下品な島へのアレゴリックな異和
――村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』覚え書――

森 ひろし

 烈夏の去った初秋、麗らかな陽ざしに身を浸しながらものぐさな一日を過ごす。世間の喧噪を一瞬忘れ、あるいは見て見ぬふりをすることはさほど難しくない(パチン、OFF)。きのうとなにひとつ変わることのない今日。同様にまた、今日と変わらぬあしたがやがて巡り来る。僕らはそれを久しく疑わずに済ませてきたのだ(あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない)。けれども、そのとき今日を挟んだきのうとあしたの狭間に微かな異和が忍び込んでいる。それだけではない。ほんとうはこの足下に死と廃墟の闇の世界がぽっかりと穿たれているかもしれないのだ。そこで僕は本を閉じ、思わず耳をそばだてる。声にならない声が、言葉にならない言葉が、聴こえる者の耳には聴こえてくるかもしれないから(それは、雲雀のフライト・ソングだろうか。それとも、もしやあのギイイイイイという音が……)。
 たぶん20世紀の95年目の年を、僕らが先々で特別な感慨をもって回想するであろうことは間違いない。即断するのは早すぎよう。しかし、この年の精神的体験(否、少なからぬ人々にとっての実体験)は、あたかも気まぐれな神の差配によって刻印された敗戦50年のスティグマのごとく、僕らの記憶にすでに刻み込まれてしまったのだ。第3部でひとまず完結した村上春樹の8番目の長篇『ねじまき鳥クロニクル』は、このような年の文学的な記憶として書かれたのだろうか(まさか)。

●グロテスクな肥大
 ある日、失業中の〈僕〉に見知らぬ女から電話がかかる。それを皮切りにおかしな事件が続発する。飼い猫が行方不明になり、妻との一見なんでもない諍いが、不吉な波紋を広げる。占い師の姉妹、近所に住む不思議な少女、ノモンハン事件の生き残り老人が〈僕〉の前に現れる。やがて妻が失踪、政界進出を企てる妻の兄がこれに関与していることがわかる。義兄を〈僕〉は憎悪の対象として認識する。次々に起こる異変に対して〈僕〉はノモンハン事件の生き残りだった老人の体験にならって、井戸の底に降り、異変の奥に潜む〈なにか〉について思念を凝らす。やがて妻との齟齬の淵源が何年か前の妻の妊娠と堕胎であったことにつきあたる。妻から手紙が届き、別の男との交渉が触媒になって〈僕〉との生活が破綻したと告げられる。井戸のなかで〈僕〉は、夢とも妄念ともつかない異世界へ移行するようになる。クレタ島へ行って出直す企てを放棄し、妻をとり戻すために〈僕〉はこの場所に留まろうとする。……
 ここまでが昨年発表された第1部と第2部だったが、完結編にいたって、いよいよ奇々怪々の様相を呈してくる。オカルティックな治癒行為に従事する母子に出遭った〈僕〉は、その仕事を手伝うことで義兄と敵対的な関係に入ってゆく。コンピュータに入力された半世紀前の中国人虐殺の物語を読み、ノモンハンの生き残り老人の収容所体験に接したりもする。ついに〈僕〉は妄想の世界のホテルの部屋で、電話をかけてきた女が失踪した妻(?)であることをつきとめ、義兄の側の敵対者(?)とバットを武器にたたかい叩き伏せる(というように読める)。その妄想の実現であるかのように、現実の世界で義兄は妻に殺されてしまう。〈僕〉は収監された妻の帰還を戻ってきた猫とともに待つ決心をする、というところでこの小説は終わる。……
 カフカの『審判』や『城』のごとく、逃げ水のように先延べされる謎を追ううち、物語は終わってしまう。妻のクミコがなぜ失踪したのか、綿谷ノボルが駆使する力とはなにか、といった主人公・岡田トオルをめぐる〈謎〉はついに〈謎〉のまま投げ出される。たぶん、作者にとってさえ〈謎〉は分明には解き得ないものであって、この一篇はあらかじめ結末を予定して書かれたものではなかろう。解答を与えようのない〈謎〉であるがゆえに、それらは作者にとって小説を書く根拠だったのかもしれない。むしろ村上春樹は終着点を空白に置き、あてどなく書くことに身を委ねてみようとしたのではないか。完結性のある物語を書き続けてきた村上の作品は、この作品へ来て、作者自身にさえ解けない〈謎〉のために異様なほどグロテスクな肥大を余儀なくされてしまった。

