への重点配本であって、補充もまた大規模書 店に手厚いから、出版社の在庫はいつも品切状態。つまり、客注を引き受けら れないのである。

 書店への配本は「調整」という言葉を用いて、限りある冊数を分配するのだ が、大規模書店には手厚く、小規模書店には少なくするか、もしくは「調整」 という手段で客注であっても配本しない。これは、再販でいう「定価」の理念 を無視しているのではないかと、私は思う。なぜ、地方在住者のために、客注 のために、版元保留在庫を確保しないのか。おそらくそういうことを真剣に考 えないからだろう。つまり、本は消費物質の対象であり、販売利益を生む商品 にすぎない。私は、このことを肯定して受け入れる用意はあるが、本を愛し、 本が好きでいる人も多いことも事実で、出版社が私企業とはいえ、再販護持を 掲げる以上、出版社の都合だけで配本している今の出版流通には疑問を呈さざ るを得ない。

 ヒントブックスは、こうした書籍注文品をいかにして早く確実に調達できる かについて、およそ14年間かかわってきた。本の調達にかかわることは大変複 雑で、とても簡単には説明できない。出版流通の模式図をよく見かけるが、と てもそのような図式では説明できるものではない。

 読者といわれる本の消費者についても、健康な食品を求める消費者教育は あっても、本についての消費者教育なんて聞いたことがない。岩波の本はいい 本だとか、金田一の辞書ならいいんじゃないとか、根拠のない話はいくらでも ある。(岩波や金田一の本が悪いといっているのではない。誤解のないよう に)新聞に全面広告を出せる出版社もあれば、新聞広告はとてもとてもという 出版社も多い。そのことと、本の内容や質とは関係がない。それが本の世界の 特質だと思う。

 ヒントブックスは、レファレンスに重点をおいた仕事をしている。そして、 原則として会員制でもある(ビジター利用も可)。年会費は3600円。つまり、 継続的にコミュニケーションをとれる関係を保ちつつ、本の情報を届け、上述 したように本の調達をしている。無店舗書店だが、どこかの系列下にあるので はない。既存の書店から、店舗部分を無くしたそれだけの書店。だから、扱う 本の点数は、書店流通している全点に及ぶ。それを北海道から沖縄までほぼ全 国に点在する約400人と、海外邦人に届けている。従業員は私と妻だけの二 人。本の発送は小学生の子ども2人が手伝ってくれる。オフィスは家庭内。あ る新聞記者は「6畳間書店」と名付けた。

 読者と呼ばれる本の消費者が、本を欲しいと思ったそのときにすぐさま本を 届けることができるとしたら、知的生産の効率はグーンと増すだろうと思う。 知識意欲に応えることができれば、選挙の一票にも影響を与えるだろうと思 う。注文品流通をいつまでもないがしろにしているのは、愚民政策が今も延々 と引き継がれているという証左なのかもしれない。
 最後に、ヒントブックスは只今、会員募集中。来年早々にはホームページを 作る予定。

<ヒントブックス>
http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
E-mail:hint-yf@nifty.com
明石市西新町2-1-6-405 (〒673-0023) TEL.078-922-7671/FAX.078-922-1188

■(やまだ・としゆき) コンピュータは理学部で1年ほどさわった程度。以後独学。図書館学は文学部 で履修したが、大学は6年半で中退したので、司書の資格はない。開業以前に 書店勤務経験もなし。自然と人間が好きで、最近はリフレッシュのため風呂好 きにもなっている。自宅でつれあいと二人でヒントブックスを楽しくやってい る。2000年には50才になる。
■(編集部・注)山田さんたちが発行する会員誌「さーがす」(月1〜2回)は、顧 客との強力なコミュニケーション・ツールになっており、またレファレンス・データとしても保存価値がある。昨年、朝日新聞をはじめ業界紙で同店が紹介され、その評判はある地方書店が会員になったほどである。




