■第63回「哲学的腹ぺこ塾」(2006.06.04) ■報告:黒猫房主 ■テキスト:吉本隆明『最後の親鸞』(初版1976、増補1981)、親鸞『歎異抄』 ■参考文献:資料参照 1.吉本隆明の問題意識 <知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。その課題を最後の親鸞は「そのまま」やってのけているようにおもわれる。p15 2.方法としての<大衆の原像> 知識人が<知>の外部(大衆の原像)を繰り込むことによって、つまり、<大衆の原像>を契機として<知>の解体がおこり<非知>が自ずから立ち上がってくる(<知>から<非知>への自立を目指す)。(芹沢俊介による<大衆の原幻像>の理解、★資料参照) この方法を親鸞と念仏一宗(浄土宗)にあてはめるとき、宗教解体者としての「最後の親鸞」が立ち現れてくるという予感が、吉本にはあっただろう。 以下のように、仮に図式化してみる。 僧侶=知識人(知の前衛) 信者=知的大衆(疑似インテリ、自力作善=不徹底な倫理) 衆生=大衆(生活者としては「悪人」) 愚者=<大衆の原像>としての理念型、本願他力の極北として絶対他力でしかあり得ない存在、宗教にとって無縁な存在 非僧非俗=親鸞 cf;『歎異抄』における<善人><悪人>の解釈については諸説ある。 3「最後の親鸞」という位相 『教行信証』の論註にではなく、弟子たちに語るその折々の「喋り言葉」の中に潜む微かな思想として「最後の親鸞」が立ち現れてくる。 それは『歎異抄』や『末燈鈔』の語り手としての親鸞であり、<知>から転じて、寂かにそのまま(=横超という転位)<非知>に着地する思想(還相の言葉)として語る親鸞であるだろう。 だがそれは吉本が思い描く、可能性の中心としての親鸞ではないのか? 「往相」「還相」の言葉遣いは、本来の仏教用語からは離れた、吉本の独自な使用法である。「往相」としての<知>に対して、「還相」としての<非知>は比喩としての喋り言葉であるだろう。 4.<無智><非知>の位相 「愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。」p15 「<非知>と<無智>のあいだには紙一重の、だが深い溝が横たわっている。」p18 その愚者は、浄土の理念に理念から近づこうとする存在からもっとも遠いから、自分からはどんな<はからい>をもたない故に、絶対他力を媒介として信ずるより手だてはない存在である。 しかし同時に愚者は宗教にも無縁な存在(浄土教の形成する世界像の外にはみ出した存在)でもありうるとしたら、そのとき念仏一宗もまたその思想をその無縁な存在に肉薄するために「宗教の外」にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられた。(p18要約) つまり「宗教の内」に向けて閉じること(=宗派の求心性)の解体として、宗教の外部=愚者(<大衆の原像>)を繰り込むという吉本的課題を親鸞に読み込んでいるのではないか。 5.<わたし>が不信であることから<信>へ向かう理由 <わたし=相対的な存在>は、宗教的なもののなかに、絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞をみてしまうから信じない。(p18) しかし、それでもときとして絶対感情や宗教的なもの、または理念や死を欲する瞬間があるだろう。そのとき<わたし>は自己欺瞞にさらされない世界を求めようとする。 →相対的な存在であるが故に、切実な<わたし>は<信>を求める。 6.情況との応接 現実の悲惨な状況に対して諦念ではなく、親鸞の思想は「その精髄を挙げて飢え死ぬものをどうかんがえるのか、どうやって救済するのか、この現実をなんと心得るのか応じなければならなかった」p20 その回答が『歎異抄』の四条である。 <知>と自力作善による救済は不十分で不徹底であるから、「現世的な<はからい>とおさらばして浄土を択び、仏に成って、ひとたび現世的な制約の<彼岸>へ超出して、そこから逆に<此岸>へ還って自在に人々をたすけ益するよりほか道がない」p24 cf;「有限の慈悲」から「無限の慈悲」への選択。聖道門への厳しい批判(有限の慈悲を無限の慈悲と思い誤っている)←梅原猛 cf;親鸞が阿弥陀仏の誓願を辿ることができているかぎりにおいて、絶対知(仏、悟り)はまぎれなく現前しており、現世の境界の知の地平が虚仮であることが告げられている。