「哲学的腹ぺこ塾」読書会のレジュメ

■ 第4回
■ テキスト:J・J・ルソー『人間不平等起源論』(1753〜1754執筆、1755公刊時43歳)
■ 日  時:99年10月17日(日)午後2時
■ 報 告 者:山本繁樹

ロマン主義思想家あるいは「近代」批判者としてのルソー、
「覚醒する感性」を呼び起こすJ・Jあるいはモラリスト、
アルケー(始源)への夢想家あるいは人類学の創始者(反ユマニスト)、
個人主義者あるいは全体主義者、
さまざま矛盾を内包する、<問題としてのルソー>(1712〜1778)


1.「序文」の立場

アカデミーからの課題を解決するよりも、問題の真の所在を指摘し、第一論文「学問芸術論」(1750/38歳)から継承・展開する「知の不透明性」や「制度」を告発することに主眼を置く。

・・・われわれが新しい知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識のなかでもっとも重要なものを獲得する手段をみずから棄てるということであり、またわれわれが人間を識ることができなくなっているのは、ある意味においては人間をおおいに研究した結果だということである。・・・(p26)

ソクラテス的「汝自身を知れ」に共鳴することから、18世紀啓蒙主義者たちの「知」を「知の無知」とし、それに対して「無知の知」を対置さす。
「徳の無知」による「知」の批判展開。

・・・哲学者をまず人間にする前に、人間を哲学者にする必要はない。・・・(p31/引用頁は岩波文庫版より)

1)ルソーの方法とは何か

人間そのものを知ることから始めなければ、不平等の起源を知ることはできない。(p25)
そこで、「根源的なものと人為的なものとを識別」し、歴史上存在したこともなく将来も存在することない仮説的・実験的状態=「自然状態」を設定する。(p27)
この方法概念としての「自然状態」は、すでに「学芸論」において予告されていた。
この「自然状態」を観察することから「本源的人間」の在り様が明らかとなり、不平等の起源が明確になると説くわけである。

2)「自然状態」について

この「自然状態」が、本論・二部では「かつてあった状態」として実体化あるいは理念化(理想化、規範化)されていく過程がある。それは詩人的感性による直感的把握に基づいているようにも思える。
それはまた、「外見と存在が一致する透明性」=「あるがままの姿」の人間的本質(human nature:人間的自然)に対して、「社会」が制度によって「障害」を造り不透明にしているという批判の論拠にもなっている。(「透明と障害」というキーワード/J・スタロバンスキー)

3)自然法の問題(←→実定法)

・・・自然法の観念は、明らかに人間の本性(自然)に関する観念だからである。(中略)この人間の自然そのものから、人間の構造とその状態とから、この学問(法学)の諸原理を演繹しなければならない。・・・(p28)

ルソーの考えた「自然状態」にある人間(自然人)には、一切の理性に先立つ原理として(それ故、本源的)
a)「自己保存の原理」と
b)「憐れみの情」(同朋・感性的存在への感情→「人類学的発想」や「言語起源論」に関連)
に支配されており、「社交性の原理」は存在しないとされる。(つまり「社会」や「調整する権力」は必要ともされないし、まだ存在していない!)
またこの二原理から「自然法」が生まれてくると説く。
しかし百科全書派の自然法は、「自然状態」において捉えないで「社会」の方から導いている故に誤っており、従ってアカデミーの問題提出の仕方にも根本的な誤謬があるとを指摘する。

・・・近代の法学者たちは、法の名のもとに、道徳的な存在、いいかれば知的で自由な、そして他の存在との関係において考察された存在に対して課せられる規則だけしか認めないから、その結果、自然法の権能を理性を授かった唯一の動物すなわち人間に制限ている。(p29)・・・それが法であるためには、その法の強制をうける人の意志が承知の上でそれに服従しうるものでなければならないだけではなく、さらに、それが自然的であるためには、その法が自然の声を通して直接に話しかけるものでなければならない(p30)・・・実際、私が同朋に対してなんらの悪をしてはならない義務があるとしたら、それは彼が理性的存在であるからというよりは、むしろ彼が感性的な存在であるからだと思われる。・・・(p31)

自然の声の<直接性>に注目(直接的で透明な関係性は、ルソーの夢想する始源の状態である)、
「理性=反省意識」に先立つ故に「憐れみの情」は詭弁から免れており、自己との同化を拒否して「他者」との「同化」を目指す<反コギト的>な態度(アンチ・ユマニスム)を生み出している。(レヴィ・ストロース)

・・・自尊心を生むものは理性であり、それを強めるものは反省である。人間に自分を振り返らせ、また、人間を邪魔し悩ますすべてのもから人間を引き離すものは、反省である。人間を孤立させるものは哲学である・・・(p74)
・・・人はまずはじめに推理したのではなくて、感じたのである・・・(「言語起源論」p21/現代思潮社)