■出  版■

あらがいと郷愁の街へ
――ある東京日記

まろうど社 社主・大橋愛由等




 旅は、ミニボトルに入れ替えたポルトガル産ブランデーをぐぃっと一杯呑み 干すことから始まった。

 11月16日(日)午後11時、大阪発東京行きのドリームバスに乗り込む。乗降 客の殆どは若者。中年はわたしを含めて数えるほど。わたしの周りには、コス プレの派手な衣装に着飾った少女たちが大挙して座っている。東京から大阪へ わざわざコンサートを見に来た帰りらしい。誰のコンサートだろうか。化粧も 落とさず、眠るつもりだ。座席シートの上から赤やら緑のカラーリングした髪 が飛び出ている。

「四〇を過ぎて、そんなん(ドリームバス)乗るなよ」と友人から冷やかされ る。新幹線で往復できればそれにこしたことはないが、なにしろ儲けが少ない 人文系出版社である。東京へ営業に行くのにも、少しでも交通費が安いほうが いい。一日で都心の大型書店を回るつもりなので、朝イチから動きたい。とこ ろが、午前6〜7時台発の新幹線は込んでいる。殆どがビジネスマンで占めら れ、戦場に向かうようなあの独特な雰囲気の“軍用列車”に乗りたくない。わ たしは夜行バスのなかでも平気に眠れる神経の太さなので、好んで利用してい る。

 東京駅へは、朝の7時15分に到着。このバスの面白いところは、乗車しなが ら近代日本の歴史をなぞることが出来るということだ。東京駅へ行く途中、 霞ヶ関の官庁街を突き抜ける。日本国の中枢部。近代日本をまがりなりにも リードしてきた国家の頭脳部分である。そして東京駅。ここは日本という国 の、鉄道メディアを初めとした、人・物・情報の中心といえるところ。

  バスは、しかし、そこが終着ではない。乗客の半数近くを乗せたまま、東京 ディズニーランドへ向かう。かしこは、徹底的にアメリカナイズされた戦後の 日本社会におけるシンボル的存在であるといえよう。わたしは、出発するバス を横目に見ながら「米軍の基地がいっぱいあるウチナーよりも、基地も米兵も 少ないヤマトのほうがアメリカナイズされているさー」との沖縄の友人の言葉 を思い出していた。

 今回、東京に来たのは、新刊二冊を宣伝するため。『花はいろ―小説とはず がたり』大垣さなゑ著と、『サマサママレーシア』高沢栄子著。気付けば著者 は二人とも女性である。池袋から、高田馬場の書店をまわる。昔この高田馬場 近辺にはジャズ喫茶が多かったが今はどうなっているだろう。ジョン・コルト レーンのLPレコード全目録を作った喫茶店も行ったことがある。

 正午、三省堂書店本店の1階ロビーで知念榮喜氏と会う。文芸コーナーに棚 挿しされている『ぼくはバクである―山之口貘keynote』を著者に示す。出版 社としての面目がたつ。知念氏は沖縄出身のH氏賞詩人。地元・沖縄では琉球 新報社が主催する「山之口貘賞」の選考委員を、あしみねえいいち、吉増剛造 両氏とともに務める。

  二人は出版の反響や沖縄の動向、詩人たちの活動などを情報交換。入った喫茶 店は、三省堂本店裏の「ラドリオ」。40年以上の歴史がある店だそうだが、失 礼ながら阪神大震災級の地震に見舞われたら、一瞬のうちに瓦解するだろう。 かつてこの界隈に、創業期の『ユリイカ』(青土社)や思潮社の事務所があっ たという。

 吉増氏の話となり、彼が折口信夫の大阪における足跡を踏破したという情報 を聞く。私の方から、去年、折口の母の出身地である能登半島の気多大社周辺 に行った時の感想を語る。――能登半島の西海岸一帯は、どこまでも真っ直ぐ に伸びる海岸線(千里浜)が続く。冬の強い西風を受けて、海べりの松が一様 に東に傾いている極めて直線的な風景である。この松の傾きが、海の方角から のベクトルを顕わしていると読めなくもない。折口は、母の里に好んで通った らしい。こうした直線的で自明性豊かな光景の中から、なにか(例えばマレビ ト)が海から来訪することを視覚的にも実感したのではないか。また、折口の いう“妣の国”とは能登の海の向こうにある始源的な世界をイメージしたので はないか――などと話す。