←佐藤正英(『『歎異抄論釈』 Q:半端な社会改革は不全に終わるのだから、<世界同時革命>を真理=信とするようにも読めるではないか? 有限の倫理=共同体の道徳/規範……相対の関係としての自力作善(倫理主義)では限界があり不徹底。 無限の倫理=絶対知(解脱=涅槃)……絶対の関係として帰依すれば自ずからの倫理が生じるか? →自然法爾(★資料参照) 「衆生にとって<死>をこえた彼方へゆくことが、<生>の唯一の目的でなければならない? そんなことがありうるのか? ありうるかどうかはわからない」、しかし浄土へいっきょに横超を説くことは「異様ではあるが解決のひとつである。」p27←佐藤正英・説との対比 とはいうものの、飢餓と屍体の群の前で「浄土宗を浄土真宗へと転回させるための、執拗に試みをうけたといいうる。この試みは、現実世界が信心につきつける極限の問いであった。」p28 7.信心の内側からも<疑>が問われてくる 死後の浄土と称名念仏へのあいだに、人為的な疑問が立ち挟む。それへの回答として『歎異抄』九条が出てくる。 吉本は、「本願他力を本質としても、応えは二通りかんがえられる」と整理。 @浄土へ行きたい気持ちがおこってこないのは<自然>なことである。 そこで自己欺瞞を避けてなお、阿弥陀の本願を信じようとするならば、この人間の<自然>さを媒介にすることは必須の条件だ。 しかし、<自然>性を媒介にすると<信心>にゆくか<不信>のままであるかは決まらない。 そうだとすれば、念仏を唱える宗教的行為が無意味ではないのか。 A親鸞の応えは、人間の<自然>さではなく<煩悩>をもっているために浄土にゆきたい気持ちがおこらないのだ。 この<煩悩>もまた<自然>だという考え方はありうる。もしそうなら、この現実世界は、どこまでいっても相対的な世界にすぎなくなる。浄土への契機もなければ、絶対他力への接近もいらない。悩みは残る。飢餓も、死も残る。なぜならば、それも<自然>さにちがいないからだ。(p32) <煩悩>に注目するとき、この相対的な世界像はすこし揺らぎはじめる。 8.契機(業縁/機縁)の不可避性 そこで「歎異抄」13条が検討される。 人間はただ、<不可避>にうながされて生きるものだ。 偶然の出来事と意志によって選択できた出来事とは、いずれも大したものではない。 偶発した出来事とは、客観的なものから押しつけられた(=外圧)恣意の別名にすぎないし、意志し選択した出来事は、主観的なものによって押しつけられた(=内圧)恣意の別名にすぎない。 真に弁証法的な<契機>は、このいずれからもやってくるはずもなく、ただそうするよりほかすべがなかったという<不可避>的なものからしかやってこない。(p35) 受動性の不可避性から、必然性の世界構造(業縁)を洞察しえたところに親鸞の<契機>(業縁)は成立している。それを理解することで<自由>へと開かれる世界(解脱?)が開示される。(p36) cf;恣意性と<自由>の違い 9.浄土教理念への疑義 .しかし親鸞が、現世の中心にこの<契機>を据えたとき、「苦悩の旧里」である現世と「安泰の浄土」とが、称名念仏を媒介として直結するはずだという浄土教の理念は、疑義にさらされたとおもえる。(p36) @すべての<契機>は、ただじぶんにだけ固有な<不可避>さをもつが、他者にとっては<不可避>かどうかは非決定である。 A<不可避性>を深化してゆけば、<契機>そのものを解体せざるをえなくなる(すべてが必然ならば、媒介としての念仏はいらない?)。だから、<契機>そのものの解体とは<信心>そのものの解体である。 cf;<契機>は可能態としては非決定だが、現実態としては<不可避性>として出現する? ある事態が<不可避>として<わたし=相対的存在>に現れたとき、事後的に<契機>がそれとして見いだされる。念仏する(契機)から<信心>がおこるのではない。 <信>が定まったとき、おのずから念仏が唱えられる。 スピノザ、ライプニッツとの対比? →「面々の御計」「総じて存知せざるなり」→念仏思想の越境、絶対他力を相対化してついには解体の表現にまで至っている。 10.<契機>は構造であり、因果関係ではない 親鸞のかんがえた現世と浄土を結ぶ<契機>はひとつの構造であり、けっして因果関係ではない。 <称名念仏>も<浄土>の概念も、本願他力の絶対観念が支配する世界だけで存在するとしなければ無意味なはずである。(p40) cf;称名念仏と浄土との関係を因果的に考えるならば、本願他力(絶対他力)は相対的観念になる。 