●オカルト・暴力・歴史
 『ねじまき鳥クロニクル』は、既知の村上作品からの連続・継承よりも、あえて断絶・逸脱に向かおうとする作者の意志を告げているかのようである。
 たしかに、この作品には読者にとっては馴染みぶかい主題(シーク・アンド・ファインド、隠蔽された三角関係、二元的世界の往還物語)が、こなれた方法で、お定まりの小道具の変奏をともないつつ繰り広げられている。登場人物の名前の付与の仕方、井戸やホテルというメタフォリックなトポス、非現実の鳥や動物たちにいたるまで、デビュー作『風の歌を聴け』からの読者にとっては、既知の言語空間の延長上の世界でもある。
 けれども、この作品には以前の長篇の世界から逸脱しようとするなにかがある。あるいはまた、ここ数年来の『パン屋再襲撃』や『TVピープル』に収められた短篇から兆しはじめた村上春樹の微妙な変化がはっきりと形をなして顕われた、とも感じられる。小説のなかの世界の平穏であるべき〈僕〉の日常生活を侵犯し、撹乱し、親しいものを拉致し去ったなにかが、同様に作者を襲い、小説の結構までをゆさぶっているのだろうか。挟みこまれているいくつかの異物のようなものを取り出すことはたやすい。
 まず〈オカルト〉。占い、壁抜け、仮縫いと称する治癒行為など、全篇にオカルティズムが溢れている。だが、これは村上の近年の短篇に顕著なホラーもどき、非現実世界のひとまずの集大成と言えるもので、当然こうなるだろうという予想はあった。この作品でより顕著なのは〈暴力〉と〈歴史〉という異物だ。
 〈暴力〉。あるいは村上らしからぬ激情と言ってもよい。村上作品の〈僕〉がバットを握って渡りあい、人を殴り倒すような激情的な描写を、僕らはついぞ目にしたことがなかった(もちろん人間の皮を生きたまま剥いだり、中国人をバットで撲殺したりということも)。しかし、一見受動的な主人公の潜在意識には〈暴力〉を誘発しかねない苛立ちが、もともと秘められていたのではないか。むしろそういう情動をあるときから封印してきたのではないか。あるいはそこに主人公の受動性の真の意味がこめられていたのではないだろうか。現に『羊をめぐる冒険』で、〈僕〉が羊男の前でいきなりギターを叩き壊すシーンを読んで、そんな想像が脳裏をかすめたことがあった。村上は、封印を解いて、主人公に〈暴力〉を駆使しても現実の世界にコミットさせようとしているのだろうか。
 〈歴史〉。ここで語られている〈歴史〉は、もはやかつての作品にちりばめられたジョン・F・ケネディやレーニンといった頻出する記号の一つではない。『羊をめぐる冒険』で羊博士が物語る満州国の話はある種の原型のようだが、その程度のエピソード的なものでもない。むしろ、それは歴史認識(事実)ではなく、なかば集合的無意識のようにデフォルメされた日本人の民族的記憶とでも呼ぶべきものだ。ともかくここにはノモンハン事件・満州国崩壊・中国人処刑・引き揚げ体験・シベリアの収容所体験などの記憶が、村上春樹自身の言葉で書き綴られている。これもずいぶん冒険であるように思える。
 〈オカルト〉は現実世界と仮想世界の、〈暴力〉は仮想世界と記憶世界の、そして〈歴史〉は記憶世界と現実世界の、それぞれの境界を溶解させ、主人公を越境させる。かくて〈僕〉は謎解きと失われたものの奪回をめざして、意識から無意識へ、さらに集合無意識へと三つの領域を経巡ることになる。ねじまき鳥・井戸・青いあざ・バットは、それらの場所を繋ぎ、一つの物語へ封印する機能をはたす象徴記号であるかのようだ。