 さらにわたしの方から、今年8月、スペインの詩人であるガリシア・ロルカ の生誕100周年を記念して、ファシストたちによって銃殺された日(8月19日・ 1936年)を選んで、ロルカ詩祭を神戸で行ったことを報告。詩祭の1部はロル カ作品の朗読、2部は、朗読詩人たちによるロルカ的世界に委ねた自作詩の朗 読といった内容であった(出来れば、毎年この“ロルカ忌”に詩祭をやろうと 思っている)。2部に出演した8人の詩人たちの自作詩を「8月19日詩集」と名 付けた詩集の形で残し、それを知念氏に渡す。わたしは詩人ではないので、俳 句を書き下ろし、誌面参加した。知念氏は、わたしの俳句を気に入ってくれて いる人で、「早く句集にまとめればどうですか」といってくれる。その言葉が 嬉しくて、来年あたり第一句集をだそうかと思い始めた。

 知念氏からは、次の詩原稿(『詩集・あけもどろ』)の決定稿を頂く。氏の 第四詩集にあたる。前の詩集『滂沱』(まろうど社刊)は地球賞を獲得。毎日 出版文化賞は最終候補まで残った。知念氏の詩集は刊行するごとになにか賞を 獲得しているので、次作も楽しみである。

 知念氏と別れ、書店営業。新刊が出ると、地元関西の三都市と東京の書店を 巡ることにしている。東京についていえば、阪神大震災を経験してからという もの、関西=神戸に根を生やすことをよりさらに決意したので、いまさらこの 他郷に住むつもりはなく、日本の中央だからといってまなざしを向けることも ないのだが、日本国内で書籍の半分以上が東京地域で売れるという現実を前に すると、マーケットとしての巨大都市を無視するわけにはいかない。わたしの 東京営業も実は震災以降に定着させたもので、せっかく生き残ったからには積 極的に生きてみよう、と思い定めたことから行動していることのひとつだ。

 まろうど社はかつて『幻の琉球―トカラ列島』(尾竹俊亮著)という紀行 エッセイを刊行している。この本はわが社のロングセラーのひとつで、棚に並 べてくれている書店は多い。二刷で帯文に椎名誠の書評文を載せていることか ら、数多くいる椎名ファンも買ってくれるのである。この本の著者・尾竹氏 は、東京生まれの東京育ち、東京在住の編集者。そしてこの本が売れているの は、主に東京である。いってみれば「東京人による非東京本は、東京で売れ る」とでもいえようか。東京という都市は面白いところで、非東京エリアから の東京に向けた求心力は根強いものがあるものの、同時に東京在住者の非東京 エリアに向けた遠心力もあなどりがたいものがあるように思えるのだ。

 夜は、商社に勤める義兄と台東区の「三ノ輪」というところで呑む。この辺 りは、都心に近いのにもかかわらず、下町的な雰囲気が残っている。地域社会 がまだ機能しているのだろう。家(個人宅)、マンション、アパート、商店、 工場などの入れ込み具合をみていると、大都会特有の非人称的なところが少な いように思えた。生まれて初めて訪れた異郷の街なのに、懐かしさを抱いてし まった。

 どうしてだろう。
 永年にわたって蓄積されたものが壊れていないことへの哀惜の情と説明すれ ばいいのだろうか。

 わたしが住む神戸市東灘区のJR摂津本山駅の南側は、震災によって多くの 家・屋敷が壊れ、生き残った友人・知人も少なからずこの土地を去り、地域社 会が大変貌してしまった。その後、屋敷跡には、賃貸マンションが建ち、個人 住宅跡には、ワンルームマンションや、24時間営業のコンビニが進出。“住宅 地”から“街”となってしまった。その変化を責める資格はわたしにはない が、あまりに急激な変貌に、わたしの心はついていけていないのである。

 義兄と夜遅くまで呑みあかし、翌朝新幹線で関西に向かった。神戸に帰って からは、東京でついた“癖”に数日間悩まされてしまった。エスカレータに乗 る時、左側に寄ってしまう“癖”である。