絶対他力という裏返された困難に耐ええないものに<称名念仏>も<浄土>も無縁である。しかし「愚者」はけっして絶対他力の困難さに耐ええている存在ではないが、もともと「御計」をもたぬがゆえに、即時的な<絶対他力>の実践者であるよりほかない存在である。 cf;方法としての「愚者」=<大衆の原像>、自力の徹底的な否定という困難! 自力の否定という行為すらが、すでに/つねに自力を含んでしまうではないか! →絶対他力を相対化する視点を含んでしまう。 <知>から<絶対他力=愚者>に横超するには、念仏を受けいれて信じようと棄てしまおうと「面々の御計なり」にまかせる。 →ここに念仏一宗を自己解体しようとする親鸞の表現が、位置している。(p41) cf;宗教的な垂直(上昇)の「超越」ではなく「横超」であることに注目! <知>の上昇過程(往相)ではなく、還相の位相で親鸞は語っている。 11.三願転入 十九願、二十願を経て十八願(往生念仏の願)に転化する。『大無量寿教』の本意は十八願にあるとする。 倫理の高低の否定、善悪の差別を相対化して、美麗・清浄・荘厳・豊饒といった<浄土>の観想的なイメージの否定を経て、一切の人間は等しく<正機>に属しているという思想への過程としてみることができる。(浄土の実在の否定) →反転して、一切の自力の痕跡を消し去る過程として悪人正機・愚者正機が主題になる。p43 12.「最後の親鸞」の思想的課題として、宗教の外の存在において悪人正機・愚者正機を、どのように超えるか(解体させるか) @<称名念仏>と<浄土>へゆく<契機>を、構造的に極限までひき離して解体させる。第十八願を解き放ち解体する。p48→方法としての「愚者」「存知せざる」の言葉「面々の御計」の言葉→絶対他力の方法と絶対他力をも解体。 「<念仏>が浄土へゆくよすがになるのか、地獄へ堕ちる種子かは、わが計いに属さないと云うとき、如来への絶対帰依が語られていると同時に、親鸞自身の思想にとっては、<浄土>と<念仏>との因果律を絶ちきって、ある不定な構造に転化していることを意味している。」p51 A「信じるか否かも、こころのままである」という視点→宗教人(党派人)としての親鸞の自己放棄。布教の放棄。→「一人が為」という転機(ただ<弥陀の本願>の真理があるだけという思想と微妙に剥離しながら、しかし紙一枚で合体している。)p51 Q:念仏の否定が、絶対他力の否定になるのかは疑問。絶対他力の主体は阿弥陀仏である。 cf;「一人が為」=単独者性、阿弥陀仏と<わたし>との対向、一神教的。 cf;親鸞以前の浄土宗では、衆生→仏への向かう自力の廻回観でであるが、絶対他力では仏→衆生への廻回観に転換する。(『教行信証』の「信巻」での親鸞による独自の読み換えが行われる。(資料参照) 13.宗派・教義の争い 相対的な世界は、この現世であり、現世とはもともと仮りの姿(虚仮)で存在する世界のひとつにすぎない、という立場に親鸞は立っている。 そして宗派の争いに対してもその立場を貫くと浄土真宗そのものの解体となり、同時に他宗派無化につながる。そこから宗派的信仰そのものを拒否する視点が生じてきた。 14.最後の親鸞に訪れた幻 <知>を放棄し、称名念仏をの結果にたいする計いと成仏への期待を放棄し、まったくの愚者となって老いたじぶんの姿だったかもしれない。(方法としての「愚者」→<愚者=非知>へ) cf;「あるがまま」、本覚思想と自然法爾の関係 ■付録(吉本のテキストを離れて) 隠遁――親鸞はなぜ比叡山を降りたのか ■資 料 ★吉本の立ち位置について 「世界の肯定の仕方」立岩真也 彼が書くことは肯定的だ。置かなくてもよいものを置かない。これは大切なことだと思う。よい読者ではない――すぐに使う本しか読めない不健全な暮らしをしていて、ここ二十年ぐらい彼の本を一冊通して読んでいない――私は、このことだけを言おうと思う。 しばらく「政治哲学」の人たちが書いているものをすこし読んだ。リベラリズムだとかコミユニタリアリズムだとか様々な立場があり、大きな話から具体的な主題まで、ここ数十年をとっても移しい言説の蓄積がある。そしてなかなかもっともなことも言われていて、なるほどと思うことがある。他方、この国でどんなことが言われてきたかを思うと、論理の詰めが甘い、というより論理がないことが多いから、それに比べるとよいと思う。それである程度感心しながら読んだ。しかし違和感を感ずることがあった。前から思ってきたことなのだが、やはりあらためてそう思った。 