●オウム事件の喧噪のなかで
 僕はことさら文学作品を寓喩とみなし、現実世界に還元してその「意味」を読み解くといった読み方が正しいとは思わない。しかし、作家もまたつねにこの世界に内在し、その空気を呼吸している。その交渉のうちに異和を抱え、そこに生じる間隙を補填したいという衝動を無意識裡に言葉に閉じ込めてしまう。それを理念へ昇華することを禁じるとき、作品は生まれる。さらに言えば、文学作品のそういう機制こそが、読み手の共感を引き寄せることをも可能にする。かつて「完全な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という最初の一行を書き「今、僕は語ろうと思う」と書き記して、一種の自己回復の企てとして小説を書きはじめた村上春樹は、とうとう自分の抱える異和とはっきり向き合い、そこに言葉を与えようとしはじめた。そこにどんな現実世界が映ってしまったのか。
 読みながら誘われた連想は、次のようなことだ。一見平穏に見えた生活から連れ合いがドロップアウトして戻って来ない。「もうあなたとの生活は終わったのです。私のことは諦めてください」というのが寄越されたただ一つのメッセージだった。よくよく思い返せば、平穏な生活のなかにも異和の兆しがない訳ではなかった。しかし、連れ合いを呪縛しているらしい影の世界のパワーが見え隠れしていて、これを抜きにして妻の家出はあり得なかったようだ。こういう状況に直面したときに、人はどのように振る舞うだろうか――これが作者によって提示されたモチーフの一つだと受け取っても、差し支えはない。だとすれば、これは昨今僕らに馴染みとなった(否、少なからぬ家族にとっては実体験となった)あの「出家」をめぐる家族の問題と重なってしまう。このシチュエーションを設定した作者は、主人公を井戸に潜らせ、ひたすら思念を凝らして異世界へと超越させたり、あやしげな治癒行為をさせる。つまりオウム教で言うところの「アンダーグランド・サマディ」や「シャクティ・パット」のようなオカルト的行為に走らせるのである。あるいは、バットを振りかざしての暴力沙汰に訴えさせてもいる。離れ去った者を取り戻し、この世界でもう一度ともに生きることをめざして、一見無力ともいえる戦いを試みさせるのである。これは、あの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』からさらにもう一歩すすんだ状況設定にもなっている。
 僕の連想はこじつけのように聞こえるだろうか。もちろん、作者は現実の事件を下敷きにした訳ではなく、作品は社会問題化する以前から書かれている。たとえば、綿谷ノボルは少壮の経済学者でマスコミの寵児であり、叔父の地盤を引き継いで政界へ出ようとするような人物であって、例の教祖とはまったく似ていない。しかし、マスコミ的なものがほんとうはオウム教のある側面でもあり、出家した家族を奪回する手掛かりが同じオウム教の他の側面のなかに在るということが、作者の無意識の手わざをとおしてここに暗示されているのだ。
 繰り返すことになるが、文学作品は作家というある意味では特異な現実存在による、現実世界への異和の感受性が紡ぎ出す言葉の痕跡なのである。より大胆に言えば、この作品のなかにオウム事件情況を超克する手掛かりのようなものを聞き分けたいと念じて、僕はこの作品を読んでいた。出家した家族に対する振る舞いを自分の問題として仮定してみたとき、無批判容認、追いかけ入信、被害対策弁護団への結集など、いずれの道もすべて無力で無効ではないか、という思いを僕は抱いてきた。少なくとも、自分なら別の道を模索したい。マスコミによって過剰に、かつ単色で取り扱われた信者の家族の振る舞いのなかで、ただ一つ共感できたのは、小さな家内工場を経営している、高橋英利という元信者の父親の像だった。この人は、ひたすら自分の井戸に降りて「声にならない声、言葉にならない言葉」で高橋にメッセージを発信し、しかも高橋と不思議な仕方でアクセスしているらしいのだ。