<まろうど社>
http://www.warp.or.jp/~maroad/
E-mail:maroad@warp.or.jp
神戸市東灘区本山中町4-14-19(〒658-0016) TEL/FAX.078-412-2631

■(おおはし・あゆひと) 1955年、神戸生まれ。新聞記者、出版社勤務を経て、1990年、図書出版まろうど社を設立。現在、神戸市在住。著作に『阪神大震災と出版』(共著・日本エディ タ−スクール刊)。同社では定期刊行物として奄美研究誌『キョラ』を発行。 なお三宮・スペイン料理店「カルメン」のオーナーでもある。因みに、氏の名前 は「博愛・自由・平等」に由来しているとか。
■(編集部・注)東京ではエスカレターに乗る際、右端を空けるが、関西では左 端を空けることが慣例になっている。最近この<文化>の違いがニュースとして話 題になった。読者の街では、如何ですか?




■風  俗■

ダイヤル日記 「某月某日」

投稿者Q



某月某日

 ツーショットダイヤルで出会ったOL(23歳)が「私なんかなんにも夢ない ねん」とつぶやく。毎日がどきどきしてたらそれでええやん、と既婚の35歳 (妻と別居中)は応えている。

 短大を卒業して3年目、金曜日はカジュアルデーになる商社に勤めていて、 おじさんたちがみんなゴルフスタイルになるのがおかしいねん、若い子に声は かけられるけど別れたときややこしくなるし、つきあってるのもやっぱりばれ るし、と165センチ48キロのスーツの似合う(にちがいない)彼女は言ってい た。

 つきあっていた彼と別れて2ヶ月。束縛されるのが嫌やった。「友達と買い 物行ったり、ほかの男の子と飲みに行ったり、やっぱりしたいやん。それをい ちいちどこ行ってたんとかしつこい」。せやけど別れるときはちょっとは勇気 いったやろ、寂しくなるかもって。「それは思たけどしばらくは遊ぼうかなっ て」。

 一度だけ会おうか。「ええよ」。明日は?
「あしたはあかんわ。約束あるし。せやけどなんで一回だけなん」

 サクラの可能性も捨てきれない。23歳というのも確かめようがない(短大を 出て3年目というのはつじつまがあっているけれど)。165センチ48キロとい うのは虚像で、彼との別れ話もフィクションかも知れない(僕の35歳というの もサバよんでいるし、本当は独身だから妻とも別居できない)。

 けれど、見知らぬ(ほぼ確実)、若い女性(たぶん本当)の「なんにも夢な いねん」に気持ちがひっかかってしまう。それにこのメールマガジンで知った 田中俊英さんの「夢」の話。

> サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」という小説がある
> でしょう? あの主人公のホールデン・コールフィールド
> の夢が「ライ麦畑で遊ぶ子どもたちが崖から落ちないよう
> 見張っておく」仕事をするというもので、僕は高校時代、
> これを読んでいたく感激したのだ。
(編集部・注/「カルチャー・レヴュー」01号のドーナツトーク社代表・田中俊 英さ んの文章より引用)
「仕事何してんのん」から始まるのがツーショットダイヤルの会話。
「子どもが落ちないように見張る仕事」
「カッコええやん(ええ仕事やなあ)」
てな出会いはないのだろうか。いつかそんな話を書きたい。


某月某日

「もっと泣かしたろか」。このときのタイミングが忘れられない。

 つきあって半年、好きで好きでたまらない若い男(6歳年下)がいる。忙し くてあんまり会われへんけど、仕事(最近始めた)に真剣になっている彼が好 きやし、「ほんまに頑張り屋やねん」。

 邪魔したらあかん思て、電話もできるだけせえへんようにしてる、と28歳の 彼女は言った(我慢できずに職場に電話したこともあるけど、やっぱり場違い いうの、不機嫌にさしてもて悪い気がした)。