そしてそんなことを思う時、ときどきこんなではなかったような気がする人として想起したのは吉本だった。何を読んでそう思ったのか、たしかな記憶もないのだが、しかし、たしかに異なつていると思い、そして彼の方が正しいと私は思った。彼には、何かに、例えば政治に参画したり、あるいは何かを、例えば自分自身を自らで作り出していくことが、それはときに必要であったり、ときにそれを人は求めてしまったりすることがあるとしても、それ自体として価値があるわけではないという、冷静な認識があると思う。また、そんな「積極的」な契機が人に含まれてなくても、それはそれでよいではないかという見方があると思う。 私がおおむね翻訳で読んだ著作者たちは、立場を超えて、このようには思わないようなのだが、その方が間違っている。このあたり前の立脚点に立った方がよい。ただ、この健全なところから発しても、そこからのもって行き方を間違えると、行き止まりになってしまう。この場所をふまえながら、違う行く方があるはずだ。次にこのことを説明する。(KAWADE夢ムック『吉本隆明』所収、河出書房新社) ★「大衆の原像」について 「大衆は社会の構成を生活の水準によってしかとらえず、けっしてそこを離陸しようとしないという理由で、きわめて強固な巨大な基盤のうえにたっている。それとともに、情況に着目しようとしないために、現況にたいしてはきわめて現象的な存在である。」(吉本隆明「情況とはなにか」) 「もうひとつぼくの思想の原点になっていることは<話しことば>の世界をすこしも離脱しない者(原像としての大衆)を絶えず繰り込めない知識(の人)はダメだということです。」(吉本隆明『思想・学校・教育』) ■村瀬学の解説 吉本隆明は「大衆の原像」を問い、「生まれ―成長し―老い―死ぬ」という骨格を生きるところに、人間の最も価値のあるものをみようとしてきた。むろん現実には、人はその骨格にプラスアルファをつけて生きざるを得ないわけで、それは「大衆の原像」=「根源の価値」からの逸脱になるのだと彼が説明してきた。だからこそ逆に誰も生きられない「原像」には価値があるのだとさえ彼は言ってきた。(村瀬 学『「いのち」論のはじまり』) ■芹沢俊介の解説 吉本隆明の<大衆の原像>という概念は、転向論における非転向の基軸としてその種子を埋めこまれた。吉本の定義によれば転向とは、「日本の近代社会の構造を総体のビジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換をさしている」。なぜインテリゲンチャの転向が問題なのか。それは知の権力への転化の契機を形成するからである。吉本はここから転向論のアクシスをそれまでの権力の強制・弾圧という自己外の受動的要因から「大衆からの孤立(感)」という自己の思想の内在的要因へと移していく。この場合の陥りやすい誤解としての大衆追随主義(実体主義)を注意深く切り離すために、<大衆の原像>という概念は誕生したと言えよう。 <大衆の原像>は、実体としての大衆とも、意識としての大衆とも異なる。それは実体としての大衆に接し、意識としての大衆に上限を限られる構成(ゲシュタルト)として措定されている。それはだから幻想としての大衆である。あるがままの大衆の存在様式をあるがままにとらえるために創出された概念である。 「大衆は社会の構成を生活の水準によってしかとらえず、けっしてそこを離陸しようとしないという理由で、きわめて強固な巨大な基盤のうえにたっている。それとともに、情況に着目しようとしないために、現況にたいしてはきわめて現象的な存在である。」(「情況とはなにか」) このような存在様式を知が課題としなくてはならぬ理由は、こうした存在様式がそのままで知に対する根底的な批判となっているからである。知はどこまで行っても、どの方向へ行っても知でしかない。知は知の外部になりえない。知が知の外部となりうるのは、知の外部である<大衆の原像>をくりこむことによって、非知(知の自立)をめざすときだけである。かつて吉本は「遠隔対象性」という概念を提出したけれど、それは知が知をどこまでも志向し、渇望することの自然必然性を示す概念であった。 <大衆の原像>は、その歴史的起源を柳田国男のいう「常民」という概念にもっている。「『常民』とはいわば歴史的な時間を生活史のなかに内蔵し、共時化している存在をさしている。」(「柳田国男論」)いいかえれば、この「常民」のところで、<大衆の原像>の概念はもっとも濃度が高くなる。自然にかぎりなく近づくと言ってもいい。 