●戦後50年の井戸
 以上は、あくまでもオウム事件を考えている渦中に完結編を読んだ僕の、まったく個人的な連想にすぎない。けれども、『ねじまき鳥クロニクル』において村上春樹が図らずも描いてしまったもの、それは戦後50年目の〈日本〉としか呼びようがない。たとえば、主人公・岡田トオルが綿谷ノボルに苛立ちながら語る、決してうまいと思えないこんな寓話にも表現されている。

 《どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。名前はありません。名前をつけるほどの島でもないからです。とても下品なかたちをした下品な島です。そこには下品なかたちをした椰子の木がはえています。そして椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。でもそこには下品な猿が住んでいて、その下品な匂いのする椰子の実を好んでたべます。そして下品な糞をするんです。その糞は地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。そういう循環なんですね。》

 下品なものは下品にしか譬えられないのかもしれない。だが、こういう不快な循環のシステムが〈日本〉の現在かもしれないという感覚を、近頃とみに感受してしまうのは確かだ。そして、読んでいる最中に、1964年頃吉本隆明が「日本のナショナリズム」で述べた次のような一節がふと脳裏をかすめていった――「井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている」。
 もっとも、30年前とずいぶん事情は違っている。井の外にもつべき虚像はすでに見当たらない(あるいは、虚像が虚像でなくなってしまった)のだし、そもそも村上春樹はこの作品をアメリカで書き綴ったはずである。むしろ、逆にした方が気分はぴったりする――「井の外の蛙は、井の中に虚像をもつかぎりは、井の外にあるが、井の中に虚像をもたなければ、井の外にあること自体が、井の中とつながって」いくのではないかと(つまり『やがて哀しき外国語』という訳だ)。
 以上はなかば冗談としても、確かにひとたび〈外〉に出てみなければ〈中〉へ降り立つことができないのかもしれない、という思いが僕にもある。ここに言う〈外〉とは、海外という地理的な〈外〉でもなければ、知識人の特権的な外部という意味でもない。たとえば半世紀前の日本人の記憶を現在書こうとすれば、侵略戦争や解放戦争といった規定に固執する理念だとか、謝罪・反省や名誉回復といった企ての〈外〉へ出ることによってしか文学的に形象化し得ないのではないか、ということだ。戦後50年目の現在を通過しつつ感受してきた漠然たる印象と、これはじつによく符合する。『ねじまき鳥クロニクル』第1、2部と踵を接するようなタイミングで発表され、現実にはありえなかった〈歴史〉を描こうとしたもう一人の村上の作品(『五分後の世界』)も、そういう〈外〉から〈中〉につながろうとする試み、またはそうする以外に〈日本〉とつながりを持てないという疎隔感によって書かれたもののように思える。

