「思想の科学」大阪グループ・レジュメの一部から
「 それはソクラテスではない 」〜不在のデーモンについて〜 ■日 時:1999年7月24日 ■場 所:阿倍野市民学習センター会議室 ■報告者:村田 豪 〔0〕なぜFさんはベルクソンのソクラテス解釈に納得がいったのか 0−0 その場合、当初の「ソクラテスはなぜ《死んだ/自殺した》のか」という疑問は、どこに落ち着いたのか? (→二重化された疑問形に注意!) 0−1《前回の報告》
0−2 ソクラテスの「デーモン」とベルクソンの「直観」はどのように結びつけられるのか
0−3〈結論〉私の場合、この等号が直ちに「ソクラテスコンプレックス」を解消することはにはならない 〔1〕〈再掲〉「直観」とは何か 1−1 「哲学的直観」(『世界の名著53 ベルクソン』所収)を読んでみる
1−2 ベルクソンのプラトニズム(ソクラティズムではなく)
1−3 「直観」がプラトニズムへの合図だとしたら……
1−4 ドゥルーズに訊いてみる(『ベルクソンの哲学』所収「方法としての直観」)
〔2〕〈再掲〉「デーモン」とは何か(1) 2−1 ヘーゲルの場合(『哲学史講義』)
2−2 キルケゴールの場合(『イロニーの概念』)
2−3 ニーチェの場合
〔3〕「デーモン」とは何か(2) 3−1 デリダ/デリダリアンたちの見解(『散種』所収「プラトンのパルマケイアー」)
3−2 《パフォーマティヴ performative 》/《コンスタティヴ constative》 〜決定不能性について〜
3−3 「デーモン」成立の複雑な構造【資料B−1】
〔4〕なぜソクラテスは《死んだ/自殺》したのか? 4−0 「小説」としての『弁明』『パイドン』を読むことで、ソクラテスの死を受容すること 4−1 正しきソクラテス
4−2 イロニーのきつさ 「プリュタネイオンで労をねぎらわれるべき」という刑罰の自己提案 → 相当の悪意と見なすべきでは 4−3 落ちぶれたソクラテス(ニーチェに倣って)
4−4 〈リアリズム〉/〈非リアリズム〉 〜『パイドン』におけるごく短い二つのエピソード〜
4−5 諾辞のニュアンス
4−6 クリトンはいい奴 〜終曲のなかで〜 【資料B−3・4】
〔結語〕遺体を自分の名で呼ぶことを禁じたソクラテスなら「それはソクラテスではない」と言うだろう |