反対に、現代に近づけば近づくほど、<大衆の原像>は、自然の濃度を薄められる。そして決定的なことはマス・イメージの巨大化が「いままで存在できないとかんがえられていた導通路」「無意識に高度な質にたどりつくことも、意識された上昇もできるひとつの世界通路」を成立させてしまったことである(『マス・イメージ論』)。 吉本隆明は、<大衆の原像>のこの非自然化=高度化の段階がある地点を越えたとき、<大衆の原像>という概念が有効性を喪失するときだと述べ、その標識をたとえば現在、大衆の七〇%以上を占める意識の中流性(マス・イメージがもたらした)が、実体をともない、市民社会の半分以上を占めるにいたったときだと述べている(『不断革命の時代』)。 自然と人工の関係としてとらえられるマルクスのいう土台と上部構造の関係はこの段階で消滅する。 吉本隆明はすでにこの事態を確実に想定している。知の解体の契機としての<大衆の原像>に代って、知の新しい解体の方法を提出している。それが「世界視線」である。「世界視線」は、マス・イメージというイメージを外から眺める視線である。自然の死とは異なる新しい死から照射される視線であり、無限遠点の彼方から垂直に俯瞰する視線である。知の遠隔対象性という知の専制化の契機は、この死から照射される世界視線によって破砕されるのだ。 このとき、<大衆の原像>は、地上50cmから2mのあいだで平行に行き交う視線である「普遍視線」という概念に包括され、消滅する(『ハイ・イメージ論』)。(現代詩手帖臨増「吉本隆明」U1986、より) ★自然法爾について 親鸞聖人御消息「自然法爾の事」(じねんほうにのこと)、本願寺出版発行 浄土真宗聖典注釈版 p.768 ( )内は本文中茶色文字の脚注 自然法爾の事 「自然(じねん)といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひ(自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめて(あらためて。ことさらに)はからはざるなり。このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。 「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて迎えんと、はからせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。 ちかひのやうは、無上仏(このうえなくすぐれた仏。ここは、無色無形の真如そのものをいう)にならしめんと誓ひたまへるなり。無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましませぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。 弥陀仏は自然のやうをしらせん料(ため)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰(あれこれ論議し、詮索すること。)すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなるべし。 正嘉二年(1258年)十二月十五日 愚禿親鸞八十六歳 ★「廻回」観の転換 『大無量寿教』のつぎの一節 「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜してないし一念、至心に廻回して、かの国に生まれんと願はば、すなはち往生することを得て、不退転に住せん。」を、親鸞はつぎのように解している。 「経にのたまはく、あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんことないし一念、至心に廻回せしめたまへり。かの国に生まれんと願ずればすなはち往生を得。不退転に住せん。」『教行信証』の「信巻」(伊藤益『親鸞――悪の思想』集英社新書より) ★信について <信>〔信〕と〔不可避〕(菅谷規矩雄) わたしが理解しえたかぎりでは、<信>をめぐる吉本隆明の思想は、おおよそ以下のような輪郭と構造をなしている。 まずわたしたちは、概念のカテゴリイを、三通りの対立項の相互関係という位相にみいだすことができよう。すなわち(真/偽)、(信/疑)、(絶対/不可避)である。 