●予言する鳥の旅
 知られるとおり『ねじまき鳥クロニクル』は第1部と第2部でいったん擱筆され、1年後に第3部が完結編と銘打って上梓された。この断続は、作品の構成やストーリーの展開に反映されて、あきらかにひとつの転調という印象を与えており、作品全体を肥大化させてしまった。一例をあげれば、前編で作者によって一度埋められてしまった井戸が、後編では例の首吊り屋敷の登場によって再び掘り返さなければならなくなる、といった迂回路をたどることになる。未完に終わった長編『旅愁』における横光利一の悪戦苦闘を、僕は想起してしまう。 ところで、村上春樹がこの前編と後編のあいだにノモンハン事件の舞台となった中国・モンゴルの国境を旅していたことを、廃刊となった雑誌『マルコポーロ』に昨秋連載された「草原の中の、鉄の墓場」と題するエッセーで知った。遊学中のプリンストン大学の図書館で偶然手にしたノモンハン事件関係の書籍の群れ。それらとの邂逅によって、村上は「どうしてかはよくわからないけれど」第二次大戦に先立つこの「限定戦争」に子供の頃から惹きつけられてきたことを思い出す。これを契機としてこの長編は起筆され、さらに第3部執筆を前にして中国・モンゴル国境行に出発するのである。  この旅行記の冒頭で、村上はノモンハンにこだわる理由を次のように敷衍している。戦後我々日本人は先の戦争からほとんどなにも学ばなかったのではないか。そして、その戦争の悲劇は、じつは大戦に先立つノモンハン事件からなにも学ばなかったことに淵源するのではないか、としたうえで、
 《たしかに戦争の終わったあとで、我々日本人は戦争というものを憎み、平和を……愛するようになった。僕らは日本という国家を結局は破局に導いたその効率の悪さを前近代的なものとして打破しようと懸命に努めてきた。我々は自分の内なるものとしての非効率性の責任を追及することなく、それを外部から理不尽に力づくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするように単純に物理的に排除した。天皇制を消去し、そのあとに平和憲法を据えた。そしてその結果、我々は間違いなく近代市民社会の理念に基づいた効率の良い世界に住むようになったし、その効率の良さは我々の社会に圧倒的とも言える繁栄をもたらすことになった。/にもかかわらず、今でも多くの社会的局面において、僕らが名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は……なかなか逃げ切ることはできないでいる。……結局のところ表面を一皮むけば、そこにはやはり以前と同じような密閉された国家組織なり理念なりが脈々と息づいているのではあるまいか。》

 以下、当時の永野元法相の「失言」問題まで引いてこの記述は続くのであるが、ここでいう「自分の内なる非効率性」を文学の言葉としてどう取り出せるかということが僕の主要な関心であり、この文章の歴史認識・現実認識じたいが表現として妥当かということは、さして問題だとは考えない。正直に言えば、正確さを欠き、いささか古いと思える言葉も散見される。しかし、重要なのは、村上が書き留めた「果たして本当にそうなのだろうか」という異和の感覚ではないだろうか。あるいはまた「僕らの抱えているある種のきつい密閉性はまたいつかその過剰な圧力を、どこかに向けて激しい勢いで噴き出しはじめるのではあるまいか」という「なんとなく陰鬱な気持ち」の表白であり、「家電製品的な表層的な機能性」が失われたとき「我々はどこに向かうことになるのだろう?」という問いではないだろうか。
 世界と繋がることとは、自分の井戸をどこまでも掘り下げ、そこに降り立つことである。それ以外に道はない。この誤解を生みやすい指向性のゆえに、村上春樹を「自閉」の文学と評する人びとも少なからずいる。だが僕は、その屈折した回路のゆえに彼の作品に刮目してきた。
 この中国・モンゴル国境の旅行記でも、最後にそんな村上らしさの表白と遭遇することになる。村上は戦場跡で拾った銃弾をホテルのテーブルに置く。すると時間の座標軸が少しずつゆるんで壊れていく不思議な感覚に見舞われる。こんなものを持ってくるんじゃなかったと後悔するが「でももう遅い」。やがてホテルは突然の大地震に襲われる。……

 《真夜中に目覚めたとき、それは世界を激しく揺さぶっていた。部屋全体がまるでシェーカーに入れられて振られているみたいに上下に大きく振動していた。自分の手にさえ見えない真っ暗やみの中で、あらゆるものががたがたと音を立てていた。いったい何が起きているのか見当もつかなかったけれど、とにかくベッドからとび起きて、電気を点けようとした。でも激しい揺れのせいで床に立つことすらできなかった。僕はよろけて転び、それからベッドの枠をもってなんとかまた起き上がった。大地震がきたんだと僕は思った。それは世界中をばらばらにしてしまいそうなくらい激しい地震であるようだった。早くここからでなくてはどれくらい時間がかかったのかはよくわからない。でも僕はなんとか必死でドアの前まで辿り着き、手探りで壁の電灯のスイッチを入れた。そしてその途端に、振動はさっとやんだ。一瞬にして部屋はしんと静まり返った。物音ひとつしなかった。……/それから僕ははっと気づいた。揺れていたのは部屋ではなく、世界ではなく、僕自身だったのだということに。》