2.本論における「自然状態」について

1)自然状態で生活するために必要なものはすべて本能だけのなかにもっていた。(自然的自由と独立)
2)お互いにどんな種類の道徳的関係も義務もないから、善人でも悪人でもありえず、悪徳も美徳ももっていない。(社交性をもたなく孤立した動物的状態)
3)自然状態とはわれわれの自己保存にとってもっとも害の少ない状態なのだから、この状態は従ってもっとも平和に適し、人類にもっともふさわしいものであった。(以上p69)
4)しかし人間に生得的な「自己改善(完成)能力」(ルソーの新造語)が環境的諸条件の下で発動して「社会状態」へ移行する。(自然状態→原始状態→社会状態)

・・・この特異なほとんど無制限な能力が人間のあらゆる不幸の源泉であり、平穏で無辜な日々が過ぎてゆくはずのあの原始的な状態から、時の経過とともに人間を引き出すものがこの能力であり、また、人間の知識と誤謬、悪徳と美徳を、幾世紀の流れのうちに孵化させて、ついには人間を彼自身と自然とに対する暴君にしているものこそ、この能力(自己改善能力)であることは、われわれにとっては悲しいことながら認めないわけにはいかないだろう。(p53)

[比較]
■トマス・ホッブス(1588〜1679)は、人間は本来平等であるが、その本性は利己的なものであると考え、自然状態にあっては「各人の各人による戦争状態」と見て、国家が制定した道徳の支配下で、はじめて利他的行為をするようになると説いた。しかし、それはあくまで自己保存という利己的な動機から発している。個々の幸福は、人間が利己心を満足させるために契約してつくった国家(コモンウエルス)のなかで実現され、宗教は必要としない。(専制政治)
■ジョン・ロック(1632〜1704)は、自然法の支配する国家以前の自然状態を自由で平等な状態とし、道徳も存在すると考えた。しかし平等な個々人が紛争を起こすとその決裁者がいないので、契約により公的権威を承認するが、自然権の全面移譲ではないので個々人の側の生命・自由・財産の基本権が留保され、主権制限論へと発展する。また労働により所有権の成立、貨幣の発明のほかに、狩猟採取段階から農耕段階を経て初期工業段階に至る経済活動への発展が描かれている。

3.「言語起源論」への端緒

ルソーの「自然人」は孤独で離散しているが自足している状態にあるために、コミュニケーションの必要が「社会が出現」する以前には生まれる余地がない。親子の間において言語を必要とするのは親よりも子供で、子供は親から言語を学ぶ。それ故に、言語の発生以前に家族が成立していなくてはならない。

・・・言語の制定にとってすでに結合された社会が必要であるのと、社会の設立にとってすでに発明された言語が必要であるのとどちらがより必要なものであろうか・・・(p67)

・・・言語が純粋に人間的な手段によって生誕しまた確立されることができたということは不可能なことがほとんど論証されたものと確信して・・・(p66)
→「言語起源論」へと継承展開する。

・・・言葉は最初の社会制度なのであるから、(中略)ある人間がものを感じ、考える存在として、他の人間から似た存在として認められるやいなや、自分の感情や思考を彼に伝達したいという願望または欲求によって、彼はその手段を求めるようになった。・・・(情念・感性としての言語の復権/「言語起源論」p9)

4.政治社会の起源

「これはおれのものだ」と主張する人間が現れたときの「私有」の観念が、政治社会の起源である。(p85)
「自然状態」=(透明な関係)は、社会化されて「人間対人間」の関係において、習俗が腐敗したように人間が堕落していく運命を担いながら「外観」と「存在」の不一致は、人間の不幸と悪徳への第一歩であった。

・・・いまやわれわれのあらゆる能力は発展し、記憶と想像とははたらきだし、自尊心(利己心)は利害に目ざめ、理性は活発になり、精神は可能なかぎりの完成の極点にほとんど達している。いまやあらゆる自然的素質は活動をはじめ、各人の地位と運命とは、単に財産の分量や人の役に立つ、また害になる力ばかりではなく、精神や美しさや体力または器用さや、長所または才能に基づいても確立されている。そしてそれらの素質は人々の尊敬をひきよせることのできる唯一のものだったので、やがてそれをもっていることか、またはもっている  自分の利益のためには、実際の自分とはちがったふうに見せることが必要だったのである。有ること(存在)と見えること(外観)がまったくちがった二つのものとなった。・・・(p101)

その後、「制度」によって制度を超えようとする「社会契約論」の構想へと引継がれる。(「個別意志/全体意志」を超える「一般意志=法」の実現

(歴史的参照)
 1729/石田梅巖、心学を唱える。  1759/平賀源内、電気学を唱える(エレキテル発動機発明)。

(文献紹介)
「透明と障害」(J・スタロバンスキー/みすず書房版と思索社版と邦訳がある)
「人類学の創始者ルソー」(レヴィ・ストロース/現代人の思想15「未開と文明」所収/平凡社)
「根源の彼方に グラマトロジーについて」(ジャック・デリダ/現代思潮社)
「ジャン・ジャック・ルソー問題」(カッシーラー/みすず書房)
「ルソー研究」、「ルソー論集」(桑原武夫・編/岩波書店)
「ルソー 甦る狂気の聖者」(「現代思想」1974年5月号/青土社)
「総特集 ルソー ロマン主義とは何か」(「現代思想」1979年12月臨時増刊号/青土社)




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