吉本隆明が<信>をめぐる思想の究極においてもとめているのは、<不可避>は、思想の概念として、それじたいの理路を成立させることができるか――という問いの解答であるとおもう。もし、<不可避>が理路として成立するならば、<絶対>にたいして<相対>を、最終的に、救出しうるみちがひらかれるだろう。 言いかえれば、そこで<絶対>が解体する――そして<真>が、つねに<相対>の視野のうちでとらえられるものとなる。けれども、<相対>という意志や観念は、それが観念であろうとするかぎり、観念そのものの<存在>によってのりこえられてしまうという危機をはらんでいる。つまり、<相対>がみずからを<疑>にさらすことによって、<信>の倒立像をよびこんでしまうのだ。 このときはじめて、<相対>は、<信>の内部をのぞきこみたいという欲求をいだく。するとそこで、そとからみられた<信>とは、なによりも、たえず<疑>にさらされている<存在>としてあらわれ、そしてこの<存在>は、どこまでひろく、かつ深く、<疑>を内部によびこむことのできる思想であるかを――そとにたいしては、告げていることが、あきらかになる。 思想としてみれば、<信>とは、その内部によびこんだ<疑>の深さにほかならない――そして、<信>が、みずからのそとに告げることができるのは、その点につきる。新約書のイエスが、また、歎異抄の親鸞が、吉本隆明をひきよせたのは、この点であったとおもう。 たとえじぶんが法然上人にだまされたのであって、だから地獄におちることになった上しても、じぶんには念仏しかないのだ――と親鸞はみずからの<信>のすがたをあきらかにしている。ここに親鸞がよびこんだ<疑>の深さは、<真/偽>のトポスじたいを解体するものとなってあらわれてくる。たとえみずからの<信>が<偽>であろうとも、それでもなお念仏という<信>は<不可避>なのだ――そのように<真/偽>が相対化されたところでは、<絶対>もまた、<信>の地平のはるかかなた、みえるかみえないかのところまでしりぞいてゆくだろう。 ここまできてしまえば、<信>のうちがわとそとがわとは、ただひとつ、<不可避>という主題を介してのダイアローグ――という関係に集約されうる。のみならず、<信>が思想の理路において、みずからを問い、みずからを語ろうとするならば、すなわち欺瞞なき<信>には、このようなダイアローグの関係いがいに、<存在>のトポスをみいだせないはずだ――そこまで、吉本隆明は親鸞をひきよせた。 <信>がもし、<信/疑>という「関係の絶対性」から、みずからものがれえないことをみとめるなら。この「絶対性」のまえでは、<信>はただおのれを<不可避>として語りうるのみであろう。 他方、<相対>とは、その本質において、まさに<関係>にほかならないのだから、「関係の絶対性」という視線を、どこまでものがれきる――ということはできない。そして<相対>にとどまろうする意志が、この「絶対性」のまえで、みずからをえらぴきれないとき、意志は、そこにあらわれる<不可避さ>に、どう対処すればいいか。 ここでさいごの危機(臨界)は、意志がみずからを<相対>としてえらびきれないとき、<存在>としての<相対>は、どこまでもゼロちかく縮小されてしまうことである。そして<死>の観念がはてしなく肥大する――<死ぬこと>という事実が、ではなく、<死>の観念が<不可避さ>としてあらわれてくる。この観念(虚無)からみずからを解きはなつことが、とりもなおさず、<不可避>が<論理>として成立するための端緒ではないか――わたしはそのような示唆を吉本隆明からききとれるとおもっている。(現代詩手帖臨増「吉本隆明」U1986、より) ■参考文献 『歎異抄論釈』佐藤正英、青土社 『歎異抄』現代語訳・解説:梅原猛、講談社学術文庫 『親鸞入門』佐藤正英、ちくま新書 『親鸞――悪の思想』伊藤 益、集英社新書 『還りのことば』吉本ほか、雲母書房 『論註と喩』吉本隆明、言叢社 『<非知>へ <信>の構造「対話篇」』吉本ほか、春秋社 『日本仏教史――思想としてのアプローチ』 末木文美士、新潮文庫 『仏教 vs 倫理』 末木文美士、ちくま新書 『神仏習合』美江彰夫、岩波新書 『世界がわかる宗教社会学入門』橋爪大三郎、ちくま文庫 『永遠の吉本隆明』橋爪大三郎、洋泉社y新書 「世界の肯定の仕方」立岩真也、KAWADE夢ムック『吉本隆明』所収 『現代詩手帖臨増「吉本隆明」U1986』思潮社 『「いのち」論のはじまり』村瀬 学、JICC出版局/洋泉社 『思想の危険について―吉本隆明のたどった軌跡』田川建三(インパクト出版会) |