 村上が「生まれて初めて見た闇」「深く理不尽な」「根源的な恐怖」――それは数カ月後にほかならぬ彼の故郷の多くの人びとによって体験され、少なからぬ人命を奪い、傷付け、生の営みを根こそぎ破壊し尽くした力でもあった。その闇の力は、しかし外部からやって来るものではなく自分の内側にもともと存在したものだったと、村上は捉え返している。

●村上春樹の悪戦苦闘 
 またオウムの話に戻るが、僕が最も注目している幹部信者の一人である井上嘉浩(ホーリーネーム・アーナンダ)という被告の父親は、2年前に一冊の本を自費出版したという。『翔ける北満』というタイトルのその本は、満州事変にかかわった関東軍の一青年将校であった井上の祖父(作者の父)を描いたものらしい。この本をまだ入手していないため勝手な連想になるが、無垢で霊性が飛び抜けて高いがゆえにサリン事件をはじめとする未曾有のハルマゲドン計画の現場指揮官となったのかもしれない井上青年と、彼の祖父が担ったであろう満州での出来事との繋がりを、僕は〈歴史〉として想起せずにはいられない。そのとき、村上の作品中に、満州国の動物園の獣医を祖父にもつ無垢な青年・赤坂シナモンの創作という形で挿入される『ねじまき鳥クロニクル♯8』という物語の乾いた感触が蘇ってくる。
 僕自身の母方の家系もまた満州からの引揚者であり、伯父は関東軍の情報将校だったという。この秋、長命だった祖父が死に、僕はまたしても満州の話を聞く機会を永久に逸した。彼らは自らは黙して、決して語ろうとしない。しかし、祖父の末期の瞼の裏に映っていたものが、あの人工国家の最後の日の光景でなかったと誰がいえよう。それは自分の若い子孫には告白し得ない「罪」であったかもしれず、あるいは中国の人びとの前では箝口すべき「郷愁」であったかもしれない。日本人の記憶を僕らは現在、どう語れぱいいのか。どのように書き得るのか。
 『ねじまき鳥クロニクル』を書きつつあった村上春樹のなかでは、二つのものが戦っていた。その結果として、作品の中でも同様に二つのものが戦い、グロテスクな肥大を余儀なくした。親和的なものを紡ぐときのメルヘン的な手慣れたうまさと、それを引き裂こうとする二元論的な物語の力と。けれども、村上の真骨頂は、譬えていえばE・キューブラー・ロスが『死ぬ瞬間』において説いているような、隔離と否認があり、取り引きがあり、抑鬱と怒りを経て、受容に至る死へのプロセスの、その〈受容〉の瞬間を描くときであると思う。この作品のなかでは、間宮中尉の井戸の中の体験の記述であり、月光の中で裸身を晒す笠原メイの告白のくだりにそれがあった。
 二元論的価値観の失効の後に〈文学〉がどう生き得るのかを、作者は無意識の裡に模索している。そのゆえに、村上春樹は危うい地点にさしかかったとも言える。「癒し」とか「ボランティア」とか「ネットワーク」といった既知の理念に昇華されずにこの冒険が引き継がれていくことを、期待しつつ見守るばかりだ。

 この敗戦後50年目の年に、僕らは挟撃されるように、自然によって激しく疎外され、旧い市民社会の倫理からも逆襲された。にもかかわらず(あるいは、そうであるがゆえに?)〈文学〉という場処はかろうじて築かれ得るのだという確信のようなものは揺るがなくなった。震災の以前と以後に、あるいはまた、オウム事件の以前と以後に、一本の線が引かれる。ちょうどそのボーダー線上に『ねじまき鳥クロニクル』三部作は置かれている。それが、村上春樹の悪戦苦闘の痕跡をたどりつつ脳裏に去来した感慨だった。■1995.10/脱稿

■(もり・ひろし)フリーライター。1953年、神戸市生まれ。編集プロダクション勤務を経て、95年からフリーランス。



TOPへ