「会いたい会いたい言うて困らせたくないねん」

 ほんまは言いたいんよ。

 けなげに連絡を待っている。そんな彼女に男は言う。 「お前が寂しく待ってる思うと落ち着けへん」

 そんな自分の気持ちがうっとうしいって言うねん。

 いったい私はどうしたらええ、いうのん。

(いろんなこと思い出してしまうけど)相手のことが自分の中にたまっていく いうか、そんなことってあるなあ。それって時におもっくるしいねん。せやけ ど口に出して言わへんやろけど(ほんまは口に出して言わなあかん)、気持ち のどっかで感謝してんねん。

 一緒に住んでた時かて(これは別の人との話やけど)、友達と飲んでて、 待ってるやろなあ思たらそれがうっとうしなって、わざと朝帰りして家の近く まできてんのに、顔会わすのがしんどいから喫茶店で時間つぶしたり。

「私は、ほんまに、時たまでもええねん。おもっきりだきしめたいねん」
「なんか泣けてくるはなしやなあ」
「もっと泣かしたろか」

 彼、障害者やねん。

「いつかつながれへんかなあ思て、車椅子乗ってる人に。それでいつもこうい うのに電話してたんよ」
 いつか彼女の話を、書きたい。


某月某日

 僕は電話が苦手である。だいたい人と会っていても、雰囲気になじんでこな いうちはうまく話せない方だから、突然会話を始めることになる電話は、どう 切り出したらいいものか、いま都合が悪いんじゃないかと逡巡し、ついつい酒 瓶に手が行ってしまう。

 手紙も苦手である。書こうと思いつつ1ヶ月やそこら経ってしまうのは しょっちゅうで、実際に書くのに丸何日、それに自分の字の下手さかげんに嫌 気がさして清書し直したりしなければならない。

 だから、るな工房房主が「カルチャー・レヴュー」01号で、
> <メール文化>は、電話と手紙を統合して進化した文化
> といってよいだろう。両方の長所を併せ持ち、その手軽
> さは抜群である。
 と言っているのだけど、僕の場合、電話と手紙が統合されたりすると、「手 軽」 どころか、とても困ってしまうのだ。

 ただここで「両方の長所」と言われているのは、電話のスピードと手紙の再 読性のことで、「手軽さ」というのは、速く、安く、沢山の人に一度に送るこ とができるという意味だろうから、この引用の仕方は間違っている。

 とにかく僕の場合、メール文化の利点は、都合の悪いときは相手をされなく てもいいということと、自分の字を気にしなくていいということになると思 う。

 けれども、返事が遅いという欠点はそのままだし(松下竜一さんだったか、 鶴見俊輔さんだったか、間髪入れずに返信が返って来るという話を聞いたこと があって、それはもう人格の問題で僕なんか一生無理だと思った)、当たり前 だけど、素面では人とくつろいでしゃべることができないという弱点は、少し も解決しないのだ。

 そこでツーショットダイヤル文化への挑戦(かなり強引)となったわけだけ れど(もちろん下心あり)、実はこれ、性格的弱点の克服にはつながりそうに なく、匿名性と、いつでも会話を切れるという「手軽さ」が、嘘とシンジツを 編集している世界のようなのだ。

 全くのディスプレイ汚しになってしまうかもしれないのですが、
> しかしこの手軽さと内容の密度が如何に拮抗し得るかは、
> これからの<課題>としたい!
 と思うのです。



■編集後記■
◆目出度く02号の刊行となりました(拍手)。出版界でご活躍の三名の方々にご執 筆いただき、加えて投稿原稿を掲載いたしましたので、房主の原稿は今回は控え ました。◆創刊号の「メール通信」のタイトルを変更して今回よりより「メールマ ガジン」とします。◆現在の配布数は、オンライン・オフラインを含めて約150名に なりましたが、より多くの方々に購読していただきたいので、ご友人・知人の 方々のメールアドレスをお知らせいただければ、送信いたします。◆ご意見・ 感想・投稿をお待ちしております。採否に関しては編集部一任となります。この間、読者の方々よりいただいたお便 りは、来春立ち上げるホームページに掲載する予定です。この場をお借りして、 お礼申し上げます。◆集会・催しの情報を適宜掲載いたしますので、情報を編集 部までお寄せください。



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